怪樹海からの使者
イゾウの旗揚げから一月が経過した。
魔人と奇奇怪怪、そして五難題が仮にも手を組んだのだ。シバドウスイの南方、魔界でも名だたる難所のリトット大砂海だろうと彼らの進入を拒むことはできなかった。
つまり、地形や気候自体は問題なかったのだが……
「イゾウよぉ、わし、もう駄目かもしれん」
「つーかマジ最悪~」
「……」
イゾウ軍は精神的に壊滅状態であった。
「あのなぁキキ、一応これはお前の使命でもあるだろうがよ。そんなにやる気が無くて良いものなのか?」
熱砂が渦を巻く流砂地帯をキキを背負って渡りながらイゾウは、背中を引っ掻いたり噛んだりするキキに尋ねた。イゾウの身体は膝のあたりまで砂に使っており、常人なら摩擦と熱で足がぼろぼろになっているだろう。
「馬鹿ね。何も知らない間抜けのアンタだったら何の問題もなかったのよ」
そう言ってキキはイゾウの首筋を一舐めした。イゾウは無反応である。
「ふん、『生えてない』とこうも味気ない反応しかできないのね」
キキは歯を立て首の皮を噛み破った。舌で傷をえぐり広げ、頸動脈や脊椎を舐った。
「気持ちいいでしょ」
キキはアリスとキャラを間違えたかのように執拗にイゾウに迫るが、それもこれも暇のせいである。
「やめろや」
イゾウはキキの足を無造作につかんで彼女の全身を流砂の中に叩きつけた。
「熱い、痛いやめて、痛い!」
キキは慌てて懇願するが、イゾウは彼女はこれぐらいでは懲りないのは知っていたので、頭を押さえて熱流砂に沈めてみる。そういう意味で、イゾウは生前にも増して残忍さを増していた。
「ひぐ、えぐ、やめてぇ……」
引き上げられたキキは涙目になって再びイゾウの背に戻った。
「何よ、数千年の歳月を生き抜いてきたこの美少女が、どうしてこんな馬鹿に虐待されなければならないのよぉ。エーン、エーン」
「だったら年相応の婆の格好でもするんだな」
「ふん!」
キキはイゾウが向こうを向いているのをいいことに、恐ろしい顔をしてギリギリと背中を睨みつけている。
こんな一幕が繰り広げられている間にもう一人のイゾウ軍、ヒネズミがどうしているかと言うと、イゾウの腰につなげられた鎖によって推進力を得ながらぷかぷかと流砂に浮遊しており、何やらぶつぶつと不平不満を言っている。
それもこれもやはり暇のせいなのである。
リトット大砂海は文字通り砂の海である。魔力を帯びた砂同士が反発しあうことで個体でありながら液体のような流動性を得た砂の海なのだ。
で、あるから、そこにあるのは一面の砂でしかない。たまに巨岩が突出している部分に出くわすこともあるが、草一本生えぬ無人島である。生命の心配があまりない三体の魔物にとってはまず、「なにもない」事が最大の問題なのだ。
「今日で何日目だったっけ、ねえヒネズミ?」
「17日目やで」
「聞かなきゃよかったわ」
キキとヒネズミはイゾウの後方でだらしなく会話した。
「ねえ、他の五難題を呼びなさいよ。私に構うことはない、もうやっちゃいましょうよ」
「もう呼んどる」
「誰を?」
「『龍の頚の玉』と『子安貝』だ」
「あら、二人も。何時来るのよ?」
「もう来とる」
ヒネズミの傍らに四つの眼光が光った。ずっと砂の中に潜んでいた者たちが僅かに地表に顔を出したのだ。
イゾウはゆっくりと振り返ってを睨みつけた。
「お前たちが五難題か」
イゾウの問いかけに呼応するかのように、二体の魔物がスゥッと砂の上に浮かび上がった。一方はコモドオオトカゲを一回りか二回り大きくしたような巨体を持つトカゲ体型の大男、もう一方は甲殻類のような殻に包まれた女性型の魔物である。両者とも熱砂海をものともしていない。
「始めまして、魔人くん」
トカゲ男「ゴシキ」は紳士的な口調でイゾウに一礼した。
「知恵に触れてしまった危険人物らしいじゃねえの」
覚醒甲殻類女型魔物「コヤスガイ」は、堅い印象の体と女性的なプロポーションとは裏腹に男性的で刺々しい口調で腕を組んだ。
イゾウはキキを背に乗せたまま魔剣の柄に手をかけた。
「五難題、今では知っているぞ。お前たちは『蓬莱のタマノエ』に魔法道具を与えられた使徒であり、初代魔王の名のもとに『魔王の懐刀』ら『神器』の補佐に暗躍する守護神」
ゴシキは頷いた。
「ふむ、間違いはない。が、君はそんな我らを敵に回してしまったのだ。しかも、同時に三人を相手にしなければならない」
コヤスガイはイゾウを鋭い指で指した。
「五難題はいざという時は初代魔王のにそぐわない魔王を処理する権限と力を持っているんだぜ。俺らの意思は偉大なるこの世界の王の意思。それが、お前を殺しに来た」
イゾウはにたりと笑い、
「やってみろよ」
イゾウは居合抜きのような雷光の如き速度で飛び出した。
「馬鹿め」
砂海の中から突如飛び出した二枚貝型の呪具がイゾウを潰さんばかりの勢いで挟み込んだ。それらはコヤスガイの身振りに応じて恐るべき力でイゾウを押しつぶさんとし、そのためイゾウは身動きをとれなくなった。
