満足
鉄鬼は敵の存在を知覚した瞬間、斥力を伴った熱波を放つ。
しかしどうしたことか、男はその熱波をかわすことも受け止めることもせず、何事も無かったかのような顔でそこに立っている。
その熱波はイゾウを拘束するのに用いた熱波とは比べ物にならない強さであった。だが、力を一度に凝縮して放たれたそれは、男に対して何の作用ももたらさずに掻き消えた。
鉄鬼は再び焦る。だが、そのローブの男は鉄鬼にとっても知らぬ人物ではないことに気が付いたらしい。
「お前は……、ベクトル、魔導師ベクトル、ベクトル=モリア!。魔王候補の中で最も勝ち目がないと言われた、あのちっぽけな魔導師!。」
そう、ベクトル。イゾウに鉄尾に暗殺を命じた男だ。
鉄鬼にとって今回の襲撃の憎むべき黒幕が突然ここに乗り込んできたのである。
鉄鬼も、彼の姿を確認した瞬間全てを悟った。
イゾウはこの時、突然現れた主ベクトルを見て思う。
(この方は今、化けておられる……。)
温和な状態のベクトルを平常とし、そこから突然魔王の器へと化け、自分を死地に放り込む。イゾウはベクトルの豹変を『化ける』、と、この先も表現する。
『鉄鬼よ、この刺客は、どうだった?』
とは、ベクトルがこの時言い放った言葉である。
ベクトルは、この奇襲に鉄鬼の暗殺と、イゾウを試すという二つの目的を設定していた。
イゾウという駒がどれだけの性能を持っているかは、実はベクトルも把握していなかったのだ。もちろん、未知数として期待していた体をとっていたから、決して無知の類ではない。
見たところ、イゾウは負けはしたが、鉄鬼という異常種、魔王候補の一人に名を連ねられる相手に対して手傷を負わせられる程度の実力がある。
負けたのは仕方がない。選ばれた魔王候補たちには須らく、他の魔族とは常軌を逸する能力を備わっているのである。
それは、魔王候補を選別する魔法『選定』によって規定されている事柄であり、疑いようのない事実である。
ベクトルは、他の魔王候補たちは自分の手で倒すつもりであったから、イゾウはその補佐ができるだけの力があればよいと考えていた。
また、それよりも、苦痛による拷問に対して抵抗したことの方が重要であった。
召喚獣が術者に忠を尽くす行動を見せるということは、あらゆる意味でよいことである。
召喚獣を使役するということは、術者にとっても、標的にされた相手にとっても等しく危険である。
当時はまだ召喚契約のシステムが確立していなかったため、誰でも儀式さえ執り行えば召喚が可能であった時代だ。
召喚獣と契約を結ばないことは、召喚獣に殺されても文句は言えない、ということであり、術者に力量がないと判断すると、召喚獣は容赦なく術者を殺す。この頃の召喚獣システムを便利だといえたのは強者のみであった。
さて、イゾウは召喚されて魔界に生れ落ちたわけであるから召喚獣と定義される。根本的に他の召喚獣たちとは成り立ちが異なるが、それが、他の召喚獣のように術者に逆らわない理由になるとも言い切れなかった。
場合によっては、イゾウをを力で屈服させて従わせることも辞さない、とベクトルは考えていた。
ベクトルにとって、イゾウは唯一の兵力であったのだが、信用はしていなかった。
だが、今、最初の対面のときと同じく忠誠と契約を貫くイゾウの姿が、ベクトルの信用の不確定要素を氷解させた。この時、ベクトルは始めてイゾウを信用し、清らかな主従関係が構築されたのである。
テストと称されたイゾウの一連の仕事は、実際にはベクトルとの主従関係を構築するという人間味のある成果を出すこととなったのである。
彼はこの時既に鉄鬼を殺害した後の戦略を頭に起こし始めていた。
そこで先ほどの言葉、
『鉄鬼よ、この刺客は、どうだった?』
である。ベクトルはイゾウにとても満足していた。この言葉はイゾウへの満足と、鉄鬼への挑発との1:1構成でできていたのである。
鉄鬼は、怒りで心も体もより一層赤く燃え上がる。
「つまらぬ事を聞くな、魔導師。ノコノコと修羅場に出てきおって、生かして返すと思うな!。」
そう言って、鉄鬼はベクトルに向けて拳を振るう。
『そうこなくては、魔王候補の戦いは感情にあふれていなければ……。』
ベクトルは恍惚とも取れる表情をじわりと見せる。この時既に、鉄鬼は罠にはまっていた。
書き方を模索するのって、とても楽しいですね