祈り、剣に映る時(1)
「……ねえ、リイド君? そろそろオリカちゃんにも、何があったのか話してくれないかなぁ?」
恐る恐ると言った様子で声をかけるオリカの背後、リイドは俯いたまま返事すらしなかった。
白い砂漠の上を走る漆黒のヘイムダルは闇の中で月明かりを浴び、淡くその身を輝かせている。戦場からは既に遠く、銃声どころか生き物の気配さえも感じられない静寂の中、ヘイムダルは白く変色した針葉樹林の中で肩膝を着いた。
ノアとの戦い、そしてリイドの逃亡――。オリカとて、こんな事をして何か状況が好転するなどとは考えていない。だが現実問題今のリイドは苦しそうであり、思い悩んでいる……それが目の前にある事実なのだ。後の事がどうなるかなどオリカにしてみればどうでも良いのだ。ただ、今は彼の事が心配だった。
ヘイムダルのコックピットは複座ではない。よってリイドはオリカの座るシートの後ろにある僅かなスペースで膝を抱えていた。シートに固定され、神経接続されているパイロットならば兎も角、激しく動き回るヘイムダルの中でリイドが何の影響も受けていない事は驚きだった。しかし、考え直してみればそれもそのはずである。ただ、少女は振り返って少年を見やった。
後ろ向きにシートの上に両膝を着き、オリカはリイドをの様子を覗き込んでいた。少年は相変わらず何の反応も示さず、何の言葉も返さない。少女は少しの間思案した後、コックピット上部から下がり背中に接続された神経ケーブルをそのままにリイドの傍まで移動し、その頭を撫でて見せた。
「リイド君、オリカちゃんの事は……信じられないかな?」
「…………それは」
「信じてなんて、そんな自分勝手な事は言えないよね。何でも話してなんて……そんな、身勝手な事……。でも、知りたいよリイド君。君が何に苦しんでいるのか……。わからなくちゃ、君を助けられない。助けたいんだよ、リイド君を」
言い聞かせるように、オリカはゆっくりと丁寧に言葉を口にした。それが功を奏したのか、リイドはやがてゆっくりと顔を上げる。すっかり生気を失ったその頬に手を伸ばし、オリカは優しくにっこりと微笑んだ。スーツ越しに伝わってくるオリカの体温に自らの手を重ね、少年は目を瞑る。
「オリカは……ボクを責めないのか? ボクは……スヴィアを撃ったんだぞ。仲間を見捨てて逃げ出したんだぞ……」
「そんなの全然関係ないよ。私は君を信じてる。君を守り続ける――ただそれだけ。それ以外の事なんて、実に瑣末な事だよ。オリカちゃんは、リイド君の味方だから……。だから、話して欲しいな?」
オリカの瞳はある意味において狂気的であった。妄信に取り付かれたその眼差しはどこまでも優しく、愛情と呼ばれる心に満ち溢れている。何もかもを包み込み、赦すようなその瞳にリイドは少しずつ何があったのかを語り始めていた。
あの戦闘中に起きた一部始終を話しながら、リイドはまるで別の事を考えていた。オリカはいつでも必死で真っ直ぐで、いつだって自分の味方で居てくれる。それがおかしな話だと思いながらもそれを信じようとしている自分がいた。不思議な事に少年は理解出来なかったのだが、オリカのその愛情の形に良く似た物をどこかで経験したような気がして、それが彼の心の氷河を溶かしていたのだ。
何もかもを吐露するかのように一気にまくしたてながら、少年はその理解不能な懐かしさの中で涙を流していた。彼がオリカ・スティングレイから感じていた言葉に出来ない絶対の愛、それを比喩する言葉を彼が知るはずはない。そう、それはまるで――母親が子にそうするように。理屈ではなく、深く深く、染み渡り包み込むような愛情……。少年が知るはずはない、だがそれを知る物ならば心を赦さずには居られない暖かさ。オリカ・スティングレイは、良くも悪くも限りなく純粋で本能的だったのだ。
