暁よ、覚めないで(4)
「どうやらリイド君もちゃんと復活したようですね、うんうん……偉い偉い!」
簡易司令部には副指令であるヴェクター、そして開発主任であるルドルフが待っていた。他の指示は本部施設からも可能であり、名目上やってきたヴェクターと実質修理に必要だったルドルフ以外のスタッフが居ないのは当然の事だったと言える。
無数の照明に照らされたレーヴァは大地に膝を着き、下方から夜の闇に照らし出されている。応急処置を施した頭部部分には、まだ布が張られている。自分の敗北の証……。傷跡を見上げ、リイドは拳を握り締めた。
「レーヴァ、動かすのに問題はないんですか?」
「ええ。この間の左腕切断と比べれば全然軽い破損ですよ。前回の修理は時間もお金もビックリするぐらい吹っ飛びましたからねえ……ウッフ!」
「ヴェクター……? それはあたしに対する嫌味?」
「いえいえ滅相も無い……フフ! では、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか? これからお二人に“勝利する為の秘策”を託さねばなりませんからねぇ」
二人は同時に黙り込む。それを見計らい、ヴェクターは言葉を続けた。レーヴァの全身に設置されているカメラの映像を解析した写真を机の上に並べ、男は不味いコーヒーに舌鼓を打った。
「先ほどの出撃でマルドゥークを攻撃したのは超高速震動する光波動弾です。言わばフォゾンを圧縮して打ち出したカッターというわけですね」
映像的に解析すればそれは細長い、巨大な帯のような何か――。それを打ち出し、対象を切断するという構造を持つのだ。無論それはほぼ光速で飛来するため、回避するのは非常に難しい。最高射程距離は地球半分ほどと予想されるが、一定の距離まで飛ぶと爆発するらしい事が分かっていた。実質、射程距離はそれほど長くはない。この対岸で準備を進めていても何もしてこない程度には。
先ほどの戦闘で地図がまた大きく書き換えられる事になった。旧オーストラリア大陸近海にあった島が複数消滅……。自然も破壊され、圧倒濃度のフォゾン拡散による周囲への汚染も酷く、もはや着弾店から周囲数十キロは生命の住める場所ではなくなっている。だが近づきさえしなければ向こうから仕掛けてくる事は無い……それが不幸中の幸いだった。あんなものが移動しながら攻撃を繰り返したりしたら、どんな酷い事になるか――。
「それに伴いオーストラリア防衛政府は何がなんでもあれをすぐに排除したがっています。こちらも失敗してしまった手前断ることも出来ませんしねえ……」
レーヴァテインの――特にマルドゥークの装甲は通常のそれよりも厚い。普通の攻撃ならば弾き飛ばし無傷で終わるほどのものだ。それが一撃で貫通された以上、当然軽量装甲のイカロスでは耐え切れるはずもない。一発でも直撃すればアウト――。即ち……。
「つまり、当たらず避けろって事ね……。一つ残らず、全部」
「コックピットに直撃したら即死は免れられませんしね。それともう一つ分かっている特徴として、目標は周囲のフォゾンを通常の数千倍の速度で吸収する能力があるようです」
「……やっぱり、フォゾン吸収能力?」
「ええ。凄まじい勢いで周囲の自然環境が破壊されているのは目標がとんでもない勢いでフォゾンを根こそぎ奪っているからです」
その説明でリイドは思い出した。戦闘前に感じた違和感の正体……。そしてユウフラテスが通用しなかった理由。ユウフラテスはフォゾンで出来た弓矢だ。敵のドレイン領域に差し掛かった瞬間分解――吸収される事になる。
「そうか……。フォゾンによる攻撃は一瞬で吸収されてしまうのか……」
「はい。特に遠距離からであればあるほど奴に対して効果は望めません。故に遠距離からのフォゾン攻撃を主とするマルドゥークとは相性最悪というわけです」
