暁よ、覚めないで(1)
二度目のレーヴァによる戦闘は、無事ボクらの圧勝で幕を下ろした。そして……その違和感は、レーヴァを降りてすぐにボクの全身を駆け抜けた。
頭がぼーっとする……。自分がここで何をしているのかよくわからなくなる。段々その不明瞭な感覚は激しい苛立ちに変わって行った。自分でも何故こんなにイライラしているのか全く判らない。
「う、うう……?」
両手で頭を抱えて冷たい鉄板の上に膝をついた。ダメだ、視界がグルグルしている。何が、何かが……おかしい。まるで自分の身体じゃないみたいだ……。
「よお、お疲れさん! 見てたぜ、スゴかったな! 初めての宇宙とは思えなかったぜ」
カイトが声をかけてくれている。ボクの苦労を労って、しかも褒めてくれている。なのに……それに大してボクのとった行動は自分でも驚くべき物だった。
「うるせぇな……! 頭が痛いんだよ……。ボクに、話しかけるな……っ」
カイトの手を払いのけ、口元を押さえた。酷く気分が悪い……。胃の中がぐるぐるしている。頭の奥が熱い。何かがおかしい。違和感が拭い去れない。
「おいリイド?」
「うるせえって言ってんだろうが、あぁっ!?」
自分でもワケがわからないうちにカイトに掴みかかっていた。後一歩で殴ってしまう。殴りたくなんかないのに、とにかく全身を駆け抜ける衝動に逆らう事が全く出来ない。まずい、このままではカイトが……。しかし次の瞬間、ボクの体は宙を舞っていた。背後に居たらしいイリアに思いっきり投げ飛ばされたのである。激しい痛みが走り……しかし衝動は収まらない。
わけのわからないことを喚きながら暴れ狂う。作業員たちが集まってきてボクの全身を押さえつけた。それがまたイラついてまた暴れる。そんなことが何度も続いた。何かが無性に気に入らなくて声を張り上げて暴れまわった。
結局筋肉隆々の大の男二人に左右から掴まれ、しかも後ろで手首に手錠を嵌められ、挙句どこだかわからない牢屋みたいな小部屋に押し込められた。そこは狭くて、何も無くて、真っ白で、本当に何一つない、ただの箱の中みたいな部屋だった。
「はあ……。はあ……はあ」
少しは気持ちが静まってきたとは言え、未だに苛立ちと気分の悪さが拭い去れない。気づけば壁に向かって頭を叩きつけ、その激しい痛みで何とか気持ちを落ち着けようとしている自分がいた。
額から流れる血が頬を伝ってようやく少しだけ冷静になり、壁を背にずるずると座り込んだ。何が……どうなっているんだ? ボクはおかしくなってしまったのか? こんな気分になるのは生まれて初めてだ……。どうすればいいのか、わからなかった。
「気持ち悪い……」
目を閉じて自分の心臓の動悸と呼吸の音にだけ耳を澄ませていた。そうしてしばらくすると扉が開き、ゆっくりと顔を上げるとそこにはエアリオが立っていた。エアリオを連れて来たらしい制服姿の男たちはさっさと部屋を去り、そこにはボクとエアリオだけが取り残される。彼女はボクをじっと見つめ、そしてゆっくりと歩み寄った。
「エアリオ……?」
何故か酷く不安になって声をかける。彼女はボクの前に膝を着き、そしてその小さな手でボクの髪に触れた。ボクはその手に自分の手を重ね……気持ちがすっと楽になるのを感じていた。何故だろう、普段はボクが面倒を見ている方なのに……。今は、彼女の存在がボクにとっての救いのような気さえしていた。
「エアリオ、ボクは……ボクはどうしなってしまったんだ……?」
「……大丈夫、落ち着いて。まだリイドはレーヴァとの共感に慣れていないだけ……。レーヴァの中には……数え切れない、沢山の“想い”がある。それにリイドも影響されてしまっているだけだから」
そうしてエアリオはボクの身体を優しく抱きしめてくれた。暖かい温もりが伝わってきて、柔らかい身体の感触や彼女のにおいに包まれてボクは目を閉じた。何故だろう……とても心が安らいでいる。気づけば哀しくて涙を流していた。これは……これは、一体誰の感情なんだ? これは……ボクの知らないこの気持ちは……誰の……?
