嘘、囁いて(2)
エアリオとの奇妙な生活が始まって数日が経過し、こうして朝一緒に家を出るのにも特に違和感を覚えなくなった頃――。81番プレートへ向かうエレベータに乗り込み、シティを横切り坂道を登って第三共同学園へボクらは肩を並べて歩いていた。隣でカバンを片手に欠伸をしているエアリオはやはりまだ眠いのか、目をごしごし手で擦っている。
毎日毎日同じ事を繰り返していれば、エアリオのこのゆるい性格にも慣れてくると言うもの……。まあ、こいつは眠たそうでもしょうがないよなあ。朝の準備は全部ボクが早起きしてやってるんだもんなあ。お前はさっき起きたばっかりだもんなあ……。苦笑を浮かべ、俯きながら歩くボク。そんなボクにエアリオは唐突に言った。
「今日の昼食は、カイトたちと同席する……」
「え……? ……何で?」
こう言うのもあれだけど、別にあっちはあっちで勝手にやればいいような気がするのはボクだけだろうか? 無意味な争いも避けられるし……。イカロスにタイプを切り替えるためにイリアが搭乗する必要があるのは知ってるけど、その場合はカイトがボクの代わりの乗ればいいだけの話だ。カイトもイリアも、決してボクが得意なタイプの人間とは言えない。顔を合わせないで済むのならばそれに越した事はないんだけど……。
「理由等はその時に説明する……。とにかく昼は予定を空けておいてほしい……」
余程眠いのだろう……。一生懸命に目をごしごししながらボソボソ喋っている。視線は全くボクに向けられていない。まさに有無を言わさぬというか……何と言うか……。
エアリオの朝の弱さが異常なのは知っていたけれど、何と言うか……。こうあからさまに会話をめんどくさがられるとちょっと腹が立つな……。それを今言っても仕方がないので文句はぐっと飲み込んで歩き続ける。何度もどっかへ行ってしまいそうになるエアリオを誘導しながら……ね。
実に疑問なのは今までどうやってエアリオが一人で学園に通っていたのか、ということだ。ボクが目を離すとあらぬ方向にふらふらいってしまいそうになるこの小柄な女の子の登校はもう既にちょっとした冒険劇にすら見える。つーか……おかしくない? 以前エアリオと朝会った時はここまでボケてなかったと思うんだけどな。
一応、静かで……美少女で……。うーん、そんな設定があった気がしないでもない。でも実際今こいつはだらだらしているわけで……。もしかして、ボクの存在がエアリオを甘やかしすぎているのだろうか? そうなのか? どうなんだ?
「ん? あれってイリア?」
学園の門を潜り教室へ向かおうと廊下を歩いていた時だった。屋上へ向かう階段の踊り場でイリアが複数の生徒と言い争っている姿を目撃した。目撃したからどうというわけでもないしイリアたちが何を言い争っているのかもボクには聴こえなかったし興味もないのだけれど……。全く、誰にでもケンカを売るのだろうか。“狂犬”、なんてアダ名が脳裏を過ぎり笑いを誘う。狂犬イリア……。お似合いすぎだろ。
「……ねむい」
振り返るとエアリオがまだうとうとした様子で目を擦っていた。こいつ……どんだけマイペースなんだよ……。
「わかったからお前はもう行っていいよ……。すぐそこだろ?」
「んう……。それじゃあ……ばいばい、リイド……」
あいつはどこに向かって手を振っているんだろうか――。窓に向かってお別れを言うと廊下をフラフラと歩いていった。ボクの名前はリイド・レンブラム……。人間です。ちなみにエアリオとボクのクラスはてんで違う。そこも一緒に……とエアリオは言っていたが、ジェネシスの権力ならそのうち本当に一緒になりそうで怖い。
