声を、聞かせて(1)
「しっかし、大したもんだなこのパイロットスーツは……。めちゃくちゃ動きやすいし、かなり頑丈だ。これならヘイムダルで天使と戦っても問題ねぇな」
青いカラーリングが施されたヘイムダル用のパイロットスーツには様々な能力が秘められている。重力やフォゾンに対する耐性、物理的防御能力などだけでも十分に最新テクノロジーのパイロットスーツである事が確定しているが、最も重要なのはそのような防具としての部分ではない。
ヘイムダルの操縦はパイロットスーツに接続した神経伝達信号を読み取る機能によって行われる。目には見えぬほどの極細の短針が脊髄付近に打ち込まれる事により、パイロットはスーツを媒介として擬似的にレーヴァテインと同じく意思による操縦を可能とするのである。だがそれはあくまで擬似的な物であり、パイロットの意思で何もかもが操縦可能なわけではない。あくまでもそれは操縦補助システムであり、ヘイムダルは通常兵器と同じく手動での操作を必要とした。
だがそれだけでもレーヴァテインのようなアーティフェクタに大きく近づいた兵器である事に変わりは無く、長期にわたる特殊訓練を必要とする通常の人型機動兵器とは異なり、ヘイムダルは比較的搭乗者に訓練を必要としない。尤も、アーティフェクタと同じく操縦には適正が求められるという別の代償が必要になるのだが。
ヴァルハラ上位プレートに存在する機動兵器の試験場にてカイトは青いカラーリングのヘイムダルを背に己の手をまじまじと見つめていた。額に装着していた脳波感知用のバイザーを外し、少年は金髪を風に靡かせ心地良さそうに目を細めた。実際、試運転中は色々と身体に負荷がかかるし汗だくにも成る。不満が残るとすれば、このスーツの通気性……だろうか?
ヘイムダルが本格的に実戦配備される事になり、そのテスターとして選ばれたのがカイトであった。実際操縦技術に関しては彼はリイドよりも上手である。リイド・レンブラムはレーヴァテインの力を引き出す事に関しては天才の二文字以外の何者でもないほど圧倒的なのだが、昔から訓練を積んでいるカイトに比べるとただ操縦の一点に比べれば劣っているのである。
この試運転並びに訓練が開始されてから既に一時間近くが経過していた。カイトは彼の為に用意された青いカラーリングのヘイムダルに乗り込み、様々なケースを想定した行動テスト、更に新型装備のテストも平行して行っていた。その全てのカリキュラムが終了し、今漸くヘイムダルを降りて一息ついた所だったのである。
「カイト君、お疲れ様! はい、これタオルとドリンク」
「ユカリさん、気が利きますね~! いやぁ、イリアにもユカリさんくらいの奥ゆかしさのようなものがあればねえ……ごくごく」
駆け寄ってきたユカリからタオルとドリンクを受け取り、首からタオルを掛けながらカイトは一気にドリンクを呷った。やはりこのスーツの通気性だけは何とかしてもらいたいのが本音だが、対フォゾン防御性能を犠牲にしてまで確保したい物でもない。諦めて汗だくになれば、シェイプアップになってちょうど良いか……なんて余計な事を考えていた時であった。
カイトからやや遅れ、もう一機のヘイムダルがカリキュラムを終了しカイトの青いヘイムダルの隣についた。膝を突いたその白いカラーリングの通常機から昇降用ワイヤーで降りてきたのはアイリスで、その足取りは地に足着かずといった様子である。ふらふらとおぼつかない足取りで数歩前進し、そのままその場に倒れこんでしまった。
「うおっ!? アイリス、大丈夫か!?」
「は、はい……。あ、足腰が立たなくなるなんて……情けないですね……」
「そんな事ないわよ、アイリスちゃん! 初めてヘイムダルを動かしたんだから、しょうがないわよ!」
「でも、カイトはピンピンしてるじゃないですか……。貴方は本当に……化け物みたいな体力ですね……くっ」
