声を、聞かせて(2)
「君が自分からユグドラ因子の調整に来るとはね。これまで長い間君の事を面倒見てきたがこれは初めてのケースだ。何か心境に変化でもあったのかい?」
ジェネシス本部医務室――。アルバの視線の先、全身ずぶぬれになったエアリオが身体にタオルだけを巻いて立っていた。抜けるように白い肌の各所には金色の刺青が施されている。それは少女には似合わないものであったが、彼女が望んで入れたものではなかったし、そもそもそれは“刺青”ですらない。ただ他に表現する言葉が無かったというだけである。
身体中に繋がれた細いワイヤーを自分で引き抜きながらエアリオは長すぎる前髪の合間で長い睫を瞬かせる。こうして彼女の調整を続けて長いアルバだが、その余りにも美しい造形美にはいちいち見惚れてしまう。彼は少女の身体に欲情するような趣向の持ち主ではなかったが、単純にその造詣は芸術的なのだ。どちらにせよ、見る者の視線を釘付けにするだけの魅力が少女の身体には存在していた。
ぺたぺたと裸足で医務室内を歩き、ベッドの上に腰掛ける。脱ぎ散らかしていた服をベッドの上から拾い上げ、そのまま少女はアルバの視線を気にもせず着替えを開始した。その間男は溜息を漏らしながら煙草を加え、報告書を作成する。
「体組織の劣化は修復しておいたから問題ない。最近は調子がいいくらいだ。レーヴァテインに乗り込む回数が少なかったからシンクロ調整がどうなっているか心配だったが、これなら大丈夫そうだね」
「……そう」
髪をタオルでごしごしと拭きながらエアリオはそっけなくそう答えた。すっかり普段着に袖を通した少女は立ち上がり、片手で己の腕を掴み、手を握ったり開いたりしながらその調子を確認している様子だった。
「リイド君との生活はどうだい? 何か困っているんじゃないか?」
「特に問題は無い。どうして困っていると思うの?」
「単純に長年君を“観察”してきた人間の勘、だと言ったら君は怒るかな?」
「怒らない。どちらにせよ、わたしにはどうでも良いことだから」
「上手く行っているならいいんだよ。実際、リイド君の精神状態は最近は安定しているし、戦闘力も上がり続けている。君がバランサーとして彼の存在に貢献しているのは間違いない」
「でも、わたしに出来る事はそれくらいしかないから」
小さな手を握り締め、目を細めるエアリオ。その瞳が淡く金色に輝き、少女は日常の様相へと回帰していく。ここで調整を続けていた事も、彼女の“本当の役割”も、全てはリイドには秘密にしている事だ。それが任務でありそして何よりリイドのためなのだが、最近は彼を騙し続ける事に抵抗を覚え始めていた。
リイドは様々な問題を乗り越えて成長している。戦いや人々との触れ合いの中で少しずつ変化し続けているのだ。その彼が今どこへ向かっているのか、それはエアリオにもわからない。だがきっと彼は彼なりに己の答えを導き出す事だろう。その答えが彼にとって納得の行くものであれば構わないと、少女はただそう考えていた。
「その肝心のリイド君もそのうち連れてきてくれないか? レーヴァテインに何度も乗り込んでいるから、彼の肉体にも色々異常が出ているだろうしね」
「……わかった。でも、リイドは今日はつれてこられないと思う。デートだから」
「デート……? リイド君がかい? そりゃ……随分とまた珍しい事になっているね」
「そう、珍しいの。でもきっと、リイドはうまくやると思う」
アルバはエアリオの横顔に驚いていた。優しく微笑みを浮かべ、幸せそうに首を擡げるエアリオの姿など、彼は見た事がなかった。心を閉ざし、閉ざす心さえも希薄な彼女がこんなにも喜びを表現するなど異例中の異例である。思わずポロリと煙草を落としてしまうほど、その笑顔は可憐だった。
あんな化け物たちではなく本来ならば彼女のような存在こそ天使と呼ばれるべきなのだろう。だがそれは彼女にとっては皮肉でしかない。長い間閉ざされた心の扉にも意味はあったのだ。そして彼女が優しく微笑む事にも、きちんと理由は存在している。
「楽しそうだね、エアリオ」
「楽しい……? わたしは楽しいのかな」