ふと踊り場の方に目を向けるとイリアはまだ何やら言い争っていた。大人数相手でも全く凶暴性を失っていないあたりはある意味あの人の美徳なのかもしれない。しかしボクとしてはこの間顔をぶったたかれた事をまだ根に持ってるわけでして……。常に自分にケンカ腰な人間を好きになれというのも無理難題だし。
「……無視しよ」
エアリオほどではないとは言えボクだって毎朝朝食を作るために早起きしているんだ、眠いに決まっている。イリアが何をしているのかなんてボクにはなんら関係のない話だ。だからそこを素通りして教室に入り込むのに、なんら迷いはなかったのだが……。
偽、囁いて(2)
授業中は思いっきり眠ってしまい内容は殆ど覚えていない為……割愛……。時はあっと言う間に昼休み、既に恒例となった光景が繰り広げられる。
「急いで」
と、早足で教室に入り込んできた最早お馴染みのエアリオのお迎えに始まり、彼女に手を引かれカフェに向かうまでもう完全にパターンとして固定化してしまった。カフェで席を取るのがボクの役目で、エアリオは料理を買ってくる役目。これも適合者と干渉者のコンビネーションがものをいうのであれば、できればボクが望んでいる装備を具現化ほしい。
毎度毎度のBLTバーガーだが慣れとは恐ろしいもので数日もそれが続くと特に文句も沸いてこなくなってしまった。アップルジュースを飲みながらハンバーガーを齧り続けるエアリオの食事は非常に静かだ。こっちが話しかけない限りエアリオは食事を中断しない。しかしこの子に対しどんな言葉をかければいいのか未だにさっぱりなボクもまた声はかけないわけで……。うん、完全に無言の食事風景である。団欒団欒……。
「よお! お前らなんか知らないが妙にいっつも早ぇえな」
明るい声に顔を上げると、予想通りの顔ぶれがそこには並んでいた。カイト、そしてイリアの二名である……。いつも早いというか、まあそれはエアリオがご飯食べるのにいっつも全力ダッシュだからなんだけど……。あの、お昼時ここに走ってくる時のエアリオの俊敏さったらないよ。普段からその身のこなしを発揮してくれよ、頼むから……。
このお通夜のような食事を打開してくれるのならカイトの乱入はこっちとしては大歓迎なんだけど……。ちらりと視線を上げると、そこには片手を腰に当てて浮かない表情のイリアの姿があった。この毎度毎度ボクと目すらあわせようとしないイリアの存在が手放しにカイトの登場を喜べない原因になっていた。なにせ二人はいつもセットで登場する……。カイトがいるということは、イリアがいるという事なわけで……。
とりあえず席につくがエアリオは無言で食べ続けているしイリアは今日は大人しいけれど随分沈んでいるしでカイトも苦笑している。これは……なんて緊張感のある食事風景なんだろうか。ていうかなんでボクがこいつらの所為で緊迫しなきゃいけないんだ? ボク何もしてねえだろ……。不幸だ……。
「えーと? 先輩、あれ……どうしたんですか?」
隣の席になったカイトに顔を寄せ、耳打ちして尋ねてみる。いつも血気盛んな“狂犬”さんがこんなに大人しいというのはどういう事なのだろうか……と思ったのだが、カイトは質問に答えようとはせず努めて明るく話題を切り替えた。
「ああ〜……。いや、まあちょっとな……。それよりだ! 今日は今後出動になった場合の事を話しておこうぜ!」
はぐらかされたのは納得行かないが……冷静に考えてみればボクには関係の無い話だ。イリアがどうであろうと、カイトがどうであろうと、エアリオがどうであろうと……。必要なのは仕事の話、それに違いは無い。あえてまぜっかえす事はせず、大人しく話の流れに従う事にした。
「出撃になったらヴェクターから連絡が入るんですよね? 確か、その時の敵に応じてボクか先輩たちに」
