言葉、虚しく(2)
最近になって、急に夢を見るようになった――。少女はその夢の中、ただ苦しみ続けていた。それが何の夢なのか、誰の夢なのか、それさえもわからなかった。
記憶の中に存在するオルフェウスは彼女の知るオルフェウスとは違った。記憶の中に存在する自分は彼女の知る自分とは違った。百万の人の軍隊を率いて神との戦争を繰り返す人ならざる者――。紅き旗を掲げ、無数の神の屍の上に君臨する者。紅き髪を靡かせる騎士の声……。何故だろう? それはとても大きな声であるはずなのに、ここまでは聞こえてこない。唇から言葉を読み取ろうとしても、内容が不思議と頭に入ってこなかった。
巨大な大樹の麓、倒れたエアリオを抱きかかえるリイド・レンブラムの姿があった。二人とも彼女の知るリイドとエアリオではないと、そんな気がした。自分が知っている二人と比べ、その二人はいくらか年上に見える。そして彼らの背後に佇むレーヴァテインもまた、まるで彼女が知る存在とは別物のように思えた。
宇宙から火の玉が落ちてくるイメージを見た。空に浮かぶ無数の人の船……都市。星を包み込む淡い光とそこに訪れる祝福の時――。暴れ狂うレーヴァテインとそれを取り囲む無数のアーティフェクタ。駆逐された歴史とそれを管理する者。七色の剣とその管理者たち――。
最早夢なのかオカルトなのかもわからないような、フラッシュする無数のイメージの中、逃れようと少女は身を捩じらせた。うめき声を上げ、必死でのた打ち回る。そうしてやっと覚醒の中にあった夢が終わり、現実の闇の中へと戻る事が出来た。しかしそれでもまだ身体の隅々にいきわたった神経がリンクしていないかのように、身体は上手く動かない。震える指先を少し折り曲げ、まだ自分が自分であることに安堵した。
時計に目を向けると、短針は午前四時を指し示そうとしていた。少女――アイリス・アークライトはベッドの上にばったりと身体を投げ出し、汗の滲んだ寝巻きの袖で額を拭った。闇の中、時計を見るにも天井を見るにも眼鏡は必要なかった。それはただの飾り……伊達なのである。元々は姉からプレゼントされた代物――だが、何故だろうか? それが今はとても不思議な事に忌々しい物のように思えた。自分と姉を繋ぐ絆であるはずのそれが、何故か自分と姉の存在を隔てているかのような――。
「……姉さん、無事にイギリスについたかな?」
窓を開け放ち、風を取り込む。明け方の冷えた空気は熱っぽい身体には心地よかった。そうして窓辺に立ち、明るくなり始める街を眺める。少なくとも今この世界は平和に見える。この瞬間だけは。この場所だけは――。
彼女の姉、イリア・アークライトがレーヴァテインと共に出撃したのは今から六時間ほど前の話である。アイリスも同行したいと言ったのだが、その作戦は危険かつ高難易度を極める重要任務であった。何しろその内容というのが……。
「……アーティフェクタの奪取、だって!?」
アーティフェクタ運用本部にリイドの声が響き渡った。それもそのはず、今回の作戦は今までの作戦とは全く方向性も意図も異なっているのだから。
ヴェクターから説明を受けたリイドはしかしまるで納得出来ずに居た。そんなリイドが続けて反論しようとしたその口を塞ぐように、ルドルフが前に出てモニターに地図を表示した。それは現在の世界地図であり、目的地である旧イギリス領にマーカーが光っている。
「リイド、お前はこの世界にアーティフェクタが何機あるか知ってるか?」
「……アーティフェクタ? っていうと、レーヴァテインみたいなロボットって事?」
「ああ。アーティフェクタはただの人型戦闘兵器とはワケが違う。お前らも実際に戦っていてそれは判っただろ? マステマやヘイムダル、お前らが倒したスサノオ……。あのへんは行っちまえば人間の兵器の範疇だ。だがアーティフェクタは違う」