「きっとそうだよ。多分ね」
「……そう」
エアリオはアルバに背を向け、部屋から立ち去っていく。少女が居なくなった医務室の中、アルバは新しい煙草を取り出して溜息をついた。良くも悪くも、世界は変化し続けている。その波からは誰も逃れられないのだろう。エアリオもリイドも……そして自分も――。
その頃、アーティフェクタ格納庫にある端末の前に立つエルデの姿があった。ヘイムダルの物とは違ったデザインの黒いパイロットスーツに身を包んだエルデは片手で高速で端末を操作し続ける。その空いている片手には小型の装置が握られており、繋がれたケーブルは端末の側面に繋がっている。
画面には様々なデータが浮かんでは消えていくが、それは全てエルデの持つ記録装置に流れ込んでいた。その作業は開始から終了まで恐らくものの五分とかからなかっただろう。その端末がまさか運用本部のメインコンピュータと唯一繋がっているものだとは誰も思わなかっただろうし、マステマの調整直後にエルデが寄り道するかのように五分間端末を弄っているくらいでまさか本部のデータをハッキングしていたなどとはやはり誰も思わなかっただろう。
「……アーティフェクタ運用本部……。やはり、秘密が多すぎるか……」
ケーブルを引き抜き、エルデは素早く装置を折り畳んでパイロットスーツの内側に隠した。振り返ったエルデの視線の先、ブルー、グリーン、レッドのカラーリングが施されたヘイムダルが並んでいる。そしてその奥でメンテナンス中のレーヴァテインを遠巻きに眺め、エルデは一枚の写真を取り出した。
それは遥か昔の写真である。今から百年ほど前に撮影されたその写真は既に劣化が進んでおり、保存状態がいいとは言え鮮明とはお世辞にも言えなかった。ラミネート加工が施されたその写真を眺め、エルデはふっと笑みを浮かべてみせる。少年の視線の先、そこには銀色の髪の少女の姿があった。
巨大な聖堂を背景に撮影されたその写真には聖職者たちの姿と同時に軍服の男たちの姿があった。その写真の端に移りこんでいた白い修道女の服を着た小さな少女はカメラの方へ黄金の瞳を向けている。長い、とても長すぎる銀色の髪は百年の時を経た現在でも鮮明で、エルデはその美しさに少しばかり見惚れてしまう。
「……百年の時を生きるというのはどういう気分なのですか? 天使と呼ばれた少女よ――」
ジェネシスの廊下を歩くエアリオ。その背中に刻まれた翼の刺青と巨大な十字架の文様――。それは彼女が背負う過去と、そして向かうべき未来を今でも示唆し続けている――。
声を、聞かせて(2)
オリカは見る物全てが物珍しく見えるらしく、行く先々で騒動を起こした。まるで子供みたいに無邪気にはしゃぎ回る彼女は一応ボクより年上のはずなのだが、どうやらそんな事は関係が無いらしい。
ゲームセンターで格闘ゲームを始めたオリカは、なんだか鼻息荒くスティックをがちゃがちゃしていた。後ろに立ってボクは彼女にあれこれと教えるのだが、オリカは人の話を聞かないのでコンピューターにさえ大苦戦である。
この格闘ゲーム、“ディアノイア”は魔力ゲージの使い方が戦闘を有利に導くコツなのだ。この間イリアのプレイしているところを横で見ていたが、彼女の使っている黒装束の勇者はやたらと強かったものだ。が、オリカは現在白装束の勇者を使って魔力開放ボタンを連打しまくっている。そんな事をしていたらゲージが溜まらないので、必殺技なんて夢のまた夢である。
まあしかし、オリカ本人はすごく楽しそうだった。目をきらきらさせて、いちいちこっちを振り返っては“楽しいね、楽しいね”と何度も何度も言っていた。判ったから前を見ろ前をと叫ぶ事数回……。オリカは一向に上達する気配が無く、三面くらいで毎回敗退してしまう。なんだか金の無駄のような気がしてきた。
「こりゃ、イリアにゲーム機ごと借りて家で練習した方がよさそうだな……」
「え!? 家にこれ持ち込むの!?」
「これじゃねえよ! 家庭用のゲーム機に移植されてるんだよ。前のバージョンだけど、オリカがここでやってたら一体いくら使うかわからないしね」
