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翼よ、かがやいて(3)

『レーヴァテイン=オルフェウス、発進位置へ移動してください』


「了解、オルフェウス発進位置へ移動する……! アイリス、準備はいいか?」


 久々に乗り込むレーヴァのコクピットにカイトは自らの思考を研ぎ澄ませる。心で操るレーヴァは緩んだ意思では動かす事が出来ない。久々に乗るだけあり、油断は禁物だった。オルフェウスを歩かせ、カタパルトエレベータの発進位置へ。姿勢を低く、その場に屈んで射出に備える。

 一方その頃司令部ではユカリ、ヴェクターの隣に並びルドルフ、アルバもその様子をモニター越しに伺っていた。誰もが神妙な面持ちでオルフェウスの出撃を見守っているのは言うまでもない。特にアルバは最後まで出撃には反対していた。今も納得は行かないのか煙草を咥えたまま眉を顰めている。


「何かあればすぐに引き返す……。そういう約束でしたね? ヴェクター」


「ええ。ですがまあ、彼らを信じるしかないでしょうねえ……」


「テメェで勝手に戦いたいっつってんだから、ほっときゃいいと思うけどねえ……。まあ、レーヴァを壊されるのはこっちとしちゃ困りまくりなんだけどよ」


 三者三様の趣だった。しかしアルバは少年達が傷つく事を望んでいない。出来る限り、無事で……無傷で戻ってきて欲しいと強く願う。だからこそ、二人の状況を知るからこそ、医者としてアルバはこの出撃に賛成出来なかった。

 しかしコックピット内の二人は周囲の心配などかまっている余裕はない。緊張でがちがちになる身体を何とかしようと深く深呼吸するアイリス。狭いコックピットの中……初めて経験するレーヴァテインとの調和に呼吸が落ち着かない。汗ばむ手ごと強く、操縦桿を握り締める。やると決めたのだ。だからもう――逃げる事は出来ない。


「大丈夫だアイリス。やばくなったら逃げればいい……。いいか、確実に勝ちに行くぞ」


 そんな少女を励ますため、カイトは振り返って優しく笑う。そうだ、これは博打……。だがそれでも“勝ち”に拘らなくてはならない。レーヴァテインのパイロットとして力を……そして自分の存在を認めさせる為に。少女は強く思い描く。自らの力を信じる事……。気弱な彼女に出来る、たった一つの事――。


「レーヴァテイン=オルフェウス! 行くぜえええっ!!」


 エレベータの出撃シグナルが赤から緑へ変化する。直後、衝撃と共にオルフェウスは加速したカタパルトエレベータによって遥か彼方頭上まで移動を開始していた。重力制御が間に合わず、コックピットの中に強烈なGが発生し、遅れて安定がやってくる。アイリスは既に息も絶え絶えだった。だがそれでも戦いを止めるわけにはいかないのだ。

 運び込まれた場所、そこは頭上に闇を、眼下に光の海を臨むヴァルハラの最上階――。この世界で最も高い場所、第一番プレートである。中間圏に立ち入った宇宙と地球の狭間の場所、そこで重力を制御しオルフェウスは静かに顔を上げた。

 全身を覆う、黒いマントがフォゾンの流れにはためいた。オルフェウスはイリアのイカロスを髣髴とさせる真紅のカラーリングのレーヴァである。最大の特徴はその全身をすっぽりと覆うアンチフォゾンビームマント……。そして両翼に該当する部分から大地まで伸びた“隠し腕”である。三本目、四本目の腕を大地に着き、オルフェウスは四本足に近い体勢を取り、その手の中に巨大なライフルを構築する。


「オルフェウス、モードチェンジ……! スナイパーモード――!!」


 オルフェウスの頭部が変形し、スライドした頭部装甲が望遠レンズを構築する。勿論それはただのレンズではなく、超遠距離を――地球の端から端まで見渡す事が出来るような強力な“可視”の概念を持つ装備である。望遠だけではなく、透視……未来予測まで可能なその眼はオルフェウス最大の武器でもある。

