過去と、真実と(1)
「――リイド君は……本当に強くて、かっこよくて……。だから、信じちゃうのかなぁ……。好きになっちゃうのかなぁ」
クーデター勢力に投降したオリカは担架で医務室へ運ばれている最中であった。カグラはその傍に付き添い、彼女を見つめながら廊下を走っている。
全身から血を流し、血の気の引いた表情で力なく微笑むオリカ……そんな彼女の様子をカグラは見たくはなかったし、信じたくもなかった。
ジェネシスという組織において、絶対最強の刺客――それが“スティングレイ”の一族だ。彼らは古来、まだジェネシスという組織が存在しなかった頃よりユグドラシルの守り手であったという。
人を超越した力を持ち、それを当たり前に行使する化け物――。目標を達成し、ユグドラシルを守護する為であれば手段を選ばぬ残忍な一族……そのはずだった。
「リイド君……傍に、居てあげたかった……。ごめん、ね……リイド君……。ごめんね……」
だがどうだ? 目の前で朦朧とした意識の中、まだ彼の事を思い続けている彼女が凶悪な存在なのだろうか?
オリカはカグラの目の前で沢山の人間を斬って見せた。だがそれは彼女にとっては大切なものを守る為の行いであり、それ以上も以下も無かったのだ。
オリカの血に染まった手を取り、カグラは柔らかく微笑んでみせる。オリカの血に濡れた頬は美しかった。少なくとも可憐であり……素直にそれを乙女であると思ってしまう。
「リイドならきっと大丈夫だよ。あいつは……天才だからね」
祈りにも似たその言葉でオリカは少しだけ安心したように微笑み、ついに意識を失った。移動する担架の傍を離れ、カグラはゆっくりと足を止める。医務室の前、少女に出来ることは余りにも少ない。
壁に拳を叩きつけ願った。己の無力さを呪った。空では今でも彼は戦っているだろうか? この世界の運命の悪戯に巻き込まれ、今も尚それに抗おうと戦い続ける一人の少年……。その行く先は決して明るい道ではないだろう。
「――それでも往くと決めたんだろう、リイド・レンブラム……? なら、あたしは君を信じるよ。皆が君を信じてる。だから――ちゃんと、歩けよ……少年」
悔しそうに震える手を握り締めた。その指先は結局何も掴む事は出来なかったのだろうか。彼も、彼の弟も、そして彼の弟が守ろうとした世界も……。全ては移ろい、消えて行ってしまう運命ならば――。
大空には深紅が舞う。紅蓮の鋼を煌かせ、その撃鉄を打ち鳴らして――今も舞う。大空を翔る、神の刃――レーヴァテイン=オルフェウス。リイド・レンブラムは今、自分の足で世界に歴史を刻みつけていく。
「レーヴァテイン……くはははっ!! いいぜオイ、もっとだ……もっと来いよ! とことんやり合おうじゃねぇか、どちらかが完全に壊れるま――でッ!?」
オルフェウスは鈍重――そのキリデラの予測はあながち間違いではない。
他のレーヴァテインと比べ、比較的重装甲のその機体は重く、遠距離攻撃を主軸に想定したその装備は高スピードをスペックとして要求しないからだ。
だが、体勢を立て直し顔を上げたクサナギの前、そこには既に太陽を背に影を差すオルフェウスの姿があった。深紅の機体はクサナギの頭を片手で掴むとライフル“ケルベロス”をその胴体にねじ込み、連続でトリガーを引いた。
休まず放たれる無数の閃光に体中を貫通され、クサナギの操縦が効かなくなった。一瞬の出来事だった。シンクロを弱める事も出来ずに受けた直撃の連打は干渉者であるキョウに反動として伝わり、少女は口から大量の血を床にぶちまけていた。
むせ返るキョウの足元には文字通りの血溜りが出来上がっている。それは“大丈夫か?”と声をかける事すら躊躇する勢いだ。その間にもオルフェウスはクサナギをライフルで殴り飛ばし、空中で縦に回転、クサナギを海へと蹴落としていた。