アーティフェクタを定義する要素として、適合者と干渉者二名による特殊な操縦とフォゾン武装が上げられる。ただのフォゾンによる兵装や二人乗りとは意味が異なり、それはレーヴァをはじめとしたアーティフェクタが絶大な能力を持っている事を示している。
そもそもその能力は人類の敵、神と呼ばれる存在が所持しているものだ。外部からフォゾンエネルギーを吸収し、それを武装や装甲へ変換構築する能力。人間と精神をシンクロさせる事により生み出される柔軟な操縦、操縦入力のロスを消失させた反応など、それは兵器としては余りにも逸脱した性能を持っているのだ。
実際リイドはその化け物染みた力をつい数日前に目の当たりにしたばかりだ。アーティフェクタにしてみれば人間の兵器などオモチャのようなものである。たった一機のアーティフェクタが暴れまわっただけで、国を滅ぼす事など容易いのだ。それをリイドは旧沖縄基地の壊滅によって思い知らされた。
「で、そんな力を持った化け物がその存在が確認されているだけで、この世界には五機存在している。まずファーストアーティフェクタと呼ばれている“レーヴァテイン”。こいつはジェネシスが保有する代物だ」
そして同盟軍が所持しているセカンドアーティフェクタ、通称“トライデント”……。そしてその存在は非公式ではあるものの、スヴィア・レンブラムが所持していると言われるナンバー不明の“ガルヴァテイン”。更にナンバー不明、東方連合が所持していると思われるアーティフェクタ、通称“オロチ”。これらは全て共通して特定の組織によって運用され、神に対抗する最後の兵器として活躍している。だがこの例に漏れた、組織に所属しない個人所有のアーティフェクタが存在するのである。
「それがサードアーティフェクタ、通称“エクスカリバー”だ」
「エクスカリバー……?」
「エクスカリバーは旧イギリス領の守護者だな。そのエクスカリバーのパイロットは旧イギリス領周辺から動こうとしないわけだ」
エクスカリバーは他のアーティフェクタと異なり、組織が所有しているものではない。個人でそれを運用し、ヨーロッパエリアを守護している……そんなパイロットがいるのである。その戦い方はゲリラと表現して差し支えない。各地で生き残った難民などを守り生かす為に戦うエクスカリバーは、一部では英雄視されてさえいる。
現在はヨーロッパ旧イギリス領にて戦線を構築し、神に抵抗するゲリラ活動を続けている。しかし度重なる天使と神の襲撃により、ヨーロッパエリアはほぼ壊滅状態……。ここに至るまで何度も戦線は押し返され、人類は住処を追いやられてきた。エクスカリバーは何とかその戦線を維持している最後の手綱の役割を持っているのである。
「でも、腐ってもアーティフェクタだろ? それでも守りきれないのか?」
「そのあたりは私から説明しましょう」
横から口を挟んだユカリはマップの映像を操作し、ヨーロッパエリアを拡大して見せた。そうして次に操作すると、そのエリアが見る見る黒く塗りつぶされていく。残ったのはほんの僅かなエリアがぽつぽつと見える程度であった。何の事かと首をかしげるリイドにユカリはありのままの事実を突きつける。
「この黒く塗りつぶされているエリアは現在神による“浄化”が完了しているエリアです」
「これ全部!? 浄化って……じゃあ、ここにはもう生き物が育たないって事?」
神は周囲のフォゾンを吸い尽くし、砂の砂漠を作ってしまう。するとそこには草木一本すら育たなくなり、近づく存在はフォゾン中毒に犯される死の世界が構築される。以前の戦いでゲート周辺や対アルテミス戦で見た景色が正にそれであった。
「現在ヨーロッパエリアは北極のヘヴンスゲート密集地域、通称“ゲヘナ”の脅威に晒されています。レベル7のヘヴンスゲートが四つ、更に世界最大のヘヴンスゲートであるレベル10までもが存在しているまさに神の領域です。ここから毎日のように敵襲を受けているわけですね」
