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翼よ、かがやいて(4)

 太陽神は燃え盛る紅蓮の炎の世界の中、静かに佇んでいた。聞こえてくる歌は神の足を止め、浅い眠りを誘い続けている。どこからとも無く流れる音色……。鈴の鳴るような音と共にヴァルハラの地下、暗い闇の中で何かが揺らめいた。白く、奇妙な形をしたそのアーティフェクタが奏でる音色に誘われ、ホルスは操られ続けている。そんな神の前、せり上がるエレベータの上、腕を組んで立つイカロスの姿があった。

 暁を切り取ったかのようなその機体は炎の海の中、ホルス動揺静かに佇んでいた。腕を組んだ姿勢のまま停止するイカロス……。そのコックピットの中、イリアは目を閉じて深呼吸を繰り返す。心の中に思い描く全て……それをレーヴァテインの力とする為に。

 一度は敗北した相手だ。だが、もう二度と負けるわけにはいかなかった。あの日、スヴィアと共に闘った事……。スヴィアという先輩に良いところを見せようとして、無理に闘った。誰かに認めて貰いたかった。自分の力を誇示したかった。それはアイリスもリイドも同じ事だ。そう、決してイリアが優れているわけではない。

 もう二度と立ち上がれないと思った。もう二度と飛べないと思った。翼が現れないのは、きっと自分自身を諦めているからだ。そんな自分にカイトは手を差し伸べてくれた。仲間だと言ってくれた。一緒に闘おうと、もう一度頑張ろうと言ってくれた。

 スヴィアが居なくなった後も、カイトはずっとイリアの傍に居た。正直に、素直に自分の中で問いかけよう。彼の事が好きか――? この街が……世界が……。自分を取り巻くこの星が好きか……? アイリスも、エアリオも、リイドも、自分を支えてくれる全ての物……。好きに決まっている。大好きに決まっている。守りたいに決まっている。守って……闘えるに決まっている。

 ゆっくりと瞼を開いた。目の前にはあの憎たらしい少年の背中がある。何故だろう、その背中がとても頼もしく思えた。その更に向こうには炎上するプレート……そしてホルスが待ち受けている。冷や汗が流れ、身体が震える。恐怖が無くなったなんて言うつもりは無い。絶対に失敗しないなんて豪語するつもりも無い――。


「“第一神話級”……ね。いいじゃない……そうよね。そうじゃなきゃ……熱くないわ――!」


 ハートに火をつけろ――。恐怖を全部平らげて勇気で前へ進むのだ。自分に何度も言い聞かせる。勝てる。勝てる。勝てる――。違う、勝たねばならない。何がなんでも。たとえこの身が全て燃え尽きても良い。

 これで何もかもが終わってしまったって構わない。明日の事なんて考えない。今全力になれないでどうする? 今真っ直ぐに走れなくてどうする? 今――飛べなくてどうする? 少女の瞳は紅く輝く。それに応じるようにイカロスもまたその瞳を真紅に輝かせた。

 巻き起こるフォゾンの嵐――光の風。それは炎を一瞬で吹き飛ばし、静寂を場に取り戻した。リイドが振り返り、何も言わずにじっと見つめてくる。イリアは胸に手を当て……まるで誓うように言った。


「全力で……。この戦いに、正真正銘あたしの全部を賭ける。それでも届かないかもしれない……。それでも……リイド、一緒に闘ってくれる?」


 答えは聞くまでもなかった。だがイリアはあえてそう質問する。結局不安なのは変わらないのだ。イリアはただロボットに乗れるだけのただの女の子なのだから。だが――では、目の前の少年はどうか。


「――――あんたの力が、届かなくたって構わないさ」


 まるで何も恐ろしいものはないとでも言わんばかりに真っ直ぐに、怒りと力を湛えた眼差しで敵を射抜く彼は――。


「言っただろ、ボクがあんたを飛ばしてやるって。風はいつだって吹いてる――あんたのすぐ傍に」


 イリアは目を閉じ、小さく頷いた。本部ではヴェクターたちがモニターで様子を窺っている。病室ではベッドの上に横たわったカイトが……。そして、その傍らに立ったエアリオがモニターを眺めている。

