時は、廻りて(1)
「ねえ、82番プレート……酷いことになってるんだって?」
「うん……。なんか良く知らないけど、たくさん死者が出たらしいよ。まあ、学園のある81番は影響ないみたいだけど」
「影響ないって言ってもねえ……真下であんな事があったんだもん、やっぱり怖いよね……」
82番プレートで起きた事件は、少なからずボクの日常に影響を齎した。教室でただ席についているだけでもそこかしらから聴こえてくる噂話の内容はどれも昨日の事件の事で持ちきりだ。それら噂は興味本位で話しているのが殆どなのは言うまでもない。実際にあのプレートシティに残留していた人間は一人として今学園に登校してはいないだろうから。
クラス全体を見回すといくつかの席が空席のままホームルームを迎えようとしていた。ボクは窓の向こう側を眺めながら昨晩の事を思い返して一人でニヤニヤと笑っていた。やがて担任教師の男が教室に入ってくるとそれぞれ好き勝手に喋り捲っていた連中も渋々席に着き、ようやくホームルームが始まる。
「あー、まずはみんな、無事でよかった。昨日の事は既に何も言わずとも皆分かっていると思う」
朝からがんがんニュースでジェネシスが情報公開していたから、知らない奴は居ないだろう。確か死傷者の名前も全てテロップで流していたはずだ。死者だけでも数十人……。負傷者や騒動の影響を受けた人間は計り知れないだろう。
だから何人かの生徒はさっきから席についたまま泣きじゃくったまま……。きっと知り合いでも死んだんだろう。まあ幸い、このクラスの死傷者は3人くらいで済んだみたいだけど。それを察してか……いや、恐らく事情は教師のほうが詳しいのだろう。非常に言い辛そうに話を続ける。
「とりあえず学園の運営は問題なく今日から継続するが……もし精神的に辛いようであれば申し出てくれれば特別に休んでもいいそうだ。それとこのクラスからも非常に残念ながら死傷者が出てしまった。もうみんなも知っているかもしれないが――」
教師の話は続く。何やら死んだ連中のことを長々と話していた ボクは話半分にそれを聞き流し続ける。一つ下の82番プレートで神が暴れまくったのだ、むしろたった数人の被害者しか出なかった事の方が驚きだと思うんだけど……。
話の内容はつまり、学校は今日からも普通に続く……。しかし嫌ならしばらく休んでもいい。何人かは死んだりした。そういう事らしい。最後に一分間の黙祷が行われ、ホームルームは終了した。途中で号泣し始めた生徒が何人か教室を出て行ったが、特にこれといってボクがどうなるわけでもない。
日常は大きく変化したのかと言えば、意外とそうでもなかった。ごく普通に日常は継続されている……。ボクの世界はまだ何一つ大きく変わったわけではなかった。授業内容がどうでもいいのだっていつも通り……。どうせボクが知らない事を教えてくれるはずもない。そうして長々と授業が続き、昼休みになった頃の事だ。結局一日中沈んだ雰囲気のままの教室に嫌気が差しさっさと食事に向かおうと席を立った時だった。
「……リイド」
教室の入り口から声がかけられ、驚きながら顔を向ける。そこには扉に片手をかけたまま、ボクをじっと見つめているエアリオの姿があった。銀色の長すぎる髪がふわりと揺れ、きらきらと輝いている。ボクは……ああ、そういうことだったのか……と、今朝の出来事を思い返していた。
ボクの変わらない日常の中での僅かな変化……。その一つが今朝の出来事である。普段通りに通学するボクの背後からなんとエアリオが挨拶してきたのだ。
「おはよう」
とだけ語り、当たり前のようにボクの隣を歩き出した時は心底驚いた。あんなに気まずい通学風景は初めてだ……。何故わざわざ隣を肩を並べて歩くのか……それが不思議でならない。じっとりと嫌な汗をかきながら歩くボクに、彼女は別れ際こう告げた。
「……じゃあ、また後で」
何が……? とは思ったが、それを口にするのも疲れるので階段を上っていく彼女の姿をボクはただ見送った。一人、鞄を片手に溜息を漏らした……。あの時は言っている事の意味がいまいち分からなかったが……今はハッキリと理解出来る。