そんな事は言われずとももう判っていた。いや……エアリオはもっともっと早くそれに気づいていた事だろう。仮に接近し流転の弓矢を打ち込んだとしても効果的な打撃は期待出来ない。マルドゥークでは、勝ち目が無かったのだ。
「だったらどうやって倒せば……」
「バカねえ……。だからあたしがここにいるんでしょ?」
腕を組んだままニヤリと笑うイリア。そう、レーヴァテインというロボットは、“相手との相性を考えそのスタイルを変更する事が出来る”のが最大の強み。その為のサブパイロット……そしてその為に呼び出されたイリア・アークライトである。
「マルドゥークと違ってイカロスはもっと早く動けて、殴って敵を倒すスタイルなの。要はこういうことでしょ? 攻撃は避けて、殴って倒さなきゃいけない相手。だったらイカロスにとっては楽な相手だわ」
「ですが、フォゾン兵装が殆ど無意味な以上……やつは強力な物理攻撃で破壊する必要があります。そこで、今回は新型装備を用意してあります。ルドルフ君! お願いします!」
「はいはい、注目~! 右手に見えますのがレーヴァテインの新武装……。その名も――“Dソード”だ」
全員の視線がルドルフの指し示す方向へ向けられた。その先にあったのは今正にレーヴァに装備されようとしている巨大な剣だった。イカロスの羽ばたく事が出来ない翼の側面……肩の辺りにマウントされた巨大な二対の剣……。リイドはきょとんと目を丸くし、イリアは振り返ってルドルフに詰め寄った。
「目標を潰すには光武装ではなく物理攻撃が必要だ。Dソードは対神用装備の一つで……本来はレーヴァの量産機の為の武装だな」
「そうじゃなくて!! ただの剣が神に通じるわけないでしょ!? さっきそういう話してたじゃないの!」
イリアの言う事にリイドは全面的に肯定だった。確かに物理装備ではあるが……あの卵を打ち破るのに剣を使うとは。表面にフォゾンを収束させたフォゾンソードなら威力もありそうだが、ただの鉄板では意味がない。それに仮にフォゾンソードだとしても……敵はそれを無力化してしまう。
しかしルドルフはいかにも二人を小馬鹿にした様子で肩を竦めて見せる。ルドルフが片手を振るとDソードの取り付け作業と平行し、レーヴァテインの腰部分に追加のブースターが装備されていく。
「Dソードはまだ試作段階だが、こいつの性能は折り紙つきだぜ? 何せ、次元を歪める剣なんだからな」
「次元を歪める剣……?」
イリアが目をぱちくりさせて繰り返した。そう、Dソード……ディストーションソードは、対神に絶大な効果を持つ剣の一つだ。ジェネシス兵器開発室と共同で開発されたというのがルドルフとしては気に入らなかったが、その基礎設計はルドルフが担当している。
長年対神効果の高い武装を研究してきたジェネシス対神兵器開発室の長年の成果であり、そしてルドルフが生み出した量産型レーヴァテイン、通称“ヘイムダル”の為の武器……。刀身部分に次元の歪みを発生させ、それで敵をねじ切るという代物だ。しかし……刀身に次元の歪みを纏うなどという馬鹿げた発想の為、その効果は長持ちしない。
「目標を手っ取り早く潰すには心臓を潰す必要があります。コアというのは、レーヴァでいうところのコックピットですね」
「そのコアにこのDソードをぶっ刺せ。それで神は恐らく内側に収束してズレ込み、くたばるはずだ。一撃で……な」
しかし目標はその卵のような外見どおり、外部は強力な障壁で覆われており、コアまで攻撃を届けることは非常に困難である。簡単に言えば、Dソードは卵を割る為の装備であり、その後コアに対する一点攻撃でそれを破壊する……という内容である。勿論Dソードで殻ごとコアまで貫通できればそれに越した事はないのだが……。
