シバドウスイの闘技場
ネチネチした術師共をいっぺん置き去りにして、しばらくは武侠ものみたいな空気で行きたいですね
「で、その『魔王の懐刀』とやらはどこにある?」
ベクトルがこの会話を聞いたらひどく驚くことだろう。
キキは欠伸をしながら答えた。
「そんなの分かるわけないじゃない。最初からそれが分かってたら苦労しないわ」
「まさか…… 当てもないのか?」
「いえ、それはあるわ。そのために今こうして西に向かっているんじゃない?」
「それはそうだが……」
イゾウとキキは無人の荒野を川沿いに西へ西へと進むが、イゾウは魔界の地理に疎いため何となく不安であった。恐らくだが、江戸時代の日本人はきっと日本よりも大きな陸地のど真ん中に立たされたら思わずすくみ上ってしまうだろう。
「行き先は?」
キキは進行方向を指さした。
「この先。そうね、あと半日も歩けばシバドウスイの街に着くわ。そこから今度はひたすら南下して『リトット大砂海』に出るの」
「『砂海』?」
「砂でできた海よ。渇きが支配する海、『魔界七大危険地帯』の一つって言われているわ」
かつてちょろっと出てきた『怪樹海イエス』もその一つである。
「そんなところに刀があるのか?」
「たぶん、ね」
キキははぐらかすようにはにかみ、猫のように軽い足取りで飛び跳ねてイゾウの先を行く。
「魔剣の爺様よぉ。確かに不思議なやつだが、あれが奇奇怪怪ってのはやっぱりおかしいって」
「いや、あれは奇奇怪怪だ。わしにはわかる」
「化けてるってのかよ?」
「そうとも言えんが……」
魔剣に勘があるのかは分からないが、確証はないらしい。こうなるとイゾウはわからなくなる。
やがて、二人は荒野の街シバドウスイに着いた。シバドウスイは今までイゾウが経験してきたダンカやバアキの『魔界の街』たちとだいぶ雰囲気が異なっていた。色で例えるならば、ダンカやバアキは黒がかった青か緑のイメージであったが、シバドウスイは土くれの様な暗い褐色のイメージである。住む魔物もどこか赤みがかっていて真紅の魔人の身体を持つイゾウにはマッチしていた。
「ここは、気分がいいな。今までジメジメしていたからな、バアキと言い、雨傘山と言い……」
イゾウは珍しくシバドウスイの景観が気に入り上機嫌であった。
だがしかし、彼らには重要な問題があった。
「お腹すいたわイゾウ。イノシシ取ってきてよ」
「馬鹿言うな」
「じゃあお店入ろうよ」
「入ろうにも、金が、ない」
魔界渡世も金次第である。しばらくの間イゾウが捕まえキキが調理するという狩猟採取生活を営んでいたが、かえって街に入ると飢えてしまうという寸法である。
「ああ、ククリの小僧に財布を握られてたからなあ」
ダンカであほのように浪費した報いとして、ネクロからの報酬は全てククリに巻き上げられていた。
「参った。勝手に出てきたのは失敗だったか」
などと、今更言い出す始末である。
家出にも先立つ物が必要である。別に宿も飯もいらないイゾウではあるが、それと同じ生活を健常らしき妖怪少女にまで強いるのは流石に酷というものだ。
こういう時、イゾウの場合は必ず手近なところに酒場があり、大抵は組織の手が回っていて、仕事の斡旋を受けることができたのだが、魔界ではそうはいかない。
(仕方ない、そこら辺の奴からギるか……)
などとも思うが、
「そのような行いは大義に反する」
などと生前『あのお方』を初めとする闇の先輩方にみっちり教え込まれた慣習が、今更忠義立てするのでもないが、イゾウの心に密かに作用していた(奪うなら敵から、という考え方であるから道徳とは呼べない代物だが)。
そういう事をする気にはなれない。そういう小さな、本当に小さな悪は恥ずかしいと、命じられれば人殺しも厭わないくせに、イゾウは割と本気でそう考えていた。
「だったらさ」
キキはイゾウのひじに取りついて目を輝かせる。
「闘技場行こうよ」
「ん?」
「イゾウって強いんでしょ? 闘技場でお金を稼ぐのよ」
「この街にはそんなものがあるのか」
「言い忘れてたけど、ここは大黒同盟の実力者が治めてるのよ。大黒同盟が運営する闘技場で腕をアピールして同盟に就職しようという輩が集うの。大黒天がこの戦争に勝てば同盟から魔王軍が編成されることになるしね」
キキはペラペラと口を回した。
「良し、だったら腕試しを一つやってみるか」
と、二言目には承諾したイゾウを見てキキはニッとした。
(ふふ、私の旅に耐えられるかどうか、見極めてやるわ。刀探しを奴らに邪魔されたら困るものね……)
闘技場はローマのコロッセオの様な、と言う訳にはいかない。大黒同盟シバドウスイ支部、バアキのと同じような質素な風貌の屋敷の中庭に、石畳が円形状にしかれているだけなのが闘技場であった。ただし、所々に亀裂や太刀筋が走り、幾重にも血がこびりついている。乱世の闘技場と言って然るべきもので、それこそコロッセウオの様な享楽じみた気配などはまるでない。
「良いな、死線の匂いがする」
イゾウは遠目に眺めてほくそ笑む。街の中にああいう血なまぐさい空間が我が物顔で居座る、それこそ死に際に夢見た乱世だと感じた。そういう分かりやすい危なさを、イゾウは魔界に現れたあの日以来ベクトルに感じたことは無かった。それも家出の原因かもしれない。
自分は乱世とベクトルのどちらに惹かれたのだろう? あの時の興奮の本質は?