敵の出現が認識された瞬間、避難警報が流れる。それと同時に一般人は避難、ボクらはジェネシス本部直通エレベータを使って移動する。後は本部でレーヴァに乗り込んでカタパルトエレベータで出撃――と、そういう流れになるというのはヴェクターにもう聞いているんだけど。
「まだ何か決めておく事ってあるんですか?」
「いやそれが……。申し訳ないんだけどな、リイド」
「はい?」
「オレはしばらく出撃出来ないんだ。色々と身体に問題があってな。二ヶ月くらいはお前に完全に任せる事になると思う」
「――へっ?」
それは初耳だった。というかこの間の出撃で怪我でもしたんだろうか? クレイオスに腕をひきちぎられたのが何か関係しているのか……? しかし何はともあれ今重要なのは当分カイトが出撃できないという事だ。つまりそれは、それは、ああ――なんてことだろう……。
「つまりボクはイリアとしばらく一緒に出撃しなきゃいけない可能性があるんですね……」
額に手を当て思いっきり溜息をつくと、静かだったイリアも流石に機敏に反応を見せた。机を叩いて立ち上がり、エアリオが倒れかけたドリンクのカップを俊敏に持ち直す。
「……ちょっと新入り、何で嫌そうなのよ!? それになんでカイトは“先輩”であたしは呼び捨てなわけ!?」
「ボクだって敬語を使うのは目上の人間に……って事くらい理解してますよ。人に一々ワケも無く突っかかったり殴ったりする人なんかどう考えても低脳ですから……。敬語とかそれ以前の問題でしょ」
「何ですってぇええ〜〜っ!? あのねえ、言わせて貰うけどこっちだってあんたの為に装甲展開してやるなんてお断りよ! あんたなんてフォゾン波動の速射を受けてミンチになればいいのよ!」
「馬鹿なんじゃないか? そうなったらあんたもミンチだろうが……一緒に乗ってるんだから。これだから低脳は嫌になるんだよ……」
睨み合いが続く……。流石に殴り合いにまで発展することは無かったが、完全にボクらの仲はこじれてしまっていると見て間違いないだろう。ああ、こんなやつを後ろに乗せて戦う可能性なんて考えるだけで眩暈がしそうだ。こんなの乗せてたらカイトが落とされたのも納得だよ。どうせ後ろでいつものようにやかましくあれこれ文句垂れていたに違いない……と、考え事をしているとカイトが立ち上がり、僕らの肩を同時に叩いて笑った。
「お前ら仲いいなあ。そんなに息ピッタリなら特に打ち合わせも必要ないか?」
「「 誰がっ!? 」」
二人の声が重なった。イリアはばつの悪そうな顔をしてドリンクを一気に飲み干している。多分ボクも似たような顔をしているのだろう。くそ、何から何まで忌々しい……。
「はははは! ホント仲いいな! ま、ともかくそういうわけで……しばらくはリイドに操縦全般は任せる事になる。俺も早めに戻るつもりだけど、それまでの間レーヴァとヴァルハラはお前の腕にかかってるんだぜ?」
と、ニヤリと笑って肩を叩くカイト。まあ……そういうシチュエーションは嫌いじゃない。いや、むしろボク以外にも適合者がいなければ丁度いいくらいだ。レーヴァを動かせるのはボク一人で十分だし。イリアのこともあるしカイトはいてくれていいとは思うけど――カイトが不在というのはそれほど嫌う状況ではないな。戦略的には大きい欠陥だとは判っているけど、その方が自分が“特別”だと強く実感できるから。
「そんなわけで今後はイリアとリイドは極力仲良くするように心がけてくれ。お前らの仲が悪いとレーヴァの性能が低下しちまうからな」
「はあ……。どうしてこんなことになるんですか……」
「カイトがそういうなら仕方ないけど、仕事以上の付き合いをするつもりはないから。あくまで仕事上のパートナーだからね!」
「言われなくてもわかってますよ……。そっちこそ友達か何かと勘違いしないでくださいよ」
「よし、それじゃあまずは握手だな! とりあえずコンビ成立だっ! はい、スマイルスマイル!」