 皆が、戦いを見ている。皆が、この背中に期待している。皆の気持ちが――“風”を作る。自分で作った限界が翼を燃やしてしまうなら……。神様に縛られたこの世界の中で、それでもはばたくのならば……。心の翼を広げる。それは鎖で閉ざされた扉を開くようなイメージ。

 紅い境界線を塗りつぶしていく。二人の心は通じていく。そっと、ずっと……今までよりも深く。指と指を絡めるように、声と声を重ねるように、背中と背中を合わせるように……。熱い、とても熱い気持ちが流れ込んでくる。胸の奥底からこみ上げてくる強い想い……。何一つとして我慢する必要なんかないのだ。この感動に打ちひしがれる心を広げ――今、力を解き放つ。


「――――さあ、イカロス……。もう一度よ……。もう一度……あたしの為に……! みんなの為に……! リイドの為に――――ッ!!!! 輝けぇええええええッ!!!!」


 腕を組んでいたイカロスはその両腕を広げる。それと同時に背中で折りたたまれていたウイングが開き、紅い光の翼が左右に広がった。吹き抜ける風の中、イカロスは雄雄しくホルスと対峙する。コックピットの中、イリアはぼろぼろと涙を流していた。今までとは比べ物にならないほどの力を感じる。イカロスが……“戻ってきた”のだ。

 ホルスが動き出し、その全身から光線を放った。次の瞬間イカロスは翼をはばたかせて舞い上がる――。大空を翼を折りたたみ、回転しながら光の中を潜り抜けていく。上下左右がぐるぐると回転するコックピットの中、イリアは自分の身体から心が解き放たれていくのを感じていた。

 シンクロにより、リイドへと気持ちは全て伝わっていた。リイドは自分の意識を押し殺し、イリアの気持ちを感じる事に集中している。イリアは思った。もっと自由に……自在に、空を舞いたいと。イリアの心に反応しイカロスは自由自在に空を舞う。まるで――翼を貰ったみたいな気持ちだった。


「リイド……リイド、見て! あたし、今飛んでる……! あたし、飛んでるよ……っ!!」


「ああ、飛んでるな……! すごい反応速度だよ、イリア……! ビームが……全部、“視える”……!」


 光の速度で放たれる光線、それをイカロスは全てかいくぐっていく。何十、何百という光が雲を突き抜け打ち払う。コックピットの中は虹のような光で溢れていた。イリアは両目から涙を零しながら、安らかに笑顔を浮かべ空を舞う。

 ホルスが剣に変形し、飛来する。イカロスは翼で身体を抱きしめるようにして覆い、空中でぐるりと高速で回転した。光の翼がホルスの切っ先を弾き飛ばし、ホルスはあらぬ方向へと突っ込んでいく。傾いたプレートの上に着地したイカロスは両腕を広げ周囲に光の魔法陣を浮かべた。コックピットの中、イリアはレーヴァと同じ動きをトレースする。どちらが先でどちらが後なのか……それは些細な問題だった。

 Uターンし、ホルスは認識不能な速度で突っ込んでくる。それをイカロスは正面から正々堂々受ける構えを取った。ざわめく司令部……。しかし、リイドは一歩として退くつもりはなかった。避けるのは構わない。だが――“逃げ”だけは在り得ない。

 真っ直ぐに突っ込んでくるホルスの剣――それは寸分の狂いさえもなくレーヴァテインへと直撃した……かのように見えた。衝撃波でプレートの半分が吹っ飛ぶ中、イカロスは無事だった。飛来した剣を白刃取りしていたのである。神に驚くという概念はなかったが、ホルスの奇妙な数秒の停止は“驚き”と表現する他ない。イカロスはその剣を大地へと叩きつけ、そして片手を大きく振り上げた。

 叩き込まれた光を帯びた拳は一撃でホルスの肉体を飛散させる。漂う真紅のコア……そして拳は足場である3番プレートを砕いて貫いた。落ちていくイカロスとホルス……。ホルスは空中でフォゾンを収束させ、再び人型へと変化していく。


