第二十八輪:小手調べ
つつつついに、累計アクセスが六桁突入してしまいました…
こんな駄作に暖かい眼差しをありがとうございやす!
これからもよろしくね(はぁt
チュンチュンと小鳥が囀り、太陽がソーラービームを世界中に照射する。新しい朝が来たのだ。
光を感じてシエルが起き上がった。大きく伸びをし、眠気を飛ばそうとする。
「ん~!…ふぁぁ~」
眠そうな空色の瞳を、まるで小動物のようにくしくしと擦る。
そして、今の状況を理解しようとする。
『あれ…私、何でお部屋にいるのかな』
周りを見回すと、自室である事が理解できた。住み慣れた部屋なので、間違う筈がない。
『確か…二人で町に降りてって、みんなに追い回されて…裏通りに隠れて…どうしたっけ?』
町民による珍獣狩りのターゲットにされた事も覚えている。波の如く押し寄せてきた恐怖は忘れられない。
そこまで思い出して、シエルは気付いた。
『二人?……あ、ナオヤ』
手をぽんっと叩き、閃いた時のようにする。本当にマイナーな動作以外、元世界と異世界の動作には大きな差がないようだ。
きっと部屋まで連れてきてくれたのは直哉だろうと目星を付ける。
『後で…ううん、起こすついでにお礼言いに行こーっと』
考えたら即行動だ。シーツを退けて、ベッドの下に足を着け――
ぷにっ
「うぎゅっ」
「……?」
暖かくて柔らかい何かを踏みつけたようだ。謎の鳴き声を発したところを見ると、それはどうやら生命体のようだ。
今度は場所をずらしてもう一度踏んでみる。
ボキボキボキボキッ
「?!?!」
足に嫌な振動が伝わってきた。びっくりしたシエルは足を引っ込め、下の様子をそーっと確認する。
「……あ」
「すぴー…んー…ふがっ」
そこには、黒尽くしの未確認生命体…もとい、直哉が寝そべっていた。うつ伏せで首を左に捻っていて、鼻からは不思議な風船が出ている。それは息を吸うと縮み、吐くと膨らんでいた。
シエルの好奇心をそそるのには十分すぎであったらしく、シエルはゆっくりと足を伸ばし、つま先でそれに触れた。
パンッ!
「んぁ…」
「!!!」
すると、その風船は割れてしまう。同時に直哉まで起きるので、シエルは驚きながら足を引っ込め、ベッドの隅まで後退りした。
少しすると、直哉がゆっくりと起き上がる。
「ふぁぁぁ~…あ、おはよ」
ベッドの片隅で丸くなるシエルと目が合い、朝の挨拶を交わす直哉。それを見たシエルは、未確認生命体ではなくいつもの直哉である事を再認識し、安堵の溜め息をついた。
「はぁ…良かったぁ」
「え、なになに?」
「ううんなんでもない、おはようナオヤ、あはははは」
「…シエル、まだ疲れてるんじゃないの?熱でもある?」
「え?そんな事ないよ、シエル元気だよ?うん、元気元気」
「そうか?それならいいんだけど…」
「気にしない気にしない!それよりさ――」
くぅぅぅ~っ
「………」
「………」
「昨日はありがとね!」と続く筈だったシエルの言葉は、自分の腹の虫に掻き消されてしまった。
シエルの顔がみるみるうちに赤く染まる。
「「――朝ご飯食べに行こ?」か…そういや昨日は何も食べてなかったな」
「うぅ~…」
真っ赤になって体育座りをするシエルを見て、直哉は自分も空腹である事に気付いた。
だが、何故シエルが赤く染まったのかは分からなかった。デリカシーと言うモノが完全に欠如しているようだ。
《失礼な!俺にだってデリカシーくらい存在するわい!》
『デリカシーの意味は?』
《デリバリー・カシータ?》
『…今なら間に合う、幼稚園から…いや、寧ろ産まれる前からやり直せ』
《何だと!じゃあデリカシーって何だよ、説明してみろよ!》
『ナオヤには間違いなく存在しないモノだ、間違いなくな』
《繰り返す必要無くね?》
『脳みそ筋肉なお前にも分かるように繰り返してやったんだよ、感謝しやがれ』
《要らぬ世話じゃ!》
因みに、カシータ(Casita)とは、米国南西部やメキシコの小さな家の事らしい。
