剣神、サウダーデ(3)
「……ほんま、ごめんなぁ……エアリオちゃん。でも、暴れたりしなければうちらもなんもせんから……」
かつて日本と呼ばれた国の湾岸に建設された巨大な東方連合の軍事基地――その一室にエアリオは閉じ込められていた。エアリオを捕らえたスサノオはそのままオロチの援護を受けて帰還し、エアリオを拉致したキョウは彼女の前に立って肩からアサルトライフルをかけていた。
背後で両手を拘束され、更に木製の椅子の上に座った状態で左右の足を椅子の足に縛り付けられたエアリオは文字通り一歩も動く事が出来ない。そんなエアリオを見つめるキョウの視線は敵を憎むとか恨むとかそういった類のものではなく、単純な罪悪感と哀れみに満ちていた。だからこそエアリオは無表情なままに彼女を見つめ返す。エアリオにしてみれば、哀れなのは彼女の方だった。
「急にこんな事になって……ほんま、ごめんなぁ。エアリオちゃんは、何も知らないんやもんなぁ。関係ないはずやもんなぁ。でも、ごめんなぁ……。こうしなきゃ、いけなかったんよ……」
「……わたしを連れてきてどうする。リイド・レンブラムではなくこのわたしを」
「リイド・レンブラムだけじゃ意味がないんよ。エアリオちゃん……あんたも一緒やなきゃ意味ないんよ」
「……それで、わたしを餌にするわけか。リイドは来ないよ……リイドはわたしの事なんて何とも思っていないから――」
冷静に自己を客観的に判断し、エアリオはそう言葉を紡いだ。世界に夜が訪れようとしている。茜色の光の世界の中、イザナギは空を駆け抜け続ける。
その手に握り締めた刀は近づき触れようとする全てを両断していく。海上に起こる爆発――リイドの叫びが響くと同時に黒い光が放出される。上空を飛翔するマステマは遠くに新たなスサノオ部隊を確認し、人型に変形しながらリイドの名を呼んだ。
「わたしはリイドに何かをしてもらいたいからリイドと一緒に居たわけじゃない。それがただ……約束を守る事になると思っただけ。だから、リイドはきっとわたしを助けない」
「そんな事、ないんよ。きっとリイド君はエアリオちゃんを助けに来る……うちはそう思ってる。うちもね、人の足引っ張ってばっかりで……。いつも、迷惑かけてばっかりで……。それで、毎回もう駄目だって思うねん。もうきっと誰からも嫌われてしまったって思うねん。見捨てられてしまうって思うねん。でも……男の子は冷たそうに見えて、女の子のピンチはほうっておけないもんやねん」
「……そうか?」
「そうやよ、きっと。だから、エアリオちゃんもきっと……うちがこういう事言うのもあれやけど、きっと……リイド君が助けに来てくれる」
エアリオは俯き、苦笑を浮かべた。そうだったらいいなんて事は言わない。自分はリイドに守ってもらう資格などないのだと、少女は知っているから。これからどんな苦しい事があったとしても、自分はリイドを頼ってはならない――そう知っているから。
誰かを裏切り傷つける事が人の性だというのであれば、なんと自分の人間らしい事か。こうして拉致されて助けを待つだけの身になっていい加減に身につまされるものがある。信じるべき物と守るべき物――追いかける理想。その全てが少しずつずれてしまって、そこから生まれる齟齬が自分の中の何かをかき乱している。
「――――助けに来ない……。来なかったら――いいのにな」
日本を目前にしたイザナギの前、大量の空母とスサノオが待ち受けていた。その向こうには東方連合の基地が見える。まるで、侵略しているのは自分の方で。まるで、悪党なのは自分の方で。だから少年は一瞬躊躇する。けれどそれこそがただの悪でしかないのだと知っていたから。迷う事無く黒き剣の神はその翼を広げてみせる。