夥しい量の水が空へ吹き上がり、熱を帯びた霹靂の魔剣はその装甲から蒸気を漂わせる。コックピットの中、リイドはとても冷静な表情を浮かべていた。怒りも、憎しみも、迷いもない。ただ――どこまでも冷静だ。
「これが、レーヴァテイン……? 本当に、私のオルフェウス……なんですか?」
以前出撃した時とは何もかもが違っていた。戸惑い、その途方も無い力を前にアイリスは恐怖さえ覚えた。
神を屠り、敵対する勢力全てを叩いて潰すのが霹靂の魔剣――レーヴァテインである。わかっていたつもりだった。だが所詮それは“つもり”だったのだ。
ヘイムダルとは何もかもが違う。そこらの量産型とこの剣を同一視するのは愚かしい行いである。百万の神の軍勢を前にたった一機で全てを覆す――それが“最低条件”の兵器。アーティフェクタ……それが今、彼女が座するモノなのだから。
「……アイリス」
「は、はい?」
「ボクは、怒ってるんだ」
唐突な言葉だった。少年は振り返り、寂しげな笑顔を浮かべている。その瞳がとても愛しく思えるのは何故だろうか。以前にもこうして、見詰め合った事があるかのように……。
鼓動の高鳴りと共にアイリスの脳裏に様々な記憶が浮かんでくる。断片的なそのイメージの中、アイリスは彼と戦った記憶を見た。大樹の下、二人は巨人を介し拳と拳とで語り合ったのだ。その時の彼が……恐らく同じ目をしていたように思う。
そんな事を知っているはずがないのに、何故か思い出してしまう。幻のような、淡い夢のような景色……。レーヴァテインが教えているような、そんな気がした。今だけは二人は一つだった。紛れも無く、一つだったのだ。
「ボクは何も知らずに生きてきた。都合の悪い現実から目を背けてきた。沢山の人に助けられた。沢山思いを託された……。なのにそれを護れなかった。ボクは……最低だ」
「リイド……先輩……」
「でも……もう逃げないよ。逃げないって決めたんだ。ボクは最後まで、リイド・レンブラムの宿命と戦う……。わかんない事ばっかりで嫌になるよ。自分の無知さに、嫌になる。でもさ……それでもさ。ボクは――前に進みたい」
少年は己の手を見つめ、それをぎゅっと握り締める。それはアイリスの知る彼であり、知らない彼であった。彼は……きっと、この僅かな間に変わったのだ。強くなったのだ。それをハッキリと感じるから。だから――信じてみようと思う。
「同盟軍に……カリフォルニアベースに向かう。そして準備を整えて……皆を助けに来る。今のボクらには知らなきゃいけないことが沢山ある。だから、逃げるんだ」
「でも……それじゃあ納得出来ない、ですか?」
心の中を見透かすようにアイリスは苦笑を浮かべる。リイドは前を向いて小さく息をついた。
町が、燃えている。愛した世界が燃えている。どこの誰かも分からない人間の手で壊れていく。自分達の世界を、誰かが勝手に踏みにじって往く……。
我慢出来るだろうか? 直ぐに答えは出るのだ。“出来るわけがない”と。自問自答を完了するまでも無く思うのだ。“ぶちのめすべき”なのだと。“憂さは晴らすべき”なのだと――。
「――我侭に付き合ってくれ、アイリス・アークライト。ボクはタダじゃ逃げられない。逃げたくない……ううん、“逃げてやらない”。思い知らせてやる。これがレーヴァテインだって。これが……お前達が敵に回した世界最強の存在なんだ、って」
「……ええ、そうですね。そうでしょうとも。貴方は我侭で自分勝手で……。なら、それを教えてやりましょう。レーヴァテインに逆らうという事がどういう事なのかを……! 私達が、何者なのかを――ッ!!」
マントを掴み、それを放り投げる。太陽に、衆目に、晒せばそれは全てを物語るだろう。
