言葉、虚しく(1)
「どんな理由があったにせよ、命令違反は命令違反です。リイド・レンブラム……貴方には三日間の投獄を命じます」
勿論、ただで済むとは思っていなかったし、むしろそのくらいで済んだのは幸運だったと思う。それにどうせ戻った所で皆と顔を合わせるのは辛いだけだったから。
ジェネシスの地下にまさか牢屋まであるとは思っていなかったけれど、想像していた牢屋のイメージよりはだいぶ綺麗だったし、居心地も悪くない。牢屋というよりは隔離病棟のように思えなくも無いが、どちらにせよあまり好き好んで入るような場所ではないだろう。
廊下の中は静かだった。地下だから光も差し込まなかったし、誰かの声が聞こえてくる事も無かった。食事は一日三回ユカリさんが持ってきてくれたし、何かと身体の事を気にかけてくれた。けれどそれもボクにとっては辛いだけだった。
ボクはエアリオを助ける為に戦った。敵が東方連合とかいうわけのわからない組織だったけど。相手が人間だったけど、戦ったんだ。あいつらは止めろと言ったのに人を殺した。逃げろと言ったのに向かってきた。だから殺したのは仕方が無かった……そう思う。けれどそう思う心とは別に自分の本音があって、それは勝手に後悔したり罪の意識を感じたりしている。人の心がこんなにもかみ合わないものだったなんて、思いもしなかった。
一人で居ると余計な事ばかり考えてしまう。何故だろう、たった半年くらい前まではずっと一人である事が当たり前だったのに――。牢獄にしては柔らかすぎるベッドの上に腰掛け、生活観の無い空間を眺める。いくつも連なる部屋の中、人の気配があるのはここだけだ。エルデとオリカはどこか別のところに連れて行かれたらしい。それはそれで……個人的には好都合だった。
戻ってきたボクは、話を聞くなりオリカに食って掛かった。勿論、それはボクが戦った相手が実はカイトの友人だったかもしれないという事――そしてオリカはその通信を意図的にシャットアウトしていたという事が理由だ。オリカはボクにカイトの友達を殺させようとしたのだ。戦わなければならなかった事もわかっているしそうしたのは自分の意思だ。だが……あそこまでやる必要はなかったんじゃないのか?
イザナギの放った剣の一撃は文字通り世界に大きすぎる傷跡を残した。それだけの力を使ってまだレーヴァテインは本気ではないのだ。あの怪物が全力で力を扱おうとしたら、この世界はどうなってしまうのだろうか――? レーヴァテインの力はわかっていたつもりだ。それがある限り、この世界には不幸が連なり続けるのも事実だろう。けれど――それを手放せない自分も、それに怯えているハンパな自分も、どちらも嫌で仕方が無かった。
「相手がカイト君の友達だったら、リイド君は殺さないの?」
胸倉を掴み上げられたオリカは真剣な表情でボクにそう言った。知っていればボクはどうしただろうか……? あの市街地での戦いのように、躊躇したのではないだろうか? その気になればエアリオを連れ去られる事なんてなかったんだ。あそこで躊躇しても、ただ闇雲に被害が広がっただけだ。でもじゃあ、だったらどうすればよかったんだ? どうすれば人が死なずに済んだんだ?