「……死にたくない奴はとっとと失せろッ!! 邪魔をするなら一匹残らず叩き斬る――ッ!!」
そう叫んでから動き出すリイドの背中をオリカは優しく見守っていた。リイド・レンブラムという少年は本当は優しい。優しすぎる程優しい。だからこそ彼は不器用であり、無邪気であり、そして優しさを表現する事が下手だからこそ周囲と衝突もする。だがそんなやきもきする彼の心の中にある全てがオリカにとっては魅力的だった。
紅い瞳を輝かせ、オリカは唇を舌で舐めながら正面を見据えた。リイド・レンブラムは強くなる。どこまでもどこまでも強くなる。だからこの戦いもただの踏み台に過ぎない。エアリオが無事に帰ってくればそれはそれで構わないが、エアリオが死んでいたとしても別に構う事ではなかった。オリカにとって大切なのはリイドだけであり、そのほかの事は全て“瑣末な事”に過ぎない。
人の死すらもきっとリイドを成長させる為の追い風となるだろう。ならば仲間の死さえも利用して彼を育ててみせる――。それは彼女の強かさであり、愛情であり、そして歪んだ妄執であった。イザナギはその彼女の黒く渦巻く感情を素直に表現してくれる。禍々しくも美しく、漆黒でありながら透き通った雫のように――。
舞い踊る剣の宴――。水の上を行く者も空の上を行く者も人も神も機械も無関係に、無慈悲にその死の神は薙ぎ払ってしまう。レーヴァテインと呼ばれる存在の力を限界まで引きずり出すその闇は通常兵器など寄せ付けるはずもない。文字通り格が違いすぎるのだ。それこそ空に浮かぶ夜月の輝きに人が触れられるのと同じように――。
日が落ちていく世界を背景に炎の海を背負い、イザナギは黒い吐息を吐き出していた。泣き出しそうにも見えたし、鬼気迫る様子に見えなくもない。それはきっとその通り、彼の心を表している。コックピットで顔を上げた少年は悲しげに、しかし怒りに満ちた瞳で極東の島国を睨みつけて居た。
「うちも、そろそろ行かなきゃ。エアリオちゃん……もうすぐ終わるから。どんな決着でも、もうすぐ終わる。だから少しだけ、我慢しててね」
キョウはエアリオにぺこりと頭を下げ、そうして部屋を飛び出していった。取り残されたエアリオは目を瞑り、肩の力を抜いてみる。確かに――なんにせよ直ぐに終わる。直ぐに……。
「俺がキョウやマサキと会ったのは……まだ、俺が世界中を放浪する難民だった頃だ。俺たちは全員住む場所を神に焼かれ、あちこちを転々としていた。今の世界じゃ珍しくも何ともない事だ……。そうやってあちこちを旅している途中で難民と難民が合流して、旅の道連れが増えていく……。あいつらと会ったのは、そんな時の事だ」
同時期、カイトはジェネシスで仲間たちに自分の過去を語り始めていた。東方連合の基地を走るキョウ……彼女が向かったのはスサノオの格納庫だ。そこには片膝をつき、キョウを待っているオロチの姿があった。そのコックピットが開き、長身の男が姿を見せる。パイロットスーツの襟首を緩めながら降りてきた男は長い前髪を掻き上げながらキョウへと笑いかけた。尤もその笑顔は決して好意的な意味には見えなかったが――。
「難民の旅じゃ、弱い奴から死んでいくんだ。まあ……女子供ってやつだな。俺たちはまだガキだったし、食うもんさえろくに手に入らなくて、難民同士での殺し合いもしょっちゅうだった。俺の親父は科学者で、神に対抗する方法を研究してた。そのお陰で俺は結構いい待遇を受けられた方なんだ。それでも……難民の旅は辛かった」
白い荒野が続く世界を、難民は歩き続けた。時には船に乗り、空を飛び――安住の地を探し続けた。それは何度か彼らの前に現れた。そこに何度も街を作った。だが、その全てがたった一度の天使の襲撃で滅んでいった。
