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言葉、虚しく(3)


「――謳え、“略奪者の賛歌オヴェリスク”」


 囁くような声の後、イカロスを取り囲むようにして無数に浮かび上がる魔方陣。そこから繰り出される槍は一つにして無限である。空間を湾曲させ制御する能力を持つトライデント=アヌビスのランスは四方八方から繰り出される針の筵である。その中をイカロスは舞うように潜り抜けていく。

 回避の先に待ち構えるエクスカリバーはその剣を大きな踏み込みと同時に繰り出した。マントが揺れると同時に大気を震わせる斬撃が炸裂し、イカロスは空中で翼を瞬かせ横に回転しながらその切っ先を蹴り飛ばし、威力の方向を逸らす。更に続けて槍が降り注ぎ、最後に足元から繰り出された一撃の上に着地したイカロスの中、リイドは完全に息切れした様子だった。


「おい、冗談じゃないぞ!? なんであいつらあんなに息ピッタリなんだよ!? 敵同士じゃないのか!?」


「ま、まるでチームプレイを訓練していたかのような動作ね……」


「おいイリア、どうするんだよ……どわっ!?」


 乗っていた槍が消失し、真上から再び現れる攻撃をバック転で回避し、砂漠の上に足を着く。月光を背に跳躍したエクスカリバーは上空から斬撃を繰り出し、回避したイカロスの立っていた砂の大地は砕け、一気に白い粉が舞い上がった。パワーにおいては明らかにイカロスは二機に劣っている。ただ今はスピードで何とか凌いでいるに過ぎない。

 だがそうして二機の攻撃をかわし続けているだけでも驚異的なのだ。二つの機体のパイロットは同時に笑みを浮かべた。エクスカリバーの座席に座った少年は手先でくるくると剣を回しつつ、振り返ってルクレツィアに問いかけた。


「…………なあ、ルクレツィア? あいつ強ぇえさ。本気でやってやんなきゃ、失礼ってもんじゃねぇ?」


「……確かに。生半可な態度では倒せる相手ではあるまい。少し――気分を切り替えようか」


 ルクレツィアが深く息を吸い、そして目を閉じる――。まるで操縦者が変わったかのように一度目の光が消えたエクスカリバーは機敏に動き出し、まるで踊るように両手に構築した二刀の剣を振り回し始めた。美しい剣舞のデモンストレーションが終了すると、エクスカリバーの口が開き刀身に呪文が浮かび上がる。

 少女の前には少年が座っていた。少年はボロ布と呼んで差し支えないマントに全身を包み込んでいる。だがその横顔は――イカロスを挟んで反対側に立つトライデントのパイロットに良く似ていた。苛立ち汚い言葉を連呼しまくるネフティスを背に、少年はゆっくりと顔を上げる。


「試させてもらうよ、レーヴァテイン。そしてルクレツィア……君の選んだ道の答えを」


 トライデントは一度後退し、翼が変形したものである無数の棺を大地に設置した。次々とその扉が横にずれて行き、そこからは機械の手がぬるりと姿を現した。棺の中から出現したのは小型の人型機動兵器であった。全てがトライデントに酷似した外見を持ち、顔には特殊な装甲版を装備している。


「行くよ、“仮面の従者ストゥム”」


 ストゥムと呼ばれた小型の機動兵器はそれぞれが槍を手にし、一斉にイカロスへと襲い掛かる。その数八体――。まさか数が増えるとは思っていなかったリイドは歯を食いしばりその八機を相手に立ち回るしかない。それぞれの力は大した事はないものの、八体の敵というのはそれだけでも厄介であった。


「くそっ!? あいつらめちゃくちゃ本気じゃねえか!? うざったい……邪魔だ、退けえッ!!」


 イカロスの瞳が輝き、その全身から巨大な火柱が立ち上る。衝撃で激しく吹き飛ばされたストゥムたちであったが、どれもがただ吹き飛ばされただけで無事である。炎を纏ったイカロスの背後、仮面の兵たちに変わってエクスカリバーが猛然と駆け寄りつつあった。

