序
何度も、繰り返し見る夢があった。それはとても懐かしくて、記憶の中に無いはずの夢……。暗く、何もかもを埋め尽くすような闇の中、確かに輝いていた誰かの物語……。
「この世界の中で――生きていくのね。また、同じ事を繰り返しながら……」
“彼女”はそう呟き、静かに闇の中で息を潜める。見下ろすその闇の中にぽっかりと浮かんだ蒼い星……。それをまるで両手に収めようとするかのように、“ボク”は両手を伸ばす。左右の掌の真ん中、浮かんだその蒼い星を見つめ、“彼”は何を想っただろうか。
それは、遠い遠い場所での物語り。ボクが知るはずの無い、誰かの夢の物語……。黒い、巨大な影はゆっくりと翼を広げ、そして星へと落ちていく。背にするのは小さな衛星……。いくつかの瞬く光が星明りのように輝いて、巨人はその瞳を輝かせ……堕ちて行く。
翼で己の身を守るように、そして翼で全てを包み込むかのように……。大気を超え、光を超え……やがて堕ちているのか昇っているのか分からなくなるくらい加速して、そうして彼は母なる星を見つめた。その瞳に映りこむ蒼、果てしなく続く大地……世界という二文字に表現されてしまう景色、その全てを素晴らしいと感じた。
「例え同じ事の繰り返しだったとしても……きっと、意味はあるさ。そうだろう……オリカ」
“ボク”の呟きに“彼女”は答えなかった。この世界に舞い降りた黒き天使は翼を広げ、静かに佇む。放つ虹の輝きは眩く、その暖かな光に飲み込まれ……ボクの意識はどこかへ遠ざかっていく。それが……いつも見る、“彼”の夢の終わりの合図だった――。
ボクは覚えていない。見渡す限りの花畑、どこまでも広がる幻想的な景色……。目に映る物全てが蒼と白に彩られ、何もかもがやわらかく、涼しく爽やかだった。
耳に聞こえるのは誰かが演奏しているヴァイオリンの音。眠気を誘い、少しだけ気だるさを齎す。何もかも、全身から力を抜いて眠りについてしまいたい――。そう、瞼を閉ざしてしまう程に……。
得られる物全てや、失くした物全てに、ボクは何かを返す事が出来るのだろうか……?
白い、白い景色。何もかもが美しく、儚く、雄大で、全てが、ボクのためにあるような。ああ、だったらまるでここはボクという一つの世界のようだ。何もかもがボクの指先、爪先、あるいは頭の天辺から繋がっているボクという感覚の延長――。
全てのものは愛すべき己であり、憎むべき己だった。今はもう全て遠い出来事のようだ。何もかもが遅く、しかしそれでも構わない。気づけた時、世界は開ける。それがどんなに暗く寒く血に塗れた場所だったとしても……。それを教えてもらえたボクは、それを知ることが出来たボクは……やはり幸せなんだろう。
――ああ、何もかもが見えない。
――世界は真っ白になったのか……?
遠く、歯車の音が聞こえる――。それが確かに世界の全てを刻む音。純白の世界の中、彼女は立っていた。
「星の数よりも尚多く、世界は同時に存在している。例えば平和な世界……。滅ぶ世界。それらは当然可能性の一つに過ぎない。故に当たり前のように、そこにある」
山のように詰まれたテレビの中、沢山の世界の映像が映し出されては消えていく。空には巨大な歯車……何もない純白の空間の中、時と鼓動を刻んでいく。
「一つの世界なんて些細な事だよ。それに、もっとひどい世界だってある。救いがあるかどうかなんてわからない。それでもね、君はここに来た」
まるで一気に、数え切れない映像を見せ付けられているかのような気分だった。頭の中に直接浮かんでくる様々なイメージ、想い……。フラッシュバックする記憶。夢の中のはずなのに、まるで全部経験した事があるような気がした。
頭を抱え、苦しみに悶えながらもボクは顔を上げた。彼女は微動だにせず、静かにそこに立っている。立って……そうしてボクを見下ろしている。まるで虫けらでも見るかのように、無感情な瞳で……。
ボクは手に握り締めた拳銃を見つめる。それは人を殺す為の道具……。誰かを傷つけ、悲しみを紡ぐ為の道具だ。こんなものがほしかったわけじゃない。それはわかってる。でも……ボクは銃口を彼女へ向ける。
撃てるのか――? 心の中でもう一人の自分が囁いた。答えは出ない。撃てるかどうか……それはきっとボクの心次第なのだ。何も背負いたくない弱虫なボクは、この引き金を引く事で背負う“重さ”に怯えていた。そんな時……ボクの隣、誰かが共に立ち、銃を握るボクの手に自らの手を添えてくれた。
何故、そうなってしまったのかは分からない。でも所詮夢なんてそんなもんだろう? その隣に居る誰かが……誰なのかさえもわからないくせに。不思議と心の底から安心して……背負える気がしたんだ。何だって……どんなものだって。これから、何度同じ苦しみを味わう事になるとしたって……。