難民の数は見る見る減っていったが、それと同じくらいの速度で増えていった。それだけ世界中で国を失った人々が彷徨っていたのだ。単純には表現出来ない様々な苦しみがそこにはあった。カイトはそれをいちいち語ろうとはしなかった。だが――思い返せば胸が切なくなるその記憶から逃れる事は恐らく一生出来ないだろう。
目の前で死んで行った仲間たち……。差別、迫害、裏切り――当たり前のように行われる略奪殺戮……。同じ人間同士でどうしてここまで憎みあわねばならないのか、少年は認めたくなかった。人間がそんな恐ろしい生き物であるなど、思いたくなかった。だから自分だけはと、あらゆる善意を人に振りまき続けてきた。
どんな時だって少年は自分を犠牲にし、人を救ってきた。だがそれでは足りずに失った物もあった。救えなかった人の亡骸を目の前に少年の心が折れそうになった時、支えてくれたのはいつだって友達の声だった。
マサキはカイトの背中を蹴飛ばし、シャキっとしろと叫んだ。キョウはカイトよりずっと哀しそうにわんわん泣き続けた。そうして二人を見ていると、自分も立ち上がらなきゃならないと思えたのだ。自分がしっかりしなきゃ――。悪い意味ではなく。前向きに進んでいく為の言葉として。そう、思えたのだ。
「でも、俺は今ジェネシスにいる……。その意味がわかるか? そう、ヴァルハラに難民が受け入れられたんだよ。でも、それまでには時間がかかった。色々複雑な事情もあった」
ヴァルハラ目前まで辿り着いた人々は、難民の受け入れをヴァルハラに……ジェネシスに要請した。だがジェネシスはこれを拒絶――。世界で最も安全で平和な楽園を前に、地獄を進んできた難民たちは突っぱねられてしまったのである。それから地道な交渉が始まった。その交渉を主に取り仕切ったのはカイトの父親であった。
カイトの父はフォゾン研究の優秀な科学者であった。難民の中には、十分第一線で働く事が出来る技術を持つ人間も居た。戦争を経験した者、ある研究機関で働いていた者……。難民として生き延びてきた者たちには、死んで行った者たちから受け継いだ者があった。その技術を代償に、受け入れを求めたのである。ジェネシスはそれに応じた。だが――。
「ジェネシスが移住を許可したのは、一部の科学者と対神戦闘経験を持つ兵士だけだった。女子供……特別な技術を持たない凡人。そういう連中は受け入れられないってな」
そうしてまた、難民の中で争いが起きた。自分たちだけ助かろうとする人間と、それを許さない人間。カイトたちは何とか全員を受け入れてくれるようにと交渉を続けた。だが――突如、空から襲ってきた天使の群れに難民たちのキャンプは蹂躙される事となったのである。
結果、殆どの難民が死んだ。大混乱の中、逃げ延びた人間も居ただろう。だが殆どが死んだ。無残に、惨たらしく、殺されてしまった――。その日、カイト・フラクトルという少年はどこかおかしくなってしまったのかも知れない。彼の行き過ぎたように見える人を守ろうとする心と、どこか達観した様子……それは決して歳不相応などではなかったのだ。彼には彼の理由があった。生き残り、ジェネシスに救われた彼にも――。
それから暫くカイトは死んでいるのか生きているのかわからないような日々が続いた。それを救ってくれたのがイリアだった。イリアは死んだような目をしていたカイトに手を差し伸べてくれた。一緒に戦おうと言ってくれた。それだけでどれだけ救われたか――。どれだけ嬉しかったか。ぼろぼろと涙を零して初対面の少女に泣き付いてしまったのも、今となってはいい思い出だ。だがそれでは済まされない事もある。
