第六十五輪:窮地
生活習慣の矯正が出来ません。
何とかしてくれ………。
センギアが作戦の概要を大雑把に説明し終えた頃、シエルの脇に寝かされた直哉が起き上がった。
「………おはよう」
若干の驚きと後悔と恐怖を滲ませた挨拶を、回りに座るエアレイド王国一行、ローム、そして見ず知らずの老人にした。
アリューゼと目が合った時には笑顔になった直哉だが、他のメンバーと顔を合わせた直哉の表情は陰り、シエルと向き合うに至っては目も宛てられない程だった。
「………一人の人間、殺っちまった………ガルガントの一件で誓ったのに、もう破っちまったよ──」
「違うっ!」
直哉が今にも消えてしまいそうな灯に見えたシエルは、耐え切れずに直哉を抱き締めた。
その腕で、身体で包み込むように──消えそうでも、暖かくて優しい灯を護るように。
「ナオヤは、悪く………ないよ………」
「シエル………」
「………っ」
声を震わせつつ直哉を抱き締めるシエルを見て、アリューゼは罪悪感に潰されそうになった。
『クソッ………』
握り拳に血を滲ませたアリューゼの肩を叩くセンギアは、顔を上げたアリューゼの目を真っ直ぐ見つめ、首を左右に振った。
「儂でさえ睡眠薬の存在に気付かなかったのだ。職業柄目は利くと自負しているが、ここまで精巧に作られた睡眠薬は初めてだ………そんなモノを素人に見分けろと言うのも不可能な話だろう」
「しかし──」
「アリューゼさん」
反論を述べようとしたアリューゼを止めたのは直哉だった。
「そんなに悔しがらないでくれ、俺なら平気だからさ。それに、いつものアリューゼさんらしく無いよ」
一発で強がりだと分かる発言をした直哉は、今出来る精一杯の笑顔を浮かべた。
──笑顔と言うには余りにもぎこちなく、自分が青ざめた顔をしている事は直哉自身も分かっていた。
しかし、アリューゼには抜群の効果を発揮したようだ。
『………一番辛いのは自分だってのに………』
直哉が究極のお人好しで、自分が後悔するとそれが数倍にまで重圧を増し、その全てが直哉にのし掛かる事に気付いたのだ。
誰よりも一番辛い思いをした直哉に、これ以上重圧を課す訳には行かない。
「へっ、もう少し近付いたら返り討ちにしてやる所だったのによ」
なので、重圧の代わりにひねくれた言葉の羅列と笑顔を渡す事にした。笑顔は引き攣り、言葉は所々が上擦っていたが、それでもアリューゼは続けた。
「そうこなくっちゃ」
直哉も若干自然な笑みを取り戻し、それをアリューゼに向け、そのまま横にスライドさせた。
そして、一人の人物に焦点を合わせてスライドをストップさせた。
「………で、どちら様?」
その人物──センギアに話を振り、まだ僅かに虚ろな瞳で見つめた。
センギアは直哉の左目に鈍く輝く六芒星に目を細め、まるで心の中を探るかのような口調で答えた。
「儂はセンギア──バロン・センギア。見た通りただの老い耄れだ。お主、名は何と?」
本来は直哉の名前を知るセンギアだが、敢えて聞き直すと言う選択肢を選んだのには理由がある。作戦の支障にならないか、独自の探りを入れるためだ。人間が嘘をつく時、隠そうとしても僅かな動作が浮き彫りになってしまうモノだ──瞬きを多くしてしまったり、目を逸らしたり、不自然な笑顔を浮かべたり等だが、本人はそれを無意識の内に行動に反映してしまっている事が多い。特別な訓練を受けない限り、簡単に隠し通せるようにはなれない──。
それを見抜く技術を持ち合わせているセンギアは、少し会話をする事によって、直哉の細かな動作を観察しようとしているのだ。
「んと、直哉………神崎直哉です」
「ほう、珍しい名だ──」
しかし、理由は一つだけでは無い。
先程の暗殺部隊の成れの果てと言い、身内による信用のされ具合と言い、左目の六芒星と言い──分かりやすく一言で言うと、警戒心と共に好奇心を持ち合わせているのだ。
『黒髪に漆黒の瞳、凛々しい外見、闇夜のような衣装に、メイド達を口説き落とす魔性の弁舌………稲妻属性魔術を使いこなし、自分の立ち位置を誇張せず人々に対する義に忠実に生きるその姿に、人々は畏敬と尊敬を込めて〝雷神〟と言う二つ名を授けた………』
風の噂で聞いた〝雷神〟と言う言葉が脳内を過り、それと酷似した特徴を持つ人物に興味をそそられたのだ。
微妙に違った情報が紛れているが、噂故の副産物だ。
「──もしや、〝雷神〟とはお主の事か?」
「やめて下さいよ、恥ずかしいですから」
照れ笑い──と言うより、苦笑いを浮かべて頭をぽりぽりと掻く直哉に、センギアは内心でほっと一息。
『紛れも無く本物だ、儂の目もまだ節穴では無いようだな』
動作にも不自然さは見当たらず、無駄に誇張する素振りも見せない事から、直哉が素直な人間である事と、噂が真実である事を確信した。