「出力が安定してねえから、装備したDソード一振りにつき恐らく一回しか使用不能だ。まあそれにしたって丸腰で突っ込むよか大分マシだと思うがね……。問題は、タイムリミットが一時間しかねえって所だ」
「一時間……? なんでまたそんな急に?」
「リイドの疑問も尤もだが、あいつは太陽光を動力源にするタイプだ。夜間は月明かり……どっちにしろ太陽の反射光を動力源とするわけだが……あー。この場合の動力ってのは生命動力ではなく兵器動力であって活動には問題ない……で、くそ、バカに説明するのは面倒くさいな」
「つまり、朝日が出てしまわない限り、奴の攻撃回数には制限があるってこと?」
「おお、その通りだ! 一発撃つごとにアイツは光を受信して攻撃動力を回すわけだが、ただでさえ夜間でエネルギーが足りていないのにやつは六時間前に三発も撃ってる。しかも一発は完全な空振りで、命中したのもコックピットを外していることから考えて精度は結構甘い。避ける気になりゃ避けられるだろ。まあ、イカロスなら……な。だがしかし……」
「朝日が昇って動力が復活したら、連打されて避けきれないってわけか」
「……ねえ、あんたたちが何の話をしているのかさっぱりわからないんだけど?」
リイドとルドルフがまじめな表情で会話をする一方、一人だけ話についていけず首を傾げているイリアが居た。二人の生意気な少年は同時に肩を竦める。その意味さえ曖昧なイリアはなんとなく馬鹿にされている事だけが判り、二人の頭を一回ずつ叩くのであった――。
「では、実際の攻撃ルートを決めるとしましょうか。目標は現時点を持って第三神話級、“アルテミス”と命名します」
ヴェクターの振り上げられた手が下ろされ、宣言が成されると同時に場の空気がぴりりと引き締まる。リイドも、イリアも、ルドルフも……最早そこに居たのはただの子供ではなかった。
アルテミスはその攻撃射程は果てしなく広いものの、実際に敵を認知し、攻撃してくる範囲というのは極端に狭い。アルテミスの周囲20〜30kmほどで、超遠距離砲撃タイプではなく、あくまで接近する敵を迎撃するだけのものであるということだ。
通常兵器に対してはその射程距離は脅威の一言に尽きるが、レーヴァに関してはそうではない。その気になれば2,30kmなど“一瞬”の出来事だ。
「しかしイカロスは空を飛べませんので、空路は使用できません。マルドゥークなら対岸まで飛んでいくだけで済みますが、イカロスの場合は対岸――それも30km以上離れた地点までまず輸送し、そこから陸伝いに走る事になります。Dソードの装着時間も考えると、どんなに早くても出撃は二十分後になるでしょう」
「そうなれば残り時間は30分……間に合わない時間じゃないわね」
拳を握り締め意気込むイリア。本当の残り時間は40分なのだが、誰も真面目な表情のイリアにはツッコまなかった……いや、ツッコめなかった。
「俺様たちも急ぐが、まあお前らもメシくらいは食っときな。最後の晩餐になるかもしれねぇからな」
こうして一同は一時解散となった。作戦開始予定に伴い、イリアとリイドは防衛政府が所持するヘリコプターにて対岸へ先に移動。続いてレーヴァを格納したコンテナを牽引する運搬船二機による移動で、対岸までレーヴァを先行移動。同時にコンテナ内でDソードと追加ブースターの装着作業を継続。作業完了時点で残り時間は40分。
予想以上に手間取る作業の中、イリアとリイドは海辺でレーヴァが到着するのを待っていた。支給された上着があるとは居え、冷たい夜風が吹きすさぶ中は流石に冷えた。二人はポケットに手を突っ込んで海を眺めている。
「そういえばあんた、エアリオの事聞かなかったわね」
「別に忘れてたわけじゃないよ。ただ……今は敵を倒してからだ。ここでボクが騒いだってエアリオがどうにかなるわけじゃない。自分の役目を果たさなきゃ」
