表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
占奈さんの占いは当たりすぎる!  作者: ゆきのあめ
1章 水晶玉デート編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/14

第4話 白羽の道しるべ④

 柔らかく包まれたのに、逃げ場のない衝撃が胸の正面にずしんと入った。肺の空気が押し出され、息が途切れる。視界が一瞬白くはじけ、その縁で黒いフレームがくるりと放物線を描いてアスファルトを転がった。


「……いたた……」


 すぐ近くで、小さな声。


 尻もちをついたまま顔を上げると、同じように座り込んだ女の子がいた。胸の前でカバンを抱え、ぽかんとこちらを見上げている。輪郭はまだ滲んでいるのに、淡い藤色の髪だけがやけに鮮明だった。毛先が揺れるたび、目がそちらへ引かれる。


 スカートの端が僕の膝に触れていた。布が触れただけなのに、その一点が熱を持って、遅れて心臓が跳ねる。近い。逃げ場のない近さ。


「あれ……天夜あまよくん?」


 名前を呼ばれた瞬間、胸の中が跳ね上がった。喉が一気に乾く。さっきまで走っていた鼓動とは違う速さで、心臓が勝手にリズムを変える。


「……え、占奈うらなさん……!?」


 名前が口を突いて出た途端、ぶつかった痛みも、追っていた白いカラスも、視界の端へ押しやられた。今ここに占奈さんがいる。それだけで頭がいっぱいになる。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」


 自分でも驚くほど大きな声が出る。立ち上がろうとして膝が笑い、手をついたアスファルトの硬さが手のひらに食い込んだ。それでも体を起こし、一歩近づいて、手を伸ばしかけて止める。


「どこかぶつけてない? 痛いところ……」


 占奈さんはカバンを抱えたまま、こくりと頷いた。


「だ、だいじょうぶ。びっくりしただけ……カバンがクッションになってくれたから……」


 頬は赤く、息は少し乱れている。でも痛みをこらえる気配はない。それだけで胸の奥がほどけて、心底ほっとする。


「天夜くんこそ……大丈夫? メガネも」


 視線が僕の手元へ落ち、ひびの入ったレンズに気づいた瞬間、占奈さんの目がまんまるになる。


「あ、これは……予備あるから。平気」


 反射で言った。本当は平気じゃない。でも今気になっているのは、眼鏡のひびより、この路地で向かい合ってしまっている時間だった。壊したくないのは、こっちだ。


 僕はもう一度、きちんと頭を下げる。


「ほんとごめん。前、見てなくて」


「わたしも……飛び出しちゃったから」


 占奈さんは申し訳なさそうに唇を噛み、視線を落とした。耳のあたりまで赤い。


「ところで……そんなに急いでどうしたの?」


 探るような声に、僕は息を整えながら空を見上げる。白い影は、もういない。


「白いカラスがいて」


「白い……?」


「うん。公園の木に止まってて。動画撮ろうと思って」


 そこで一瞬だけ言葉が詰まる。でも飲み込めなかった。


「……占奈さんに、見せたくて」


 言った途端、頬の内側が熱くなる。視線の置き場が分からない。


「わ、わたしに……?」


 占奈さんの瞳が揺れる。うつむきかけて、またおそるおそる見上げてくる。その揺れだけで胸の温度が上がった。


「それって……今日の“カラス”……?」


 占奈さんはカバンの口を開き、そっと手を差し入れる。取り出したのは、朝と同じ水晶玉だった。夕方の光が表面を細く滑り、途中で不自然に途切れる。


 水晶玉に、細いひびが一本。


「……ひび、入っちゃった」


 指先がきゅっと強くなる。


 僕も、ひびの入った眼鏡を握ったまま胸の奥が冷える。手の中のひびと、彼女の手の中のひびが、同じ理由で生まれたことが重い。


「……ごめん。僕がぶつかったから」


 占奈さんはすぐ首を振った。小さいのに、はっきりした否定。


「ちがうよ。天夜くんは悪くない。わたしも飛び出したし……それに」


 言葉が途切れ、視線がひびへ落ちる。指先がその線をなぞるみたいに動く。


「カラス=いいこと、のはずだったのに……メガネも壊しちゃったし、水晶玉も……やっぱり、外れちゃったのかな」


 外れ。

 昇降口で聞いた言葉が、もう一度胸に刺さる。


 占いを信じたいわけじゃない。根拠のないものを受け入れるのは性に合わない。

 それでも、占奈さんがその一言で、自分の占いも気持ちも畳んでしまいそうなのは、見ていられなかった。


 うまい励ましはない。器用な説得もできない。

 それでも、喉の奥から押し出される言葉があった。


「僕が……新しいの、買う」


 自分でも驚くほど、はっきりした声。占奈さんがぱっと顔を上げる。


「え……?」


「水晶玉。僕がぶつかってひび入れたし……また占ってほしいから」


 頭の隅で、バイトや貯金の数字がよぎる。安くないのは分かる。

 でも今は引き算より、「もう一度」が勝っていた。


天夜あまよくん……」


 名前を呼ぶ声が、柔らかい。


「でも、水晶玉って……けっこう高いんだよ?」


「……う」


 言葉に詰まる。それでも引き下がりたくない。


 けれど占奈さんは、ふっと息を吐くみたいに笑った。


「ごめんね。大丈夫だよ。……お母さんにお願いするから」


 水晶玉を胸の前へ抱え直す。安心した色が、目の奥に混ざる。


「……でもその代わり」


 占奈さんの右手が、水晶玉から離れて、こちらへ伸びる。迷うように止まり、それから制服の袖に触れた。


 布がわずかに引かれ、時間が動く。


 占奈さんは袖を、つまむというより、すがるみたいにそっとつまんだ。そこから伝わる体温が、やけに鮮明だ。


「一緒に、選んでほしい」


 息が浅くなる。断る理由なんてないのに、返事の形が見つからない。


 視線を下げれば細い指と白い手首。上げれば期待と不安の混ざった瞳。


「……いいんですか?」


 気づけば敬語になっていた。


「うん。だって……」


 占奈さんは袖をつまんだまま、目を少し細める。照れたように、それでも嬉しそうに声を落とした。


「いちばん占ってるの、天夜くんだもん」


 その一言が、真正面から胸に落ちた。

 嬉しいのに恥ずかしい。逃げたいのに逃げたくない。全部まとめて心臓のあたりに押し込まれる。


「……じゃ、じゃあ……よろしく、お願いします」


 よそよそしい敬語しか出てこない。けれど言った瞬間、指先の力がふっとやわらぐ。


 占奈さんの口元が、ほどける。


「約束、だね。……楽しみ。天夜くん、また明日ね」


 袖から指がそっと離れる。布が戻るだけなのに、残っていた温度までほどけて、妙に心細い。


 占奈さんは水晶玉をもう一度大事そうに抱え、布をかけ直す。その上から一度だけ確かめるように撫でて、小さく一歩下がった。


 そして路地の角へ、小走りに向かう。細い足音が軽いリズムを刻み、リボンが一度だけ跳ねて、角の向こうへ消えた。


 僕はしばらく動けなかった。手のひらには、ひびの入った眼鏡の硬い感触だけが現実として残る。


 それでも胸の奥は、不思議なくらい軽くて明るい。

 ひび越しに見える街の輪郭は少し滲むのに、明日の朝の教室だけは妙にはっきり浮かぶ気がした。


 右斜め前の席。水晶玉を抱える占奈さん。

 そして「一緒に選ぶ」という、たった今できた小さな約束。


 これを「いいこと」と呼ばずにおく言葉を、僕は持っていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