声を、聞かせて(3)
ヴァルハラ唯一の外界との玄関口である空港、通称ポートファイブ。スヴィア・レンブラムは空港を出て直ぐの所にある公衆電話ボックスの中に立っていた。
彼はスヴィア・レンブラムとしてヴァルハラに立ち入ったわけではない。彼の存在はあらゆる組織……特にジェネシスによってマークされている。故に身分を偽り、データハッキングを駆使したIDカードの作成により空港から何とかこの街に潜入を果たしたのである。文字にしてしまえばそれだけの事だが、この行動が彼にとって非常に危険な賭けである事は明らかである。
黒いコート姿のスヴィアは公衆電話の前に立ち、こうして既に十分近く黙り込んでいる。深夜にもなろうものならばこんな場所に在る公衆電話などあえて使う人間もおらず、特に誰の迷惑になっていたわけでもないのだが。
やがて男は覚悟を決めるかのように目を瞑り、そして受話器を手に取った。かける番号は既に暗記して久しく、そしてこの番号にかけるのもやはり久しい。受話器を耳に押し当てながら財布を上着の内ポケットにねじ込み、スヴィアは片目を瞑って応答を待った。
『……はい、レンブラムですけど』
「リイドか。私だ……と言って通じるか?」
『……!? この声……まさか、スヴィア!? どうして電話が通じるんだ!?』
「ヴァルハラまで来ているからに決まっている。今日は少しばかり、お前に話があってな」
電話の向こうでリイドが驚き、そして固唾を呑むのがはっきりと判った。これだけ言えばきっと彼は全てを理解するだろう。ジェネシスを通してではなく、わざわざこの楽園の外に追放された人間が戻って来てこっそりと連絡をつけてくる理由……。二人は直ぐに待ち合わせの約束を交わし、スヴィアは受話器を置いた。
公衆電話ボックスを出ると、男はゆっくりと歩き出した。深夜でも公共交通機関が機能しているヴァルハラだったが、あえてそれを利用する事はしない。全ての交通に住民IDカードを要求されるのでそこから足が着く可能性もあったし、何より久しぶりに歩くヴァルハラの街をもう少しゆっくり眺めておきたかった。
この世界は常に神との戦いに晒されている。今でも同盟軍は戦い続けているだろうし、ガルヴァテインとエンリルはカリフォルニアベースで待っている事だろう。そんな仲間たちの活躍があって初めてここに居られるのだから、当然感謝はしている。のんびり郷土巡りというわけには行かないと言う事も理解している。だが、男はそれでもあえて歩くのだ。
暫くぼんやりと歩き続けていると、正面からリイドが走ってくるのが見えた。ポートファイブまで公共交通機関を使ってやってきたリイドは近場でモノレールを降りて駆けつけたのである。巨大な空港を背景に二人のレンブラムが向かい合う。リイドは肩で息をしながらスヴィアの前に立つと、額の汗を拭って言った。
「わざわざヴァルハラまで来るなんて、どういう事……?」
「……久しぶりだな。まあ、色々と話す事はあるが……単純な事だ、ジェネシスには聞かれたくない話でな。なので、お前の後ろに隠れているスティングレイの後継者にも出来れば秘密にしてもらいたいのだが」
リイドからはある程度距離を置いた場所に在る電柱の影に隠れていたオリカは舌打ちして両目を瞑った。いつバレたのか――。完全に気配は断っていたつもりだし、恐らくリイドも気づいていなかっただろう。少年は慌てて周囲を眺め、首をかしげた。
「何言ってんだよ、オリカには見つからないように出てきたって」
「そうか、ならいい」
いけしゃあしゃあとよく言うものだと思ったが、オリカは黙ってその場で拳銃を取り出して耳を傾ける事にした。リイドにバレないように尾行するなど造作も無い事だ。彼女の尾行は完璧だった。実際、スヴィアも自分の目と耳で確認したわけではなかった。ただ、“オリカ・スティングレイという少女はこんな時必ずリイドの後ろに居る”と確信していただけの事である。