カイトに強引に手を引かれボクらは握手を交わした。無論、二人ともむすっとした表情のままの形式上の握手だったけれど。何となくエアリオの手に触れた時の事を思い出した。あの時は……こんな気持ちだっただろうか。
しかしイリアがあっさりカイトの提案を引き受けたのは驚きだった。多分イリアはカイトの言葉にかなりの信頼を置いているのだろう。出なければこうも丸く収まるワケがない。ボクが何をやっても反発するくせにカイトの言葉には従うとは……。なんだか腑に落ちない。そして結局エアリオは一部始終を見ながらハンバーガーをかじっていただけで、会話に参加する事はなかった。
「はむはむ……」
ちらっとエアリオを見やると、彼女は小首をかしげてボクを見つめ返す。私には関係ありませんってか……。まあ、確かに関係ないんだけどね……。ええ……。
かくしてコンビが半ば強引に結成されてしまった事もあり、放課後は四人でジェネシスに向かい訓練を行う事になった。レーヴァを動かすのに訓練が必要なのかどうかはわからないが、とりあえずイリアとカイトのご機嫌を取っておくのは悪い事ではないだろう。特にイリアは……。いざ実戦になってイリアが言う事を聞いてくれないなんてことになったらボクの命に関わってくるわけだし……。こんな心配ボクがしなきゃいけない時点で何かおかしい気もするけど。
放課後になるとようやくエンジンがかかってくるのか、お目目をパッチリさせているエアリオを先頭に直通エレベータに乗り込み、ジェネシス本部へ移動する。ジェネシス本部は相変わらずわけのわからない入り組んだ構造で、全体の把握は出来ていなかったけれどどうやら専用の訓練室のようなものが用意されていたらしい。広いスペースに椅子やテーブル、備えつきの自動販売機――これはIDカードで買える――や、何やらすごい機械、道場の畳等等……。流石、レーヴァのパイロットのために用意されている施設……。納得の充実感だ。
「さーてと、荷物はその辺に置いておきなさい。ここがあたしたちに開放されている訓練施設よ。大抵のことはここで訓練可能だわ」
「訓練って、レーヴァはイメージで操るんじゃないんですか?」
「あんた、頭いいんじゃなかったの? 一々そんなことから説明してやるのも面倒だから省くけど、あたしと一緒にイカロスに乗るつもりがあるのならここであたしと格闘訓練を行ってもらうわ」
と、わけのわからない事を一方的に言い切ると自分はストレッチを開始している。よく伸びる、曲がる、身体はとても柔らかいようだ。言葉にならない表情を浮かべるボクを横目にイリアは拳を軽く鳴らし、不敵に微笑む。
「内容は基礎体力向上の為に通常の筋力トレーニングに始まり、カイトやあたしとの対人組み手などなど――やる事は山積みよ」
「ちょっと待ってくれ、なんで基礎体力の向上が必要なんだよ?」
「だから、自分で考えなさいよそれくらい……。それじゃカイト、そこのバカはほっといて付き合ってくれる?」
「はいはい……っと。じゃあリイド、少し施設内を歩き回って見るといいぞ。何があるのかわからないと訓練しようがないしな」
二人は上着を脱いでさっさと歩いていく。しかしいきなり歩き回ってみろと言われても、何をすればいいのやら……。とりあえず椅子に座って鞄を置く。エアリオは暢気に座ってお茶を飲んでいる。こいつはいつもこんな調子なんだろう。“努力”という言葉からは遠い場所で生きている気がする……。
さて、訓練をする意義について考えてみる。レーヴァはイメージで操作するものであるのは最早言うまでもないわけで……。格闘訓練などしたところで向上するのは自身の体力と運動能力であって、イメージ力が強くなるわけではない――と、そこではっと気づいた。
「あ」