 繰り出される剣筋は先ほどまでの型にはまったものではなく、行き成り背後から首をはねようとする動作に続き、足元を凪ぐ一撃が続く。そのスピードも威力も先ほどまでとは比べ物にならない。イカロスは両手で左右から繰り出されるエクスカリバーの剣を受け流し、隙を見て反撃の蹴りを穿つ。だがエクスカリバーは身体をのけぞらせてそれを回避し、縦に回転すると同時にマントをばさりとひらめかせた。


「視界が……ぐっ!?」


 そのままイカロスの頭部に蹴りが入り、ぐらりとよろけた機体の側面から剣が迫る――。まさに首を一発で刎ね飛ばす必殺の一撃である。リイドはシンクロを高めその動作を見切り、軽く跳躍し膝と肘との間に剣を挟み、バーニアで回転してその剣を圧し折った。


「やぁ~るぅ~♪ ルクレツィア、新しい剣お願いっ!」


「…………楽しそうだな」


「そりゃあまあ、楽しまなきゃ損だろ~? こんなに強いやつ――初めて見たよ」


 折れた刀身が一瞬で復元され、イカロスは砕けた刃の破片を砂漠へと放り投げた。リイドは考える……。何故、何故こんな事になっているのか? 明らかに二対一の状況が成立してしまっている。イリアが喧嘩を売りさえしなければこんな事にはならなかったのに。

 そもそも任務の内容はエクスカリバーの回収であって戦闘ではない。あのまま上空に隠れて二機を戦わせボロボロに成った所を回収すれば全てが簡単に行ったのではないだろうか? しかしそんなリイドの思考はシンクロ状態にあるイリアにも筒抜けである。少女はじーっとリイドを睨み、それから告げた。


「悪かったわね、頭悪くて! でも、ここで逃げるようなら……レーヴァテインに乗って戦う資格なんてないわ!」


「レーヴァに乗るのに資格が居るのかよ……」


「強い力にはそれなりに責任が伴うものよ。あたしはもう逃げないって決めたのよ! 立ちふさがる問題は全てこの両手でぶっ潰して進んでいくって! 思い通りにならない何もかもに真正面から挑んでいくって! あたしは逃げない……ううん、絶対に逃げたくない! だから――強くなる!」


 イリアの強い思いをリイドも感じていた。そうしてイリアが新しいイカロスの戦い方を編み出していた事を悟る。成る程、これなら少しはマシになるか……と考えるのに一秒未満。そして即座にそれは可能なのか? と疑って一秒。しかしやはりそんな戸惑いさえも彼女には筒抜けであり――。


「あたしを信じなさい、リイド。あんたはこのイカロスを飛ばせた男なのよ? そのあんたがアーティフェクタ相手にしたくらいでビビってんじゃないわよ!」


「……~~ッ!! っとに、あんたは言ってる事がめちゃくちゃだ……! これで負けたら、ヴェクターにはあんたが謝ってくれよな……!」


「かまやしないわよっ!! さあ……その目を見開きなさい! あたしたちのこの腕が倒す相手を――最後まで見届けなさいッ!!」


 一瞬目を閉じ、心を重ねる。それは以前よりもスムーズに、そして無理なく行われた。二人が目を開いた時こそイカロスが目覚める時である。紅蓮の炎に包まれて、炎のレーヴァテインは新しい力に覚醒しようとしていた。

 炎を生み出す翼が左右同時に切り離され、それが変形する。形状が変わった翼はイカロスの両腕に装備され、更に細部の装甲版のデザインが変わっていく。脚部には腕の装備と良く似た追加装甲が構築され、巨大な両の拳を握り締め、イカロスは紅い光を纏ってそれを開放する。


