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魔王の懐刀  作者: 節兌見一
妖物たちの世界
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遺言

さて、物語そのもののペースを速めてみようと試みているのですが、果たしてこれが効をなしているのか、主観だけではどうにもつかみきれないところであります。


 「わしは今日、殺されるだろう。お前達に最期に言葉を残して逝きたい」

 大師匠の口からは、バグ、ベクトル双方にとっても予想だにしなかった言葉が発せられた。ベクトルは平常の表情のままではあったが、眉がピクリと動いた。

 バグはその鋭いまなざしを一気に丸く押し広げ、驚きの表情を見せた。ビックリ、どころの驚きではない。

 「何を仰るのですか!?。あなた程のお方が死ぬ?。しかも、殺されるなどとッ」

バグは大師匠の力と知恵に、絶対の信頼と忠誠を誓ってきた魔物である。こんな事を言われていて引き下がっているわけがない。たとえそれが、大師匠本人の言葉であっても、である。

 大師匠もそのことが分かっていながらこうしているのだ。

「バグよ、お前の気持ちは痛いほど分かるが、ここは黙って聞いてはくれまいか。時間がない。わしも自分の死を予感したばかりで動揺しておる。まさか、これほどの怪物が人間に紛れておったとは……。」

『人間』という言葉にベクトルが動く。

『人間、と仰いましたが。大師匠様は人間に殺されるのですか?』

「うむ、そのようだ。どこから魔界に忍び込んできたのかは分からんが、わしが死を覚悟するほどの化け物が、わしの結界をぶち壊しにしてこっちに向かってきておる」

 暢気な語調で大師匠は答える。彼にとっては死が恐ろしいものではないのかもしれない。

「そんな馬鹿な」

 バグのこの言葉が、一番その場の緊張をよく伝えているように思える。

 ほんのしばらくの緊張と静寂が走る。三秒程度のことであったが、イゾウには何倍もの時間に感じられた。

『ではお師匠様、我々は助けに向かわなくてもよろしいのですか?。まるであなた様には助かる気が更々ないように見えます』

 死の間際を自称する恩師に対してこれまで冷静に対処できる弟子がいるだろうか。ベクトルは大師匠を救出に向かうつもりのようだが、全く平常の表情と言葉である。

「いや、来てはならん。お前とバグの二人であっても、今のままではその人間に返り討ちにされてしまうじゃろう」

『そのような恐ろしい人間が、あなたを殺しに来るのですね?』

「そうだ」

 顔を真っ青のバグの後ろにいたイゾウは、この世界に人間が他にもいることをはじめて知った。自分だけがこの特別な世界に来ている、訳ではなかった。イゾウの中で『魔界=あの世説』ほぼ定着しつつあった。魔界と異世界召喚については散々ベクトルが解説したはずだが、イゾウには理解できなかったらしい。

 ベクトルは、別の救出案を考えた。

『では、魔法であなた様をこちらにお連れするのは?』

「ならん。わしは相手に既に遠隔魔法でマーキングされておる。よいか、わしを助けようとは思うな。そんなことのためにお前達を集めたわけではない」

 大師匠の形をした土くれは、大師匠のわずかな焦りまでをもその表情に反映していた。「本当に時間がない」と、言わんばかりである。誰も大師匠に逆らえなかった。

 大師匠の遺言が始まった。

 「バグよ。お前とは実に長い付き合いであったな。師弟とも主従とも言いがたい関係だったが、お前が『ゴキブリ』として働いてくれたおかげで助かったことばかりだ。あと、ゆめゆめわしの敵討ちなどは考えるなよ。いいな、お前はわしの死によって自由となるのだ」