レーヴァテインはデカいんだ。ただそれだけで人を殺してしまうんだ。あらゆるものをぶっ壊してしまうんだ。それを制御して人を殺さないようにして街を壊さないようにして敵だけ殺すようにしてでもその敵の中から友達の友達は殺さないようにして――? そんなの無理に決まってる。出来っこないんだ、そんなの。わかってる。オリカがそうしてくれなかったらボクは……。
「……リイド君は、それでも戦えたの?」
オリカの問いかけにボクは答えられなかった。ただ乱暴にオリカを突き飛ばしただけだった。それ以上問いかけられるのが怖かったんだ。それ以上自分と向き合うのが怖かったんだ。自分のしでかした事、自分の持っている力の大きさを認識させられるのが怖かったんだ。
「嫌いになった? 私の事」
オリカは倒れたまま、ボクを見上げてそう言った。ボクは黙って拳を握り締め――目を逸らした。
「――――そっかぁ」
それだけ言ってオリカはまたヘラヘラと笑っていた。どうしてこんな時に笑っていられるのだろうかと、心底腹が立ったものだ。思えばあいつはいつだってヘラヘラ笑っている。戦闘中もそうだった。人を殺しても何とも思わない。傷つけられても何とも思わない……。まるで、人間じゃないみたいだ。
多分そうなんだ。ボクは、オリカの異常さにレーヴァテインを重ねて見ていたんだ。その絶対的な力も制御出来ない嗜虐的な思考も、抜き身の刀みたいなあいつだからこそレーヴァと重ねてしまう。ボクはきっとあいつを制御出来ない……そう思ってしまったから。
もう、以前と同じようにオリカと一緒に居る事は出来ない気がした。多分それはカイトも同じだ。ボクは彼らの事をわかっているつもりで、結果的には何も判っていなかったんだ。表面だけを取り繕って“仲間”を気取っても、埋まらない溝の大きさを思い知らされるだけだ――。
思えば、オリカの行動は以前から異常だったじゃないか。でもボクはそんなあいつの事、少しずつ受け入れ始めていたんだ。慣れてしまっていたんだ。これでよかったのかも知れない。そうだ、あいつと関わるのはもうやめよう。これ以上一緒に居ても良い事なんて何も無い。何も無いじゃないか。
「…………本当に、そうなのか……? なあ、オリカ――」
『今回の件、東方連合はどう見ているか』
『スオウ・ムラクモは例のアーティフェクタについては知らぬ存ぜぬを貫いているようだがの』
『面倒な事だ……。東洋の魔女め』
『だが、あれこそは我らが月の創造者の大樹より失われし三つのアーティフェクタが一つ……。オロチ……そう呼ばれていたか』
『“レーヴァテイン”、“トライデント”、“エクスカリバー”……この三機のみが兵器として使役する事の出来る“神”ではなかったのか?』
『“トランペッター”と“ロンギヌス”については、また特殊なケースよのう……。じゃが、オロチと呼ばれていた機体は間違いなく“月”のアーティフェクタ』
『正確な記録は残ってはおるまい。三年前、現存したはずの九機のアーティフェクタ……その殆どがレーヴァテインによって破壊されてしまった。オロチと呼ばれたこの機体だけではない。本来は我らが手中に納まるはずであったトライデント、そしてエクスカリバー……。この二機も“まがいもの”に奪取されてしまったのだからな』
『ロンギヌスの復活にはまだ時間がかかるだろう。彼奴の話が正しければ、ロンギヌスの覚醒まではまだ二年……。決して看過出来る時の流れではあるまい』
『今回の件、東方連合が本当に関わりなかったとすれば……どうする? ジェネシスによる他国侵略と看做されても仕方あるまい』
『“例の男”も黙ってはおるまいよ。すぐに世界が動き出す……。だからあれはこの小さな鳥籠に閉じ込めておかねばならなかったのだ。広い世界を知れば、要らぬ感情を知る事に通ずる』
『実に厄介な事をしてくれたものじゃな……。のう、オリカ・スティングレイ?』
闇の中、真上から照らすスポットライトの下、オリカは全身を拘束具で固定され椅子の上に座っていた。先ほどから周囲でぐるぐると廻るように聞こえる声にウンザリしていたが、顔を上げた少女は眼だけを笑わせてみせる。
『……この状況で笑うか。魔性とは実にあれの事よ……』