カイトの手を借りて立ち上がったアイリスは額のバイザーを外した。オールバックにしていた紅い前髪が降りると同時にアイリスはカイトの首からかかっていたタオルを引ったくり、顔をごしごしと拭きまくる。ユカリからドリンクを受け取ると漸く人心地ついたのか、深々と息をついて額に手を当てた。
今回の試験運転ではカイトだけではなく、アイリスもテストパイロットとして参加していた。データそのものが二機分必要だったわけではなく、これはアイリスの強い希望による物である。急ごしらえの実験だった為ヘイムダルには識別カラーリングが施されておらず、パイロットスーツのサイズもぴったりとは行かなかった。勿論、例のホルスとの戦闘以来初の機動兵器搭乗であり、それにしては良くやった方である。だが周囲の評価と彼女の自己評価は常に一致するとは限らないのだ。
「これがヘイムダル……。訓練用のシミュレーターとはワケが違う、というわけですか……!」
「ま、お互い病み上がりだしな~。お前も良くやった方だと思うぜ、アイリス。もっと胸を張れって、無い胸を」
「何か今余計な言葉が付け足されたような気がして非常に不快ですが……やはり、どうやら私は極端に実力が不足しているようですね。こんな様子でホルスに挑もうとしたとは……全く、無謀過ぎです」
反省した様子でドリンクをごくごくと飲み干すアイリス。そうして上半身部分だけを脱ぎ、タンクトップのシャツを露にして胸元をぱたぱたと仰いだ。カイト同様中身は汗ぐっしょりで、シャツは思い切り透けていたがカイトはあえて何も言わなかった。
「ユカリさん、今日のカリキュラムはこれで終了ですよね?」
「ええ、もう終わりよ。今回ので殆どのデータが揃ったし、機体も万全だから実戦投入出来ると思うわ。今ルドルフ君が管制室で報告書を纏めてるから」
「……なら、もう一度ヘイムダルを動かしてみていいですか? 私、もう少しあの感覚に馴染みたいんです」
ユカリは驚いてアイリスを見やった。後ろ髪を束ね、肩で息をしながらもヘイムダルの操縦マニュアルをぺらぺらとめくるアイリス。その様子は姉譲りの負けん気を感じるに十分すぎるほどだ。加えてアイリスは姉よりも勤勉であり、そしてプライドも高い。弱い自分を赦せない彼女はまだまだ今回の操縦に納得していないのである。
「おいおい、あんまり無茶すんなって! お前がヘバったら怒られるのは俺なんだからな!? イリアの奴が今日の試験、お前も参加してた事を知ったら……」
「では、ヘバらなければ良いだけの話でしょう? 今まで少し私はインドアが過ぎたようです。これからはビシバシ肉体的にも鍛えてください」
「…………。そういうのは、俺に頼まないで姉ちゃんに頼めよ」
「姉さんに頼んだら、確実に断られますから」
キッパリと断言するアイリス。確かに彼女の言うとおり……イリアはそれを承諾しないだろう。ああ、するはずが無い。カイトは腕を組み、苦笑を浮かべる。本当ならばこのテストもカイトが一人で受けるはずだったのだ。それにアイリスが参加しているなどと彼女が知ればどうなるか……。
「うーん、とりあえずテストは全部終わってるから……ちょっとルドルフ君にかけあってみるわね」
「ユカリさん!?」
「カイト君、頑張ってる女の子は応援してあげるのが男の子というものよ! 相手が仕事で忙しくて全然家に帰ってこなくても、男の人は待っててあげるものなのよ!」
「…………それ完全にユカリさんの実体験じゃねえすか……。待っててくれなかったんスか……」
ユカリは何もいわず寂しい背中を晒して去っていった。カイトはその背中に合掌する。アイリスは周囲の事は興味ないと言った様子で一人マニュアルを見つめ、眼球だけを動かしながらぶつぶつと内容を反復していた。
「なんつーか……ホント、似た物姉妹って事かね」
「何か言いましたか?」
「いんや。そうだ、体術に関してはイリアよりオリカのほうが上手だぜ? お前オリカと仲いいんだろ? 頼んでみればいいじゃねえか、稽古つけてくれって」
