脳内会議の陽虎
陽虎はうろ覚えの『孔子暗黒伝』出身です
現実と空想の狭間、奇奇怪怪の幻術世界でのみ彼らは会話することが叶う。死ぬ度に入れ代わり立ち代わり姿を変え、長らく魔界を荒らしてきた奇奇怪怪の本体とも言える魂魄複合体の宴である。
「キキ、なんて情けないんだ。君ほどの子があっさり頭を割られてしまうとは……」
精神に響く非難の声に、キキは円卓の端で不機嫌そうにふんぞり返っている。
「キキ、聞いてる?」
「そんなにあの魔人が心配か?」
「鬼如きになんという体たらく……」
「そんなことよりさー、誰か代わりに行ってよ。イゾウが死んじゃうじゃん」
「別に死んでもよかろう? 我らの奇奇怪怪がやる気さえ出せば死者の蘇生など容易い事だ」
「はぁ!? 肝心のそいつがそもそも駄目になってるから私が代わりに出たんじゃない!」
キキが円卓の中心を指差す。そこには豆粒ほどの大きさになった奇奇怪怪が何やらめそめそとうめき声をあげて泣いている。
「コントンが死んだ。ううう…… 鵺とかいう俺の新しい分身には糞ほどの価値もないが、どうしてコントンが死ななければならんのだ!?」
(本当は死んでいないが)死んだも同然で亜空間に幽閉されたコントンを悼み、もうとにかく身も心も小さくなっている。
「うむ…… まあ、あれは放っておこう。主人格だろうがなんだろうがあんな鼻糞みたいになっては役に立ちやしない」
奇奇怪怪の副人格、それは主人格の最も被害を受けている被害者という事にもなる。彼らは奇奇怪怪の扱いをコントン同様心得ていた。
「キキよ、結局『毒ガス』とやらもハッタリなのだろう? 嘘を吐くだけ吐いてさっさと引っ込んでくるとはややこしい奴、恥ずかしくないのか?」
先程から執拗に危機を詰る老爺をキキは睨みつけた。
「あー、もう、うるさいわねさっきから。そんなに言うなら『陽虎』、あんたが行きなさいよ」
老爺は目を丸くした。
「は? 何が悲しくてわしがあんな冴えぬ魔人を助けに行かねばならんのだ? お前の様な戦闘能力皆無の芋虫とは違ってわしは護衛など……」
「先輩命令よ。なによ、呪術に失敗してぼろ糞の布きれみたいになってたのを拾われてきたドジ中のドジ! たまにはいいとこ見せてみなさいよ!」
「ああっ?」
「何か違っていて?」
「むむむ」
老爺は首を傾げた。確かに、キキはこの陽虎に対して数世紀年配である。
「ふん、私はしばらく休むわ! 野宿ばっかで疲れた!」
そう言ってキキは円卓の真ん中まで這って行き、豆粒となった奇奇怪怪をぱくりと飲み込んだ。
会議室の出口に立ち、老爺はカサカサに荒れた肌を震わせた。
「ふん、わしにかかれば鬼の一匹や二匹など」
「行ってらっしゃーい」
この間、わずか1,2秒である。
「一戦闘だけ、一戦闘だけだ。身体も入れ替わるのめんどいからこのクソ餓鬼のを使ってやる……」
頭をかち割られたままキキは喜々として、気怠そうに立ち上がった。
「おい、キキ、どうした?」
イゾウはキキの身を案じた。出会った時と同様に致死量を遥かに超えた量の血を流している。頭蓋が砕けて血に骨片と脳漿が混じっている。
「痛ぇ~。へへ、へへへへへ……」
『キキだった者』は爬虫類の様に焦点の定まらない視線をギラギラと辺りに振りまいて下品に笑みを浮かべている。
「……」
異様である。グルカは飛び退いた。かなりきつい封印魔力を叩きこんだにもかかわらず、平然としているキキらしき者。つまり、グルカを遥かに上回る魔力を持っているという事だ。
「おい、キキ、大丈夫なのか!?」
駆け寄ったイゾウの手を振り払ってキキは呵々大笑し、その後、何かを思い出したかのようにイラついた視線を投げかけた。