巨大な白い大樹を背景に、誰かが何かを叫んでいた。紅い髪をしたその女の子はボクに何かを訴えかけ続けている。けれど、それが誰なのか……そもそもこれが誰の記憶なのかもわからない。飛び散る血……倒れる誰かの姿。闘う巨人……ボクはその中で誰かの名前を叫んでいた。傍に居たのは……誰だったか。何も判らなくなる……。
聞き覚えの無い沢山の誰かの言葉が脳裏を過ぎり、自分が完全におかしくなってしまった事を知る。けれどそんな不安の中、エアリオの存在だけがボクを繋ぎとめていてくれた。ボクは……ボクだ。気づけば気持ちはゆっくりと落ち着き始めていた。
『……もう大丈夫なんですか? 想像以上に早い復帰ですね……リイド君』
全方向から聞こえてくる声にボクはそっと瞼を開いた。これは……ヴェクターの声だ。部屋の四隅に壁に埋め込まれたスピーカーがあるらしい。周囲をきょろきょろ見渡し、ボクは頷いた。
「……ええ、なんとか……。まだ、フラフラしてますけどね……」
『………………。そうですか。エアリオ、貴方もなんともありませんか?』
「見ての通り。今回はかなり力をセーブしたから……。リイドが慣れるまでは、ずっと力を封じ続けるつもり」
その言葉と同時に、ボクはエアリオが弓矢しか使わせてくれなかった事を思い出した。彼女は……もしかしてこうなる事を知っていたのだろうか? レーヴァテインの動きも、前の戦いより少し鈍かったような気がする。エアリオの金色の瞳はとても優しくボクの瞳を映しこんでいる。彼女は彼女なりに、きっとボクの事を想ってくれていたのだろう。
なんだか……とても申し訳が無いような、照れくさいような気持ちになり、そっと彼女の身体を押し返した。エアリオは優しく微笑んでいる……。まるでボクの気持ちなんて全部分かっているかのように。それがまた、少し悔しかった。
『しかしまだ不安ですからね。きちんと回復するまで少しその部屋で休んでください。何か問題あがれば、声をかけてくださいね』
「……はい」
声が聞こえなくなり、ボクはゆっくりと立ち上がった。まだ、気持ちがざわざわしているのがわかる。とりあえず……改めて状況を見つめ直す事にした。ヴェクターは恐らくボクを暫くここから出してはくれないだろう。あれだけ大暴れしたんだ、まあそりゃ当然だし、ボクも少し不安だからそれでいい。
問題なのはこの状況が一体どういう事なのか……という事だ。エアリオは部屋の中央にあったベンチに腰掛け、静かに天井を見上げている。さっきまで引っ付いていた事もあり、少々恥ずかしかったのだが……ボクは状況を整理する為に彼女の隣に座る事にした。
「えーと、エアリオ……。その……ありがとう?」
「……リイドが“ありがとう”なんて……珍しい」
「ば……!? 茶化すなよ! ボクだって、感謝の気持ちを人に伝える事くらいあるさ……」
エアリオは口元に手を当て、ボクを見ながら微笑んでいる。その笑顔のお陰で照れも苦しさもどこかへ飛んでいってしまったような気がした。気を取り直し、ボクは質問を再開する。
「エアリオ、さっきのは一体……」
「あれは……“反動”。レーヴァテインは能力を使えば使うほど、降りた時にその反動が大きくなる。反動には色々な種類があって……あなたの場合、それは外界に対する“敵意”として再現される」
敵意――。その言葉を聞いた瞬間、様々な何かが頭の中を横切っていった。そうだ、ボクがこうなるのは初めてじゃない……そんな気がする。いや、実際にそうなのだろう。何故ならばボクはあの時、クレイオスと戦う時、一度レーヴァに乗っているのだから。
思えばその周辺の記憶は曖昧だ。全く記憶していないと言ってもいい。けどそれはきっとボクが何も記憶できないほどの状態だったということなのだろう。それを今まで都合よく忘れていた自分にも腹が立ったが、それを教えてくれないヴェクターにも腹が立った。
「リイドの考えている通り、前回のあなたは悲惨だった……」
「うぐ……。や、やっぱりそうだったのか……」
