伴天連登場
人間界と魔界の間には、それを隔てる大きな山脈がある。この山脈はいくつもの噴火口を持つ活火山である。人魔双方にとって有害な瘴気を撒き散らし、魔物の住む『魔界』と、人間の住む『人間界』とを大まかに分断している。
この世界に住む人間たちは、魔物のみだりな侵入を妨げてくれるこの霊峰を『聖なる壁』と呼んで崇拝した。
『聖なる壁』は、この世界の気候、生態系を大きく二つに分けてそびえている。ちなみに、エルフの森は壁の魔界側に存在する。人間との通商のために人間界側に居住区をおくエルフの一派もいるが、その安全は保障されていないと言っていい。ただ、人間の『宗教』においては、エルフは魔性を克服した魔族であるという記述がなされており、そのため、エルフに対して人間は比較的友好的であった。少なくとも、魔物と血を通わせている亜人達よりは、格別に扱いが良かったと思われる。
人間達は『聖なる壁』の向こう側、即ち魔界のことを忌み嫌い、打ち勝つための文明が栄えた。政事、宗教、文化、技術、そのすべてがアンチ魔物である。
そして現在、人間界ではいくつかあった小国家がある勢力によって一つに纏め上げられようとしている状況であった。それは後の『人間帝国』、魔王軍とこの世をひっくり返す大戦を起こした大帝国である。
彼らは、魔物の全てを滅ぼすまで人間が一致団結するという原則の下に集まり、勢力を拡大していた。
帝国は、人間による人間のための人間の世界を渇望する一種の邪教にとりつかれていた。亜人差別はこの魔王候補の戦の頃には『亜人弾圧』と呼べるものにまで発展していたのである。
「弾圧が、近い日に虐殺へとつながるのではないか」と、この頃にはほとんどの亜人達がそれを恐れて魔界に亡命していたという。魔王となった後、ベクトルは彼らを手厚く保護した。
さて、この物語の真髄に迫るがごとき疑問であるが、「何時、何故、この人間対魔物の歴史がこの世界に生まれたか?」は不明である。
決定打となる歴史的資料が人間界にも魔界にもなかったからである。「なぜないのか?」と考え、歴史を紐解いて探求しようとしたものもいたが、何故、充実した資料が残されていないかすら不明であった。歴史書が魔物に焼かれた、というレベルのものではない断絶の徹底なのである。
この世界に住む生きとし生ける者が知りえたことは、まるで彼らが、何者かに戦うように命じられて同じ檻に入れられた剣闘士のようだということだけであった。
だが、戦うこと自体が双方にとっての究極目的であり、存在理由となってしまってはもはやどうにもならない。
そうして、いつから始まったか分からない人間と魔物の戦いの歴史は更けてゆくのである。
さて、いま少しの間この世界における人間達の立場について説明したのは、これから新たに登場する人間の立場をある程度明らかにする必要があったためである。
その人間は名を『バテレン』と言った。
温和そうな表情を顔に浮かべたこの中肉中背の男は、二人の人間を伴って『魔法使いの海』に進入しようとしていた。もちろん、『魔法使いの海』が魔界中でもっとも危険な場所だということを承知していての行為であった。
バテレンに付き従う二人の人間のうち、片方の従者風の男は、名を『四六』という。四六は、バテレンに懇願するような目で何か、ものを言っていた。
「バテレンの旦那、本当にこのまま入ってしまうのですかい?。この中は相当やばいですぜ、勇者に防御の術式でも張らせときましょうよ。」
四六に刹那意識を向けられた少年は、『勇者』と呼ばれた。彼は貴族とも、騎士とも言い難い、儀式に扱うような実用性のなさそうな戦闘服を着せられており、顔に何の表情も浮かべていなかったから、精巧な人形のような印象を振りまいていた。
バテレンは四六の言うことを臆病者の無駄な気苦労だと一蹴し、さっさと乗り込むつもりでいる。
『愚か者め、お前のような小物が一人でここをうろついていたのだったらとっくに死んでおるわ。相手は今のところ勇者よりも強い。だから私がこうしてここに来ておるのではないか。』
ひどい言い様であるが、これ以上バテレンの気に障ることを言えば自分などすぐ殺されてしまうことは分かっていた。
『そんなに嫌ならお前はここに残って、黙って帰り支度でもしておれ。』
一瞬だけバテレンの温和な目の奥から、蔑むような冷たさの光が放たれた。四六はそれを見ただけで、これから相手取る魔物よりも、いま自分が仕えているバテレンの方が凶悪で恐ろしいということを痛感した。
四六がバテレンという男に仕えるようになったのは半年前のことであった。当初は人当たりが良い上に、暗殺者上がりである自分を良い値で雇ってくれる最高の雇い主だと思っていたが、この男について仕事をこなしていくうちに、この男のどす黒い野望に付き合わされることについて呪うようになっていた。
バテレンはこの時、未だ人間界統一を成し遂げていなかった『人間帝国』の、神祇長官の役割についていた。現代風に言い換えれば、宗教担当大臣とでも呼べるだろうか。元々人間界でもそこそこのVIPの地位を確立していたらしいが、その裏で行われる怪しい活動については人間帝国上層部でも知る者は少なかったらしい。
さて、そんな怪しい男が何故魔界にやってきたのか。
壺越しに感じる大師匠の力に対して臆病風に吹かれた四六に対して、バテレンは口を開いた。