それはリイドなりの決意の形だった。エアリオの事が心配でないわけがない。本当は気になって気になって仕方が無いのだ。だが、闘う事が自分の責務ならばそれを果たしてからだと。
「エアリオが苦しんでた理由、教えてあげようか?」
「……知ってるの?」
「なんで意外そうな顔してんのよ……? 同じ干渉者なんだから当然でしょ?」
「あ、ああ……そっか。で、どうしてなの?」
「干渉者ってのはね、文字通り適合者とアーティフェクタとを結ぶ存在なのよ。本来肉体的にも精神的にも繋がらない二つの存在を仲介し、干渉し、その行動をサポートする……。でもね、言わば干渉者は戦闘中はレーヴァと感覚を共有することになるのよ」
適合者の命令、意思を干渉者が仲介し、レーヴァを動かす。レーヴァの動作を、情報を干渉者が仲介し、適合者に理解させる。だからこそレーヴァは常識を超えた操作が可能であり、しかし故にに干渉者にかかる負担は適合者のそれに比べても大きい。
「レーヴァが怪我しても、別にあんたは痛くないかもしれないけどね。後ろに乗ってるこっちはダイレクトに痛みを受けるわけ……。わかる?」
「……エアリオは急に顔を傷つけられた痛みを感じていたのか……。ボクの所為で……」
「特にあんたみたいに開放値が高い人間の場合、レーヴァと共有する感覚の割合も高くなる……。そりゃ、とんでもなく痛かったんでしょうね」
「――――何も知らなかった、ボク」
レーヴァが傷つけばパートナーを傷つける事になる。だから適合者は必死でレーヴァを傷つけないように戦う。それは言われなくても当たり前の事で、リイドにとってもそのはずで。でも知らなかったから、自分ひとりで何もかもやっているつもりになっていた。
エアリオの苦労も、苦痛も、知る事は無かった。変わっていく自分にだけ恐怖し、力に酔いしれていた。それが悪いとは少年は思わない。それが悪い等と、誰にも言えない。だが、何も知らず、知らないからといって愚行を繰り返す……それはとても愚かな事だと少年は理解しているから。知る事で、痛みは増えていく。だがそれから目をそらそうなんて思わない。少なくとも、今は……。
「やっぱり謝らなくちゃね……エアリオに」
「いいのよ、別に。あんた一人で動かしているわけじゃないんだから。責任もあんた一人にあるわけじゃないわ。でも覚えておきなさい」
イリアは前髪をかき上げながら目を細め、月を仰ぐ。降り注ぐ青白い月光はイリアの横顔を幻想的に彩っていた。
「あんた一人で戦ってるなんて、あんた一人のお陰で全部何とかなってるなんて、思いあがりもいいとこよ」
反論する事は出来なかった。無論、リイドのプライドとしてはそれに反論しないわけにはいかなかった。それでも堪える事が出来たのは、少年が少しだけ成長したのか……それとも自らの愚かさに打ちひしがれているからなのか。
何にせよ言葉を飲み込み、代わりに少年は静かに頷いた。その心の中には新たな誓いがあった。新たなプライドがあった。少年は己の矜持を何よりも重んじる。だからこそ――約束しよう。
「やらせないから」
少年も月を仰ぎ、静かに呟く。銀色の髪を靡かせ、リイドは目を瞑った。
「今度はもう、エアリオみたいなことにはさせない」
己に誓うように……月に誓うように。そして他の誰でもない、イリア・アークライトという少女に誓うかのように……。
「――あんたは、ボクが守ってみせるから」
生意気に笑う少年の肩を叩き、イリアは歳不相応な大人びた笑顔を浮かべていた。作戦が始まる……。死ぬかも知れない作戦が。それでも……二人は笑っていた。諦めているわけではない。受け入れるのだ。そして抗おう――せめて、この篝火を絶やさぬように――。
暁よ、覚めないで(4)