「一緒に来て。昼食にするから」
「わかったよ……んっ?」
嫌々席を立つと急にクラスが静まり返っているのに気づいた。周囲を見渡すと、誰もが目を丸くしてボクを見ていた。一体何がそんなに驚きなのかよくわからなかったが、ボクはエアリオに手を取られ歩いていく。
早足で廊下を歩き続けるエアリオと、それに引っ張られるボク……。やはりみんなの視線はボクらに集中していた。それにしても、レーヴァテインの関係者になったから彼女が挨拶して来る……それはまあ分かる。けど、これはどういう事なんだろうか。
「お、おい……そんなに慌てる必要はないだろ?」
「迅速に行動しないと間に合わなくなる」
「だから、何が……?」
というかそもそも、ボクらは昨日まで言葉も交わさなかったような関係なわけで……。彼女は遠慮なく小さな手でボクを強引に引っ張っていくが、本来これはボクらに適切な状態ではないと思う。苦笑を浮かべるボク……。エアリオはそうして振り返り、自信満々に鼻息荒く言った。
「カフェの席取りがっ」
何を当たり前の事を訊いているんだ――とでも言わんばかりのキラキラとした目だった。ボクは唖然とし……しかしなんとなく理解する。ああ、やっぱりこいつは――変なやつなんだな、と……。
時は、廻りて(1)
ヴァルハラ第三共同学園にはいくつか昼食を摂る施設が存在している。典型的な学生食堂と中庭にあるカフェテリアがその双璧を成すものなのだが、ボクはどちらかと言うとカフェテリアの方が気に入っていた。それを事前にエアリオが知っていたとは思えないので、恐らく彼女の好みもこちらなのだろう。さっさとハンバーガーを受け取ってくると席取りをしていたボクの前にトレイを置いた。
共同学園の中庭の広さはハンパではない。カフェテリアが丸々一つ大規模に鎮座していても余りある広さだ。いかにも金をかけたガーデンスペースの中、学園中の生徒達が周囲で食事を楽しんでいる。だがボクとしてはそんな風に能天気に笑えそうもなかった。クリアテーブルの上に並んだハンバーガーを眺め、ボクは気まずい空気の中で冷や汗を流していた。
「……で、念のため訊くけど、何でボクを連れて来たんだ?」
「その質問には昨日回答した……けれど繰り返せというのなら繰り返す。わたしとあなたはパートナーの関係にある。出来る限り時間を共有、同行すべき」
「ふうん……ま、いいけど。時間を共有、同行って、こんなことでいいの?」
「構わない。同じ時間を過ごす事が大切……はむはむ」
「あっそう……」
そのままハンバーガーを齧り始めたエアリオ。彼女がそう言うのだからそうなのだろうけど、ボクとしては今ひとつ面白味に欠ける。なんというか、レーヴァの適合者になって変わった日常……それはただ、幼馴染と昼メシを食うと言うごくごく自然な事だったのだろうか。
「ま、欲を言っても仕方ないか」
あの力を行使する権限を手に入れただけでも今は良しとしよう。とは言えエアリオと食事を共にするというのは案外苦痛かもしれない。目の前でただただ黙々とハンバーガーを齧り続けるばかりで一向に会話が始まりそうに無いのは何故だろうか……。
しかしこうして改めてみると驚くほど綺麗な髪をしている。しかしこれだけ長いと椅子に座ると地面に触れそうだ……。いや、実際によく見ると一部、ほんのわずかだが大地に触れているようにも見える。そんなことは本人は全くお構いなしなのか、悠々と食事を続けている。まあ確かに髪の毛に感覚などないのだから別段気にならないのかもしれないけれど……ボクとしてはそういうのは結構気になるわけで。
「エアリオ、髪の毛が地面についてるよ」
「んう?」
「きたねえ!?」
食べながら喋ったせいか、パンズの破片がボクに向かって飛んできた。まあ、テーブル半ばで力尽きたお陰でボクに被害はなかったわけだが……。こいつ……何キョトンとしてるんだ……。ボクの話、通じてるよな……?