ここまで考えてようやく思い当たった事実……。あまりに当然過ぎる事だったため見落としていたのかもしれない。そうして畳の上に目を向け、ボクは我が目を疑った。何がどうなったのか知らないが、カイトとイリアが殴り合っていたのである。厳密には蹴り、投げ技などもある以上殴り合いというわけではなく立派な格闘術なのだろうが、生身の二人がそんな事をし始めた事に分かっていても驚愕を覚える。
その理屈は簡単だ。人は“分相応なイメージ”しか持ち得ない、というごくごく単純で当たり前の理屈である。人が空を飛ぶ感覚を知らないのは、実際に人が空を飛んだことがないからだ。経験は常に想像を凌駕し、具体性のあるイメージを人間に与える。例えば射撃訓練を積んだ人間とそうでない人間がレーヴァでライフルを発砲するとしよう。その場合、実際に銃に触れたこともない人間がいくらイメージしようがそれは具体性を伴わない空想に過ぎない。
しかし、実際に射撃訓練を積みライフルについて己の感覚と経験で理解しているとなれば、そこから生み出される“ライフルを撃ち、着弾させる”という空想はより具体性を帯び、その効果はレーヴァの行動にダイレクトな反応を示すだろう。何も知らずすべてを行う事が不可能であるように、人間は己の経験を以ってして想像と成す……。訓練を積んだ、という事実現象は適合者にとって確かな自信となり、自信はイメージの具体性だけではなくそれを実現可能だと本人にポジティブな影響を与えるはずだ。
つまりそういう事……。イメージで動かすレーヴァといえども訓練はしておいたほうがいい、という結論に至る。ボクは現状でも特に操作に困らなかったけどそれはあのたった一度きりの出撃に関しての話だ。ボクとエアリオの“マルドゥーク”との戦闘スタイルの相性がよかっただけ、という可能性も十分考えられる。
まあ努力をせずともボクは自分自身が十分なイメージと自信を持っていると自負しているけれど、それとこれとは別の話だ。より上を目指せるのなら努力を惜しむ必要性は感じないし、何より好きでレーヴァに乗るのだから今より上手く扱いたいと考えないほうがおかしいだろう。
「よし……先輩、イリア! ボクも混ぜてください!」
「んふふふふ……っ! そう来なくっちゃね……。いいわよ、パートナーとして相手をしてあげるわ」
「おいおい……、リイド、オレはどうなっても知らないぞー」
二人は組み手を中断し、カイトは畳を降りた。代わりにボクは……これ靴を脱ぐものなんだ……畳の上に立つ。イリアは手足を軽く振って体を解しながら馴れた態度で拳を構える。余裕とも取れるその仕草が少々癇に障った。
「ま、実力を見てあげるわ。本気でかかって来ていいわよ?」
「……本気で?」
と、言われても男が女の子相手に全力で殴りかかる、というのもなんというか気が引ける。イリアは結構小柄な方だし、相手は制服のまま……つまりミニスカートのままだ。思いっきりスカートが捲れる蹴り技はしてこない気がする。
これでも一応文武両道だ。運動神経だって悪いわけじゃない。体育の成績はそれなりにいいし――無論個人競技では、だけど。ケンカなんてしたこともないけど、この間殴られた借りもある。一発ぐらいぶん殴ってやるくらいで丁度いいのかもしれない。首のネクタイを緩め、手足を軽く振りながら自分に言い聞かせた。
「それじゃ、行きますよ」
「どうぞどこからでも。社員としても人間としても先輩だって事を教えてあげるわ」
「……。では遠慮なくっ!!」
しっかりと足に力を入れ踏み込み、一気に駆け出した。相手の実力が分からない以上、至近距離までは出来る限り近づきたくない。ここは蹴りから入って様子を見よう。蹴りだったら顔面直撃とかにはならないだろうし、向こうも顔に傷が残るとかは――――!?
