第五十六輪:事故
つつつついに、PVアクセスがよんじゅうまん突破アアアアア!
感謝感激雨嵐、槍弓刀の狂乱舞でございましたアアアアア!
ちょっと奮発して、ちょっとだけ長めの文章になりまひた、痛々しい内容には目を瞑ってください………!
気が付くと、周りは闇一色だった。360度見渡しても闇しか無く、不思議な気分になる。
少し歩いてみると、水の中を歩いているような、これまた不思議な錯覚が直哉を包み込んだ。
暫く歩き回って、ふと上を見上げてみた。すると、明けの明星のような光が、呼んだ名前の通りに星の如く煌めいていた。
何だろうと考えている内に、つい先程の記憶が蘇った。
《あ゛………そういや、俺ぶっ倒れてなかったっけ?》
『やっと起きたか………』
首を傾げていると、後ろから呆れたような声が聞こえてきた。振り返ると、実体化をしたウィズが苦笑いしていた。
《あれ、お前何してんの?ついでに気が付いたのは少し前だかんな。歩き回ってたし》
『知るか!………まぁ、簡単に言うと、ここはお前の意識の底だ』
《ほうほう………流石ファンタジーアイランド、何でもアリだな》
『馬鹿言え!ったく、勝手にぶっ倒れやがって………シエルちゃんが心配してたぞ?』
《そりゃ申し訳無いな………で、みんなはどこにいるんだ?》
ウィズは無言で上を向いた。目映い光に目を細め、短い腕の更に短い指で指差した。
『………』
《………》
思わず口を開いて呆然とする直哉に、ウィズが励ましの言葉を投げ掛けた。
『大丈夫だ、その内引っ張られる』
《その内って………む?》
不意に何かによって前後上下左右に揺らされている事を感じた。無理矢理揺らされているイメージでは無く、まるで泣きじゃくる子供をあやすような感じだ。
耳を澄ますと、懐かしい(と感じるだけで、実際には先程聞いたばかりの)声も聞こえる。
──ヤ………オヤ、ナオヤ──
その泣きじゃくる子供のような声に、思わず苦笑いしてしまう。
《どっちがあやされてんだか分かんないな、これじゃあ》
『愛されてますねェ』
《お前もだよ》
同時に、エレベーターに乗った時のような重力が襲った。座り込みそうになるのを辛うじて堪え、何とか耐え忍ぶ。
光が少しずつ大きくなり、直哉は堪え切れずに目を閉じた。同時に、身体を暖かいモノで包み込まれ──
「う、ん………」
「ナオヤっ!!」
「むぎゅ」
次に気が付いた時、直哉は馬車のベッドに寝かされた状態でシエルにきつく抱き締められていた。先程と似た──否、同じ温もりを感じ、頬が緩むのを感じた。
幸せな一時に身を任せていると、二人の様子を伺っていた一人の騎士が遠慮がちに話し掛けてきた。
「お取り込み中申し訳無いんですが………」
「「!!」」
その声に驚いたシエルは直哉から飛び退き、直哉も慌てて立ち上がろうとする。しかし、頭に鈍い痛みが走り、上半身を起こした状態で止まった。
「っつ………」
「!!」
真っ赤に染まりながらも直哉を寝かせるシエルは、大したモノだと言えるだろう。
直哉を横たえて一息ついた所を見計らい、騎士は口を開いた。
「無理はしないでね。寝たままで良いから」
騎士──ミーナの好意に感謝し、直哉は目だけをミーナに向けた。そのまま耳を傾け、話を聞く態勢を取る。
少しの間が空いてから、ミーナは話し出した。
「他のみんなは大丈夫だったんだけど、ナオヤだけは重症だったんだよね。あれから暫く眠ってたんだよ?」
「マジで………じゃなくて、本当に?」
その言葉に驚いた直哉は、ミーナに向けた視線を窓の外に向けた。すると、赤く染まりつつある太陽が、鬱蒼と生い茂る森を不気味に照らしているのが見えた。
同時に、申し訳無さで一杯になる。
「って事は、俺のせいでみんなが足止めを喰ったって事か………」
