イゾウ離脱
「狗夜叉が、逝った」
奇奇怪怪がコントンの視界に幻像を結び、告げた。その足元にはチョンパされたネクロの首が転がっている。
「ああ!?」
コントンはしんみりすることなく彼を詰った。
「おい、刺し違えてでもきちんと暗殺できたんだろうな?」
奇奇怪怪は珍しく残念そうな顔をした。
「すまん、油断した……」
コントンは、先程華麗にネクロを粉砕した痛快な気分も忘れて舌を打った。
「冗談じゃあないんだぜ。こっちは幹部一人始末したってのによー」
これに対し、奇奇怪怪は気怠く物申した。
「もういいじゃねえか。さっさと逃げようぜ」
だが、コントンは首を大きく横に振った。
「駄目だ、逃げられねえ。まだ逃げ切るには駒が足りねえ。とりあえず、そこのネクロって幹部をさっさと奇奇怪怪化しちまえ。狗っころ共もな」
「それで充分だろ?」
「いや、絶対に足りん。公方の術と、外で取り囲んでる魔導師の一派が厄介過ぎる」
「魔導師?」
「ベクトルだ。斥候が捉えたんだが、大物を連れてる……」
そう言ってコントンは少し物思いに沈んだ。こんな戦時中に初めてそういう情報を奇奇怪怪に伝えるんだから、いかにそういうものを奇奇怪怪に伝えていなかったかがよく分かる。かつて奇奇怪怪の情報網、という表現をしたが、それはすなわちコントンの情報網とイコールする。
(得体の知れない奴だ。もしかしたら『あいつ』の手の者かもしれん。用心ってのはし過ぎることはねえからな)
ここで狗夜叉が上手く公方をやっていてくれれば奇奇怪怪と夜叉と自分で突っ込んでベクトルを如何様にも縊り殺せるハズだったのだが…… まあいい。
「こうなったら『爆弾』だ。どでかい怪物を投入する」
「『爆弾』? ウチにそんなのいたか?」
奇奇怪怪の奇怪な精神世界はコントンにわからないが、逆にコントンの考えは奇奇怪怪にはわからない。互いに理解できないながらそれはそれとして今までうまくやってきた。この分業が割と重要だとコントンは考えていたし、奇奇怪怪も気にしていなかった。
奇奇怪怪に情報網を弄らせて楽していたこともあったが、それもそろそろやっていられない。魔界が動き出したのである。
コントンは部下を呼びつけて指示をする。
「幻術漬けにしておいたパライゾウ、だったか? あいつと鵺を連れて来い。あと、ここいらの死体も奇奇怪怪化が済んだら全部俺の魔法実験室に持って行け。ホラホラ急げよ、これが俺らの切り札よ」
「へい」
コントンの残り少ない部下たちがどこからかわいてきて頷いた。
「おい、一体何やる気だよ?」
「見てろよ見てろよ。もしかしたら魔王レベルの怪物が生まれるかもしれねえんだから。さ、まだまだ狗共が寄せてくるぞ、撤退だ、撤退!」
コントンは明るく邪悪に呵々大笑した。
一方その頃、
「なあ、さっき闘ってたアイツらが兄弟だったって、本当なのか?」
雷鳴剣のくだり辺りから何とか戦いを観戦することができたイゾウだったが、あまりにも素早い攻防と、実の弟に手を掛ける公方の行為に圧倒されていた。後からイゾウを追いかけてきた狗の守衛などは涙を流して崩れ落ちている。
「何という事だ。お前のようなはねっ返りの糞魔人のせいでこんな悲しい事を目の当たりにしてしまった! 嗚呼、おいたわしや公方様!」
ヤクザ映画の、義兄弟の盃を交わした二人が皮肉にも殺し合う運命に転がり落ちていくような展開を近しい者が間近で見るとこのようなものなのだろうか。
イゾウは奇奇怪怪の幻術の被害者としては、複雑な気分であった。
「あれも奇奇怪怪の幻術の為すところか……」
確かに、あの幻術は魂を惑わせ現実を見失わせる。イゾウも、その気になれば狗夜叉のように操り人形に出来たかもしれない。
「許すまじ、奇奇怪怪! だが、公方殿がここで全ての決着をつけなさるのがせめてもの救いか…… おい貴様、いつまでここにいるつもりだ? 言葉通りなら今のを見れたんだからさっさと帰るがよい!」
「ん? ああ、邪魔したな」
守衛につまみ出されながらイゾウは考えた。
やむを得ず、味方を斬る。斬られた時にあの夜叉はどのような気持ちだったか? 煙に溶けて消える時、何を思ったか?
信じた者に斬られる、俺と同じだが、違う。俺は覚悟を決めていたようで実はウジウジと泣いてばかりだった。『捨てられた』んだから当然だ。あの夜叉は操られながらも気持ち良く消えられてどれだけ幸せだったろう。
主は俺よりも何倍も賢く、俺は主よりも何倍も強い、ならば使い使われる関係でいいじゃないかと俺はずっと思っていたものだが、正しかったのだろうか?
……ベクトル殿、我が新たな主。あなたは俺を一体どうしたいのだ? 大黒天や奇奇怪怪のような怪物に俺を戦わせるつもりなのか? こんなチンケな剣と体と魂を使い潰すつもりなのか?
イゾウにはよく分からなかった。彼は主を知らな過ぎる。目の前で散った兄弟仁義の事も、魔界の事も、人間の事も、前の人生の事も、今の自身の強さの程度も、彼は知っているとは言えないし、考えが足りなかったと自覚していた。
『一刀の召喚』の時の、あの時の興奮はどこへやら。イゾウは、以蔵の死が封じ込めていた様々な疑問や葛藤や無力感を増大させた。パライゾウが持って行った負の感情の穴が自己修復しているともいえる。
「……」
敵前逃亡、というほど戦況は不利ではない。が、事実としてイゾウは逃げ出した。
先程の狗の守衛以降、イゾウを雨傘山で見た者はいない。