祈り、剣に映す時(3)
「リイドを殺してもいいって……それ、本気で言ってるのかよ!?」
エアリオ、アイリス、エルデの三人が本部の扉を潜ったのは丁度カイトが叫びを上げた時であった。カイトの隣には既に話を聞きつけたのか、同じく怒りを露にしたイリアの姿がある。カイトはヴェクターの胸倉を掴み上げ、鋭い眼差しで睨みつける。
「リイド・レンブラムの行動……それは最早擁護出来ないレベルに達してしまったのです。君達も見たはずですよ。彼がガルヴァテインを撃墜する所を」
激昂するカイトに対し、ヴェクターは冷静であった。彼は大人であり、このような状況は想定済みでありそして割り切ってもある。これまでとて、犠牲は数多くあったのだ。リイドだけが特別扱いというわけにはいかない。全てが平等に報われず、全てが平等に守られているのだ。
「兎に角この件に関しては私から申し上げる事は既にありません。カイト君……気持ちはわかりますが、今君には他にやるべき事があるはずです」
「……くっ!」
ヴェクターから手を引いたカイトはやり場の無い苛立ちを拳を握り締める事で堪えていた。イリアはカイトの隣に立ち、その肩を叩く。そう、ノアとの戦いはまだ終わったわけではないのだ。
ノアは真っ直ぐにヴァルハラを目指しており、そしてそれは直ぐにでもこの場所を襲撃するだろう。ヴァルハラは今かつて無いほどの脅威に晒されていた。安全な場所などどこにも無い……。レーヴァテインの事も神の事も知らずに生きてきた無知な民衆も、この悲劇から逃れる事は出来なくなった。
既に避難命令が下され一部プレートシティでは避難が始まっている。まだ避難が始まっていないシティも、順次無人化していく事だろう。そして人々が安全に暮らしていたその街には次々にヘイムダルが配備されるのだ。まるでそう――戦争の最中にいるかのように。
不幸中の幸いだったのはレーヴァテインが無傷だった事である。リイドという適合者を失ったものの、レーヴァテインという最強の剣がまだジェネシスには残っている。ノアの能力は非常に強力だが、レーヴァテインがあればまだ僅かな光明に縋る事が出来るだろう。
「ノアはレーヴァテイン、ガルヴァテイン、トライデントの三機で攻撃しても倒れなかった相手です。正直こちらの想定を遥かに越えた敵である事は既に間違いないでしょう。カイト君、貴方はあの化け物とレーヴァテインに乗って戦わなければならないのですよ? 今この街を守れる適合者は、残酷ですが貴方しかいないのですから」
「……リイドの事は気になるけど、あたしもヴェクターの言う通りだと思う。リイドの件は後回しにして、兎に角今はヴァルハラを守らないと。そうでなきゃ、リイドが帰ってくる場所さえもなくなっちゃうのよ……?」
視線を合わせず、イリアは虚空に言葉を投げ込んだ。カイトは少しずつ冷静さを取り戻し、深呼吸をしてから改めてヴェクターに目を向けた。胡散臭い笑顔を浮かべた男は以前と変わらず冷静に微笑んでいた。
「……ノアを倒す方法を考える方が先決、か」
「方法が全くないわけではありません。まだレーヴァテインは切り札を残していますから」
「――アナザーオーバードライブ、ね」
実体験したイリアだからこそ判る、あの力の凄まじさ――。限界を超えたシンクロはレーヴァテインに秘められた力を解き放ち、飛躍的に性能を上昇させる。その強さは同時に二体のアーティフェクタを捌き切った実績を見ても明らかである。だがしかし、アナザーオーバードライブを発動するには一つ問題点があった。
「AODはパイロット……特に適合者に通常戦闘とは比較にならないほどの反動があります。そしてカイト君……貴方の身体は今、それに耐えられる状態にはないのです」
“フォゾン化”と、そう呼ばれている現象がある――。