「……!? おい、どうしてコアを狙わなかったんだ!? ヴェクター、あれがコアだろ!? なんで砕かないんだよ!!」


 司令部でルドルフが叫んだ。実際、ヴェクターも同じ事を叫びたかったのだが……流れたのは冷や汗だけであった。何となく、彼らの意図が判ってしまったから……何も言えなくなる。病室、エアリオが微笑んだ。そうして小さく呟く。


「……好きなだけやればいい……。自分が納得出来るまで……好きなだけ――」


 3番プレートの残骸と共に4番プレートへと落下したイカロス。身体を再構成したホルスはイカロスを見上げ、構えを取った。イカロスは腕を組んだまま一際大きな残骸の上に静かに立っている。


「――――あんたには、これまで散々苦しめられてきたわ……。あんたの所為で……あんたの所為で……そう思った日もあったわ。でも――ッ!!」


 弱かったのは、自分だった。愚かだったのは、自分だった。自分と同じ形をした神の、自分と同じ力を持った神の……その炎を前に少女は心を研ぎ澄ます。あくまでも冷静に――そして心の奥底は熱く。大人びたその視線で、しかし成すべき事は子供染みたプライドを守る事――。

 光の紋章を浮かべた片手の拳を握り締め、イカロスはホルスを指差す。そうして大地へと降り立ち、構えを取った。リイドは少しばかり呆れた様子で苦笑し、そしてレーヴァテインを動かす。彼女の思うままに。彼女の全てを受け入れ――許すように。

 崩落するプレートの上、二つの光が対峙する。そうして二つの炎は正面から激突した。放たれた拳と拳――それが正面衝突する。衝撃が広がり、4番プレートも長く持ちそうにないのは明らかだった。リイドは雄叫びを上げ、次々に拳を繰り出していく。それに対応するようにホルスも次々に拳を繰り出した。

 第一神話級を相手に正面からの格闘戦――。作戦も何もあったものではない。だが、それでこそイリア・アークライト……。そしてリイド・レンブラムである。小細工など不要、己の力を信じているのならば……。ならば、この拳で。ならば、この力で――。


「「 正々堂々、勝負ッ!! 」」


 二つの巨人によるラッシュの対決……。その衝撃はあっさり4番プレートを崩壊させていく。一方本部ではユカリが椅子から身を乗り出し、イカロスのステータスに声を震わせていた。


「…………開放値……46%――ッ!?」


 ユカリが呟いた言葉はその場に居た誰もを驚愕させた。神々しい光を放ちながら燃え盛る翼を広げるその姿は、正に神話にでも登場しそうな神の姿そのものである。見ているだけで、じりじりと伝わってくる強烈な敵意と威圧感の全てはホルスに向けられており……そのプレッシャーは計り知れないだろう。


「すばらしい……! これがレーヴァテインの半分近い能力……!」


「シンクロ状態はどうなってる!? あんなに力を引き出せるものなのか!?」


「シンクロ数値……測定不能です! 二人とも殆ど感覚が一体化……レーヴァテインと一つになっています!! す、すごい……こんな事が……」


 唖然とするユカリ。彼女はそのままふらふらと後退し、椅子の上に座り込んでしまった。状況に興奮するヴェクターとルドルフ……しかし医師であるアルバだけは難しい表情を浮かべていた。


「“オーバードライブ”……」


「あ? 今なんつった? オーバードライブ……?」


「……オーバードライブとは、レーヴァテインが本当の姿を取り戻した時に起こる現象だ。限界を超えたシンクロ……だが、それはパイロットに強力な反動を与える事になる」


 そこで全員がはっとした。そう、レーヴァテインには“反動”というものがあるのである。その力を引き出せば引き出すほど、精神的に強いリバウンドを受ける事になるのだ。20%程度のシンクロでも精神的に多大な負荷がかかる……。ならば……今は?