空が白むより早く、闇の中を駆けろ――。
『では、作戦開始です。頼みましたよ』
「はいっ!」
残された時間はそう多くない。だが、やりとげられないと断言するにはまだ早い。夜が明ければ次の夜を待たねばならないだろう。そしてまたその弾数を制限する為に尽力せねばならない。
出来ればもう一発だって撃たせてはならないのだ。仲間を傷つけてしまわない為に……ならばここで、この夜で、ケリをつけてしまうしかないだろう。そうする事こそ撃たれたエアリオの努力を汲む事であり、リイド・レンブラムのプライドを守る事に他ならないのだから。
暁が訪れる前に、全力で闇の中を駆けろ――。
大地を振るわせる巨大な鉄の行軍。両腕を振り回し、低い姿勢で獣のように大地を疾走する真紅。飲み込まれ朽ちていく大地を、森を、山を踏みつけ、川を飛び越え、まるで障害物競争のように。
穿たれた顔には布を巻き、それは包帯のようにも見えた。見るからに満身創痍……それでもその瞳は輝いていた。腰に装備されたブースターが日を吹く。炎の瞬きの中、イカロスは闇を放たれた矢のように疾走し続ける。
歩みは確かで、勝利する事を微塵も疑ってなど居ない。狙いは確かで、寄り道をする事など考えても居ない。ただただ真っ直ぐに、勝利する事だけを目指しイカロスは疾走する。空も飛べぬ愚かな足で、太陽よりも早く、息を切らせ、ただその意思だけを持って。
「……リイド」
「何?」
猛然と駆け抜けるレーヴァテインのコックピットの中、イリアからリイドに送る最後の言葉があった。戦いになれば声を発している余裕もないかもしれない。だからこそ――伝えられる最高を今、全てここに……。
「口惜しいけど、あんたは天才よ」
「……いきなりなんだよ、気持ち悪いな」
「だから、あんたが負けることなんて……本当に誰も考えてなんかいないのよ?」
それはプレッシャーだった。期待であり、信頼であり、根拠の無い笑顔だった。しかしそれが力をくれる。言われるまでもないさと心を震え立たせる。
このまま歩みを止めてしまわなければどこまでも走っていけるだろう。海が陸地を阻み、歩みを止めてしまうまで。勝利する事を微塵も疑っていないのは――。そう、誰よりもリイド・レンブラムという少年なのだ。だから少年は自らの矜持を傷つけた相手を許す事はない。
「ああ――」
自らの“友”を傷つけた相手を許す事はない。
「当然だろッ!!」
川を飛び越える。あの恐怖の刃が届くまで、あとどれくらい? 森を踏みしめ、やがてそれが砂の大地に変わった時、少年は空気が変わる音を聞いた。
光の刃が投擲される。着弾するまで一秒も必要ない。ほんのわずか一瞬――。刹那と動議にでもイカロスの心臓を穿つような一撃を――少年は。
「当たる――かよっ!!」
かわしていた。一瞬の出来事……スローモーションのような一連の動きに続き、後方で光が立ち上る。イカロスは光の中を駆け抜ける。強く濃く引く陰の中、同じく浮かび上がった円形の影を目指して。
アルテミスはその卵の殻のような外見の周囲、無数の光の輪を浮かべていた。輝き織り成されるリングの音色――それがリイドの脳裏を過ぎる。連続して、刃は射出された。そして次々にまた輪が浮かんでくる。
何度も繰り返され投擲される刃。あとどれくらいの数が飛んでくるのかもわからない。ただただ避けて。一発でも命中すれば致死となるそれらの雨を避けて。あと何発? あと何発? そう考えながら汗を流し、生唾を飲み込みながら屈み、飛び、空中を舞う。
イカロスが跳躍した空に向かって光の刃は飛んでいく。漆黒の夜の闇を照らすそれはさながらイルミネーションであり、空中を華麗に舞うイカロスの姿は曲芸師のよう。二人きり、どちらかが確実に命を落とすはずの争いだというのに、滑稽な程美しく、息を合わせるかのように、“当たらない”。