アーティフェクタのパイロットのうち、適合者にのみ見られるその現象は時に命の危険にまで発展する。適合者はアーティフェクタと接続する毎に徐々に体細胞の性質が変化させられ、フォゾンエネルギー化していくのである。
身体が徐々に解け、光の粒になって壊れていくその様は見るに耐えない程おぞましく、同時に美しくもある。カイトは仲間達には隠していたが、既にフォゾン化が進行しており体表にも光のラインがうっすらと浮かび上がっている程であった。
彼はリイドよりも早くレーヴァテインの適合者となり、スヴィアが居なくなった後この街をなんとか守ってきた。干渉者は痛みを受ける事はあっても、肉体そのものにダメージを受ける事はない。痛みと傷――干渉者と適合者はそれぞれがレーヴァテインと違う形で繋がっているのである。
干渉者が絶対に必要とされるのは装甲形成や戦闘サポートなどの理由もあったが、重要なのは適合者にかかる負担を軽減する事である。だがAODを発動すれば、干渉者は能力を引き上げる事に全ての力を使い、適合者はその激しい反動の中にその身を晒される事になる。
「リイド君がそれに耐えられたのは彼が“天才”だからとしか言い様がありません。実際、彼のフォゾンエネルギーに対する抵抗力、適合力は常人レベルを明らかに逸脱していますからね。ですがカイト君……貴方はそうではない」
カイトはリイドとは違う。リイドが天才だとすれば、カイトは凡人……。ただ努力だけでここまで上り詰めた凡人なのだ。アーティフェクタを扱う才能というのはフォゾンエネルギーと適合する才能であると言える。カイトの肉体は本来、レーヴァテインの運用に耐え切れないのだ。その身体は常にフォゾンに蝕まれ、メインパイロットの座をリイドに明け渡した今進行は止まっている物の、AODを発動した瞬間肉体のフォゾン化は急激に進む事になるだろう。
「AODが使えないとなると、かなり戦況は厳しくなります。我々はこれから総力を以ってノアに対抗する必要があるのです」
「……総力を挙げたってノアには勝てない。それはヴェクターだって判ってるんだろ……?」
カイトは自らの掌を見つめ、それからぎゅっと拳を作った。どこか諦めるような――自嘲気味な笑顔を浮かべる。そうして当たり前のように……そう、きっと彼にとってそれは当然の事だった。だから誰もが次の言葉を理解していた。そしてだからこそ、止められなかった。
「俺がレーヴァテインでノアを倒す――。AODにだって、一回くらいなら耐えられるさ」
「カイト……本気なの?」
「本気も本気、マジさ。きっとリイドは戻ってくる……そう信じてる。だから俺がレーヴァテインに乗るのはこの一回きりだ。その一回くらいなんとかしてみせるさ」
「気合や根性でどうにかなる問題じゃないのよ!? AODを発動すれば、カイトの身体は……!」
「……良くて五体満足とは行かないだろうな。悪けりゃ粉々かね」
口篭るイリアの言葉を自ら続け、カイトは笑った。それから泣き出しそうな顔のイリアに歩み寄り、その頭を撫で回す。
「ヴェクター、正直に答えてくれ。俺がレーヴァテインでAODを発動して……勝率はどんなもんだ?」
「………………。それで漸く、三割程度かと」
「……そんなにあんのか。じゃあ上出来だろ」
「カイト君、待ってください。ヴェクター、その配役……僕ではいけませんか?」
歩み寄り、前に出たのはエルデだった。意外な提案にその場の全員が驚くが、ヴェクターの対応は冷静だった。
「エルデ君とカイト君、どちらがよりレーヴァとシンクロ出来るかが問題なのです。それにエルデ君はレーヴァでの戦闘経験が皆無ですが、カイト君は百戦錬磨です。それに干渉者との絆も強い」
「…………でしょうね。カイト君、すみません……。僕が、代わって上げられれば良かったのですが……」
「いや、これが適材適所って奴だ……ってかエルデ、お前もしかして俺の事心配してくれてるのか?」