「「 イカロス、アナザードライブモード……! 新式編纂――! 焼き尽くせ、“アポロドロス”ッ!! 」」


 振り上げた巨大化した拳を大地へと叩きつけるイカロス。“アポロドロス”――。それはイリアがホルスとの戦いで得たヒントを元に構築した新武装。大地に伝わる炎の衝撃は周囲で同時に燃え上がり、八体の仮面の兵士の足元に炎の槍を構築する。次々に射抜かれた兵士の残骸をに囲われ、イカロスは両の拳を打ち鳴らして炎を吐いた。




言葉、虚しく(3)




「現在より遡る事、凡そ三年前――。回収され、ジェネシスの地下に封印されていたレーヴァテインが暴走し、現存したアーティフェクタ全てが倒されるという事件があった……。そして世界は変わった。たった三年間の内に、まるで見違えるかのようにな」


 東方連合と呼ばれる組織の中枢――それは旧日本列島に存在する。かつて東京と呼ばれた首都は壊滅し、既に原型さえも残しては居ない。スヴィア・レンブラムが訪れたその場所は旧京都に存在する東方連合の技術によって構築された“異界”であった。

 神に対抗する術式を構築し、それを使って東方連合は京都に巨大な結界を生み出した。機械的に再現された神のロジックは京都の町を常に守護し、その鋼鉄の要塞を鉄壁の物としている。ガルヴァテインがその異界に降り立ったのは一時間ほど前の事である。そして彼は暫く待たされた後、東方連合のトップと謁見する事を許されたのだ。

 京都の中枢、“七天浄華”と呼ばれる要塞の中で最も厚い守りに覆われたそこに、東方連合の総司令官、スオウ・ムラクモは座っていた。周囲を堀に包まれ、無数の桜が咲き乱れる幻想的な景色の中、スオウは着崩した着物の合間から白い肌を覗かせながら来客に笑みを向けている。片手には一升瓶――それをがぶ飲みしながらスオウはぺろりと舌で唇を舐めて見せた。

 スオウ・ムラクモとスヴィア・レンブラムの付き合いは三年前のあの事件から始まった。煌びやか過ぎる着物の女は座ったままスヴィアをちょいちょいと手招きする。それに応じ、スヴィアは彼女の直ぐ傍まで歩み寄った。


「相変わらず実に美しい顔をしておる。同盟軍などに所属せず、うちらと共にこの街で暮らせばよかろうに」


「お戯れを……。貴方は変わらないな、ムラクモ。私もゆっくり杯を交わしたいのは山々なのだが、色々と忙しいのだ。時間が無い、とも言える」


「ふむ……? 魔剣の話か?」


「先日、沖縄基地がレーヴァテインによる襲撃を受けたと聞いた。その詳細と真実を確かめたくてな」


「真実か……。何の事はない、恐らくはお主が知っている事実が全てじゃろう」


 三日前、東方連合沖縄基地をレーヴァテインが襲撃した。その理由――“不明”。当時護衛艦隊はレーヴァテインに警告を何度もしたが、戦闘領域一帯に強力なジャミングが発生しており、レーヴァテインと連絡をつける事は出来なかった。仕方が無くレーヴァテインに威嚇射撃を開始。その数分後、艦隊壊滅――。

 基地に侵入したレーヴァテインは基地の施設を完全に破壊。更に基地そのものも攻撃により蒸発――。日本列島に巨大な傷跡を残した。この行動の理由、一切不明――。結局レーヴァテインは沖縄基地を破壊しつくした後、何を要求するでもなく撤退した……というのが嘘偽り無い東方連合側の認識であった。あの場で起きたオロチとの戦闘、オロチ率いるスサノオ隊がジェネシスに何をしたのか、そして何故レーヴァテインが向かってきたのか、その理由全てが不明瞭なままであった。

 東方連合はジェネシスに説明を求めるも、回答は完全なる沈黙によって捻じ伏せられてしまった。ジェネシスは常に商談以外に関しては沈黙を守り続けている。故にそれが一体どんな目的で起きた戦闘なのか、ムラクモは把握していなかった。


