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翼よ、かがやいて(1)


「ここって……?」


「ジェネシス直属の医療施設……早い話が病院だよ」


 約束通り、ボクはカイトに連れられて休日の午前中から外出することになっていた。カイトの自慢らしい単車……実は無免許らしいけど……に乗せてもらい、ここまでやってきた。ヘルメットを外してその紅い単車にかけると、カイトは普段通りの笑顔を浮かべて前を歩いていく。だからボクは立ち止まる事も出来なかった。カイトに続き、ボクも病院の入り口を潜る。

 白いエントランス……。病院、というよりはどこかのオフィスの受付のようだった。ジェネシス系統の会社には良くあることだけれど、病院もそうらしい。無機質というか……ハイエンドテクノロジーの雰囲気というのは、得てして暖かさとは反比例するものだ。カイトは慣れた様子でどんどん歩いて行ってしまう。その隣に慌てて追いつき、それから声をかけた。


「カイト、どこに行くの」


「そりゃあお前……。病院なんだから、当然お見舞いだろ」


「いや……それはそうなんだけどさ……」


「ま、行けば判る。直ぐに着くからな……。ほら、こっちだ」


 カイトは相変わらず人の話を聞かない。だからボクは小さく溜息をついて後に続くしかない。エレベータを利用し上層へ。他の病室よりもさらに高級そうな廊下が続いている。やがて無言のカイトと共に辿り付いたのは、白い病室だった。入り口には無論ネームプレートがかかっていて、ボクはそれを読み上げる。


「……アイリス・アークライト?」


 アークライト――。それはイリアのファミリーネームだった。何故か背筋にぞくりと悪寒が走り、この場から逃げ出したい気持ちで一杯になる。足がすくんで動けない。けれどカイトはそんなボクの背中を軽く叩き、中に入るように促した。

 声を立てないように静かに一歩病室へ踏み込む。そこは個室だった。白いカーテンが風にはためき、ベッドの上には少女が眠っていた。恐らくボクらと同年代……。しかし、もしもボクの予想が正しければ……。きっとボクと同い年か、それ以下だろう。

 紅い髪の少女はイリアとよく似ていた。大きな違いはイリアよりも髪が長いという事と、枕元の机には眼鏡が置いてあるということくらい。カイトは眠っている少女の様子を少しだけ伺い、それから下がってボクに耳打ちする。


「こいつはアイリス……。イリアの妹だよ」


「……そうだったのか」


 やっぱり、という気持ちがあった。いや、当然だ。イリアに関係のある場所としてつれてこられたわけで。だから彼女がイリアの妹で……。そうだ、そのアイリスという名前には聞き覚えがあった。確か以前、イリアが踊り場で他の生徒に詰め寄られていた時に会話の中で挙がった名前だ。

 あの時イリアが自分にからんでくる男子を蹴り飛ばさなかった理由を、ボクは一度も考えた事がなかった。何故彼女は執拗に絡んでくる相手を蹴り飛ばさなかったのか……。いや、あれは絡まれていたのだろうか?

 アイリスのこともイリアのことも、そしてカイトのことまで知っていたあの生徒は……彼女たちの友人だったのではないか?友人だからこそ、その状況に怒り……そしてイリアに執拗に詰め寄ったのではないか?


「ボクは……」


 だとしたら、何をやっていたのだろう。そりゃ確かに余計なお世話だ。いや、それより何より……この状況はボクのせいだって事になるじゃないか。カイトじゃなくてボクのせいだって言えばいいじゃないか。それで全部ボクが悪いってそれで済むじゃないか。

 なんでイリアは“言えない”なんて、そんな風に言うんだ? 友達だったら、言ってもいいじゃないか。守秘義務なんかより、大事なんじゃないのか。違う、分かってる……。イリアはボクを守ろうとしてくれた。庇ってくれたんだ。ボクのせいにすればいいのに……。自分たちが責められてるのに。なのにボクがした事は……何だった?


「……カイト、ありがとう」


「んっ?」


「やっと、わかったよ……。イリアがボクを怒った理由が」


 カイトへ目を向ける。彼にとってもきっとアイリスは大事な人物なのだろう。しかし彼は怒るでもボクを戒めるでもなく、笑って頷いてくれた。カイトは……ボクを信じていたんだと思った。何も言わなくても、ボクは自分の非を認め、反省する事が出来ると確信していたからこそ、何も言わなかったんだ。


「……でもな、イリアは別に怒ってたわけじゃねえんだと思うぜ」


 ボクの頭の上に手を乗せ、そうして人懐っこく笑う。そのカイトの言葉は以外だった。妹を傷つけたボクに、だったらイリアはどんな感情を向けていたのだろうか?