「奇麗事で皆を守ろうとして、けど俺は今もこうして暢気に生き延びている……。ヴァルハラは、目の前で天使に襲われて死んでいく難民を助けなかった。見殺しにしたんだ。レーヴァテインの力があれば、あれくらいどうにでも出来たはずなのに――。俺はレーヴァテインに乗って戦う事を正しいと思ってる。それで世界が少しでもよくなればいいと思ってる。でも……あの惨劇を乗り越えた人間はきっと、俺みたいに割り切れるわけじゃないんだ」
カイトだって同じ事だ。最初はジェネシスを憎む気持ちでいっぱいだった。そんな自分がレーヴァテインのパイロットになるなんて在り得ないと思った。だがその力で何かを守れるなら……。罪の償いが出来るなどは思っていない。生き残ってしまった人間としての責務を果たしきれるとも思ってはいない。だが――やれる事があるのに、救える命があるのに、それを救わなかったらあの日のジェネシスと同じになってしまう。それだけは決して赦せなかった。
「マサキとキョウとは、そこで生き別れになったんだろうな……。あんな酷い事件だったから、死んだんじゃないかって俺が心のどこかで諦めてたのかもしれない。でもあいつらは生きてて……今でもヴァルハラを憎んでるんだ」
一気に語り終えると、カイトは拳を握り締めてきつく目を瞑った。眉を顰め、辛い心境に打ちひしがれるカイト――。そんな少年の肩に手を置き、イリアは何も言わずにカイトを見つめた。
「……でも、だからってさ。憎しみを憎しみで洗い流す事なんて出来ないんだよ。あいつらはそれがわからなくてまだあの日の事件の中にいるんだ。だから……救ってやりたいよ、俺だって。でも俺はこんなザマなんだ。レーヴァテインに乗れないんだ……!! 俺の代わりに、リイドに戦ってもらうしかないんだっ!! エアリオを拉致してあいつらは人を殺しすぎた……!! もう、止められないんだよっ!!」
カイトの叫びが本部に響き渡る。そちらに視線を向けていなかったものの、オペレーターたちは全員彼の言葉を聞いていた。メインモニターにはマステマから送られてくる映像が映し出されている。レーヴァテインは何もかもを薙ぎ払っていく。無慈悲に……炎の世界を構築していく。まるであの日の地獄絵図のように。
「どちらが正しいのかは俺には判らない……! でも、エアリオは大切な仲間なんだ! これ以上、仲間を失うのはウンザリなんだ……!! だから……ッ!!」
それ以上は言葉にならなかった。どんな風に言えばいいのかわからなかったし、どう表現してもそれは嘘っぽくなってしまうだろう。カイトにとってはマサキもキョウも、リイドもエアリオも仲間なのだ。大切な人なのだ。それが敵になってしまった。けれどそれは誰かの所為ではないのだ。選んできた過去の結果なのだ。自分にだって何か出来る事はあったはずなのだ。だからそれを人の所為だとか、居もしない神様だとか運命の仕業だなんていえない。だからカイトはリイドを送り出す事しか出来なかった。
通信は勿論通じている。オリカだけはその声を聞いていた。だがオリカは通信がリイドへは聞こえないようにとシャットアウトしている。つまり、彼は全ての事情を知る事は無かった。オリカは退屈そうに目を瞑り、そうしてもう聞く必要はないと判断して通信を完全に遮断した。
「どこだ、エアリオ……!? どこにいるっ!?」
『僕が探しましょう……。リイド君は、敵の排除に専念してください』
「……探知はそっちの方が得意か。判った、任せるよ」
戦闘機に変形したマステマが飛んでいく。それを見送り、リイドは基地へと侵入していく。基地の滑走路に降り立ったイザナギは目に見える全ての戦闘施設へと攻撃を開始した。レーダー、砲台、ミサイル発射台、格納庫――。次々に剣が放たれ、爆発の炎が上がっていく。エアリオを人質にするつもりにせよどうするつもりにせよ、そんなヤワな作りの場所にはいないはずだという判断からだった。つまり――地表に見える敵戦力は片っ端から叩き潰すに限る。