「イリア君……。君は本当にここで、自分の全てを燃やし尽くすつもりなのか――?」


 完全に正面からホルスを圧倒するイカロス。放たれた拳がホルスの頭部を貫通し、衝撃がまた肉体を破砕する。残ったコアを片手で掴み、それを回復しかけたボディから引き抜いてイカロスは瞳を輝かせた。


「リイド……あたしの我儘に付き合ってくれてありがとう。あんたのお陰で……あたしはまた飛ぶ事が出来た」


 そのコアを軽く放り投げ、そして蹴り飛ばす。吹き飛んでいくホルス……そのコアはプレートから弾かれた空中で停止した。周囲からフォゾンが収束し、ホルスの再構成が始まる。彼方、プレートの上に立ったイカロスは両手を左右から上下へ構え、そして二つの掌を胸の前で重ね合わせる。

 

「お礼ってわけじゃないけどね……。あんたには……イカロスの一番カッコイイとこ、見せておいてあげたいんだ……」


「…………イリア?」


 気持ちは通じているはずなのに、イリアが何を言おうとしているのかリイドには判らなかった。しかし振り返る間も無くイカロスはこれまでとは比べ物にならない程の量のフォゾンを収束させ始める。その全身が真っ赤に輝き、翼は変形し全く別の形状へと変わっていく。

 光の翼は変化し、イカロスの光背となる。翼から収束した光は掌の狭間にて小さな光となり、そして肥大化するそれはやがて昼も夜も関係なく世界全てを照らし出す小さな太陽のように輝き出す。燃え盛る翼の光……イカロスはそれを胸に抱き、彼方のホルスを睨む。


「これが正真正銘……! イカロスの……最終奥義ッ!!!! 全力のぉ――!! 全開のぉ――!! 絶対のぉおおおおおおおおおおッ!!!!」


 完全に修復を終えたホルスがようやく異常に気づく。オーバードライブ状態のイカロスが口を開き、唸り声を上げた。そうして胸の前に集った光を――両手で押し出すように、ホルス目掛けて発射する。


「ブラストォオオオオオオッ!! ハァアアアアアアア―――――――トォオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!!」


 放たれた閃光は一瞬で大気を突き抜け、空を焦がしていく――。光は一撃でホルスを貫き、そしてコアはまるで最初からそこに無かったかのように、跡形も無く蒸発していた。コアを失い、悲鳴を上げながら瓦解するホルス……。それが空の彼方で大爆発を巻き起こし、その光を背にイカロスは振り返り翼を畳んだ。


「………………。どういう、威力……。核弾頭かよ……」


「ふふふ……! あははは……っ! 思いっきりぶちかましてやったわ……。ああ……ホント、さいこーの気分……。なんか……ウジウジ悩んでた自分が、バカみたい……」


 光の中、イリアは笑いながらそっと目を閉じた。リイドは深く息をついて振り返る。イリアは眠たげに何度か目を開こうとしては閉じ、そうしてリイドをちょいちょいと手招きした。


「…………リイド……。本当に……ありが、と……」


「殆どボクは何もしてないよ。乗り越えたのはあんた自身の力だ」


「………………」


「それにしても、まさかイカロスがこんなに強いなんてね……。驚いたよ。あとはあの必殺技の名前を叫ぶセンスを何とかしてくれれば言う事ないんだけどね」


「………………」


「さて、さっさと戻ろう。カイトとアイリスの事が気になるし……ね、イリア? おい、聞いてんのか……よ」


 振り返ったリイドの前、イリアは安らかな様子ですやすやと寝息を立てていた。眩い光が収まり、濃く引いていた陰が薄まっていく。リイドはコックピットの中、眠るイリアの頬に触れた。


「……………………イリア?」


 呼びかけても少女は目覚めない。急に不安になり、少年は少女の肩を揺らした。もう一度名前を呼んでみる。二度……三度、呼んでみる。しかしイリアは返事をしない。少女は眼を覚まさない。

 音も無く、イカロスの装甲が消滅した。光は淡く立ち上り、空へと舞い上がっていく。装甲を失ったレーヴァテインの瞳から一縷の雫が零れ落ちた。それがフォゾンの光だったのかそれとも目の錯覚だったのか……それは誰にも知る由はなかった――。




翼よ、かがやいて(3)