『元々お前に期待などしていない。そんなに付いてくるのが嫌なら、もっと嫌になるように、これから戦う相手の話を一つしてやろう。』
そう言ってバテレンはふふんと笑った。
バテレンは饒舌を誇る男である。話すこと、話術で野望を果たそうとする妖物であると、後にイゾウに評された男である。四六に大師匠のことなど話す必要はなかったのだが、話したいから話すのである。四六がこれを聞いてどう思おうがどうでも良いと思いつつ、語りだした。
『お前、『坊主事件』を知っているか。』
「へえ、もちろん存じておりますとも。何しろ人間界中の書物がたった一晩で盗まれ、その次の晩に何事も無かったように元に戻されたという大事件。しかも、目撃された魔物は坊さんの姿で後になるまで誰も怪しむことがなかったという……」
四六は大して興味がなかったから、適当に色をつけて、授業を受ける生徒のように返した。無愛想にしていたら、次の瞬間には首が飛んでいる。
『ふん、所詮その程度の知識だろう。だが、この事件には色々と裏があるのだ、この私しか知りえない秘密がな。』
「はあ、それはまた……」
『それというのも、この事件の首謀者は一つだけ人間の書物に痕跡を残して去っていったのだ。それこそ、その魔物がたいそれたことをしでかしてまで探そうとした秘伝書なのである。』
バテレンはいかにも楽しそうに自分だけが知っている事実を曝け出しているが、この男のちょっとした感情の発露ですら油断ならないことが後に判明する。この男に裏表がないと思った瞬間には、この男の話術に未来の全てをがんじがらめにされてしまうことが確定するのである。
四六はこの男に媚びへつらう立場であったからこそ、この男のいう言葉を心の中で無視することが出来た。
それを知ってか知らずか、いや、恐らく知っているのだろうが、バテレンはそんなことにはかまわず語りつくす。もはや話を聞く相手などいらないかのようである。
『しかもそれだけではない。何故その魔物がその書物を求めたか、何故痕跡が残ったのか、も大体予測がついておるのだ。』
「へえ、それはまあ……」
『それは、簡単なことだ。その秘伝書の内容があまりにも難解で、その魔物は読むのに全ての魔力を費やしてしまったのだ。』
「は?」
『お前のように暗殺や諜報にしか魔法を使わない輩にはわからないだろうが、本というものは少なからず人から魔力を奪うものなのだ。人が本を読めば、本の内容に対する解釈や想像によって体内で魔力が消費され、その分の魔力が本に蓄積される。そのようにして魔力を蓄えた本が魔物や妖怪になることは珍しいことではないのだが、件の秘伝書というのは別格だ。それは、読むだけで人の心など破壊し尽くしてしまえるほどの難解で、残虐な書物なのだ。恐らく、私が長年求め歩いた、とある秘伝の術がその書の中に隠されているに違いない。』
「じゃあ、もしかして、これからぶち殺しにいく魔物っていうのが『坊主事件』の主犯で、旦那はその秘伝書を奪いに行くと?」
『そうではない。秘伝書はその隠された場所から持ち出せないように結界が張られていた。仮にそこから持ち出せたとしても、勝手にもとの場所に戻る仕組みになっていたのだ。だから、そこの壷の中の魔物も、あえてそれをしないで元にそっくりそのまま返したのだ。』
勿論、この事件の犯人は若かりし頃の大師匠であった。この頃は有り余る魔力をこういった無茶につぎ込んでいたらしい。
四六は困惑した。
「旦那はじゃあ、何をしに行くんですかい?」
『それこそ単純明快だ。その魔物に秘伝書の内容の解説をさせるのだ。』
そう言ってニヤリとバテレンが笑った瞬間、四六の思考は放棄してしまった。目の前の男は、強大な魔物に対して教えを乞い、そのうえ殺すと言う。そんな方法があるわけがない。失敗するに決まっている。
そう思った四六は、壷の外側で見張りをしたいと申し出て、いつでも逃げ出せるようにすることにした。
無論バテレンは、四六がそうなることを予想しつつ話を展開していた。何の不都合もないといった顔で、勇者と共に壷の中に入っていった。
前書きと後書きの欄をどうにか生かせないか?と考えてみましたところ、実験的に本編の解説を後書きに書くことにしました。本当は本文に書くべきだった色々な設定を実験的に書き綴っていこうと考えています。
まず第一回である今回は、この作品の世界観についてです。
さて、舞台はよくある剣と魔法のファンタジックな異世界でありますが、この作品では出来るだけ我々が住むこの世界とドッキングした世界にしたいと考えています。
今のところ行き来できる方法は、ベクトルが用いた『異世界召喚』の魔法だけです。ですから、今のままでは向こうから呼ばれない限り行き来できないのですが、我々の世界からも向こうの世界に行くことのできる技術が開発されることとなります。世界観について秘密にしておきたい設定があるのでそこを伏せるように書きますが、その技術は我々がよく知る技術で、幕末の頃には無かったものです。
あと、ちょいちょいとファンタジー世界にふさわしくないアジア風の設定が飛び出したりすることもあると思いますが(蟲術とかは中国の術)、それもある意味秘密に関するヒントです。
とりあえず、我々の住む世界と異世界との関係について今話せることはこんな感じです。