「――へっ?」
突然、目の前に天井があった。何故……? 色々考えてみるが……思考は長続きしなかった。次の瞬間には上下が反転している。胸部に激しい痛み、そして気づけば頭を激しく打ち付けて床に転がっていた。
「――――っつううう……っ!?」
何をされたのかさっぱりわからない。視界はグラついているし、自分がどの辺りに倒れているのかもわからない。確かに蹴りを繰り出したところまでは覚えている……。顔はヤバイから胴体を……そう思って攻撃して……それから記憶がない。
「リイド、生きてるか~?」
「……カイト?」
顔を上げると辛うじてそこにいるのが誰なのか判別できた。手を借りて立ち上がるが、相変わらず呼吸は苦しいままだ。なんか妙な汗をびっしょりかいている……。足取りもおぼつかないし……。
「ええと……何が起きたんですか……?」
「お前が蹴りに行った瞬間、あいつは屈んでお前の軸足を蹴っ飛ばし派手に横転させて、更に立ち上がると同時に膝でお前を蹴り上げて、あとは胸部に肘打ちだ。思いっきり吹っ飛ばされたってこと」
おいおい……。そんなゲームみたいなこと人間に出来てたまるか……! と言いたいところだけれど、実際に言われた場所が痛い辺り本当にそれを喰らったんだろう。意識が若干混濁するぐらいの威力はあったってことだ。まさかの開幕コンボ……。自重してくれ……。
「仲間に打ち込む威力じゃないですよ……! いってぇ……!」
「あら、ごめんなさい? 天才適合者君だったらあれくらいなんてことないと思ったんだけどね~」
やられる方が悪いんでしょ? とでも言いたげに優雅に髪を掻きあげるイリア。どう考えてもケンカを売られている……。手が早い性格だとは思っていたけれどこれは……いくらなんでも酷い。痛みが引くのと対照的に怒りはふつふつと昇ってくる……。そんな時だった。
「それで、見えたか?」
「何がですか?」
「イリアのパンツだ」
「――はっ?」
カイトは何故か真顔でそんな質問をしてきた。前からバカだとは思ってたけどいよいよ頭大丈夫かこいつ……。
「だから、イリアのパンツだよ。見えたのか? 見えなかったのか?」
「いや……? ええと……」
蹴られたという事実すら全く理解出来ないスピードだった。無論イリアのパンツなんて眺めている暇は一瞬たりともなかった。腕を組み、パンツの事を思い返してみる。やはりまったく記憶にない。一人で頷いて納得した。
「いえ……全く見えませんでした。ちなみに何パンツなんですか?」
「今日のイリアは縞パンだ。ちなみにこれは重要な事だぞリイド」
「縞パンて……十五歳で……?」
「……それについてはノーコメントで……。まあ大事なのはそこじゃない、いいか?」
つまり、イリアは大股開いてボクを蹴り上げたんだ。それなのにパンツが見えてなかったって事は、つまりそれだけボクとイリアの間には大きな動きの差、実力差があるという事だ。そしてそれが見えているということはカイトは口惜しいけれどボクより何倍もイリアの動きが見えている。
これはちょっと由々しき事態だ。冷静に考えてみると、イリアの格闘のイメージにボクのイメージが追いつけない可能性がある……という事を示唆している。そうなればレーヴァの操作時、ボクとイリアとの間にある動作の誤差が強まるかもしれない。
「イリアのパンツが見えるようになったらお前も一人前だ。あいつは蹴り技と投げ技がメインなんだが、全くスパッツやズボンというものを穿く気配が無い。何故かは永遠の謎だ。まあ学校帰りなんだから当然かもしれないがな」
「――――つまりイリアは意図的にパンツを見せてボクの能力向上を促していると……?」
「ちなみにオレもイリアに比べるとてんでダメだ。一応うちのパイロットたちで最強はイリア、次点がオレでエアリオがそれに続く。お前はビリッケツだな、リイド」
体格的に優れているカイトが生身でも動けるのは兎も角、イリアはもう人間離れしているとしか思えない……。しかしエアリオ以下ってのはマジなんだろうか? まあボクは恐らくエアリオが本気で何かしているところをまだ一度たりとも目撃していないんだろうけど……ショックだ。
「ってことは、イリアのパンツを見た事が無いのはボクだけ……ということか」
「そうだ。武術の心得はパンツに始まりパンツに終わる……」
「そんな名言が……」
「ああ、俺が今作った」
なんかほざいてるが、負けっぱなしはとにかく口惜しい。一刻も早くイリアやカイトの実力に追いつかないと……と、考えていると何故かイリアが恐ろしい表情でボクらの前に立っていて、次の瞬間にはカイトの顔面に踵がめり込んでいた。そしてさっきからパンツのことを意識していたボクははっきりとスカートの中を目撃する事に成功した。
「見えた! イリアのパン――ぐはっ!?」
何故か殴られた。聞いていた情報と違うじゃないか、先輩……。ってか、すげえ口から血とか出てるんですけど……!?
