甘い鉛
「このまま終わるのかイゾウよ!」
陽虎は止めを刺そうと再び巨大な前足を振り上げた。
「燃え上がる俺の下に組み敷いてやる!」
イゾウは魔剣に更なる魔力を込め、渾身の一撃を振りかざそうとした瞬間、
「そこまでや!」
打ち上げ花火のような光弾が横殴りに陽虎に着弾した。それは強烈な色彩光を放ちながら爆裂し、陽虎の胴を爆散させた。
「何奴!」
横槍を入れられた陽虎は身体を再生させながら、光弾を放ったであろう男の方を振り返る。
「何が『何奴!』や。修行をつけるのはええけど、これはやりすぎやで」
「おお、ヒネズミ!」
イゾウは思わず歓喜の声を挙げた。打つ手なし、どうしようもないと思いかけた所に現れた味方だ。
「はは、歓迎されると照れるわな」
ヒネズミはポリポリと頭をかいた。
しかし、陽虎の反応はイゾウの真逆である。
「邪魔だ。ネズミにちょろちょろとされては稽古が成り立たぬではないか」
陽虎はヒネズミをにらみつけた。
だが、ヒネズミも怯まない。
「ふん、迷惑千万な能力ばっか使いおって。本当、奇奇怪怪の中にいる奴はどうしてこうも……」
「ほざくな蓬莱の狗、いや、今は大黒同盟のクソ吸血鬼どもの下っ端だったか? ん? ん?」
「そんなことはどうでもいいんや。こっちにもこっちなりの考えがあるんやで」
ヒネズミは長刀を構えた。イゾウと戦り合った時に使っていた燃え盛る衣の力を開放して濛々と煙を吐き始めた。
「味方してくれるか、助かる!」
イゾウは喜んだものだが、
「いや、助けに来たんやない…… これは、始末や。ごめんな」
「え?」
イゾウがあっけにとられている間にあたりで酒気が漂い始める。サパが先ほどイゾウとヒネズミに浴びせた蒼天紅露が作る秘密の鉛酒だ。
「その通り、君たちは暴れ過ぎた。手を出して噛みつかれるのも嫌なんで放っておきたかったが、限度というものがある。最初にして最後の警告だよ」
いつの間にやらその酒霧に鉛の鱗粉をばらまきながらサパが上空を飛んでいる。
「サパ殿が本気を出したら危ないで。イゾウ、命が惜しかったら一目散に逃げろや。陽虎の爺さんも、痛い目見ん内に、な?」
子供を諭すような言葉に陽虎は激昂した。
「貴様のようなヒヨっこに……」
言いかけて、ハッとした。
「しまったっ!」
声を上げた後、そのまま陽虎は動けない。何かただならぬことを進行したようだ。
「おい、どうした爺?」
イゾウも問いかけようと口を開いてみて初めて分かった。空気が甘い。甘すぎる。
「これは、なんと、面妖な……」
それは、昼間にヒネズミと共に浴びた美酒とはまったく異質なものだった。
「甘いだろう? わが秘儀に蒼天紅露の秘儀を重ね合わせた『鉛酒』は精神を誑かす魔性の囁き。ひとたび露を吸い込み味を知れば毒と知っていても吸わずにはいられない」
サパは微笑みながら鱗粉をさらにまき散らす。
「ああ、なんと甘い! こんなに甘く香ばしい酒は初めてだ!」
イゾウは早速サパの言葉も耳に入らないで脳をひっかき回す暴力的な甘味に打ち震えた。目の焦点はすでに不規則にぶれている。
「あちゃあ」
あまりにも早い陥落にヒネズミは言葉もない。イゾウはすでに棒立ちになって意識があるかも定かではない。毒が回ったわけではまだない。あくまで甘さなのだ。
地球、ユーラシアの人はかつて鉛でコーティングした青銅器でブドウ果汁を煮ることで甘いシロップを得た。
これは、鉛に含まれている酢酸鉛の甘みである。甘味料が蜂蜜以外に無かった時代のことだからかなり愛好されたが、これは鉛中毒の症状を引き起こす。つまり、毒だ。
彼らは甘みを得るために毒をあおったのだ。
一説には、かのベートーヴェンが聴力障害の理由がこの「サパ」と同じ種の飲み物の愛飲による鉛中毒ではないかとも言われている。さらに言えば、ローマはこれを飲み過ぎたために滅亡したらしい。
甘さは強さ、大国をも滅ぼしうる。
そんな甘さこそが大黒同盟幹部にして大黒四天王であるサパの武器だ。さらにその武器を吸血鬼の秘宝で生み出した美酒で強化している。究極の感覚破壊兵器と言えよう。
「あへへ、甘ぇ~」
本日は良いところまで燃え上がったイゾウだが、まんまと術中にはまって棒立ちしながら気味悪く笑っている。
陽虎はごく最初に術に気づいてはいたため、鉛酒の芳醇な甘さにクラクラとしながらも意識をつないでいる。
だが、二人とも、
「手も足も出んようだな」
サパはほくそ笑んだ。
「甘い毒を撒いて相手に吸わせる」というどこか馬鹿馬鹿しくも聞こえる戦術がまんまと実力者二人を無力化してしまった。
鉛の鱗粉の嵐が陽虎とイゾウに容赦なく降りかかり、二人を鉛の像のように変えてしまった後、サパはヒネズミのもとへ飛び降りた。
「無事かヒネズミ」
「おかげさまで。サパ殿の鉛酒の恐ろしさはよう知っておりますから、炎で周りの酒気を燃やしてガードしとりました。しんどいですがね」
ヒネズミは肩で息をしながら答えた。
「これを飲め。体内に入った微量の鉛毒を流す妙薬だ」
