暁よ、覚めないで(2)
「…………」
一人、ぼんやりとレーヴァを見上げていた。積み重ねられたいくつかの木製の武器コンテナの上に腰掛け、巨大なその機体を見上げている。レーヴァテイン……巨大ロボット。ボクの日常を破壊し、新しい世界に導いてくれる大いなる力。
「でも、こいつに乗れば乗るほど……ボクは変わってしまうのかな」
当たり前だけど、レーヴァは答えない。あらゆる動力が停止しているレーヴァはガラクタと一緒だ。ボクらが乗り込まない限り、動く事はない。エアリオもイリアもカイトも、今までこいつに乗って変わってきたんだろうか……なんて、そんな事を考えてしまうのはボクが変わったからなのか。
いや、ボクは変わってなど居ない。ボクという存在の本質は変化していないはずだ。そこまで変えられてたまるか。でも、エアリオに対しての感情は少しだけ変わってしまったような気がする。そうだ、ボクはいままでアイツを“人間”だとも思っていなかった。
“どうでもいい”……“興味ない”。だから隣の部屋であいつが暮らしていたとしても全然全く関係なんかなかったんだ。でもあいつが実際に存在して……ああそうさ、わかってる。いつもボクの後ろで戦いを見ていてくれる大事な相棒だってことも。だからこそ、それを理解してしまったからこそ、今後はエアリオとの向き合い方を考えなければならないのかもしれない。
ゆっくりと立ち上がり、改めてレーヴァテインを下から上までじっくりと眺めた。鋼の巨人……ボクに価値を与えてくれる物。ボクという存在を肯定する器……。変わらないものなんてないんだ。何もかもが変わっていく。ならいっそ……変わってしまう事を受け入れた方が楽なのかもしれない。変わらないで欲しいと願い続ける事は……余りにも虚しいから。
「リイド! 何やってんだ、そんなとこで~!」
見下ろすとカイトが手を振っていた。相変わらず元気そうだ。ボクの悩みなんか彼にはわからないだろう。そう考えつつもコンテナをいくつか経由して飛び降り……笑っているボクが居た。
「ちょっとね、考え事。他の皆は?」
「エアリオとイリアは何か向こうで揉めてたぞ」
あっけらかんとそう答えるカイト。いや……結構そういうの気にする性質かと思っていただけに意外な答えだ。熱血漢の彼がこんな所でふらふらしてる場合か……?
「なんで止めないの? あんた、ボクとイリアが喧嘩してるとソッコー仲裁するくせに」
「いや、あいつら元々よく揉めてるからな~。でも殴り合いとかにはならねーし、大丈夫だろ? それにケンカになっても、所詮女同士だしな!」
そういうものなのだろうか……? ボクは彼らの事をまだよく知らないので何とも言えないけれど……。カイトがこうして笑っているのだから恐らくそうなのだろが……本当に女同士のケンカで済むのか疑問だ。イリアはアレだし……。エアリオも……何を考えているのかサッパリわからないんだし……。
だが、カイトだってもし問題になるようなら黙っていないはずだ。カイト・フラクトルという少年はきっとそういう人間なのだ。付き合いの浅いボクにもわかる……いや、カイトだからこそわかるのか。こいつは裏表なんて言葉は知らないらしい。いつでも大っぴらで、真っ直ぐだから。
「はいはい、皆さんお揃いですね〜? では、お話を始めましょうか~」
ヘラヘラしながら歩いてくるのはヴェクターだった。それを見てボクはぎょっとする。彼は両手に一人ずつ、エアリオとイリアを引っさげて平然と歩いてくる。片手ずつで彼女たちの制服の首根っこを掴んでいるのだ。ずるずると引き摺られ……イリアはじたばたしていて、エアリオはごく普通の表情を浮かべている。イリアのリアクションもなんかどうかと思うけど、エアリオの無表情さがシリアスな笑いを誘った。
「どうしたんですか、ヴェクター……それ」
「いえ、二人がいつまで経っても仲良くじゃれていたので強制的に連れて来たんですよ。仲が良いのはいいんですけどねえ、ウッフッフ!」
「誰が仲良くじゃれてたってぇ!?」