オリカとスヴィアは知らぬ仲ではなかった。それは様々な意味を持っていたが、少なくともオリカはスヴィアの事を信頼していた。目的が違えれば彼とは敵同士になるかもしれないと割り切っては居たが、今の所スヴィアはリイドを傷つけようとしているわけではないらしい。ここは様子見――オリカは手出しをするつもりはなかった。
「トライデントとエクスカリバー……その両パイロットと話したそうだな」
「……その事か。スヴィア、ちょうどボクも知りたかった所なんだ。三年前……レーヴァテインが暴走した事故について」
「それについて話すには色々と前提条件が必要になる。それ以前にリイド、お前はこのままジェネシスに残るつもりか?」
スヴィアの問いかけにリイドは困ったような表情を浮かべる。そう、実際彼はその事でこの一ヶ月間悩み続けてきた。スヴィアがこのタイミングで現れた事も決して偶然ではない。要するに、答えの催促にやってきたのである。
一ヶ月前、エクスカリバー保護作戦――。リイドはそこでトライデントとエクスカリバー、両方のパイロットと言葉を交わした。エクスカリバーにはエクスカリバーの戦う理由が、トライデントにはトライデントの理由があった。ジェネシスがその存続のためにこれまで沢山の物を犠牲にしてきた事も知っている。そして、全てが繋がる“三年前の事件”――。
スヴィアがジェネシスを抜けた理由は、ジェネシスに居ては世界を救えないからだと言っていた事を思い出す。彼はジェネシスという組織を抜け、自分なりに考えた結果同盟軍に所属したのだ。その過程でリイドを置き去りにして……。スヴィアの考えを全て理解出来たとは思わない。だが理解しようとして心が揺れているのも事実である。
「ヴァルハラには守りたい人達が居るんだ。ジェネシスに正義があるとは言わない。でも、この街を守らない理由にはならない」
「…………そうか。変わったな、リイド。セトから報告は受けていたが……。今のお前なら……。今度のお前なら、また違った世界を私に見せてくれるのかもしれないな」
上着のポケットに手を突っ込んだままスヴィアは優しく微笑む。リイドはその言葉の意味が理解出来ずただ眉を顰めた。するとスヴィアはあっさりと踵を返し、片手を振って去っていく。
「お前はお前なりに答えを導き出せば良い……。お前の真実に到達した時、そこで私はお前を待つ」
「おい、スヴィア……!? ちょ、今来たのにもう帰るつもり!?」
「そうだが?」
「いやいや……。まさか本当にボクとちょっと話をするためだけにここまで不法入国したの……?」
「そうだが?」
リイドが唖然としていると、スヴィアは眉一つ動かさずに振り返り少年を見つめる。暫くの間兄弟は見つめあい、それからスヴィアは改めて歩き出した。リイドはそれを追いかけなかった。ただ、風が吹きぬけるポートファイブへ消えていく兄の背中を見送るだけである。
そんな二人の背後、電柱の影に隠れたオリカは真剣な様子で去っていくスヴィアとリイドとを交互に眺めていた。拳銃を収め、それから額に手を当てる。脂汗を滲ませながら苦悩するオリカ……。その唇から紡がれた言葉は――。
「リイド君のお兄ちゃん、イケメンすぎじゃない……!? てか似すぎじゃない……!? な、なんて可愛い兄弟なんだろう――」
ろくでもない事を考えているオリカとは対照的にリイドは複雑な面持ちのまま帰路に着いた。結局スヴィアは何をしにきたのだろうかと考えながら。しかし、何の事はない。彼にしてみれば、大事な一人の弟が元気にやっているかどうか、自分の目で確かめたかっただけなのだろう。だがこの行いが後に二人にとっての壁として立ちふさがる事になろうとは、どちらも予想すらしていなかった事だ――。