「他のみんなは大丈夫だったんだけど」と言うミーナの言葉を心の中で反芻し、直哉は深い溜め息を洩らす。親善使節に掛かる時間とシエルを危険に晒す時間を大幅に増やしとしまったと言う事実は、直哉を罪悪感で満たさせるのには充分だった。
しゅんとしているのを見てか、シエルとミーナがフォローを入れた。
「ナオヤのせいじゃないよ!この森がいけないんだよぅ」
「ここを動かなくて正解よ。下手に動いてもこんな広場があるか分からないし、無闇に魔物が蔓延る森に入らない方が良いって分かっただけ儲け物だわ」
それはしっかりと効果をもたらしてくれたようだ。「そうかな」と呟き、直哉は仰向けに寝転がる。
寝転がると、今度は別の懸念が浮上した。
「………ところで、どうして俺はぶっ倒れたんだろう」
倒れるまでの記憶を遡ってみる。
洗い物を騎士達に見せ、頑張る様子を尻目に周りを観察。森の中に気配を感じたので、水球をぶん投げた。すると、魔物に命中したらしく、仲間をやられた魔物が(多分)激昂して襲ってきた。それらからシエルを守るために空中に魔術を展開し、足元にいる魔物に向けて雷球を放った。そして着地し、再びシエルを降ろすべく飛び上がった。お姫様抱っこして着地してからシエルを降ろし、狼モドキを森に返した。ここで馬車に向かおうとして──急に吐き気に見舞われ、苦しくなって、そのまま………。
ここまで思い出してみたが、思い当たる節は何も無い。強いて言うなら、魔術を多く使っただけ──
「………もしかして、魔術を使ったら症状が悪化するのか?」
不意に呟いた一言は、シエルとミーナを硬直させる力を秘めていた。
「「それだっ!!」」
「うわっ!」
硬直するのも同時だったが、それが解けるのも同時で、発言も同時、更には指を差すのまで同時だと、流石の直哉も驚きを隠せなかった。
ナイトよりもウィザードがへばったと言う事実にも反していない直哉の意見は、現在最有力の意見(他に出ていないから、必然的に最有力になるのは内緒だ)となった。しかし──
「あ………でも待って、そしたらナイト達はどうして?」
ミーナが不意に呟く。「そう言えば………」とシエルが呟き、直哉は〝考える人〟となった。
「ふむむ………ウィザードだからって身体が弱いって訳でも無いだろうし………」
「みんなに症状が出たって事は、みんなに共通してる事が原因かな?」
ミーナが魔力を練り上げながら呟く。とは言っても、手のひらに乗ってしまいそうな程の小さくて今にも霧散してしまいそうなモノだが。
それを聞いて閃いたのはシエルだった。
「あーっ!もしかして、エレメントに影響してるんじゃないのかな?!」
手をぱちんと叩き、満面の笑顔で言った。難しい問題が解けた時のような清々しさを振り撒いている。
それを聞いた直哉は、軽く首を傾げる。
「でもさ、そうだとしたらおかしくね?俺、森に入った時何とも無かったし」
「あ………それもそうかぁ………」
正座して縮こまってしまったシエルの頭を撫でようと立ち上がる直哉。先程の頭痛も目眩も無く、今度はスムーズに立ち上がる事が出来た。
ミーナが心配そうな表情を浮かべたので、大丈夫だよと言っておいた。それを証明するために、直径が30cm程の雷球を作り上げる。それを凝縮し、直径5cm程になり、漆黒が顔を覗かせた所で森に投擲した。
「てりゃ!」
それはゆっくりと空気中を漂い、一本の木に命中した。刹那、木は陽炎のような揺らめきを残し、音も無く消え去った。
盗賊に対して使った時は電子の嵐(直哉は凄まじい力と言う認識しかしていないが)を重力に転換していたため、電子が直接影響を及ぼす事は無かったが、今回はその調節をしていないのだ。〝物体を構成する〟原子に作用し、無作為にその構造を破壊したのだ。ある意味最凶な魔術である。
景色が歪み、漆黒に吸い込まれるようにして消えていく光景は、人工的なブラックホールを彷彿とさせた。
