灰の神殿
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3人の足音が反響せず神殿の闇に吸い込まれていく。シルクはその広さに、まるで平原にいるような感覚を覚えていた。護符の微かな明るさでは到底その全貌を明らかにすることは出来ない。
格子状に並んだ巨大な彫像たちがはるか頭上の天井を支えている。その顔は闇に溶け込みはっきり見えない。
不意に目の前の影が揺らめき、シルクに襲いかかった。そんでのところで身体を逸らすが、頬から血が滴る。見ると、シルクの四方は銀白色の狼たちで囲まれていた。あのときとは比べ物にならないほど数が多い。シルクたちは剣を抜き応戦したが、このままではラザルスを探すのすら不可能だ。
「…埒が明かないな…!シルク!奴は一番奥の部屋にいる!」
アイゼルが叫んだ。
「ここからどのくらいの距離?」
シルクが負けずに叫び返す。
「大体100フィートだ!」
シルクは反射で狼たちを薙ぎ払いながら、護符に意識を向け集中した。
「部屋の特徴は!」
アイゼルに叫ぶ。
「…漆黒の壁、大理石の床、灰色のシャンデリア、部屋の中央に石の机、壁には鹿の頭蓋骨…それから…。」
言い終わる前にシルクの姿がアイゼルの前から消えた。
(俺はそんな術教えてないぞ)
思わず苦笑いする。
それを見てハーシムは信じられないとでも言いたげに目を見開いた。アイゼルが可笑しそうに言う。
「シルクがラザルスを倒すまでの辛抱だ。…お前、なかなかやるな」
ハーシムは気を取り直し笑い返した。
「…あんたもな!」
二人は互いに背を預け、狼たちを灰にしていった。
そのころ、シルクは大理石の部屋にいた。灰色のシャンデリア、真ん中には石の机がある。間違いなくラザルスの部屋だ。
「よくぞ来た。…部屋の鍵も、意味が無かったようだな。」
心臓を撫でるような声とともに、シルクの前にラザルスが現れた。杖を槍のように構えている。
シルクは手で頬の血を拭い、短剣を構えた。ラザルスがフードを傾け、かかってこいとでも言いたげに骨ばった指を動かす。ラザルスの周りには黒い影が彼を護るように旋回している。シルクは赤黒い霧を纏い、ラザルスに飛びかかった。
ラザルスの杖とシルクの剣が交わった瞬間、鏡が割れるように世界にヒビが入る。シルクは状況を理解しようと立ち退いたが、ラザルスはシルクの隙をつくように黒い霧で彼女の脇腹を抉った。
血飛沫が大理石を赤に染める。シルクはよろめいて膝をついた。見ると、床に巨大な紋様が浮かび上がり、飲み込むようにシルクの血を吸収していっている。
「…見ろシルク…。」
ラザルスが両手を広げ、天を仰ぎ見た。フードが落ち、その顔が顕になる。骸骨のように痩せこけた頬、白くうねる髪。瞳は赤黒く、異様な光が宿っている。
「新たな世界が始まる…!」
床の紋様が眩く光り、世界の亀裂が深まっていく。シルクは護符を握りしめ、ラザルスの背中を睨めつけた。彼の周りを旋回する霧はますます濃くなり、竜巻のように唸る。それと反対にシルクの力は神殿に吸い取られたかのようにすっからかんだった。
光の中で、シルクは大理石の中に護符と同じ紋様を見出した。過去の記憶が鮮明に蘇る。旅を始まる前、あの森で。私が踏み入れなかった紋様。古の守り手の声に耳を塞ぎ、魔法使いがいるという噂をたよりに砂漠の街へ逃げるように向かったあの日。
シルクは迷わず紋様を踏んだ。真相を明らかにするために。マゼルダの居場所を突き止めるため。
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シルクが紋様を踏んだ瞬間、眩い光が彼女を飲み込んだ。神殿の闇が一瞬で消え、彼女の意識はまるで無限の虚空に投げ出されたかのように浮遊した。護符が激しく熱くなり、彼女の胸でまるで心臓のように脈打つ。耳元で、夢で聞いたあの声が再び響いた。「時は来た、シルク。均衡វ
シルクの視界が白く光り、突然の大理石の部屋に戻った。ラザルスの姿はなく、床の紋様だけが赤く輝いていた。彼女はよろめきながら立ち上がり、血の滴る脇腹を押さえた。力が戻らない。まるで神殿自体が彼女の力を吸い取っているかのようだった。