心の中に重なる線を消してゆく。それは決して恐ろしい事でも恥ずべき事でも無い。当たり前の心を重ねよう。あらゆる思いを一つに束ねよう。その信念に揺らぎ無ければ――それは、常勝を約束する。
シンクロを高め、オーバードライブが発動する。オルフェウスの瞳が輝き、その両肩のパーツが駆動する。赤い熱気を帯びたフォゾンがオルフェウスを包み込み、大型ライフル、“ケルベロス”が変形していく。
「「 歌えよオケアノス、ハデスよ眠り給え――! 我は嘆き奏で、跪く者なり! 省みよ……! さすれば汝、永久の別れを得ん――! 」」
片腕を空に突き出し、オルフェウスが瞳を輝かせる。紅い光の波紋は周囲へと広がり、戦場を飲み込みつつあった。
海中より復帰したクサナギの引き裂かれたボディは既に治癒を開始しており、外見的にはほぼ修復完了しているように見える程だった。だが空へ戻ったキリデラは戦場を飲み干す紅い光に背筋ただただ寒くなるのを感じた。
「……んだ、こりゃ……!? 何かの能力……だよな……?」
復帰したクサナギを追い越し、次々に東方連合の機体がレーヴァテインへと迫っていく。リーダーを庇っての行動だったのだが、それが何の意味もなさない事はキリデラにはわかりきっていた。
命令を出すより早くレーヴァテインはその銃口を眼下のスサノオへと向ける。放たれる光の矢――それは一瞬でスサノオを貫き蒸発させ……そして、ぐにゃりと“曲がった”。
「はっ?」
キリデラが首をかしげている間にもビームは次々にスサノオを撃墜していく。そして“曲がって”別のターゲットを貫き、一発の弾丸は見る見るうちに戦場を支配していく。
第二射が放たれた。それは頭上――何も無い空へと突き抜ける。頭上で光は“拡散”し、そして“反射”して空より降り注ぐ。その一発一発が無駄に海を焼く事もなく、東方連合の機体を破壊していく。
まるで滅びが空から降ってくるかのようだった。キリデラは何が起きているのかを必死で確認する。そうして分かった事、それは――。
「光の……レンズだと!?」
長銃ケルベロスは変形し、その銃身に三つの光のリングを装備していた。それを事前に射出し、リングは光を展開。レンズとなったそれはケルベロスの弾丸を自在に反射させ、一発の弾丸で次々に敵を滅ぼしていたのである。
一度放たれたレンズはまるで意思を持つかのように戦場を飛行し、ライフルの弾丸よりも早く次々に反射を繰り返して見せたのだ。そして頭上に放たれた第二のレンズはビームの光を反射、増幅して拡散させたのである。
「……どういう計算処理……いや、予測能力だよ」
艦隊目掛け放たれたビームは長時間照射を続け、海ごと艦隊を全て焼き払っていく。フォゾン結晶の薬莢を排出し、焼け付く銃身を肩にのせレーヴァテインはクサナギを誘う。片手で招くように、指を立てて。
「上等じゃねえか、面白れェ……!! その喧嘩、勝って――」
そこではっとした様子でキリデラは振り返った。自己修復が――止まっている。背後に座ったキョウは激しく咽、何度も何度も血を吐いていた。血を吐いているのか胃の中身をぶちまけているのか、もう何がなんだか分からない。すっかり体の中から生気を吐き出してしまったように、キョウは今にも死んでしまいそうな蒼白な表情でキリデラを見た。
「オイ、しっかりしろよ……。こんな状態で、あいつに攻撃されたら……」
頭上を見やるキリデラ。苦笑を浮かべるその瞳の先、レーヴァテインは両手でライフルを構えていた。
ケルベロスからリングを三つ、射線にレンズとして展開している。エネルギーをありったけチャージし、リイドはその引き金を引いた。
「――“トリプル・アクセル・シュート”」
放たれたビームは一つ目のレンズを通過し、その出力を増す。