暫くすると、ありとあらゆる物を分解していた電子の嵐が止んだ。そこには太陽が燃え散らしたかのように〝何も無い〟直線が残されていた。
言葉を失う二人の前で、直哉は──
「ほら、もうへっちゃ──ら?」
「あっ!」
「もう、何してるの!」
──再びぶっ倒れた。
次に目が覚めたのは日が昇りかけた頃だった。
「うぇっぷ………」
「あ、おはよ………顔色悪いね」
揺れる馬車に頭を揺られ、軽い車酔いに顔を顰めた所をシエルに見られてしまった。今は窓辺にいるが、どうやら看病をしてくれていたらしく、隣には水桶が置いてあった。
起き上がりながらバツの悪そうな笑顔で頭を掻き、直哉は溜め息をひとつ溢した。
「はぁ………調子に乗らなけりゃ良かった………」
「全くだよぅ」
シエルがとことこと近付いて来て、直哉の脇にちょこんと正座した。今はシエルの方が身長が高く、直哉が見上げる形となっている。
シエルの表情は、どこか不貞腐れながらも直哉を心配する色を滲ませていて、それがとてもむず痒かった。
「えと………い、いつから馬車走らせてたの?」
耐えられなくなった直哉がそっぽを向きながら話題転換する。シエルはその姿にくすりと笑い、直哉の意図をしっかりと汲み取った。
「ふふ………えっとね、直哉が倒れてそのまま眠っちゃったし、周りも暗くなってたから、下手に動くんじゃ無くて野営を張ろうって事になったの。で、お日様が見え出した頃に出発したの」
「ふむ………」
また足を引っ張ってしまったかと言う不安を覚えた直哉だが、そこまででは無い事に一安心した。が、気を遣わせてしまった感は否めない。
今度は調子に乗らないようにと自分に言い聞かせつつ、御者台に座るアリューゼへと話を振った。
「あと何日くらいで抜けられる?」
「んー………飛ばしたい所だが、馬に無理をさせる訳にもいかねぇし──」
そこまで言い掛けて、最前列を走る騎馬騎士達が敵襲を知らせる怒号を飛ばした。
刹那、森の中から次々と魔物が飛び出して来た。
「──魔物も増えててそれどころじゃねぇ」
苦笑いしつつ、脇の両手剣に手を伸ばす。周りの騎士達が防ぎきれなかった魔物を仕留めるためだ。
余談だが、アリューゼがこの前の盗賊討伐から両手剣を使っているのは、その地に応じて有利になったり、逆に不利に働く事があるからだそうだ。狭い空間でリーチの長い槍は不利に陥る危険性が大きい。なので、騎士達は槍では無く両手剣を使う者が多いとか。
警戒を露にするアリューゼを見て、直哉はどうにか出来ないかと考えた。
《うぅ~ん………魔術を使ったら倒れるのは確定だからなぁ………》
先程(と言うか昨日)の教訓を生かし、即刻魔術を発動させたりはしなかった。しかし、いつでも対応出来るように魔力は練り上げ済みだ。
《んー………魔力があっても、大して変わった様子は無いな》
『やっぱり魔術を使ったらいけないのかなぁ………』
直哉が内心で呟くと、シエルの声が頭に流れ込んで来た。この距離なら実際に言葉を交わした方が楽な気がするとは思ったが、何も言わないでおく。
考える人になっていると、馬車の後ろの窓から狼モドキが飛び込んできた。それは躊躇う様子も無く、シエルに向けて突進する。それを瞬間的に察知し、直哉は腰のベルトから柄を引き抜き、右手で構えた。それに練り上げた魔力を注ぎ込み、完成した紫色の刀身を狼モドキに向けて一振りした。
要した時間は一瞬だった。
「ギャッ!」
太刀の直撃を喰らった狼モドキは、如何にも獣らしい悲鳴をあげながら馬車の中で転がり、壁に激突。そのままひくひくと痙攣し出した。
シエルが狼モドキに気付いたのは、丁度壁に激突した時だ。それを視界に捉えるや否や、直哉に飛び付いて震え出した。
それを優しくあやし、来るべき副作用に備える。多少辛くても、シエルのためなら仕方が無い。
「………?」
