第五十八輪:影縫いの守り神
新しい生活に慣れてきたのか、携帯に触れる時間が増えた気がします。
毎日ちょこちょこと執筆出来るようになっただけ、それだけでも大きな進歩………かな?
食事を終えた一行は、一刻も早くセンティスト王国へと向かうため、馬に軽い休息を取らせる程度の休憩時間を取ってから出発をした。
馬に治癒魔術を施す案が浮上したが、直哉やウィザード達の副作用を見てから、その意見を支持する者達は一人もいなくなった。
ガタゴト、時たまドカンと揺れる馬車に揺られながら、直哉はエアレイド王国の王宮での生活を思い出していた。
アリューゼに現在位置を聞いたら、「またそれか」と呆れた反応を返されたので、親善使節云々の事を考えないようにしていたのだ。センティスト王国の事を考える度に得体の知れない悪寒が走るので、二種類の意味での気分転換を兼ねた、正しく一石二鳥な行動だ。
目を閉じ、自分が起きる時からの行動を思い返してみる。
可哀想な子では無いのだ、これくらいしかする事が無いだけで。
《そういや、朝は割りと早起きになったなー………規則正しい生活を送るようになったからかな》
『現世にいた時は酷かったみたいだな』
いつの間にか興奮を押さえたウィズが直哉の記憶を遡り、苦笑いを溢した。
現世にいた頃は、夜更かしなど毎日ウェルカムだったのだ。しかし、ゲームやテレビ、様々なモノで時間を浪費出来た現世とは違い、現在の異世界ではその手段が取れないのだ。深夜ともなると訓練は誰も立ち合う者がおらず、他に取れる行動となると見回りか睡眠位になってしまう。一時期は見回りも考えてみたが、他の騎士の仕事を奪うのは悪いから削除。となると、睡眠以外の選択肢が無くなってしまう。
その結果、早寝早起きの習慣が身に染み込んでしまったのだ。
現世の生活を思い出し、様々な思いを込めた溜め息をつく。これ以上郷愁に浸っても仕方が無いと言う事で次に取る行動に思いを馳せたのは、それから数瞬後の事だ。
《んで、そこいらで起きて、まずは欠伸をするんだ》
『何だそりゃ、訳分からん』
《俺も分からないから大丈夫だ………これも習慣みたいなモノかなぁ》
そのまま朝食を摂り、訓練所へ向かう。本当なら歯磨きをしたい所だが、生憎そんな発明品は無かったようだ。その代わりに嗽をするのだが、その時に支給される特殊な薬草を煮詰めた液──現世で言う嗽薬──が苦くて、直哉は苦手としている。
訓練所に着いたら、早速訓練に取り掛かる。とは言っても、身体能力を取っても魔術面を見ても、更にはそれらをコントロールする技術に於いても、直哉は騎士達の訓練相手に持ってこいなので、アリューゼに頼まれて(半ば強制的に、だが)からは訓練の殆んどが模擬戦闘となっている。
アリューゼとの死闘を思い出した直哉は、肌に沸き上がる鳥肌を辛うじて抑えた。頭を四方八方にブンブンと振り回し、僅かな吐き気を催した所で落ち着いたようだ。
肩で息をしながら、心の中で呟いた。
《ふーっ、ふーっ………アリューゼさん、全くもって恐ろしいヤツだぜ………》
『お前の方が恐ろしいよ俺ァ………』
ウィズが物凄い勢いで引いていたが、知った事では無い。
模擬戦闘が終わるのが昼頃、丁度腹の虫が絶叫する時間だ。その音が鳴る度に騎士達は見えない敵──強いて言うなら直哉のお腹──に警戒するのだが、これがなかなか滑稽なのだ。
クスリと笑いを溢しつつ、昼食後の行動を思い出す。
《で、汗かくから風呂に………あ!!》
昼風呂に入ったりもしていたなぁと昔の事でも無いのに懐かしんでいると、ここ数日の間風呂は愚か水浴びすらしていない事に気が付いた。
慌ててシエルの方を振り向いた。ナオヤとは違ってシエルは女の子だ、そう言う事は気にしまくる筈だ。
「シエル!」
呼び掛けると、当の本人はベッドの上でびくりと震えていた。
先程と同じで、シーツを頭から被り、ベッドと同化している。