「ああ見えてあいつはな、自分たちの所為で人が傷ついたり、何かを壊してしまったり……。逆に傷つけられたりしても仕方がないって割り切ってるんだ。レーヴァテインという力を手に入れた時から、その宿命からは逃れられない。だから覚悟は決まってるんだ」


 そう語るカイトの眼差しは真っ直ぐで、どこか……遠い所にいるように見えた。彼はボクの目の前にいるのに、何故だろうか……とても遠く感じる。それはきっと、彼が持っている“覚悟”が、ボクとは余りにもかけ離れているのだと自覚しているからだろう。


「それでも、俺たちまだガキだから……。全部上手く割り切れなくて、間違ったり熱くなったり、自分勝手になったりもする。だからさ、本当はどうしようもなくて……。判ってるんだ、ちゃんと全部。でもイリアはお前のこと仲間だって思ってるから、あえて全力で当たってくれてたんじゃねえかな」


 いつでもイリアは全力だった。ボクに対してもそれは変わらなかった。本当はいつも彼女の言葉にはボクがどうすればいいのかその答えが隠されていて、それを見過ごしていたのはボクがバカだったからで。ああ、何も考えないで生きてきたのはボクのほうじゃないか。なら、そう言ってくれればいいのに……イリアは……。


「あいつ、不器用なんだよ。人に上手に優しく出来るような女の子じゃねえんだ。だからな……リイド? 俺たちが、わかってやらなきゃな」


 言い聞かせるような、優しい言葉。カイトは優しい。優しすぎるくらいだ。みんな優しい。ボクにはそれが辛くてたまらなく悲しくなる。どうしてこんなボクにまで、君たちはそうやって笑ってくれるんだろう……。


「カイト……あの……」


「あれっ? 珍しいね~、こんなとこで会うなんてさ」


 二人同時に振り返るとそこには学生服姿のカグラが笑いながら手を振っていた。そして病室に入るや否や即座にボクとカイトの手を引き、病室の外……更に廊下の突き当りまで引っ張り込まれる。あまりに唐突だったのでそのまま大人しく着いてきてしまったが……。


「お、おい……? どうしたよ、カグラ?」


「あそこあそこ」


 廊下の突き当たりの角からアイリスの病室を覗き込むと、そこにはイリアと肩を並べて歩いてくる――あの日ボクを殴った少年の姿があった。二人はやっぱり友人関係なのだろう。楽しそうに談笑しながらアイリスの病室に入っていく。顔を合わせていたら……またこの間の二の舞みたいな事になってしまっただろうか。


「そっか……。気を遣わせちゃいましたね」


「いいよいいよ、大事な後輩の為だからね。それにもう、何も言わなくたってリイドはちゃんと判ってるんでしょ?」


 もしかしたらボクとカイトの話を外で聞いていたのかもしれない。相変わらずいい趣味をお持ちのようで……。まあ、お陰で助かったから今回ばかりは甘んじて受け入れてやるとしよう。


「んで、カイトちゃんがここに居るのは兎も角……リイドはどういう風の吹き回し?」


「ああ~、まあなんていうか……俺が付き合わせたんだよ。イリアともこいつは仲いいし、アイリスが退院したら顔あわせないわけにはいかないだろ?」


 カイトの言い訳は巧みだった。ボクなんかあっさりボロを出しそうだけど、カイトは普段通りの笑顔で対応している。こんな時、こいつはなんだかんだで結構頼りになると思っているのは多分ボクだけではないと思う。


「そういえばカイト、アイリスってどこか怪我をしたの? 何度かお見舞い来てるけどピンピンしてない?」


「レーヴァテイン……あのロボットが放った攻撃から発生するフォゾン波動の影響を受けてな。まあ中毒症状みたいなもんだ。外傷もあったみたいだが、もう早くもあれから一ヶ月経つしな……。大体は治ったみたいだから、退院するのはそう遠くないだろうぜ」


 命に関わる、とかじゃないだけ少しは安心出来る。後遺症が残るとかそういうわけではないらしい。ほっと胸を撫で下ろすボクの視線の先、カグラはニンマリと笑っていた。そうしてボクらの背後に回り、肩を抱いて囁いてみせる。