次々に現れる戦車の砲弾はイザナギの装甲に触れる事すら出来ない。それを片足で踏み潰す全長50メートル近い怪物――。この基地の人間からしてみれば、レーヴァテインは圧倒的過ぎる恐怖であった。リイドもそれは感じている。自分がここでは悪でしかない事など百も承知だ。だが――それでも戦う事に代わりはない。
戦わなければ守れないものがあると知っているから。ここで逃げても何の意味もないのだと知っているから。まだエアリオには何も伝えていない。エアリオが拉致されて始めて感じたこの焦燥感の意味も。この戦いの中で感じた罪悪感も。まだ彼の中で答えを導き出すには至らないのだ。だから――。
「今は戦うしかない」
そんなイザナギの背後、落ちてくる影の姿があった。昼と夜が交じり合う幻想的な景色の中、二つのアーティフェクタが正面から対峙する。東方連合のアーティフェクタ、オロチ――。リイドは深く息をつき、そうして二対の刀を改めて構え直すのであった。
剣神、サウダーデ(3)
「よかった、あっさり見つかって……。大丈夫ですか? ウイリオさん……」
部屋に入ってきたエルデを見てエアリオは大層驚いた。そこは確かに基地の地下部分、厳重なセキュリティによって守られた部屋だったからである。しかしエルデはちょっと軽い気持ちで助けにきましたと言わんばかりに現れ、ナイフでエアリオを縛り付けていた縄を切って見せた。更にピッキングツールで手錠もアッサリ外してしまうと、それらを素早く懐に収める。痛む手首をさすりながらエアリオは怪訝な目でエルデを見上げた。
「……僕の顔に何か?」
「いや……。随分あっさり助けにきたなと思って」
「このくらい、“捕まった”内に入りませんよ……ふふふ」
そう笑うエルデが通ってきた道、その至る場所には東方連合の兵士の死体が転がっていた。全員ナイフで心臓を一突きにされ、声を上げる間もなく絶命していた。それをエルデが一人でやってのけたのだという事を知ればエアリオは更に疑問に思っただろうが、脱出ルートはエルデによって意図的に変えられていた。
二人は廊下を走り、階段を駆け上がって地上へと出た。そこでエアリオは燃える基地と壊された兵器郡を目の当たりにする。熱い風が吹きぬけ、エアリオの長い銀髪を煌かせる。何歩か前に歩み、砕けたアスファルトの大地を踏みしめてエアリオは言った。
「これを……リイドが……」
「さあ、もたもたしている時間はないので……。急いでください、ウイリオさん。こっちです」
エルデはエアリオの手を引き、走り出す。振り返ったエアリオの視線の彼方、刃を交える二機のアーティフェクタの姿があった。最早この基地で生き残っている戦力はあの二つだけ――あとは何もかもが滅ぼされてしまった。
判っていた。レーヴァテインという力の強さ……。判っていた。リイド・レンブラムという少年の強さ――。だが、どこか寂しくなる。これは本当に彼が望んだ戦いではなかったはずだ。それでもリイドは自分を助ける為に戦ってくれた。そして今も――。
「余計な事を考えるのは……彼にとっても無礼だと思いますよ」
手を引き走るエルデは振り返りもせずにそう言った。顔を挙げ、エアリオはその背中を見やる。
「彼は自分にとって大切な物を守る為に戦っただけです。そこに善悪は存在しない……。それはきっと……彼が一番、理解しているはずですよ」
オロチは両腕両足に隠されたブレードにてイザナギへ猛攻を仕掛ける。イザナギは両手の刀でそれを受けるが、単順に考えて剣の数が二つほど足りていない。それに加えてオロチの素早さと異常なまでの体術は決して看過出来るものではなく、リイドは攻めの起点を見出せずに居た。
『どうしたレーヴァテイン!? 防戦一方かあ!? 男の子なら、玉砕覚悟で向かって来いよォッ!!』