「こ、こんなに高度なゲームがお家で楽しめるなんて……っ!? すごい時代になったものだねリイド君! オリカちゃんはねえ、びっくりだよぉ!」
というかお前はいつの時代の人間ですか? ボクの家にゲーム機は……ないけど、今時ゲーム機くらい当たり前のように一家に一台くらいあるもんじゃないだろうか? まあ本人がこんなに喜んでくれるなら別にどうでも――って、なんでボクはいつの間にか本当にデートしてるみたいになってるんだ? なんでオリカの笑顔を見られてそれでいいなんて思ってるんだ? 待て待ておかしいだろ、こいつはかなりおかしな性格の持ち主でストーカーで、なんか戦闘中はヤバいくらいハイになってるし、なんかウザいし……。
頭を抱えて色々と考えてみるのだが、その間にもオリカはあちこちうろうろしているので目が放せない。ほっとくとまたさっきのように他の利用者の妨害をしてしまう可能性があるからだ。仕方が無く思考を中断しついていく。オリカが立っていたのは所謂ガンシューティングゲームの前だった。
「なんでこんなところにモデルガンが置いてあるのかな?」
「これはモデルガンじゃなくてコントローラのようなもので……。ほら、あそこの画面見えるだろ? あそこに向かって銃を撃つ……というゲームなんだよ」
「敵が出てくるんだ! それでバンバーンって撃てばいいの? オリカちゃんこれやりたい! リイド君、これやってもいいかな!?」
「まあいいけど」
正直ボクもこの手のゲームに詳しいわけではない。この間カイトとイリアにつれてこられた時に一回りしたくらいで、ゲームセンターに通っていたわけでもないし。そもそも娯楽とかに詳しくなかったのはボクだって同じだから、それなりに実は楽しかったりする。コインを二枚投入し、二人プレイを選択する。しかしオリカは何を勘違いしたのかコントローラを二丁両手に構え、ニヤリと笑った。
「おいオリカ、このゲームは一丁ずつ持って……」
が、ボクの言葉はオリカには届かないままゲームが開始されてしまう。所謂ゾンビを撃ち殺すのが目的のこのゲームは当たり判定が特殊で、頭部、胴体、脚部、腕など、命中箇所によってダメージとエフェクト、その後の敵の損傷具合などが決定される。オリカは二丁の拳銃の引き金を引きまくり、次々にゾンビの頭部を一撃で撃ち抜いていった。
「反動がなさ過ぎてなんか気持ち悪いね、この銃」
と、文句を言うオリカさんであったがそのスコアは間違いなくトップクラスであろう。横から見ているとオリカの眼球は物凄い勢いで左右に動き回り、画面全体を満遍なく把握しているようだ。物影から唐突にゾンビが現れてもまるで動じず一撃で殺す。逃げてくる人間は全員助けて強力な武器を入手し、しかし回復アイテムなど一度も使わず一撃も被弾せずボスまで到着してしまった。
ボスの攻略法は様々だが、この第一ステージのボスは本体に見える大型のモンスターではなく、その背後にちらほら見えるポルターガイストを狙う必要がある。しかしオリカは直ぐにそれを把握し、ポルターガイストを片手で撃ちまくり、もう片方の銃で巨大なモンスターの足を撃って動きを封じる。あっという間にボスは倒れ、オリカは両手の銃をくるくると回して台座に戻してしまった。
「なんかつまんないねこれ。思ったより簡単すぎ」
「…………そうッスか」
その後ボクが引き継いでチャレンジしてみたが二面で速攻やられたのは内緒である。
そうしてゲーセンで色々と遊んでみてわかったのだが、身体を使うゲームではオリカは圧倒的である。が、細かいちまちました操作に関してはゲームというものに慣れていない所為かヘタクソ極まりなかった。ゲーセンでひとしきり遊んだボクらは外に出て、ジェネシス本社の中にある屋内庭園にやってきていた。本社ビルの中に森があるのだからすごいものである。人々の憩いの場所となっているそこの噴水前にオリカを残し、ボクは同じガーデン内にある売店へ走っていた。
勿論、そこで飲み物と軽食を買おうという目的はあったのだが、オリカと一緒に居る事に戸惑いを覚えているので逃げてきた……というのが凡そ正しい。どうしてこうして一緒に居ると、オリカはあんなにも普通の女の子なのだろうか。戦いの最中はあんなにも恐ろしくて、普段からストーキングしているような変態女だというのに……。