「…………イリアが一方的に絡んできただけ……」
というか、片手ずつに女の子を引っさげてくるとかあなたこの図がおかしいと思わないんですか――。何はともあれボクら適合者、干渉者が揃った四人はレーヴァのハンガーに集合していた。改めて四人で一列に並んでヴェクターを見つめる。
「それでヴェクター、今日はなんで呼び出したんスか?」
そう、学校が終わるなりすぐに全員集合、とのお達しだった。ヴェクターの方から戦闘以外で呼び出しがかかるのは珍しい事で、だからボクらはまた例によって制服のままだ。
「そうですね、早速本題に入りましょう。まずはご紹介したい方が居ます」
「紹介……? リイドは兎も角、あたしたちはもうずっとこの組織にいるけど……今更まだ誰か紹介する人がいるの?」
腕を組んで眉を潜めるイリア。まあ確かにその疑問はごもっともだ。カイトも同じ疑問を浮かべたのか、イリアの言葉に同意するように頷いている。そんな時だった。背後から声が投げかけられる。
「なんだ、随分シケたメンツだなヴェクター? 本当にこいつらで大丈夫なのかよ」
四人同時に振り返ったその視線の先には――子供がいた。多分小学生だろう。棒のついたキャンディーを舐めながら眼鏡の向こう側で鋭い目を光らせている。そうして生意気そうな顔つきの少年は白衣を翻しながらボクらの脇を通り過ぎ、ヴェクターの隣に停止した。
「紹介しましょう。彼の名前はルドルフ・ダウナー……。ジェネシスのアーティフェクタ研究部門担当者――早い話がレーヴァを作った博士ですねぇ」
「「「 えぇっ!? 」」」
「お前ら揃いも揃って普通のリアクションだな……。もう少し面白い事は言えないのかよ?」
そんなことを言われても……。だって、相手は子供だぞ……? サイズが大きすぎてだぼだぼの白衣、そのポケットに両手を突っ込んだまま無邪気に笑う少年――ルドルフ・ダウナー。彼がレーヴァの担当者だということはカイトたちも知らなかったらしい。二人は呆れているのか驚いているのか、目を真ん丸くしている。エアリオは相変わらず驚いているのかいないのかよくわからないが、いつもの事だ。
何はともあれ目の前の子供がこの驚異的なスペックを持つ兵器を生み出した天才、ということなのだろう。まあ……そういうものなのかもしれない。ジェネシスという特殊な組織、レーヴァという特殊な製品、それに関わる人間であるボクらにとって大人か子供かという事は二の次……と言えない事もない……。
「でも、カイトたちも知らなかったんだね……」
「お、おう……。いや~、当たり前のように乗り回してたが……そのレーヴァを誰が作ったかなんて考えたことも無かったからな」
「お前らはレーヴァを動かす……。俺様は動かせるように調整する。別に接点を持つ必要性はねえからな。ウゼェ人間関係なんかに囚われたくねえだろ?」
ニヤリと笑うルドルフ。子供のクセに何とも生意気だ……。しかし天才というものはそれだけで他人を見下す権利を持つ存在……ボクはそう思う。だから別にカイトやイリアを見下すのは全然かまわないと思う。ボクもそうしてるし。
イリアはあからさまにイラついていたようだけど、カイトは持ち前の気楽さでもうすっかりその事実を受け入れたようだ。エアリオは……何も言うまい。ボクが思考内で彼女を描写しなくとも、大体どんな顔なのかは決まっているんだ……。
「ヴェクター、話を進めるぜ? 俺様がお前達の前の現れたという事は、つまりその必要性があるからだ。既にお前ら全員の戦闘傾向を纏めたデータは拝見させてもらったが……リイド・レンブラムってやつはどいつだ?」
「ボクがリイド・レンブラムだけど?」
片手を上げてそう答えると、ルドルフは何故か納得したという様子で何度も頷きニヤリと笑った。
「あ、やっぱお前? お前俺様と同じ目ぇしてるもんな。嫌われ者の目だぜ」
そりゃどういう意味なんだろうか。まあ何はともあれ天才様に気に入ってもらえたのは光栄か……。相手は子供もいいところだけど。
「お前のレーヴァとの適合値は素晴らしいぜ? 常時開放20%は伊達じゃねえな」