「一番プレート付近に神話級反応を確認! 目標、モニターに出します!」
アーティフェクタ運用本部、ユカリの声が響き渡っていた。メインモニターに映し出されたのは巨大な氷の結晶であった。実際にそれは氷ではなくフォゾンエネルギー結晶体であったが、その神の周囲の熱は急速に奪われ、一番プレートは氷結を開始していた。
一番プレートの防衛用設備が起動し、次々に機銃やミサイルによる攻撃が行われる。しかしそうした攻撃設備も一瞬で凍結させられてしまい、無力化されてしまう。目標の体内には紅い結晶が輝いており、それは結晶の内側をくるくると動き回っている。
「……なんですかねぇ、あれは。まあコアだとは思うんですが……あの結晶の内側は液体なんでしょうか?」
「形状が固定されてねえんだろ。液体、気体、固体……全てに自在に変化可能と見るべきだな」
「成る程成る程……。聞きましたか、アイリスさん? 目標を現時点を持って第二神話級“アハティ”と命名。これよりヘイムダルによる迎撃作戦を展開します」
カタパルトエレベータ、そこに並ぶ二機のヘイムダルの姿があった。蒼いカラーリングのものにはカイトが、紅いカラーリングのものにはアイリスが搭乗している。背後にはレーヴァテインに乗り込んだリイドも待機しているが、今回はヘイムダルの実戦運用テストの為あくまで待機止まりと成っていた。
レーヴァテインのコックピットにはリイドとエアリオが待機しており、二人とも退屈そうな面持ちである。リイドにしてみればアイリスだけに任せるというのは不安だったのだが、今回はどうしてもと本人が言い張るので譲る事にしたのだ。勿論何かあれば即座に出撃し敵を瞬殺するつもりではいたが――今回はカイトも同伴するので、実際のところはそれほど心配もしていなかった。
「第二神話級か……。エアリオ、倒せると思う?」
「第二神話級まで来ると、通常の兵装の効果は薄いと思う。それに第二、第一神話級の場合その形状も一定ではないし、特殊能力を備えているケースが多い。甘く見るのは危険」
「だよね……。まあいいけど、しかしあんなヘイムダルいつの間に用意したんだか」
カタパルトエレベータで出撃待機しているアイリスのヘイムダルは通常のヘイムダルとは異なるデザインを施された専用機である。通称レッドフロイラインと呼ばれたその紅いカスタム機はアイリス専用に調整が進められ、現段階で既に完全に完成しているのだ。それは以前からアイリス用のヘイムダルを作成する計画があったという事を意味しており、リイドにはそのあたりが腑に落ちなかった。
「アイリスさん、出撃準備は宜しいですか?」
「は、はい……っ! こちらアイリス・アークライト、“レッドフロイライン”……いつでもいけます!」
「ウッフッフ! 緊張しちゃって……可愛いですねえ。カイト君、援護はお任せしましたよ」
「了解っと……! アイリス、俺から先に出撃する。露払いは任せとけ!」
「は、はい!」
「そんなに緊張すんなって。大丈夫、上手く行くさ! その為に特訓してきたんだろ?」
通信機越しに聞こえるカイトの声にアイリスは頷き、ぎゅっと操縦桿を握り締めた。側面をみやるとメインモニターの脇に切り取られたサブカメラの映像にレーヴァテインの姿が映っている。リイド・レンブラムが待機しているというのは彼女としては不満だったが、実力を見せ付けるチャンスでもあるのだ。
本部からカタパルトエレベータの使用許可が下り、まずカイトの蒼いヘイムダルが射出される。続けて戻ってきたエレベータの上に脚部を固定し、紅いヘイムダルは片膝をついて射出の衝撃に備えた。