「ヘヴンスゲートにレベルなんてあるのか」
「ええ。レベルは危険度と規模を表していて、高くなるほどより危険となります。レベルは1から10まで存在し、前回破壊したフィリピンゲートはレベル4の危険度ですね」
あれでもレベル4……。リイドはうんざりした表情を浮かべた。だがそれが事実であり、まだまだ格上の敵が待ち構えているのは明らかである。そしてそのレベル7が密集するゲヘナの攻撃を凌いでいるエクスカリバーの実力もまた自ずとうかがい知る事が出来るというものである。
「で、そんなヤバい場所に踏みとどまってるイカれたアーティフェクタをどうして奪取するんだ?」
「“奪取”ではありません、“保護”ですよリイド君。このままではエクスカリバーが落とされるのは時間の問題……。貴重なアーティフェクタという人類の守護者が消滅してしまっては、人類全体の損失に繋がります。何とかエクスカリバーのパイロットを説得して保護してもらいたいんですよ」
そう語るヴェクターだったが、リイドはどこかその言葉を信用出来ないで居た。確かに納得は出来る。エクスカリバーを危険地域にたった一機で放置するのは明らかに人類にとっての危機だ。それでエクスカリバーのパイロットがどうなろうが勝手だが、絶対的な力であるアーティフェクタを失うわけにはいかない。
理屈ではそう理解しているのだが、ヴェクターの言葉……それだけではない、ユカリやルドルフさえも信じられないで居た。ジェネシスがかつてしてきた事、そして今でもし続けている事を考えれば当然である。勿論その幸福を自分も享受してきた以上、己に罪が無いなどという事は出来ない。だがこれも単純にジェネシスがエクスカリバーという力を支配しようとしているだけなのではと疑ってしまう。
いや、実際のその考えはあるのだろう。そうでなければわざわざ危険地域にレーヴァテインを突っ込ませる意味がない。そうまでしても何とか回収したい――保護という名目による管理、それが真実だろう。話し合いをするつもりは最初からないのだ。話し合いでは解決しない事がわかりきっているから武力を差し向ける……。これでは単純に脅しではないか。リイドがそう口にしようとしたその時であった。
「――――じゃあ、そのエクスカリバーってアーティフェクタを保護してくればいいのね?」
背後、ずっと黙って腕を組んでいたイリアが声を上げた。ヴェクターが頷くと、驚いているリイドの隣に立ちイリアは言った。
「なら、今回はあたしが出撃するわ。文句はないでしょ? 飛行可能になったイカロスなら、マルドゥークの数倍の速さで現場に急行出来るわ」
「そりゃそうだけど……イリアは納得してるのか?」
「あたし頭悪いから良くわかんないけどさ……でも、このままほうっておく事は見殺しにするって事になるんじゃない? リイド、あんたこそそれでいいの?」
真っ直ぐなイリアの言葉にリイドは思わず口を紡いでしまう。確かにイリアの言うとおりだ。その裏にある真意がなんであれ、これは救出――保護なのだ。このままエクスカリバーを見殺しにするわけにはいかない。それはリイドとて同じ気持ちである。
「ふむ? リイド君、どうしますか? 適合者は貴方ですから干渉者の決定は貴方の権限ですよ」
「…………って言われてもなぁ」
頭を抱えるリイド。他の干渉者といえば、エアリオ、オリカ、アイリスの三人である。しかしアイリスはまだ実戦をあまり経験しておらず、それに怪我も治りきったわけではない。オリカは前回の出撃から気まずいままであまり顔を合わせたくなかったし、結果的にエアリオかイリアの二人しか選べない事になる。だが現在の二つのレーヴァテインの性能差を比べてみると、イカロスの方に分があるような気がする。