二つ目のレンズで、一つ目のレンズとの間を何度か反射往復を繰り返し、その度に威力を倍、また倍に。
拡散した光は三つ目のレンズに収束し、また一点に光の閃となって形を得る。莫大な熱量のエネルギーにオルフェウスの装甲自体が焼け付いていた。
鼓膜が破けるような、大気が爆発するような――音とは最早表現できない音がした。光は文字通りの速度で降り注ぎ、一撃にて――海を、世界を、全てを焼き貫いた。
キリデラは絶叫しつつ回避を試みるが、極太の光は避ける等というレベルの行動が可能なものではなかった。余りの高威力、広範囲攻撃にクサナギがどうなったのかまでは確認出来なかったが、リイドは銃を降ろしまばゆすぎる光に目を細めていた。
「あちっ、あちっ!? ちょ、ちょっとリイド先輩……!? これでボディが焼けないようにマントがあったんじゃないんですか!? カッコつけて投げ飛ばすから!」
「あ、ああ……そう言うことだったのかな……。でもだってアレ邪魔じゃないか……」
「邪魔とかそういうことじゃ……あつっ!? せ、先輩は熱くないからいいですけどねっ! 私は干渉者なんですよ……あつっ!?」
「ああ、うん……なんていうか、本当にごめん」
「謝る気ありますか!?」
背後からリイドに掴みかかるアイリス。周囲の敵は既に全滅し――だが、こんな火力でヴァルハラを攻撃する事は出来ない。遠巻きにヴァルハラを見やり、やはり今の自分達ではどうする事も出来ないのだと知る。
町の被害等を無視し、敵をただ殲滅するだけならば可能だろう。だがそれでは以前と同じになってしまう。それが間違いなのだと気づいたのなら、繰り返さない事が進歩するという事なのだ。
「……必ず、助けに来る。全員が幸せになれる……そんな答えを引っさげて」
「そういう事なら一旦逃げかー!? 今なら場が混乱してるし、脱出はラクさぁ!」
近づいてきたのは少し離れていたエクスカリバーだった。あんな攻撃に巻き込まれては堪らないというのが本音で、戦闘はレーヴァテインに預けっぱなしだった。
「少し待ってください! まだ……まだ、エルデが……!」
振り返るレーヴァテインの視線の先、ヴァルハラから東方連合の部隊だけでなくクーデター勢力のヘイムダルやマステマが次々に出撃してくる。あまり時間は残されていなかった。
不安げに胸に手を当て空を見据えるアイリス。リイドは機体を反転させ、エクスカリバーを庇うようにしてライフルを構えた。
「まだ仲間が来るはずなんだ。少しだけ待って欲しい」
「そりゃ、待ってやんなきゃなあ。遠慮しなくていいさ、リイド! おいらとルクレツィアも手ぇ貸すさ!」
「ああ。あの程度の部隊、時間を稼ぐくらい何の問題もない」
そうして二機のアーティフェクタが同時に武装した瞬間、アイリスが声を上げた。空の向こう、変形した一機のマステマが敵に撃たれながらも飛んでくるのが見えたのだ。
「エルデッ!!」
アイリスが叫ぶと同時にレーヴァテインは加速していた。近づきながら変形したエルデのマステマへと手を伸ばし、レーヴァテインはその胴体を支えるようにして抱え込んだ。背後からの追撃はエクスカリバーが防ぎ、リイドは小さく溜息を漏らす。
「大丈夫? 随分手ひどくやられたみたいだけど」
「ええ、まあ……なんとか。ですがもう限界のようです。申し訳ありませんが、このまま運んでもらえますか?」
「よかった、エルデ……。カイトは? カイトは無事ですか?」
「勿論背負ってますよ……。お陰で操縦が難しくて、バカスカいいように撃たれてしまいました……」
それはエルデ流の冗談だったのだろう。思わず噴出したリイドとアイリスはエルデを回収し、一気に水平線の彼方へと移動を開始する。
「……絶対に、戻ってくる」