…確かに産まれる前からやり直した方が身のためである。
脳内論争を繰り広げていた直哉だが、それに(一方的に)終止符を打つ。そしてシエルと向かい合った。
「ま、まぁあれだ、朝飯食べに行こう、俺もそろそろ死にそうだ」
「………」
黙って頷くシエル。ベッドから降りて靴を履き、恥ずかしそうに直哉の隣に歩み寄る。そして、直哉の左腕…スウェットの二の腕らへんを右手で摘まんだ。
その動作が意味する事は分からなかったが、言葉で表現出来ない"何か"を感じた。
「だ、大丈夫、かな?」
「………」
再び黙って頷くシエル。大丈夫らしいので、直哉は早速部屋を出る事にした。
ドアノブに手を掛け、捻る。そのまま押すようにドアを開いた。
ドンッ
「わひゃっ?!」
開いたドアは何かにぶつかり、ドアの向こうから聞き覚えありまくりな悲鳴が聞こえた。
沈黙する二人を余所に、その人はドアの向こうで慌てふためいている。
「あぅぅ、見つかっちゃ、見つかっちゃまずいわよ、私!」
「早く逃げなきゃ、俺に見つかっちゃうよ?」
「うん!…ナオヤに見つかったら、私……っ……え……?」
「おはよう、セラ」
「………」
「あ…お、お二方…お…おはよ…ございます…」
セラの声があからさまに震え始めた。素晴らしいまでに輝く笑顔を向ける直哉と、真っ赤に染まりながら直哉に隠れるシエルがいたからだ。
セラは不可侵妄想フィールドを展開した。
『どうしてシエル様は真っ赤なのかしら…まさか、ついに…いや、ナオヤはかなり初だし…でも、二人っきりだったら――』
「あのさ?」
「ひっ!」
直哉がセラの肩に手を置いた。得体の知れない威圧感に、妄想フィールドは無惨にも打ち砕かれてしまった。
はっとして直哉を見上げるセラを、表情を変えずに見下す直哉。
「聞こえてるんだけど?」
「えっ?」
直哉のこめかみに青筋が浮かび上がり、それを見たセラの顔は青白くなった。
セラは戦略的撤退を試みたが、回り込まれてしまった。相手が悪すぎたようだ。
ぶるぶる震えるセラを前に、直哉が言った。
「シエルー」
「………」
シエルが直哉の後ろから出てきた。顔は真っ赤だが、目は笑っている。
シエルはニコニコしながらセラに近付いた。セラは金縛りにでもなっているのか、身体を動かす事が出来なかった。
セラの頬っぺたにシエルの手が触れた。ビクッと跳ね上がるセラを、満面の笑みで見上げるシエル。
「ぅ…ぁ…」
「………」
セラが目を見開くと同時に、直哉は叫んだ。
「やっちまえ!」
その言葉を合図に、シエルがセラの頬っぺたを摘まんだ。それも、ちょっぴり力(恨み)を込めてだ。
「ひにゃあああああああ!!」
セラの絶叫は王宮中に響き渡り、惰眠を貪る人々を残らず叩き起こしたのであった。
「ったくよー…朝から盗聴なんぞしやがって…」
「………」
「だってぇ~…」
上から直哉・シエル・セラだ。三人は揃って食堂に向かっている最中である。
シエルは相変わらず真っ赤で、直哉に隠れるようにして直哉の左側を歩いている。セラは赤くなった頬っぺたをさすりながら、直哉の右側を歩く。
昨日一度も食事を摂りに来なかった二人を心配し、シエルの部屋覗きに行った…までは良かったのだが、覗いてみると二人が眠っていて、何かしらアクションを起こすのを期待し、朝まで盗聴していたらしい。
結局二人が起こしたアクションは、直哉がセラの戦略的撤退を阻止し、シエルがセラの頬っぺたを摘まんだ事だけだったのだが。
残念そうに溜め息をつくセラを小突きながら、直哉はシエルへと視線を向けた。
少し赤みが抜けてきたのだが、相変わらず赤いままだ。少し心配になってきたようだ。
すると、セラが突然話し掛けてきた。表情はやけに明るい。
「ところで、どうしてシエル様は真っ赤なのー?」
ビクッとするシエルを見て、もしかしたらと期待を膨らませるセラ。一気に畳み掛けようとする。
「あれー?まさか、お二方――」