 折りたたまれ琴のような形状になっていたライフルは一度手の中で分解され、自動的にライフルへと組み替えられる。それを両手で構え、片腕とジャンクションさせエネルギーを流し込む。下から吹き上げる激しいフォゾンの風の中、光を浴びて射朱は瞳を輝かせる。サブコックピットではアイリスが凄まじい速度で計算を繰り返し、接近するホルスへと照準を合わせつつあった。


「やれそうか、アイリス……?」


「はい……いえ、やれるかやれないかではないんです。やらなければ……意味が無い……!」


 シミュレーションならば何度か経験している――。ホルスはゆっくりと、遥か彼方を浮遊しているだけだ。確かにこちらに向かっては来ているが、今の所レーヴァテインの存在に気づいている様子はない。情報をカイトと共有し、アイリスはごくりと生唾を飲み込んだ。


「“ケルベロス”……第一射、行けますッ!」


「当たってくれよ……! いっけぇええええええええッ!!!!」


 トリガーを引いた瞬間、凝縮されたフォゾンの弾丸が射出される。光が轟音と共に放たれ――やや遅れ、衝撃波が迸る。四本のアームでがっちりと身体を固定しているオルフェウスはそれで揺らぐ事は無かったが、その一発の重さを知らしめるかのようにプレートの表面が剥がれて吹き飛び、マントが激しくはためいた。

 命中したかどうかを確認するまで意識は一秒たりとも必要としなかった。光の速度で放たれた弾丸は当然、光速にて敵を穿つ――。放たれたと判断してからでは回避不可能なその一撃は闇と光の狭間を突き抜ける。目標、ホルスのその片翼を一撃で木っ端微塵に砕いて見せた。その手応えにカイトは舌を舐める。


「効いてるぞ……! アイリス、次弾装填!」


「い、今やってます……!」


 狙撃ライフル、“ケルベロス”の砲身が開放され、圧縮されていたフォゾンが噴出すと同時に薬莢が放り出される。オルフェウスは片手の中に魔法陣を浮かべ、そこにフォゾンを収束させて新たな弾丸を構築していく。


「すごい……!? 第一神話級相手に一撃でこの威力……! 目標に着弾確認……行けます!!」


 本部にてユカリが叫んだ。背後、ヴェクターは口元に手を当て神妙な面持ちである。対神狙撃ライフル、“ケルベロス”の威力は確かに凄まじかった。命中精度も他のレーヴァテインの武装とは比べ物にならない。これならば事実上、地球上に存在する敵ならばこのヴァルハラの真上から狙撃可能――。そう、たとえ相手が地球の反対側に居たとしても――。

 しかし、一握の不安が消える事は無かった。翼を失ったホルスはフォゾンの血を撒き散らしながらも未だ移動を継続している。アイリスはまだフォゾンによる武装構築に慣れていないのか、弾丸の装填に手間取っている。相手は仮にも第一神話級……これで終わるとは思えなかった彼の予想は正に的中する。

 ホルスという神は、光輝く鳥のような形状をした敵だった。その鳥は片方の翼を失い――ぐにゃりとその形状を変化させたのである。形を成したのは巨大な剣――。光の軟体は自らの身体を剣のように変形させ、そしてゆっくりと……穏やかに加速を開始したのである。そしてそれはある一定のラインを超えた瞬間――今までとは比較不能なほど急激に速度を増していく。

 弾丸を再装填したオルフェウスに乗り込んだカイトが引き金を引こうとした時、既に目前にまでホルスは迫っていた。一体どれほどの速さで近づいてきたというのか――。その速さのあまりに驚き、カイトは引き金を引く。放たれるに二発目の弾丸――それはホルスに直撃した。しかしホルスはその光を剣の切っ先にて両断し、そのまま突っ込んできたのである。


「くそっ!? 早――!?」


 と、毒づくよりも早くカイトはレーヴァテインを起こしていた。次の刹那にはケルベロスの銃身は真っ二つに両断され、それどころか彼らが立っていたプレートまでがすっぱりと両断されていた。本部では何が起きたのか誰も観測出来ず、ユカリでさえ処理が追いつかず唖然とするばかりである。声を出すよりも早く……カイトは引き伸ばされた感覚の先、ホルスの姿を認識した。

