悪役令嬢は攻略者を(物理的に)落としたい
そのテラスは綺麗に整えられた芝生の隣にしつらえられていた。
テラスの上には飾りのついたアイアン製のテーブルと椅子が設えてあり、ガラス製のティーセットが置かれていた。
椅子の数は二つ、王子と婚約者のお茶会である。
緋色の髪の上部を複雑に結い上げ下部を自然に垂らし、少し吊り上がったアーモンドのような栗色の眼を中空に焦点を合わせて吹く風の音を聞いているように椅子に座って待っているのは、王子の婚約者アナスタシア=マルクトガイアだった。
そこに襟足までのハニーブロンドの髪を撫でつけて、空色の瞳を長いまつげで包みながら、笑みを浮かべたシュテファン=エルドラシアがやって来た。
「待たせたね、アナスタシア。」
シュテファンはアナスタシアの向かい側に座った。
「いえ、シュテファン殿下。お願いが有るのですが。」
いつもは微笑みを浮かべやんわりとこちらをうかがう瞳をしっかりと開いたまま、シュテファンを見つめながら、アナスタシアははきはきと言った。
「なんだい。」
シュテファンが話を促すと、アナスタシアがまっすぐに目を見つめて口を開いた。
「シュテファン殿下、私と手合わせしてください。」
シュテファンは瞳をぱちりと瞬いた。
◇◇◇◇◇
1週間ほど前、アナスタシアは、男子生徒が遊んでいた木の棒が頭に当たったはずみに前世の記憶を思い出した。
前世では、空手が好きな女子高生、石塚美穂で、いつも友達の由香と一緒にいた。そして、この世界は、友達の由香が好きで、『キラ☆セレ』と呼んでいた乙女ゲームの世界と名前や世界観が同じだった。自分の名前アナスタシア=マルクトガイアは悪役令嬢の名前だった。
由香は言った『『キラ☆セレ』はね、5人の生徒会役員を落とすために、主人公のミーナと悪役令嬢のアナスタシアが戦うんだよ』と。
アナスタシアは由香が言っていた通り『5人の生徒会役員を(戦闘で)落とすために、主人公のミーナと(一緒に)悪役令嬢のアナスタシアは戦おう』と決めた。
そのあとすぐに、主人公ミーナがどこにいるか知らない事に気付き、一人で戦う事にしたようだが。
そして、その一人目が生徒会長であり、婚約者であるシュテファン=エルドラシアだったのだ。
◇◇◇◇◇
シュテファンは瞳をぱちりと瞬いた後、にっこり笑って話を続けた。
「そうだね、隣の芝生で素手で良ければだけど手合わせしようか。」
「はい、それでお願いします。」
アナスタシアは大きく頷くと、芝生へと駆け出して行った。
走っていくアナスタシアを眺めて、シュテファンは立ち上がるとゆっくりと芝生へ向かった。
5m程の間を開けて、二人は向かい合った。
「合図はどうするかな?」
シュテファンが尋ねた。
「いつでも!」
アナスタシアが答えながら、左拳を前に右拳を脇に構える。
「じゃあ、今からで。」
シュテファンも左足を引き、右前の半身になった。
アナスタシアがシュテファンめがけて駆けていく。
間合いに入るとアナスタシアは右正拳、左正拳を繰り出した後、回し蹴り、後ろ回し蹴りを放つ。記憶が戻る前から、ダンスが得意だったアナスタシアの体は、ハイヒールを履いていても、安定した足腰で、蹴りを放つ。
シュテファンは正拳を右ステップ、左ステップとわずかな動きでかわした後、回し蹴りをかがんで避け、後ろへ飛んで回し蹴りの間合いから外れた。
間合いの外に出た後、半身に構えるシュテファンは、楽しそうに笑っていた。
「なっ。」
その笑みに馬鹿にされたと感じたアナスタシアは、また距離を詰めて正拳を放つ。時折蹴りも混ぜながら拳を繰り出すも、全て笑顔のシュテファンに、軽やかなステップで避けられてしまう。
頭に来たアナスタシアが大ぶりのパンチを放った瞬間、シュテファンは左に回り込み、右手を取って足を払った。
急に倒れないように背に左手を添えて、ゆっくり横たわらせると、シュテファンはアナスタシアの頭をコツンと叩いた。
「チェックメイト。」
シュテファンの言葉を聞きながら、少しの間、空を見上げていたアナスタシアは起き上がって、笑いながらシュテファンに言った。
「負けた! 次はもっと強くなって来るよ。」
シュテファンは笑顔のまま答えた。
「次も楽しみにしてるよ。」
「じゃあまたね。」
手を振りながら、アナスタシアは帰って行った。