 バグの眼に涙がうっすらと映ったのにはベクトルだけが気付いた。突然のことではあったが、大師匠の来るべき死は、どうしようもない未来だということを悟っての涙であった。

 大師匠はバグのことを「師弟とも主従とも言いがたい関係」と言ったが、バグにとっては、大師匠はその親に相当する存在であった。

 大師匠が木っ端魔物の童だったバグを引き取ってから大よそ一世紀。このような形でどちらかの命が尽きるとは思っていなかった。

 ただただ、大師匠の言葉にうなずくことしか出来ない。

 「そして、ヴィクターよ。お前とはバグほどの長い付き合いではなかったが、お前の才能の末恐ろしさだけはきちんと見抜いたつもりだ。だが、それだけでは人間を滅ぼすというお前の野望は果たせぬだろう。最後に、お前に宿題をやる。久しぶりの魔法研究課題じゃ」

『宿題、ですか?』

「そうだ。しかも、わしですらこの一生を使って解けなかった『宿題』、難解で、強力な魔法がこの魔界に一つだけ残っている。それを読み解くことが出来たのならば、お前は人間を滅ぼすことが出来るじゃろう。」

 その魔法とは一体何か。イゾウとバグにはわかりようがなかったが、ベクトルと大師匠にだけは秘密の暗号のように通じ合うものがあったらしい。こんなときであるが、バグはベクトルと大師匠の間に自分の知らない秘密があることにひそかに嫉妬した。

『分かりました』

「お前は本当に賢い子だ。もう何も心配はいらんだろうな。」

そう言うと大師匠は一息をついた。ちらりと目を移すと、そこにはイゾウがいた。

 大師匠は、バグとベクトルに対して言うことは全て言い尽くしたつもりだった。だが、このイゾウを見て何かがつっかえるような思いがした。イゾウに何かを感じたのである。

「君、もう少し近くによってはくれまいか。もう少しよく見たい」

 大師匠の視力を老人のそれと同じだと思ってはならない。大師匠は姿こそ老いていたが、老いをほとんど克服していた。老いて見えるだけで、若い魔物の体の中身と見比べても劣らないほどである。

 イゾウを近くに寄らせたのは近眼だからではなく、その魂の質を見定めるためであった。

「面白い魂じゃのう、おぬし。イゾウ、だったかな?」

「はい。」

大師匠はのっそりとベクトルの方を振り返る。やはりその目には死の影などは感じられない。

「ヴィクターや。イゾウ君はは魔界をまだよく知らないようだな。彼をを部下としておくつもりならば、こんなところにじっとさせておいてはならん。一年か二年ほど、旅に出させてやるべきだ」

『いや、しかし……』

「ホッホッホ。死ぬ間際にこんな話をするのもなんだが、彼には光るものを感じるぞ。お前とイゾウ君の組み合わせはこれから先が楽しみになるほどに興味深い」

あくまでほがらかな大師匠であったが、そこにバグが割って入る。

「大師匠様、そのように暢気でいらっしゃらないでください。あなたのいうことが本当ならば、あなたはもうすぐ……」

この世の悲しみの全てを背負ったような顔をしてバグは立っていた。

 死を恐れぬ大師匠も、普段の無表情な怪人としてのバグとのギャップに大きく心を動かされた。

「いや、すまなかったな、バグ。本当にすまない」

大師匠は複雑な気分であるが、自らが先ほど判断したように、自らの死は免れぬものと確定していた。それに対して出来たことは、痕跡を残さずに自分の分身をバグに届けることだけである。

 だが、よくよく考えてみなくても、遣り残したことが多くあるような気がしてくる。

 自分はまだ死ぬべきではないのではないか?、無理だと悟った今からでも出来ることはないのだろうか?。若かりし頃のように疑問と意欲が湧き上がるような気さえした。

 残される弟子達のために、せめて来る敵に一つでも傷を負わせようという思考にまで大師匠がたどり着いたとき、大師匠の口が開いた。

 「もう時間がない。さらばだ諸君、達者でな」

三人が引き止めるような間も無く、大師匠のゴーレムはぴょんと飛び跳ねると内側に畳まれるようにして小さく集まり、やがて一つの塵となってしまった。

 三人はそれぞれ、悲しみ、好奇心、困惑に心を支配されたまま、秘密研究室の沈黙に立ち続けていた。

 

都合により、まことに勝手ながら来週はお休みとさせていただきます。


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