そもそも冷静に思い返してみると、イリアも前回はホルスとの戦いで意識不明になったりと色々不安になる部分がないわけではない。イカロスは完全に復活し、調子を取り戻した今のイリアならば信頼できるが……。
「いや、やっぱりエアリオにしたほうがいいんじゃ……」
「なんでよっ!? あたし乗せなさいよ!!」
「いやだってイリア、あんたこの間ぶっ倒れてただろ……?」
「そんな事言ったら誰がぶっ倒れるかなんてわかったもんじゃないわよ」
全くその通りなのだが、今ここでそれを言われたく無かった――。結局少年は押し切られる形となり、イカロスでの出撃が決定した。エアリオは特に何も言わず、その決定を聞いて頷くだけであった。
こうして旧イギリス領でのエクスカリバー保護作戦が開始される事になった。真夜中、イカロスはカタパルトエレータで上空まで舞い上がり、炎の翼を燃やして急加速していく。その力を以ってすれば、旧イギリス領まではあっという間の旅路であった――。
言葉、虚しく(2)
「しっかし、どうしてわざわざ名乗り出たわけ? 正直、ボクは気乗りしないな……この作戦」
夜の闇の中をイカロスは腕を組んだまま飛翔して行く。そのポーズと全く同じく、コックピットではイリアが腕を組んで周囲に広がる夜の世界を眺めていた。雲より上を飛べば降り注ぐ月明かりはとても美しく見える。他に人の存在しない世界を羽ばたくレーヴァテインの中はとても静かだった。
「あたしだって、これが正しいとは思っちゃいないわよ。でも……聞いたでしょ? カイトの話」
「……ああ。カイトが難民だったって話だろ?」
「そう。あーいや、別にあんたのこの間の戦いについては責めるつもりはないのよ? むしろ、よくやった方だと思うし……」
「何気を使ってるんだ? 気持ち悪いな……。もう気にしてないよ」
そう笑うリイドだったが、結局彼はまだあの戦いを振り切れずに居た。圧倒的な暴力で全てを破壊するレーヴァテイン、そして人と人同士の戦い……。自分でも上手く持ち直した方だと思っている。今は何とか冷静を取り繕うくらいには、整理する事が出来たようだ。皮肉にも、一人で考え込む時間は沢山あったのだから。
「あたしはヴァルハラ生まれのヴァルハラ育ちだから、外の世界の事は正直殆ど何も知らなかったわ。カイトの事も……。無責任よね。こんな馬鹿げた力を操っていながら、この世界の事何も知らなかったなんて」
リイドはイリアの言葉を聴きながらずっと前を向いていた。それは彼も痛感していた事だ。レーヴァという力を扱う上で必要な覚悟……それが足りなかったのだ。知らなければならない事も、覚悟しなければならない事も、どちらも等しく力を持つ者に必要とされる要素だ。
「もしも、このレーヴァテインで救える命があるのなら……その為に戦うべきじゃない。外に出てみなきゃ、自分の目で確かめなきゃ、この世界は判らないもの」
「……カイトと同じものを見る為に、わざわざ出撃するわけか」
「……わ、悪い?」
「いや――ただ、ね」
肩を竦め、リイドは頭上の月を見上げて笑った。そんな風にシンプルに考えられるイリアが羨ましい。そして……だからこそ、そんな彼女だからこそ、素敵だと思う事が出来る。今は兎に角、人を助けると思って戦おう。何もしないのでは、結局前進すらままならないのだから。
「ロマンチストだよ、あんたは」
リイドが呟いた言葉の意味はイリアには良くわからなかった。好きな人の為に好きな人と同じものを見て、体験する――。イリアの言っている事はそういう事だ。なら、彼女の為にも戦わねばなるまい。イカロスは炎の翼を瞬かせ、一気に雲の中へと潜っていくのであった。
『――今更この私に何の用だというのだ? セト……ネフティス』