「アイリス、無理しないでやばそうだったら助けてっていいなよ? 君が怪我したら君の姉さんにどやされるのは何故かボクとカイトなんだからさ……」
「ご心配には及びません、先輩。そこで黙ってみていてください。この街を守っているのがレーヴァテインだけだと思ったら大間違いだという事を証明してあげましょう」
何故か自信たっぷりにそう言い放つアイリス。だが実際は不安で仕方が無い心を奮い立たせる為の空元気でしかなかった。紅いヘイムダルが射出される様子を眺め、リイドは数十分前、二人の出撃に猛反対して騒ぎまくっていたイリアの事を思い返していた。
アイリスが出撃すると知った時イリアはまず自分がレーヴァテインで出るといって聞かなかったし、とりあえずカイトの事を蹴り飛ばしていた。これまでアイリスの特訓に秘密で付き合っていた言葉露呈してしまったのが理由である。ボッコボコにされたカイトはよろよろしながら立ち上がりイリアを説得……。これにより、何とか二人の出撃が許可されたのである。
しかしそんな興奮状態のイリアをレーヴァテインに乗せたらどうなるかわからないということで、とりあえずその場に居合わせたエアリオがリイドの干渉者として待機する事になったのだ。マルドゥークは装甲も形成しないまま、ゆるゆるした様子で格納庫に固定されている。リイドは胃がきりきりするのを感じつつ、エアリオに振り返った。
「なあエアリオ……相手は第二神話級だぞ? パンテオンズ相手に通常機動兵器が役に立つのかなぁ……」
「うーん? 一対一は難しいと思うけど……でも、数が多ければ大丈夫じゃ?」
「楽観的でいいよな、お前は……。もしこれでアイリスの身に何かあってみろ……。イリアに何をされるか……ううっ」
二機の出撃に続き、格納庫内を移動するマステマの姿があった。マステマに乗り込んだエルデはカタパルトエレベータに固定し、通信を開く。
「では、リイド君とカイト君の為にも彼女を援護してきましょう……」
「頼むよエルデ……。カイトはいいけど、アイリスだけは何とか守ってやってくれ」
「……カイトはいいんだ」
「カイトはいいよ」
「わかりました、カイト君は放置します。エルデ・ラングレン……マステマ、出撃します」
カタパルトエレベータが再度打ち上げられる。それを見送り、リイドは深々と溜息を漏らした。その頃一番プレートでは既にアイリスとカイトによる戦闘が開始されており、浮遊するアハティを見上げながら二機はそれぞれ武装を手に取った。
「さて、いっちょ攻めてみますかね……! アイリス、突撃は俺がやる! お前は援護を頼む!」
「援護ですか……。少々不服ですが……」
「お前の機体は突撃装備じゃないだろ!? さーて、ヘイムダルの実力を見せてもらおうかね!!」
蒼いヘイムダルの瞳が輝き、アサルトライフルから一斉に弾丸が射出される。しかしそれはアハティの身体にさえ到達する事はない。その身体の周囲を渦巻くフォゾン粒子の光が物理攻撃を遮断してしまうのである。
「やっぱこの距離じゃきかねえか……! アイリス、先に行くぞ!」
アサルトライフルの側面に展開されたレバーを引くと、銃身がせり上がり新たな銃口がむき出しになる。それを両手で構え、カイトはヘイムダルで凍てついたプレートの上を走り出した。アハティは蒼い可視の風を放出し、ヘイムダルを氷結させようとしてくる。だがカイトはその風ごとアハティ目掛けライフルを三発連射した。
