『亜空』の彼方、因縁は尽きず
何だか大ボスにしてはあっけない退場のような気がします。本当はゴジラ級に暴れても良かったかもしれませんが……
それは、違う世界への入口であった。異世界魔法の研究の過程で開いた『別次元』への扉であった。
誰の目から見ても塔の如き巨大槍はベクトルを押しつぶした。彼は空間に空いた亀裂ごと圧倒的物量に粉砕されてしまったように見えた。
「ぐっ、間に合わなんだか!?」
徐々に視力を取り戻しつつあった狗公方は狼狽する。蓋し、ベクトルの魔王水による身代わり術であっても受け流せまい。ベクトルのいた地点を中心に高層ビルが建てられるほどの半径の土地が雨傘山の岩盤ごと刺し貫かれた余波で弾け飛んだのだ。
コントンは、勝利を確信した。
(ベクトル=モリア、予定とは逆になったがここで倒せておけて良かったぜ。なんせ、奴はあのケミカルの忘れ形見……)
だが、コントンの安堵の思考は突如遮ぎられた。
「あ、あれは!」
狗公方が叫ぶ。
ベクトルを押しつぶしたはずの大宝槍が砕けた。いや、砕けたというよりは、噛み千切られたというイメージが不思議にも合う。破片も全く飛び散らせることなく、まるで透明の怪物に飲まれたかのように、地面に露出していた槍の穂の根元が消失した。大宝槍はただの棒になった。
その断面に見えるのは、ベクトルの放ったあの亀裂が繋がってできた輪であった。
(囲んだものを消失させる魔法か!?)
コントンは頭を回転させ、その結論へといち早く辿り着いた。物量やパワーを飲み込む別次元の技術である。
(馬鹿な、この術はまるで……)
「初代魔王のようだ、と、思っているだろう? 『魔王の懐刀』め」
「!?」
大怪物は思いもよらぬ言葉に身の毛もよだつような様子で振り返る。声は至極耳元で囁かれたものである。
「生きていたか……」
ベクトルは大怪物の顔面のすぐそばに浮遊していた。浮遊? いや、ベクトルの足は何か透明な糸のようなもので支えられていた。これは、三体の護衛体の一つ、『ヘルズストリングス』の成す魔力糸で作られた足場であった。
だが、大怪物の中のコントンはベクトルの無事や『亜空』のことなどどうでも良くなってしまった。『魔王の懐刀』と、ベクトルは言ったか?
「コントンと言ったな。お前の持つ宝剣、あれには見覚えがある。私がまだ人間界に居た頃だ」
「知らねえな、何のことだ?」
大怪物はコントンの言葉を代弁する。だが、ベクトルはコントンの言葉を意に介さず『亜空』の輪を呼び寄せ、続ける。
「お前の宝剣には一本のオリジナルがあるはずだ。どこに隠し持っている?」
その言葉は字面よりも激しいものだった。『亜空』の輪が高速回転を始め、大怪物の肩の辺りをチリチリと削り始めている。
ベクトルはややもすればこのまま大怪物ごとコントンを拷問する予定であったらしい。
が、コントンにも切り札はある。何を隠そう、大怪物とはあくまでも鉄鬼を核とした融合体であり、その特性を生かすための巨体である。
「馬鹿め近づき過ぎよ! 喰らえ斥力場を!」
引力、斥力の類の強さは二者の距離の二乗に反比例する。狗神を纏った狗公方をも退けた力熱波にどうしてベクトルが耐えられよう? ベクトルは不意を突かれて空中へと投げ出された。
だが、ベクトルは落下したりはしない。何処かに潜んでいるヘルズストリングスの見えない糸に支えられ、ベクトルは熱波と糸の弾力の板挟みに遭いながらも不敵な笑みを大怪物に向ける。
「まあ、いい。答えないというならば『亜空』に消えてもらおう。消え失せよ大怪物」
「へ、やれるもんなら……」
コントンは売り言葉に買い言葉を言ったところでハッとした。
(あの輪は?)
『亜空』は、あの恐ろしい死の輪っかはどこに行った? 大怪物の肩を半分ほど削り取った後で、音もなく輪は姿を消したのだ。
ベクトルは、珍しく力場に当てられて本体から鼻血を吹きながらも、眼だけは大怪物から逸らさずに杖を向けた。
「最後の生き残る機会だ、コントン。『魔王の懐刀』はどこにある? どこにいる?」
コントンはあくまで抗った。
「知らねえな、ヒヨっこ魔導師め」
「残念だ」
次の瞬間、大怪物の上半身は雨傘山の山頂ごと消滅した。『亜空』の輪は大怪物の頭上で天使の輪のように浮遊していたのだ。そして、それが振り下ろされた。その輪の内側を通過した者は空気も死体も岩石も、例外なく消失した。厳密には、輪に通じる闇の亜空間に放り出されたのである。
だが、
(亜空間に俺らを放り込んだこと、後悔させてやるぜ?)
ベクトルは、何処からかコントンの声が聞こえたような気がした。まだ、終わっていない。
そして、雨傘山に再び陰鬱な雨模様が帰ってきた。