「食べながら喋るなよ……じゃなくて、髪の毛!」
「……ああ、そう」
地面に触れている髪を一瞥し、紙コップに手を伸ばす。ごくごくとドリンクを飲み干し、幸せそうに頬を緩ませるエアリオ。やっぱり人の話聞いてねぇ……。
「そう、って……気にならないのか? そもそもお前は後ろ髪が長すぎるんだよ。前髪もだけど……切ればいいじゃないか」
「切っても無駄だから」
そりゃ髪の毛は永遠に伸び続けるものだ……普通はな。老後どうなるかは知らないがとりあえず若い間はそうだろう。そういう意味では確かに何度切ろうが無駄な事だ。そう思わない事もない……。けど、それを理由に髪の毛を切らないというのも変な話だ。
まあ……考えてみればエアリオは元々こういう奴だったのだ。別に昨日と今日で急激に変化したわけではないんだろう。ただ単純に自分がこうだと思ったらもうそれ以外の選択肢が存在しない……そんな奴なのか。その唯我独尊少女は指についたケチャップを目の前でペロペロ舐めながら上目遣いにボクを見る。
「念の為に訊くけど……さっきのは命令?」
「違う、ただの提案だよ。確かに気になるけど、別にあんたが髪の毛を切らなくてもボクになんらデメリットはないしね」
「……ふうん、だったら切らない」
命令ならば従うが提案は受け入れる気がないってことか……。舐められているのかバカにされているのか……。気に入らないのは事実だったが、大事な大事なパートナーさんと一々面あわせするごとに口論するのも問題だ。ここはもうきっぱり割り切ってこいつはボクの奴隷だ、くらいに考えたほうがいいのかもしれない。
色々と考え事をしているとエアリオは指を舐めながらボクとボクの前に置かれた手のつけられていないハンバーガーを交互に眺め、物欲しそうによだれを口の端から垂らしながらおなかをぎゅるるるると鳴らした。
「食べないの?」
「いや、食べるけどさ……」
「気に入らなかったのなら言って……。すぐに交換してくるから」
カフェテリアで交換なんか出来るわけないだろ? そもそもそう思うなら最初からボクの注文を聞いてから買いに行けと言いたい。全くこっちの話は何一つ聞かないで勝手に買ってくるんだから、ボクが食べたいものと相違があって当然じゃないか。まあ別にBLTバーガーが嫌いなわけではないけれど……。
今更文句を言っても後の祭りだ。さっさとハンバーガーを平らげて、でもってこんな居心地の悪い奴とはおさらばしよう。そう考えてハンバーガーを口に運んでいると非常にお会いしたくない二人組みが近づいてくるのが見えた。ボクがこれ見よがしに溜息をついてみせるとエアリオは首を擡げ、振り返った。
「カイトと――イリア」
「よお新入り! 元気そうで何よりだぜ」
と、いきなり馴れ馴れしいこの馬鹿面はカイト・フラクトル……。学年は一つ上。ボク以外のレーヴァの適合者であり、そうした意味でも先輩に位置する。態度は明るく気さく……すぎる。頭は良くなさそうだが身体能力は高そうだ。昨日は結局あれきり口を利く機会は無かったが、相変わらず暢気そうな顔をしている。
一方、赤髪の女の子……イリアとか言っただろうか。そっちのほうは腕を組んでボクを睨みつけている。随分とカイトとは違う対応だ。まあ思えば昨日初見にも関わらずいきなりボクに殴りかかってくるわ、睨み付けて来るわだったわけで、何も変わってないだけではあるんだけど……。
「丁度四人用のテーブルだし、一緒してもいいよな?」
「……別に構いませんよ、ボクは」
ボクの正面にエアリオ、左右にそれぞれ相向かいカイトとイリアが腰掛けた。食事は予め買ってきていたのか、テーブルにトレイが二つ追加される。
「いやぁ〜、ハラ減っちまって参ったぜ! おっ! お前らもハンバーガーか! 気が合うじゃねえか〜!」
「は、はあ……」
別にボクはハンバーガー好きってわけでもないし、その辺見渡せば五割くらいはハンバーガー食ってる連中なんだけど……それは気が合うっていうのか……?