放たれたのはアサルトライフルの銃弾ではなく、“バリアブレイカー”と呼ばれる特殊弾頭である。カイトのヘイムダルが所持しているアサルトライフルには神話級の結界を貫通する為の装備が充実しており、バリアブレイカーはその一つだ。きらきらと輝くその弾頭は銀色の刃で、光の結界へと衝撃と共に突き刺さる。三点連続で打ち込まれたバリアブレイカーは結界を一時的に貫通し、カイトが放ったアサルトライフルは結晶の肉体へとダメージを与える事に成功する。
「よし、貫けるぞ!! このくらいの結界なら……どわっ!?」
一気に吹き込んできた風がカイトのヘイムダルの足場を爪先ごと凍結させてしまう。身動きが取れなくなったヘイムダルへとアハティの肉体が液体化し、流水となって迫る。空中で結晶から液体へと変化したアハティはその身体を細く素早く放った。レーザーと同義になったその光の肉体を前にカイトは慌てて前方へ機体を屈ませる。背後では一番プレートの大地が切りつけられ、爆発が起こっていた。
「大丈夫ですか、カイト君? あまり無理はしないでくださいね」
「エルデか!?」
マステマはヘイムダルを掴み、強引に氷を砕いてヘイムダルを引っ張り出した。そんな二機の前、再び結晶化したアハティが迫る。マステマはビームショットガンを放つが、そのフォゾンビームの弾道は結晶の表面で反射されてしまう。
「……ビームは駄目そうですね」
「――――それはマステマのビームショットガンの出力が弱すぎるだけです」
二機の後方、氷結した管制塔の上に陣取ったアイリスは巨大なビームライフルを構えていた。エルデとカイトが離れると同時に放たれた紅い閃光は空を瞬かせアハティの結晶の身体を射抜いた。高熱で蒸発するその結晶の中でコアがぐるぐると逃げ回るのが見える。
カイトはバリアブレイカーを連続で射出し、結界を再び無力化する。そのままコアを狙ってアサルトライフルを連続で放つが、内部を高速移動するコアを中々射抜く事が出来ない。アサルトライフルの残弾が無くなり冷や汗を流すカイト……。その頭上、大きな影が過ぎっていった。
見ればそれは変形したマステマが腕だけを人型に展開し、レッドフロイラインを掴んで飛行している姿であった。アイリスは頭上からアハティに照準を合わせ、ビームライフル“ギャラルホルン”の出力をマックスに設定する。
「まとめて蒸発させればいいだけの話です! カイト、そこを離れてください!!」
「言うのがおせぇええっ!? てかエルデ!! そういうことなら最初から言ってくれよ!!」
「…………いえ、あの……。すいません……。カイト君の事は守らなくて良いと、リイド君が……」
青白い表情を浮かべるカイト。直後、空で光が瞬き紅い閃光が一気に降り注いだ。真上から全身を貫いた極太の閃光にアハティはぐつぐつと煮えたぎり蒸発――。やがてその光の中でコアも破壊され飛び散って言った。遅れて氷結した第一プレートが爆発し、カイトの足場が斜めに崩れていく。
「どわーっ!? やりすぎだ、馬鹿っ!!!!」
叫ぶカイトの頭上、マステマに運ばれてアイリスはそのまま帰っていく。ぽかんとした様子でそれを見送り、蒼いヘイムダルは傾いたプレートの上を全力で走り始めた。その映像を眺めながらリイドは目尻に涙を浮かべ震えていた。
「カイト……生きろ……」
「元はといえばリイドのせいだけどな」
「ボクのせいなの!?」
こうして第二神話級アハティの撃退に成功――。しかも、“レーヴァテイン抜きで”、である。これはジェネシスとしては快挙であり、新たな戦力が配備されたという立派なデモンストレーションとなったのであった。
声を、聞かせて(3)
「アイリス~!! よかったわ、怪我が無くて!! お姉ちゃんは……っ! お姉ちゃんはぁああああっ!!」
「ね、姉さん……みんな見ていますよ……? ちょっと……あんまりひっつかないでください……」
