シバドウスイの夜
陽は既に沈んでいた。
乾燥した気候のシバドウスイの街では夜に星を見ることができる。魔界でも南部の方は多少空を拝むことができ、そこから窺い知れることが多くある。
バテレンやゲンナイなどの地球からやってきたある程度の知識人がこれを見れば重大な事実に気が付くはずである。方位はめちゃくちゃだが、遥か彼方の空に悠然と輝く北斗七星の星の並びを見つけられるのだから。
さて、イゾウとヒネズミは互いに疲れを見せることなく戦い続けていた。闘技場の四隅に設けられた灯篭とヒネズミから三十秒に一発程の感覚で放たれる爆発を頼りに観戦しながら、
「アンタら飽きないわねぇ、私は飽きたけど」
「すごいすごーい」
「お腹減ったんですけどー」
などと、茶々を入れることにすら飽きてきたころ、最初はキキと同様に腕利き同士の格闘を楽しんでいたサパであったが、もたもたしているとバグやらベクトルやらが急襲してきて横やりが入るのではないかと心配になってきた。
(狗公方めが「ベクトルは『魔王の懐刀』にご執心」と言っていたからな。あの魔人が何をしでかしたかは知らないが、奴らに破門された傍から面白い事に首を突っ込んでいるらしい)
彼らの襲撃の可能性は怖いには怖いが、もしも本当に自分で賞金首にかけた部下を連れ戻しにやってきたりしたら大笑いである(賞金を懸けたのが「連れ戻すため」とは考えていない)。
「しぶといのねぇ。二人とも馬鹿でむさくるしくって、カワイイわぁ」
サパの副官、大黒同盟幹部の吸血鬼『蒼天紅露』は、吸血鬼特有の美しい銀髪と極彩色の装束をひらひらと揺らしながらサパの傍らに現れた。その手には栓がされた瓢箪を持っている。
「ソウテンコウロ、ヒネズミと戦っているあの魔人、どう思うね?」
「筋は良さそうねぇ。ああいう真っ直ぐな子は私たちの所に居れば捻じ曲がってドンドン強くなるわよ。ネクロちゃん並に素質がありそうね」
「ふふ、ヒネズミも似た様な者だと思うが、あれも捻じ曲がったのか?」
「あの子は最初からグニャグニャに曲がってる子よ。バアキの鉄骨林より酷いわ」
「ふふ、お前の人物鑑定眼には敵わんよ」
「あら、あの子もやっぱり『わけあり』なの?」
「当たり前だ。俺は従順な部下などいらない」
「かっこいい事言うのね」
「事実だ。唯一必要があるとすれば、お前の作るその「酒」よ」
サパがグラスを差し向けると、ソウテンコウロは瓢箪の栓を抜き放って中から赤く発光する怪しい液体を注ぎ込んだ。
「ふふ、いい試合の褒美だ。少し酔わせてやろう」
サパは立ち上がって金属質の羽を羽ばたかせた。辺りに銀色の風が起こる。
「それ」
サパはグラスの中身を眼下のイゾウ達に振りかけた。それはたちまち気化し、紅い霧となった。
ヒネズミは突如視界が赤く染まり始めたのに気が付きハッとして叫んだ。酒気そのものが自ら紅い光を放っているかのように、彼らをいつの間にか照らしあげていた。
「サパ様、まさか『鉛酒』でございますか!?」
イゾウはこれに、
「酒だと!?」
と、反応した。確かに辺りに尋常でない濃度の酒気を感じる。「酒臭い」のとは別格、あるいは桃園に紛れ込んだかのような芳香である。
「おお、なんと甘い香り!」
イゾウはそこらじゅうに満ちた酒の香りを吸い込むように息をした。まるで一呼吸の度に酒を口に注がれているような濃厚な酒気は、このシバドウスイの気候に枯れていたイゾウの喉を官能的に揺さぶった。
「バカ、吸うたらあかん!」
ヒネズミは自分の鼻と口を手で押さえながらイゾウをどついた。
「何をする馬鹿野郎!」
「馬鹿はお前や。これは毒やで!」
「何!? うえぇ、ぺっ、ぺっ!」
二人して咳ごみながらその場にへたり込んでぐったりとした。まるで地上で溺れているような醜態である。ヒネズミの『皮衣』が、ヒネズミが地面を転げた衝撃で花火のようにバチバチと音を立てていた。
ちなみにキキは居眠りをしている。
「ふふ、そう案ずるな、これには俺の『シロップ』を加えてない。ふふ、ただの酒だ」
「サパ様!」
サパは蛾の様な高速の羽ばたきを止めて二人の元へと滑空した。その動きはあまりスマートなものではなく、知る人が見れば彼が本当にバグの弟子か疑いたくなるようなところがあった。術師の色合いが強い男のようである。
「イゾウ君、と言ったね」
「誰だアンタ?」
「ふふ、このシバドウスイを担当する大黒同盟の者だ。あと、あのバグさんの弟子でもある」