「だから、今回はこっちで何も言わずに制限をかけさせてもらった。それに直ぐ隔離出来るようにスタッフも手配してあった」
「……。手際いいな……。でも、それならどうして力を使いすぎるとダメだって教えてくれなかったの? わかってれば、ボクだって加減したのに……」
「判っていればどうにかなるものでもないから。慣れれば段々収まっていくけど……。それに、前回の貴方は既にレーヴァに乗り込んでいる状態でありながら、感情の制御が出来ていなかった」
……。そういわれると……そうかもしれない。冷静に今になって考えてみると、あれは酷い暴れ方だった。思い切り楽しかった事は覚えているけど……でも、それだけだ。どうやって勝利したのかさえ、ボクの記憶は曖昧だ。
エアリオはずっと、そんなボクを何も言わずに守っていてくれたのだろうか? 心の制御も出来ず、暴れまくるレーヴァ……それを守る鎧は同時にボクを抑える拘束でもある。彼女は……ボクを必要以上に苦しめない為に、わざと弓矢しか使わせなかった。そして、今こうしてボクの反省に付き合ってくれている。
「……ごめん」
「別に、謝るような事じゃない。皆同じだから。わたしだって最初はそうだった」
「エアリオも? なんか……想像つかないな」
「それに……約束だから」
そう呟いた彼女の横顔はどこか寂しげだった。それ以上、その言葉の意味について言及出来なかったのは……単純に怖かったからかも知れない。彼女の中で、その言葉はとても大きい意味を持っている。ボクは……必要以上に彼女に踏み入る事を恐れている。そんな気がした……。
ボクらはそうして、一時間近く部屋の中でぼんやりしていた。考える事は色々あったけど……でも、不安はなかった。エアリオがずっとボクの手を握り締めていてくれたから。彼女の優しさも……言葉にしない、その心遣いも……。何故だろう、とても懐かしく感じる。彼女とは、つい最近までろくに親しくも無かったというのに。ならこの感情も……嘘偽りなのか? レーヴァテインの影響なのか?
目を瞑り、浅い眠りの中でボクは夢を見た。大樹の前、無数の槍で串刺しになったレーヴァテインが倒れていた。ボクは血まみれになったエアリオを抱きかかえ……白い砂の大地の上で泣いていた。ずっと泣いていた。エアリオは……血に染まった指でボクの頬を撫でる。とても懐かしくて……そして知っているはずのない誰かの記憶。最悪な夢……。醒めて欲しいと願うとそれは叶えられ、ボクの目の前にはエアリオの姿があった。
立ち上がり、頬に触れて気づく。涙の跡は……出来れば隠しておきたかった。エアリオは気づいただろうか? いや……気づいていてもきっと何も言わないだろう。彼女は必要以上にボクに関わらない。ボクを刺激しない。まるでボクの扱い方を知っているみたいだ。そんな所が……少し、“あいつ”に似てるかな……。
「とりあえず……出ようか」
「……うん。もう、暴れちゃだめだよ?」
無邪気に微笑むエアリオ。それが冗談だと気づく頃にはボクは普段通りの余裕を取り戻していた。長く広く暗い廊下は普段よりもボクの不安を煽り、掻き立てる。でもきっとボクは……乗り越えられると思う。これから暗いトンネルの中に進んでいくような道だったとしても……きっと。
レーヴァテインという存在と、その対価を受け入れなければボクはその力を扱う事が出来ない。選ばれた存在である為に……? ああ、そうさ。ボクは自分自身の為に耐えられる。ボクにはどうせ、守るべき物なんて何も無いのだから……。
「リイド……手、繋いでいく」
隣に立つエアリオは優しく微笑み、ボクに小さな手を差し伸べていた。少しだけボクは不意を打たれた。彼女の顔をまともに見れなかった理由……それは、あまり考えたくない。
「……そうだね」
ボクらの歩幅は違う。背の高さも違う。歩くペースも違う。何もかもが違いすぎる。他人同士が触れ合う事は冷静に考えると酷く滑稽で不思議な事で。きっといつも彼女がボクにあわせていてくれたのだろう歩幅を、ボクは少しだけ合わせる。それに気づいたエアリオは嬉しそうに笑って、それから恥ずかしそうに明後日の方を向いた。