「「 常時開放値20パーセントォ!? 」」
イリアとカイトが同時に叫んで同時にボクを見たので思わずたじろいでしまった。常時開放値20%とかいうのはすごいことなのだろうか? エアリオは目を閉じて頷いていたが、イリアは“何かの身間違いじゃないの?”とまで呟いていた。それを聞き取った地獄耳なルドルフが笑いながら意地悪に目を細める。
「残念ながら事実だ。カイト・フラクトルの開放値は最高16%……。平均的には12%がいいところだからな」
「えーと、その16%と20%には大きな差があるの?」
「開放値ってのはな、レーヴァの性能を引き出している数値だ。“パーセンテージ”が上昇すればするほど、レーヴァ本来の力を発揮できている……ということになる」
「え……? ちょっと待ってくれ……」
ボクの乗るレーヴァの実力がまだ、全体の20%……?あれで、なのか? 百を越える天使を圧倒し、神を凍てつかせ、砕き、町を燃やす力がたったの2割程度……。じゃあ100%の力を発揮したレーヴァはどれほどの凄まじさなのだろうか……。
そうだ、%の上昇率はその100%がどれほどの数字なのかにもよる。100の10%は10だが、10000の10%は1000……。あれだけの力なんだ、1%数字があがるだけでどれほど驚異的な上昇なのかは言うまでも無い。カイトとボクの差、4%――。これはもしかしたらとんでもない差なのかもしれなかった。
「ま、大体今お前の考えてる通りだ。しかも適合者が増えて一人余ってると来てやがる。ようやく俺様の計画を実行に移す日が来ってわけだぜ」
「何よ、計画って……? なんか胡散臭い計画じゃないでしょうね……」
「違うっつの……失礼な女だな。俺の計画……それは、レーヴァテインの量産化だ」
「「「 レーヴァの量産化!? 」」」
「……だからお前ら! いちいち普通のリアクションしか出来ないのかよ!?」
ていうかボクらにどんなリアクションを期待してるんだろうかルドルフは。漫才やってるんじゃないんだから……ビックリしたら普通にビックリするしかないでしょ……。
「まあいい、とにかく手始めとして訓練室に戦闘シミュレータを置いておいたからやりこんでおいてくれ。ゲームみたいな感覚で使えるし、反動もない。お前らが蓄積したデータをベースに研究が進むってわけよ」
「それはまあ、ボクは一向に構わないけど……」
ボクらとしても訓練が出来るのならば文句はない。他の皆も同感なのか、誰も文句は言わなかった。操縦訓練が出来る設備が増えるのはメリットしかないからね。ルドルフは何度も頷いてキャンディーをボクらに突き出し、宣言しながら笑った。
「これからは俺様がちゃんと司令部に居てやっから、ありがたく思えよ? レーヴァ専用武装の開発もとっくにスタートしてる。どうせ光武装だけじゃそろそろ不便だと思い始める頃だろうしな」
確かにその通りだった。口惜しいがやはり天才というのは伊達ではないらしい。ボクらにとってありがたいことしかないのだから、誰一人反論などするはずもなかった。
さて、ルドルフ・ダウナーという仲間も増え、ボクらは早速シミュレーションを行う為に例の訓練室に移動した。部屋に入ると既に機材が運び込まれており、これをやる為に呼び出したのだろう、準備は万端だった。
コックピットに似た巨大な機械があの部屋の中に二つ転がっているのを見た時は流石に驚いたが、もう何でもありだと割り切る事にした。ここはジェネシス……いちいちハイテクと惜しみない金の使い方に驚いていたら持たない。
さて、その実態は通常のレーヴァのコックピット同様副座式であり、重力制御などはないもののほぼ同じ感覚で使用することが出来るシュミレータだ。勿論本物のコックピットは搭乗者の意思によって形成されるので、物質として最初から形が固定されたこの装置はあくまでも訓練用だ。