しかし、待てども待てども副作用は襲っては来なかった。不思議に思ってシエルを見ると、シエルもきょとんと直哉を見上げていた。魔術を使った事に気付いているからなのだが、直哉にとってその小動物チックな身振りの方が重要だった。
──余談だが、シエルも直哉の動作に頬を緩ませていたりするのだが、直哉は気付いてはいない。
「あれ?今は平気なの?」
「あぁ、ちょっとダルいだけだな………どうしたんだろ」
首を左側斜め45度に傾げる直哉──シエルが柔らかく微笑んだのに気付かない──は、自分の右手が握り締める鈍い輝きを放つ日本刀を視界に捉えた。刀身からは糸のような稲妻がほとばしり、有り余るエネルギーを発散せんばかりに唸っている。
それを見て、とある事に気付いた。
「──そういやさ、今回は魔術を〝打ってない〟んだよね」
「え?」
シエルが不思議そうに直哉を見上げた。しっかりとしがみついたままだったので、顔の距離が近い。が、今は羞恥を疑問が押し切っているようだ。
それは直哉も同じで、赤面する事も無く、シエルの疑問符を解消させるための解答を並べる。
「ほら、最初の魔物襲撃ん時もさ、まずはシエルを空に浮かせて、んで雷球を放って………ってしてるんよ。で、ミーナに心配されたから、平気だって言いながら魔術を放って………ぶっ倒れた筈だ」
「確かに………」
「でも、今はダルさしか感じないんだ………魔術を放たずに手元に留めてるだろ?これが唯一の相違点って訳だ」
「ナオヤ凄い!」
説明を粗方終えると、シエルがより一層きつく抱き着く。それで直哉は現在置かれている状況を理解し、顔がみるみる内に赤く染まっていった。
二人っきりなら未だしも、御者台にはアリューゼが座っているのだ。振り向かれたら(色んな意味で)アウトである。
しかし、試練は来て欲しく無い時にやって来るモノだ。
「おい、大丈夫か?!」
シエルの言葉でアリューゼが振り返ろうとしたのだ。その一連の流れがスローに感じられ、脳内に赤く点滅するゴシック体の「Warning!」と言う文字がちらつき、耳の奥には鐘を激しく打ち鳴らす音が響く。
咄嗟に魔力を練り上げ、アリューゼと自分達の間に魔力の壁を張った。魔術迷彩の応用で、後ろからは見えないが前からは見えると言った具合になっている。後ろには窓があるのみなので、ある程度隠してくれるから安心だ。
「………ナオヤ?」
御者台から後ろを振り向いたアリューゼは、いる筈の二人がいない事と、魔力が満ち溢れてる事に怪訝な表情を見せた。
何とかシエルをひっぺがし、正座させた。正直、抱き着かれるのは歓迎ウェルカムだが、時と場合によってはそうも行かないので仕方が無い。
それを知ってか知らないでか、顔を朱に染めたシエルが座りながら直哉を見上げる。
『たまにはいいでしょー………ぶぅ~』
《嫌じゃ無いけどさ………その、人目がな?》
『ぶぅぅ~………』
シエルの対応に困って──且つ恥ずかしくなって──いると、アリューゼの声が大きくなった。
「おい、ナオヤ!大丈夫か?駄目なのか?!」
魔術を使った直哉がぶっ倒れた事を知るアリューゼは、直哉が魔力を集めている事に異常事態の可能性を見い出したのだ。そのまま後ろ側に回り込み、窓から中を覗き込む。
「ナオ──」
「あー大丈夫、全然平気っすよ」
冷や汗を数滴流しながら満面の笑みを浮かべている直哉を見て、アリューゼは怪訝な表情を浮かべつつも渋々戻っていった。
対する直哉は安堵の溜め息を洩らし、額の汗を拭った。同時に魔術迷彩を解除しようとして──止めた。
「………」
シエルの訝しむ眼差しには気付いていない。
ただ、何か素晴らしい事を思い付こうとしているのだ。
「どうしたの?」
魔力で出来た不可視の壁を睨み付ける直哉に、シエルは声を掛けた。
そんなシエルに、直哉は視線をずらす事無く言った。
「いや………ここで魔術迷彩を解除したら、俺はぶっ倒れるかなぁって思ってさ」