何でそれだけでこんなに嬉しいんだろう? その疑問は頭からずっとずっと離れないで今も付きまとっているのに。ああ、このままずっと廊下が続けばいいのに……そう思ってしまった。けれど同時に、ボクは……独りでいいと。孤独でいい。誰かと分かり合うことなんて絶対に出来ない……そう囁いているもう一人の自分の声に、ボクはやるせない気持ちに陥った。
司令部の扉の前で流石に手を離し、中に入るとヴェクターとユカリさん……それにカイトとイリアまで待っていてくれた。駆け寄ってきたカイトはボクの肩を派手に叩き、それから軽く笑い飛ばす。
「よお、正気に戻ったかい?」
「……さっきは、その……ごめん」
「おぉ~!? リイドが素直に謝るなんてなあ」
「なんだよそれ……エアリオに続きあんたまで……。ボクだって悪いことは悪いっていうさ」
「そう怒るなよ。ほら、こっちこっち」
カイトは相変わらずだった。あんなことがあった後なのにサッパリしている彼の性格はこういう時とてもありがたい。全員が椅子に座るとエアリオはもういつも通りの表情に戻っていたのでボクもまた普段通りを装うことにした。
「大分落ち着いたようですね。ちなみに今後レーヴァに乗るたびにああなりますので憶えておいてください」
だろうとは思っていたけれどいざ告げられるとショックだったりする……。早く慣れて……エアリオに迷惑をかけないようにしないとな……。
「そんなに落ち込まないでも、反動はその戦闘中どれほどレーヴァとシンクロしたかによって変化しますからね。まあ早い話、頑張れば頑張るほどあとで辛いわけです」
「なんですかそれ……。理不尽ですよ」
「そういわれましても、カイト君もイリアさんも同じ事を何度も味わってきているわけですからねえ」
そう言われ、初めてレーヴァに乗った日のことを思い出した。あの時イカロスから降りてきたイリアは降りてくるなりボクにつっかかってきた挙句、泣きながらカイトに縋っていた。
その時はもう何かこの人はおかしい人なんじゃないかと思ったものだけど、翌日からごく普通だったのでそんなことはすっかり忘れてしまっていたのだが……。思えばあの時のイリアも恐らくは反動の影響を受け異常な状態だったのだろう。そう考えれば納得は行く。
「まあ、あなたたちが搭乗後どうなるのかも、その後の処置もみんなスタッフは知ってますから安心してください」
「ま、そういうことだ。色々とおあいこなんだから気にすんな」
「そうさせてもらいます」
馴れ馴れしく笑うカイトから視線を逸らして溜息をついた。全く、本当にろくでもないことだ。しかしそれでもレーヴァに乗りたいというボクの気持ちは揺らぐ事はなかった。
戦闘中はレーヴァに拡大された感覚と強大な力が痛快な感情を与えてくれる。エアリオの思考もボクにリンクされ、彼女を手足のように働かせる事が可能だ。逆に言えば彼女もそうなのだろう。適合者と干渉者はレーヴァによって一時的に同一の感覚を得る事になる。
レーヴァから降りた時妙に不安になるのはきっと自分がちっぽけな存在だと思い知らされるから。そして、妙に人恋しくなるのは、さっきまで確かに繋がっていた誰かの心と引き裂かれてしまうからなのか……。なんにせよこの現象から逃れる術がないのならば、今はただ我慢するしかないのだろう。
話は短く終わった。長話するにはボクもエアリオも疲れていたし、詳しい説明を求められるほどボクの口は軽くならなかった。結局ボクとエアリオを挟むようにして並んだカイト、イリアと一緒に帰ることになった。学校はまだ続いているはずの時間だったけれど、戻ろうなんて気にはちっともならない。俯くボクに声をかけてきたのは、意外な事にイリアだった。
「あんまり反動の事を気にしても仕方ないわよ? 確かに恥ずかしいけど、要は慣れなんだから」
気を使ってくれたのか、にやにやしながらの台詞である。くそ、むかつくはずのイリアの態度ですらなんだか優しく感じるのは反動のせいなのか……?