いつまでも眺めていても仕方が無いので、カイトとイリア、ボクとエアリオに別れ何度かレーヴァを模したシュミレーション用の機体でプレイしてみる事になった。実際にシートに座ってみるとその感覚の齟齬に少々戸惑ったが、反動も無いし訓練程度と考えれば問題はないだろう。なんでもカイトの身体もこのシミュレータでは特に影響が無いらしく、久々にレーヴァに乗れると彼は喜んでいた……のだが……。
「なんでなのよ、もお――――っ!!」
「ちょっと……。イリア……おちつ……ぐえええっ!?」
シミュレータが停止するや否やイリアに首根っこをつかまれて振り回されるカイト……。今のところ戦績は8勝1敗――。無論、ボクとエアリオが8勝だ。イリアはその事実が気に入らないのか、負ける度にカイトを痛めつけているものだからもう見ていられない。これじゃ訓練っていうか罰ゲームだ。
対戦型モードではボクらの行動を擬似的に協調させ、二つのレーヴァを戦って居るように仮想することが出来るらしい。勿論対天使、対神のシミュレーションも可能なのだが、せっかくだからここいらで実力をハッキリさせて置きましょうよ、というイリアの提案に乗ったのである。隣の装置で行われる惨い仕打ちをエアリオは無表情に眺めていた。
「そもそも何なのよ! あの流転の弓矢の射程と速度は……! あんなの避けられるわけないでしょ!?」
まあ、確かに束ねて撃たれたら避けられないと思うけど……。何故ボクらが怒られているのだろうか? 当てようと思ってやってる事だし、当てなきゃ意味ないと思うんだけど……イリアに理屈は通じないんだろうか。
「それはカイトの反応速度が遅いのと、イリアのサポートが遅いから」
そして何故エアリオは言わなくてもいいような事までわざわざ言うのだろうか……。普段は表情を作らないくせに、今だけはイリアをバカにするかの如くふっと優しく微笑んで見せた。憐憫のその眼差しにイリアは激怒し、飛び掛ってこようとする……が、ボロボロのカイトがそれを羽交い絞めにして封じていた。あいつ……ボクがいない間、ずっとこんなんだったのか……。
明後日の方向を向いているエアリオと正面から食って掛かっているイリアを遠巻きに眺めながらボクはネクタイを緩める。擬似装置とは言え精神でレーヴァを操る以上、多少は疲労するらしい。9戦も連続で行っておいてまだ平気なのだから、実戦に比べれば疲労は微々たる物のようだが……。あいつら元気だなあ、と思う。もう少し、身体も鍛えた方がいいのかな……。
「やっぱりお前には才能があると思うぜ、リイド」
いつの間にか隣に立っていたカイトがボクの肩に腕を回して笑う。馴れ馴れしい態度だった。そういうのは気に入らないはずなのに、カイトの笑顔を見ていると仕方ないような気がしてくる。しかしいかんせん恥ずかしいのでその腕を振り解き、溜息をついてみせた。
「当然だろ、ボクは天才なんだから」
「はは、そうらしいな! あのエアリオがあそこまで素直に言う事聞くんだからすげえよなぁ~」
「…………。エアリオってカイトの言う事は聞かないの……?」
「聞かない聞かない、全くきかねーって。俺が話しかけてもそっぽ向くんだぜ、あいつ――」
遠い目で部屋の隅を見つめるカイト……。こいつ……どんだけ苦労してきたんだろうか。しかし、意外だった……。確かにエアリオは誰に対しても無感情だけれど、そこまでなのだろうか。いや、冷静に思い返すとエアリオはイリアとカイトに対しては妙に冷たかったというか、つれなかったような気がする。
ボクはそういう態度をされる事がないので気づかなかったが、元々三人の関係はボクがいなくてもアンバランスだったようだ。いや……これはこれでバランス良く収まっているのか? 詰め寄るイリアを総スルーしているエアリオの姿を眺める。そうだな……たぶん、これはこういうものなんだろうな。
「あっちの二人は仲がいいのか悪いのかよくわかんねぇけどな」
「……そうだね、ふふ」
全く何が楽しくてあんなに追いかけっこしているのだろうか。女の子の考える事はよくわからない。いや……あの二人を一般的な女の子と考えるのが間違いか。無表情なエアリオもイリアをからかっている時だけは少しだけ楽しそうに見えるのだから不思議だ。