リイドの言葉に一つ一つ頷き、相槌を打ってオリカは丁寧に丁寧に、一字一句聞き漏らさないようにと耳を傾けた。少年が全てを語り終えるとオリカは何度も何度も頷き、その身体を強く抱きしめた。
「ありがとう、話してくれて……。辛かったね。怖かったね……。もう大丈夫だよ。絶対にリイド君をあいつらの思い通りにはさせないから。ごめんね、私の判断が甘かった。一秒だって君の傍から離れるべきじゃなかった――」
「……オリカは、知ってるの? あの……“第七天輪”って連中の事……。ボクに命令した奴の事……」
「命令したのについてはわからないけど、連中については嫌って程知ってるよ。まあ、だからこそ――君にそんな命令をした馬鹿のことがわからないんだけど」
身体を離し、オリカは強い眼差しで外に広がる世界を眺めていた。離れてしまうと良くわかるが、オリカの身体はとても柔らかく暖かかった。ぴったりと身体のラインにくっつくようなヘイムダルのパイロットスーツは酷く素肌を意識させ、今になってリイドは何ともいえない気分になる。
「とりあえず、ゴハンを食べながら考えよっか。これからどうするのとか……って、リイド君どうしたの? お顔が真っ赤だけど」
「いや、なんでもない……。ただ……オリカって、柔らかいんだなと思って……」
暫くきょとんと目を丸くしたオリカはまるで猫のように口元をにんまりと緩ませると、その場で小刻みにジャンプしてたわわな胸を派手に揺らして見せた。それを見たリイドは逆に冷静になってしまい、無言でオリカの頭を引っぱたくのであった――。
食事と言ってもあるのはヘイムダルに詰まれていた緊急キットに付属されていた一人分の保存食のみである。一応約一週間分はあったのだが、二人にすれば大体三日分程しか詰まれて居ない。それでも遠慮願いたくなる程の淡白な味わいの乾パンのようなものを齧りながら二人は向かい合って暗闇の中でただもそもそと食事を続けていた。頭の上にたんこぶを作ったオリカはそれを片手ですりすりしながら涙目でリイドをちらほらと見つめている。
「まずいな……」
「そうだねー。でもまあ、生きるためだからしょうがないって。帰ったら好きなだけリイド君が食べたい物、いーっぱいオリカちゃんが作ってあげるからさ」
「ボクはもう、ヴァルハラには戻らないって言っただろ」
その口調はやや強めだった。そうしてそっぽを向いてしまったリイドの背中を眺め、オリカは頬をぽりぽりとかいて苦笑を浮かべる。どちらにせよ、ヘイムダルにも活動限界はある。そしてヘイムダルはジェネシスの機体であり、そのテクノロジーは外部に流出しているとは言えまだまだ特殊な精密機器の塊である事実が消えたわけではない。故にヴァルハラ以外での整備や補給は不可能であり、この旅がどう足掻いた所で長くはならないことを意味していた。
「リイド君、このあたりは全てもうフォゾンに侵されて世界の侵食が始まってる。神は地球のフォゾンを食らい尽くし“浄化”して、そこに新たに別のフォゾンを置いていく。それがこの世界を侵食して――白い闇に染め上げていくんだ」
リイドとて戦闘は何度も経験しているのだから言われずともわかっていたが、改めてこうしてヘイムダルで地上を移動してみてわかることがある。果てしなく続く砂漠、白色化した世界、生き物の存在しない世界――。虫も、鳥も、獣も魚も、この世界では生きられないのだ。無論それは人間も同じ事である。原初の濃密なフォゾンの中に身を置いては、直ぐに人の身体は異常を訴え始める事だろう。こんなにも世界は広いのに、今の二人にとって生きることを約束されているのはこの狭いコックピットの中だけであった。
「私のヘイムダルは特殊な機関を詰んでるから、エネルギー切れは殆ど心配はないの。でもその機関自体の調整や整備が凄く繊細だから、どちらにせよ長くは持たないと思う。リイド君がこれからどうしたいのかはわからないけど、決断は早めにしなければならないよ」