「確かにそれもそうですが、オリカさんはあまり暇がないのでは?」
「んなこたねえだろ。あいつ、一日中リイドのストーキングしてるだけだしな……っと。さてさて、どこがわかんねえんだ? 教えてやっからお兄さんに言ってみな」
アイリスは少しだけ驚いた後、カイトにマニュアルを開いて見せた。少年はそれを覗き込み、身振り手振り操縦を伝授している。その様子を管制塔の中から見下ろし、ルドルフは紅茶が注がれたマグカップを傾けている。
「マステマのロールアウトに遅れたが、ヘイムダルも実戦投入だな……。漸くジェネシスの戦力も増強出来る。パイロットが増えれば、今後はレーヴァテインだけに負担を集中させる必要もなくなんだろ」
「だと良いのですがねぇ……。まあどちらにせよヘイムダルの存在は我らにとって大きな前進です。これも全ては貴方のお陰ですよ、ルドルフ君」
ルドルフの背後、扇子で己を扇ぎながら微笑むヴェクターの姿があった。ルドルフは気味の悪いヴェクターの笑みを見ようともせず舌打ちだけを返した。幼い博士の前に転がっているいくつかの資料、それに書かれていた事を思い出す。どうやらこの世界の状況は、以前とはまた少しばかり変わってきているようだった。
以前行われたレーヴァテインによるエクスカリバー回収作戦、それは失敗に終わった――。レーヴァテインはエクスカリバーとその場に同時に現れた同盟軍のアーティフェクタ、トライデントの攻撃を受けて撤退した……という事になっている。そう、これからの戦いはレーヴァテインだけで勝ち抜くのは難しい。それは東方連合によるヴァルハラ襲撃事件で防衛が後手に回ってしまった事からも明らかだ。
レーヴァテインは確かに圧倒的な力だが、それは一つしか存在しない。たった一機しかない以上、世界中の全ての場所に同時に存在する事はできない。ヴァルハラという巨大な建造物が同時に攻撃されれば、レーヴァテインは一つ一つ対処していくしかないし、同時にあちこちで戦いが起こればレーヴァテインはやはりどこか一つに出撃するしかない。だが数としての戦力が増えてくれば守りも攻めもまた少し違った展開を求める事が出来るだろう。
ヘイムダルは現行の兵器の中ではマステマやスサノオでさえ越えた圧倒的な機体である。アーティフェクタから回収したその技術は人類に新しい兵器の在り方を提言するだろう。適正が必要になるとはいえ、それは偉大な進歩である。ルドルフはいずれヘイムダルで上位神さえも殺して見せるとひそかに画策していた。
「ったく、物騒な世の中だぜ。人間の敵はいつでも人間か……。神を名乗る化け物が降り注いでるこの世界で、人間同士が争うという愚を繰り返すのは人の性という物なのかねぇ……」
「ふむ? ルドルフ君、たまに老人のような事を言いますね」
「老人にもなるさ。世の中淀んでやがるからな。俺が新しい風を吹き込んでやるのさ」
「それは心強いですねぇ。とりあえず――それぞれのカラーリングを施したヘイムダルが一機ずつ必要になりそうですねぇ。他にパイロットになれそうな子が居ないか、こちらでも探して見ましょう」
「パイロットを選ぶのがヘイムダル唯一にして最大の欠点だぜ。ま、適合者の予備くらいアタリはつけてあるんだろ? そっちは俺の領分じゃねえからな、任せるぜ」
立ち上がりマグカップを傾けるルドルフ。その背後、管制塔の扉が開いてユカリが入ってきた。アイリスの要望にルドルフは肩を竦めて苦笑してみせる。“好きにしやがればいい”というその言葉は、アイリスに第二ラウンドを告げる合図以外の何物でもなかった。
声を、聞かせて(1)
「…………ああ、空が青いなあ」
というのはボクの呟きなのだが、別に空が本当に青いわけではない。これはなんというか……そう、途方にくれているという演出なのだ。ヴァルハラの空が偽者なのは最早語るに及ばぬ周知の事実なわけだが、それをあえて掘り返してあたかも今初めて気づきました的な顔をしなければならないだけの理由が今のボクにはあったのである。