「当然です。僕たちはレーヴァテイン“チーム”……でしょう?」
エルデは表情一つ変えずにそう力強く応えてみせる。カイトはその様子に安心したような気の抜けたような表情を浮かべ、エルデの肩に腕を回した。
「そうだな、俺達はレーヴァテインチームだ! だからきっとリイドもオリカも戻ってくるし、何とかしてみせる……そうだろ?」
「リイド……この大事な時に何やってるのよ、あのバカ……!」
「でも……本当に私達は信じてもいいんでしょうか? リイド先輩を……」
アイリスの言葉は全員の胸の内にある迷いを象徴していた。そう、リイドは仲間を撃って逃げ出したのだ。最近は少しずつ仲間と絆を作っていたように見えたリイドだったが、一同の脳裏にリイドが初めて戦った敵、クレイオスとの一戦が過ぎる。リイド・レンブラムという少年はやはり不安定であり、どのように動くのか予測不能なのだ。実際先の出来事は完全に彼らの予想の範囲からは外れていた。
「……そういえばリイド君、最近何か思いつめたような様子でしたからね」
「東方連合との衝突……まだ割り切れてなかったみたいでしたし」
「最近はまともになってきたと思ってたけど……でも、思えばあたしたちリイドに何もかも押し付けすぎてたのかもしれないわね。嫌気が差しても、仕方ないかも……」
「おいおい、何だよみんな! リイドは絶対戻ってくるし、処分もさせない! 俺達があいつを信じてやらないで誰が信じるんだよ!?」
カイトがあえて声を張って激を飛ばしてみるが、仲間達の様子は芳しくない。頷いてくれたのはかろうじてエルデだけである。それは最早パイロットだけの問題ではなく、オペレータを初めとしたスタッフにも広がりつつある不信を象徴しているかのようだった。
当然だが、カイトも“信じたい”とは思うが信じられる確実な根拠があるわけではない。それ以上何も言えず、黙り込んでしまうと空気は重苦しく全員の肩に圧し掛かった。そんな時である。ずっと黙っていたエアリオが手を上げたのは――。
「――わたしがリイドを連れ戻してくる」
エルデに引き続き、自主性のなさそうな人間が言い出した言葉に誰もが驚いた。これには流石にヴェクターも目を丸くする始末であった。エアリオは皆の前に立つと、真っ直ぐな目で続けた。
「リイドがあんな事をしたのは……わたしの所為。わたしがリイドを信じてあげられなかったから……。わたしがもっと、リイドと分かり合えていたら……あんな事にはならなかった。だから、わたしが行く。わたしが行かなきゃ、意味が無いから」
別れ際、彼はどんな顔をしていただろうか――。哀しく心を閉ざした彼が語った、本当の気持ち。それはエアリオの胸に鋭く突き刺さったまま、今もじんわりと温い痛みを放ち続けている。伸ばしかけた手を一度は引いてしまった。だが今度こそ――触れてみせる。
近づく事を恐れていた。理解しあう事を恐れていた。本当はいつも怖くて臆病で、何もかもを遠ざけ続けていた。本当の事はいつだって残酷で切なくて、目を逸らしたくなる。もしそれを知らずにいられるなら……永遠に。そう望んでしまった。逃げ出してしまった。偽りの日常の中に。
「……赦しては貰えないかもしれない。でも、リイドに会いに行く。会って……謝らなきゃいけないから」
目を瞑り、そう語るエアリオに誰も反対する者は居なかった。沈黙の中エアリオに近づいたのはアイリスで、少女は眼鏡越しに優しい眼差しを浮かべている。
「では、私が同行しましょう。ヘイムダルなら移動も早いはずです。それに個人的に先輩の行動の真実に興味もありますから」
「……アイリス、いいのか?」
「必ずノアとの戦いに間に合せて見せます。だから……行かせて下さい、ヴェクター」
「しかし、貴重なカスタムヘイムダルを戦線から外すというのは……」