へらへら笑って妙にハイテンションで……何と言うか、ボクが最も苦手なタイプの人間だ。思慮深さなんて言葉、きっと彼の辞書の中に存在していないんだろう。そういえば、レーヴァの関係者が全員この第三学園の学生だったというのはボクをそこそこ驚かせた。尤も、最大の驚きだったのは隣の家の住人であるエアリオがレーヴァテインのパイロットだった事なんだけど……。
制服の色を見たところイリアもカイト同様三期生らしい。共同学園の中等部は一期から三期までの学年に分れ、数字が大きいほど上級生となる。二期生であるボクとエアリオの制服の色は白地に青のライン。三期生であるイリアとカイトは黒字に赤のラインだ。カイトは図体もでかいし上級生と言われても納得できるが、イリアがそれほど上級生に見えないのはボクが女性の年齢を判断する目を養っていないからなのだと信じたい。
「まあどっちかっていうとオレは学食でガッツリ食いたい派なんだけどな……。カフェのはなんか美味いけど量が少ないっていうか、食った気がしねえというかだな……」
「あたしたちはそんな世間話をしに来たんじゃないのよ、リイド・レンブラム――。あんたに話があるの。言わなくても分かってるでしょ?」
「ボクが何か?」
最初から敵意剥き出しだったからどうせ何かしら突っかかってくるんだろうとは思っていたけれど、やっぱり昨日の通り直情的な性格らしい。腕を組み、ボクを睨むイリア……。ボクはそれに視線を返し、睨み合いの格好が続く。険悪なボクらの間にカイトが慌てた様子で割って入り、イリアの代弁を勤める。
「リイド、昨日の件なんだけどよ……」
恐らくこの二人はいつもこんな感じなんだろう。直情型なのはカイトもそうなんだろうが……イリアのこの様子じゃカイトの方がブレーキ役って所か。ボクらがここで喧嘩し始めても目立ちすぎるし話は進展しない……。だから自分が割って入る。それはそれで確かに賢い選択だ。ボクは口を挟まず視線をカイトに向けることにした。
「初めての出撃で開放値平均20%以上、いきなり神話級を撃破……それはいい。だが教えてくれ。何故流転の弓矢を使った?」
「……何かと思えばそんな事ですか」
「“そんなこと”じゃないのよ! レーヴァの力は不用意に人前で使っていいものじゃないの! それをあんな軽々しく放つなんて……どういうつもり!?」
テーブルをぶっ叩きながら立ち上がったイリアが顔を近づけて叫んだ。何事かという周囲の視線もまるで気にしていない。呆れるくらいに短慮だ。バカすぎる。ここでこれ以上会話を続ける事すら不毛に思えて仕方がない。あんたがそうやって話が出来ないから、カイトが代わりに喋ってたんじゃないか……。何もかも無駄になってしまった。
「レーヴァの力を本気で使ったらプレートが崩壊しちまう。だからオレたち適合者はレーヴァの性能を抑えて戦わなくちゃならないんだよ」
「――成る程、先輩達の仰りたい事は良く分かりましたよ」
溜息混じりに席を立つと、イリアに肩を掴まれ強引に振り返らされた。昨日と同じように襟首を掴まれ、ネクタイを引っ張られる。至近距離での睨み合い……。彼女の澄んだ紅い瞳が怒りを湛えてボクを映しこんでいた。
「舐めないでくれる? そんな子供みたいな態度で“はいわかりました”って言われてあたしたちが納得すると思わないで」
「――下らない」
「何よその言い方……!」
「分かったって言ってるだろ? 年上が二人して情けないと思わないんですか? それとも何ですか? ボクがいきなりあんな強いのを倒しちゃったから面目が潰れちゃいましたか?」
「何ですって……」
相当頭に来たのだろう。歯軋りしながらネクタイを握り締めている。しかしそんなのは馬鹿の愚行だ。こいつとはお話にならない……。カイトは馬鹿だがまだ会話可能なだけマシな部類だ。イリアとは一分一秒たりとも同じ場所で空気を吸って居たくない。
「あんた達は負けたじゃないですか。ああ、そっか……プレートの事を気にして本気で戦えなかった。だから負けたんだって言いたいんですよね? だったら大丈夫ですよ、よく分かりましたから。でも次からは本気出して戦ってくださいよね……。だってそうでしょう? 負けちゃったら元も子もないんです。プレート一枚二枚の話じゃ済まないんですよ。それくらいわかるでしょう?」
「……ッ!!」
乾いた音が中庭に響き渡った。言うまでもなくそれはボクの頬を激しく叩いたイリアの手の平の音で。相当力が強いのか、頬が腫れて口の中が切れるのを感じた。血の味がして、けれど怒りはない。醒めた気持ちで目を細め、彼女を見つめる。
「図星を突かれたら殴る――馬鹿は気楽でいいですよね」
「あんたねえっ!!」