妹を抱きしめ、ほっぺたをこすりつける姉。そしてその姉から逃れようと必死でそれを押し返す妹……。戦闘後、アークライト姉妹は当たり前のように仲睦まじくくっついていたが、その傍らにはドリンクを飲みながらげっそりした様子のカイトの姿があった。
対アハティ戦闘終了後、ボクたちは訓練室の一角に集まっていた。そこはボクが普段から訓練に使っていたり、部屋の脇には休憩スペースがあって快適だったりという理由で溜まり場になる事が多い場所だ。今回は初のヘイムダル出撃という事もあり、その余熱は未だ冷めずといった所だろうか。
しかし、あの姉妹はよくひっついてるなあ……と思う。なんというか、大体くっついてるのはイリアのほうでアイリスは迷惑そうなんだけど……。よっぽど妹のことが好きなんだろうなあ。こういうのシスコンっていうんだよね、カイト。
「しかし、良かったですね……全員殆ど無傷で。日ごろの訓練の成果が出たというか……」
「エルデ……! てめー良くも俺だけ助けず放置して帰還しやがったなあ!? あのまま海まで落っこちてたらどうする気だったんだよ!? 死んでたよ俺!?」
「いえ、カイト君ならきっとなんとかすると思っていましたから」
「そういう問題じゃねえだろなんとかならなかったらどうするだよ見殺しにすんなよ仲間だろ!?」
エルデの胸倉を掴み上げるカイトだったが、エルデは相変わらず朗らかに微笑んでいる。なんか……エルデも大分皆に馴染んできたなあ、と思う。夜の出撃という事もあり、特に何もしなかったエアリオは眠たげに机に突っ伏している。その頭をポンと撫で、声をかけた。
「結局、ボクたちの出る幕じゃなかったみたいだね」
「……でも、良いこと。レーヴァテインとリイドにだけ頼りすぎるのは負担が大きすぎる」
「ボクはそうは思わないけどなあ。正義のヒーローみたいでカッコイイじゃないか」
「…………。リイドってたまにとても頭の悪そうな事を言うのね」
お前にだけは言われたくねえと思ったが、まあ確かに子供っぽい理由か。そもそも何でボクは最初レーヴァテインに乗ろうと思ったのやら……。恐らくその最初の理由と今レーヴァテインに乗る理由というのは一致しないのだろう。けれどもボクはそれなりに今の状況に満足していた。
絶望的な負け戦が続く人類だけど、ボクは奇跡的に仲間を一人も失わずに居る。そして出来ればボクはこれからもその奇跡を守り続けたいと思う。エアリオは机の上に突っ伏したまま、ボクをじっと見ていた。優しいその視線に何故だか少し照れくさくなる。
「……これからもがんばろうね、リイド」
「え? あ、ああ……うん、がんばるよ」
「なあおいリイド、お前もエルデになんか言ってやってくれよ!! てかアイリス、お前もなんで俺がいるのにぶっ放したんだよ!?」
「いえ、カイトだったら生き残ると思ったので」
「お前らのその根拠のねえ信頼が怖いんだよっ!! これからも何かと俺がまき沿いになるような気がしてならないんですが!!」
「うっさいわねぇ……! 男ならビームの一発や二発でビビってんじゃないわよ!」
イリアの物言いは完全に一方的だ。ビームの一発や二発で普通はビビるだろう……。というか、男ならビビるとかビビらないとかそういう問題じゃないんだけど、カイトはもうイリアが出てくると何もいえないのか部屋の隅で縮こまっていた。あいつ……待遇が一向に改善されねえな。
「でもエルデはよくアイリスを守ってくれたわね! これからもアイリスのために戦い、そして死になさい!」
「…………死ぬのは前提なんですね」
「あたしあんたのこと嫌いだもの」
キッパリと言い切るイリア。エルデは少しの間微笑んだ後、カイトの隣に移動して膝を抱えていた。駄目だ……。レーヴァテインチームにおける男性陣の労働環境をなんとかしないと、次は間違いなくボクの番だ……!