『轡があっては口も利けまいに……目は口ほどに物を言う』
『危険ではないか? スティングレイの一族は凶兆を祓う一族……だがそれゆえに凶兆に取り入られやすい。今回のようにいつ暴走するやもわからぬ。“切れすぎる刀”うっかりすれば己の手を噛み付くものよ』
『“イヴ”が拉致された事も気にかかる……。よからぬ事を吹き込まれていなければ良いが』
『どちらにせよリイド・レンブラムの護衛、この娘に任せるのは危険やもしれぬな』
『代理人を立てるか?』
『いや……この娘でなければ意味がないのだ。この娘にしか勤まらぬ。仮に“あの男”が我らに牙を剥いた時、それを屠れるのはこの娘のイザナギだけよ』
『…………正に、諸刃の剣よのう……』
声が聞こえなくなり、顔を上げたオリカの前に一人の女が歩み寄ってくる。黒いコートを羽織った女は紅い髪を靡かせ、眼鏡越しにオリカを見下ろした。女はポケットに手を突っ込み、取り出したのはカードキーであった。
『今後はもう少し、教育を徹底せよ。リフィル……貴様はそのために存在するのだ』
「……判っています」
拘束具にカードキーを通すと、それはオリカの身体から外れて暗い床の上に転がった。オリカは立ち上がり――残りの拘束具は自力で引きちぎってしまう。轡を噛み千切り、それを吐き捨ててコキリと首を鳴らした。
『……化け物め』
その声を聞いてオリカは普段のように優しく穏やかに微笑んでみせる。瞳の中に闇を浮かべ、笑う怪物――。少女にはその暗闇も、幽鬼の声さえもが何もかも似合っている。まるで彼女もその一部であるかのように――。
言葉、虚しく(1)
「姉さん、レンブラム先輩の釈放……今日ですよ?」
「んー……。わかってるわよぅ……」
放課後の第三共同学園、その屋上――。フェンスの向こう、校庭で部活に勤しむ生徒たちを眺めながらイリアは浮かない様子だった。ここの所ずっとそうだったので、自覚は勿論ある。だが自分ではどうにも出来ないのが気分というものだ。片手にカフェオレの缶を持ち、イリアは風にその身を晒していた。
作り物の夕暮れ空が街を多い尽くしていく。アイリスはそんな姉を見つめ、諦めたように眼鏡を上着の袖で拭き始めた。市街地での戦いとエアリオ奪還から既に三日――。アイリスは松葉杖を突きながらも既に学校に通えるようになっている。学園祭はあの騒動のせいでなあなあになってしまったが、これといって学園そのものに被害が出たわけではなかった。勿論、市街地の被害はそうは行かなかったが。
市街地では死者も出たし、建造物の損害もかなりのものになった。結局、自分たちが浮かれている間にこの街は襲撃され、それを防ぐ事が出来なかった……それだけが結果であり現実である。アイリスはベンチの上に腰掛け、姉と同じように眼下を見下ろしてみた。放課後の風景は、特に理由も無いのに切ない気分になる気がする……。
「カイトのお見舞いにも行ってないそうですね、姉さん?」
「……うーん」
「……どうしてですか? 姉さん?」
「うー……! そんな事言われたって、あたしだってわかんないわよ!!」
「姉さん……」
「あーもーっ! そんな目で見ないでよ!! わかった、わかったわよ……! 全部話す! 話すから! お姉ちゃんをそんな目で見るのはやめて!!」
じっとりとした視線を向けられ、いよいよアイリスの前に折れてしまったイリア。二人は同じベンチに並んで腰掛ける形になった。暫く沈黙しつつカフェオレをちびちびと口に運んだ後、イリアは疲れたように語りだした。
「正直、どんな顔していいのか判らないのよ……。カイトにも……リイドにも」
「どうしてですか? 普段通り、いつもの姉さんで会えばいいじゃないですか」
「そういうわけには行かないわよ……。あんたはそう気楽に言ってくれるけどね……」
「それは、カイトの事が好きだから気楽には行かないんですか?」
イリアは次の瞬間盛大にカフェオレを噴出した。顔を真っ赤にして口を開け閉めする姉を横目にアイリスは腰をずらし、やや姉から距離を置いてみせる。
「今更驚くのは姉さんだけですよ……。姉さんはカイトの友人が東方連合の一員で、カイトが背負っている過去の重さに引いてるんでしょう」