「カイトもリイドも、別にアタシの前じゃレーヴァに関係ないフリしなくてもいいよ? どうせ学園中みんな知ってることだしさ」


「え!? そうなの!?」


「そうなのって、あのねきみ……。きみが自分で豪語したんでしょ? ボクが乗ってましたって……」


 そういえばそんなこともあった気がする。しかしあの場にいたのは数人のはずなのに……。人の口に戸は立てられないというか。そんなの全然気にしていなかったし元々クラスの中じゃ完璧に浮いてたから、まるで気づかなかった。


「まーそんなわけだから! カグラちゃんだけ仲間はずれってのはちょっと寂しいな~? ね、リイド?」


 背後からしがみ付いてくるカグラの豊満な胸が後頭部にぐいぐい当たっているわけですが、もう気にするのも馬鹿馬鹿しいので溜息で対応する。まあ……この人ならボクらの話を噂にしてばら撒いたりはしないだろうけど……。


「ベリルが見舞いに来てるなら俺たちは居ない方が良さそうだな……。あいつ、もし俺がアイリスを怪我させたんなら許さねぇっていきり立ってたぜ……」


「え!? あ、ああ……そっか、そう思われても仕方ないよな……。ごめん、カイト……」


「そんなしょんぼりすんなって、あいつも話せばわかってくれるさ。というかお前……前々から思ってたが天然ボケなのか……?」


 意外な言葉でボクを表現するカイト。天然ボケだと……? ふざけないでもらいたい。ボクは常に真剣だ。


「あ、そうだ。ねぇねぇ、二人とも暇なら生徒会の仕事手伝ってくんないかなー? 人手不足で大変なんだよねー」


「「 生徒会の仕事? 」」


 二人の言葉が重なる。別にそこに合図とかがあったわけではないが、なんというかボクらからは余りにも掛離れた単語だった為そうなってしまった次第である。だというのにカグラはまるでそんなことは気にせず、八重歯を見せながら明るく笑っている。


「学園祭の準備とかだけどね。二人ともさぁ、来週学園祭だって覚えてる?」


「いんや、全く」


「なにそれ?」


「………………。あのさあ、二人とも少しは共同学園生徒会のお話を聞こうよ……! アタシなんか悲しくなってきたよ! 軽いイジメだよ!」


 そういわれてみると……なんか、そんな事を誰かが言っていたような気がしないでもない。いや、そもそも最近は謎の病状でフラフラしてたわけで……。別にカグラを無視しているわけではないんだけど……。


「だってそろそろ進学試験じゃないの? 二年一年はともかく、三年はそんなことしてる余裕ないんじゃ……。特にカイトとイリア」


「あのさ、リイド……? 三年生が四六時中もうどうしようもないくらい毎日毎日二十四時間勉強してると思う!?」


「い、いや……思わないけど……」


 受験という言葉がどうやらカグラの琴線に触れてしまったらしい。カグラは拳を握り締め、ずいっと前に身体を乗り出して熱く語る。


「受験生だからって、遊んじゃいけないって非効率的だと思うのよね! だってさ、どうせ二十四時間も勉強してるわけないでしょ? どんなに勉強してるやつだって一日の半分もしてないだろうしね……。あ、一日の半分って十二時間だけど、そんなにぶっ続けで勉強したりしても逆効果だと思うのよ!」


「それは確かに一理あるぜ! つーか、俺は一日二十分以上勉強した試しがねえぜ!」


 いや、お前は勉強しろよ。あとなんでそんな爽やかな笑顔なんだよ。どうしてそんなに自信満々なんだよ。勘弁してよ。


「だったら! 一日の勉強しても無駄な時間を遊びに費やしたほうが抑圧からも開放されてよっぽど勉強も捗るってわけですよ奥さん!」


 誰が奥さんだ誰が……。あとそんなにぶっ続けでしないにせよ遊びから離れることで自らを律する人間もいるんだよ会長……。いや、もう何か言っても無駄だろう。それにどうせ、教師も生徒も承諾済みなんだろうし。そこがカグラという生徒会長の恐ろしいところなわけで……。


「てなわけで、色々準備しなくちゃいけないんだけど……生徒会って常に人手不足なのよねー。呼べば来ない事もないんだけど、一般生徒を酷使するのてかわいそうだからさ」


 ボクらはいいんかい! そして以前ボクは一度だけ彼女の携帯電話の電話帳を覗いた事があるが、恐らく全校生徒の番号が突っ込まれている。どうせ全校生徒の弱みも握っているのだろうから、徴兵令に応じないわけにはいかないのだろう……。しかし彼女的にそれは最終手段ということか。