「それで、どうでしたか? 先輩」
「え? どうって?」
振り返るとアイリスが眼鏡の向こう、なにやら誇らしげな視線を向けていた。まるで興味の無かったアイリスに唐突に声をかけられ戸惑うボク……。アイリスはそれが癇に障ったようで、むすっとした様子で詰め寄ってきた。
「どうもこうも、私の戦いぶりです。自分で言うのもなんですが、中々立派に成し遂げたと自負していますが」
「ああ、うん……そうなの? まあよかったんじゃないかな?」
「なんですかその投げやりな回答は……? ちゃんと戦闘中モニタリングしてたんですよね?」
いやーそれが、エアリオが眠いとか言い出してその面倒を見ながらだったからあんまり戦闘には集中してなかったり……っていうか三体一なら別に勝って当然だろとか思うのだが勿論そんな事は死んでも口に出せない。
「あのヘイムダルさえあれば、もうレーヴァテインだけに全てを任せる必要はありません。これからは私たちもこの街を守るために戦いますからね」
「そうなんだ、それは心強いな」
「先輩……本当に聞いてますか?」
「き、聞いてるよ……」
イリアなら胸倉を掴み上げてきているところだろう。アイリスはずいっと顔を寄せ、ボクの顔を覗き込んでいる。なんというか……本当に間近で見るとそっくりな姉妹だ。成長の度合いが違うだけで、同一人物なんじゃないかと思うくらいに……。
「私は先輩のその、興味ないって感じの目が大嫌いなんです」
「…………まあ実際に興味ないから……」
「…………。まあいいでしょう。直ぐに見返してあげますからね、リイド・レンブラム“先輩”」
最後の二文字をやたらと強調し、アイリスは身を離した。ああ……レーヴァテインチームは今日も安泰です……とか思っていたら引き下がったアイリスの変わりにイリアがやってきてボクの鳩尾に肘を叩き込んできた。
「人の妹に興味ない宣言してんじゃないわよ……」
「……き、興味あるっていったら怒るくせに……」
「当たり前でしょ?」
理不尽だ――――!!
そうしてみんなでいつも通りの日常を送っていた時だった。訓練室の扉が開き、ヴェクターとユカリさんが入ってくるのが見えた。恐らく今日の出撃について、アイリスやカイトにコメントがあるのだろう。ヘイムダルの実戦出撃は今日が始めてだったわけだし、それは十分予測していた事だ。だがしかし予測していなかった事柄が一つ。
二人の背後、更にもう一人紅いスーツの女性が部屋の中に入ってくるのが見えたのだ。最初はまるで見知らぬ人物かと思っていたのだが――直ぐに気づいてしまった。ボクが唖然としているとエアリオは小首を傾げ、ボクの視線を追った。
「いやぁ~皆さん、本当にご苦労様でした! 今日はそんな皆さんに、運用本部の司令官殿が挨拶をしたいという事でお連れしたんですよ」
「運用本部の……?」
「司令官、ですか?」
アークライト姉妹が続けて言葉を並べた。その視線の先、赤い髪の女性が立っている。ボクは思わずその女性を指差し、叫んでしまった。
「な……なにやってんの!? 母さん!?」
「「「「 え? 」」」」
仲間たちほぼ全員がボクをみやり、声を上げた。そうしてボクが指差す先に立っている女性を見やる。彼女は優しく微笑みを浮かべ、ひらひらと手を振っていた。
「「「「 あれが母さん!? 」」」」
更にほぼ全員が声を重ねる。ボクがゆっくりと頷くと、全員が集まってヒソヒソ話を始めた。やめろおおお! 人をまるで生ゴミを見るような目で見るんじゃない!!
「皆さん初めまして。色々と事情があり、顔合わせが遅れてしまいました。私の名前はリフィル・レンブラム――。ジェネシスアーティフェクタ運用本部司令官、リフィル・レンブラムです。どうぞよろしく」
リフィル・レンブラムこと、母さんはそう言って優しく微笑んだ。ボクの知っていた日常がまた一つ、どうやらおかしな方向へ進み始めたらしい瞬間であった――。