頭をフル回転させる直哉は、いつの日かコラーシュに聞いた事を思い出していた。
『エレメントは魔術を使うと消費されるが、数日休めば回復するんだ』
《魔術に使ったエレメントはどうなるんですか?》
『それはマナに分解されてしまうんだ』
《へぇ~………あ、じゃあ、エレメントとマナを合成して魔力にしたら?》
『それも放っておけば自然に溶け込んでしまうよ。………但し、魔力をエレメントとマナに分解し、そのエレメントを再び取り込む事は可能らしい──尤も、成功したと言う話など聞いた試しが無いがな』
《ほぉ~》
魔物の討伐に動いた騎士達全員に症状が出て、物理的戦闘をしたナイトよりもパラディン、そんなパラディンよりも魔術を使ったウィザード達に影響が強く出たと言う事は、謎の現象は少なからず魔術に関係していると言う推測へと繋がる。コラーシュはマナを体内に取り込むと言う話題は出していない(直哉が聞いていないだけかも知れないが)から、その推測を更に吟味し、最終的にはエレメントに関連していると言う仮説を立てたのだ。
──仮説と言うより、半ば確信に近いが。
意を決した直哉は、魔術迷彩を〝解除〟せずに〝分解〟して〝吸収〟する事にした。が、肝心のやり方が分からなかった。
なので、取り敢えず馬鹿正直に念じる事にした。妖刀村正を掴んだまま、目の前の見えざる壁に向かって念じた。
《帰ってこーい、帰ってこーい………》
『………?』
直哉の心の叫びを聞いたシエルは、ただ首を傾げるばかりだ。
当の本人は滅茶苦茶に集中しているようなので、何も口にはしないが。
そんな直哉を違和感が襲ったのは、それからすぐの事だった。
《む………》
空気の塊のようなモノが纏わり付き、そのまま身体に浸透していく感覚に、直哉は心の中で声を出した。それに反応したシエルは、相変わらず不思議なモノを見る眼差しで直哉を見つめる。
《まさか、馬鹿正直に帰って来たのか………?》
『?????』
疑問符を五つ浮かべたシエルに、直哉は大雑把な説明をした。
《魔術迷彩を形成してた魔力をエレメントとマナに還元して、エレメントだけを吸収してるんだ………何か変なのが身体中から染み込んで来てるから、多分成功だと思う》
それを聞いたシエルは、口をあんぐりと開いて硬直した。
『す、凄いよナオヤ………シエル、そんな事出来たなんて聞いた事無いや………』
驚いたのは直哉も同じだ。まさか馬鹿正直に念じただけで自動的に還元され、しかもエレメントが帰ってくる等とは想像も出来なかったようだ。
軈て肌に違和感を感じなくなり、直哉は集中を解いた。同時に、ぺたんと座り込んでしまった。シエルが昨日の副作用かと不安になったようで、慌てて直哉を横にしようとしたが、直哉がそれを手で制した。
「大丈夫、ちょっと疲れただけ………」
ふぅ、と溜め息をつき、直哉は寝転がった。そのまま目を閉じて暫くじっとしていたが、副作用は襲い掛かって来なかった。
起き上がって無事を示しつつ、直哉はアリューゼに声を掛けた。
「アリューゼさーん」
「何だ、まだまだ掛かるぞ?」
振り向かずに答えたアリューゼを見て、直哉は知らぬ間に笑顔を浮かべていた。
「よし。解除せずに分解・吸収したぞ………ついでに、あの吐き気も頭痛も目眩も無い」
確認するように呟き、身体に異常が無いか確認した。腕もしっかり伸ばせるし、足もちゃんと動いた。どうやら異常は無さそうだ。
シエルに向かって左手でピースサインをした。手の甲の六芒星が紫色に光輝く。
嬉しそうにはしゃぐシエルに目の保養を任せ、直哉は手探りで妖刀村正を掴んだ。
「あとはこれを………………………………」
魔術迷彩と同じように分解しようとしたが、完全な魔術になってしまうとそれも困難になるようだ。
なので、分解は諦めて解除をした──と同時に倒れ込んだ。
ゴンッ!