「うるさいっ!! お前に言われなくたってやってやるさ!!」
「リイド君、多分アーティフェクタの操縦技術では向こうの方がかなり上手だと思う。性能差で押し切るしかない」
少し距離を離したイザナギは両手に携えた刀を腰の鞘に収める。そうして六枚の翼をそれぞれ別の方向に展開し、装甲の隙間から黒い炎を巻き起こしていく。それはイザナギを包み込み、光が限界まで蓄積された瞬間リイドの脳裏に激しく流れ込む戦いのイメージが伝わってきた。
イザナギの使い方を強制的に叩き込まれているかのようだった。通常のシンクロとは異なる――否、恐らくこの瞬間自分はシンクロしていないのだと知る。では一体誰がレーヴァテインを操っている? 今戦っているのは本当に自分なのか? ちらりと振り返るリイド――その視線の先、オリカはにっこりと微笑んだ。
黒き神が空に吼える。そうしてイザナギは自らの胸へと両手を伸ばした。装甲版へと掴みかかり、それを左右に押し広げていく。自らの身体を壊すという狂気的な行動の果て、開放された装甲版の内側には黒く渦巻く“闇”があった。
「――さぁ、見せてあげる。イザナギの……レーヴァテインの本当の力……。開け、冥府の扉――! ふふ、ふふふふっ!」
機体の内側に、“異界”へ通じる門がある――そんなレーヴァテインは他に類を見ないだろう。その異次元の境界線へ手を突っ込むと、イザナギは苦しそうに悶えながら何かを引きずり出していく。オリカは恍惚と激痛の狭間、見開いた瞳で武装を構築する。それは、イザナギの心の中に封じられた巨大な太刀――。柄だけしか存在しない、刃のない刀を引き抜き、門を閉じてイザナギはそれを構える。
「な、なんだこの武装……!? オリカ、今何をやったんだ!?」
「え? ただの武装構築だけど……何そんなびっくりしてるの?」
「な、何って……な――なんだよこの武器――ッ!?」
リイドが戸惑うのも無理は無かった。通常の武装構築とは明らかに異なるプロセスを経て産み落とされた刀――。奇抜なのはその構築や外見だけではなかった。リイドはその刀から感じるおぞましい気配をひしひしと全身に浴びていたのである。自分の手に持っているだけで気がおかしくなりそうな刀――。“妖刀”だとか“魔剣”だとか、そんなファンタジックな単語が脳裏を過ぎる。だがそれは確かに、それらに順ずる存在――。魔を薙ぎ払う為に存在する、呪詛と怨念によって構築された闇の剣。
「怨嗟抜刀、“月詠”――――開放」
刀身に紫色の光が収束し、そこに巨大な光の刀を構築していく――。レーヴァテインの全長よりも巨大なその刀を両手で構え、イザナギは正面に軽く振り下ろした。それだけで大地が砕け、基地の表層が吹っ飛び、風が渦巻き空から雲が消えていく。まるで時間を早送りにしたかのように夕暮れが消滅し、ただ闇だけが世界を包み込んでいく。
「瞬きしないでよ~く見てねリイド君。ちゃんとその手の感覚を握り締めて……受け入れてね。忘れちゃ駄目だよ、絶対に覚えていて。これが―――“力”だよ」
ただ、頭上に振りかざす――それだけで余程の危険を察知したのか、オロチは緊急回避運動へ移った。直後、イザナギは闇そのものをこの世界に叩きつける――。一瞬で基地周辺がフォゾンに分解され、生い茂っていた山々の木々は蒸発し、大地が吹き飛び黒い霧となっていく。斬撃の光は縦に迸り、日本列島に巨大な傷を作っていく。一瞬で大地の色が塗り替えられ、全ての現象に遅れ、爆発音にも似た奇妙な音が鳴り響いた。聴覚が麻痺する程の強烈な高音――それは人の叫び声に聞こえなくもない。リイドは凄まじすぎる月詠の威力を前にただただ目を見開き見届ける事しか出来ない。レーヴァテインと呼ばれる神を殺す為の神……その絶対的な力を。