一人残されたシュテファンはアナスタシアの帰って行った方を見つめていた。
「次はお茶にも付き合って欲しいな。」
手の付けられていないティーセットがテーブルの上に載っていた。
◇◇◇◇◇
生徒会副会長シモンズ=ピーターソン侯爵令息は、細身の体をベンチに預け、長い足を組んで本を読んでいた。
紫色のストレートの髪を一つにまとめ、眼鏡の底に藍色の光をたたえ、唇を引き結んでいる姿は、本を読む人という名の彫像の様だった。
そこにアナスタシアはやって来て、声をかけた。
「ピーターソン様、こちらを読んでいただけませんか。」
アナスタシアは一通の封筒を手渡した。
「マルクトガイア嬢ですか、何でしょう。」
人によってはラブレターを疑う所だが、相手は王子の婚約者である。気にすることは無いだろうと手紙を受け取った。
「では失礼して……『旗し条?』」
「え? あれ?」
アナスタシアは慌てた。前世を思い出すまでのアナスタシアが勉学も優秀だったので、その頃の記憶で勉強も何とかなっていたのだが。
以前のアナスタシアの記憶には、『果たし状』の綴りもその書き方も無かった。
考えてみれば当然のことだ。深窓のお嬢様は果たし状などとは縁が無いのだ。
「中も書き間違えだらけですね、書き直しをお勧めします。」
シモンズは、手紙をアナスタシアに返して、去っていった。
その場には、頭を抱えたアナスタシアだけが残った。
◇◇◇◇◇
「マルクトガイア様、このような所で何の用でしょう。」
生徒会書記、セレクト=マクマホン伯爵令息は、人気の無い開けた場所に来ていた。青灰色の髪を肩の所で切りそろえ、暗い紅色の瞳は落ち着きと誠実さを表していて、長身でかっちりとした体は鍛えているのであろう、歩く姿にぶれは無かった。
アナスタシアに呼ばれてここへ来たのだ。
あの後、アナスタシアは考えた。果たし状は以前のアナスタシアの知識では書けない。今のアナスタシアには、この世界の綴りなど分かるはずもない。
それならば、以前のアナスタシアの知識で書ける手紙、呼び出し状を書こうと。本来は、友達と公園を散歩するようなときに出す手紙の応用なのだが、それくらいならできた。
おかげでこうしてセレクトと会えている。
「マクマホン様来てくれてありがとうございます。早速ですが私と手合わせしてください。」
「はい?」
驚いているセレクトの前に飛び出すと、左右の正拳を放つ。
「待ってください。私は女性には手を上げられないのですが。」
話しながらセレクトは正拳を掌で受ける。掌も堅めだ。よく鍛錬をしているのだろう。
「なら女性だと思わないで下さい。」
続けて正拳を繰り出す。あくまで受けているだけで、戦う気のないセレクトには蹴りは気分的に出しづらい。拳だけを重ねていく。
「無理です。貴方は女性だ。」
「でも私は勝たないといけないのです。」
正拳は止めない。前世で子供のころから練習を重ねていたのだ。相手からの反撃が無ければ無意識にでも出せる。正拳突きを繰り返している。
「なら負けました。」
「え?」
思わずずっと繰り出していた正拳突きが止まる。
合わせてセレクトも受けていた手を下に下ろす。
「私はあなたを攻撃することが出来ません。ですから負けました。」
セレクトはにっこり笑って手を胸に、軽く前にかがむ。
「マクマホン様の負けってことは私の勝ちですか?」
理解が追いつかないアナスタシアはセレクトに尋ねる。
「はいそうですね。」
セレクトは丁寧に答える。
「やったー! 有難う、有難う。」
アナスタシアはセレクトの手を両手でガシッと掴み、上下にブンブンと振りながら、お礼を言った。
「これで一勝目なの。本当にありがとう。」
「おめでとうございます。ではこれで、私は帰りますね。」
「有難うございました。」
両手を離すと手がちぎれそうなくらいブンブンと振りながらアナスタシアはセレクトを見送った。
◇◇◇◇◇
生徒会の雑用、ヨナス=ガルシア侯爵令息は、開けた空き地に来ていた。
くせ毛の黒髪を無造作に胸のあたりまで伸ばし、漆黒の瞳に皮肉気な色を浮かべながら辺りをうかがっている。
セレクトと同じく、アナスタシアに呼ばれてきたのだ。
「ガルシア様お待たせしました。」
「マルクトガイア嬢。俺に何の用事があるんだ?」
「戦って欲しいんです。」
言うと同時に左拳を前に構えを取った。