「……私、負けたんですね……」


 本部の医務室、ベッドの上に横たわるアイリスの姿があった。血の滲んだ包帯が巻かれたその様子は痛々しかったが、彼女の傷は見た目よりもずっと軽い。


「でも、直ぐによくなるってさ。カイト君が庇ってくれたお陰だって」


 アイリスの枕元に座っていたのはオリカだった。帽子を脱ぎ、それを指先でクルクルと回転させるオリカ……。アイリスはオリカに目もくれず、悔しそうに涙を流していた。

 結局、自分が出撃した所で何も出来なかった。いや、そんなのはわかりきっていたのだ。わかりきっていたけれど……やらなきゃいけないと思ってしまった。そうするしかないのだと自分を追い込んでしまった。それで結局負けてしまったのだから、随分と間抜けな話だ。

 それでも少女は姉に認めてほしかった。早く大人になりたかった。いつまでも守られているだけの存在ではいたくなかった。それは決して悪い感情ではないのだ。単に全ては姉への愛の成す行動なのだから。しかし少女は不器用で、そして愛情を上手に伝える術を知らなすぎた……ただそれだけの事だ。


「……ホルスは……どうなったんですか?」


「リイド君がやっつけたよ。一方的にボッコボコにしてね」


「……あれ、を……? そんな……。リイド・レンブラムが……。干渉者は……? サブパイロットは……誰ですか?」


「イリアちゃんだね」


 オリカは事実を包み隠さず伝える。その言葉がどれだけアイリスを打ちのめすものなのか……それは考えない。言葉はただ言葉、事実はただ事実なのだ。それがどんな意味を持つかは人それぞれ……。それもまた、彼女なりの優しさの形だった。


「お姉さんに負けて悔しい?」


「…………はい」


「でも、本音を言うとやっぱりお姉ちゃんはすごいと思ってる?」


「はい……はいっ? そ、そんな事思ってません!」


 顔を真っ赤にして反論するアイリスをニヤニヤしながら眺めるオリカ。そうしてオリカは緩慢な仕草で立ち上がり、頭の上にポンと帽子を載せて言った。


「よくなったら、お姉ちゃんに会いに行ってあげるんだよ。彼女の方からこっちに来るのは無理そうだから」


「……え? それは……どういう意味ですか?」


「そのまんまの意味だよ、アイリスちゃん。イリアちゃんはもう、当分こっちには来られない……。戦いの結果が生むのは良い事ばかりじゃない。それは、アイリスちゃんだってわかってるはずでしょ――?」


 そう、戦いの結果はいつでもハッピーエンドとは限らない――。修理中のレーヴァテインの前、立ち尽くすリイドの姿があった。戦いが終わってからこの瞬間まで、彼はずっとそこから動こうとはしなかった。

 背後から歩いてきたエアリオがリイドの隣に並ぶ。二人の周囲だけまるで時間が止まっているかのようだった。作業員たちが慌しく行きかう中、リイドはただぼんやりとレーヴァテインを見上げ続ける。その手を握り、エアリオは首を横に振った。


「リイドは……よくやったよ」


 その言葉にようやくリイドはエアリオを見た。哀しげな……寂しげな眼差しだった。リイドはエアリオの手をぎゅっと握り返し、そうして呟いた。


「ボクは……まだまだ、弱いね……」


「……リイド」


「力が欲しいよ、エアリオ……。何も奪われない……何もかもを護る力が……。そうしたらもう、こんな気持ちにならなくて済むのかな……。そうしたらもう……涙を流さなくて……済むのかな――」


 微笑むと同時にリイドの瞳から熱い雫が零れ落ちた。その場に崩れ落ちるリイド……。エアリオはそんなリイドの身体をぎゅっと抱きしめ、頬を寄せた。

 言葉はなかった。リイドは自分より遥かに小柄な少女にすがり付いて泣いた。声を上げ、子供のように泣いた。エアリオは涙を流さなかったが、ただただ悲痛な様子でリイドを抱きしめ続けた。

 “力”を手に入れたら、もう何もかもが自分の思い通りになるなんてどうして思っていたのだろう? “力”さえあれば、自分の存在を肯定できるのだなんてどうして思っていたのだろう? 考えは全てが甘すぎた。だから何度も失敗する。何度も、何度も……。

