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占奈さんの占いは当たりすぎる!  作者: ゆきのあめ
1章 水晶玉デート編

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第8話 星鳴る夜

 靴を脱いで階段を上るあいだも、雨の匂いがまだ制服にまとわりついていた。湿った布が肌に貼りつく感じが、家に着いたはずの安心を、ほんの少しだけ遠ざける。


 自分の部屋のドアを閉めた瞬間、背中から力が抜けた。


 ポケットの中のスマホだけが、異様に重い。見ないようにしているのに、そこだけが勝手に主張してくる。


 制服の上着を脱いでハンガーに掛ける。肩を軽く叩いて形を整え、そのままシャツのボタンを上から順に外した。


 メガネのレンズには、雨粒が乾きかけた細い跡が残っている。クロスでゆっくり拭き取る。


 その流れに紛れるようにスマホを取り出し、机の端に伏せて置いた。画面はまだ点けない。ただ、黒い四角だけが視界の端に居座っている。


 ズボンを脱いで部屋着に履き替える。乾いた布が肌に触れた瞬間、雨の冷たさが一枚ぶんだけ剥がれ落ちた。


 タオルで髪をざっと拭き、椅子に腰を下ろす。


 そこでようやく、机の端のスマホに手を伸ばした。

 画面に指を滑らせて、電源を点ける。


 トーク一覧に、見慣れない新しい名前がひとつ増えている。


 真理まり


 占奈さんの下の名前。さっきまで隣で笑っていた相手の名前が、文字として並んでいる。その事実が近すぎて、指先のほうが現実感を失った。喉の奥がきゅっと細くなる。


 名前をタップして、トーク画面を開く。

 履歴はまだ何もない。真っ白な余白だけが広がっている。


 ここに一言でも打てば、この白は占奈さんとの言葉で埋まっていく。

 そう思った瞬間、親指が止まった。


(最初、なんて送ればいいんだ)


 キーボードの上で、親指だけがゆっくり泳ぐ。


『よろしくお願いします』


 打って、眺めて、すぐに消した。

 丁寧すぎてよそよそしい。帰り道の空気まで遠のく気がした。


『今日は一緒にいれて嬉しかった』


 直球すぎて、頬だけ先に熱くなる。送信ボタンに指を寄せて、寸前で止める。


 また消す。


 空白に戻るたび、心臓が一拍遅れて追いかけてくる。

 打っては消してを繰り返すうちに、ふっと肩から余計な力が抜けた。


 いちばん短くて、いちばん素直な言葉だけが残る。


『今日はありがとう』


 たったそれだけ。

 でも、言いすぎないし、言わなさすぎもしない。藤棚の下で交わした会話も、ぜんぶこの一文に押し込められる気がした。


 深呼吸をひとつ。

 薄い汗がにじんで、スマホの角が少しだけ滑る。


 送信ボタンを、そっとタップした。


 画面の右側に、小さく自分の言葉が並ぶ。

 それだけで部屋の空気が一段薄くなる。静かなはずなのに、どこにも寄りかかれない。


 まだ、「既読」はつかない。


(いつもスマホ握ってるとは限らないし)


 分かっている。けれど胸のあたりだけが落ち着かない。


 ホームに戻ろうとして、指が止まる。

 いったん画面を下にして伏せてみる。

 ……三つ数える前に、またひっくり返してしまった。


 視界の隅に、占奈さんの顔が浮かぶ。

 濡れた前髪を指で押さえて笑ったときの表情。ハンカチを首に当てた瞬間、肩がほんの少しだけすくんだのも思い出す。


(占奈さん……風邪、引いてないといいけど)


 そのとき、階段のほうからお母さんの声が飛んできて、現実に引き戻された。


直生なおー、ごはんの前にお風呂入っておいでー」


「分かったー」


 返事をしながら、最後にもう一度だけ画面をのぞき込む。

 何も変わっていない。そう確認して、ようやく腰を上げた。


 スマホをポケットに滑り込ませる。

 小さな重みが、太ももに残った。


 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇 ● 〇


 食卓には、いつも通りの夕飯。

 テレビの笑い声が、今日はやけに遠い。


 箸を動かしても味が曖昧で、熱いのかどうかもはっきりしない。


 既読は、ついていた。


 風呂上がりに何度も確かめた、あの小さな文字。

 見つけた瞬間だけ胸の奥が軽くなった。届いてる。それだけでよかったはずなのに。


 そこから先が長い。

 返信が来ない。秒だけが増えていく。

 軽くなったぶんの空気が、静かな不安に形を変えて胸に溜まった。


(『今日はありがとう』……短すぎた?)