リイドの小さな呟き。戦場には響かないその決意の言葉を残し、二機のアーティフェクタは戦場を後にした。
過去と、真実と(1)
「結局、レーヴァテインは取り逃がしましたか」
「……申し訳ありません。ですが、レーヴァテイン確保は時間の問題です。トランペッターはいつでも出撃可能、ですし、予備のアーティフェクタも何機か調整すれば出せるでしょう」
「ロンギヌスの調子はどうですか?」
「まだ出撃できる状態ではありませんが、ジェネシスを掌握した今ならば優先順位を繰り上げられますからね。二年という当初の予定は早められるかと」
カグラが居なくなったジェネシス本社ビル最上階、社長室――。ほぼワンフロア丸々を使用した不必要な広さのその部屋の中心、デスクの前に立ちリフィルは微笑んだ。
今や名実共に王となったリフィルはソルトア・リヴォークを背後に控え、腰に手を当て周囲を眺めていた。何度か訪れた事はあったし、“支配した事”もあった。だが全ては遠い記憶……故に胸にこみ上げるのは懐かしさであった。
「そう……。でもそんなに急がなくても良いわ。レーヴァテインは……リイドは泳がせておくくらいで丁度良いもの」
「お言葉ですが……あのキリデラが操るクサナギを一撃で修復不能なレベルにまで大破させたあの力、放置出来るものではありません。いくらイヴがこちらにあるとは言え……」
「ギルガメスでなければロンギヌスの敵には成り得ないわ。それに、こちらには“ルシファー”があるじゃない」
「それは……。いえ、それも……全て貴方の計算の内ですか?」
幸福に満ち足りた笑顔でソルトアは訊ねる。彼にとってこの世界最高峰の存在の傍にいる事、それが悦びの全てなのだ。彼女に従い、彼女に尽くし、彼女の神聖さに見惚れる……それが己の役割なのだと自負している。
女神は振り返り深紅の髪を揺らして笑う。その笑顔はまるで少女のように無邪気で、机の上に腰掛けた幼げな仕草もそれに釣り合わない妖艶な雰囲気も、全てがソルトアにとっては至上……遵守すべき物だった。
「計算外よ。でも、それでいいの。だって、私の予想を裏切ってくれた方が面白いじゃない」
「……ルシファーを出すような事態にはなりませんよ。僕が必ずレーヴァテインを取り戻してみせます」
「あまり無理をしないでね、リヴォーク」
「ありがとうございます」
礼を言って立ち去るソルトアを見送りリフィルは困ったような笑みを浮かべた。先程の言葉は彼を案じて言ったのではない。ただ――全て順調に行き過ぎれば退屈になってしまう。だから、せいぜいダラダラやるように……そんな命令だったのだが。
「素直なものね、人間なんて……ふふっ」
上着を脱ぎ、それを机の上に放り投げて窓辺に立つ。壁一面が透過して見渡せる世界……それは彼女が手に入れたにしては余りにも狭すぎる世界だった。
「……さあ、時を進めるわよリイド。ファウンデーションへ……フロンティアへ。そして、約束のあの場所へ――」
両手を空に伸ばすリフィル。歪み始めた計画と動き始めた約束の時……。彼女の貫いてきた嘘と真実は、今や目前にまで迫りつつあった。
「ここが、SICの拠点……カリフォルニアベース……?」
「ええ。ここが、僕たち同盟軍の命脈そのものですよ」
レーヴァテインでの移動は本当にあっと言う間だった。カリフォルニアベースに格納されたレーヴァテインから降りたアイリスは周囲にずらりと並ぶヨルムンガルドや通常航空戦力等を眺め感嘆の息を漏らしていた。
企業軍であるジェネシスとは異なる、本物の軍隊の空気というものはアイリスにしてみれば新鮮そのものであった。格納庫を行き交う人々も女子供ではなく、熟練の戦士たちだ。それもまたジェネシスとは大きく違う所だろうか。