至近距離でそれを撃たれればかわす手段は存在しない。外周を巡りながら、何度も降り注ぐ光の刃を避け続ける。肩にマウントしたDソードを一振り装備し、それを片手で構えながらイカロスは瞳を輝かせた。
「――リイドッ!! 走れぇぇええええええええええっ!!!」
刃が、止まる。これで、打ち止め――。思考よりも早く……イカロスは前に進んで行く。今しかない。今を逃せば好機はもうない。リイドはイカロスを走らせ……叫んだ。
「――こんのおおおおっ!!」
急ブレーキなど利かない。大地を根こそぎ抉る爪先を何とか曲げようと、リイドは歯を食いしばる。圧倒的な暴力を制御するのは針に糸を通すような繊細な精神力……。イカロスの瞳が輝き、曲芸がかった動きで反転し、低い姿勢でアルテミスに迫る。
そしてそこで気づくのだ。空が白み、夜明けが訪れようとしている事を。放たれていた無数の光の柱の所為で気づく事が出来なかったかすかな光……。それは今まさにアルテミスへ力を与えようとしている。
アルテミスまでの距離、数キロメートル。ほんのわずか、あと一歩の距離だというのに、アルテミスは力を取り戻そうとしている。卵の周囲に光の輪が浮かぶ。駄目だ、こんな距離で避けられるはずが無い――。“死ぬ”……?
そんなのがあってたまるか――。
リイドの脳裏に数時間前の光景が過ぎる。また仲間を傷つけるのか。また負けて涙するのか。そんなのはもう嫌だ。逃げてたまるものか。逃げるくらいなら、戦って死んだほうがマシというもの。
「もっと早く走れよ……! ボクが走れって言ってんだから、走れよぉっ!! イカロス――――ッ!!」
その主の声に反応するように、イカロスが飛翔する――。大地すれすれを、背後に炎の翼を広げ、一瞬でそれまでのスピードの数倍へと加速する。だから、それは元々早かったのに数倍になったから、本当にほんの一瞬。
次の瞬間と表記するのもおこがましいほどの速さで、イカロスは卵の殻に向かって剣を振り下ろしていた。切断される甲羅、露出するコア……。しかしコアには光が集い、今正に刃が穿たれようとしている。無数に浮かんでいた輪が一つに束ねられる。編み出されたのは巨大な光の剣――。切っ先は傷ついたイカロスの片目の目前、ピタリと収まっていた。
死ぬのか――?
その疑問が脳裏を過ぎる。死ぬのが自分だけならいい。自分がいなくなるだけならいい。でも――。
闇の中で抱きしめてくれた。自分の事を嫌っていたくせに、ぶっ飛ばそうとカンカンに怒っていたくせに、慰めて笑ってくれた人が居た。何の価値もない、レーヴァに乗る以外に何もない自分……そんな自分に訪れた確かな変化。少年は変わる事をもう恐れたりはしない。
「ここにいるのは……ボクだけじゃないんだぁあああああああああッ!!!!」
放たれる光の剣――。それをリイドは反転し、手にしたDソードで切り払っていた。何が起きたのかイリアには判らなかった。イカロスの周囲の時間が一度止まったのではないかと、そう錯覚した。イカロスは尋常ならざる速度でその巨体を御し、リイドの感情に感応するかのようにDソードで敵の攻撃を薙ぎ払ったのだ。
光の軌跡が瞬き、アルテミスの武装が砕かれる。ガラスの割れるような音と共にアルテミスがのけぞり、イカロスの斬りつけた卵の亀裂が更に広がった。同時にDソードの刀身が爆発し、イカロスはそれを投げ捨てる。予備のDソードを装備しながら前進、そして両手で構えたそれを真っ直ぐに卵目掛けて突き刺そうとした――その時であった。
アルテミスの卵が縦に割れた。その隙間から黒いうでが二つ、ぬっと伸びてDソードの刀身を白刃取りにしていたのだ。停止するDソード……そしてカウンターの光が卵に収束する。卵の内側、コアに浮かんだ紋章が輝き……リイドの努力をあざ笑うかのように甲高い音でケタケタと笑った。