「レーヴァテインによる基地破壊により、沖縄周辺の人類の戦線図はまた変わってくるじゃろうな。東方連合は失った基地周辺をカバーするのでやっとという所かの」


「――要領を得ないな。ムラクモ、貴方はこれをジェネシスによる宣戦布告と同義と考えるか?」


「そこまでは考えぬが、まあ当たらずとも遠からずであろう? どちらにせよ、ジェネシスは放置出来ぬ。この三年間で各地にジェネシスの技術が流出し、そのお陰でこちらの戦力も整いつつある。時が来れば我らはあの偽りの楽園を落城させるつもりよ」


「だが、ジェネシスにはレーヴァテインがある」


「相手が人間ならばまだ勝ち目はあろう。それに……お主も黙ってはおるまい? スヴィア・レンブラムよ」


 腕を組み、スヴィアは静かに息をついた。確かにレーヴァテインが誤った方向に進むというのであれば、黙っているわけには行かない。だがスヴィアはまだレーヴァテインを信じていた。レーヴァテインに乗るリイド・レンブラムを信じていた。彼は少なくとも無意味に人を傷つけはしない……そう信じていた。

 だがそんなスヴィアに残る一握の不安は、彼が過去に経験した事実に基づいている。そもそもリイド・レンブラムとレーヴァテインという存在はその存在そのものが既に危険なのである。“繰り返し”の世界の中、彼が辿る道は単純に確率の問題に過ぎない。歴史が忌むべき方向へ世界を導くのであれば、スヴィアはそれを断つ宿命を背負っている。


「三年前に起きた事件を忘れたわけではあるまい? レーヴァテインは危険すぎるのじゃ。あれは……あまりに世界を深く関わり過ぎた。何故あれを破壊せずジェネシスに残したのだ? お主ならあの時、完全にレーヴァテインを破壊しつくす事も可能だったはずじゃが」


 三年前、レーヴァテインがまだ完全に運用開始されていなかった時代――。ジェネシスによる完全制御の為の起動実験が行われた。その際レーヴァテインは暴走し、そのレーヴァテインの暴走に引き摺られるかのように全てのアーティフェクタに同様の現象が発生したのである。それは放置すればこの世界の滅亡さえも意味する大事件であった。


「しかし、お主はレーヴァテインを機能停止に追い込むだけに留めた……。勿論、何か理由はあるのじゃろう?」


「理由はないが、思惑ならば。“こうなればいい”という希望もある。が……ただの我儘か」


「人類の反撃はまだ始まったばかりじゃ。これからの世界には人類を取りまとめ、神と戦う為の旗が必要になる。スヴィア……この調和の乱れは世界の分断を招くぞ。早急に手を打たねば、この世界は終わる」


「わかっているつもりだ」


 レーヴァテインを野放しにし、そしてそれにリイドが乗り込むように運命を仕組んだのは彼なりの願いの形に他ならない。彼は危険だが、彼だからこそこの世界の運命を変えるかもしれないとスヴィアは考えている。変革の最中にあるこの世界で今、レーヴァテインの存在の意義が問われている。その真価を証明出来るかどうか、それはスヴィアが決定する事ではない。リイド・レンブラムというあの適合者が、決める事なのだ――。




 開いた口から炎の吐息を吐き出しながらイカロスは走り出した。繰り出されるその拳は先ほどまでの何倍の速さだっただろうか。とても回避出来るようなものではなく、トライデントは棺を盾に防御を試みる。棺は光を放ち拳の威力を軽減するが、それでも拳は徐々に棺へと減り込んで行った。

 次の瞬間、イカロスの拳が一瞬赤く瞬き、直後拳の先端から爆発が巻き起こった。拳に装備された翼が変形したユニットが起爆を促し、パンチの瞬間に合わせて爆発を起こすのだ。一瞬で棺を貫く拳――それがトライデントに迫る。だがイカロスの前にはまだ七つの棺が待っていた。ずらりと並んだそれを前にイカロスは片手を開き、そこにフォゾンを収束させていく。