「そうだねぇ~! 空が青いね~! おなかぺこぺこだねぇ~!」
と、同じように空を仰ぎ見ながらニコニコと笑うオリカ・スティングレイことストーカー戦士……いや逆か……まあ兎に角オリカがいるわけだ。
ヴァルハラの気温や天候というものは常に調整されていて、たまに雨が降ったりたまに寒かったり暑かったりするが、全てはジェネシスから発表されている半年先までのスケジュールに完璧に一致する。ジェネシス側が管理しているのだから天気予報というよりは天気予告であるが、何故か予報という呼び方をされている。今日は一日中朗らかな陽気に包まれ、天気は快晴――という設定だ。ちなみにこれが崩れると言う事は前述した理由により奇跡でも起こらない限りはありえない。
ボクは何故かこうして今オリカと一緒にシティを歩いている。それも二人きりである。オリカは楽しそうに鼻歌なんか歌いながら歩いておりこうしてみていると明らかに頭のゆるい感じのバカ女そのものなのだが、ボクはあの日見たオリカの邪悪な笑みが忘れられずに居た。
エクスカリバー回収騒動から一ヶ月――。その間特にこれと言った戦闘も無く、時々現れる天使をレーヴァテインで撃墜するくらいしか仕事はなかった。最近はエルデが頑張ってくれているようで、ザコだけが相手ならわざわざレーヴァを出す必要もないらしい。急激に強化改造が進められているらしいマステマは、いよいよ下級神ならば単体で撃退可能になったとかなんとか……。実物は見ていないので何ともいえないが。
あの日以来、ボクの心境は常にブルーだった。エクスカリバーのパイロット、そしてトライデントのパイロットと話した事は今でもボクの中で小さなしこりとして残っている。ジェネシスと世界、そしてレーヴァテイン……。今は何事も無くまるで平和のように見えるこの日常も、世界の激動の流れの中にやがて消えてしまうだろう。だというのになんでボクはこうしてフラフラしてるんだ……?
というのも、全ては三十分ほど前の事……。今日は休日と言う事もあり、ボクはどこかに出かけてリフレッシュしたいと考えていた。理由は簡単で、この一ヶ月家の中に居るとオリカと顔を合わせてしまうので気まずくて気まずくて仕方が無かったのである。外をブラブラして帰ってくれば、オリカとは必要最低限のみ顔を合わせれば済むのだ。だから一人で出かけようかエアリオでも誘おうかと思っていたその矢先である。
「リイド、ちょっと座って」
と、エアリオは自分が座っているソファの横をポンポンと叩いて見せたのである。良くわからなかったがボクは言われるがまま、彼女の隣に腰掛けた。
「リイド、ちょっとこれから説教するね」
「は……? なんでお前にボクが説教されなきゃいけないんだ?」
「いいからするの」
有無を言わせぬ迫力……はなかったが、勢いだけはあった。あのエアリオが説教というのもまず珍しいが、ここまで自分の意見を主張するのも珍しい事だ。最近このバカとの生活も慣れてきたのでこれといって頭に血が上る事も無く、ボクは至って冷静に彼女の言葉をすんなりとスルーした。
「リイド……。貴様ァ……この一ヶ月間、オリカを避け続けているな……?」
「なんなのその喋り……? 迫力が全く無くてむしろちゃんちゃらおかしいんだけど」
「リイドはいちいち人の話の腰を折らなければ気がすまないの? 子供なの?」
「…………。くっそハラ立つなぁ~……。で、それがどうしたっていうんだよ? オリカを避けようがエアリオには関係ないだろ」
こちらとしては正に図星というものである。少しばかりイラっとしてしまうのも無理はないだろう。むしろエアリオの口からそんな事を言われるとは思っていなかったわけで。エアリオはソファの上に何故か正座すると、足が痛いのかぷるぷるしながら言った。
「リイド……今日はオリカと一緒に出かけなさい」
「オリカと一緒に!? なんで!?」
「なんでもです……くっ」