──メイド達を口説き落とす事まで信じてしまったのが、直哉は愚かエアレイド王国一行は誰しもが気付けなかった。
それで安心したのか、センギアが探るかのような目付きを止め、先程ロームに向けた優しげな笑みを湛えた。
「まぁ、自己紹介も済んだ所で本題に入ろうと思う」
「作戦の事?」
直哉が切り返すのと、優しげな表情のまま硬直したセンギアにロームが必死でぺこぺこと頭を下げ始めたのは同時だった。
「──んじゃ、夜中の内に反乱軍を引き連れて豚の部屋を襲撃すんのね?」
「うむ………勿論、無駄な争いは避けれるだけ避けるぞ。命を粗末にする必要は無いし、国王を覚醒させるために幾人の血を流させるのは対価にすらならないだろう………それに、無理矢理従わされている者もいるようだしの」
「おっけー………正直怖いけど、大切な〝仲間達〟、それと………シエルに刃を向けたのは許せないからな。俺もご一緒させてくれる?勿論拒否権は無いよ、きっとアリューゼさんや皆も参加するだろうしね」
「バレてらぁ………起きてたのか?」
「いや、アリューゼさんが黙ってる筈が無いからね………豚がシエルに刃を向けたんだ、そんでも黙ってたら、俺がアリューゼさんを──」
「分かった大丈夫だ、だからそんな梟が獲物を見つけた時みたいな目で見ないでくれ」
作戦の概要を大雑把に教えて貰った直哉は、誰の意見にも依らず、自分の意思で共闘の意を示した。
直哉が一行を〝仲間達〟と表現した時、騎士と言う職業を超えた絆を感じた一行は、無意識の内に笑顔を浮かべていた。そして、シエルのみを別格として扱った事──捉え方によっては悪い意味としても捉えられるが、直哉はその真逆………つまり、良い意味の言葉として発言した事──に気付いたのはミーナのみだった。
直哉を感心した眼差しで見据えるセンギアを横目に、ロームはシエルに抱き付かれたままの直哉へと目を向けた。
その目には、感心よりも強く、大きく、そして揺るぎない尊敬が籠められていた。
『凄いな………不殺を貫いてただけなら未だしも、それを破った──人の命を刈り取った恐怖に立ち向かい、その危険を孕んだ作戦に参加するなんて………』
ロームの目に映る直哉は、正しく騎士の鑑のようであった。騎士達──仲間達に信頼され、不動の意思を携え、王女に絶対の忠誠(少し違うのは、直哉、シエルの各々に対する態度を見れば分かるが、敢えて忠誠と言う言葉で纏める事にしたようだ)を誓う………。
尊敬を抱くと共に、負けたくないと言う感情が生まれたのを感じたローム。その相反する感情が表情に出たらしく、笑っているのか睨んでるのか良く分からない表情になった。
それを見た直哉は、変人な所もあるんだなぁ、と心の中で頷くのであった。
アリューゼと直哉の精神的な回復を目測で確認したセンギアは、ついに行動を開始する時が来たと言わんばかりに立ち上がる。
「それじゃあ行くか………と言いたい所だが、全員で固まってたら余りにも効率が悪い。袋叩きにされる可能性も高いだろう。ここは組分けをするべきだと思うが、どうだろうか」
それに反対する者はおらず、二組に分断する事が決まった。
王宮の地理に詳しいロームとセンギアが分かれ、エアレイド王国一行も同じように分かれた。最終的に、ローム・直哉・シエル・アリューゼ・セフィアの組と、センギア・ラルフ・ルシオ・ミーナ・アイザックの組に分かれる事となった。シエルとアイザックを分けたのは、負傷時に治癒魔術を施す事が出来るからだ。
「よし、バランス良く分けられたな。それでは、これから作戦を開始する………前に、少しばかり味方の手を借りようかの」
「味方?」
「うむ。暗殺部隊──否、密偵として鍛えられた部隊の輩は、大体がこちらの味方となっているのだ。作戦の旨も伝えてあるのでな………国王の部屋から離れた場所で騒ぎを起こさせ、注意をそちらに向けさせれば、多少なりとも楽に事は進むであろう?」
正確な作戦開始はそこからだ、センギアはそう呟いて天井に飛び込──
「や、待って」
「きゃ!」
「むっ?!」
──もうとしたが、テレポートした直哉に肩を押さえ込まれ、動けなくなった。ベッドの上では、直哉に抱き付いていたシエルが支えを無くし、可愛らしい悲鳴と共に倒れていた。
初めて見る系統の魔術に驚きを隠せないセンギアは、戸惑いながらも質問を返す事だけで精一杯だった。
「………何をしたのだ?魔術の波動は感じたが………それと、まだ何かがあるのか?」
驚かれるのに慣れてしまったのか、直哉は苦笑いを溢した。
「二つ程ね。騒ぎを起こしたら、逆に警戒しちゃうと思うよ?国王に支配されてる人間ばかりなら、調査に向かう者がいれば国王の警備を固める者もいる筈。それと──」
ヒュンッ!