「あたっ」
「!!」
頭を床に打ち付け、苦しそうに唸る直哉。流石にシエルも異常を感じ、直哉の頭を膝に伸せた。
荒い呼吸を繰り返しつつ、直哉はシエルにお願い事をする。
「お、俺は………はぁっ、はぁ………大丈夫、だから………みん、なに、結果を………伝えて、くれ………ガクッ」
それだけ──最後の効果音もしっかりと──言い残し、直哉は真っ白に燃え尽きた。
──満足げな表情で眠っただけだが。
心配そうな顔をしていたシエルだが、直哉が寝息を立て始めた事に安心したようだ。抵抗が無い事も幸いしたのか、シエルは直哉の頭を優しく撫で、頬っぺたをむにゅっと摘まむ。
むにゅ
「うぎゅ」
「ふふっ、可愛い」
懐かしい感覚にひたすら摘まみまくっていたが、ふとある事を思い出した。
御者台に目を遣った。そこにはアリューゼがいて、街道の先とにらめっこしている。
周りを見渡す。部屋のような室内には、大きめのベッドに大容量のクローゼットと直哉、そして──先程の狼モドキしか無い。
直哉の頭をそっと降ろし、窓から外をちらりと見た。街道が狭くなったからだろう、周りを囲んでいた馬車や騎馬騎士達は直列に並び、左右には深い森が広がっていた。そのまま視線を後ろ側にずらすと、騎士達が乗る馬車が一定距離を保ちながら付いてきているのが見て取れた。
前のアリューゼと後ろの騎士達にさえ気を付ければ、今の状況は〝二人きり〟と言っても過言では無い状況だ。
それを何度も確かめてから、直哉の元へと戻った。
「………」
生唾を呑み込んだシエルの顔が紅潮する。ゆっくりと座り、直哉の顔を覗き込んだ。
前にもこんなシチュエーションがあった気がすると思うと、顔が赤くなるのを止められなかった。なるべく無心になろうと心掛けつつ、ゆっくりと顔を近付けていく。
シエルが思い出した事──それは〝大人の階段を昇る〟事だ。前は二十段飛ばしレベルに難易度が高い事だったが、今ではちょうど二段飛ばしレベルにまで下がっている。
シエルも年頃の女の子だ、興味を持っても誰も責めたりはしない──尤も、責める人がいない状況を選んだのだが。
『柔らかいのかなぁ………セラは〝甘い〟って言ってたけど、本当かなぁ……』
シエルが自分の唇を指でなぞった時、エアレイドのメイド控え室ではセラが盛大なくしゃみをしていた。
それでも顔を近付ける事を止めないシエルの頭の中に、ウィズの声が響く。
『頑張れシエルちゃん、もう一息だ!』
『!!』
それに驚いたシエルは、床に手を着いて立ち上がろうとして、滑らせてしまった。
「あ──」
今、シエルを支える力は何も作用していない。作用しているのは、下へと引っ張る重力mg(重力加速度9,8、シエルの体重はシークレット)のみ。足掻く暇も無く、そのまま自由落下する。
それでも何とか耐えようと再び床に手を着くが、手遅れだったようだ。
「──!」
瞬きをする事さえ忘れ、ゆっくりと流れる映像に意識を向ける。しかし、ゆっくりと流れていた筈の映像は、あっという間に過ぎ去ってしまった。
気付いた時には、直哉の閉じられた瞳が目の前にあった。そして、唇を柔らかくて暖かい、直哉のそれに押し付けていた。
そのまま数秒間、シエルは身動ぎの一つも取れなかった。詰まり、数秒間〝キス〟を続けたのだ。