「おおきに」
ヒネズミは渡された錠剤を一息に飲みこんだ。
「……ところで、この魔人もどきのことだが、いっそのこと仕留めてしまおうか。不安定で脆く小さいが、のちに化けるような気がしてならん」
「いや、今はちょっと」
「何かまずい理由でも?」
「まあ、ちょっと思い当たる節がないっちゅーこともないんですが」
「ベクトルか」
「ええ。せめて生かしたまま突き出すべきでしょうな。首だけ送っても後で妙な意匠返しを喰らうだけでしょう。あの男はバアキで手ずからこいつに治療を施しましたからね。賞金のことにも裏があるに違いませんわ」
「全く、面倒な男だ。大黒天殿もよくもあんな男と付き合う気になりなさる」
「はは、全くですな。せやけど、もっと問題なのが……」
ヒネズミが視線を移した。
「この奇奇怪怪の分身とかいう爺か」
「ええ。こいつらは首ぃ狩ったぐらいじゃ死にませんし、飼っとくなんて無理のそのまた無理ですわ。食わせ者に輪をかけたような連中を束にして藁人形にしたような奴でっせ」
「それはまた…… むしろ、飼いたいものだ」
「え」
「ふふ、確かに私は小心者だがな、そういう腹に一物あるやつを飼うのが、仮にそれが無理のそのまた無理でも、やめられんのだよ。一種の破滅願望なのだろうな。ふふふ、ふふ……」
「……あんたも好き者やな」
魔物というのはみんなこんなものである。
「まあ何にせよ、あとは蒼天紅露に吸血鬼流の拘束呪術にかけさせてお終いだ。ヒネズミ、蒼天紅露を……」
サパが言いかけた時だった。
「まだ、だ」
「ん?」
イゾウだ。鉛酒によってしがらく甘み以外のあらゆる感覚が封じられているはずの男が、いつの間にか意識をはっきりとさせてヒネズミとサパに敵意を向けている。
「変だな。鉛酒が効いていないのか」
「おーい、お前、イゾウか? どっか別のところの悪霊でも乗り移ったんちゃうよな?」
ヒネズミが恐る恐る確かめてみる。よくあることだ。気絶したり呆けていたりする時によそから移ってきた悪霊や浮遊霊が体を使って悪さをしたりしなかったり。
「イゾウ、返事せえや。おこっとるんか?」
「じゃ……する、な」
「なんやて?」
「邪魔を…… するな!」
魔剣の一閃がヒネズミの首をかすめた。斬撃に反応して衣がちりちりと火花を散らす。
「危ない! イゾウ、何をするんや!?」
ヒネズミは飛びのいて距離を取った。
「戦いを邪魔したからだ。このひよっこ共め。カカカ!」
いつの間にか鉛の殻を打ち破って陽虎までもが復活し、イゾウとともに闘志をギラギラと燃やしている。
(まるで自分たちが悪者のようではないか……)
ヒネズミとサパは目を見合わせた。鉛酒で弱らせたとはいえ、イゾウと陽虎の暴虐性が自分たちに向いたら非常にまずい。なんと迷惑な連中なのだ。
餓えた獣のような魔人と餓えてはいないがぶっちぎりの魔獣とが燃え盛る炎のごとき殺気を全方位に放射している。二人とも、もてあます闘志を元々の相手にぶつけるか、それとも不快な闖入者に対してぶつけるか、腹を探り合っているようにも見えた。
「待てや二人とも、頼むから外でやってくれ」
こうなってはヒネズミも折れた。実力的にこの二人相手に伯仲する自信はあるのだが、その相手が不機嫌な赤ん坊よりもたちが悪い。彼らの妙な不死性も相まって非常に面倒くさいのである。
「ならば去ね去ね。ワシらの戦いの邪魔をするな」
陽虎がさも当然そうに呟く。
「ヒネズミよ、邪魔をしないでくれ。最初の手助けはうれしかったが、気が変わっちまった……」
イゾウも何やら身勝手なことを言っている。
「こいつら頭おかしいんじゃねえの?」
「確かにちょっとあかんですなぁ」
そう答えてヒネズミは印を結び、両手を地面に押し当てた。
「仕方ない。サパ殿、魔力を貸してくんさい。場所だけ整えてやりましょ」
転移の魔方陣が半径十メートルほど包み込み、陽虎とイゾウ、サパ、そしてヒネズミを飲み込んだ。
すると、見た事のある光景が目に飛び込む。
「戻ってきましたは大黒同盟のシバドウスイ支部闘技場。ここで好きなだけやっておくんなまし」
確かに広いし、迷惑も掛からない。だが、栄えある同盟の闘技場で私闘を許すという失態にもなる。
「その点は抜かりないで。ものは言いようや」
ヒネズミは大きく息を吸った。
「賭け試合やるでぇ! 博打好きのクズどもは集まれや!」
街中を轟く声に呼ばれて与太者が恐るべき速さで集まった。中にはグルカをイゾウに差し向けた賞金稼ぎ共もいる。なんて街だ。
「さあ、勝つのは魔剣士イゾウか、それとも異界の怪物饕餮に身をやつしたクソ爺こと陽虎か。それ、張った張ったぁ!」
「俺はイゾウに二万!」
「怪物陽虎に五万!」
「……」
「……」
双方に掛け金がいい具合にベットされ盛り上がりも甚だしくなってきた頃、完全に意識を取り戻したイゾウと陽虎は決着をつけんとリングに上がる。
イゾウと陽虎の戦いは興行試合と化しつつもクライマックスを迎えようとしていた。