「違うっつーの、お前の妄想脳もここまで来ると大したもんだな…」
直哉が呆れたように否定した。だが、セラも負けじと食らい付く。
「だってー、明らかにおかしいじゃないでーすかー!」
「これはな、シエルの――」
「ダメぇぇ!!」
シエルが叫びながら直哉に抱き着き、直哉の言葉の続きを遮った。驚く直哉を上目遣いで制し、シエルは必死に弁解した。
「こっ、これはね?そのっ…なっ、ナオヤがねっ?」
「え――」
「いつの間にかね、私の隣で寝てたから…その、びっくりして…」
「な――」
『オイ待て鈍感ヤロー』
否定しようとする直哉をウィズが止めた。
《何だピカチュウ》
『今はシエルちゃんに合わせてやれ…それがデリカシーってもんだ』
「――なんだ、その事か。いやー完全に寝惚けててな」
ウィズの"デリカシー"と言う言葉を聞いた瞬間に、直哉は態度を一変させる。先程の「デリカシーが無い」発言が、さりげなく気になっていたようだ。
シエルの表情が明るくなった。
「――!」
「悪かったな、シエル…次から気をつけるよ」
恥ずかしそうに頭を掻く直哉に、シエルは笑顔を投げ掛けた。
それを見たセラは
「にゃんですと!同じベッドで――」
「だーかーらー、寝惚けてたっつってんだろ!」
「うぅ~…ほんとかな~…」
「え?」
「何でもございません」
煮え切らない様子だったが、直哉が魔力を纏い始めた瞬間に大人しくなった。直哉の"粛清"は既に経験済みなので、恐ろしさは喰らわなくても分かるのだ。
それからはセラもでしゃばらず、シエルも赤みが抜け切ったらしく、"普通な"会話が繰り広げられる。
「今日もいい天気だねー」
「ぽかぽか?」
「何で疑問系なんだよ」
「だってぇ~………何で?」
「逆に質問すんなよ…」
「あははっ、ぽかぽかだね!」
「でもさ、太陽光って痛くね?」
「「?!」」
「いやさほら、寝起きにゃキツいだろ?ジリジリするし暑いし」
「「………」」
二人は直哉から離れ、警戒心を剥き出した。直哉は急変した二人に焦り出した。
「お、おい…なんだよ急に…」
「ナオヤ…吸血鬼だったんだ…」
「凄いとは思ってたけど…」
「は?セラはともかくシエルまで…脳細胞死滅するの早いぞ?」
「私はともかくってなにー!」
「やめてセラ!逆らったら…」
「………」
何か気まずい空気になってしまった。
誤解(?)を解こうと手を伸ばすと
「あー、まぁ、おちつ――」
「嫌ぁっ!やめて助けて、何でもするから、命だけは見逃してっ!」
全面拒否された。正直ショックだった。
この後、ダイレクトに直射日光を喰らったりしてなんとか身の潔白を証明した直哉。最初は疑心暗鬼だった二人も、どうにかこうにか納得してくれたようだ。
「しっかし…この世界には吸血鬼でもいんのか?」
「うん…」
この世界の吸血鬼もある程度同じようなモノとして認識されているようだ。日の光に弱く、夜に活動する典型的な夜行性生物。やはり血を吸ったりすると捉えられているらしく、子供が言う事を聞かないときの恐喝文句となっているようだ。
そして、狼・蝙蝠・霧に変身する事が出来るらしい。
「やべぇ、かっけー…」
その説明を受け、直哉はトランシルバニア地方を舞台とした吸血鬼の話を思い出す。
「でもさ、いくらなんでも酷くねーか?俺は人間には見えないってーのか?!」
「うん」
「うに」
「………」
直哉は両手足を地面に着き、絶望を身体全体で表現する。直哉だけがモノクロになり、近付きがたい雰囲気が満ちる。
哀れな直哉を励まそうとしたのか、二人は直哉をフォローし始めた。
「やっ、ナオヤは"化け物"みたいに強いだけだから!」
「そ、そうだよ!"同じ人間だなんて到底信じられない"だけだよ!」
二人はあくまでも親切のつもりで言っているだけで、無意識に"化け物"・"同じ人間だなんて到底信じられない"と言うところを強調していた事など気付かなかった。