 音よりも早く……。文字通りホルスは光の刃となって飛来したのだ。その一撃の前にプレートなど無意味――。足場を失い、轟沈する防衛用プレートと共に崩れていくレーヴァテイン。だがホルスは視界から消え――そしてまた直ぐにUターンしてくる。まるで速さの桁が違いすぎる。カイトは振り返り、別の武装を要求しようとした。しかしアイリスは状況についてこれず、ただ戸惑うばかりだった。

 アイリスに何かを言うよりも、ホルスがもう一度攻撃を仕掛けてくる方が圧倒的に早い――。言葉のやり取りでは間に合わないからこそ、レーヴァテインのパイロットはシンクロして意識を共有するのだ。だが今のアイリスには意識を融解させ、シンクロするという事が出来ない――。シンクロとは相手を思い、相手の思考に自分の思考を重ねることで成立する。今のアイリスに他人を構っている余裕などあるはずもない。

 二度目の攻撃をカイトが回避出来たのはただの軌跡だった。別の角度から飛来したホルスは激しい衝撃と共に真っ二つに両断されたプレートを更に両断、四等分にして突き抜けていく……。不安定な空中でオルフェウスはブースターから何度か光を瞬かせバランスを取ろうとする。ホルスは真っ直ぐ近づくのではなく、今度はオルフェウスの周囲を回転するようにして移動を開始した。それも早すぎてレーヴァテインで感覚拡大されたカイトでさえ眼で追うのがやっと……いや、追いきれてはいない。唐突にこちらに仕掛けてきたら回避不能なのが本音だった。


「アイリス、他の武装はないのか!? もう一度ケルベロスを出せるか!?」


「あ……う……!? え、えっと……えっと……っ!?」


『カイト君、傍にDソードがあるわ! これから第一プレートの残骸を一斉に自爆させます! 目隠しに使って!!』


 アイリスは頼りにならない――それが現実だった。相手が第一神話級……あのスヴィアを破った相手だという事は判っていたつもりだった。だが……やはり強い。これまで闘ったどの敵よりも――遥かに強い。

 落ちていく残骸の中、オルフェウスはその中の一つに手を伸ばす。それは予備の武装として設置されていちあDソードが入ったコンテナだった。それを強引に握りつぶすと同時にDソードを取り出し、両手で構える。次の瞬間本部からの遠隔操作で第一プレートに仕込まれていた爆薬が一斉に起爆した。

 光の瞬きの中、カイトはオルフェウスの“眼”へと意識を集中していた。ホルスの動きは尋常な速さではないが、この眼があれば何とか食いつく事は出来るだろう。通常の爆薬など何十トン同時に起爆されたとしてもアーティフェクタにしてみれば何のダメージも無い。その業火の中、オルフェウスは翼を広げ剣を振り上げた。


「当たれぇええええええええええッ!!」


 ホルスの突進に合わせ、カイトが放ったカウンター……。それは次元を切り裂く刃としてホルスの身体へと叩き込まれた。湾曲する空間……しかしそれで思い知る。Dソードの直撃にも耐えるホルスの身体の周囲には、Dソードと同じく次元の湾曲が存在しているのだと。

 二つの湾曲空間が崩壊し、左右に弾き飛ばされる二つ。そうしてホルスは回転しながら再びその形状を変化させる。光の翼を生やした巨人……やがてそれは光の装甲を構築し、あたかもまるでアーティフェクタであるかのように姿を変えていく。ホルスは紅蓮の炎で燃え盛るその両腕でレーヴァテインに掴みかかる。直後、接触箇所があまりの高熱に融解……。アイリスの身体を信じられない程の激痛が襲った。


「きゃああああああああっ!?」


「アイリス!? くそ――!!」


 それが、少女が始めて味わうレーヴァテインの“痛み”だった。絶叫してしまうほどのその激痛に……彼女の姉はどれだけ耐えてきたのだろうか。アイリスではなく、イリアだったならば……歯を食いしばって耐え、そして打開策を考じる余裕すらあった事だろう。だがアイリスはあらゆる意味において未熟だった。痛みを制する力も、この状況を変化させる思考も持ち合わせては居ないのだ――。