「ねえ、ちょっと…… イゾウ!」
キキの声に、剣呑な雰囲気に恍惚としていたイゾウは我を取り戻す。
「すごく、何というか、イイ顔してたわよ?」
「ああ、そうか?」
とぼけるイゾウに危機は溜息を吐く。
「アンタって、そういう奴だったのね」
「?」
「よう、またおのれか」
「あ?」
屋敷の門を叩き挑戦の旨を伝えようとした矢先のイゾウに声をかけたのは、中庭の隅に座していたある男であった。
「お前は……」
イゾウにとっては良い思い出のある男ではない。思い返せば数週間前、この男にぶちのめされた辺りから何かが妙だ、とイゾウは八つ当たりに近い感情を覚えていた(実際にはイゾウの身体を抜け出たパライゾウの問題であるが)。
「覚えていたかい、この魔人野郎」
バアキの大黒同盟屋敷の門番をしていたあの赤髪をなびかせた小柄な門番が、相変わらず身の丈に不相応な長剣を肩にかけて笑みを浮かべる。
「おのれ、俺に突っかかってきたあの時はネクロを殺したっちゅう、あのコントン共とやり合った後だったらしいな? へなちょこと見くびったが、いや、お見逸れしたわい」
前の時とは打って変わって比較的フレンドリーに会話を持ちかけてきた赤髪だったが、今、聞き捨てならないことを言った。
「何、ネクロ殿が殺られた?」
赤髪は事もなげに、
「おうよ、雨傘山から帰らんかったわ」
と、答えた。
「そんな……」
イゾウは少なからず衝撃を受けた。途端、あの場から逃げ出したことへの罪悪感が、恐らく彼の死には直接関わりが無いにしても意識される。
「そんなに落ち込むことかいな。この魔界、殺るか殺られるかじゃけぇ」
「……」
しかし、奇妙なことに、沈黙するイゾウの心の中で悲しみや自責の念とは別に、こういう無茶苦茶な乱世を面白がる気持ちも湧きあがりつつあった。
「あの底知れぬ力を持った武人ですら、死ぬ。これが魔界……」
なんて乱暴な世界だろう。
イゾウは、そこに酔った。
「く、くくく」
突如笑い出したイゾウは誰が見ても異常であった。
「どうしたのイゾウ?」
「頭ぶつけたんかワレ?」
赤髪もこれには驚いた。
「いや、俺は馬鹿だ」
「?」
「馬鹿でいい。ネクロ殿だって死ぬ世の中なんだ……」
イゾウはクククとひねり出すような湿った笑いを漏らした。
「分からないお人(魔物)だよ、ベクトル殿、アンタは…… だが、アンタだって死ぬさ。なんて恐ろしい世の中だよ?」
「何を言っているの?」
キキは首をかしげるが、赤髪は赤髪でこういう狂気にはどこか通じているらしい。
赤髪はポンとキキの肩を叩いた。
「お嬢ちゃん、ほっとき。剣士の中にはたまにはこうなる奴がおる。放っとくのが一番じゃて」
イゾウは不安定である。死の経験、パライゾウの部分の不在、化け物との連戦、魔人の身体、嫌がおうにもくぐってきた摩訶不思議で強烈な修羅場がイゾウの魂をそのたび揺らすのである。
狂気だろうか。いや、そうではない。こういう訳の分からない、こみ上げる笑いもイゾウなりの思考整理法であり、こうやってぶれておくことで、本当の命の取り合いの時には人斬り包丁の如く、鉄の精神を保てるのである。生前ならば、それは女や酒、喧嘩に狂信であった。
イゾウは魔界に一つ新しい適応を示したのだった。
しばらくして、陶酔の世界から帰ってきたイゾウは赤髪に告げる。驚くほど感情の籠らない声で、
「腕を試したい」
とだけ。
赤髪も間をおかずに
「よっしゃ、かかって来いや」
と、長剣を鞘から抜いて印を構えた。
一方その頃、闘技場を見渡せる同盟支部屋敷の二階のバルコニーで、『大黒四天王』が一人『毒糖のサパ』が、魔法による高度な通信を行っていた。
「ええ、確かに、バアキであのベクトルとかいう魔術師に治療を受けているのを見ました。ええ、うちの『赤いの』も厄介になったからよく覚えてるんですわ」
背中から金属的な羽を生やした蛾の魔物であるサパは、通信の相手に上機嫌で応える。
「はい、こちらでも手配しましょう。『魔人・人斬りイゾウ』の首に賞金。ハイ、承りましょう」
無論、手配の裏で糸を引くのはベクトルなのだろう。ベクトルの真意は不明にしろ、イゾウが楽に旅ができるわけなど無かった。