「ほう、上等だ。」
ヨナスも拳を握りながら笑みを深めた。
ヨナス=ガルシアは毎日のように喧嘩を繰り返し、喧嘩上等が二つ名の男である。喧嘩を避けることは無い。
アナスタシアがヨナスに向かって走る。
身構えるヨナスに左右の正拳を繰り出す。
一つを躱し、一つを受け流すヨナス。
間髪を入れず、右回し蹴りを繰り出すアナスタシア。
それを左手で受け、右のパンチを繰り出すヨナス。
両手を交差させて防ぐアナスタシア。
「くっ」
予想以上に重く、なんとか受け止めたものの、一歩下がってしまう。
「ほう。」
ヨナスは一瞬驚くと、楽しそうな顔に変わる。
「おまえ、いいな。」
そして、ヨナスは一歩踏み込むとパンチを繰り出す。
アナスタシアは避けた。
さっきの重さでは、下手に受けるとバランスを崩すし、まともに食らえばそこで終わる。
楽しそうに、次々とパンチを繰り出すヨナス。
必死の形相で、何とかかわすアナスタシア。
たまにパンチを上にはねのけながら、かいくぐって正拳を繰り出すが、受け止められるか、たまに体に入ってもダメージが軽いのか、そのままパンチを繰り出してくる。
アナスタシアは一つでも入ればそれで終わりな為、それこそ必死でよけている。
避けられないパンチは何とか受け流しているが、割とギリギリである。
だんだんとアナスタシアの息が上がって来て、パンチを避ける動きの切れも悪くなってっ着た頃、足を滑らせて、アナスタシアが転んでしまった。
「これで終わりだな。」
ヨナスはアナスタシアの顔の側を、足跡が残る強さで踏みつける。
「負けた。次はもっと強くなる。」
強い瞳でヨナスの顔を見上げながら、アナスタシアは言った。
「ああ、いつでも来い、受けてやる。」
ヨナスは楽しそうな顔のまま、アナスタシアを見下ろして、答えた。
二人は離れると、それぞれの方向へ歩いて行った。
◇◇◇◇◇
生徒会会計、ポール=イアラン伯爵令息は、栗色のマッシュルームの様な髪型の頭を振りながら、好奇心の塊のような緑の瞳をきらめかせて周囲を見ていた。
周囲は開けていて、人気は無い。
「マルクトガイア様、こんな所に呼び出して、何の御用ですかぁ。」
緊張感のかけらもない様子で、アナスタシアの姿を確認して、こてんと首をかしげる。
「イアラン様、私と戦って欲しいんです。」
「はい? たたかう? えぇぇぇ。」
「うん、よろしくお願いしますね。」
そう言うと、アナスタシアは正拳を一つ放った。
「わぁぁぁぁ。」
ポールは大声でわめきながら大きく避けた。
「えいっ。」
アナスタシアも掛け声をかけて正拳を放つ。
「ひぃぃぃぃ。」
ポールは悲鳴を上げながら、別の方に避ける。
「とうっ。」
「えぇぇぇぇ。」
ポールは座り込むと手で頭を覆った。
「えーと」
目の前でどうするか悩むアナスタシア。
「やめてくださいよぉ。」
「いや、止めると言うか。」
「痛いのやだぁぁぁ。」
ただただ困惑のアナスタシア。
「なんでぇぇぇ。」
「何でといわれても。」
「どうしてぇぇぇぇ。」
なだめるのに精いっぱいのアナスタシアだった。
◇◇◇◇◇
生徒会室で執務をしながら、シュテファンは機嫌が良かった。
もともとシュテファンはなんでもできる。
座学でも実践でも、ちょっと教われば、教える相手よりも上手くできる。気づけば大抵の事はこなせるようになり、出来ない事は無くなっていった。
人の心情も読めるし、行動も予想が付くようになり、世界がとても退屈なものに思えていた。
そんな時、婚約者とのお茶会で、アナスタシア嬢が急に手合わせを申し込んできた。
その感情に裏は無く、言動はシュテファンにも予想できなかった。
そして、手合わせしてみると、知っている格闘動作と微妙に違う動き、避けることは簡単だったが、全てが予想できない状態は、とても新鮮な時間だった。
次はもっと強くなると本気で言っていた。どういう方向で強くなるのか。またシュテファンの予想外の事をするのか、実に楽しみだった。
「シュテファン様の婚約者、どうしちゃったんだろうね。」
イアランが、執務の間にぽつんと独り言ちた。
アナスタシアの事が話題に出て、シュテファンはそちらに意識を向けた。
「いきなり決闘だって殴って来たんだ。こわかったぁ。また来たらどうしよう。」
(私以外とも戦っているのか?)