不意に直哉が起き上がる。窓に向けてふらふらと歩き、全開にした。眩しい光が身体中を包む。
次のアクションを予想したシエルは、慌てて直哉にしがみついた。
「鳥になっちゃダメだよ!」
「何を言ってるんだ…目の前にばーちゃんがいるんだよ…手招きしてるじゃないか…」
「誰もいないよぉ!」
シエル視点だと、窓の外には城下町が広がっているのだ。と言うか、これが普通である。
だが、直哉には違う景色が見えているのだ。巨大な川には綺麗な蓮が浮かび、見る者の心を安らげる。河辺には楽しそうに石を積み上げる子供達が見え、川に架かる赤い橋には「三途の川」と彫られていた。そして、橋の上で直哉に向けておばあちゃんが手を振っているのだ。「頑張れよー」等と叫んでいるようだ。
「えっ、何?…聞こえないよ、ばーちゃん…」
「逝っちゃダメぇ!セラも手伝ってよぅ!」
「あ、はい!」
三途の川を渡ろうとする直哉をシエルが止めて、そんなシエルをセラが引っ張る。過去にも同じような事があったような、無かったような。
窓から引き剥がされ、そのままずるずると引きずられていく直哉。そんな直哉に、おばあちゃんは「青春だねー」と叫んで消えた。
直哉が抵抗をやめたのを確認して、二人は安堵の溜め息を洩らした。だが、動く元気も無くなってしまったらしく、直哉は仰向けに寝転んだまま目を閉じ、そのまま動かなくなった。
仕方無しに、シエルが右手を、セラが左手を掴んで引きずり始めた。ずるずると引きずられる直哉は、されるがままに食堂へと連れられていくのであった。
食堂に着いた一行は、すぐに食事を開始した。
直哉とシエルは一日振りの食事で、身体がウェルカムする限り食べて食べて食べ尽くした。流石のコラーシュ達も唖然とするレベルだ。
そしてまさかの
「「おかわり!」」
おかわりまでしてしまったのだ。今までからは想像の付けようがない事だ。
二人が満腹になったのは、食堂に着いてから一時間後の事である。この日の食費は、いつもの二倍はあったとか。
「ふー…自分を褒めてやりたいくらい食ったなー」
「お腹いっぱーい!」
椅子に寄り掛かる二人を見て、笑みを溢しながらコラーシュは尋ねた。
「凄いを通り越して呆れてしまう程の食べっぷりだったな…そう言えば、昨日は何を?」
直哉とシエルの動きが止まった。昨日のバトルロワイヤルを思い出したからだ。
そんな二人の様子を見ながら、コラーシュは続けた。
「食事にすら顔を出さなかったから、みんな心配してたんだぞ?それでセラを部屋に向かわせたら…二人……仲良く………………」
コラーシュの声は小さくなっていき、最後に至っては聞き取れなかった。だが、言いたい事は伝わったので気にしない事にした。
「あー大丈夫大丈夫、ちゃんとした理由があるんで」
「うん、だからお父様、安心してね?」
「…手は――」
「何もしてません!」
「!!」
必死な二人を見て、コラーシュはちょっぴり反省した。少しやりすぎたようだ。
少しすると、二人は頬を膨らませながらも話し出した。メイド達や町民の暴走を臨場感たっぷりに伝える。
「――それは大変だったな…お疲れ様」
「はぁ…」
コラーシュの手が二人の肩に置かれた。顔を見合わせる二人を余所に、セラはこっそりと部屋を抜け出そうとする。
だが、コラーシュから逃げる事は出来なかったようだ。
「セラ」
「はひぃっ!」
二人から手を離し、コラーシュは笑顔で腕を組む。
心なしかシエルに似ている。親子なだけあるようだ。
「少し、話をしようか?」
「え、でも、お片付け――」
「王 様 命 令」
「嫌だー!お助けー!」
地面に座り込んで抵抗するセラ。だが、コラーシュには敵わなかった。
忘れがちだと思うが、コラーシュはなかなか体格が良いのだ。すると、自然と力も強くなるものである。
セラの首根っこを掴み、ずるずると引きずっていくコラーシュ。ドアの前で振り返り、フィーナを呼びながら言った。
「決して部屋を覗いてはならないよ。もし覗いたら…」