直哉が続きを口にしようとした時、天井の穴から二つの何かが投擲された。それは穴の真下にいる二人目掛けて射出されたモノで間違い無く、的確に頭を狙った事から、投げた人物が明らかな殺意を持ち合わせている事を示していた。
「危ないっと」
センギアごと後ろに下がり、シエルと穴の真下とを結ぶ直線上に立つ直哉。同時に、穴の真下に銀色に光るナイフが突き刺さった。
一行が敵に備えて瞬時に武器に手を掛けると同時に、上から五人の人間が降りてきた。
「な………まさか………」
その人間に心当たりがあるのか、センギアは驚いた、と言うより唖然とした。
「──身内の裏切り、ってのも考えないとねー」
短刀を構えた五人の人間──センギアの仲間〝だった〟暗殺部隊の隊員は、一行を取り囲むようにじりじりと間合いを詰める。このままでは一網打尽にされてしまうのも時間の問題だ。
そして、一人の男がセンギアに向けて走り出した。距離は凡そ5m、一秒程で詰められてしまうだろう。しかし、センギアは先程の衝撃から抜けていないようで、まるで金縛りになってしまったかのように動かなかった。
「くっ………」
このままではセンギアが危ない………咄嗟にそう判断した直哉は、センギアを後ろに庇い、男を無力化しようと拳を握った。
しかし──
──さっきの男のような運命を増やしたいなら別だがな──
「ぐ………っつぅ………」
──脳裏にD直哉の言葉が過り、先程自分が殺してしまった男を思い出し、拳から力が抜けるのを感じた。
辛うじて回避行動に移る事は出来たが、短刀の軌道から完全に抜ける事は出来ず、直哉は頬に一の字の赤い筋を作られた。
それで攻撃の手を休める訳では無く、更なる追撃を仕掛ける男。逆手に構えた短刀を、直哉の首に向けて滑り込ませるように振った。
それは銀色に輝く軌跡を残し──
ドスッ
「!!」
──途中で不自然に軌跡を変えた。
理由は簡単だ、直哉の後ろにいたアリューゼが、槍の穂先とは逆の部分で男の腕を突いたからだ。
腕を庇いつつ後ろに飛び退く男とは対照的に、後ろからアリューゼを始めとした騎士達、そしてロームが武器を抜き放ち、飛び出した。
「ここは良いから、とにかくナオヤとセンギアさんは下がっててくれ」
「でも──」
「大丈夫だ、あんな雑魚位ちゃちゃっとオネンネさせてやるよ」
アリューゼの言葉に、他の騎士達も頷いた。同時に、五人の男達が一斉に走り出した。ある者はショートソードを、またある者は投擲用と思わしきナイフを、とある者は漂う岩石を携えて。
情け無く震える膝を必死に動かし、センギアごとベッドに移動し、風の壁でベッドを覆った。そこから騎士達の戦闘に目を遣る。
「くそ………」
力の入らない拳を必死に握り締め、悔しさを如実に表す。
そんな直哉の頬に手を宛がったシエルは、いつもより効果の高い治癒魔術を施す。みるみる内に傷は塞がり、赤い血糊を残すだけとなった。
「ナオヤ………〝何か〟あったの?」
直哉が人を殺してしまった事以外にも何かを恐れていると分かったのは、オリハルコン製のブレスレットと、そこに宿るジェラルドの影響だ。
直哉が人を殺したと言う事実も非常に怖い事柄だったが、それよりも遥かに、得体の知れない〝何か〟に直哉が押し潰されるかも知れない事の方が恐ろしかった。
「………」
直哉は言うべきか言わないべきか迷ったが、真っ直ぐ見つめてくるシエルの瞳に、その迷いも少しずつ晴れて行く。
「………敵わないなぁ、シエルには………」
そして、先程自身に起きた出来事を一つ一つ説明する。心が漆黒に染まった事、すぐに気を失った事、夢の中でダークサイドに出会った事、そのダークサイドが言い放った言葉。
「………ダークサイド………」
「奴は………いや、俺はそう言ってた。詳しくは分からんけどね」