「皆さん~! 訓練の調子はいかがですか~?」
それぞれ休憩に入り、ボクとカイトはスポーツドリンクを飲んでいた。そんな時突如扉が開き、両手を広げた奇妙なポーズのままヴェクターが入ってくる。何故か両手にマラカスを持ち、しゃかしゃかと音を立てながら。思わずカイトと同時に口に含んだ飲み物を噴いてしまう。この人がここの副指令であるという事実を、未だに受け入れられない僕がいた――。
「これ一般向けにして市販すればゲーセンとかで売れるんじゃないすか?」
「かもしれないですねえ。ジェネシスはゲーム製作も一流ですからね」
カイトは気を取り直し、平然と会話を続ける。なんか……カイトはエアリオ以上にマイペースなのかもしれないと思った瞬間だった。普通この変なオッサンとそんな平然と喋れないと思うんだけどな……。オッサンだよオッサン。多分もうオッサンだよ。
「いいんですか……? レーヴァのシステムを模造した訓練装置を市販したりして……」
「わかっていないですねえ~リイド君。レーヴァを動かすには、とってもお金がかかるんですよ~? それこそ、普通は訊いた事がないような桁のお金が……ね?」
まあそれはそうだろうけど、これをゲーム機にしたら……採算取れるのか? まず家庭用として市販は無理だからアーケードゲームになるんだろうけど……って、そんな事まじめに考えてどうするんだボクは。
「そんなわけで、これよりお金稼ぎに向かうとしましょう」
「は?」
僕とカイトは目を丸くした。唐突な提案で、余計な考え事をしていたボクにとっては完全に不意打ちだった。しゃかしゃかと鳴り続けるマラカスの向こう、眼鏡越しのヴェクターの瞳がきらきら輝いていた。
暁よ、覚めないで(3)
この世界は“敵”の攻撃により人類の手より覇権が零れ落ちつつある――というのは、改めて振り返る必要も無い事実だ。毎日のように大気圏外から無差別に襲来する天使、神に対し、人類は主要都市を防衛するのがいっぱいいっぱいだからだ。
故に毎日を平和に過ごせる場所は世界広しとも恐らくこのヴァルハラのみであり、他の都市は常に敵の脅威に怯える事になる。そしてそれに真正面から対抗できる兵器が神を模造した兵器のみである以上、レーヴァが守るのはヴァルハラだけではないらしい。
司令部の巨大正面モニター前に並んだボクらはそんな話をざっと聞きながらそこに映った画像を眺めていた。相変わらず薄暗い司令部の中、輝くモニターを背にヴェクターは腕を組んで微笑んでいる。
「では、今回の作戦行動を説明します」
ユカリさんが端末を操作すると恐らく上空……衛星軌道上から撮影したと思われる地上の様子が映し出された。それを何度か拡大しより鮮明にしていくと、地上――森のような場所の上に卵のような円形の光体が確認できた。しかもそのサイズは森の上に普通に乗っているくらいであり、レーヴァよりも一回り小柄――全長30メートルほどだろうか。
「卵だな」
「卵ね」
「卵」
エアリオたち三人は同一の意見を述べる。ボクも同意だ。率直な意見……卵、と言ってしまって差し支えないだろう。問題はこれが何の卵なのかという部分にあるが、まあ言うまでもなく……こんなサイズの生命体は地球上に存在しないわけで。
「数時間前、大気圏外から落下してきた正体不明のフォゾンエネルギー体です。言うまでもなく天使、神の類だと思われますが、詳細は一切不明です」
「とりあえずリイド君にはちゃちゃっとここまで行ってですね、こいつをやっつけてきて欲しいんですね」
「はあ……。ここ、どこですか?」
「旧オーストラリア大陸北部です。レーヴァならサクっと行って来られる距離ですよ」
オーストラリア大陸は確か現在は天使の制圧により崩落し、現在は北部の一部地域を除き完全に自然環境が破壊されていたはずだ。よってオーストラリア大陸という名称は既に意味を持たず、一般的にそうした大陸や都市は旧という記号をつけ呼称する。そもそも場所によっては地図どおりの地形などとどめていないところも多い。そうした括りは今の時代にはナンセンスだ。