 オルフェウスは片足でホルスを蹴り飛ばす。しかしその身体は頑丈そうな外見とは裏腹にぐにゃりと歪み、手ごたえはまるで無い。それどころか片足が体内に取り込まれ、またそこも融解を開始する。外部装甲が三箇所同時に溶け出し、アイリスは身体が解かされるという日常生活ではまず味わう事の無い苦痛に泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 カイトは咄嗟にDソードを逆手に構え、それを片手でホルスの身体へと突き刺した。その攻撃は的確であり、ホルスのコアにまで到達するほどの勢いであった。体内を動き回るその紅い結晶こそがホルスの本体であり、それ以外の肉体はただの鎧に過ぎない――。カイトは雄叫びを上げ、一気にそのコアを貫こうと力を込めた……その時だった。

 不意にレーヴァテインの出力が全て一気にダウンしてしまう。それと同時にオルフェウスとしての装甲と装備が消失した。それが意味する事――。カイトは振り返る。そこには完全に気を失い、装甲を維持出来なくなったアイリスの姿があった。

 ホルスが鳥のように甲高い鳴き声で吼える。力を失ったレーヴァテインの装甲は一気に崩壊し……ホルスはDソードの刃から逃れるようにその身を離した。灰色のカラーリングに戻ったレーヴァテインは既に飛行を維持する事すら出来ない。何とか素体装備のバーニアで減速を試みるが……それすらも焼け石に水である。そのままレーヴァテインは一つ下にある2番プレートに激突……それを更に貫通し、3番プレートに背後から落下して漸く停止する事が出来た。

 コックピットの中は激しく揺らされ、カイトは全身をあちこちに激しく打ち付けていた。しかしそれでも何とかアイリスだけは守ろうと少女の身体を強く抱きしめている。少年は口から血を吐き、あまりの激痛に脇腹を押さえた。呼吸が上手く出来ない……。重力制御も衝撃緩和も行われなかった落下による衝撃は、生身の彼らには余りにも大きすぎるダメージだった。


「装甲が維持出来なくなった途端、これか……!? アイ、リス……しっかりしろ……! アイリスッ!!」


 倒れたレーヴァテインへ、天空からホルスが迫っていた。紅蓮の炎を纏い、六つの翼を広げたホルスは悠々と落下してくる。崩れたプレートの残骸が自然と燃え盛り、消滅していく中第二ブレートの防衛システムは全力でホルスを迎撃しようとしていた。

 降り注ぐ対神機関銃も、ミサイルも、爆薬も、全てがホルスに近づくと同時に自然発火し解け落ちていく。神がその両腕を左右に伸ばす動作だけで第二プレートは光に引き裂かれ、ドロドロと溶かされて行った。迫るホルスを前にカイトは血に染まった手でレーヴァテインを起こそうとする。最早勝利出来るかどうかが課題ではない。いかにして――アイリスを逃がすか。それだけが彼の優先すべき事項となっていた。

 立ち上がるレーヴァテイン……しかしその片足は融解し、両腕も使い物にならないほどに損壊していた。故に立つのがやっとである。カイトは冷や汗を拭うことすら出来ないまま、ただ舞い降りる神を睨む事しか出来ない。そんな時であった――。


『カイト君、カタパルトエレベータで本部まで離脱!! 急いでッ!!』


 聞こえてきた通信と同時にカタパルトエレベータが2番プレートに到着する。そこに立っていたのは全身漆黒のカラーリングを施されたヘイムダルであった。背負っていたDソードを構え、黒いヘイムダルはホルスを睨む。落下してきたホルスへとヘイムダルは駆け出し、下段から繰り出す斬撃とホルスの翼が衝突した。


『急いで!! こんなの時間稼ぎにもならない!!』


「わ、わかった……。すまねぇ……オリカ」


 声だけで誰が乗っているのかは明らかだった。カイトは倒れさせたレーヴァテインの背部にあるブースターで機体を引き摺るようにしてエレベータまで滑り込んだ。一気に遠ざかっていくエレベータを見送り、オリカはDソードでホルスを弾き飛ばし、後方へ跳躍した。華麗に回転し着地した漆黒のヘイムダルは刃を背中の鞘に収め、そうしてゆっくりと顔を上げる。