 送った一文を、頭の中で何度も読み返す。


直生なお、今日はやけに静かだねぇ」


 お母さんが僕の顔を覗き込んだ。


「そう? なんにもないよ」


 何もないわけじゃない。

 ただ、説明できる種類の“ある”じゃない。


 向かいで、妹の那奈ななが箸を止めた。

 じーっと、目だけでこっちを見てくる。


「ふーん。なんか怪しい。彼女できた?」


 直球だった。

 “彼女”の二文字が大きく聞こえて、胸の奥がひくっと反応する。


「できてない」


 言い切ったはずなのに、否定の音が自分の耳にだけ少し軽い。


 そのとき、ポケットの中で、ぶるっと小さな震えが走った。


 胸の奥で、何かが一拍、大きく鳴る。


 背筋が反射で伸びる。心臓が一拍だけ強く跳ねて、急に速くなる。

 目線は出さないのに、意識だけがポケットに吸い寄せられた。


「……っ」


 声になりかけた息を、味噌汁と一緒に飲み込む。

 舌に熱さが刺さって、逆に頭が冴えた。


「急に元気になったな」


 お父さんが笑って茶碗を持ち上げる。


「なんか、部活やってたときの直生を思い出すなぁ」


 そう言われて初めて、自分が早いペースで箸を動かしていることに気づく。

 落ち着け、と思うのに止まらない。


 那奈がにやにやして、わざとらしくため息をついた。


「……やっぱ怪しい」


「怪しくない」


 口では言い返しながら、心臓だけは素直で忙しいままだった。


「ごちそうさま」


 気づけば食べきっていた。


「片付け手伝ってよー」


「あとでやるー」


 お母さんの声を背中で聞きながら立ち上がる。

 階段を上がる足が、さっきより軽い。


 部屋のドアを閉めてから、ようやくスマホを取り出した。


 通知の一覧に「真理」の名前。

 指が勝手に動いて、そこをタップしていた。


『こちらこそ、ありがとう

 一緒にいてくれて、すごく嬉しかった』


 藤棚の下で見た横顔が、声の温度ごと戻ってくる。


 胸の内側で、何かがぽっと灯る。

 返信の入力欄に、そっと親指を乗せた。


『僕も嬉しかった』


 さっき考えては消した言葉とほとんど同じなのに、いまは少しだけ打ちやすい。


 送信して、少しの沈黙。

 やがて、小さく通知の音。


『やっぱり天夜くんは優しいね』


 教室で聞き慣れているはずの「天夜くん」。

 それが文字になって自分宛てに並ぶだけで、別のものみたいに胸に届く。


『そんなことないよ』


 すぐに、少し長めの文章が返ってきた。


『あるよ

 だって、占い外れても、壊しちゃっても、

 嫌な顔しないで、笑ってくれるもん』


 片肘をつき、空いている手で前髪をくしゃっとつかむ。

 「嬉しい」の後ろを「恥ずかしい」が追いかけてくる。


 何を返せばいいのか、一瞬分からない。

 悩んで、ようやく出てきた言葉を打つ。


『僕は、占奈さんが占ってくれるのが嬉しいだけだよ』


 送信した瞬間、顔が一気に熱くなる。


 ベッドに転がって、スマホを胸の上に置いたまま天井を見つめた。

 心臓の音が、部屋の静けさにばれそうなくらい大きい。


 数分後、また通知。


『……ほんとに、天夜くんってずるい』


 続けて、もう一通。


『でも、ありがとう

 すごくうれしくなっちゃった』


 指先が震えて、スマホを落としそうになる。


 返信欄に何か打ちかけて、やめる。

 言葉を探して、ひとつに絞った。


『よかった』


 送信してしばらくして、今度は少し違う調子のメッセージが届く。


『ねえ、今週の土曜日なんだけど』


 土曜日。

 水晶玉を買いに行く約束だ。


『予定入っちゃってたりする?