──続けた、よりも〝続けられた〟の方が正しいかも知れない。
放心状態に陥ったシエルを救ったのは他でも無い、シエルに唇を塞がれている直哉だった。
「ん………」
軽く唸ったかと思うと、顔をかすかに顰めた。それがシエルの耳に入った刹那、シエルはテレポートのような速度で直哉から離れた。
室内の角に移動し、膝を抱き抱えながら現状を理解しようとする。
『いぃいいいぃぃ、いい、いっ、今今今今のははははぁぁぁ、じじじっ事じ故だだっ、ですすす、ましたあっああぁぁああ』
しかし、それは却って動揺しか生み出さなかった。
平静を保とうとする度に、先程の光景が鮮明に蘇る。閉じた瞳、かすかな体温、唇の感触──
ガチャッ
「!?!?!?」
そこまで妄想してオーバーヒートしようとしていると、不意にクローゼットのドアが開いた。その音に慌てて振り向くと、そこには満面の笑みを湛えたミーナが立っていた。
いつの間にかクローゼットに忍び込んでいたらしい。魔物の襲撃よりも潜入を優先する所、流石女の子だ。
「………」
ミーナは無言で腕を突き出し、親指を天井に向けた。そのままウインクをして、「グッジョブ!」と言わんばかりの視線を投げ掛けた。
それを見たシエルは、真っ赤な顔を更に赤くし、当然の如く慌てる。しようとしたのは本当だが、今のは間違い無く〝ハプニング〟だ。心意気だって違えば、どれだけ落ち着いていれるかだって変わってしまう。
「あ、あ、いや、あの、えと、その、ち、ちが、ちがっ、違うの!今のは、その──」
「今のはぁ?」
「あぅぅ~………」
ニヤニヤしながら聞いてくるミーナは、シエルには邪神宜しく見えて──セラが透けて見えているような気がして、そんな生温いモノでは無いと悟った。
そして、透けて見えたセラが不気味に微笑んだかと思うと、ミーナもつられるように微笑んだ。
「シエル様も大人になったね~………でも、起きてる時にしなきゃね?」
ボンッ!ボンボンッ!
ついにシエルの頭が情報理解・処理能力の限界を超え、その膨大な情報が爆発を起こした。それは「自己防衛」と言う本能を活性化させ、他の部分は活動を停止した。
活性化された自己防衛本能が導き出した結論は──
「ゆ、め………」
──だ。
薄れ行く意識の中で最後に感じたモノは、まだ唇に残る温もりと、かすかな甘みだけだった。
シエルが大人の階段を二段飛ばしで上ろうとしている頃、エアレイド王国のメイド控え室では──
「はーっくちゅん!」
──可愛らしいくしゃみをして、気だるそうに鼻をすするセラがいた。
「あら、風邪かしら?」
「無理は良くないわよ~」
「少し仮眠でも取ったら?」
周りのメイド達からありがたい言葉を戴き、セラはにっこりと微笑んだ。
──この時、クローゼットの中に潜んでいたミーナも笑顔だった。
そのまま立ち上がり、ベッドに移動する。倒れ込むと、意識は一気に沈んでいった。
そして、夢の中でシエルが大人の階段を上った瞬間の映像を目の当たりにした。何故それが流れたかは分からないが、それが凶事の前兆となる事に違いは無かった。
帰ってきたら問い質そうと心に決め、夢も無いような最深層へと沈んでいくセラであった。