だが冷静に考えてしまうと。客観的に見てしまうと。オリカは物凄い美人だ。明るくて元気も良いし、無邪気で可愛らしい。スタイルも抜群だし、バカだけど運動能力は優れている。家事万能で何をやらせても上手で、料理はボクの上を行く。そうやって要素だけをかいつまんでみると物凄い美少女なんじゃないだろうかと思えてくるのだから不思議なものだ。
いや、実際にそうなのかもしれない。でもボクは彼女をそう簡単に受け入れる事も、ただの女の子だと認めるわけにも行かなかった。彼女の行動には裏があるような気がしてならなかったし、実際彼女はボクにとって敵なのか味方なのか、いまいち判断出来ない部分が多すぎる。素性も謎、真の目的も謎……。そんな人間を信頼しろと言う方が無理な相談だ。
売店でホットドッグとコーラを購入し、一人で考え事をしながらとぼとぼ噴水まで戻る。すると、ベンチの上に座ったオリカは三人組の青年に声をかけられていた。思わずキョトンとしてしまったが、あれが噂に聞くナンパというものだろうか。ボクにはまるで縁のない行為なので初めて見たのだが、青年たちはちょこんと座ったままのオリカの身体に馴れ馴れしくべたべた触っていた。オリカも止めさせれば良いのに、にこにこしているものだから向こうも調子に乗っているのだろう。
思い切り溜息をついて――それからオリカのところへ歩み寄る。ボクを見たオリカはひらひらと手を振っていたが、他の三人は明らかに不満そうだ。“何しにきやがった”的なオーラがぐさぐさと突き刺さるが、こんなの神連中に比べれば怖くも何ともない……というかむしろ滑稽だ。ボクを誰だと思っているのやら。
「リイド君、なんかねえ、この人たちがねえ、本社の中を案内してくれるんだって! ごはんもご馳走してくれるって! リイド君も一緒に行こうよ!」
オリカの意外すぎる発言に三人組は唖然としている。いやまあそりゃそうだろうけど……その気持ちは良くわかるけど……オリカはこういうやつなんですよ。
「そんな連中どうでもいいから、さっさと行くよオリカ。あんた、自分がナンパされてるんだって少し自覚しろよ。馬鹿な人間と一緒に居ると、あんたの品格まで落ちるぞ」
「おいてめえ、なんつった……? さっきから聞いてりゃ初対面の人間に失礼な事を――ぶほっ!?」
男の一人がボクの胸倉を掴もうと腕を伸ばした瞬間、いつの間にかボクの隣に立っていたオリカがその腕を取り、男を投げ飛ばしていた。背中を強く打ったらしい男は思い切り悶絶しており、なんだか逆にかわいそうだった。
「駄目だよ、リイド君にさわっちゃ。リイド君に私の許可無く接触するなら、一人残らずぶち殺しちゃうよ」
背筋がぞくりと凍りつくような笑みだった。残りの男二人はそれでもオリカに近づいてきたが、オリカはまるで当たり前のようにニッコリと微笑み、男の伸ばした手を掴み、それをありえない方向に捻じ曲げた。明らかに骨が折れた音がして男が悲鳴を上げる。最後の一人が近づいてくると、倒れかけた二人目の身体を蹴って跳躍し、空中を縦に回転しながら三人目の首筋に踵を叩き込んだ。また妙な音がして男は泡を吹いて倒れてしまった。もうかわいそうでしかない。
「行こう、リイド君! ここは危険がいっぱいだよ!」
「え~……。ちょ……救急車呼んで良い?」
「なんで?」
「いや……ほっといたらこいつら死んじゃうんじゃ……」
「大丈夫大丈夫、人間そんな簡単に死なないからっ」
両手がふさがっていたボクはそのままオリカに引き摺られる形で移動を開始した。先ほどの現場からかなり離れた別の噴水の所までやってくると、ボクらは改めてベンチの上に腰掛けた。
「全く、リイド君に暴力振るおうとするなんて、サイテーだよ! なんなのあの人たち……良い人だと思ったのに!」
「…………いや、明らかにさっきのはお前が悪いぞ?」
「え!? な、なんでかな……!? リイド君何かなその視線は!? なんでそんな腐った生ゴミを見るみたいな目なのかなっ!?」