その反応で起きている事を確認した直哉は、声のボリュームを幾分か下げて、囁くように言った。
因みに、夢の出来事は記憶の箪笥の奥深くに収納されてしまっているようだ。
「近くで泉か何か探してさ、お風呂でもどうよ?」
暫くの間リアクションらしいリアクションが無く、そんな気分では無いのかと不安になる直哉。長い沈黙には耐え難いが、話を振っておいて「やっぱ今の無し」と言うのは失礼過ぎる。
どうしようも無く途方に暮れていると、シーツがもぞもぞと動き出した。
「………」
そして、シーツの端っこからシエルがぴょこっと顔を出し、真っ赤な顔で直哉を見つめた。
その動作に何かが込み上げて来たが、それを力尽くで飲み込んだ。
少しだけ見つめ合っていると、シエルが僅かに頷いた。良く見なければ分からない程の肯定サインだったが、直哉はそれを見逃さなかった。
しかし、それよりも顔が異様に赤い事が気になった。ベッドに踞っているのはその体勢が一番楽で、シーツを被ったままなのは窓から入ってくる風を防ぐためとも取れる。熱があるのだが心配させまいと口をつぐんでいるのかも知れない。温室育ちのお姫様ならギャーギャー抜かしそうだが、一味違う、そして親善使節と言う重役を担うシエルなら、無理をしていないと一概には言い切れない。
急に不安になってきた直哉は、まだ顔を覗かせているシエルの元へ近寄る。そして、シエルの額に自分のそれをくっ付けた。
「………ちょっと、熱があるみたいだね」
「!!!!!!!!!」
剰りにも自然な動作だったので、シエルは回避行動を取る暇すら無く、直哉の心配そうな顔が目の前に来た時に初めてその異変に気付いた。
このシチュエーションは先刻の〝事故〟とそっくりだったのだ。そして、それを認識した途端に視界が揺らぎ出した。
少し休もう、じゃなければおかしくなっちゃう。シエルはそう考えた。
考えるよりも先に、自分の中に潜む本能が警鐘を打ち鳴らしながらシエルの意識を刈り取ったのだが。
それをベクトルがずれた解釈をした直哉は、いよいよ慌て出した。無言で御者台に座るアリューゼに呼び掛ける。
「アリューゼさん、アリューゼさん!」
「何だ、まだつかん──」
「違ぇよ!シエルがぶっ倒れちまったんだよ!」
「何だと?!」
慌てて振り返ったアリューゼの血相と来たら、直哉が落ち着いている状態だったら笑ってしまうようなモノであった。
しかし、現在は落ち着いてなどいない。どちらも真剣そのものだ。
「取り敢えず!近場に水がある所は?!」
「確か湖があった筈だ………あれか!」
水を確保しようとした矢先、街道を少し外れた所にある巨大な湖を見付けた二人は、何の躊躇いも無く馬車を停車する事を選んだ。追従する馬車も慌てて止まり、騎士達は何か異常事態が起きているのかと駆け寄っていった。
「どうかしましたか?」
「良いから湖に行くぞ!数人適当に連れて来い!」
「は、はぁ………」
何が何だか分からないと言った様子の騎士達だが、命令に逆らう訳にもいかず、数人の騎士達を集めるために戻っていった。
直哉も柄を確認したりと準備をする。万全だと確認したので、近くにあった毛布をシーツの上からシエルに掛けてやった。同時に、数人の騎士達が集まってきたので、直哉はアリューゼに一声掛けて行く旨を伝えた。
「俺も行ってくるわ。何かあったら不味いし、何も出来ないのは嫌だから」
アリューゼの返事を待たずに飛び出したが、後ろから呼び止める声が掛からなかった事から、無言の肯定だろうと割り切っておいた。
しかし、すぐに帰ってくる羽目になった。
「水桶忘れた!」
「ちょっとは落ち着け、こんの馬鹿野郎!」
直哉を貶しつつ、何か大事な、それでいて危険な事を忘れている自分に気付いた。考えてる内に直哉は出ていってしまったが、アリューゼは思い出す事が出来なかった。
「湖………何かいるんだっけか………うぅ~ん………そう言えば、コラーシュ様も何か言ってたな………」