「…ラザルス!」 シルクは叫び、短剣を握り直した。だが、ラザルスは動かず、ただ両手を広げて笑っていた。「無駄だ、シルク。お前の血はすでに神殿に捧げられた。均衡は崩れ、混沌が目覚める!」
シルクは歯を食いしばり、護符を握った。彼女の内に、炎と水、均衡と混沌がせめぎ合う。ラザルスの言う「混沌」が彼女を誘惑するが、彼女はマゼルダの言葉を思い出した。「護符はお前を守る唯一のものだ。」 彼女は目を閉じ、護符の力を呼び起こした。彼女の血と共鳴し、赤黒い霧が再び彼女を包む。
「私は…均衡を選ぶ!」 シルクは叫び、護符の光を解き放った。炎と水が融合し、巨大な渦となってラザルスを襲った。ラザルスの黒い霧が抵抗するが、シルクの意志がそれを圧倒した。神殿の紋様が砕け、ラザルスの杖が折れる。ラザルスは驚愕の表情で叫んだ。「…不可能だ! お前の力は…!」
シルクは最後の力を振り絞り、短剣をラザルスの胸に突き刺した。ラザルスの身体が灰に変わり、崩れ落ちる。神殿が揺れ、壁の紋様が消えていく。シルクは膝をつき、息を切らした。護符の光が弱まり、彼女の意識が薄れかけたその時、背後から声が響いた。
「シルク! 持ちこたえろ!」 アイゼルとハーシムが駆け込んできた。アイゼルはシルクを抱き上げ、ハーシムが周囲を警戒した。「ラザルスは…?」
「…倒した。」 シルクは弱々しく呟き、護符を握った。「でも…マゼルダは…?」
アイゼルは顔を曇らせ、彼女を支えた。「マゼルダは…神殿の奥にいるかもしれない。行くぞ。」
三人は神殿の奥へと進んだ。闇の先で、微かな光が漏れる部屋を見つけた。そこには、ボロボロのローブをまとった老女が座っていた。マゼルダだった。彼女はシルクを見ると、かすかに微笑んだ。「…よくやった、シルク。均衡を守ったな。」
シルクは涙をこぼし、マゼルダに駆け寄った。「マゼルダ…生きてて…! どうしてここに?」
マゼルダは静かに立ち上がり、シルクの肩に手を置いた。「私は灰の使徒を止めるためにここに来た。ラザルスを封じるために…だが、お前がそれをやってのけた。お前の血と護符が、均衡を取り戻したんだ。」
アイゼルが口を挟んだ。「婆さん、説明が遅えよ。シルクは死にかけたんだぞ!」
マゼルダは笑い、アイゼルを睨んだ。「黙れ、アイゼル。お前もよくやった。過去の罪を償ったな。」
ハーシムが咳払いし、言った。「…で、これからどうする? 灰の使徒は終わったけど、街はまだ危険だろ?」
マゼルダは頷き、シルクの護符を見つめた。「シルク、お前の旅はまだ終わらない。均衡は守られたが、混沌の種は世界に残っている。お前の力が必要だ。」
シルクは護符を握り、決意を新たにした。「分かった。マゼルダ、アイゼル、ハーシム…一緒に戦ってくれる?」
アイゼルがにやりと笑い、「当たり前だろ。俺がいなきゃ、お前はすぐやられる。」
ハーシムも笑い、「俺も付き合うよ。弟にも礼を言いたいしな。」
マゼルダは静かに頷いた。「行くぞ、シルク。新しい世界を築くために。」
シルクは三人を見回し、護符の温もりを感じた。彼女の内に、均衡と混沌が共存し、新たな力が目覚めていた。神殿の外では、砂漠の風が吹き、夜空に星が輝いていた。彼女の戦いは終わらない――だが、彼女はもう一人ではない。
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「…ええ、分かっていますよ。ですが、今彼らにその事実を伝えてもどうにもならないでしょう?」
マゼルダは守り手の身体を撫でた。
「自らで答えを見つけ出すまで、私達の介入は無意味…かえって悪影響だ。そんなこと、貴方が一番知っている筈でしょう。」
マゼルダは守り手の巨体に体をあずける。
「シルクはきっと気づく。彼女は賢いのだから。」
(均衡の血、混沌の血.完)
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