イゾウの知らない話
十五話目。めでたいですね、そこはかとなく。
鉄鬼の砦を襲撃した日の晩。
イゾウは傷を癒すために回復術を受け、今は深い眠りへと落ちている。光でできた無数の線が、蛆虫のようにイゾウの肌を這っているが、当のイゾウは思いの外心地が良いらしく時々気の抜けた息を吐き出す。
ベクトルは一通りの処置を済ませた後、留守を任せていた弟子、ククリの居室へと向かっていた。その傍らには大きな木の箱が浮遊し、ベクトルに従って移動している。
部屋の前に着くと、既に扉は開いており、ククリは茶を淹れた所であった。
「お師匠様、お待ちしていました」
ククリは、まるでベクトルがこの時間に訪れることを予知していたかのように席を整えていた。
ベクトルは木の箱を降ろし、用意された席に着く。
「ククリ、また未来を予知したのか。しかもこんなくだらないことで……」
ベクトルは遠出の疲れも相まって不快の表情を見せる。ベクトルは転移魔法に加え、鉄鬼を安全に殺すための魔法を幾重にも重ねて使用していたため、魔力疲労に伴う精神的疲労にも苛まれていたのだ。
対してククリは悪びれる様子もなく、
「お師匠様、未来とは知覚できないものです。私が未来を見通すなどと仰られますが、私にはそんな大層なことはできませんよ」
と、本来の能力と比較して遥かに低い自己評価で答える。
ベクトルは不快の色を強める。
「だからといって多用はするなと言っているのだ」
ベクトルがククリに対して見せるのは、師匠としてというよりも上司としての態度のようであった。ククリの未来予知という特殊技能はベクトルには逆立ちしても手に入らない。ベクトルの態度はまるで、その能力に対して劣等感でも覚えているようにも見えた(実際は違う)。
ククリはそれが心地良くもあるが、気に入らない。それは弟子としてではなく、契約相手としての、本来の関係が損なわれたことへの憤りであったらしい。
「前にも申し上げましたが、分かってしまうものは仕方がないのです。私の能力はあなたの所有物ではありません。それでは私がいたあの鬼の郷と同じ様です。あと、私はあなたの弟子という体はとっていますが、お分かりですよね」
ベクトルは言い返せなかった。
ここで、ベクトルは自分がいささか疲労していることを改めて自覚した。一応、魔王候補を一人殺したのである。生意気な特殊能力持ちの餓鬼と口でやりあうような元気はなかった。
「ああ、分かっている。弟子入りという体をとってはいるが、契約の本質は限りなく対等な関係にある」
返ってくる言葉が分かっていたかのようにククリは矢継ぎ早に答える。
「その通りです。弟子入りは、鬼の郷から連れ出していただく動機づけ以上の意味もありません」
「と言いつつ、私からもういくつか技術を盗んでいるのだろう?」
ククリはわざとらしく口調をおどけさせて言う。
「弟子なのですから、師匠から技を盗むのは当然のことですよ。立場とは利用するものです。あなた様の究極の目的も、魔王の立場を利用して始めた達成できるものなのでしょう?」
次の言葉までの間がとてつもなく長く感じられる、そんな一瞬があった。ベクトルはククリを恐ろしいと思いながらも、彼と話す事を心の底から面倒くさいと思った。
(まだ理解はできまい。それらしいことを適当に言ってさっさと寝よう)
「どこまで知っている?」
「この質問をしたら、お師匠様が『どこまで知っている?』とお聞きになるということまでです」
くそったれな屁理屈である。
用意された茶に口をつけるベクトルの表情は複雑である。術師としては自分の足元にも及ばない弟子が、未来予知に助けられて生き生きと(生意気に)口を動かすのである。生意気が過ぎる。
「末恐ろしい奴だ。『神眼』の名にも恥じない」
本心からの嫌味であった。ベクトルは、ククリの話し相手は疲れるだけだと分かり切っていたのでこれ以上はもう何も口にしたくなかった。
ククリは最後にポツリと勝ち誇るように呟いた。
「そうやって恐れるだけでは鬼たちと同じですよ」
ククリは未来予知の能力のおかげで、話術では魔界でもトップクラスの実力を持つ。後の人間帝国との様々な対話においてもその技能は遺憾なく発揮されるのだが、本人の性格が玉に瑕がある。
「おっと、そんなことより、箱の中身を」
「ああ、契約だったからな」
「そうです。これが見たかったのです、お師匠様」
中身は鉄鬼の首であった。
首の惨い様を見たククリは、今までの態度を急変させ、愛想のよい弟子を演じる彼に戻った。と、ベクトルは解釈した。生意気さが薄れてほっと一安心である。
「ふう。これで一つ、鬼の郷の思い出と決着がつきました」
歓喜と不快が入り混じった目で首を見つめるククリに、ベクトルは何も聞かなかった。
しばらく感傷に浸っていたククリだったが、思い出したように口を開く。
「お師匠様、一つ忠告をさせていただきます。よろしいでしょうか、鉄鬼はほんの序の口なのです。『術の戦い』に手も足も出ないこんな奴、お師匠様なら簡単に殺せるはずです」
そう言って箱を軽く蹴飛ばすククリの顔は、どこか愉快げであった。
「分かっている。あの襲撃はイゾウのテストと、お前との契約執行、つまり鉄鬼の暗殺が目的だ。他には何の意味も持っていないに等しい。魔王候補つぶしはただの結果だ」
「その通りです。で、ここからが本題なのですが、実は、鉄鬼の件のお礼にと、あなた様の魔王への道の最大の障害となる者について予知をしたのです」
「ほう、それは素晴らしい」
と、ベクトルは言ったが、事実はそうではない。余計なことをされては困る。
「契約違反はお前もだ、未熟者め」
などとは言わなかった。ベクトルは疲れていたので不快を飲み込んでしまった。
「そうとも言ってはいられません。そいつがお師匠様を大変苦しめるものと、私は予知しています」
と、まるでインチキ占い師のようにククリは勿体ぶった。もう、どうにもなれである。ベクトルはここから先、何も考えずにそれらしいことを言ってククリをごまかそうとしている。脳味噌が半分以上停止していた。
「で、それは何者だ?」
「予知できたのは猿、狸、虎、そして蛇という四つのシンボル。それ以上はまるで霧に包まれたかのように見えません。普段ならこのようなことはないのですが……」
がっかり予知である。
「フフフ、お前の予知は完全無欠だと聞いていたのだがな。」
「申し訳ありません。先ほど申し上げたこと以上のことは、本当に靄がかかっていて分からないのです」
ベクトルは心にもないことを言いのけて、さっさと休んでしまいたかった。
「ふむ、興味深いことを言う。だが、霧に包まれるということ自体が、我々の敵を意味する象徴とは言えないだろうか?」
「今はどうとも言えません」
「そうか、用心しておこう。では、私は部屋に戻らせてもらう」
「はい、お休みなさいお師匠様」
二人は師弟関係という次元には存在しないという。
未来を予知できるククリにとって、未来の魔王も、自分の目的のための足がかりとしかそのときは思えなかったらしい。
だが、ククリは未来予知を思わぬ形で失う事で、後に本当にベクトルの弟子と化してしまうのである。ククリの小生意気な姿は早くも見納めかもしれない。