 水晶玉一緒に選びに行きたいなって』


 読んだだけで胸の中がざわつく。

 返事は考えるより先に指が動いた。


『空いてるよ。水晶玉見に行きたい』


『うれしい!

 天夜くんと一緒に選びたい』


 胸の奥が柔らかくなる。

 画面の向こうのきらきらした顔が浮かんで、口元が緩みそうになって慌てて唇を噛んだ。


 背中を押されるみたいに、僕のほうからも言ってしまう。


『僕、メガネも新しくしたくて』


『水晶玉のお店のあと、寄ってもいい?』


 送った直後に恥ずかしさが追いつく。

 けれど返事はすぐだった。


『いいよ!

 天夜くんに似合うの、いっしょに探したい』


 胸がきゅっとなる。

 浮かれたままになりそうで、段取りに戻す。


『土曜日、何時くらいがいいかな』


『じゃあ11時くらいはどう?』


『11時いいね』


『駅の白いモニュメントの前で待ち合わせにしない?』


 駅前の、妙に目立つ白いオブジェが浮かぶ。

 ただ通り過ぎていた場所が、急に「そこに立つ理由のある場所」になる。


『分かった。駅の白いモニュメント前で11時に』


『うん、楽しみ』


 通知が来るたび画面が明るくなる。

 その小さな光に目が引き寄せられて、胸の奥も一緒に明るくなった。


『土曜日まであと2日だね』


『早く来るといいな』


 送信した瞬間、また顔が熱くなる。

 画面の向こうの表情を想像して、勝手に苦しくなって、勝手に嬉しくもなる。


 他愛もない雑談を続け、時計を見る。

 針はもう、23時に近づいていた。


『わたしそろそろ寝るね』


『天夜くん。風邪ひかないようにね

 ちゃんとあったかくして寝てね』


(占奈さんも、同じこと考えてたんだ)


 その気遣いが嬉しくて、少しだけ慎重に打ち返す。


『占奈さんもあったかくして

 今日はありがとう

 また明日』


 送信すると、ほとんど間をおかずに既読がついた。


『私も、ほんとにありがとう

 明日また学校でね

 おやすみ、天夜くん』


 画面の明かりが消えても、「おやすみ、天夜くん」だけがまぶたの裏で灯っている。

 スマホを手のひらに乗せたまま、縁を指先でなぞった。


 一覧に戻ると、「萩村」のところに通知の数字。

 夕飯前くらいのものだ。


『いつからできる?』


 ――あ。ゲームの約束、忘れてた。


『ごめん今気づいた』


『おそ!』


 さっきまでの柔らかい文の並びと違って、萩村の声がそのまま突っ込んでくる。


『じゃあ少しだけ』


『はやくこい』


 返事の圧が強い。

 でも、その雑さがいつも通りで、どこか安心する。


 トークを閉じて、いつものゲームを起動した。

 少しだけ遊んで、区切りのいいところで閉じる。


 部屋の明かりも消して、スマホを机に伏せた。


 暗い部屋で、伏せたスマホの輪郭だけがうっすら見える。


(……もしかして、これって)


 布団に潜り込んでから、今日のやり取りを順番に思い返す。

 水晶玉を一緒に選びに行く約束。

 メガネを一緒に見に行く話。

 駅の白いモニュメント前で、土曜日の午前11時に待ち合わせ。


(……デート、なんじゃないか)


 浮かんだ単語に、自分で驚く。

 けれど打ち消そうとするほど、逆にそこだけ濃くなっていった。


 枕に顔を半分埋める。

 胸がいっぱいで、息が少しだけ浅くなる。


(早く、土曜日になればいいのに)

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