「――――さてと。もう少しだけ付き合ってもらおうかな……? オリカちゃんもただで帰るってわけにはいかないからさ――」


 ヘイムダルが何も無い空間に片手を伸ばす。するとそこに黒い光が収束し、あろうことか太刀を形成したのである。二対の太刀を同時に構え、その刃を交差させてオリカは微笑む。ホルスはゆっくりとプレートへと舞い降り、目前の謎の脅威へと意識を集中させていた――。

 一方その頃カタパルトによって本部に回収されたレーヴァテインへと作業班が一斉に駆け寄り始めていた。倒れた姿勢のままのレーヴァテインの装甲は熱を持っており、ただそこにいるだけでハンガーの温度が見る見る上昇していく。一斉に冷却材が放出され、白い蒸気が渦巻く中リイドたちもそこに駆けつけていた。


「レーヴァテインが……!? そんな……!!」


「待てイリア! 今近づいたら危ないだろ!?」


「で、でも……カイトが……! アイリスが!!」


 慌てて駆け寄ろうとするイリアを背後から羽交い絞めにするリイドも、本当は直ぐに二人の安否を確認しに行きたかった。しかしそれは出来ないのだ。何故ならばこうなってしまった以上……リイドにもイリアにも、己の身を守る義務があるから。敵と闘える人間を残しておかねばならない……その責務があったから。

 喚くイリアを取り押さえ、リイドは哀しげに目を瞑る。そんな二人の目の前で焼け付いたコックピットハッチが外部からレーザーカッターにて強制開放され、そこから二人が引っ張り出される事になった。担架で運ばれていくカイト、そしてアイリス……。二人とも見るも無残な重態である事は明らかだった。

 イリアはそんな二人に付き添って医務室へ走っていったが、リイドは追いかけずただ黙って傷ついたレーヴァテインを見つめていた。無表情の少年を気にかけ、エアリオが歩み寄る。そうして横顔を見て漸く気づいた。リイドは……怒っていたのだ。とても怒っていた。レーヴァテインをこんなにした敵を……。そして、仲間をこんなに傷つけた敵を……。


「…………ぶっ殺してやる」


 その言葉はとても小さく、抑揚もなかった。しかしエアリオには百万の言葉よりもずっとずっと確かに伝わる想いがあった。涙を流さず少年は泣いていた。ただ血が滲むほど拳を握り締め、無表情に――。


「――――借りは返す。百万倍にして、ね……」


 少年は颯爽と振り返り、歩き出した。その背中にこんな状況だというのに何故かエアリオはほっとしていた。リイドの心の中に……魂に何らかの火がついたのならば。それは、この先起こるたった一つ確定した未来を意味していたから――。




翼よ、かがやいて(3)




「ホルスは現在、3番プレート付近にて停止中……。何故停止しているのかは不明ですが、これは奇跡的なチャンスです。これ以上侵攻を受ければ……ヴァルハラは間違いなく壊滅的な打撃を受ける事になりますから」


 本部作戦司令室にてユカリはそう説明した。彼女の顔色が悪いのは現在の状況がそれだけ危機的である事を意味している。場に立ち合わせているアルバ、ルドルフ、そしてヴェクターも一様に苦い表情を浮かべていた。


「カイト君とアイリス君は、今なんとか処置を施しているが……。特にカイト君は内臓の損傷が激しい。助かるかどうかは五分五分と言った所か……」


「――――カイトなら、きっと戻ってくる」


 イリアが泣き出しそうな顔をするよりも早く、リイドはそう呟いた。顔を上げた少年は悲劇を嘆くでも、状況に絶望しているでもなく、ただただどこまでも冷静だった。それは彼の強さであり……彼が本来持つ才能だったのかもしれない。


「カイトはこんな所で死ぬようなやつじゃないよ。そしてカイトはアイリスを死なせたりしない……。カイトはカイトなりにアイリスを守ったはずだ。だから、ボクらがやらなきゃならない事は泣き出す事じゃない……そうでしょ?」


 リイドのその言葉に場に居た全員が驚いていた。リイドは仲間が傷ついた事を気にもしていない……そう受け取った者も何人かいただろう。いや、その場に居た人間の殆どが彼を薄情な人間だと感じたはずだった。それも無理の無いこと……。彼はこれまで自分勝手に戦い、自分勝手な理屈でレーヴァテインを動かしてきたのだから。