「ま、そんなわけでお手伝いしてくれた生徒の成績にはちょっとイロをつけてあげちゃってもいいんだけどなー?」


「なんでそんな権力があるんだ……。それは生徒会長である事とは何の関係もないだろ?」


「そうそう、アタシ個人の権力だから」


 舌を出し、ガッツポーズを浮かべ笑うカグラ。成る程……この人は生徒会長だからすごいんじゃないんだ。すごいから生徒会長なんだ……。


「俺は乗ったぜ! 今更勉強するなら全力で遊んで成績UPさせたほうが有意義だ!」


「ええええええ!? だから、あんたは勉強しろよッ!!」


「リイドも来るよね? はい、しゅっぱーつ!」


「ええええええええ……!?」


 なんかもう、どうでもいいや――。意気揚々と歩いて行って看護士に注意されている二人から視線を外して振り返る病室。アイリスという少女は、紛れも無くボクが傷つけてしまった女の子だ。

 いつかは、謝らなくてはならないだろう。そうして沢山のものを傷つけても気がつかないボクは、これからどれだけのものを、傷つけてしまうのだろうか……。これまで闘ってきて、初めてだった。ボクは初めて……レーヴァテインを、怖いと感じた――。




翼よ、かがやいて(1)




「――――レーヴァテインプロジェクト発足から早くも五年……。“それ以前”からしてみれば、もう何年目かもわかりませんね」


 ジェネシス対神兵器開発室所長、ソルトア・リヴォークは闇の中に立っていた。暗闇……ただその二文字だけで構成されたその空間の中、スポットライトに照らされている彼だけが存在として照明されている。

 男は掌の上でルービックキューブを回しながら楽しげに微笑んでいる。その周囲に無数の映像が浮かび上がり、男は全面揃ったキューブをうっとりと眺めながら言葉を続けた。視線の先にあるのは先日のヘヴンスゲート攻略作戦時に記録されたレーヴァテインの映像である。


「先日行われたフィリピンゲート攻略作戦の映像です。この時レーヴァテインの適合者は干渉者、イリア・アークライトと高いレベルでのシンクロを経験しました。これにより、恐らく彼の中の“記憶”の扉が開き始めたかと思われます」


『……“アダム”の覚醒……。イリア・アークライトは……確か、“サマエル・ルヴェール”の血筋だったな……』


 どこからとも無く聞こえてくる合成音声にソルトアは頷く。そうして両手を広げ、スポットライトの光源を見上げ目を細める。


「レーヴァテイン内部には間違いなく蓄積されています。サマエルの意思……。いえ、レーヴァテインに関わってきた全ての適合者の意識……とでも言いましょうか。どうやらフォゾンには記憶媒体としての力もあるらしく、原理は不能ですが不可視の状態で記録され続けているらしいのですよ」


『観測不可能の神の記憶、か……』


「イリア・アークライトとのシンクロは彼の中にある力を呼び覚まし、レーヴァテインを在るべき形に覚醒させる為の呼び水になるはずです。“リアライズ”さえ完成すれば、覚醒したレーヴァテインから“原罪”へ到達する事も可能でしょう」


『“イヴ”はどうなっている……? イヴとレーヴァテインの接触は必要不可欠なはずだ。イヴの力の覚醒とレーヴァテインの覚醒は同義……』


「ですが、イヴには強い制約がかかっています。まあ……それを仕掛けたのは例のスヴィア・レンブラムですから容易ではないでしょうね。彼はいざとなれば“イヴ”を殺す覚悟があるようですし」


『…………。成る程。覚醒の儀式、段取りは常にあの男の監視の下か……。歯がゆいな』


「なので、まずはアダムの覚醒を促します。オーバードライブ状態を彼に経験させれば、何かしら進展が見えるでしょう。その為にはイリア・アークライトを使うのが効率的です」