 ホルスとの戦いを乗り越え、その力を吸収したイリアにはその程度の防御は何の意味も成さない。輝くその手は太陽と同義の熱を帯びた光そのもの――。腕のユニットから炎が瞬き、イカロスは回転しながら再びパンチを繰り出した。爆発に次ぐ爆発――。トライデントは衝撃で吹き飛び、棺で防御をしたにも関わらずその装甲は融解を始めていた。


「――高熱……いや、これは“炎”の概念を持った神の意思か。成る程、これがレーヴァテイン……!」


「おいセト、悠長に分析してる場合じゃねえぞ!! 棺が一つ残らず一発でブチ抜かれた! どういう破壊力だ、ありゃあ!?」


「直撃したらトライデントの装甲でも一撃大破だね、ふふふ」


「だから、笑ってる場合じゃねえ!! 来るぞ――ッ!!!!」


 イカロスは両手の拳を開き、紅く赤熱させながら追跡してくる。そこに背後からエクスカリバーが襲い掛かり、同時に左右の剣を振り下ろした。イカロスは大地に両手を突いて逆立ちすると同時に背後からの剣を爪先で蹴り飛ばす。空になった両手の中にエクスカリバーは一瞬で次の剣を構築し、更に横に一閃――。イカロスは回転しながら空中へと舞い上がり、砂の上に着地する。


「無茶苦茶な動きをする……! 本当に機械か……!?」


 エクスカリバーが再び剣を振り下ろすと、その二対の刃をイカロスは左右の手でしっかりと掴んで見せた。次の瞬間刀身がどろりと溶け出し、消滅してしまう。危険を察知して身を引くエクスカリバー。しかし判断は一瞬、しかし永久に等しい刹那に遅すぎたのだ。

 イカロスは握り締めた拳をエクスカリバーの腹に叩き込んだ。次の瞬間、爆発炎上と同時にエクスカリバーは吹き飛んでいく。倒れたその機体からは完全に武装と呼べるものが消失していた。


「手加減はしといたから、まあ死にはしないでしょう――」


「イリア、後ろだ!」


「判ってる!!」


 更に後方よりランスを振り上げたトライデントが迫っている。イカロスは振り返ると同時にハイキックで腕を叩いて槍を払い、そのまま片足を軸に回転を始める。脚部に装備された大型の追加ブースターが炎を噴出し、イカロスはぐんぐん加速――。まるで独楽のように回転しながらトライデントへと襲い掛かった。

 蹴りが繰り出される前に棺を再構築して防御するトライデント。しかし蹴りの一撃一撃が余りにも重く、棺はその度に砕けていく。一瞬で全ての防御と結界が貫通された時、動きを停止したイカロスは更に軽く舞い上がり、空中から斜めにトライデントへと蹴りを放った。


「――――悪いわね。でも、負けてあげるわけにはいかないのよ。あたしたちはもう――誰にも負けるわけにはっ!!」


 キックに合わせて脚部が加速し、袈裟に入った爪先はまるで刃物のようにトライデントの装甲を斜めに切り裂いた。遅れて炎が吹き上がり、ぐらりとトライデントの巨体が揺らぐ。そうして膝を突いたトライデントと倒れたエクスカリバーの間、イカロスはアナザードライブモードを解除する。全身を覆っていた炎が消化され、一気に出力が落ちていく。


「……くうっ!! こんなの連発してたらこっちの身が持たないぞ、イリア……!!」


「ま、まあなんとかなったんだからいいんじゃないの? これくらい根性で我慢しなさいよ、根性で」


「気合とか根性なんて言葉で何でもかんでも解決しようとするなよ、体育会系め……」


 額の汗を拭い、イリアは白い歯を見せて笑う。その様子からは以前から帯びていた影のようなものは微塵も窺う事は出来なかった。リイドは苦笑を浮かべ、コックピットのハッチを開く。そうして風の中に身を出すと、倒れた二機のアーティフェクタに目を向けた。リイドの意思を把握したのか、トライデントとエクスカリバー、それぞれのコックピットが開く。そう、問題はまだ何も解決してはいなかったのだ――。