白で埋め尽くされた砂漠の上、闇の中に月明かりを弾いて煌く何かが立っていた。分厚い雲がゆっくりと退けば降り注ぐ光はより強くなっていく。大地に剣を突き刺し、その柄の上に両手を重ねて立つ甲冑の騎士――。それはしかし騎士にしては巨大で。だがはためく白いマントの合間から覗くその装甲は文字通り騎士の鎧である。蒼と銀のカラーリングを施されたアーティフェクタ、“エクスカリバー”は来客を丁重に持て成すにしては物騒な覇気でトライデントと対峙していた。
夜の砂漠の上に向かい合い佇む二機のアーティフェクタ。まるで真珠を砕いてばら撒いたような白い砂は月明かりを弾き、夜とも昼ともつかぬ独特の光で二機を照らし上げている。幻想的な世界の中、しかしそこにあるのは現実である人間の意志。エクスカリバーは顔を上げ、そしてかつての友人であるトライデントのパイロットへと言葉を投げかけた。
『貴様らとは既に道を違えた筈だ。三年前、我らがジェネシスを去った時……我らはそれぞれのやり方に干渉しないという約束をしたはず。何故ここにいる、友よ』
『僕たちも、可能であれば干渉しないで居たかったんだけどね。どうも、そういうわけには行かなくなったみたいなんだ。君は知ってるかい、ルクレツィア。レーヴァテインが東方連合を攻撃した事を』
“ルクレツィア・セブンブライド”――それがエクスカリバーを奪取したパイロットの名前であった。三年前、全てのアーティフェクタはジェネシスの手中に収められていた。当時は九機存在したアーティフェクタはその大半が“事故”により大破し、そして残った僅かなアーティフェクタは世界へと散り散りになった。
彼女たちはその時誓ったのだ。それぞれの正義を果たす為にこの巨大な力を使おうと。そしてその道が交わらないものならば、お互いに干渉する事はしないと。だがその約束は既に破られてしまった。破らねばならない状況に陥ってしまった。世界は今、全てが急速に動き出そうとしているのだ。
「……レーヴァテインが……東方連合を攻撃……? どういう事だ、セト。詳しく説明してくれないか」
『チッ! こんなクソ田舎で既に終わっちまった戦争続けてるからそんな体たらくなんだよルクレツィア。隠居気取りの癖して偉そうに説明求めてんじゃねえよタコ』
「……相変わらずだな、貴様は。それと私はセトと話をしている。貴様には頼んでいない」
エクスカリバーのコックピットには金髪の女性が座っていた。蒼い光で照らされたコックピットの中、ルクレツィアは髪を掻き上げ深く座席に座り込む。通信機からはネフティスのとても表現出来ない罵倒が聞こえてきたが、ルクレツィアは気にも留めずに話を続ける。
『まあまあ、ネフティス落ち着いて……。僕たちは争いに来たわけじゃないんだから。ルクレツィア、ジェネシスが動き出そうとしているのかもしれない。“霹靂の魔剣”はあらゆるアーティフェクタの中で最強……絶対無敵の機体だ。もしそれが動き出したなら、僕らはそれを総力で阻止しなければならない。それはあの日の事件を見た君ならわかるだろう?』
三年前、ネフティス、セト、ルクレツィアの三人はジェネシスで忘れられない出来事を目の当たりにした。レーヴァテインは単機で残り八体存在したアーティフェクタへと戦いを挑み、その全てを撃破したのである。あのレーヴァテインの暴走事故がなければ彼らは未だにジェネシスに在籍していただろう。様々な理由で忘れられないあの日――だがやはり心の奥底に刻み込まれたあの禍々しい力はより鮮明に思い出す事が出来る。
『…………それで? 私にレーヴァテインを倒す手助けをしろ、とでも言うつもりか?』
『そうならずに済めばそれが一番だけどね。でもルクレツィア、君だってわかっているはずだ。どちらにせよ、君とエクスカリバーはもうとっくに限界を迎えているって事を』