「俺からも頼む! ヴェクター、行かせてやってくれ!」
声を遮り、カイトが叫んだ。それに続きエルデとイリアも前に出る。
「僕からもお願いします、副司令」
「アイリスが抜けた分はあたしが埋めてみせるわ! あたしとカイトのタッグは……最強なんだから」
「……みんな」
エアリオを守るように前に出る仲間達。その様子に呆れたように深く溜息を漏らし、ヴェクターはヒラヒラと手を振った。
「判りました。そこまで言うなら許可しましょう。但し可能な限り作戦に間に合せてくださいね」
「ヴェクター……ありがとう」
「それは構わないのですが、リイド君がどこにいるのかわからないのではないですか? 場所がわからないのではいくらヘイムダルでも……」
「それなら大丈夫」
エアリオは首を横に振り言葉を遮る。それから金色の瞳の奥、僅かに悲しみを湛えて微笑んだ。
「――どこにいるかなら、もうわかってるから」
ノアは確実にヴァルハラへと迫りつつあった。かつてない危機はもう、目と鼻の先にまで近づいている――。
祈り、剣に映す時(3)
「夜空が凄く綺麗だね~! 月も星も、手が届きそうなくらいだよ!」
ヘイムダルの爪先に座ったオリカはそんな事を言いながら空に手を伸ばしていた。随分と楽しそうに見えるが、こっちはそんな気分じゃない。既にとっぷりと日は暮れ、オリカの言う通り頭上には瞬く星空が広がっている。今日は良く晴れていて、降り注ぐ光は容赦ないくらいだ。
結局ボクが気にしている事はとても些細な事で、こうして冷静に考えてみると自分の行動の馬鹿馬鹿しさに笑えてくる程だ。それくらい、多分ボクはあの場所が気に入っていたのだと思う。何を信じればいいのか、何を守ればいいのか……それは今でも判らない。レーヴァに乗れば人を殺すし、レーヴァがあったって守れない物は沢山ある。ボクは多分、そんな自分に自信がないんだろう。
「ねえねえ、リイド君? リイド君は覚えてないかなあ……。ずっとずっと昔、君と私が出会ったばかりの頃の話」
「…………え? オリカって昔のボクと知り合いだったの?」
「……うん。リイド君が記憶を失ってる事は知ってたからあえて言わなかったんだけどね。私はリイド君の過去を知ってる。三年前の事件の事も……。でもね、そういうのを知ってる上でリイド君と一緒に居たいと思ってる。それが、オリカちゃんにとっては全てなんだ」
空を見上げたままオリカはヘイムダルの爪先から飛び降り、草原の上に立った。そうして懐かしそうに――寂しそうに。過去に想いを馳せながら語り続ける。
「リイド君、自分を信じられない? 仲間を信じられない? それはしょうがない事だと思うよ。でもねリイド君……そうじゃないんだよ。信じられるかどうかじゃないの。それはね、“信じたいかどうか”なんだよ」
「信じたいか……どうか?」
オリカは振り返り頷くと、ボクに手を伸ばした。ボクはそれに続いてヘイムダルから降りるとオリカの手を取ってみる。彼女はまるで月明かりのようだった。闇の中でしか輝けない……優しい光。ボクの手を握り締め、彼女は続ける。
「リイド君の過去は奪われてしまった。それは、過去の君は死んでしまったのと同じだよね。自分を殺されたから、君は怒った……そうでしょ? でも……ね、リイド君。それはもう、過ぎてしまった事なんだよ」
過ぎた時は戻らない――オリカはそう続けた。過去というものは常に流れて消えていく。そこには迷いや後悔がいくつも積み重なっているだろう。だがそれを取り戻す事もやり直す事も赦されないのだ。あるのは今と、そして未来だけ……。過ぎ去った物に拘った所で、これからが何か良くなるわけではない。彼女はそう語った。
「私もね、忘れたい……無かった事にしたい過去がたくさん、とってもたくさんあるよ。それを許す事も、受け入れる事も出来ないと思う。でも、それに囚われて前に進めなくなってしまったら、それはただ損だと思うんだ」