「…………。お前明らかに正座なんか出来ねぇだろ……。なんでそこで頑張っちゃうんだよ……」
「がんばればいけるかと思って……」
「無理なもんは無理だろ……」
足がしびれたのか、エアリオは横にぱったりと倒れ、しばらくそのままぷるぷるしていた。呆れてその場を立ち去ろうとすると、エアリオはぷるぷるしたままボクの足に掴みかかってきた。ちっこいので思わず引き摺ってしまう。
「兎に角、出かけるものは出かけるんだ。リイド……これは命令なの」
「なんでこのボクがお前みたいな食う、寝る、食う、寝るの無限ローテーションしかしない生物の三大欲求のみで生きているような人間に命令されなきゃいけないんだよ」
「リイド、それはおかしい。三大欲求というには、性欲が抜けているから」
「そういう問題じゃねえって言ってんだろ――」
ていうか抜けてんのか。そして抜けてる自覚があるのか……。いや、まあエアリオの性欲についてはボクは至極どうでもいいのであえてツッコむつもりはないけど……。
「リイドはオリカのこと何にも判ってない」
「お前は判ってるって言うのか? あ?」
ちっこくて軽いエアリオを片足でブンブン振り回す。エアリオはフローリングの床の上をずるずると引きずりまわされ、ぐったりした様子だ。しかしそれでもボクの足を離す事はなかった。
じっと、丸くて金色の目でボクを見上げてくる。瞬きさえもしないでじーっと見つめてくる。長い睫の向こう、瞳の奥で何かがキラキラ輝いている。純粋無垢な小動物の目のようだ。ボクは暫くそれを睨み返していたが、徐々に嫌な汗をかき始めたのでエアリオの首根っこを掴み上げ、溜息混じりに頷いて見せた。
「わかったよ……。出かければいいんだろ、出かければ」
「そう、出かければ良い。オリカはわたしが呼んで来るから、リイドはその間に身だしなみのチェックをしておくこと」
「なんで身だしなみなんかチェックするんだよ?」
「リイド……君は実にばかだなあ」
即座にボクはエアリオを掴み上げ、ソファの上に放り投げた。一度その上をバウンドし、エアリオは床の上に転がった。そんなに強く打ったわけではない背中を押さえてまたぷるぷるしている。基本的な肉体の強度が脆いんだろうな……。
「……リ、リイドは女の子とデートしたことある……?」
「そんなもの無いに決まってるじゃないか」
いや、あるのかもしれないがボクは記憶喪失なわけで……。ここ数年は殆ど他人とロクに関わることさえもなかったし、それで良かったから。エアリオは背中をすりすりしながらボクの前に戻ってくると、力強く頷いて見せた。
「なら、一生懸命お洒落していく事……。何せ、初デートだし……」
「初デート? 誰が? 誰と?」
「初デート……。リイドが、オリカと……」
「成る程」
「うん」
「全然わからん――」
何も判らないという事だけはとりあえず判った。
そのままボクは殆ど何も判らないまま立ち尽くして考えてみたが、やっぱり改めて考えてみても意味はわからなかった。あれよあれよという間にオリカが部屋から出てくると、ボクらはエアリオに背中を押されて家からほぼ強制的に追い出されてしまうのであった。
「“Good Luck”」
と、無表情に親指を立てながら言ったエアリオのやり遂げた感のある顔だけは今でも憎たらしくて鮮明に思い出すことが出来る――。何はともあれそういうわけで……どういうわけなのかさっぱりわからないけどそういうわけで……。ボクは今こうしてオリカと並んで歩いているわけなのであった。
「でも、エアリオちゃん急にどうしちゃったんだろうね? 二人でデートして来いなんて……。なんか、気を使わせちゃったかなぁ?」
「どういう気の利かせ方をすればこうなるんだ……?」
あいつ、昔と比べて最近は随分と人間らしくなってきたというか自己主張するようになってきたというか、それはまあいいんだけどなんだかおかしな方向に向かっている気がするのはボクだけか?