『……どう仕掛ける?』


「衛星軌道上を周回する第一神話級を使うつもりです。“トランペッター”を出します。どちらにせよあれは放置出来ない存在ですから」


『…………。ホルスか。しかしトランペッター……決して悟られてはならぬぞ。感づけばあの猟犬は直ぐにでもジェネシスを滅ぼしに現れるだろう』


「その辺りはご心配なく、上手くやりますよ。まあ……見ていてください。最高の舞台に演出して見せますから――」


 闇の中、ついにはスポットライトさえも消え、ただ静寂だけが漂い始める。その中を男の革靴の足音だけが反響し、やがて音さえも消えると世界は完全に無へと回帰した。




「――やあやあ、これはどうも! お帰りなさい――“司令”」


 アーティフェクタ運用本部、そこへ響く足音があった。スタッフの誰もが振り返り、彼女へと目を向ける。紅蓮の髪を靡かせ、スタイルの良い長身の女は黒いジェネシスのスーツの上に紅い外套を羽織り、銀縁の眼鏡を輝かせて足を止めた。

 凛とした印象の、触れる者を切り裂く鋭い刃のような女性だった。纏っている空気がヴェクターとはまるで異なっている。世界全体に敵意を薄く延ばして突きつけているような女は腕を組み、手をヒラヒラと振っているヴェクターを見つめた。


「只今戻りました。ヴェクター、特に変わりありませんでしたか?」


「いえ、今の所全ては予定通りです。リフィル・レンブラム司令」


 リフィルと呼ばれた女は周囲を見渡す。美しすぎて付け入る隙を感じない彼女は他のスタッフからしても近寄りがたい存在だった。しかし徐に小包を取り出すと、傍に立っていたユカリに手渡した。


「ユカリさん、出張土産です。カリフォルニア煎餅だそうですが、皆で食べてください」


「カリフォルニア煎餅!? は、はい……ありがとうございます……」


「司令……またエキゾチックなものを買って来ましたね」


「そうですか? せっかくだからご当地のグッズを購入しようと思ったのですが……」


 むしろ驚いた様子でそう返すリフィル。そうして必要な事だけを告げるとさっさと司令部を去っていってしまった。リフィルが居なくなるとユカリは冷や汗を流し、カリフォルニア煎餅をじっと見つめた。


「……煎餅である時点でご当地物ではないのでは……。流石司令、なんというマイペース……」


「同盟軍への出張は長旅でしたからねぇ……。ま、お変わりなくて良かったのでは?」


 包み紙を開き、箱を開けるヴェクター。カリフォルニア煎餅はやや甘い味付けがされた煎餅というよりはビスケットに近い味わいだった。それを一口口に放り込み、スタッフに配って回る。ユカリはお茶を入れて皆に手渡していくが、カリフォルニア煎餅を食べたいとは思わなかった。


「殆ど司令部に居ないから、リフィル司令が一番まだ打ち解けてないんですよね」


「ふむ、それは確かにありますねぇ……。まあ彼女は色々と忙しいんですよ。あ、“レッドフロイライン”の報告書もう纏まってます?」


「それならデスクの上にありますよ」


「ありがとうございます。いや~、彼女が急に作れと言い出した時は驚きましたが……。今のうちに報告書類を纏めておかないといけませんねぇ」


 唐突に戻ってくるものだから、まるで何も準備が出来ていなかった。ヴェクターは慌てて司令部内を走り回り、提出書類を纏めている。ユカリはそんなヴェクターの様子を眺めながら煎餅を一口……。そしてその奇妙すぎる味に思わず顔をしかめるのであった。




「……それ……どういう事なの……?」


 病室内、対峙する姉妹の姿があった。ベッドの上に腰掛けたままのアイリスとその正面に立つイリア……。イリアと共に見舞いにやってきたベリルも驚いてはいたが、しかしイリアの驚きには匹敵しない。何より状況が飲み込めず、困惑していた。


「……この間、ジェネシスの人が来て言われたの。ロボットのパイロットにならないか……って」


 イリアは完全に身動きが取れず固まっていた。その事実に前後不覚に陥り、思わず倒れそうになる。そんなイリアの背後に壁があったのはただの偶然で、だからイリアは相変わらずの顔面蒼白だった。

 アークライト姉妹の間に流れる空気は最悪だった。先ほどまでの明るい表情はどこへやら、イリアは動揺を隠せないでいる。それに対してアイリスはじっとただ姉を眼鏡越しに見つめているだけだった。

 白いカーテンがはためく。窓の向こうに広がる蒼い景色を背景に、アイリスはただ姉を見つめ続ける。やがてイリアはベッドの傍へと歩み寄り、そして妹の肩を掴んで強引に言った。