「とりあえず理由を聞いてもいいですか?」
「ええ、勿論! バッチリ説明しますよ~! ユカリ君、お願いします」
ヴェクターの人任せな態度の矛先を向けられたユカリさんが立ちあがりインカムを手にとって振り返った。この男……ナメてるのか……? ユカリさんの普段の苦労が何となく理解出来た。
「皆さん、“彼ら”が地球の自然環境を破壊するのはご存知ですね?」
「それは、まあ」
天使はフォゾン生命体――つまり膨大なエネルギーの塊だ。フォゾンの発生源は生命体であり、大気中に満ちたフォゾンを吸収する事で奴らは活動を可能とする。逆に言えばやつらは餌場を求めて地上に降りてくるとも言えるだろう。故に人を殺めてフォゾンを奪い、自然を壊してフォゾンを奪う。
理由と動機は本来逆だ。やつらは普通に食事を楽しみたいだけなのだ。ただその食事というものが生命にとって必要不可欠であるが故に、奴らの搾取に生命が耐え切れず死滅する、というわけで……。無論自然が無くなれば人類は生きてはいけない。故にどこでも自然を守るため天使や神を野放しにしておくことはまずない。どんな犠牲を払っても、出来得る限りそれを滅する必要性があるのだ。
「旧オーストラリア防衛政府はこの卵型の敵を脅威視しています。防衛政府は近日他の勢力からの攻撃を受け、戦力が疲弊しているため最早“敵”と戦う余力を残していないのです。よって、ジェネシス本社に緊急の排除依頼が舞い込んだというわけですね」
他の勢力から攻撃を受けたっていうのは他の天使か何かだろうか? 何はともあれもう戦う力が残っていないのでろくに手出しが出来ないということか。そりゃご愁傷様……。
「報酬として防衛政府はジェネシス本社に資金提供、自然環境地区の提供を約束しています。つまりこれはビジネスですね~!」
「世界がこんな状況で、しかも相手は弱小組織なのにしっかり報酬は取るんですね」
「当然でしょう、リイド君? さっきも言いましたが、レーヴァを動かすにはとてもお金がかかるんです。社員である以上、貴方はそのために頑張ってもらいますよ。金さえ払ってくれればなんでもぶっ潰す……それがレーヴァというものですからねぇ」
これも契約、といういことらしい。どうせ最初から拒否権などないのだ。何はともあれボクはこれからオーストラリアまですっとんで敵をやっつけなければならなくなった、という事。学校帰りにやることとは思えないが、やらない限りは色々と問題もあるのだろうから仕方ない。それにボクにしか頼めない事だというのもポイントだ。他に頼めるやつがいないなら仕方ない、強い奴が行ってやらねばならないだろう。
「いいですよ? 敵を潰して戻ってくるくらいワケないですから。今すぐでも構いませんよ、ボクは」
「……あんた、敵の情報も分からないくせに凄まじい強気ね」
「まぁね。情報なんて関係ないさ。ボクが負けるなんて絶対にありえない」
「あっそう――勝手にすれば? どうせジェネシスの英雄様が何とかしてくれるんでしょうからね」
イリアは嫌味を言うだけ言うと颯爽と真紅の髪を翻し司令部を出て行った。相変わらず突っかかってくるのだから困ったものだ。ケンカの売り方と捨て台詞の見事さは本当に大した物だと思う。
しかしもう慣れた物で、ボクは殆どイリアのいう事をスルーしていた。エアリオのスルースキルを少しは学んだのかも知れない。早速作戦に向けた細かい打ち合わせが始まろうというその時、カイトはボクの肩を軽く叩いて言った。
「まあお前ならそう苦労する事でもないさ。頑張ってこいよ、リイド」
なんとなく照れくさくてボクはその手をさっさと振り解き、エアリオと共に歩き出す。そうだ、ボクにしか出来ない事がある。ボクが負けるはずがない。ボクはイリアの言う通り、ジェネシスの英雄なのだから。
数十分後、ボクとエアリオはレーヴァに乗り込んで旧オーストラリアくんだりまで出撃する事になった。その時はまだ……それがあんな大変な事になるなんて、思っても見なかったのだが――。