「……わかってるさ」
「――――なら、いいんだよ。さあ、今日はもう遅いし寝た方がいいよ。明日になったら、行く先を考えよう。時間はまだ少しだけ、残されてるからね」
こうして二人は交互に眠り、周囲を警戒しながら夜を過ごす事を決めた。しかし結局リイドは眠ったまま目覚めず、そしてそれを起こさなかったオリカは少年の寝顔を優しく見守りながら一人朝まで警戒を続けながら過ごす事になるのであった。
『ソルトア・リヴォーク……。貴様、随分と勝手な真似をしてくれたものだな』
暗闇の中、男はルービックキューブを回しながら微笑を浮かべていた。“第七天輪”と呼ばれるジェネシスの上位組織、その会合の場所であるその一室に彼が立ち入るようになってから何年が経過しただろうか? 男は今、確かに自分の目的に近づきつつある事を確信し始めていた。
それはとても長い、気の遠くなるような計画であった。ただのフォゾン力学の研究者でしかなかった自分が今やこの世界を牛耳る影の組織に認められた存在となっている――。その事実は彼にこの上ない興奮と満足感を与え、そしてその神を気取った組織の中で計画にはない事を自分なりに付け足していく事は彼にとってとても有意義な事であった。
『ガルヴァテインの撃墜により、忌々しいあの男は倒れた……それは良い。だがあの男はこの世界の抑止力であり守護者でもあったのだ。世界の均衡が完全に崩れ、秩序と呼ばれたものが塵以下に還る』
『タイミングが問題なのだ、リヴォーク。あの男……スヴィア・レンブラムには、この世界を守らせつつ、用が無くなったら殺さねばならなかった。これでは全ての計画を前倒しにせざるを得ない』
「ですから、計画を前倒しすれば良いではないですか。我々にとってのタイムリミット……それは現状、異世界より来訪する“究極神”のみです。ですからそれに鉢合わせする前に全てを終わらせれば良いのですよ」
『…………それはただの賭けでしかない。仮にあの異邦神が現れたとしても、スヴィア・レンブラムならば或いは対応出来たやもしれぬというのに』
『サマエルの告げた刻限まで、残り僅か……。我々はまだユグドラシルを開く鍵さえも手に入れていないのだぞ?』
「扉を開く事が出来るのは、何もアダムとイヴだけではありませんよ。秘密裏に製造していた例の装置がそろそろ完成しそうですから」
『リアライズ、か……』
「これも皆さんが予算をこちらに大きく割いてくれたお陰ですよ。本当に心から感謝していますよ、ふふふ」
『確かに、リアライズさえ完成すればある程度は……。しかし、ユグドラシルゲートの固着化はどうするのだ……? あれを解き放つ鍵はまだ覚醒していない』
「ですから、これから覚醒させれば良いのです。リアライズに接続すれば、扉を開ける資質を持つ人間がジェネシスには二名居ます。そのどちらかを鍵としてユグドラシルゲートを展開、その後皆さんはどこでも好きな場所へ移民していただけば良いだけの事です」
『…………そんな事が本当に可能なのか……? “鍵”と“リアライズ”、この二つを同時に両立する事が出来ず我々はこれまで苦労を重ねてきたというのに……』
「本来ならば不可能ですよ。ですが、今回は“サマエル”の協力がありますからね。サマエルは実際、予備の鍵が異世界へと移動したのを確認しているそうです」
『なんと……。それは別の可能性世界では、という事か……』
「ええ、なんでも今から二年後くらいにリアライズが完成したそうですのでそれまで引き伸ばしたようですが……。ですが、そのアドバイスを既に何年も前にされていますからね、リアライズは直に完成します」
『…………ついに、叶うというのか……? 永遠なる、人の理想なる世界が……』
ざわめく“第七天輪”に囲まれ、男は静かに口元に笑みを浮かべた。そう、その計画は途方も無く、まるで夢物語のような儚さでしかし確かにこの世界に存在し続けている。