「分かったわね?シエル」
シエルは過去に覗いた事があるらしく、ひたすらコクコクと頷くだけであった。
ふとセラを見る。顔は血の気が引いた色をしていて、両手を直哉とシエルに向かって突き出している。まるで助けを求めるように。
「あぅぁ~…」
そんなセラを見てしまった二人は、気の毒そうに顔を見合せ
「覗けないならどうしようもないなぁ~」
「大丈夫だよセラ、辛い地獄の後には、幸せな天国が待ってるよ…"たぶん"」
二人揃って右手を突き出し、親指を上に向けた。セラの表情が「絶望のどん底の表情」から「屍」に変わった。
それを確認したコラーシュは、セラを引きずりながらフィーナと共に部屋を出た。セラは抵抗する事すら忘れてしまったようで、最期まで輝きの失われた深緑の瞳を二人に向け続けた。
コラーシュ達の部屋から、セラの悲鳴が絶え間なく聞こえるようになったのは、三人が食堂から出ていって数分後の事であった。
その悲鳴を聞いたメイド達は、次は自分達に降り掛かるであろう災い(コラーシュの説教)に震え上がり、兵士達は「あぁ、またセラが…」等と苦笑いしたとか。
食堂に残された二人は、しばらくドアを呆然と眺めていたが、不意に正気を取り戻した。
「こ、こえー…」
「お父様とは思えない…」
「シエルにも同じ血が流れてるんだぞー」
「うぅ…でもっ、あんな酷い事しないもん!」
「…何されたの?」
「…吹雪属性魔術でカチコチにして、数時間説教…それで、それを覗いちゃったシエルも同じ目に…あ、お小遣いも半分にされちゃったっけ…」
「…ご愁傷さま」
自分の肩を抱き締めてぷるぷるするシエル。直哉は頭を優しく撫でてやり、どうにか落ち着かせた。
「大丈夫、覗かなきゃいいんだからさ」
「あうあう…気になる…」
「カチコチに氷漬けにされるのとどっちがマシ?」
「寒いのヤダ寒いのヤダ寒いのヤダ寒いのヤダ…覗きたい覗きたい覗きたい覗きたい…」
再びぶるぶる震え始めた。恐怖と好奇心の葛藤による副産物だろう。
ここにいたら、シエルは間違いなくコラーシュの部屋を覗くだろう。浴室に突っ込まれて解凍される事が目に見えていた。どうにか防げないかと考えた直哉は、ある考えが浮かび上がった。
「そうだ、シエル」
「う?」
「一緒に訓練所に行こう。ここにいたら、シエルは好奇心に負けて後悔するハメになるだろうし」
「うー…」
「今朝シエルのお腹――」
「うん分かった、行く行く、喜んで行かせてもらいます!うふふふふ」
「よろしい」
態度を急変したシエルを、直哉はにやにやと見つめた。
デリカシーを身に付けたかと思ったが、そんな事無かったようだ。
「んじゃー片付けお願いしまっす」
「手伝いますか?」
「いやいや、私等の仕事ですから」
完全に存在を忘れていた料理長に一礼し、二人は食堂を後にした。
騎士団の訓練所に着いた二人は、ゆっくりそーっとドアを開けた。すると――
「あっ、ナオヤ様だ!」
「シエル様もご一緒だぞ!」
「おいお前ら、とっとと並べ!」
「横一列だぞ?」
「並びました!」
「よーし、それじゃあ…」
「せーのっ!」
「「「「おはようございます!」」」」
「……は?」
――何故か横一列に並び、二人に敬礼をする騎士達に出迎えられた。その目はきらきら輝いていて、異常に眩しかった。
「シエルと言いセラと言い、挙げ句の果てには騎士達も…何かの細菌が脳内に侵入でもしたか…」
「ナオヤ、聞こえてる!」
「案ずるな、ただの幻聴だ」
隣でぷくーっと頬を膨らませるシエルを宥め、騎士達に何があったのか聞いてみた。
「なぁ、どうしたんだよ…集団感染か?」
「え?いや、ご挨拶しただけですが…お気に召しませんでしたか…?」
「いやいやいやいや、そんな事無いけどさ…」
悲しそうな顔をした騎士達に必死に弁解した。取り敢えず訓練に戻らせ、直哉は訓練用の槍…棒を握るアリューゼの元に歩み寄っ――
「アリューゼさ――」
「ふんっ!」
ブンッ!