「お前、もう少し自分がどういう存在なのかを正しく認識したほうがいいぞ……。ったく、あんまりボクから離れないでくっついてなよ。多分、あんな連中うじゃうじゃいると思うし」
「くっついてていいの!?」
「いや……そういう意味ではなくて……」
オリカはぐいっと近づいてくると、ボクの真横にピッタリをくっついて見せた。もう何も言うまいと思って二人でホットドックを食べる。口元にケチャップをつけてソーセージを頬張るオリカはなんとも無邪気だった。しかし先ほどの動き……やはり只者ではない。只者ではないなんてのはもう明らかに今更なのだが。
「なあオリカ、どうしてあんたはボクを守るんだ?」
「え? それが任務だし……」
「それだけか?」
ボクがそう問いかけると、オリカは寂しげに笑った。それからやはり作り物のスクリーンビューの空を見上げ――そうして少し首を擡げて呟く。
「リイド君の事が大好きだからに決まっているよ」
オリカは初対面の時からそんな事を連呼していた。あまりにも正々堂々と連呼しまくるのでどうにも胡散臭くて仕方が無かったのだが、こうして躊躇いがちに言われるとまるで本当の事みたいに思えてくるから不思議だ。
「その、ボクの事が好きっていうのはどういう事なの……? ボク、オリカの事なんか知らないけど……」
その“知らない”という言葉を聞いた時、オリカは酷く寂しげに見えた。だから何故だかわからないけどとても申し訳がない気分になる。オリカは立ち上がり、そうして両手を広げてその場でくるりと回って見せた。まるでタイミングを見計らっていたかのように噴水から大きく水飛沫が舞い上がり、きらきら輝く光を背景にオリカは笑った。
「それでも、オリカ・スティングレイはリイド君の事が大好きなんだよ。リイド君を守るためならなんだってする。リイド君のためになるなら、どんな汚名を着せられたって構わない。私は君の盾であればそれでいい。君が笑っていてくれれば……それで幸せなの」
大人びた笑みを浮かべるオリカは、まるで母親のようだと思った。何故そんな事を思ったのかは全く謎だが――まあある意味我が家においてオリカが母親的なポジションにいるのは明らかである。となるとエアリオが娘ということになるのか。そう考えるとなんだかそう見えてくるのだから、本当に笑い話にしかならない。
「どうしてそこまでしてくれるんだ? ボクは……お前に何も返せる物なんてないのに」
「愛に見返りは要らないんだよ、リイド君。愛は、ただ愛する事に意味がある……。愛してもらう為に愛するのではなく。私は愛する為に愛したい。ごめんね、本当はわかってるんだ、リイド君が私の事鬱陶しく思ってる事も。それでも好きな気持ちは多分止められないんだと思うから」
真正面から凛々しくそう語るオリカは間違いなく格好よかった。思わずなんだか顔が熱くなる……。いや、別にそういう事ではないのだが。オリカは本当に真っ直ぐだ。びっくりするくらい……時々こっちがドン引きするくらい。ただ己を通し、己の正義に従って生きている――。いや、それは正義であると同時に悪なのかもしれない。だが彼女は己の中の優先順位を守るため、その面において酷く一途なのだ。
そう、“一途”という言葉はまるで彼女の為にあるかのようだ。あらゆる物事に対して彼女は一途だ。それは大勢の人間とは異なる。人間は迷い、揺らぎ、嘘や偽りに隠れて生きている。だが彼女は違うのだ。あらゆる真実に身を晒し、己の真実に忠実に生きている。だから多分、かっこいいと思えるのだろう。
「…………ごめん、オリカ。本当はわかってたんだ。あの日、お前がボクの迷いを断ってくれなかったら……ボクはオロチに負けていたかも知れなかったって事も。でも、どうしたらいいのか判らなかったから……お前に当たってしまったんだ。身勝手だよな、ボクは」
「リイド君……。全然、そんなの全然いいいんだよ! 辛い時、イライラした時、リイド君は私に当たっていいんだよっ! 私ほら、そういうの慣れてるから。それで少しでもリイド君の気持ちが落ち着くなら、どんどん罵倒っていいんだよ!!」