会合が行われる会議室の外、一体どこから侵入したのか盗聴器を耳に立つエルデの姿があった。少年は静かに目を細め、懐から取り出したメモに何かを書き記していく。
「……リアライズと、模造された鍵、か――」
少年は素早く撤収し、何の痕跡も残さずに姿を消した。リイド・レンブラムの行ったほんの僅かな“ズレ”は今、この世界全ての運命を狂わせようと動き始めていた――。
祈り、剣に映る時(1)
まるで世界が変わってしまったようだと、エアリオ・ウイリオは一人きりの朝を迎えながら心の中で呟いた――。
ノアとの戦い、そしてリイドが居なくなってから一夜が明けた。結局レーヴァテインは輸送部隊によって回収され、エアリオも無事にヴァルハラへと戻った。だが――それだけである。まだ何一つ解決はしていなかったし、これから解決するかどうか何の保障もないのだ。
あれから仲間たちとは一度も口を利いては居なかった。それぞれどんな風に言葉を交わせばいいのかわからなかったのだろう。誰もが今目の前にある事実をどのようにして受け入れるべきか迷っていた。そして誰もが恐らく知っていたのだ。この認めたくない現実は、どうしたって認めなければならない時が直ぐにやってくるのだと。
一時的な逃避、結論の先延ばしと言えば正にその通りだろう。だがエアリオはその情けない言葉に何もかもを委ねていた。パジャマ姿のまま家の中を歩き回ってみる。リイドの部屋、オリカの部屋、昨日まで当たり前のように笑顔が溢れていたリビングのテーブル――。今はもう、そこには誰の声もない。広い広い家の中、少女はぽつんと取り残されていた。少し前まではそれが当たり前であったはずなのに、今は何故か胸を抉るように事実が痛みを残していく。
一人で冷凍食品の朝食を口に運びながらエアリオはテレビを眺めていた。当然昨日の戦いがニュースとして取り上げられるような事はない。ジェネシスによって製作された、ジェネシスのための放送が続いている。世界は何もかも、都合よく嘘に塗り替えられている……その象徴のようで、少しだけ少女は憂鬱な気分になった。
あの時何故、少年へ伸ばしかけた手を戻してしまったのだろうか――? 彼は救いを求めていたのだ。嘘だと言って欲しかったのだ。なのにその嘘をエアリオはつけなかった。彼に本当の事を、素直に全て伝えてしまったのだ。嘘をつきたくないと願ったその優しい心が、逆に彼にナイフのように突き刺さる……。人と接する事はとても難しく繊細で、時に残酷なまでに擦れ違っていく。少女はその煩わしさと切なさを改めて痛感する。
エアリオ・ウイリオは同盟軍のスパイ――それは厳密には異なっている。彼女はかつてのパートナーであったスヴィア・レンブラムへと情報をリークし続けてはいたが、基本的にはジェネシスやヴァルハラを大切に思うただの人間なのだ。だからこそ戦ってきたし、だからこそここでリイドと共に過ごしてきた。その日々に嘘や偽りは一つも無かったと断言できる。だが――彼を監視し、そしてその情報をスヴィアに流していたのは紛れも無い事実なのだ。
「……この家、こんなに……広かったんだ」
少女の呟きは静寂に押し殺されてしまったように、どこにも誰にも伝わらなかった。やらなければ成らない事はハッキリしている。だが、迷いや嘆きが一切ないと言えばそれは嘘になってしまう。今は見もしないテレビから流れてくる音声が少しだけありがたかった。
そんな時、唐突に家の中にチャイムが鳴り響いた。ほぼ来客などいるはずもないレンブラム家に何度か鳴り響いたその音にエアリオは気だるそうに玄関へ向かった。その対応が遅かったからなのか、やたらと小刻みにボタンを押しまくっている馬鹿をすりガラス越しに睨み、エアリオは思い切り扉を開け放った。
「ああ、おはようございますエアリオさん……。良かった、起きていてくれて」
「……エルデ?」