「ひ、引いてなんか……っ!」
「でも、姉さんは実際に腰が引けちゃってるじゃないですか。姉さんらしくないですよ? もっとガンガンうるさいくらいに人に踏み込んでいくのが姉さんじゃないですか」
「なんだか色々言いたい事があるけど……そうね、確かにあたしらしくはないかもね。でも――考えちゃうじゃない」
深くベンチに腰掛け、空を仰ぎ見る。カイトがあんな顔をするのを始めて見た――。泣きそうな、挫けそうな、弱い……歳相応に脆い、カイトの背中を。何とか励ましてあげたかったのに、何一つ言葉を掛ける事も出来なかった。それはきっと自分のどんな言葉も彼にしてみれば嘘っぽく聞こえてしまうだろうという思いからだ。結局、カイトの過ごしてきた地獄をイリアは知らない。カイトの事を知らないというのに、かける言葉一つにどんな意味があるというのか。
これまで自分はカイトの一番の理解者であるつもりだった。カイトがこのヴァルハラにやってきた時、彼をレーヴァテインパイロットに誘ったのも自分だったし、それからカイトと一緒に訓練を積み、辛い戦いや苦しい過去を乗り越えてきた。かつてホルスに敗れた時も、カイトの差し伸べてくれた手が救いになった。だから自分がカイトの事を愛しく思っているのと同じくらい、自分はカイトを理解しているのだと思い込んでいたのだ。
だが、彼の過去には想像していなかった大きな闇があった。彼の行い一つ一つには後ろ暗い過去があったのだ。何もかもを守ろうとする、理想的過ぎる程に理想を貫こうとするその正義には、彼の罪悪感という大きな傷があったのだ。これまでイリアは何も知らずにカイトと接してきた。カイトを傷つけるような事も沢山してきたのだろう。けれどカイトは一度足りともイリアに怒るような事はなかった。考えてみればおかしな話である。カイトは……自分の事をどう思っているのだろうか?
そうだ、カイトからしてみれば仲間というものはただ守るべき存在でしかない。イリアも、リイドも、アイリスも、エアリオも……。みんな、ただカイトは守ろうとするだろう。自分の気持ちや幸せなんて度外視なのだ。採算なんか取れなくてもいい――。ただ、周りが幸せであればそれでいい。カイトの笑顔には、“自分は幸せになってはならないのだ”という想いが込められていたのだ。
「……どれくらい、カイトはあたしたちと一緒に居て救われたのかしらね。あたしはどれくらい……カイトの事をわかっていたのかしら」
「姉さんは、カイトがただ同情や憐憫の感情だけで姉さんと一緒にいたと思っているんですか?」
「そんな事ないわよ! でも……“それ”だってあったはずでしょう? それに……同じ気持ちをこれからあたしもカイトに抱く事になる。あんな話聞いちゃったらもう、なんであれ前と同じではいられないわよ……」
「そういうものですか……? 私には良くわかりませんけど……姉さんは結構細かい事まで気にするんですね」
「あんたの方がよっぽど細かくない!? 兎に角会って……会ってさ、それでどうしようってさ。思っちゃうんだよねぇ……。何から話せば良いのかわかんないよ。カイトの気持ちがわからないから……」
空を見上げ、イリアはぼんやりと額に手を当てた。勿論、こんな事は何の意味も無いただの時間稼ぎだ。どうせカイトはいつかは退院してくるし、これくらいの事でカイトが戦いをやめるはずもない。カイトにとって戦い続ける事は死んで行った難民たちへの償いなのだ。生き残ってしまった人間の贖罪――それをカイトが止めるはずがない。だから、いつかはやってくる答えを遠ざけているだけ。子供らしい……幼稚な時間稼ぎだ。
勿論イリアもそれは判っていた。だから苛立つのだ。カラッポの缶をゴミ箱へと放り投げる。一発で綺麗に収まった空き缶を見届け、イリアは鞄を肩に立ち上がった。
「……レンブラム先輩はどうするんですか?」
イリアは振り返りもしなかった。遠ざかっていく姉の後姿を見送り、アイリスは立ち上がる。だが人の事はあまり言えないのかもしれない――。彼女もまた、これからの戦いに迷いを抱く一人なのだから――。
「レーヴァテインが日本本土を攻撃……? って、オイオイ、いくらなんでも冗談だろ? スヴィアよォ」
