アイゼル
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「灰の使徒がこの街に…。」
ガルドンは眉を曇らせた。
「入国審査は強めている筈だが。奴らに一枚上手を取られているようだな。」
「そのことなのですが」
アイゼルがガルドンに一言する。
「奴らは__灰の使徒はシルクを狙っています。彼女は…強大な力を持っていますから。俺たちが出て行けば、しばらくはこの街には現れないでしょう。」
シルクはアイゼルの傍らで鼓動が速まるのを感じた。
「狙われているというのはお前も同じではないか?アイゼル。マゼルダ…彼女もしかりだ。」
アイゼルは肩をすくめた。
「いずれにせよ、俺たちは奴らの根城を探し殲滅するだけだ。灰の使徒は残り一人だからな。」
アイゼルの声に怒りを感じ取り、シルクは彼もまた灰の使徒を憎んでいるのだと今になって気づいた。
ガルドンは重々しく頷いた。
「そのことだが、こちらからも一人護衛を寄越そうと思っていてな。」
ガルドンが手を振ると、側に控えていた青年が進み出た。
「ハーシムだ。よろしく。」
どこかで見覚えのある顔…。シルクがハーシムの顔をまじまじと眺めていると、ハーシムはシルクにウインクして言った。
「弟が、世話になったそうだね。」
それを聞いてシルクはハーシムがハーミドの兄だとようやく気づいた。そういえば、ハーミドが兄はガルドンの軍隊に所属していると言っていたような。
「なんだ、知り合いなのか。ならば話が早い。こいつを旅の仲間に加えてやってくれないか。腕は保証する。」
アイゼルはあからさまに面倒臭そうな顔をしたが、ガルドンの圧力に負け、しぶしぶ頷いた。
「…本来なら軍隊でも寄越したいところだが、今はこの街を護るのに手一杯なんだ。近隣の街から襲撃の報せも届いている。…精々気をつけてくれ。」
ガルドンの不安な様子を見てアイゼルは首をかしげた。
「あんたが弱気だと街の住民が疲弊するぜ。な、シルク。」
シルクは突然話を振られ動揺したが、護符を握りしめて言った。
「私達に任せてください。」
シルクの決意に燃える目を見て、ガルドンの表情が引き締まる。アイゼルは逆に顔を緩めた。
干し肉を革袋に詰め、ガルドンにもらった短剣を腰にさす。三人は砂漠の街を出た。
「…そういえば、灰の使徒の本拠地ってどこにあるか分かってるの?」
シルクは重大な落とし穴に気づいて目が眩んだ。
「分かってなきゃ街を出ないだろ。」
シルクの心配を裏切ってアイゼルはつっけんどんに返した。シルクが表情を見ようとして足を早めると、アイゼルはそっぽを向いた。
「何で知ってるのよ。聞き出す暇なんて無かったでしょう?」
シルクが聞くと、隣でハーシムが頷いた。アイゼルはしばらく黙りこくり、足を止めずに言った。
「俺は灰の使徒の一人だ。」
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シルクの足がピタリと止まり、砂漠の風が彼女のドレスの裾を揺らした。ハーシムも驚いたようにアイゼルを振り返り、短剣に手をかけながら一歩下がった。アイゼルの言葉は、まるで砂嵐のように二人の心をかき乱した。
「…何?」 シルクの声は震え、護符を握る手に力がこもった。彼女の目はアイゼルを鋭く見据え、信じられないという思いと裏切られた怒りが交錯していた。「アイゼル…冗談だろ? 灰の使徒だって? あんたが…?」
アイゼルは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。彼の顔にはいつもの軽薄な笑みはなく、代わりに疲れたような、どこか悲しげな表情が浮かんでいた。「冗談なら楽だったんだがな、シルク。」 彼は短剣を腰から抜き、刃を砂に突き立てた。「昔の話だ。俺は灰の使徒の一人だった。グエル、セリス、ヴァルト、そして俺――四人目だ。」