扉の向こうに立っていたのはエルデであった。いつも通り、ぴしっとスーツで決めたエルデはそのままニッコリと微笑み、有無を言わさず家の中へとエアリオを押し込んで進入してきた。目を丸くする少女の前、エルデはいつになく真剣な様子で少女へと懐から取り出したデータディスクを手渡した。
「その中に、“リアライズ”と呼ばれる装置に関するデータが入っています。それを貴方がどうするかは……貴方が決めて下さい」
「リアライズ……? なんだ、急に……?」
「……リイド・レンブラムが居なくなり、これからジェネシスは大きく動かざるを得なくなった。恐らく十中八九、これから起こる事は僕ら双方にとって良くない展開になるでしょう。ですがもしかしたら貴方ならその未来を回避出来るかもしれない……僕はそう思ったんです」
要領を得ないエルデの言葉にエアリオは取り残され、すっかりついていけませんという表情を浮かべていた。しかしエルデはいつも通りの笑顔に戻るとエアリオの肩を叩き、それから静かに言葉を繰り返した。
「…………貴方ならきっと、何かを変える事が出来る。僕は貴方の力を信じます」
「……エルデ?」
少年はそのまま背を向け颯爽と立ち去っていく――のだが、扉を開け放った瞬間扉の向こうに立っていたらしい誰かを派手に吹っ飛ばしてしまった。固まるエルデとエアリオの視線の先、庭に倒れていたのはアイリスであった。
吹っ飛ばされた衝撃で眼鏡が吹っ飛んでいたので一瞬イリアかとも思ったのだが、眼鏡を拾い上げて駆け寄ってきた後の行動がイリアよりも暴力的ではなかった為二人とも直ぐに納得した。まるで何かを抗議するかのように上目遣いにエルデを睨み、どうやら打ち付けたらしい鼻を押さえながらアイリスは無言の圧力を放つ。
「…………大丈夫か、アイリス?」
「あまり大丈夫ではありません……。エルデ・ラングレン、もう少し気をつけて扉を開けられないのですか?」
「……すいません。でも、今はかっこよく立ち去るべきかと思ったので……」
「貴方の個人的な趣味趣向に他人を巻き込まないで下さい! しかもそんな事酷くどうでもいいです!」
人差し指をびしりとエルデの顔面に突き出し、アイリスは叫んだ。エルデはそれでもにこにこと柔らかく微笑んでおり全く効果はなさそうなのだが、それも言ってしまえばいつもの事である。
「それより妹さん、エアリオさんに何か用事があったのでは?」
「ああ、そうでしたっ!! エルデも一緒なら丁度良いです、聞いてください。実はリイド先輩の処分について、ジェネシスから命令が下って……」
エアリオとエルデは互いに顔を見合わせる。どうやら二人とも初耳らしい。二人の前で気を取り直し、アイリスはこほんと一度咳払いをしてから顔を上げた。
「……リイド・レンブラムはジェネシスにとって貴重な情報を多数保持しているパイロットであり、その脱走は看過出来るものではないと。様々な観点から彼の行動を判断した結果、レーヴァテインを運用し彼を強制的に連れ戻す事が決まりました。その際――生死は厭わないと」
アイリスは気まずそうに視線を逸らし、溜息を漏らした。ある程度予想はしていた事だが――随分と事が大きくなってしまっている。たかがパイロットの脱走とは思えないし、それにリイドは本当に貴重なレーヴァテインの適合者なのだ。それを殺してもいいなどと、正気の沙汰とは思えない。
「なにやら、僕には納得しかねますが……」
「も、勿論私だってそうですよ!? ですが……リイド先輩はガルヴァテインを……仲間を撃墜したんです。今彼が何をするかわからない以上、この対応が間違いとも言い切れません……」
「違う……リイドは悪くないんだ。悪いのは全部、わたしで……」
「お二人とも、とりあえずは本部へ行きませんか? 詳しい事情を聞かねば成りませんし、もしそれが命令ならば――抗議する必要がありますから」