「正義や悪という概念が、人間にとって本当に大切な物だと思う?」


 第三共同学園の傍にある小さな公園、そこでオリカはブランコを揺らしていた。隣のブランコにはエアリオが座っているのだが、別に二人は思い切りブランコを満喫しにきたわけではない。エアリオがオリカを探してここまでやってきて、そしてこういう形になっただけなのである。

 リイドとイリアが戦っている頃、まだ夜が明けるより少し早い闇の中、オリカは薄暗い外灯の下でぼんやりと作り物の空を見上げていた。そこにエアリオがやってきた時は大層驚いた物だが、エアリオが持っている“力”を知るオリカは直ぐに納得した。


「この世界にはさ、色々なものがあって、色々な人が居て……でもその全てに、意味なんか無いんだよ。森羅万象に、意味なんてないんだよ。生きていても死んでいてもそれは同じ。全部……意味なんかないんだよ。誰もそれを定義する事は出来ないし、誰にもそれは否定出来ない。この世界にある要素は、ただそこに在るだけなんだよ」


「在るだけ?」


「例えばさ、ここに取り出したるはオリカちゃん愛用のコンバットナイフで~す。これは果たして良い物なのか、悪い物なのか、どちらでしょう?」


「…………。ナイフはナイフだと思う」


 エアリオの答えは少々変わっていたが、だがそれは真理でもある。ナイフはナイフなのだ。それを仮に人を殺める為に使ったとしても、リンゴの皮を剥く為に使ったとしても、それはナイフでしかない。その存在そのものが揺らいでしまうわけではない。

 逆に言えば、その用途に善悪を定義する事自体が人間の勝手な思い込みなのだ。どう転んだとしてもナイフはナイフでしかない……それが真実である。この世界に存在する要素一つ一つに意味などないのだ。ただそれはそう在り、そう在る為に存在している。


「でもそれだけじゃ人間は不安なんだよ。意味や理由がなきゃ、人は怖くて仕方が無い弱い生き物だからね。だからこれは良いこと、これは悪いことって勝手に色をつける。それを否定するつもりはないけどにゃー、オリカちゃんはそういうのは得意じゃないのだ」


「オリカはオリカ」


「そう、オリカちゃんはどう足掻いたってオリカちゃんでしかない。自分のした事が赦されるわけでも、その存在を神に裁かれるでもない……。エアリオちゃん、オリカちゃんはね……人の倫理で考えればきっと地獄というやつに落ちるんだよ。でもそれでも構わない。何故ならオリカちゃんは――自分の好きに生きているから!」


 ブランコを勢い良く漕ぎまくり、一回転してしまうのではないかという程の幅を得ると、オリカは空中に打ち出されるように舞い上がった。人工の月を背にくるりと回転したオリカは見事に着地し、そして遅れて落下してきた帽子が勝手に頭の上に乗った。エアリオはパチパチと手を叩き、そしてブランコを降りる。


「私は私の好きに生きる。私の信じる物だけを信じる。邪悪と呼ばれても、自分の愛と力を信じている――。だからエアリオちゃん、そんな顔しなくていいんだよ。そんなに心配してくれなくてもいいんだよ。わざわざ夜中に、探しに来てくれなくたっていいんだよ」


 眠たげに目を擦っているエアリオの頭をぐりぐりと撫で回し、オリカは無邪気な笑顔を浮かべた。その手を取り、エアリオは両手で包み込む。オリカは少し驚いた様子だったが、エアリオの真っ直ぐな視線に何かを悟ったのか、寂しげに頬を緩めて見せる。


「……ホントはね、ちょびっとだけ、落ち込んでるのにゃー。リイド君に、嫌われちゃったからね」


「…………オリカ」


「別に、リイド君に好きになってもらいたいわけじゃないんだよ。別に、報われたいわけじゃないんだよ。別に、オリカちゃんは一人ぼっちでも平気なんだよ。でも……やっぱり、ちびっとだけ。ほんの、ちびっとだけ。寂しいかな、なんて思っちゃったりなんかしたりしなかったり」