「それが冗談であれば、まだいくらかマシだったのだがな……」
同盟軍のアーティフェクタ運用母艦、通称“スレイプニル”内部……。ハンガーに格納されたガルヴァテインとトライデントの二機を背景にパイロット四名は退治していた。迷彩服を着込んだネフティスとパイロットスーツをきちんと着ているセト、同じく専用のパイロットスーツを着たエンリルに、スヴィアはスーツ姿という戦闘直後にしては妙な組み合わせだった。特にスヴィアは戦闘中でもスーツという謎のこだわりを持っており、今は上着を脱いでネクタイを緩めている。
レーヴァテインによる東方連合襲撃の噂は直ぐにスヴィアの耳にも届いた。スヴィアはヴァルハラ内部にもいくつかの“耳”を持っているし、東方連合にもかなり顔が利く。そのお陰かこの世界で起きた大きな事件で彼が知らないものは殆どなかった。従って今回のレーヴァテインによる旧沖縄基地襲撃事件についても直ぐに彼の知るところとなったのである。
「レーヴァテインは突然、一方的に話も聞かずに沖縄基地を襲撃……。東方連合の死者数百名。基地は一つが完全に蒸発、その余波で更に三つ蒸発……。被害は甚大だな」
「……マスター、それは本当にレーヴァテインによる破壊なのでしょうか?」
「僕も少し引っかかるな。レーヴァテインのパイロット、そんなに攻撃的だったかい?」
「オレはどっちも嫌いだから潰しあってくれりゃあそれが最高なんだがねぇ」
「ネフティス、そういう事は思っても言うものじゃないよ?」
諭されたネフティスは肩を竦め、しおれた煙草を一本口に咥える。エンリルは何かを考え込んでいる様子で、セトも同じく思考している様子だった。が、セトは早速考えを纏めてスヴィアに意見する。
「仮にレーヴァテインが東方連合を攻撃したとして、そのメリットはなにかな? レーヴァテインなら、その気になればそのまま日本列島を制圧出来たはずだよ」
「……ああ。ただ沖縄基地を蒸発させるだけでは全く旨みが無い……。だが仮にそれが事実であるならば、こちらも何らかの手を打たねばなるまい」
「お!? やるのか!? ついにジェネシスをぶっ潰すのか!? いいぜ、オレは前っからあのヴァルハラとかいう天国気取りの塔が気に入らなかったんだ! やるなら早い方が良い、ぶっ潰しちまおうぜ!!」
「だからネフティス……君はどうしてそう好戦的なんだい? 君だって元々はヴァルハラの住人だろうに」
「“住人”じゃねえよ、“実験体”だ。あそこの連中は気が狂ってやがる。“サマエル・ルヴェール”の幻影に支配されちまってんのさ」
「レーヴァテインとやりあえば、こっちだって無事じゃすまないよ」
「関係ねえだろ? こっちにはあっちのレーヴァテインよりも何倍もつえー化け物が味方してんだからな。なあ、スヴィア?」
軽口を叩くネフティスに呆れた様子のセト。だが彼も同じ考えであった。もしもレーヴァテインがこの世界に破滅を齎す存在であれば、それは全力で抹殺しなければならない。そしてそれはこのトライデントと……ガルヴァテインという名の最強のアーティフェクタを駆るスヴィア・レンブラムが居れば成されるだろう。
この世界に存在する人間の中で最もアーティフェクタを上手く操れる男、スヴィア・レンブラム――。彼を信じているからこそセトは彼についてきた。三年前、レーヴァテインが起こした事件の生き残り……そのついでと言えば聞こえは悪いが、セトとネフティスにとってスヴィアと行動を共にする事は決してマイナスではない。
「マスター……?」
「……ああ。まずはカリフォルニアベースまで戻ってアーティフェクタの整備だ。それからスオウ・ムラクモに会いに行く」
「あ? スヴィア一人でかよ? 危なくねえのか?」
「いや……大丈夫だ。あれは変わった人だが、お前たちが考えている程会話にならない人間ではない。それに、顔見知りだしな」
「オレは死んでもあの顔見るのはウンザリだけどな……。で? ガルヴァテインで東方連合と接触するなら、オレたちはどうする?」
「……ああ、そうだな。久しぶりに彼女の顔でも見てきたらどうだ? 昔のよしみだろう、ネフティス」