月明かりで照らし出されたエクスカリバーは、見れば細かな傷が目立っている。装甲も完全に修復出来ないほどルクレツィアが弱っている証であった。アーティフェクタの運用にはそれこそ莫大な資金が必要とされる。だが組織の後ろ盾が無い彼女は満足にエクスカリバーのメンテナンスを行う事も修理を行う事も出来ないのだ。当然、疲労と損傷は蓄積され続ける――。この三年間、ここまで持った事がむしろ奇跡なのだ。それが彼女の文字通り血の滲むような努力を意味している。そして自分が限界にあるという事は他の誰よりルクレツィア本人が一番理解している事だ。
『このヨーロッパ戦線がここまで健闘したのは君のお陰だろうね。けど、もういい加減限界だ。次に攻撃を受ければ君だってただじゃすまない。いや……もう済んでいないのか。ルクレツィア、同盟軍に来るんだ。僕は友達を見殺しにしたくない』
『…………セト、お前の心遣いは本当に嬉しく思う。お前の言っている事も全て事実だろう。だがそれでも私はお前たちとは一緒に行けないのだ』
ルクレツィア・セブンブライドという女が何故このヨーロッパ戦線に執着するのか――。その理由は様々である。彼女は難民を守る象徴であり、守護者である。だがそれだけならばわざわざ場所を選ぶ必要はないのだ。同盟軍も可能な限り難民は受け入れようとしているし、彼らを守るのならば同盟軍のような組織に所属した方が良いに決まっている。だが、彼女の願う事はそれだけではないのだ。
『私はこのヨーロッパを愛している。ここで生まれ、ここで死ぬ……。難民となった人間も、故郷に帰りたいという気持ちは簡単に忘れられるものではない。だから戻ってくるのだ……ここに』
例え、物理的に戻る事が出来なかったとしても。世界中を旅しているヨーロッパ出身者たちの気持ちだけは、この故郷と呼べる場所に在るように。命がけで国を取り戻そうと戻ってくる人々の目の前に、まだ国があるように。もう存在しない“故郷”という存在を守る為にルクレツィアは戦っているのだ。それは物理的に存在するものではないし、効率的か非効率的かという問題ではない。それは彼女たち人間の“プライド”の問題なのだ。
『確かに、この戦線は近々蹂躙され崩壊するだろう。だがそうであったとしても、私は本望なのだ。私だけではない、この戦線に存在する全ての兵士がそれで本望なのだ。何かを守って死ぬのならば、本望なのだ。だが何も守れず逃げ回り、ただ死んでいく事だけは絶対に耐えられん』
『君という象徴を失えばこの戦線は絶望に包まれ瓦解する……。君は君の死によって人々を殺す事になるんだよ? それでも構わないというのかい?』
『――――厭わぬ。皆には既に説明してある。私が死んだ後も、強く生き強く死んでいくだろう。どちらにせよ、この世界は長くは無い。死に場所くらい、選ばせてやりたい』
崩壊と滅亡に向かう世界の現実をルクレツィアは第一線で眺めてきた。勿論その結論は簡単に導き出されたものではなく、この三年間の苦悩と血肉を代償に得た答えなのである。人々は、安らかな死を願っている。守り戦う事を願っている。ただ生きているだけが生きるという事ではない。呼吸をして、食べて寝て、それが生きているという事ならば“飼いならされる”も同義ではないか――。
『君たちの戦線の兵は全員同盟軍に所属になればいい。装備も兵器も設備も今よりずっとましになる。生存率も上がる。その経験があれば神に一泡吹かせられるかもしれない。沢山の人を救えるんだ。それでもここを離れないのは、ただのわがままじゃないか』
『ああ、お前の言うとおりだな。確かに、ただの我儘だ。児戯にも等しい、浅はかな抵抗だ。連中にとっては微々たる脅威に過ぎまい。だがそれでも、望んだ場所で生き、死にたいのだ。もう良いだろう、セト――。我らは所詮、相容れぬのだ』
大地に突き刺さった剣を引き抜き、エクスカリバーはそれを両手で構えた。武装する気配の無いトライデントにその切っ先を突きつけ、ルクレツィアは寂しげに呟く。