「リイドはオリカの事が嫌いになったわけじゃない。ただ、どう接したら良いのかわからないだけだよ」


「そうかなぁ。でも、どちらにせよオリカちゃんは人に嫌われてるくらいのほうがちょうど良いんだけどね」


 オリカはその場でくるりと回転し、それからほっぺたを両手の人差し指で意図的に吊り上げて見せた。それは笑顔にも見える。自然にも、不自然にも。どちらとも取れないその半端な笑顔にエアリオは小首をかしげる。


「リイド君にはね、笑ってて欲しいんだ。リイド君はね、ずうっとずうっと、眠ったままでね。人間の都合で利用されて、人間の都合で使い捨てられる。だからオリカちゃんはリイド君にはせめて笑ってて欲しいんだ。リイド君がニコニコしてると、オリカちゃんも嬉しくなるから」


 だから――“練習”した。頬を吊り上げ、ニマニマしてみる。“一度も笑った事がなかった少女”は、少年に笑ってもらいたくて笑えるように練習したのだ。眠った少年の顔を覗き込みつつ、オリカは自分の顔をぐにぐにと両手で弄ってみた。幼い彼女の顔に表情と呼べる物は一切無かった。だからぐにぐにと両手でこねくり回したのだ。粘土ではないのだから、それで笑顔が作れるわけではないのに。それでもこねこねと、頬を摘んで引っ張って……そうし続けたのだ。

 鏡の前で何度も笑う練習をした。にこにこしようとした。にこにこ、にこにこ……。何年か練習を続けた頃、少女はにこにこ笑えるようになった。だが戻ってきたのはそれだけだった。得られたのは“それだけ”だった。オリカは泣く事が出来ない。オリカは苦しむ事が出来ない。感情らしい感情を表現する事が出来ない。出来る事は“笑う事”だけ。だから――どんなに自分が苦しくても、笑う事しか出来ない。

 笑い続けた少女はいつしか笑う事が止められなくなってしまった。にこにこし続ける。どんな状況でも、にこにこし続ける……。そうする事で、少しでもリイドが明るい気持ちになってくれればいい。まるでピエロのように、踊り続けるのだ。この血と罪で穢れた闇の世界の中を――たった一人、孤独に。


「オリカちゃんがリイド君の傍に居る事で、リイド君が笑えないなら……私はいつだって消えて見せるよ。でも、まだあの子を守ってあげなきゃいけないんだ。まだ……私のやるべき事は終わってないんだ。だから私は嫌われても傍に居なきゃならない。全部覚悟してた事だし、わかりきってた事だよ。だから大丈夫なんだ」


 背中を向け、エアリオにそう語るオリカ。だがエアリオにはどうにも大丈夫には見えなかった。きっとオリカはこの気持ちをリイドに隠し通すのだろう。そして鈍いリイドはそれに一生気づくまい。振り返ったオリカは月明かりに照らされ、本当に可憐に微笑んでいた。闇の中でしか咲くことが出来ない華――。エアリオはその華に歩み寄り、その手を握り締めた。


「エアリオちゃんの手、ちっちゃいねー! ぷにぷにしてて、ちべたくて……気持ち良いや」


「オリカ」


「うん?」


「ありがとう」


 エアリオの言葉で一瞬オリカは驚いたように見えた。しかし直ぐにいつもの笑顔に戻ってしまう。ナイフを握り締め、眠る少年を守り続けた少女……。彼女は今も、少年の傍で“ナイフ”で在り続ける。エアリオはそんな彼女が哀れで、そしてその優しさがとても好きだった。


「さ、そろそろ戻って寝ようか! エアリオちゃん、たっぷり寝ないと学校で寝ちゃうぞー」


「別にいい。どっちみち寝るから」


「……そうなんだ」


 そうして二人は手を繋いで帰っていく。無人の公園、ブランコはキイと音を立て、まるで泣いているかのように少しだけ揺れて見せた。


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またいつものやつです。
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