目頭を押さえて考え込むアリューゼは、そのまま暫く脳内の箪笥を引っ掻き回していた。
そして、関連のありそうな事柄を引っ張り出す事に成功した。
「そうだ、〝神隠し〟だ。この森近辺で多発してるんだったな………」
しかし、まだ蟠りは取れなかった。頭をフル回転させて、この蟠りの状態を掴もうとすると、割りとあっさりと掴む事が出来た。
「………〝守り神〟とか言ってたな。守り神の癖に祟りだっけ………ははは、笑っちゃう噂だ」
一人で笑い出したアリューゼは、端から見たら不審者そのものだ。
そして、その話題を細かく噛み砕く作業に移る。
「でもなぁ、守り神の癖にそんな事………でも、そうじゃなきゃ常識的に考えても噂が回る訳無ぇしなぁ………」
この世界では、幽霊や吸血鬼に対する認識はある程度固定されているが、神に対する認識は各地でバラバラなのだ。実体があると豪語する者がいれば、そんなの絵空事だと言い切る者もいる。
アリューゼはそんな事考えてもしなかったので、神とは実体がある存在と言う一般的な認識しか持てないでいた。
「まさかちびっこいのが神な訳が無いだろうし………この森はそこまで木が長くは無いからな………どこに隠れて──」
これは偉大なる神から連想したイメージだ。主観的過ぎるが、現在のアリューゼにそれを確かめる手段は無い。
──すぐにそれが正解だったと知らされる羽目になったが。
そこまで呟いて、湖の存在を思い出した。ぱっと見ただけで湖が巨大な〝面積〟を誇ると言う事を知った。比例するとまでは言えないが、必然的に〝体積〟も巨大になっても不自然では無い。
そこまで辿り着くと同時に、湖から巨大な、且つ恐ろしい〝何か〟が飛び出してきたのを視界に捉え、自分が忘れていた事の重要性を再認識した。
「くそったれ!!」
怒鳴り付けるように叫び、傍らの槍を掴んで御者台から飛び出した。
向かう先は巨大な湖。目的は──仲間を一人でも多く救うため。
アリューゼは後ろの馬車に残っていた騎士に馬車の護衛を命じ、疎む足を無理矢理動かしながら、湖へと走っていった。
突然目の前が暗くなったかと思うと、水飛沫が頭上から降ってくる。真っ正面の湖からは、軽く見積もっても直径5mはあろう青白い何かが突き出ていて、うねうねと気味悪くうねっていた。腰を抜かした騎士達が空を見上げると、凡そ10m程上で、鋭い牙がずらりと並ぶ、有り得ないまでに裂けた口しか無い化け物が──
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァア゛ア゛ァア゛ア゛ア゛ア゛ァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァア゛ア゛ア゛ア゛ァア゛ア゛ァア゛ア゛ア゛ア゛ァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ!!」
──おぞましい絶叫と共に、丁度その口を騎士達に向けて振り下ろす所だった。
「あ………」
騎士達には近付いてくる巨大な化け物がスローに見えていた。少しずつ巨大化していくその口腔を前にしても、感情の流れまでもがスローになってしまったかのようで、恐怖らしい恐怖は抱かなかった。
その代わり、周りを様々な映像が飛び交っていた。仲間や王国の人々、更には自分の家族、恋人達。映るモノは様々だが、彼らが大切にしているモノに違いは無かった。
そして、それらが寂しげな笑顔を浮かべながら手を振り、少しずつ離れていくのだ。何故か二度と会えないような気がして、それらに向かって手を伸ばす。しかし、届く事は無かった。
軈て映像が消え、目の前に迫った巨大な口腔と向き合う事になった。それを前にした時、騎士達は漸く〝死〟を意識した。
そして、その口腔から覗く暗闇に包まれようとした時の事だ。
「あれ?」
