母は元気だ
──もう何年経ったのだろうか……。
彼女はいつもベッドの上で、何もする事も無く、ただ呆然と天井を眺めて朝昼を過ごす。夕方までそこに居る。彼女の足首には鎖の付いた枷が付いていて、鎖の長さは腹が減ればキッチンに行けるし、トイレにも風呂場にも行ける。……しかし、玄関まで行くのは不可能だった。窓は開けられないように工夫されている。……彼女は監禁されていた。
夕方になれば、彼女を監禁している此処の家主が帰宅し、彼女と過ごす。大切に愛でてくる。……時には体も重ねる。
家を出たくないか? 出たいに決まっている。実家には母が“居る”。彼女は此処の家主の男に監禁される前、母と二人で平和に暮らしていた。それはもう幸せだった。仕事をしながら母とのんびりと暮らす。毎日が充実していた。けれど──
「ねぇ貴方……そろそろ実家に電話したいの」
何も映さない虚ろな瞳で、彼女は男に頼んだ。“貴方”と呼んでいるのは、そう呼べと言われたからだ。……そう言わされている。
「いいよ」
男がスマートフォンを彼女に渡し、男は部屋を出た。
──何年か前、監禁された日……。
彼女はその場で悟った──目の前には男が立っており、足には鎖の付いた枷、窓は完全に開けられないように工夫されていて、さらに男の顔を見て……察しの良い彼女は理解した。この男の顔と雰囲気は、平気で人を殺せるタイプの人間……何をやらかすかわからない。もし、男が居ない間に、仮にこの家から逃げ出せたとして帰ったら……引っ越したとしても、この男は引っ越し先にまで、どこまでも追いかけてくるだろう。
自分が独り身ならばまだいい、しかし……自分には母が居る。この男は母を平気で殺す可能性が高い。……現状を諦めるしかなかった。けれど、周りに心配はさせたくはない。だからその日は一日だけ男から時間を貰い、実家に向かい母と最後の日を過ごした。
母や周りに感づかれてはいけない。その日は最後の日だったが、いつものように過ごした。一緒に食事をしたり、会話を交わしたり。そして母に「何年か会えなくなるんだ。今日出て行かなきゃならないの……連絡はするね。いつか帰るから」そう告げて、男の元に戻り、監禁生活を過ごし始めた。
たまに実家に電話をして、母と会話をするのを許されている。「ちゃんとやっているよ、会いに行けてなくてごめん。」そんな感じで、ちゃんと自分はどこかで生きていると生存確認させるためだ。母を安心させる為だ。
もう会えないけれど、電話で会話をするのは許されている。……その数日後、男は深夜に帰宅した。袋から刃物を出し、キッチンで何やら洗い流している。まだ使えそうなのに、捨ててしまったのを覚えている。……彼女はその様子を見て、さらに心が死んだ。
***
スマートフォンで実家に電話をかける。暫くすると母が電話に出た。
『はい』
「お母さん……元気?」
『ふふ』
「私はちゃんとやっているよ」
『ふふ』
「お母さんは?」
『ふふ』
「……もうすぐ帰れるかもしれないよ。でも、また仕事が山積みで、やっぱり帰れなくなるかもだけど……。」
『ふふ』
──“ふふ”。
少し会話を繰り返し、「また連絡するね」と言うと電話を切った。母はいつも元気そうだ。寂しくなさそうだ。
……暫くして、男が部屋に入って来る。
「電話は終わったみたいだね」
「ありがとう」
スマートフォンを男に返す。……母の声が聞けて満足だ。きっと、またその内母の声が聞きたくなるだろう。母は電話をかければいつでも出てくれるから……。
男はポケットからボイスレコーダーを出し、彼女が届かないタンスの上に置いた。彼女はあのボイスレコーダーが置かれたタンスの上を見上げる。男は笑う。
「あれは絶対聴いちゃ駄目、いいね?」
「知ってる」
「ん?」
「あのボイスレコーダー……何が録音されてるのか。」
だいぶ前に書いた短編の一つです。