 仲間は自分にとって利用するべき対象でしかない……それは今だって変わらない。少年はあらゆるものを利用している。そうしなければいけない理由があった。そうまでして叶えたい目的があった。自分自身を肯定するために……。天才が抱えたそのコンプレックスを払拭するのは容易な事ではない。彼は自分を悪だと理解したうえで人を利用できる……そんな少年なのだ。

 だが、今の彼の想いはそれとは違っていた。余計な事を考えたりしてみれば、また結果は違ったのかもしれない。だが彼は天才なりに苦悩し、しかしその結果思考をクリアにするという手段へと到達したのだ。状況は十分予想されていた事。不思議と驚きは少なかったし、どうするべきなのかは火を見るよりも明らかだ。


「レーヴァテインの応急処置が終了し次第、ボクが出撃します」


「……それしかねえか。だが応急処置っつってもこの状況でバッチリ修理するのは不可能だ。そんでもって全力で最速でやってもまだ数十分かかる。その間あっちが待っていてくれるかねぇ……」


「ボクがコックピットで即時出撃出来るように待機する……それでいいだろ? 可能な限り限界まで修理を施し、向こうが動いたら即、迎撃を行う。カタパルトエレベータは稼動準備状態で待機させておいてほしい」


「成る程……。確かに、それが最も効率的な手段ですねぇ」


「しかしヴェクター、ホルスの戦闘能力は想像以上ですよ……? 今の傷ついたレーヴァテインで、どうやって倒せば……」


 ユカリが不安げに呟く中、リイドはイリアの隣に立ちその肩を抱いて見せた。落ち込んだ様子だったイリアが目を丸くして顔を上げ、そしてリイドは一同に告げた。


「相手が何であれ、ボクが乗る以上レーヴァテインは無敵だ。絶対に負けたりしない……。そうだろ、イリア?」


「…………リイド……」


「リベンジするんだよ……あんたが言い出した事だろ? このまま負けっぱなしでいいのかよ。カイトを……アイリスをやられたままでいいのかよ。ボクは絶対に嫌だ。この手であいつをめちゃくちゃにしてやらなきゃ気がすまない。絶対に――赦してやるもんか」


 真っ赤な瞳を揺らし、リイドは激しい怒りを露にする。しかしその燃え盛る業火のような怒りの中、リイドはそれでも冷静だった。そうしてイリアの前で頷き、ヴェクターを見やる。


「イカロスは負けません。今度こそ……彼女はボクが飛ばせて見せます――」


 その言葉がきっかけで、仲間たちは一斉に動き出した。パイロットスーツに着替えたリイドとイリアは修理中のレーヴァテインが待つ格納庫へと向かう。それに付き添い、エアリオは二人の間を歩く。イリアは涙を拭い、今は不安げに……しかし前を向いて歩いている。リイドは相変わらず無表情だった。


「エアリオ、ごめん。本当はマルドゥークで出た方がいいんだけど……」


「……ううん、わかってる。ちゃんとわかってるから」


 リイドは文字通り、イリアを飛ばす為の風になろうとしているのだ。この逆境の中、彼が考えている事……。それは仲間を守る事だけではない。自分もそうであるように、乗り越えなければならない大きな“壁”を前にした少女をはばたかせる事……それがリイドの狙いだった。

 エアリオはちゃんと判っている。そしてそんなリイドの事が好きだったし、彼のそんな不器用な所が愛らしいと思えた。リイド・レンブラムは信じられない程人付き合いが下手な少年だ。ただ……その心の中にある想いが他の人よりもずっと強いだけで。


「……ちゃんと、出来るかな……。自信ないよ……あたし……」


「あんたはボクの言う通り飛べばいい。誰も最初からあんたにまともなサポートなんて期待してないから」


 足を止め、リイドは振り返る。少年は相変わらず挑発的な目を向けてくる。何故だろう、いつもはそれに腹が立つだけなのに……。今日はそれがとても頼もしく見える。いや、もしかしたらずっとそうだったのかもしれない。

 彼の勇気は……。己の事を勘定に入れない、その無鉄砲さは。純粋なその力は。向けられる方向が少しだけ変わるだけでまるで意味を変える……そんな事もあるのかもしれない。彼にとって大事なその方向性は今、仲間を守る事へと向けられている。憎らしいやつだと思う。けれどきっと、それは仲間にしたらとてもとても心強い――最高の悪役だから。