油臭い格納庫の中、アイリスは思い出したように先に下りたリイドの姿を探した。見れば少年は格納庫の隅、身体に包帯を巻いた兄スヴィアとの再会を果たしていた。
「あ……」
思わず駆け寄りそうになるアイリスの肩を叩き、エルデは首を横に振る。遅れてシドとルクレツィアもアイリスに歩み寄り、遠巻きに兄弟の再会を見つめた。
「……感動の再開……というわけには行かない、か」
「おいらたちにはよくわかってねーけど、あの二人……やっぱり色々複雑なんだろ?」
「今は二人に、委ねましょう……」
エルデの言葉にアイリスは頷き、不安げに唇をかみ締めた。その視線を背にリイドは真っ直ぐにスヴィアと見つめあう。二人の間には不思議な空気があった。
「……スヴィア」
「久しぶりだな、リイド……。ノアとの戦い以来、か」
「ボクは……。スヴィア、ボク……謝らないと……?」
そう俯いたリイドへ歩み寄り、兄は弟の身体を真正面から強く抱きしめていた。突然の事に反応できないリイドの頭を抑え、自分の胸へと押し当てる。
「何も言わなくても分かっている……。すまなかった……」
「スヴィア……?」
「私は……本当の事をお前に話すのを恐れていた。お前を騙し、お前を……世界を欺き続けてきた。それは私に信じる強さが無かったからだ。お前に撃たれてやっと気づいた……。私は……私もまた、恐れていたのだと」
そっと身を離し、スヴィアは少年の頭を不器用に撫でた。加減が分からず、なでているような、なでていないような……なんともいえない強弱であったが。
スヴィアの手は傷ついていた。それはリイドがつけた傷である。弟は兄の手を握り、俯いた。どんな言葉でも罪を償う事は出来ないだろう。だがそれでも……伝えたい事は伝えなければ全てが手遅れになってしまうから。
「ごめん、スヴィア……。馬鹿な事を……本当に馬鹿な事をした」
「間違える事は愚かな事ではない。リイド……お前が本当に失敗したと思うのなら、それを乗り越えろ。私はお前の歩く道の前を進み続ける。どんな時でも……」
兄もまた弟の手を握り返した。傷に触れ、痛まぬように二人は互いを思いやる。それぞれが背負った過去、背負った痛み……それらを確かめ合うかのように。
「お前が間違えたなら、何度でも私が正してやる。もし私が間違っていたら、その時はまたお前が背中から撃てば良い。私は――お前を信じるよ」
「…………ありがとう、スヴィア。ボクも……あんたを信じるよ」
和解――そう一言で表現してしまえば実に単純な出来事だった。だがこれは本当に長い、気の遠くなるような紆余曲折を経て辿り着いた二人の答えだった。
もしも一つでも運命が違っていれば、二人が分かり合う時は永遠に来なかったかもしれない。擦れ違い、互いを想い、それでも果たされなかった絆が今、形あるものに成就したのだ。これは本当に歴史的な瞬間だった。
「話したい事が、聞いて欲しい事が沢山あるんだ。これまでの事、これからの事……大事な仲間の事。聞いてくれる……スヴィア?」
「勿論だ。私はこれでも、お前の兄なのだからな」
真顔で頷くスヴィアにリイドは照れくさそうに笑った。背後、アイリスたちが駆け寄ってくる。少年は目尻に浮かんだ涙を拭い、笑顔を浮かべる。
仲間達と触れ合う姿に兄は安堵する。そして決意するのだ。自分が護れなかった物、護れなかった世界……その苦しみをリイドには絶対に味わわせないと。必ずきっと、守り通して……そして、与えて見せると。
「――――護るよ、オリカ。君が護ろうとした、この世界を」
スヴィアの呟きは誰にも届かなかった。だがちらりと振り返ったリイドだけは見ていたのだ。鋼のように冷たく堅く、心を閉ざし続けてきた兄が見せた、ほんの刹那の人間らしい笑顔を――。
神と人間の輪廻する物語は今、はぐれた運命の渦の中へと流れ込み始めようとしていた。