ちらりとオリカへと視線を向ける。オリカは頭の上に乗せた帽子に片手を当て、楽しげに歩いていた。服装はいつもの黒スーツ姿で、思えばこいつはこの黒スーツ(私服)かジェネシス社員スーツ(仕事着)か第三共同学園制服(学生服)の三種類しか着ていた記憶が無い。楽しげに歩いていたオリカはボクの視線に気づいたのか、きょとんと目を丸くして微笑んだ。
「どうしたのリイド君? オリカちゃんの顔に何かくっついてるかな?」
「あ、いや……」
「くっついてるのは、君の可憐な目と鼻と口だよ……なーんちゃって!」
全く面白くなかったのでこっちが完全にしらけていると、オリカは少しヘコんだ様子で頬を掻き、それから足を止めて言った。
「いいよ、リイド君……無理しなくってさ」
少し遅れて足を止めて振り返ると、オリカはいつも通りの微笑を浮かべながらボクを見ていた。二人の間にある距離はたかだか4メートル程度だったのに、なんだかとても遠くに彼女が居るような気がした。
「オリカちゃんといると、リイド君は少し辛そうだもんね。ごめんね……消えてあげられなくて。でも私の仕事はリイド君を守る事なの。だから、どうしても傍に居なきゃいけない。リイド君がどんなに嫌がっても……ね」
「…………い、いや……そんなわけじゃ……」
「あ、気を使ってくれなくてもいいよ。私はこの世界で一番君の事を見てる。君の事を考えてる。だから君が、私の事を避けてる事も知ってるし、それは理解してる。無理しないで、リイド君。その方が、オリカちゃんは辛いんだ」
その時ボクは初めて気づいた。オリカの笑顔はいつもへらへらしていて胡散臭くて、どんな状況でも同じだと思っていた。けれど今のオリカの笑顔は違う。少しだけ寂しげな……儚い笑顔。何故かボクはとても悪い事をした気になり、しかし何も言えずに居た。
「それじゃ、オリカちゃんは少し離れて歩くからさ。リイド君には悪いけど見守ってなきゃいけないしね……。不満だろうけど、我慢してね」
「……オリカ」
「大丈夫、心配しなくてもオリカちゃんはニンジャマスターさんなので、リイド君に気配を悟らせる事も、姿を見せる事も絶対に在り得ない完璧な尾行を――」
「そうじゃなくて!」
言葉を遮ると、オリカは少し怯えたような目をした。顔は笑っている。でも彼女の目は不安に揺れていたのだ。ボクは彼女までの4メートルを一気に縮めると、その手を掴んで握り締めた。
「エアリオに言われたんだよ、一緒に出かけろって。ストーキングされるのは、一緒に出かけるとは言わないんだ」
「…………でも」
「いいから、ほら! おなかすいたんだろ? たまには外で何か食べるのも悪くはないよ。オリカの料理と比べると見劣りするかもしれないけど」
「え? リイド君、私の料理……気に入ってくれてたの?」
「なんで意外そうな顔するんだよ? 普通にあんた、家事万能じゃないか。エアリオも喜んでるよ、いつも食事が豪華だって」
「エアリオちゃんが……。そか。そっか……。うん、そうだね。一緒にごはん、食べようね」
そういえば最近、オリカは以前のように過激なスキンシップをしてこなくなっていた。一ヶ月間ボクが避けていただけじゃなかったんだ。オリカもボクの事を理解して、近づかないようにしていた。もしも避けていた事に気づいていたのなら、それは少し酷い事をしてしまったかもしれない。
それでもオリカは毎日笑顔で料理を作ってくれたし、毎日笑顔でボクらに接してくれた。あの日の日本での戦いが全部吹っ切れたわけじゃない。でも……エアリオの言わんとしていた事が少しだけ判ったような気がした。
二人でとりあえずエレベータでジェネシス本社ビルまでやってくると、そのままレストランに入った。メニューはやたらと高額だったが、レーヴァテインパイロットのIDカードがあれば全て無料である。そう、つまりボクはタダで遊び倒す為に本社までわざわざやってきたのである。