「やめろ、イリア! いくらなんでもやり過ぎだ!」
「でも、カイト……こいつっ! こいつ最悪よ……っ!!」
「手を離せイリア……ほら」
「でも……っ! でもっ!」
背後からイリアの手を取るとカイトはゆっくりとボクの胸倉からその手を引き離していった。イリアは相も変わらず親の仇でも見るような目でボクを睨みつけている。それを睨み返してやる気すら起きない。こいつは結局暴力に訴えなくちゃ何も自分の意思を通せない……無力な人間だ。
こんなのがレーヴァに乗ってるから結局昨日だってプレートへの進入を許したんじゃないのかよ? 下らないこと言う暇があったら敵を倒せばいいんだ。こいつらに出来ない事をボクはやって、こいつらは結局何も出来なかった……それが現実だ。ボクは責められるような事は何一つしていない。
「エアリオ、あんたもあんたよ! なんでこいつの事止めなかったのよ!?」
「わたしは彼の干渉者……イリアだってカイトの指示には従うはず。わたしも同じように従っただけ」
「こいつとカイトを一緒にしないで! カイトはあんな……っ! あんな自分の事しか考えないガキみたいな戦い方はしないわ!」
「論点がずれている。カイトとリイドの戦闘方式が異なるのは当然。論点はわたしが何故彼を止めないか、という部分」
「〜〜〜〜っ! もういいわ! あんたたちなんかにレーヴァは任せられないっ!! これからもカイトとあたしでやるんだからっ!!」
喚くだけ喚くとイリアはさっさとカフェテリアから去って行ってしまった。全くはた迷惑なやつだ。口の中を切っただけでボクにはなんのメリットもなかった。本当に無駄な時間を過ごしてしまった。盛大に溜息をついたカイトは恐らくイリアを追いかけるのだろう。ボクらに背を向け、そして言った。
「さっきのお前のセリフ、確かに事実だよ。オレたちは全力でやればあいつも倒せた。でもそうしなかったのも、そうできなかったのも、オレの甘さだ」
「……そう思うなら彼女何とかしてくださいよ。会うたびこの様子じゃ先が思いやられますよ、“先輩”」
殴られた頬が熱い。ひりひりするそこに冷たいドリンクが入った紙コップを当ててくれたのはエアリオだった。なんだか……ちょっと意外で戸惑ってしまう。
「そうだな、それはオレもそう思うよ……イリアはああいってるが、オレはお前達と仲良くやってきたいと思ってる。だからリイドも少しイリアの気を汲んでやってくれ」
「汲むって言われても……あの人滅茶苦茶ですよ? 褒められはしても殴りかかられるようなこと、ボクはしていないと思いますけど」
「そうだな……。まあ事実お前はよくやったよ! それじゃ、これからもその調子で頼むぜ、ヒーロー」
ボクの肩を何度か軽く叩くとカイトもまた駆け足で中庭を後にした。なんというか……やっぱり苦手なタイプだ。普通あの状況でボクの肩を持つようなセリフを言うだろうか? てっきり一緒に殴りかかってくるものだと思ったんだけど。何となく腑に落ちない。でもまあ、別に悪い気分がするわけでもないのでよしとすることにした。
「……大丈夫?」
考え事に耽っていると、いつの間にかエアリオの顔がすぐ近くにあって思わずびくりと背筋を震わせてしまった。吸い込まれそうなくらい綺麗な金色の瞳がボクの事を心配げに見つめている……。紙コップを退かし、エアリオは小さな手でぺたぺたとボクの頬に触れた。なんだか妙に冷たいような……暖かいような、不思議な体温だった。
「いやいや、大丈夫大丈夫……じゃ、ないか……。いてて、あいつ本当に女かよ……!? 張り手一発でこんな痛むか普通っ!?」
だんだんと意識していたら痛みが増してきて思わずボクは叫んだ。イリアのあの細腕のどこからこんな火力が……。それはともかく、頬が腫れた状態で教室に戻るのは情けないなあ。ドリンクでもう一度冷やそうとして手を伸ばすと、不意にエアリオと手が重なってしまう。しかしお互いにそれを放さす事は無かった。
エアリオ・ウイリオ……ボクのパートナー。昨日まで言葉を交わす事も無かった、ボクの相棒……。彼女はさっきイリアの言葉からボクを庇ってくれたように思う。別に自分が悪い事をしたとは思っていないけど……でも、エアリオのそんな態度が少しだけうれしかったのは多分事実なんだ。
「保健室……行く?」
「いや……いいよ。そこまで大げさな事でもないし」
「そう」
「…………あんた、変わってるよな……ホント」
エアリオはボクの言葉に何故かとても優しく微笑んだように見えた。元々無表情なだけに、単なる見間違いだったかもしれないわけだが……。そうして結局昼休み終了の予鈴が鳴り響き、ボクの食事はお預けになってしまうのであった――。