ハーシムが低く唸り、短剣を構えた。「ガルドンが信頼してるお前が…灰の使徒? どういうつもりだ、アイゼル!」
「落ち着け、ハーシム。」 アイゼルは手を上げ、制するように言った。「俺はもう使徒じゃない。抜けたんだ、ずっと前に。マゼルダに…救われたからな。」 彼の声には、過去の重みが滲んでいた。シルクはアイゼルの目を見つめ、その奥に本物の感情があることを感じた。だが、疑念は消えない。
「救われた? どういうこと? アイゼル、ちゃんと説明して!」 シルクは一歩近づき、護符の熱が彼女の胸を焼くように感じられた。「グエルやセリスが私の故郷を燃やした。あんたもその仲間だったなら…どうして私を助けてるの? 何を企んでるの?」
アイゼルは深く息を吐き、砂漠の空を見上げた。「シルク、俺が灰の使徒だったのは本当だ。俺たちは均衡を壊し、混沌で世界を再構築しようとした。だが…マゼルダに会って、俺は変わった。彼女は俺に、混沌だけじゃ世界は救えないって教えてくれた。均衡の大切さをな。」 彼はシルクに視線を戻し、静かに続けた。「お前の護符、俺が作ったんだ。」
シルクは息を呑んだ。「…護符を? あんたが?」
「ああ。マゼルダの指示でな。均衡と混沌、両方の力を制御できるように作った。お前の血にはその二つが流れてる。俺はそれを…間近で見てきたから分かる。」 アイゼルは苦笑し、砂に突き立てた短剣を引き抜いた。「灰の使徒は俺を裏切り者とみなし、殺そうとした。マゼルダが俺を匿い、砂漠都市にこの塔を用意してくれた。だから、俺はお前を守る。過去の罪を償うためだ。」
ハーシムはまだ警戒を解かず、アイゼルを睨んだ。「…ガルドンはそのことを知ってるのか?」
「知ってるさ。」 アイゼルは肩をすくめた。「だから俺を街の仕事に縛りつけてる。信用半分、監視半分ってとこだ。」
シルクは護符を握りしめ、アイゼルの言葉を頭で整理しようとした。グエル、セリス、ヴァルト――そしてアイゼル。灰の使徒の四人目が、彼女の師匠だったなんて。だが、彼の目には嘘がないように見えた。マゼルダの名前を出した時の声には、深い敬意と後悔が混じっていた。
「…じゃあ、最後の使徒は?」 シルクは声を低くして尋ねた。「グエル、セリス、ヴァルトが死に、あんたが抜けたなら、残りの一人は誰? 本拠地はどこなの?」
アイゼルは一瞬黙り、遠くの砂漠の地平線を見つめた。「最後の使徒は…ラザルス。灰の使徒のリーダーだ。本拠地は、砂漠の北、死の谷の奥にある『灰の神殿』。そこに行けば、ラザルスが待ってる。だが、シルク…ラザルスは俺たちとは桁違いだ。あいつの混沌の力は、世界を灰にするどころか、消滅させるかもしれない。」
ハーシムが眉をひそめた。「それなら、なぜ今まで動かなかった? シルクを狙うなら、もっと早く来てもいいはずだ。」
「ラザルスは慎重なんだ。」 アイゼルは答えた。「シルクの力が目覚めるのを待ってた。護符を捨てたグエルの時、シルクの混沌が一瞬溢れた。あれをラザルスは見逃さなかったはずだ。俺たちが死の谷に向かえば、奴は必ず動く。」
シルクの胸に、恐怖と決意がせめぎ合った。彼女は護符を握り、アイゼルを見据えた。「アイゼル…あんたを信じていい? 本当に私の味方なの?」
アイゼルは彼女の目を見つめ、静かに頷いた。「信じろ、シルク。俺は灰の使徒の過去を背負ってる。だが、お前とマゼルダのために戦う。それが俺の償いだ。」
ハーシムは短剣を下ろし、ため息をついた。「…分かった。だが、アイゼル、一つでも怪しい動きをしたら、俺が容赦なく刺すからな。」
アイゼルは笑い、「それでいい。さ、行くぞ。死の谷は遠い。夜までにはオアシスに着きたい。」
シルクは護符を握り、砂漠の地平線を見た。灰の神殿、ラザルス、そしてマゼルダの行方――すべてがそこに繋がっている。彼女の内に、均衡と混沌が共鳴し、新たな力が目覚め始めていた。三人は砂漠を進み、夕陽が彼らの影を長く伸ばした。遠くで、風が不気味に唸り、まるでラザルスが彼らを待っているかのようだった。