全てが終わり、周囲に生命の気配は完全に消え去っていた。事実、月詠が振るわれた方向数百キロに及び生命体が全て命を奪われていたし、全く関係のない方向であれこの近辺はその被害を受けている。言わばそれは“斬る”のではなく、命を“吸う”剣である。向けられた方向に居た者はどんなものであれ、生きている限りその全てを吸い尽くされてしまう――。
刀身を失った月詠を自らの胸の闇へと吸い込ませるイザナギ。そうして力の解放が収まり、ただ後には荒野だけが残った。リイドは暫く放心状態に陥っていたが――はっとして振り返る。オリカは相変わらずにこにこしていたが、笑っていられるような状況ではないのは明らかだった。
「お前……!! 何やってんだ!? ここまでやる必要があったのかよ!?」
「……? 変な事言うんだね、リイド君」
オリカへと身を寄せ、リイドはその顔を覗き込んで叫んだ。しかしオリカはまるで不思議な事を言っているといわんばかりに小首を傾げてみせる。そうして、続けるのだ。
「敵なんだから、全部殺しちゃわなきゃ意味がないでしょ?」
それが本音であるというのは、オリカの驚いたような様子から明らかであった。リイドはただただ唖然とする。オリカという人間が変わっているのは理解していたつもりだ。だが……それだけではない。彼女は何かが決定的におかしい。狂っている。ぞくりと背筋を駆け抜ける悪寒……それは彼の正直な気持ちだった。
「リイド君、敵というのはね。一人でも生き残っているとね、憎しみを生んでしまうんだよ。敵っていうのはね、全員殺してあげるのが一番いいんだよ。人はそんな簡単にわかりあう事は出来ない。ずるずると関係を引き摺ればよくない因果を引き寄せる。だから目に付くものは全てぶち殺してあげたほうがいいんだよ」
「……そんな」
「奇麗事だよ、リイド君……それは。人を殺す事を知らない人間の口ぶりだよ、リイド君。リイド君、きみはね……もう人をいっぱい殺してるんだよ? いっぱい、いっぱい殺してるんだよ? でもそれはねリイド君、リイド君が悪いわけじゃないの。リイド君は褒められるべきなの。だってリイド君はそれで沢山の人を守ったんでしょ? リイド君偉い、リイド君かっこいい、リイド君素敵! オリカちゃんはリイド君をいつでも愛してるよ。でもね――」
リイドに顔を寄せ、オリカはその瞳を覗き込む。近すぎる距離――吐息どころか心臓の鼓動まで全て感じられそうな距離。オリカは口元を歪め、楽しそうに笑った。
「自分の罪を誤魔化して逃げるのだけは――駄目だよねぇ」
ケタケタと笑い声を上げるオリカ。リイドはその場にへなへなと尻餅をついてしまった。それほどまでにオリカは異常だったのだ。まるで人の皮を被っているバケモノのように感じる。その笑い声一つとっても、形容できない邪悪さに満ちているかのようだ。急にリイドは自分の行いに吐き気を催し――そうして異の中の物を全てその場にぶちまけてしまった――。
戦いは終わった。だが何の為に戦ったのか……それさえも判らなくなってしまった。戦いたいなんて思っていなかった。人を殺したいなんて思っていなかった。けれどオリカの言う通りなのだ。自分は人殺しなのだと痛感する。自分もまた――オリカのように、人の皮を被ったバケモノに見えるのだろうか……。
上空、離れた位置を飛んでいたマステマの中でエアリオが通信機に声を投げかけていた。だがその声はレーヴァテインに届く事はない。閉ざされた牢獄のようなコックピットの中、オリカは崩れ落ちたリイドの身体を抱きしめる。
「さぁ、帰ろっか。リイド君のことを、皆が待ってるよ」
マステマは人型に変形し、レーヴァテインの傍に降りてくる。だがリイドはそれに目を向けることさえなかった。ただ震えながら、恐怖に呆けていた。レーヴァテインという、究極の兵器の存在に……怯え続けていた。