「ちなみに、イリアの反動っぷりはお前らを越えるぜ? いっつも泣き出して倉庫の隅に蹲るからな」
「そういえばイリアの反動ってやっぱりボクみたいな敵意なの?」
「いや、イリアは“憂鬱”だ。ちなみにこれ、人によって違うのね……で、激しく不安になって本人にはどうしようもなくなる。そして役得である俺に抱きついてくるという寸法……うごっ!!」
ボクとエアリオは同時にしゃがんだ。ボクらを挟んで反対側にいたカイトの顔面を蹴り飛ばすその足の軌道をボクもエアリオも予想していたのだ。カイトが倒れてもボクらは足を止めずに歩き続ける。しかしあの人いつも派手に蹴っ飛ばされてるけど、怪我しないのかな……。 ネクタイを締めなおしながら溜息をつくと、イリアは顔を赤くしてなにやらぶつぶつ言っていた。
「……イリア、はずかしがりや」
「うっさい!」
にやにや笑うエアリオに怒鳴りつけるイリア。この二人はいつも仲がいいのか悪いのかよくわからない。けれどまあ、こういうところだけ見ていれば仲のいい友人に見えない事も無いのだけれど。
「それであんたたち、学校に戻るつもり?」
「ボクはパスかな……。そういう気分でもなくなったし」
何となくエアリオといるのが気まずいのだ。それは目が覚めて翌日の朝になればすべてすっきり消え去ってしまいそうなほどの違和感だったが、これ以上拡大するとどうなるのかわからないわけで。結局皆は学校に戻るらしく、本社エレベータから出たところでボクらは別れた。
平日昼のプレートシティは何となく少しだけ静かな気がした。学生達はみんな学校、社会人は仕事中……。まるでボク以外のすべてがめまぐるしく動いているような……。逆に言えばボクだけ取り残されてしまったような感覚。果てしなく広がっている、ずっとずっと向こうまで続く雲の海を眺めながら歩く町。思い返すのはあの時のエアリオの姿ばかりだった。
奇妙な感覚だ。断言するがボクはあいつの存在をなんとも思っていない。事実上仕方がなく同居して仕方がなくパートナーをやっているだけの相手だ。そのはずなのに、自分の意思とは関係なく彼女の事を大切だと思ってしまうのは、何か勝手に自分を操作されているようで気に入らなかった。
気に入らないはずなのにそれをはっきりと気に入らないと言えず、それはそれで悪くないと思えてしまうのも、きっと反動の影響なのだろう。これから先何度もレーヴァに乗っていけばボクは元々のボクとは掛離れたものになってしまうのかもしれない。その不安は思ったよりも大きく、レーヴァに乗るという決意は揺るがないものの……若干の不安要素として胸にしこりを残した。
「でもそんなの……些細な事か」
どうなろうとボクはボクだ。それにたった一時間程度の出来事じゃないか。人が変わるなんてありえない。そう自分に言い聞かせ、帰路を歩いた。
レーヴァテインに乗り続ける事だけが、ボクの世界を変える手段なんだ。それ以外にボクの人生に価値なんて何もないんだ……。掌を見つめ、それを強く握り締める。風が吹き抜け、思い出したくも無い記憶を耳元で囁いていく。
泣きながら叫ぶボクの頭を撫で、“あいつ”はいつも通り眉一つ動かさずボクを置いて出て行った。あいつはボクを捨てたんだ。無価値なボクを……。でも、ボクは価値を手に入れた。特別である事を手に入れた。もう……不必要な存在なんかじゃない。もう……あいつの影に怯える必要なんか無いんだ。