ポンとネフティスの肩を叩き、微笑むスヴィア。しかしネフティスの表情はげんなりしていた。“彼女”という言葉が意味するものが一つしか思い浮かばなかった。セトも全てを理解したのか、笑顔でネフティスの肩を叩く。
「じゃあ、もし戦闘になったらしっかり説得してね。僕は彼女とはあまり戦いたくないんだ、ネフティス」
「あのなあ……。オレが言うのもあれだが、あいつは相当変わってんぞ? オレの話なんか聞くかねぇ……」
「それを何とかするのがお前の仕事だ」
軽々とそう言い放ち、スヴィアは立ち去っていく。それに続いてエンリルが遠ざかって行き、ネフティスはその場で頭を抱えた。セトは額の汗を拭い、トライデントを振り返る。
「ちょっとした同窓会になるかもね。三年ぶりか……。いや、もうあれから三年――という方が正しいかな。ねえ、ネフティス?」
しかしネフティスはセトを無視し、煙草をふかしていた。あえて無視しているのは彼女なりの不貞腐れた態度なのだろう。セトはそれを笑顔で包み込み、そうしてロッカールームへと歩き出すのであった。
「リイド君……! 三日ぶりですね」
「エルデ……。それに、エアリオ?」
三日間の禁固が終了し、牢屋を出てきたリイドを待っていたのはエルデとエアリオの二人であった。リイドは二人と一緒に歩き、ジェネシスの廊下にある自動販売機で飲み物を購入した。まだ自分が自由になったという自覚は薄かったが、他人の声を聞いた事で少しだけ開放されたような気がした。
「リイド、ごめんなさい……。わたしの所為で……」
「エアリオの所為なんかじゃないよ、馬鹿だな……。それより、お前が無事でよかった。何もされなかったか? 大丈夫だった?」
「うん、平気。エルデが守ってくれたから」
「そっか……。エルデも禁固くらってたんだろ? なんか、悪かったな……巻き込んじゃって」
「いえ、お陰でぐっすり眠れましたから……」
そう言って笑うエルデ。なんというか、やはりそれは若干答えとしてはずれている気がする。なんにせよエアリオもエルデも無事だったのだ、それでいいだろう。紅茶を一気に飲み干し、その冷たさと甘さを痛いほど味わう。一息ついてベンチに腰掛けると、エアリオがその顔を覗き込んできた。
「リイド、やっぱり疲れてるんじゃないか? 顔色が良くない」
「……どうかな。まあ確かに、気は休まらなかったかな……誰かさんと違って」
つやつやとした張りのある肌のエルデを横目にリイドは嫌味を言ったつもりだったが、エルデには笑顔で応じられてしまった。彼は既にこういう性格なのだと理解しているので特に何も言わなかったが、そのまま続けてエルデが言った台詞には流石に嫌気が差した。
「さて、解放直後で申し訳ないのですが……ヴェクターにはリイド君を司令部まで連れて来るように命じられています。ご同行……願えますね?」
「…………。それでお前がお出迎えだったのね……」
「ええ。ですが前回の命令違反の件ではないのでご安心を。今回の呼び出しは、次の作戦についてだそうです」
「そっちの方が余計気が滅入るよ……」
あからさまに溜息を漏らし、それからエアリオに目をやってみる。エアリオは変わりなく、きょとんとした視線を向けてくる。リイドはその頭をぐりぐりと撫で回し、そうして自分から前へ歩き出した。
「…………だからって……立ち止まるわけにはいかないんだよな」
「リイド……?」
リイドはエアリオを振り返らなかった。レーヴァテインが怖いだとか、自分の力が怖いだとか、そんな情けない事を言う資格は自分にはない……そう思った。何故ならばもう、自分は人を殺してしまったから。仲間を傷つけて、街を壊して、さんざん迷惑を掛けて、人を殺して。それが望まぬ戦いだったとしても、もう苦れる事は出来ない。レーヴァテインという存在はリイド・レンブラムの身体にまとわりつき、もう一生解き放つ事はないだろう。納得できなくても……戦う。戦うしかないのだ。
そんなリイドの背中を不安げに眺め、エアリオは歩き出した。エルデはそんなリイドとエアリオを交互に見やり、メモ帳を取り出しそこになにやら書き込み始めた。暫くするとエルデも足早にリイドを追いかけ、無尽となった通路のベンチにはカラッポになった紙コップだけが置き去りになっていた。