騎士達の視界に一つの映像が映った。それは、見覚えのある黒尽くめの人が、見覚えのある紫色の不思議な形の剣を携え、今までに見た事も無い化け物に斬り掛かると言うモノだった。
今置かれている状況から逃げ出したいが故の、ご都合主義的なモノだろうと解釈し、騎士達は自嘲気味の笑いを溢した。
「──────────!!」
しかし、最早言葉と表現出来ないような轟音が轟き、それで我に帰った。目の前には、妖刀村正を両手で握りつつ振り抜く直哉と、八割程を切断された化け物──先程見た映像の続きとなる光景が広がっていた。
そして、目の前の化け物の切り口から生暖かいモノが身体に吹き付けられた。それが体液だと言うのに気付くための時間は、そう長くは要さなかった。
「おい!何してんだ、とっとと逃げろ!」
直哉の怒号が騎士達の背中を押し、騎士達は頷く暇も作らずに逃げ出した。
その時、背後で水が裂けるような音がしたが、振り返る余裕など無かった。
その音の発生源を目の当たりにした直哉は、顔に引きつった笑みを貼り付けていた。
「んだよコイツ、聞いてねぇぞ………」
直哉の視線の先では、力無く地面に落下する化け物と同じモノが三匹ほどうねっていた。先程の化け物よりも数倍長く、各々がまるで怒り狂っているかのように叫んでいて、その身体中に濃い青筋が走っていた。
舌打ちをすると同時に、後ろからアリューゼが駆け寄ってきた。
「何なんだ、この化け物は」
「水汲もうとしたらこれだもんな………」
苦笑いしながら、直哉は視線を僅かにずらした。その先には、無惨にも壊れてしまった水桶が転がっていた。
「だから怒ってんじゃねーのか?」
「水貰うだけでキレたのか、短気ったらありゃしねぇ」
「キレた?」
「怒った、って意味だよ」
「なる──」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛!!」
アリューゼが納得しかけた所で、痺れを切らせた化け物が咆哮。そのまま二人目掛けてその長い首をしならせ、鞭のような薙ぎ払いを繰り出した。周りの木々を蹴散らしつつ、狂鞭は肉薄する。
直哉は咄嗟にアリューゼを後ろ側に突き飛ばし、自分は高くジャンプして狂鞭を回避し、通り過ぎる時に斬激を叩き込んだ。
化け物が再び絶叫を轟かせたが、それに負けない大音量で直哉は怒鳴った。
「早く騎士達を非難させろぉ!巻き添えは喰わせたくねぇんだ!」
そのまま馬車とは離れるように湖に沿って走り出した。化け物は無い目で直哉を睨み付け、そちらにだけ意識を集中させたようだ。水中から更に二匹が出現したかと思うと、各々が直哉に向けて攻撃を開始した。
アリューゼは一瞬迷ったが、直哉に向けて大声で怒鳴る事でその迷いを掻き消した。
「死ぬんじゃねーぞ!」
直哉が妖刀村正を一振りしたのを見て、アリューゼは馬車に向かって駆け出した。
今出来る事は、出来る限り犠牲者を減らす事だけだ。
「お前等!ここから一刻も早く逃げるんだ!」
御者台に飛び乗り、手綱を握った。すると、待ってましたと言わんばかりに馬が走り出した。後ろから慌てふためく騎士達が付いて来るのを確認し、馬車のペースを一段階程上げた。
街道沿いに走り続け、凡そ200m離れた所で止まる。そして振り返ると、化け物が何度も地面を叩いているのが見えた。
地震のような地響きから、化け物がどれだけ強大で、且つ危険なモノか改めて理解し、鳥肌が身体中を駆け巡る。
いつもの直哉なら大して差し支え無く倒せるだろうが、ここでは魔術に制限が掛かっているのだ。どうやって立ち向かうのかと不安になったのだが、これも鳥肌の原因の一つとなっていた。
「………死ぬんじゃねーぞ」
小さく呟いたアリューゼは、その拳をきつく握り締めた。
このうねうねした化け物は、様々なゲームに出てくるアレですよ、アレ。
個人的にお気に入りだったから使ってみたんです………!