当たり前のようにそう語るエルデに二人が驚きの視線を向ける。だがそれに逆に驚いたのかエルデも笑顔で小首をかしげていた。
「……エルデ、貴方……もしかしていい人なんですか?」
「良い人も何も、仲間が危険なんですよ? 守るのが友達というものではないのですか?」
「いや……それであってるけど……あってるんだけど、なんだかなあ……」
二人が冷や汗を流し、苦笑する。結局エルデは二人が何を言いたいのかが理解出来ず、終始困ったような表情を浮かべ続けていた――。
夜が明け、やがて日も高く昇った世界を黒きヘイムダルは歩き続けていた。行くあてなど当然無かった。だが、それでも足を止めるわけにはいかなかったのだ。立ち止まっていたら、何か言葉に出来ない沢山の不安に押しつぶされてしまうような気がしていたから。
少年はずっと、ヴァルハラにいる仲間たちの事を考えていた。告げられた信じたくない事実はしかし彼の中で今確実なる事実へと変貌を遂げようとしている。もしもこの世界の全てが偽りによって満ち満ちているというのであれば、それは彼にとってこの上ない地獄そのものだろう。
リイド・レンブラムは言葉に出来ない沢山の想いを抱えたまま、ごちゃごちゃと混乱した思考を引き摺ってただそこから逃げ出そうともがいていた。オリカはヘイムダルを時には跳躍させ、時には走らせて移動を続ける。既に全てが砂に還った世界を移動するという事は敵の勢力下を行軍するに等しく、オリカは周囲の警戒にかなりの神経を使っていた。そうして跳躍したヘイムダルが着地した先、砂漠の向こうに今までとは違う物が見えてきた。
「あれは――剣?」
オリカの不思議な発言にリイドも顔を上げる。二人してメインモニターの向こうに拡大された映像を見やると、そこにはやはり不思議な光景が広がっていた。
砂漠の大地の上に等間隔で突き刺さる、巨大な剣のラインが構成されていたのである。一瞬意味が全くわからず首をかしげる二人であったが、その剣の向こうに陽炎のように揺らめく巨大な人影を認識し、その意味を知る事になる。
吹き荒れる乾いた風の向こう、その巨体は剣を片手にゆっくりとヘイムダルへと近づいてくる。そうして剣のラインの背後で足を止めると、大地に突き刺した剣の上で両手を重ねた。巨人――エクスカリバーは遠巻きにヘイムダルを眺め、これ以上進入する事は赦さないと威圧的な視線を向け続けている。
「なるほど、あれは警報装置みたいなものなんだね。近くにフォゾン反応があれば、直ぐにあのアーティフェクタが飛んでくるって寸法ね」
「……エクスカリバー……。じゃあ、ここはもうヨーロッパ戦線近くなのか?」
「そうみたいだね……っと、向こうから通信が入ってるよ。どうする? 応じる?」
振り返りそう訊ねるオリカ。リイドは少しの間思案し――自らの手で通信機のスイッチを入れた。
『そこの所属不明機、聞こえるか? こちらはアーティフェクタ、エクスカリバーである。貴様は現在我が戦線に肉薄している。無用な争いを避けたくば即刻引き返すが良い』
「この声……ルクレツィアか?」
『……そういう貴様はレンブラムか? レーヴァテインはどうした?』
「……ごめん、少し話を聞いて欲しいんだ! こっちに敵意はない……武装だって解除する! 少しでいいんだ、ボクに話をさせてくれ!」
オリカが頷き、唯一の武装であった二本の刀を砂漠に投げ捨て、両手を必要以上に高々とあげた。そんなヘイムダルの様子を暫くの間眺めた後、エクスカリバーは剣を大地から引き抜き、切っ先に着いた砂を振り払いながら背を向ける。
『何か事情があるようだな……。ついてくると良い。歓迎とまでは行かないが、話しを聞くくらいは構わないだろう』
エクスカリバーから聞こえるその声に頷き、オリカはヘイムダルを走らせる。剣の結界を跳び越したヘイムダルを確認し、まるで導くようにエクスカリバーもまた移動を開始するのであった。