「リイド、エアリオ……。あたし……カイトを……アイリスを傷つけたホルスを赦せない。怖くて怖くて……正直、乗りたくないって思ってるよ。でも……ここで逃げたらもう、一生あの子のお姉ちゃんだって胸を張って言えなくなる気がするから……」


 拳を握り、勇気を奮い立たせる。イリア・アークライトという少女はただ言動が粗野なだけであり、中身はただの十五歳の少女なのだ。本当はいつも不安で泣き出しそうで、逃げてしまいたいと思っている。それでもこうして前に進めるのは、やはりいつでも胸を張っていたい相手が居るからこそなのだろう。


「あたし……逃げないよ。今度こそ、自分の力で飛んでみせる……。元気になったカイトや、アイリスに自慢出来るように……頑張る」


「……二人の様子は、ちゃんと見ておくから」


 頷き、エアリオがそう返す。イリアは優しく微笑み、そうしてエアリオと握手を交わした。リイドはそっけない態度でそれを眺めていたが、歩み出す彼のその一歩は以前よりも軽やかだ。

 ハンガーに入る二人を見送り、エアリオはカイトとイリアの病室へと向かった。リイドは傷ついたレーヴァテインを見上げ、何故か少しだけ懐かしい気持ちの中に身を置いていた。そう、ずっと前にもこんなような事があった気がする。その時は……どうしただろうか?


「…………あんた、変わったわよね、ホント」


 唐突にイリアがそう呟き、リイドは振り返る。だがそれは少女にとっては唐突などではない。リイド・レンブラムは変わった。初めて言葉を交わした時とは比べ物にならないほどに……。しかしリイドは小首をかしげ、そして溜息を漏らした。


「今、正直余裕がないんだ。相当頭に来てるからね……。残念ながらボクはカイトみたいに冷静に割り切ったり出来ないらしい」


「そうやって仲間の為に怒るって事が、変わったのよ」


「…………なら、変わる事はきっと簡単な事なんだろうね。ボクがそうであったように……。きっと、“誰にだって”その気になれば出来る事なんだ」


 イリアは苦笑し、そうして自分の震える手をじっと見つめた。そうだ……きっとそうなのだ。変わろうと、本当に心の底から思えば人は変わる事が出来る。本気で自分を信じていれば、間違えたって真っ直ぐなのだ。目を瞑り、心の中に大切な人たちの姿を思い浮かべる。守りたいという気持ち……それは他の誰にも決して劣っていないと自負している。少女は前を向く。紅い瞳は光を取り戻すだろう。


「……戻ってきたらあたし、アイリスとちゃんと話すわ。ちゃんと話して……あの子の事、ちゃんと受け入れてあげようと思う」


「そう。まあ、ボクには関係ないからね。好きにすればいいさ」


「……ええ、関係ないわね。だから好きにするわ――何もかも」


 イリアはリイドに歩み寄り、その手を掴んで強引に握手を交わした。震える手は、誰かの手と触れる事で止めてしまえばいい。恐怖は虚勢でかき消してしまえばいい。本当の自分は弱くて惨めで、どうしようもない泣き虫だったとしても……。胸を張り、歩むのだ。闘う事も守る事も、生き抜くことその全ては“勇気”で出来ている。少なくとも世界は――彼女にとって。


「フォローは任せなさい。あんたに本当のイカロスの強さを見せ付けてやるわ。変幻自在の縦横無尽――。本当のあたしは、果てしなく自由であるはずだものね」


 そうしてイリアはレーヴァテインへと歩いていく。リイドはその後姿を暫く眺め、溜息混じりに歩き出した。決戦の時は目前にまで迫っている。しかし何故か自然と不安はなかった。二人とも確信していたのだ。この戦いの結末を……。自分たちに出来る事を。この、胸の中にある感情の意味を――。

 紅蓮のレーヴァテインは立ち上がる。急ピッチで修理が進められる中、ホルスはゆっくりと下降を開始していた。翼を失った少女とそれを追い抜いていく風……。二つの力が重なる時は、すぐそこに――。


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またいつものやつです。
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