「あんたらねぇ……! 人のパンツがどうのこうのって……よくもまあ本人を目の前にして言えるわねえっ!!」
「え……?」
何言ってるんだこの人は? 訓練の一環として取り入れてるんじゃないのか? 口元を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。そうしてボクは言った。
「だって、イリアはパンツ見てもらいたいんじゃなかったの?」
「――――そんなわけが……ないだろがぁああああああああああああああッ!!!!」
「ちょ、ちょっとまっ――うわああああああっ!?」
襟首を捕まえ、投げ飛ばされ……。エアリオが暢気にこっちを見ていたテーブル群に頭から突っ込んだ。エアリオはささっと素早い身のこなしでボクを回避すると、何事も無かったかのようにお茶を飲んでいる。成る程……エアリオはやっぱり、本気を出せば俊敏なんだな……。猫みたいだ。
もう何がなんだかわけがわからない……。だってそうじゃないか。見られたくないのになんでスカートで蹴り技使うんだよ――。もしかして、イリアってバカなのか? それとも大バカなのか? ああもう、きっとそうに違いないそうとしか思えないそれしか在り得ない……。
「……大丈夫?」
地べたに転がるボクに射した影。銀色の髪が揺れて、金色の瞳がボクを見下ろしていた。ぺたぺたとボクの頬に触れるエアリオの手は冷たくて気持ちよかった。
「まあ……ご覧の通りだけど……。でも、余計にイリアと上手くやっていく自信が無くなったよ……てかムリ、絶対ムリ!!」
「そう……? 傍から見ている分には楽しそうだけど……」
それは傍から見ている分には、だろ……。結局その後二時間近く恐ろしい格闘訓練は続いた。格闘訓練というよりは一方的にボクとカイトが叩きのめされるだけの罰ゲーム状態だったけれど。額から血は出るわカイトは顔面を見事に蹴られたせいで鼻から血が出っぱなしだわでとんでもないことになった。
訓練施設そのものの場所が結局よくわからなかったので、訪れるには結局エアリオの手を借りることになりそうだ。それにしてもボクの格闘能力がエアリオにすら劣っているというのはちょっと心外だ。実際に手合わせすることは今日は無かったが、それでもカイト、イリア共に同意見だった。まあ何となく……あの昼時のダッシュとさっきのお茶を一滴も溢さない緊急回避を見たらわかるけどね……。
「ま、あんたは今まで本当にズブの素人だったんだから仕方ないんじゃない? 選ばれた精鋭であるレーヴァの適合者になれただけでも上出来なのよ」
なんて腕を組んでイリアは偉そうに高説ぶっていたけれど、訓練よりもやっぱり実戦で結果が残せるかどうか……それが問題だろ。ボクが生身でイリアに敵わないのと、レーヴァに乗って神を倒すのとじゃ全然全く何一つその結果に関係なんかない。全く、女なら少しは女らしく大人しくしていればいいのに……。まあ、エアリオほどまでいくとちょっとアレなんだけど。
何はともあれ、今後は出来る限り放課後の訓練に付き合うように、との事で……。別段放課後は家に帰って暇しているだけのボクとしてそれは困る要求ではない。二時間以上いきなりぶっ続けであんなハードな訓練をしたものだから翌日の朝はいきなり筋肉痛だらけだったわけだが。額に出来た傷はもう大体ふさがっていたけれど、一応念のため包帯を巻いていった方がいいだろう。
エアリオを起こして登校するというもう慣れてしまった日常の一部に従事し、学園へ向かう。相変わらず眠たげに欠伸をしているエアリオとその隣を愕然としながら歩くボク。慣れって……ホント怖いな……。
そんな朝の当たり前の風景の中、ボクらは学園に到着した。そこでボクらは前回とまったく同じモーションで校舎に入り……まったく同じ状況に対面する事になる。それがその後、あんな事につながるとはその時は思っても見なかったのだけれど――。