 本当は彼だって同じなのだ。同じ……ただの子供。感情的で、愚かで、無知で……。それでも真っ直ぐなんとか進もうと歩き続ける子供なのだ。決して強くはない……。それをエアリオは判っていた。背伸びをしてイリアを引っ張った彼の事を、エアリオだけは理解してあげる事が出来たから。


「おつかれさま、リイド……」


「強く……。強く、なるから……。もう、誰にも負けないくらい……強く……なるから……っ」


「…………うん」


 泣きじゃくるリイドをエアリオはずっと抱きしめていた。傷だらけのレーヴァテインは何も応えてはくれない。けれども今は傍に居たかった。力の証、強さの証明……。そして、この世界を護る恐るべき兵器。自分が操らねばならない、たった一つの存在証明だったから――。




「イリア・アークライト……並びに、カイト・フラクトル両名のジェネシス戸籍を停止、レーヴァテインプロジェクトから一時除外……」


 司令部ではユカリがそう呟きながら端末を操作していた。そこにあったイリアとカイトの個人情報は抹消され……それはもう、二人がレーヴァに乗れない事を示していた。

 ユカリは何とも言えない、神妙な面持ちだった。それは当然の事で、今まで長い間カイトとイリアを見守ってきたオペレーターとしては、この状況が本当に口惜しくてならなかったのだ。ただそれを顔に出さないのは、単純に彼女が大人であり……今まで多くの生死と向き合ってきたからに他ならない。

 立ち上がって振り返ると、そこにはアルバの姿があった。先ほどまでイリアの様子を伺っていた男は、力なく首を横に振る。煙草を咥え、そうして溜息を漏らした。


「一体何が原因なのか……。身体にはなんの異常もないんだが……」


 イリアは戦闘終了後、意識不明となって医務室へ運び込まれていた。しかし一体何が原因で意識が戻らないのか、それが全くわからなかった。原因が考えられるとすれば、彼女が体験したこれまでにないほどの強力なシンクロくらいなものなのだが、リイドは無事でイリアは意識不明……となると、また意味がよくわからない。

 どちらにせよ、原因不明としか言いようがなかった。もしかしたら今すぐにでも目覚めるかもしれないし、もう一生目覚めないかもしれない……。生命維持装置に繋ぐまでもなく、イリアの身体は健康そのものだというのに……奇妙な話だった。


「イリアちゃん……せっかく自分の壁を一つ乗り越えたように見えたんですけどね……」


「……そうだね。僕も主治医として残念でならないよ。でも……そうだな。彼女の寝顔は……本当に安らかだったよ。今すぐ目覚めるんじゃないかってくらいにね……」


 イリアが眠る病室、そこに傷だらけの身体を引き摺ってやってきたカイトの姿があった。アイリスよりもよほど重傷だというのに、目を覚まして話を聞くなりここに駆けつけずには居られなかったのだ。ふらつく足取りでベッドへ歩み寄り、眠るイリアの顔を見下ろした。安らかな……幸せそうな寝顔だ。それは何度も少年が見た事がある姿だった。


「…………ホルスに勝ったんだってな……。イリア……お前は本当に……カッコイイやつだよ……」


 椅子の上に座り、カイトはイリアの手をぎゅっと握り締めた。どんな言葉でだってこの気持ちを伝える事は出来ない。だからカイトは黙り込んでいた。どうか、目覚めてほしい……。祈りとしか呼べないその気持ちでただただイリアを見つめ続ける。そこへ飛び込んできたのは同じく傷だらけのアイリスであった。


「カイト……姉さんは!?」


「…………アイリス」


「姉さん……姉さんっ!!」


 アイリスはイリアへと駆け寄り、その肩を掴んで揺さぶった。しかしどれだけ声を上げて呼びかけても彼女は目覚めない……。アイリスの両目から涙が零れ落ち、少女はただそこに崩れ落ちた。そんなアイリスの肩を抱き、カイトは優しく言った。


「……お前の所為じゃないさ。イリアは自分の限界を乗り越えたんだ。自分の意思で……」


「でも……! だって、私が倒せていればこんな事には……!! こんな、ことには……っ」


 泣き崩れるアイリス、そこへリイドとエアリオが入ってきて顔を合わせる事になったのは単なる偶然だった。しかしまるで運命にそうしろとそそのかされているかのようにアイリスは立ち上がり、リイドの胸倉へと掴みかかった。