引き金を引いた時……ボクの意識は夢の中から弾き飛ばされる。だから結局、その後どうなるのかなんて事は分からない。でも、分からないからこそ……ボクは何度も夢を見るのかもしれない。その続きが気になって仕方がないと、心が叫んでいるのかもしれない。確かにそれもそうだ。中途半端な所で終わってしまった物語ほど、無意味なものもないだろう。
だからそう。ならば……こう。ボクはまた同じ夢を見る。繰り返し繰り返し……。今度はその銃弾の行方を――きちんとこの眼で、見届ける事が出来ると信じて――。
そう、毎日は同じような事の繰り返しだ……。いつも見る夢も、いつも歩く通学路も、毎日毎日繰り返しているありとあらゆる物……。だから何だと思う。別に、どうだっていい。繰り返す事にきっと意味なんかない。だからボクは――当たり前のようにそれを受け入れる。
太陽に手を翳す。眩しさの中、ボクはふと足を止めた。降り注ぐ光……抜けるような空の青。雲の白さ……。なんとなく、呆れてしまう。世界は今日も平和の一言に尽きる。
光が嫌いなわけじゃない。ただ、全てを容赦なく照らし出すのは無作法だとは思うけれど……。ため息をついて歩き出す。世界は今日明日に終わったりなんかしない。だからボクの命も終わったりなんかしないし、いつまでもそれは続いていく。
とりあえずはそんな毎日が続くのだと思っていた。信じていたのかもしれない。けれど望んでいた……世界はもっとスリリングでもっとボクに相応しく在るべきなんだって。けどそんなこと誰にも言えないし誰も知らない。でもきっとみんなそうなんだろうと思っていた。だから下らない毎日を繰り返す。そうしていつか来るはずの予想通りの未来を待っているんだ。
そんなものが来ないということも、それがただの蒼い幻想に過ぎないということも、まだボクたちはわからないのだから……。
霧のように薄く広がる雲――。幻想的な景色の中、ボクは隠れてしまった太陽に一瞥をくれる。いつまでもそれがそこにあるとボクは知っているから。
「おい、何チンタラ歩いてんだよ」
背後から突き飛ばされ無様に転んだ。誰が突き飛ばしたかには興味がない。“そいつら”は勝手に笑い声を上げながら去っていく。
耳にしたヘッドフォンから流れるクラッシックの音量を引き上げる。仰向きに寝転がると、太陽はまた雲の隙間からボクを照らし出していた。
「――――行こう。 こんなところにいても、なんにもならない」
埃を払って歩き出す。全てが無価値、無意味、無意義、それでもボクは生きている。生きている限りは何かしなくてはならない。そんな当たり前で単純なことの何と苦痛な事か――。
突如、青空に響き渡る警報。町を貫き空へと舞い上るその塔の中を何かが瞬時に通過していく。空を目指して投げ出されるそれはまるで引き絞られた矢のようであり、同時に何か途方も無いものを目指す人の夢の形のようにも見えた。
「レーヴァテイン、か」
ボクらの町には、ロボットがいる。
全長40メートルの巨大な人型兵器。
操っているのはボクと同年代の学生で、そいつは人類の敵と戦っている。
それはボクらにとっては当たり前の景色であり、関係の無い世界でもあった。
だからボクはヘッドフォンに集中する。何もかもから自分という世界を閉ざしてしまうために。
だって、ボクには関係のない話で。きっと、主人公はボクではない誰かで。だから、ボクは――。
「リイド」
ヘッドフォンから爆音でBGMが流れているのに、その声はとてもクリアに聞こえた。振り返るとそこにはとてもきれいな少女が立っていた。当たり前のようにそこで微笑む少女にボクは振り返り、それから名前を呼んだ。
「おはよう、エアリオ」
振り返り、ヘッドフォンを外す。彼女は無表情のままボクの傍まで歩み寄り……そしていつも通り颯爽と歩いて行く。ボクの横を……通過して。
これもまたいつも通りの景色の一つ。再びボクはヘッドフォンを装着し、小さく息をついて歩き出した。再び見上げる空……隠れていた雲は、またその合間からボクを照らすだろう。
「……うん、いい天気だ」
霹靂のレーヴァテイン~3rd Union~
ボクらの町にはロボットがいる。
天空に広がる要塞都市ヴァルハラ。
ボクはそんな、世界で最も平和な場所で暮らしていた――。
というわけで、この小説は霹靂のレーヴァテインシリーズの三作目となります。が、中身は前二作品のリメイクですので、知らない人も知ってる人も楽しんでいただけたら幸いでございます。
というわけで、三番目のレーヴァテインをどうぞお楽しみくださいませ。