ゴシキはほくそ笑んだ。
「君はこれで如何なる魔力の行使もできない。ヒネズミの報告にあった『魔人の肉体の再生』も不可能だ」
その言葉と共に、巨大な龍の鉤爪の狙いをイゾウの頚に定めた。
だが、
「おいおい、それではヒネズミの仕事が無いではないか」
イゾウは余裕の笑みを湛えていた。
「それは仕方がない。ヒネズミは我らの『防御役』、炎と共に無限再生する皮衣の力ですべての攻撃を受け切るのが彼の仕事です」
「そういうことだよ。消えろや」
腕は振り下ろされた。が……
「何のつもりです?」
その腕を受け止めたのはヒネズミの長刀だった。
「ゴシキ、どうもワシの役割は防御らしい。じゃあココがワシの働きどころやね」
「何のつもりかと聞いているのです!」
「どうもこうもないわ。これがワシの仕事やで」
ゴシキは驚愕の表情で大きく飛びのいた。ヒネズミの衣がチリチリとゴシキの竜の腕を焼いたのだ。
ゴシキは尋ねた。
「なぜです?」
「なぜ、とはなんや?」
「あなたはタマノエ様と最も付き合いの古い五難題のはず。そんなあなたが今更奇奇怪怪と共にこんな木っ端魔人につく理由がない」
「せやなあ。一理あるわ」
「では、なぜ?」
「この砂海と同じや」
「は?」
「何もない、ゆーことや。タマノエのやる事には、もう飽きた。初代さんに生き返られたらもっとひどうなるやろう」
「守りと永遠の生命を司るあなたがそれをおっしゃいますか」
「そうや」
ヒネズミは呼吸を置かずに答えた。その即答ぶりには流石のゴシキも目を剥いた。
「裏切者め…… コヤスガイ、魔人の封印を弱めてはなりませんよ。私が今すぐこやつを血祭りにして」
「血祭りにして、どうするのかしら?」
ハッとしてゴシキが振り返ると、いつの間にやらキキがコヤスガイの唇を奪っていた。コヤスガイ自身もそれに今の今まで気づいていなかった様子である。
「蕩けさせてあげる」
キキは強引に殻を被った刺々しい中へと舌を這わせ、何か恐ろしい呪の様なものを注ぎ込んでいく。
「むぐ、むぐぅ!」
コヤスガイはキキの舌を噛み切ろうと何度も顎に力を込めるが、キキの妖怪として成熟した舌はズタズタに歯を立てられながらもグイグイと淫らに這い進み、やがて全てが骨抜きにしていく。封印術以上の術を持たない彼女には抵抗のしようがない。
「私の友達がよく使う術よ。キくでしょ? クるでしょ?」
コヤスガイは苦悶の表情を浮かべたまま、眼を虚ろにしていく。キキはその表情を見るのがたまらなく好きのようで、魔性を湛えた笑みを浮かべた。
「させません!」
ゴシキの鉤爪がキキに迫る。が、再びヒネズミが立ちはだかる。衣全体が燃え盛り、一枚の壁のようになってゴシキを逆に押し包む勢いを見せた。
「ゴシキ、新参者のお前は知らんかもしれんがな、こう見えてタマノエの爺への反逆は初めてやない。大体、6回目ぐらいやで」
イゾウを挟む二枚貝の封印術が効力を打ち消されようとしている。
ゴシキは焦った。
「こんなことをしてタダで済むとでも!?」
「タダでは済まんやろうなあ。だが、お前らは自分の心配をせえや」
イゾウがついに二枚貝の呪縛を押し返し、魔剣を引き抜いた勢いで貝を叩き割った。
「五難題、破れたり!」
イゾウは魔剣を上段に構え、飛び上がり一閃。ヒネズミの炎に纏わり付かれ動きを封じられたゴシキの図体を縦に引き裂いた。
「ところで、ヒネズミが『防御』でそこの貝が『封印』ならよぉ、お前自身の役割ってなんだよ?」
「あ、がが……」
真っ二つになったゴシキの体は熱砂に轟沈した。
「キキ、そっちは?」
イゾウが振り返ってみると、聞くまでもないことだったと思い直した。コヤスガイもまた、泡を吹いて砂海に沈没していく最中であった。
こうして、書いてみると何ともあっけなく、五難題のうちの二人を退けてしまった。
「お前たちを抱き込んで良かった」
イゾウは胸をなでおろした。イゾウだけの力ではゴシキと互角の勝負をするので精いっぱいだったろう。
「そう思うのなら私たちを大事にすることね。どっちとも半分は気まぐれで反逆してるんだから、アンタのやる事に飽きたら元のさやに納まるわよ」
キキはイゾウの背に飛び乗った。
続いてヒネズミが気怠そうに警告した。
「ま、これで終わりと思わん方がいいですわ。五難題は呪具が本体やから、ゴシキもコヤスガイもその内タマノエに復活させられてまた襲ってくるやろうし」
「そういうものなのか」
イゾウは少し驚いた。
「あんさんが得た『知識』にはそういうことは載ってなかったんで?」
「あ、ああ。意外と穴があるのな……」
「頼りないのお。頼みまっせ、ベクトル=モリアに例の話をつけてくれるッちゅうから、ワイも危ない橋渡るんやで」
「わかってるって」
「さっさと進みなさいよ二人とも!」
一通りぐちぐちと言いあった後、三人の魔物は再び熱流砂の渦巻く大砂海を進み始めた。
また、暇な時間が彼らの上にのしかかったのである。
忙しかったんです