幻術の種
ぐちゃぐちゃの死体であった狗夜叉の肉体が、気色の悪い音を立てて元の形に戻ろうとしているところであった。奇奇怪怪の幻術がまさに生命の理を一つ踏破した瞬間である。
奇奇怪怪は初の試み、『死者蘇生』と『死者洗脳』の成功を喜び、コントンと酒を飲んでいたところであった。
ただ、奇奇怪怪は奇妙な違和感を感じていた。
『そんなことよりも兄弟よ、俺はさっきからずっと、誰かに覗かれているような気がするんだが、なんとも感じねえか?』
毎度毎度馬鹿なことを言いやがる、とコントンは思った。酒を飲むたびに奇奇怪怪には途方もない話を振られるためであり、今回もその類であると思っていたのだ。
「おいおい、馬鹿を言うな。ここには俺が結界を幾つも取り付けてあるし、魔法や千里眼じゃここは視られない仕組みにしてあるだろうが。その犬っころのせいじゃないか?」
普段ならばここでコントンに言いくるめられて引き下がってしまう奇奇怪怪であるが、今回のことは割りと本気で気にしているらしい。
『分かっている。分かっている、が、何か、もっと高度な次元の覗きをされているような気がしてならねえ。本当に何も感じねえか?』
一度気が付くと、違和感とは否応無しに膨らんでいく。生命の理を弄ぶ奇奇怪怪にとってですら例外ではない。
そして、その感覚はコントンへも難なく感染するのであるが、コントンは、やはりそれは錯覚のようなものだと決め付けてしまうのである。
「馬鹿馬鹿しい。だったら、その覗き魔にこっぴどく幻術で仕返ししちまえよ。目が腐って、鼻糞で鼻が詰まっちまうような、心が『奇奇怪怪』一色になっちまう幻術をよ。」
奇奇怪怪が持ち出す話題に対して、コントンは大抵このように奇奇怪怪の幻術能力に任せるようにして話を打ち切ってしまう。奇奇怪怪の幻術は、話合いの上においても殺しのときにおいても便利なものであった。
奇奇怪怪はそれに乗ることにした。
違和感という抽象的で曖昧なイメージに対して幻術をけしかけるという高度で難解な技術も、奇奇怪怪にとっては造作もないことである。人間にとって指の操作が自由自在であるのと同様に、奇奇怪怪はかゆいところを幻術でかきむしる。
『そいつは名案だぜ兄弟。そうさ、俺の名は奇奇怪怪。俺という深淵を覗くということはなあ、そのまま深井戸にはまっておっ死ぬということだ!』
奇奇怪怪は幻術を展開した。
奇奇怪怪の幻術が現実そのものに作用することはない。彼が何者かに対して見せる幻術には質量が全くないのである。『白昼夢』を操る能力とでもいえようか。彼自身が触媒となることで相手の五感を狂わせ、思い通りの幻を作り上げる。
実際には無い事を相手にそう見せることができるということは、あの手この手で相手を自殺に追い込むことが出来るということだ。五感を狂わされた生物にとって、半狂乱のうちに振るった一撃で自らを滅するということは簡単なこと。五感は生物にとっての根本であり、狂わされては一巻の終わりに限りなく近いものなのである。
狗夜叉という一人の魔王候補は、奇奇怪怪の幻術に惑わされて、なす術もなく自らの手で自分の体をずたずたに切り裂いたのだ。残虐なことこの上ない。
だが、そんな狗夜叉も、次の陽が昇る頃には奇奇怪怪の忠実な部下となっていることだろう。
奇奇怪怪の幻術はかくして恐ろしいものではあるが、さて、奇奇怪怪をこの時覗いていたのは何者であったか。
言うまでもない。ベクトルの弟子であり、未来予知の異能者である、鬼の子ククリだ。ベクトルの障害となる敵とは奇奇怪怪であるのだ。
奇奇怪怪はククリに幻を植えつけた。
鉄鬼襲撃の前後に時を越えて植えつけられた幻術の種は、ベクトルとククリ、そしてイゾウの運命を大きく狂わせることとなる。
奇奇怪怪というキャラクターを書くのが楽しいです。
創作においての楽しみの一つを味わっている気分です。
自分はまだペーペーのビギナーですけど、こういう具合に楽しんでいけたら幸せですね。