奇術
遅くなりました。しばらくはこのペースが続くものと思われます。
「おお、勇者の戦闘が洗練されていく。あの蟲ジジイは中々の経験値だな、今の勇者の邪魔はしたくないものだが……」
バテレンは口元を小さく歪めて余裕の表情を崩さない。
(地中の魔物を先に片付けておくか。)
寄生虫の卵が飛び交う修羅場で、バテレンは、まるで物見遊山の如く構えていた。この余裕は人格的な意味での器によるものではなく、既にベクトルの存在を感知していた上でのブラフであった。後手の先を取る戦法においてバテレンの術は最適であることが後に分かる。
地中からバテレンを標的にしていたベクトルは、バテレンの体が膜のようなもので覆われていることを発見した。広く使われている風や真空、熱等による障壁ではない、全く未知のエネルギーがバテレンから漏れ出していたのである。ベクトルはこのエネルギーに並々ならぬ好奇心を疼かせた。魔導師の性、ベクトル=モリアの性であった。
魔界と人間界とでは、魔法の研究は全く違う性質を持っている。まず社会構造が人間と魔族では異なるし、精神文化と実学の中間を行く魔法という学問は、それを有する共同体の性格を色濃く反映するのである。敵対し合っている多種族同士が同じ研究を有するわけがない。当然、人間対魔物のシチュエーションにおいては互いが互いの手の内を想像すらできないまま戦うのである。それは魔術師にとっては一種の喜びであり、それが人間と魔物の戦いを陰から助長しているとも言えるだろう。
それはそうとして、ベクトルは典型的な魔界の術師であった。つまり、興味津々なのである。
ベクトルはもはや大師匠暗殺と今の戦闘を切り離して捉えている。合理的に割り切ったというよりは、大師匠暗殺がこの戦闘のための演出であるかのような錯覚を覚えていたからである。大師匠という存在はベクトルにとって第二の父親のような存在であったのだが、もちろん一種の親離れはとうに済んでいる。それも含めて大師匠の死には実感が湧かなかった。
そして何よりもこの一件に欠けていたのは事態の進行の自然さ、つまり、道理である。
ベクトルは不思議に思っていた。特に大師匠の遺言である。
どうして大師匠は、バグに『不自然』で『手遅れ』なメッセージを託したのだろうか。大師匠は魔界の中でも奇人変人に数えられるレベルの魔族らしからぬ性格を持っていたが、それでも魔導師である。その魔法や行動において意味のないことなどありえない。その不自然さこそがメッセージに意味を持たせ得るのである。
ベクトルは確かに、先ほど述べたようにこの戦闘と大師匠のこととを分けて考えていたが、それでも迷いや戸惑いが無かった訳ではない。
後世の魔王ベクトルに対しての評価は『冷徹』だとか『合理的』だというイメージが前面に押し出されているきらいがあるが、魔王も所詮は生物であり、迷い、間違いも犯すものなのである。
ベクトルにもしもこの迷いが無かったら、バテレンはこの場で魔界に囚われ、野望が潰えていたかもしれない。だが、現実はそうはならなかった。
ベクトルは魔法で身の丈程の毒針を取り出した。この毒針には、魔界の食人植物が生物を仮死状態にし、体内に保存しておくために用いる猛毒が塗られている。また、さらにベクトルによって仮死効果強化のまじないが施されており、毒針の名が恥じるほどの危険性を持つ武器であった。
ベクトルは魔王水の時もそうだったように、戦闘において薬品を頻繁に用いる。これはベクトルの父、ケミカル=モリアから受け継いだ戦闘方法である。
ベクトルは毒針を片手に地中を音も無く移動し、いよいよバテレンへの先制攻撃に移る段となった。
ここで、ベクトルが先程から用いていた『地中に潜る魔法』について説明しておく。これは、『融合』の魔法である。外界の無生物物体と自らの身体を、『定義』を操作することによって融合させる高等魔法であり、ベクトルがバグに語った『習得した父の遺産』の一部である。
つまり、これは人間界には無かった全く未知の魔法であり、人間であるバテレンには感知するどころか予測すら出来ないはずなのである。
ただ、そこが甘かった。だが、そこが術の戦いの面白さとも言えようか。
バテレンがにやけた顔をして放った一言が状況を一変させた。丁度ベクトルがバテレンの足の裏に毒針を突き刺そうとした瞬間、
「見つかっていないとでも思っていたのか、馬鹿めっ!」
次の瞬間にはベクトルの胸部に寸分違わず衝撃が送り込まれてきた。先制攻撃はバテレンのものだった。ベクトルが警戒していた未知のエネルギー、大師匠の意識を不意打ちで刈り取った際の術と同じものである。
ベクトルは地中で吐血した。青みがかった血液が融合解除され、地面に吸収されていく。
「間抜けな魔物だ。尻どころか頭すら隠れていないじゃないか。」
そう言ってもう一発。今度は鳩尾の辺りを殴打されたような感覚がベクトルを襲った。今度は血の混じった吐瀉物を嘔吐。意識は朦朧とし、大地との融合も解除されかかった。
全ては地中で起こっていることであるのにもかかわらず、バテレンはそれが手に取るようにわかるらしかった。残虐を好むバテレンの本来の眼光が光った。
「おや、いい物を持っておるじゃないか」
バテレンが目をつけたのはベクトルの特製毒針である。バテレンが息を短く吹く(例の術を使う)と、毒針は地面から飛び出した。ベクトルはそれを留めることも出来ない。
「さあ、出てこい!」
さらに続いてバテレンが気合をこめると、ベクトルの身体の大地との融合が解除され、ベクトルは地上に飛び出した。この時、勇者との戦闘に集中していたバグが、初めて異変に気付く。しかし勇者を振り払うことが出来ず、奇しくも大師匠の時と同じような構図となった。
ここまで来ると、もはや運命なのかもしれない、などと心にも無い幻想が浮かんだりするものである。
バテレンは、ベクトルが死に体で立ち上がろうとする様を見ては面白がっている。。もちろんただ面白がるだけでなく、大師匠のときには無かった手ごたえを微かに感じている。
ベクトルは薄れ掛けた意識の中で、何とか鉄鬼の時のように攻撃を受け流す準備をしようとするが、もはや間に合わない。あれは地面との融合と魔王水との融合解除で行われる奇術、即ち手品であり、このような状態では真価を発揮できないのだ。
ベクトルの意図をなんとなく受け取ったバテレンは口元の歪みを深める。恍惚の笑み。
「中々器の在りそうな良い顔だ。こういうボウヤは殺しておくに限る」
油断も情けもなく、毒針がベクトルの胸を貫いた。