「拒否しなさい! 絶対に駄目よ、そんなの認められないわ!!」


「どうして……? どうして姉さんはそうなの!? 姉さん、いつもそうじゃない……! どうして私に何も話してくれないの!?」


 肩に置かれたイリアの手を弾き、アイリスは身を乗り出した。アイリスは誰の目から見てもとても大人しい少女だった。明るく活発なイリアと違ってインドアで、交友関係を広げるのも苦手だった。いつもイリアの後ろをべったりとくっついているような、そんな頼りない妹……そのはずだった。

 それが今、目の前で自分の知らない一面を見せている。イリアはそれに動揺を隠せなかった。アイリスは自らの胸に手を当て、泣き出しそうな顔で叫んだ。


「姉さん……私だって、私だって姉さんと一緒に戦えるよ!? アーティフェクタへの高い適正があるってジェネシスの人が言ってたよ……! 私も姉さんと同じ、パイロットになれるって!」


「アイリス……アイリス、わかってないのよ……。レーヴァは本当に恐ろしい物なの……! あんた、まだ十四歳じゃない……! 無理よ……!」


「どうして無理だって決め付けるの!? 姉さん……そんなに私の事、嫌いなの……!? いつも何も話してくれないじゃない! 私がお荷物だから……? 家を出て行ったのも、私が嫌いだからなの!?」


「違う……違うよ、アイリス……! そんなの違う! 私はただ、あんたに危ない目に遭って貰いたくなくて……っ!!」


 妹に詰め寄るイリアを制したのはベリルだった。少年は首を横に振り、イリアを引き戻す。見ればアイリスは急に怒鳴ったりした所為か、疲れた様子で肩を上下させていた。イリアはそれに気づき、拳を握り締め後退する。


「イリア……お前の言い方は少し一方的過ぎる。アイリスはお前の役に立ちたいだけなんだ、わかるだろ……?」


「…………それでも……。それでも、レーヴァテインに乗せるわけにはいかないわ……」


「姉さん……」


 部屋を飛び出していくイリア。それをベリルは追いかけなかった。アイリスは泣き出しそうな表情でただシーツを握り締める事しか出来ない。

 病院である事も忘れ、イリアはひたすらに廊下を駆け抜けた。そうして病院を飛び出し、額の汗を拭って歯軋りする。脳裏を過ぎるのは辛い過去の記憶……。絶望と、恐怖と、苦痛の記憶……。妹にあんなものを味わわせる事だけはあってはならない。だからあえてこれまで彼女を遠ざけてきた。

 どうすればいいのか、もうイリアにはわからなかった。こんな事になるなんて予想していなかった。いや……もしかしたらと、そんな考えはあったのだ。だが楽観的に未来を捉え、何も対抗策を打たなかったのは自分のミスに他ならない。

 縋るような気持ちで携帯電話を取り出す。コールする番号は決まっている。耳に携帯電話を押し当て、祈るような気持ちで目を瞑る。どうしたらいいのか、教えて欲しかった。彼が大丈夫だと言ってくれれば、何とかできるような気がしたから。


「どうして……出ないのよ……。ばかカイト……っ」


 しかし相棒は電話に応じる事はなかった。それもそのはず、カイトとリイドはその頃カグラに連れられて混雑した騒がしいデパートの中を両手に荷物を担いで練り歩いていたのだ。何度かけても電話に出ないカイト……。それが、ある意味彼と彼女の運命を大きく隔てる事になってしまう。

 空に紅い光が瞬いた。それに気づかずイリアは走り出す。本部へ行って直訴するしかない。これは明らかな裏切り行為だった。少女にとって守りたいもの……大事なもの。それをジェネシスは汚したのだ。不可侵領域を侵された以上、黙っているわけには行かない。

 太陽の下、少女は真っ直ぐに本部へと走り出した。額を流れる汗も風に乱れる髪も気に留める気配はない。なんとしても阻止しなければならなかった。慌ててエレベータへと飛び込んでいくイリア、その様子を高層ビルの上から見下ろす影があった。

 逆行を背に、少女は帽子を片手に笑う。風の中、黒髪が靡いて揺れた。大きく運命が動き出そうとしていた。かつてないほど……それはこれまでとは異なる運命。誰もの上にそれは降り注ぎ、平等に変化を促すだろう。


「…………さあ、“もう一度”だよ――リイド君」


 誰かの声が聞こえ、影はもうどこにもなかった。本部へと走るイリア、病室でうなだれるアイリス、デパートでうんざりした表情を浮かべるリイド、カイト……。そして、エアリオは――。



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またいつものやつです。
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