シュテファンは、イアランがアナスタシアと戦っていることがひっかかった。
「マルクトガイア様でしたら、負けを認めればやめてくださいますよ。」
セレクトが静かにアドバイスした。
「そっかぁ。じゃあまた決闘って言われたら負けようっと。」
イアランは気楽に解決策を決めた。
「セレクトも喧嘩を売られたの?」
「ええ、なんでも勝たないといけないそうですよ。」
(そうか、セレクトも戦ったのか)
シュテファンは少し不機嫌になった。
「そっかあ、僕とセレクトと、ヨナスは困らないよね。」
「おう、楽しいぜ、俺のパンチを受けきって見せたし、威力はねえが、俺にパンチを当ててくる。」
(そんなに楽しかったのか)
シュテファンは楽しそうなヨナスの顔をみてイラつきだした。
「へぇ、凄いね、僕じゃ絶対叶わないや。シモンズは?」
「喧嘩は売られていませんね。いえ、あの誤字だらけの手紙、果たし状だったのでしょうか?」
「果たし状?僕は呼び出し状だったけど。」
「私も呼び出し状ですね。」
「俺もだ。」
「では、誤字だらけの果たし状をやめて呼び出し状に変えたのでしょうか。」
「じゃあ今度は呼び出し状が来るんじゃない?」
「そうなんでしょうか(ふぅ)」
「何?何か不満?」
「嫌なら、今度会った時にアナスタシアに呼び出し状は止める様に言っておこうか。」
シュテファンは、シモンズにまでアナスタシアと戦わせなくてそう言った。
「いえ、お手を煩わせなくても、戦いを挑まれたら降参しますから。それより、呼び出し状ではなく、誤字を修正した果たし状を頂きたいなと思いまして。」
シモンズにとっては、戦うかどうかより、呼び出し状か果たし状かの方が重要な様だ。
「そうか、そう言っておこう。」
シュテファンは、止めることは無理かと思いつつも、それぐらいならと引き受けた。
「ついでに俺が次の戦いを楽しみにしてるって言っておいてくれよ。」
「絶対に言わん。」
ヨナスの軽口に、シュテファンは噛みつくように断っていた。
「そんなに婚約者が他の男の人と会うのを嫌わなくっても、喧嘩するだけだよ。お茶したり、楽しんだりするんじゃないし。」
その喧嘩するのが嫌なんだとは、シュテファンとしても言い出しにくかった。
「シュテファン様と諍いをする訳でないのですから大目にみてはいかがでしょうか。」
セレクトはとりなしているのだが、自分以外と戦ってほしくないシュテファンの思いとは少しずれていた。
「だな、俺は喧嘩がしたいだけだ。別に茶を飲んだり仲良くしたいわけじゃねえからな。」
「仲良くするのはシュテファン様とだよね。」
シュテファンは言えなかった。その喧嘩が自分もしたいのだと、お茶を飲んだり劇を見たりしなくて良いから戦いたいのだと。
「そんなことはいいだろう。皆、仕事に戻れ。」
話題は強制的に打ち切ったが、前とは違い、機嫌はとても悪くなっていた。
◇◇◇◇◇
「よっ、はっ。」
アナスタシアは空手の稽古をしていた。
ダンスなどで体幹などは鍛えていたと言っても前世で毎日空手の稽古をしていた時とは体が全然違っていた。
以前の切れや体力を取り戻し、それ以上になる為にも前世でやっていた自主練を行い、それ以上のトレーニングをやることにした。
「ちょっと、アナスタシア=マルクトガイア!」
ピンク色の髪をツインテールにした女の子が仁王立ちをして、アナスタシアを指さしていた。
「どなたでしょう。」
見たことも無い少女にフルネームを呼び捨てにされたアナスタシアは、トレーニングを中断して、彼女の相手をすることにした。
「私はミーナ、この世界のヒロインよ。あなた、悪役令嬢のくせに私を虐めもしな「ヒロイン!やっと会えた。」な、なによあんた。」
アナスタシアはミーナの言葉を遮ると、ミーナの両手を握りしめていた。
「良かった。さあ一緒に生徒会の5人と戦いましょう。」
「嫌よ。なんで私があなたと一緒に戦わないといけないの。」
いぶかしげな表情のミーナ。
「『キラ☆セレ』だから。」
「はあ?『キラ☆セレ』で5人を落とすのは私。貴方は私の邪魔をするの!」
「じゃあ私はあなたと戦うの?」
疑問の表情を浮かべたアナスタシア。
「違うわよっ」
「じゃあ一緒に戦いましょう。まずはトレーニングから!」
「いぃぃぃやぁぁぁ」
二人の声が青空に響く。
二人の主張は交わらぬまま、青空に吸い込まれていった。