「……こいつ!?」
「リイドッ!!!!」
背後から名前を呼ばれた。ただそれだけで――折れかけた心が戻ってくる。脳裏を過ぎる沢山の記憶――。その中の自分を、今の自分に重ねていく。限界なんて自分で作るものじゃない。まだだ、もっと動ける……そう心の中で叫び続けた。
イカロスは刃をそのままに一歩後退する。そうして卵の帯が放たれ――リイドはほぼ零距離で発射された光の帯を回避する。しかしそれは完全回避とは行かず……片腕を根元からざっくりと跳ね飛ばしていく。遥か後方で昼も夜も関係なく照らし上げた光が瞬き、影の中でイカロスは吼えた。
「イリア!?」
「怯んでんじゃないわよっ!! あんたがやらなきゃ意味がないのよ! あんたが……! 自分のその足でッ!! 乗り越えなさいッ!!」
片腕を押さえ、イリアが叫んだ。遅れて腕から血を噴出すレーヴァテイン……。リイドは低い姿勢からその拳を繰り出した。その目標は……卵本体ではない。命中したのは……敵が白刃取りしているDソードの柄であった。繰り出された拳の一撃が剣を滑らせ、その切っ先をコアに突き刺した。
イリアも、リイドも、その時はただ敵を倒す事だけしか考えていなかった。二人の声が重なり合い……イカロスを吼えさせる。低く跳躍したイカロス……それは、かつて見た日のイリアの動きをトレースしていた。
放たれた、空中回転蹴りが見事にDソードの柄に直撃し、勢いを殺せなかったアルテミスは白刃取りの構えのまま固まっていた腕を弾かれ――次元を裂く剣はその殻を内側から突き破り、アルテミスの背後に矢のように突き抜けていった。
コアに大穴を空けられ、悲鳴をあげながら内側から大量の血液をぶちまけ、アルテミスが爆発する――。イカロスは後方に跳躍し、静かにその最期を見届けていた……。
「何よ、やれば出来るじゃない……。最初から……そう、やりなさいよ……ね」
優しい声に振り返る。そこには紅の髪の少女が笑っていて、差し込む朝日を眩しそうに見つめていた。その笑顔に心底安心し……そして慌ててイリアへと駆け寄った。イリアは片腕を失った痛みを必死で堪えていた。その傷に触れないようにリイドはそっと伸ばしかけた手を引っ込め……笑う。
「当たり前、だろ……?」
暁を背にイカロスはゆっくりと膝をつく。長い長い夜が、終わりを告げようとしていた。イリアは冷や汗を流しながらそれに微笑み返し……そして――。
「おやおや、何がどうなってこうなったんでしょうねえ?」
帰還命令に応じないイカロスを心配して内部の様子をモニタリングしたヴェクターは腕を組んで苦笑した。それはきっと、イリアの反動のせいか。それともリイドの反動のせいか。
いや、きっと両方だろう。二人は結局、自分達が一番安心できる形で眠っていた。強がりな二人は床に座って、背中を合わせ、手をつないで眠っていた。似たもの同士、意地っ張り同士、その疲れを相手に隠すかのように……。
「よっぽど疲れたんでしょうねえ。こういう作戦は始めてでしたし……。とりあえずイリアさんは無事みたいですが、救護班準備をお願いしますよ。ユカリ君、レーヴァの回収手続きを」
抱き合った方がラクだろうに、そうしない二人の意地の張り合いを微笑ましく眺めながらヴェクターはモニターの電源を落とす。覗き見が趣味だというヴェクターにしては珍しい気の遣い方だった。
「もう少しだけ、休ませてあげるとしますかね……。ご苦労様でした、リイド君……イリアさん」
男は椅子に座ってコーヒーを口にする。対岸では光が瞬き、水平線を照らし出した朝日の輝きがレーヴァテインの影を深く、とても深く彩っていた。夜明けは美しく、眩く世界を照らし上げていた。そこに生きる全ての者を……平等に――。