「ほう「あの」バグさんの。それはどうも」
「さて、ヒネズミと渡り合ったその実力に大黒同盟から褒賞を与えよう。素晴らしい腕前だ」
サパはニコニコと懐からズシリと重たい袋を取り出してイゾウに与えた。
「どうかね? 無理にとは言わないが、私の下に付いてみないかね?」
大黒同盟四天王のひとりにここまで言われて悪い気はしまい、とサパはたかをくくっていたが、イゾウは予想外のことを言った。
「いや、遠慮しておく」
「何やて!?」
ヒネズミだけが驚いた。同盟にコネを作っておくのは、仮にベクトル配下であろうと損ではないはずである。
サパは、イゾウにも含む考えがあってこう答えたのだろうと読み笑顔を崩さずに答えた。
「そうか、仕方ないな。だが、覚えておいてくれ。我々大黒同盟はいかなる輩であろうとその意思があるならばいつでも仲間に加える用意があるのだよ。いいかな?」
イゾウは何も答えなかった。
ヒネズミが付け加える。
「まあええわ、いい腕試しになったで。互いにのぉ」
「ああ、またな」
イゾウは立ち去った。
「ねえ、どうしてさっきは申し出を断ったりしたの? しかもあんなつっけんどんに、さあ」
手に入れた金で屋台に飛び込み夕食を取りながらキキは質問をした。ヒネズミに対するそれと比べてイゾウの態度はサパに対してかなり淡泊であったように感じられた。
イゾウは漬物をつまみながら
「あの男は、サパと言ったか。あれは、今の主であるベクトル殿よりも、俺のかつての主である『あのお方』よりも、格が低そうだ」
「え」
「いいか、俺みたいな馬鹿なごろつきでもな、飼い主の品定めだけはきちんとやるんだ。で、これと決めたご主人に頭を全部預ける。必要なのは殺しの手管だけってな」
「へ、へぇ」
イゾウは悪びれずにそう言い切った。
「だがな、そうやって人に頭を預け切ってきたのがイケなかった。俺がやりたかったのはそんな事じゃねえんだ。ま、俺の鼻は選んだ主人の結果から言えば天下一品だったわけだが……」
イゾウはそう言って酒の杯を口に運んだ。
「それに比べて、お前の鼻は悪そうだな。俺みたいな奴にこうやって刀探しを頼んでいる辺りが特にな……」
イゾウは何かの肉の串焼きを頬張り、
「あっはっは!」
と大笑した。ククリに見せた様な見せていないような、人懐っこい一面が垣間見られた。
「なんだ、何も考えていないようで、本当に何も考えずに嗅覚だけで生きてきたのね」
キキはそう言ってクスリと笑った。恐らく悪気はないのだろう。
さて、丁度この頃、つまりイゾウ達が大黒同盟の館を離れてしばらくした頃の事である。
ヒネズミが館を何食わぬ顔で離れていくのを蛾の使い魔を通して覗き見し、サパはほくそ笑んだ。
「それ見たことか、やはり部下は食わせ者に限る」
ヒネズミはこれを知ってか知らずか、とぼとぼとシバドウスイの郊外へと流れていき、何もない空き地にへたり込んだ。そして、木の枝を用いて樹木の枝の広がりの様な魔法陣を大地に書き込んだ。そして、指からそっと魔力を流し込む。
「爺さん、蓬莱の爺さんよ」
魔法陣はほんのりと青白い光を放ち始めた。それは何処かの空間に通じており、声を届けているらしかった。
「ヒネズミか。どうした? お前が連絡を寄こすなどとは珍しい」
「その通り、珍しい事もあったもんやで」
「何があった?」
「キキに会った」
「ほう?」
「何故か向こうは気付いていなかった、いや、気付かない振りをしとったんやろうが、とにかく、あのキキが生きて、動いているのを、見たんや」
「もう、か」
「早いもんやな。どうやら南のリトット大砂海に用があるそうな」
「リトット、成程。いよいよ封印を解きにかかるようじゃの。これはいい。五難題の誰かを護衛に着けようか」
「俺は無理やで。同盟の細工が忙しいんや。それに……」
「それに?」
「既に護衛がついとるんや。ベクトル=モリアの下に就いていた魔人がの」
「何、モリア? モリア、またモリアか…… 忌々しい血族め」
「…… 伝えることは伝えたで」
「分かった。だが、やはりこれは見過ごすわけにはいかん。『鉢』か『玉龍』辺りを向かわせることにしよう」
「さいですか。ほな、話は終いや、またな爺さん」
ヒネズミは魔法陣を足で掻き消し、何食わぬ顔で館へと戻って行った。その後、イゾウが賞金首であることをサパから知らされ仰天するのであった。
「んなアホな……」
どうして近所のブックオフにはマテリアル・パズルが置いてないんですかね……?