「…………ボクはオリカみたいには割り切れないよ。皆がボクを騙して、皆がレーヴァテインに乗るように仕向けて……。ボクは、レーヴァテインに乗りたくない」
「リイド君の言うとおり、皆が君を騙して、皆が戦わせようとしていたのかもしれない。けど、“そうじゃないかもしれない”……。リイド君、君はこの戦いの中でずっとずっと一人で一生懸命考えて、抱えて、頑張ってきたよね? その中で君が得た物……君が見つけた気持ち。それまで全部誰かの仕組んだ事だって言うの?」
「…………それは」
「君は自分で考え、自分で経験し、自分でここまで歩いてきた――。その結果が逃避だというのなら、オリカちゃんは君にずっとずっとついていって、君をずっとずっと守ってあげる。けどねリイド君……。今リイド君は、せっかく自分が築き上げてきた物さえも全て壊そうとしてる。それが君の幸せだなんて、私にはどうしても思えないんだよ」
ボクの両肩を掴み、オリカは顔を近づけてきた。その表情は真剣そのものであり、思わず視線を逸らしてしまう――が、オリカはその逃げた視線の先に回りこんでくる。それを何度か繰り返すと、オリカはついにボクの顔を両手でがっしりと固定してきた。
「過去は過ぎ去ってしまった事だよ。そして変える事は出来ない。君が変えられるのは未来だけ……。そして君は未来を変える力を持ってる。君が歩いてきたその変えられない過去が、今の君を支えてる。リイド君、本当は信じたいんだよね? 本当は守りたいんだよね? その自分の一番奥にある、一番純粋な衝動から逃げ出しちゃ駄目だよ」
「そ、そんな事言われたって……! もう、ボクには帰る場所なんかないんだ! 皆の事だって、信じられないよ!」
「なら信じられるように話を聞こう? 戻れるように、皆に説明しようよ。傷つく事を怖がって、前に進む努力を怠っちゃ駄目。リイド君……君の生きる道を誰かに決められるっていう事は、君が諦める事と同じなんだよ。自分で歩く道を自分で決めるなら、君は努力を怠っちゃいけない」
ぱっと手を離し、オリカは哀しげにボクを見つめた。それからボクの手を取り、両手で包み込むように握り締める。
「それで……それで君が傷ついて。君の居場所が、どこにもなくって。もう、誰も信じられなくて……。そうなったら、私が君を一生かけて癒してみせる。君を守ってみせる。だから……もう一度だけ頑張って見ようよ。ねっ?」
「オリカ……。どうして、そんな風に言えるんだよ……? ボクはお前の事だって信じてないんだぞ?」
「なら信じてもらえる為に何だってするよ。“信頼”って、そういう事でしょ? 私は君の信頼を勝ち取る為なら――この世界全てを犠牲にしたって構わない」
歯が浮くような、しかしまるで冗談には聞こえないセリフを言いきってオリカは月を背に微笑みかけてくる。なんというか……こいつはもう、本当に。信じるとか信じないとかそういう問題じゃなくて……ただただ単純に、“すごい”としか言えない。
ボクとは大違いだ。自分の過去も現在も未来も全部ひっくるめて割り切って、その上で彼女は自分自身を受け入れ続けている。ブレまくってるボクとは大違いだ。オリカは本当に強い……。何もかもが、強いんだ。
「なあ、オリカ……」
「うん?」
「ボクは……臆病なのかな」
何となく口にした言葉。オリカは少し意外そうに目を丸くし、それから猫のように口元を緩めて言った。
「その気持ちと向き合う事が出来るのは、勇気がある人だけだと思うにゃあ」
凄い奴なのか凄くない奴なのか……。全く呆れた馬鹿女である。でも……多分、彼女に過去の事を聞こうと思わないのは。ボクが心のどこかで彼女の事を信じていて、そしてそれは彼女の聞いて知ったのでは意味が無いのだと、そう理解しているからなのだろう。