ちなみにこの一ヶ月間、暇さえあれば本社にやってきてはだらだらしていた。オリカを避けるため出かける頻度は高くなっていたので、今となってはこの本社ビルの中身にも随分詳しくなった。二人でやたら高級なイタリア料理なんか食べちゃったりしたのだが、オリカは和食以外のテーブルマナーについてはてんで疎く、ナイフに肉をぶっ刺してそのままそれを口に放り込んでいた。おいしそうにかじりついているオリカを呆れながら眺めていると、マナーが悪かった事に気づいたのかオリカは少し恥ずかしそうに笑った。
そうしてオリカと一緒に居ると、どうにもオリカが普通の人間にしか思えないのだから不思議である。次に向かったのは書店で、ボクは元々ここに来る予定だった。いくつか小説を購入した後、少年漫画の棚に手を伸ばす。オリカは意外そうな顔をしてボクの選んだ漫画のタイトルを読み上げた。
「……ダーの大冒険? へえ、リイド君こんな漫画読むんだ~! ちょっと意外かも!」
「いや、イリアが読めってうるさいんだよ。そんなに言うなら貸せって言ったんだけどね。昔はイリアも持ってたらしいんだけど、生活苦で売り飛ばしたらしい」
「……レーヴァテインパイロットとして給料貰ってるはずなんだけど」
「なんかあいつら、基本的に必要最低限の額しか使わないらしいよ。こっちの小説は、アイリスのお勧め」
「へぇ~! へぇ~っ!! リイド君、レーヴァテインチームの皆と仲良しなんだねぇっ!」
「そういうわけじゃないけど、“この本を読まないのは人生を大きく損しているのと同義です”とまで言われちゃなあ……。腹立つから粗を探してアイリスに指摘してやろうと思って」
「物凄くサディスティックな理由だけど、オリカちゃんはそんなリイド君が大好きだなぁ」
そうして本を購入するのだが――やはりここでもIDカードでスルー。ここでの買い物ならば何でも無料なのだからこのカードは本当に尋常ではない。次にやってきたのはビル内にあるゲームセンターだった。ここはイリアとカイトもよく出没する。ちなみにビデオゲーム機にはIDカードが通用しないので、小銭は自腹になる。
がちゃちゃとうるさい様々なゲーム音が入り混じった中に入っていくと、オリカが入り口でポカンとしているのが見えた。とりあえず戻ってみると、オリカはゲームセンターというものが始めてらしく、目を真ん丸くして驚いていた。
「ゲームセンターってこんなにうるさいんだねぇっ! なんか、煙草とも汗とも香水とも取れぬ妙なにおいがするねっ!!」
「あんまり言葉に出されたくないんだけどなそれは……。ほら、あそこにある格闘ゲーム、イリアがすげえやりこんでる奴だよ」
「え、どれどれ!? あ、ここオリカちゃんが入っても大丈夫なのかな!?」
「いや……誰でも入っていいんだよ……」
「失礼します!!」
オリカは何故か入り口でペコリと頭を下げ、きゃあきゃあ良いながらゲーム台に突っ込んでいった。するとそのままゲームをプレイ中の青年の前に顔を突き出し、目をキラキラさせながら画面を凝視している。
「すごいね、最近のゲームってよく動くんだねぇ!!」
「オ、オリカ!! すいません、すいません!!」
青年は目の前に突き出されたオリカの巨大な胸に完全に釘付けになっており、その間にコンピューターに負けてしまったらしい。なんともいえない表情を浮かべて立ち去っていく青年を見送り、ボクは溜息混じりに席についた。スコアランキングの上位は全て“ARC”という名前のプレイヤー名で埋め尽くされている。ちなみにこれがイリアの事であるのは特に説明するまでも無い。
コインを入れるとゲームが開始された。オリカはボクの背後をちょろちょろしながら様子を窺っている。何とも集中出来ないままプレイが開始され、オリカは背後で恥ずかしいくらい大声でボクの応援をしまくるのであった――。