それらの説明を終えた時、風の壁に黒尽くしの男がぶち当たった。
そちらに目を向けると、男が勢い良く跳ね返り、床に打ち付けられてバウンドする。
「ふぅ………これで最後かな?」
「気配らしい気配は感じない………が、相手は暗殺業を生業としている集団だ。油断は出来ない」
ルシオの溜め息混じりの呟きに、ラルフが警戒を怠らずに答えた。確かに気配を隠す事等、暗殺部隊には容易いだろう。
「そう言えば………部下の皆様は、どどっ、どうしまひたでしょうか………」
回らない呂律で部下を心配するのはセフィアだ。
しかし、言われてみれば確かに危ないかも知れない。直哉達は余りにも不自然な事に気付けたから良いものの、部下の騎士達も気付けるとは限らないのだ。国王とも面会していないのだから、その危険性は高まる一方だ。
「………さっき組を分けただろう。二組どちらもが部屋に行くのでは無く、片方が部下の救助に向かうと良い」
そう提案したのはセンギアだ。大きな衝撃から立ち直ったようで、新たな決意が滲み出している。
しかし、事態はそれとは真逆の方向に転がってしまっている。部下にも作戦の旨を伝えていたセンギアが裏切られた事、それはこちらの作戦が筒抜けである事を意味するとも言える。早い段階で手を打たれる確率が大幅に上昇したのだ。
しかし、決意──踏ん切りの方が適当か──に満ち溢れるセンギアは、状況が不利になっても冷静さを欠く事が無かった。
「救助は儂等の組が請け負うとしようかの。しかし、時間は余り残されてはいない──寧ろ、時間に置いて行かれてる状況だ。ここから必死に這いつくばって辛うじて追い付ける程、な。絶望的だが、希望が無い訳では無い。それを正義の名の元で掴み取ろうではないか」
士気の高揚を仰ぐセンギアが直哉達に救助へと向かわせなかったのは、直哉がシエルに話していた事を盗み聞ききして、そうさせた方が効率良く物事が進むと判断したからだ。
詳しくは分からないが、とにかく直哉を〝死〟から遠ざけようと言う優しさも含まれている。
「それでは、今度こそ作戦の開始だ。味方らしい味方はもういない、馴れ馴れしく話し掛けて来たら、そいつは敵だ。騒がれる前に無力化しろ──気絶させて目につかないような場所に寝かせる等、適当な方法で隠蔽すれば良い」
そう言ったセンギアは、組分けされた騎士達を連れて部屋から出ていった。
正面を正々堂々と突破する事を決めたようだ。
扉が静かに閉められるのを見届けた直哉達は、各々が顔を見合わせた。
「私達は国王の部屋を目指しましょう。念のため天井裏からご案内します」
切り出したロームは天井裏に目を向け、若干顔を顰めた。
「どうした?」
「いえ………流石にこの高さだと、そう易々と届くモノでも無くて………センギア様が特別なだけ──」
そして、言葉を失った。
「これくらいしか出来ないから………出来る事だけを精一杯やらせて貰うよ」
「──ナオヤも特別、ですよね?」
「あぁ………」
天井裏に飛び乗って片腕を垂らす直哉に、ロームを始めとした騎士達が苦笑いを湛えた。
直哉達が行動を開始した頃、エアレイド王国のメイド控え室では──
「うきゃーっ!」
「せ、セラ様っ落ち着いて!もう少しで──」
「うるしゃぁい!これが落ち着いていられるかぁぁー!」
「ひゃぁん!」
──直哉とシエルのいない王宮に不満を膨らませていたセラがついにリミットブレイクをし、メイドの服を「よいでわないかぁ~」と言わんばかりにひっぺがしていた。
現在、被害者は十を数えた所で──
「あの二人が弄りたいにゃぁああぁあぁああ!」
「セラ神がお怒りよ!皆、逃げ──」
「てりゃ!」
「──やっ、やぁぁぁぁ!」
──訂正、十一人だ。
それから暫くセラの狂喜乱舞は続き、真っ赤になりながら丸くなるメイドが数を増やしていくのであった。