「なあオリカ、あんたは――」
そう口にしたその時だった。背後から駆け寄ってくる足音に振り返ると、シドが手を振りながらこっちに向かってきているのが見えた。
「リイド! おっぱいのねーちゃん!」
「お、おっぱい……!? オリカちゃん、身体の部位だけで表現されたのは初めてじゃないかな!?」
「そんな事はどうでもいいんだが、どうかしたの?」
「ここに近づいてきている機体があるさ! 反応からして、多分リイドたちが乗ってた機体……ヘイムダルだっけか? それと同じタイプだ!」
「……オリカ!」
「うん、間違いなくジェネシスの追っ手だね。でもおかしいな……。私のヘイムダルは索敵に対してはかなり強力な性能を持ってるから、場所の特定なんて出来ないはずなんだけど」
「兎に角、このままじゃここにジェネシスの機体が来る事になるさ! その前になんとかしないと……!」
追っ手が誰なのかはわからないが、もしもここの住人に配慮が無いような奴だったらパニックが起こる。ルクレツィアとシドに迷惑をかける事は出来ないし、縺れればエクスカリバーが出てくる事になるだろう。あまりモタモタしている余裕はないらしい。
「オリカ、ヘイムダルを借りるぞ!」
「え? リイド君、オリカちゃんのヘイムダルは武器何も積んでないんだよ?」
「何で非武装なんだよ!? お前ノア戦でどうやって戦ってたんだ!? なんか刀みたいなの持ってただろ!?」
「んーとね、あれはちょっと特殊な装置を使わないと駄目で……。めんどくさいからオリカちゃんが行って叩き斬ってくるよ。五分もかからないってば」
「……お前なら余裕でそうすると思ったからボクが行くんだろうが……。くそ、武器なしでやるしかないか……!」
ヘイムダルに乗り込むと、外で何か叫んでいるオリカを無視して機体を起動する。しかしレーヴァテインとは異なり起動する為には様々なプロセスが必要だった。とりあえずシートに腰掛けるとパイロットスーツの背後に神経接続用のケーブルをジョイントし、操縦桿を握り締める。
「レーヴァテインとは大分違うな……。くそ、本当にやれるのか……?」
確かヘイムダルにはアーティフェクタと同じように思考を読み取って動く機能があったはずだ。操縦訓練自体は何度かシミュレータでやった事もあるが……武器も無し、パイロットスーツも無しで一体どこまでやれるか……。
立ち上がり、周囲を眺めてみる。足元でシドが指差していた方向を眺めると、確かにヘイムダルのレーダーに反応があった。オリカが足元で何かじたばたしていたが無視して走り出す。丘の上を下り、一気に砂漠まで跳躍、砂の上を何度かショートジャンプを繰り返して移動していく。
「オリカ、確かこのヘイムダルを飛ばしてたように思ったんだけど……。ヘイムダルに飛行機能なんてないぞ!? なんなんだ、この機体……!?」
何度かのジャンプを終え砂の上に着地する。慣れない所為か少し足元がぐらついたが、動かす分には問題ない。そうして正面に敵を確認し、思わず舌打ちする。
「ヘイムダルカスタム……! あの紅いカラーリングは……アイリスか!?」
紅いヘイムダルはライフルを片手に突っ込んでくる。背中に装備したバックパックブースターを空中で切り離すと砂の上に着地し、そうしてこちらへと銃を向けた。こちらは武装もしてない素人が動かすヘイムダル。向こうはヘイムダル戦の経験があるカスタムタイプ……か。
『……その機体、オリカさんの……! 乗っているのはオリカさんですか!?』
「……どうする……!」
通信は通じているが、こちらからの通信はロックしている。そのロックを解除するスイッチに手をかけ、ボクは迷っていた。オリカとの会話、そしてルクレツィアの言葉が脳裏を過ぎる。どうするべきなのかは判っている。だが、それでもボクは――。