「……ボクはボクだ。そうだろ……スヴィア――」
空を見上げ、呟いた名前。もう二度と逢う事は無いと思っていた、“あいつ”の名前。それは風に攫われ、かき消される。そのままどこかへ運んで行って、忘れさせてくれればいいのに……。そんな馬鹿げた事を本気で考える自分に、酷く嫌気が差していた――。
暁よ、覚めないで(1)
「どうも~、こんにちは~っ! ジェネシスから、お見舞いに来ました~!」
明るく声を上げ、オリカ・スティングレイはその病室の扉を開け放った。個室の奥、ベッドの上に腰掛けていた少女は突然の来訪者に驚き、びくりと背筋を震わせた。
「だ……誰ですか!?」
「私はオリカ・スティングレイ……さっきも言ったけど、ジェネシスの社員だよ。あ、これお花とそれからフルーツの詰め合わせ……っと、この辺に勝手においていいかな?」
ずけずけと病室に入り、初対面だというのに懐っこい笑顔を浮かべるオリカ。その顔をしっかりと確かめる為、燃える炎のような紅い髪を長く伸ばした少女は枕元においてあった眼鏡を取り、そのレンズ越しにオリカを見やった。
スーツ姿に派手なネクタイ……。頭の上には不思議なデザインの帽子が乗っかっている。問題なのは彼女がどう見ても子供にしか見えず、ジェネシス社員というのは嘘っぽく聞こえてしまう事だ。オリカは確かに大人びた雰囲気を持つ少女だったが、あくまでも少女である事に変わりない。
しかし、彼女の胸元にあるネームプレートは確かにジェネシス社員のものである。少女は訝しげにそれを凝視し、それから勝手に花瓶に花を活けているオリカの顔を見やった。
「えっと……オリカさん? もしかして……姉さんのお知り合いですか?」
「うーん? お知り合いではないね、私が一方的に知っているだけ。イリア・アークライト……レーヴァテイン=イカロスの干渉者。パイロットは貴重だからね、大体護衛がついてるんだよ」
「それが……貴方、ですか?」
「うんにゃ、私の担当は……まあそれは良いとして! ジェネシスは大切なパイロットの家族のサポートもしてるわけですよ~。あ、メロン食べる?」
「包丁ありませんけど」
「私コンバットナイフ常備してるからオッケーだよ~」
何がオッケーなのかわからなかったが、オリカは返事も聞かずに大きめのナイフでズバズバとメロンを切り裂いていた。鮮やかな手つきに若干恐怖を覚えつつ、少女は改めてオリカを見つめた。
「姉さんは……今、どうですか?」
「お見舞いに来てるでしょ、毎日」
「でも……本当の事はいつも話してくれませんから。お荷物なんです……私」
「……自分の事が嫌いなんだね」
オリカはそう呟き、そして切り分けたメロンにフォークを指して一切れ差し出した。その優しく、影を帯びた眼差しは同性である少女でさえドキリとしてしまうほど魅力的だった。オリカはずいっと顔を寄せ、微笑んでメロンを口に放り込んだ。
「イリアちゃんは、君を守りたいだけだと思うけどなぁ? ねえ――アイリス・アークライトちゃん?」
イリアに良く似た眼鏡をかけた少女……。アイリスはその言葉に作り笑いを浮かべる。オリカは身を引くともう一口メロンを頬張り、そのまろやかな甘さに目を輝かせるのであった――。