『帰ってくれ……。でなければ、私は友を倒さねばならなくなる』
『万全の状態のトライデントに、君のそのボロボロのエクスカリバーが勝てるとでも?』
『勝算は戦の理由には成らぬ。意義は常に胸のうちに在り』
『――――なら、僕は友達を殺さない為に力ずくでもつれて帰らせてもらうよ。その後、難民は救助すればいいだけの事だからね――』
トライデントがランスを構築し、それを構える。二機は同時に動き出し――月下の世界で刃を交えた。しかし二つの武装が交わったと思ったその時、二機の間に落ちてきた紅い影が双方の武器を片手ずつで受け止めていた。驚く双方のパイロットの間、赤い炎の翼を畳んだイカロスは両方の機体を弾き飛ばし、そうして声を上げた。
『さっきから聞いてればあんたたち――随分と我儘な事ばっかり言ってるのね』
少女の声だった。トライデントはランスを構えなおし、エクスカリバーは掌の中で一度くるりと剣を回して見せる。イカロスは腕を組んだ状態のまま二機を交互に見やり、そして続けた。
『そうやって自分の意見を押し通す為に武力行使してたんじゃ、いつまで経っても平和にならないじゃない』
『……リイド君かい? えーと、君の干渉者は……随分と独特な性格の持ち主なんだね』
以前聞いた声にコックピットの中、リイドは額に手を当てて溜息を漏らした。背後ではイリアが既にやる気満々になっており、もう止められそうにも無い。一体ここまで何をしに来たのか、彼女はすっかり忘れているに違いないだろう。
上空で二機の会話に聞き耳を立てていたイリアは二機が戦いに発展しそうになるや否や駆けつけてしまった。リイドはそんなイリアに背中を蹴飛ばされ、仕方が無く操縦している。だがそれも彼にとってはある意味好都合だ。今は自分の意思で戦うより、誰かの言葉を聞き入れる方が楽だったから。
「全く、あんたたちお互いに妥協するって事が出来ないわけ!? 少しは融通利かせて考えなさいよ!!」
『誰だかしらねーが邪魔すんじゃねえよ小娘。こちとら三年前の決着つけたくってウズウズしてんだ。邪魔だ失せな!』
『……申し訳ないが、私も退くつもりは無い。退いていろファースト……! 日和見主義に用は無い!』
「そう……。どっちも止めるつもりはないってわけね。オッケェ判ったわ……! だったら、このあたしを倒してからにしなさいッ!!」
何故そうなる――? リイドの驚愕の表情をイリアは完全無視であった。振り返ってみると、イリアは目尻に涙を溜めて闘志を燃やしている。何故そうなる――? 本日二回目のクエスチョンに少年は冷や汗を止められなかった。
少女は先ほどの会話を聞いて思ったのだ。恐らくこの世界に悪い人間などそうそういないのだと。それぞれに理由があり、それぞれの戦いをしている。願いを叶えるために。何かを守るために。そして理想を貫くために――。先日の戦いも、同じ事なのだ。相容れぬ存在というものは確かに存在する。だがそれを――認めてはやらない。
それがイリア・アークライトの貫く“我儘”。周囲が我儘を通すというのならば、こちらも同じように意地でも我儘を通すだけである。話せば分かり合えるはずなのだ。少し妥協しあって言葉を尽くせば打開策が見えるはずなのだ。それさえも拒絶するというのであれば――己の“正義”で捻じ伏せ言い聞かせよう。
「――――やるわよ、リイド。相手はたかがアーティフェクタが二機……! 生まれ変わったイカロスの敵じゃないわ!」
「ほ、本気か!? アーティフェクタってのは第一神話級より強いんだぞ!?」
「相手が神だろうが人間だろうが関係ないわよ! 行くわよイカロス……! どっからでも――!! かかってこぉおおおおおおおおいッ!!」
イリアが叫ぶと同時、二機のアーティフェクタが一気に突撃してくる。その間に挟まれ、リイドは半ばヤケクソ気味に声を上げてイカロスの力を解放するのであった。