立ち上がり、オリカを見やる。なんでこいつはいつも一生懸命なんだろうか……。じっとボクを見つめるオリカを見ているとなんだか笑えて来る。顔がマジすぎて、なんだか逆にコメディチックだ。
「……あの時は、ありがとう。オリカが力を貸してくれなかったら、きっとエアリオを助けられなかったと思う。お前の……お陰だよ」
「…………リイド君」
「そのお礼っていうか、仮を返すってわけじゃないけどさ。なんか一つプレゼントするよ。幸いここはジェネシス本社ビル、そろわない物は何も無いしね」
「ほ、本当に何でもいいの?」
「ああ、勿論。何がいい?」
するとオリカはやたらとどぎまぎした様子で、てくてくボクの前に歩み寄ってきた。そうして何度か深呼吸した後、両手を広げ顔を真っ赤にしながらも真剣な様子で言った。
「出来ればここで、ぎゅ~っと抱きしめてください!」
「…………は?」
「だから、はぐはぐ……っ」
「そんなのでいいの?」
「そんなのでいいというかむしろそれがいいというか……ぎゃああああああっ!?」
正面から強くオリカの身体を抱きしめると、何故かオリカは悲鳴を上げていた。それから涎を垂らしながらぷるぷると震え出し、がっしりと抱き返してくる。
「あわ……あわ……っ! オリカちゃん、死ぬかもしれないよ……っ」
「な、なんで?」
「幸せすぎて死ぬ可能性が高いんだよ……っ」
「…………そうなんだ」
呆れて物も言えないで居ると、オリカは笑ったまま何故か涙を流していた。ぼろぼろと、それは次々に彼女の頬を伝っていく。正直驚いていたのだが、ボクよりずっとびっくりしていたのはオリカ本人であった。その頬に触れてやると、オリカはボクの胸に顔を押し当て、震えながら泣き続けていた。
「オ、オリカ……どうしたの?」
「ありがとう、リイド君……。ごめんね……。ごめんね……」
「……謝るのはボクの方だよ。これからは、もう避けたりしないから」
「うん……うんっ! えへへ、ごめんね泣いちゃって……。涙なんてもう流れないと思ってたのに……不思議だね」
「何言ってるんだ? 人間なんだから、涙くらい流すだろ?」
当然のようにそう返すと、オリカは嬉しそうに頷いた。人間なんだから、涙くらい流す。人間なんだから、笑ったり泣いたりでそれでいいじゃないか。なのにオリカはまるで救われたような顔をするから、なんだかやりきれない気持ちになる。
彼女の過去はどれだけ暗いものだったのだろうか。義務教育も受けられなかったオリカ。楽しみを何も知らなかったオリカ。エアリオは言っていた。ボクはオリカの事を何もわかっていないのだと。確かに、何もわかってはいなかった。今でもわからない。でも、わかっていけたらいいと思う。
オリカだって仲間なんだ。皆と一緒に居て楽しくて、力を合わせて戦って……それでいいじゃないか。今までどうしてそんな当たり前の事に気づかなかったのだろう。オリカは仲間なのだ。共に生きていく仲間……。だから、彼女がボクを守るように。ボクもまた、彼女を守ろうと思う。これからも色々とウザったくはあるだろうけど……それでも。
「ねぇねぇ、リイド君? なんだかまるで、本当にデートしているみたいだねっ」
ばかばかしくそんな事を言うオリカ。確かにそうだ。これじゃあまるで本当にデートしているみたいだ。オリカの頭をぐりぐり撫で回し、ベンチに置き去りのコーラを拾って振り返る。
「――さて、それじゃあ次はどこに行こうか? オリカ・スティングレイさん」
こうしてボクらは本当に丸一日中遊びまわる事になった。オリカは本当に楽しそうで、終始きゃあきゃあ騒いでいた。そのうち、皆で一緒にこうやって出かけられたらいいと思う。そうだ、仲間なんだからそれがいい。仲間なのだから……そうでなくてはいけないだろう。
そんな風にボクが考え始めていた頃、事件は起こった。楽しい日々はあっという間に過ぎていくし、答えは出さねばならない時に出さねばならない。そうしてボクは彼女が背負っている物や自分自身の業を知らぬまま、また戦いの日々へと戻っていく。まるで運命に導かれているかのように――。