「どうして……! どうして姉さんがこんなになって、貴方は平然としてるんですか!?」


「おい、やめろアイリス……!」


「姉さんが何をしたっていうんですか……! 姉さんは……姉さんは……いつも一生懸命で……。姉さんは……私の、自慢の姉さんで……」


 リイドは何も言わず、何も反応もしなかった。突き飛ばされたリイドは壁に背中を打ち、そのままずるずるとその場に座り込んだ。傷が痛んで立っている事が出来なくなったアイリスも肩で息をしながら座り込む。誰もが満身創痍だった。仲間たちの間に重苦しい沈黙が続いた。


「……ごめん。ボクがついていながらイリアが……」


「…………謝るなよ、リイド……。お前はなんにも悪くねえんだ」


「……ありがとう、カイト。でも……ボクの力不足の所為で……っ!?」


 しかし言葉はカイトのげんこつで止められていた。少年はリイドの傍に膝を着き、そうして首を横に振った。


「イリアはそんな風に言ってたのか……? お前の所為だなんていってたのか……? なあアイリス、リイド……よく聞いてくれ。イリアがそんな事言うと思うか?」


 二人は同時に黙り込んだ。そんな事は言われずとも判っている事だ。イリアは……最後、リイドに“ありがとう”と言ったのだ。その言葉に全ての意味があり、結果が収束する。彼女は満足していたのだ。リイドに感謝していたのだ。それが事実なら……他人がとやかく言う時点で全てがお門違いである。


「イリアはきっと目覚める……。目を覚ます時が来る。だからお前たちも立ち上がるんだ。塞ぎこんでる暇はねえし、そんな事イリアが望むわけがない」


「カイト……」


「でも、私は……」


 二人が同時に立ち上がった、その時であった。三人の真ん中に割って入ったエアリオがベッドを指差してコクコクと頷いていた。何事かと三人がそこへ目を向けた、その時――。


「うーん…………? 何……? なんの騒ぎ……?」


「え……?」


「は……っ?」


「ね……え、さん…………?」


「……姉さんだけど……何? なんであんたら大集合してんの……?」


 怪訝な表情を浮かべ、眠たげに目を擦るイリア。エアリオが肩を竦め、リイド、アイリス、カイトの三人が同時にイリアへと駆け寄った。そうしてイリアはもみくちゃにされ、驚いた様子で戸惑うばかりだった。


「姉さん……良かった、姉さん……っ!! 私……私っ!!」


「アイリス……? なんだかよくわからないけど……泣かなくたっていいじゃない。あんたをいじめたあのバカは、あたしがバッチリ倒してやったから」


「うん……っ! うん…………っ!!」


 アイリスはイリアの胸に飛び込み、涙を流して頷いていた。それをカイトとイリアは傍で見守っていた。泣きじゃくるアイリスの頭をなでてあやしながらイリアは顔を上げ、少しだけ照れくさそうに笑う。


「なんか……もしかして心配かけちゃった?」


「心配したぜ、ホント……。そりゃもう、心臓止まるかと思うくらいビックリしたわ」


「…………まあ……イリアらしいと言えばらしいけどね……」


 苦笑を浮かべるリイド。そうして左右から二人の少年はイリアの肩を叩いた。大勢の仲間たちに囲まれ、イリアは少しだけ恥ずかしそうに笑う。そうして紅い髪を揺らし、大切な言葉を告げた――。


「――ただいま!」




『イカロスの覚醒……素晴らしい成果だったな。次は何を動かす……?』


 暗闇の中、ソルトアは腕を組んで考えこんでいた。懐から取り出した小さなベルを鳴らし、リンと音を奏でる。そうして口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「心配せずとも計画はしっかりと進行中ですよ。次はリイド・レンブラムに直接接触を試みましょう。なに、チャンスはいくらでもありますよ――」


 闇の中、ソルトアの姿は黒く塗りつぶされていく。しかし彼の手の中にあったベルの音だけが何度も何度も反響し、無の空間に鳴り響き続けていた――。


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またいつものやつです。
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