「そもそも、だ。お前のような弱っちい魔人を用心棒にしたのがケチの付きはじめよ。そのせいで忌々しいヒネズミのチビとも顔を合わせちまったのだ」
「?」
「本当は死んで詫びさせるとこだが、忌々しいクソ小娘のキキに睨まれちまってるからな。アイツに頭が上がらない事だけがこの『陽虎』の『一生の不覚』よ」
「は、はあ……」
キキ改め陽虎は、八つ当たりの様なクダ巻きを今度は敵であるグルカに向けた。
「お前もお前だ。なにが『一種族一妖怪』だ、アホか? あのなあ、珍しいとかそういう事で偉そうにしてるのって全然道理に適ってないから。そんなくだらない根拠でふんぞり返ってるお山の連中はその内がしばきに行ってやるからな、いいな!?」
「あ、ああ……」
グルカは呆気にとられて思わずグルカゾクを取り落した。
「さて、ぼちぼち殺しの方を……」
陽虎は血まみれの手で裂けた頭をガリガリ掻きながらグルカを睨みつけた。グルカは咄嗟にグルカゾクを構える。
「抗ってみるか小僧、この陽虎に?」
敵意と共にさらに魔力が溢れ出て、空間そのものを飲み込むようなどす暗い瘴気が辺りを立ち込めた。心なしか、グルカが用いた結界の効果も薄まっている。
「む……」
グルカは戦慄した。この男(?)に抗戦したところで到底かなうまい。かなり酷いやり方で回避不可能な死の未来が降りかかってくる、そう見えた。少なくとも、戦えば確実に命は無い。
「ぐ、ぐぐ…… 貴様も、奇奇怪怪の分身なのか?」
「如何にも。奇奇怪怪をかれこれ二千年ほど仮の住まいとしておる」
「……」
グルカ一も二もなく意を決し、グルカゾクを鞘に納めた。奇奇怪怪という古き大妖の名を借りるような(?)目の前の怪物、そもそもこういう相手を倒すためにグルカは『神の眼』のククリを追い求めたのであった。ここで死ぬ訳にはいかない。やがて『神の眼』を手に入れて時の支配者になるまでは、死んでも死にきれない。
「降参だ。アンタには敵わぬ……」
予想外の答えに陽虎は目をひん剥いてグルカを睨みつけた。
「この頭の傷の落とし前は? この体はわしらの共有財産。手を出しておいて剣も交えず降参とは、ずいぶんと虫のよい話だなあ、おい」
「わ、私はまだ死ぬ訳にはいかないのだ……」
「気に入らんな」
陽虎は瘴気を右手に集めた。
「どうにも貴様はワシの未来が見えるとか」
「あ、ああ」
「これからわしが何をすると思う?」
グルカは見た。陽虎の右手の瘴気がまるで蠅の群体のようにグルカの顔に殺到し、自慢の『鬼の眼』を貪り喰らう未来を。逃げても逃げ切れず、その前にとどめを刺そうとしてグルカゾクでいくら斬ろうと突こうと無駄な未来を。
「や、やめろ、やめてくれ……」
グルカは諸手で顔を覆い這いつくばった。
「情けないのう、鬼が泣くなよ(泣いてない)」
陽虎が呵々大笑すると霧は晴れ、元のシバドウスイの街へと戻った。辺りに潜む賞金稼ぎ共のざわめきがひそひそとイゾウ達に漏れ聞こえた。
「ふむ、シバドウスイはワシの故郷に似ていて嫌いではない。それに、良い夜だ。小癪な鬼も賞金稼ぎ共も、早急に失せれば見逃してやろう。どうよ小童共め?」
返答はない。つまりは、そういう事である。
「ふむ、根性は無いが世渡りは上手いと見える。良かろう、後はこの弱そうな魔人の教育だけであるな!」
「え!?」
「抜け、魔人の小僧。ワシの分身のお守りをするというならば、魔王も感嘆する実力を伴わねばならん!」
陽虎は溢れ出る瘴気を凝縮、凝固させ、一振りの漆黒の剣を取り出した。黒曜石、悪く言えば海苔の様な質感の剣である。
取りあえずの危機を逃れたグルカは二人とその未来を見た。そして、一言、呟いた。
「逃れなくては……」