「うぉあ!何すんだ!」
「なんだナオヤか、びっくりさせんなよ!」
「こっちのセリフだボケェ!」
呼び掛けたアリューゼに棒を振るわれたのだ。咄嗟に後ろに身を退いて直撃は免れたが、棒に前髪を数本持ってかれてしまった。紙一重ならぬ"髪一重"だ。
周りが静まり返る中、驚きからか呼吸が荒くなった直哉は、呼吸と心臓の鼓動を落ち着かせながら喚いた。
「挨拶に武器で応えるんじゃねーよ!殺す気かよ!!」
「お前は殺しても死なないだろ?」
「なっ…わざとやったってのか?!」
「あぁ(キリッ」
「爽やかに肯定してんじゃねーよ!」
「…ッチ、そうだよ…」
「今度は感じ悪ぃーなオイ」
「注文が多いな…欲張りは命取りだぞ?」
「あぁそうだな、アンタの命も刈り取れそうだ」
「ごめんなさい」
直哉がベルトの袋に手を掛けたところで、アリューゼは土下座のポーズを取った。棒は足元に置かれている。
そんなアリューゼを見下しながら、直哉は強めの口調で言った。
「これでアリューゼさんに殺されかけたのは二回目だしなー!」
すると、アリューゼは起き上がって言い返した。
「一回目はまだしも、二回目は小手調べってヤツだよ」
「あんなに殺意の籠った小手調べがあるか?」
「あれが本気だとでも思ってんのか?」
アリューゼは足元の棒を拾い上げ、直哉から飛び退くように距離を取った。直哉に対し右足を前に半身に構え、両手に棒を掴む様は、誰がどう見てもマジな様子が窺える。
直哉を睨み付けるアリューゼは、直哉が纏う魔力とはまた別の"何か"を纏っている。
《すげぇ…》
『こいつ、やるな…バカなだけじゃねェみてーだ』
《外見だけじゃ判断出来ないって、まさにこれだな》
直哉とウィズが感心していると、アリューゼが身近の騎士から棒をぶんどる。
それを直哉に向かって投げた。
「ちーとばかし本気でやってやるよ。まぁ、丸腰のヤツをやっちまおうとは思えんからな…それ使えよ」
「素人をいたぶるのには感心出来ねーがな」
それを右手で掴み、直哉は見よう見まねでアリューゼの構えを真似する。見るからに初心者としか言えない構えだが、アリューゼは笑う事はしなかった。
いつの間にか、二人を中心とする人だかりの円が出来上がっていた。二人の決闘(と言うより一方的リンチ)を一目見ようと集まったようだ。だが、その半径は異様に広い。
苦笑いしながら周りを見渡す直哉は、再びアリューゼに意識を向け直した。
《周りがあんなに離れるって事は、そんなに射程が広いって事か…》
『警戒するに越した事は無いな。確かに、この威圧感は尋常じゃねェしな』
《腐っても騎士団長だ…気を抜いたら、練習で撲殺されるっつー汚名を着せられちまいそうだ》
棒を握る腕に力を込める。すると、アリューゼが正面に棒を振る。
ヒュッ
先程とは音の質が明らかに違った。周りはざわめく事もせず、真剣な眼差しを向けている。
アリューゼは振った棒を構え直す。先程の比ではない威圧感を感じた。
そして、直哉に向けて笑みを浮かべた。それを見た直哉は、にんまりと笑い返した。
《俺も振ればいいって事か?》
『試合開始の儀式みてェなもんかな?』
《かな、アリューゼさんもやったし、とりま真似しとくわ》
直哉も同じように棒を振る。
ヒュンッ
すると、周りがざわめきだした。
「おい…今の音…」
「さっき、ナオヤ様…素人っつってたよな…」
「素人に出せる音じゃないぞ」
「すごーい!」
どうやら、今の"音"が凄かったようだ。素人に出す事が出来るようなモノではないらしい。
アリューゼも目を見張っている。流石に驚いたようだ。
「こりゃーたまげたわ…お前ってヤツは、本当に何者なんだ…」
「知るか、俺ぁ俺だ」
「それもそうか」
アリューゼが右足を動かし、直哉ににじり寄る。
直哉は動かない事にした。アリューゼの出方を窺うつもりのようだ。直哉は素人で、アリューゼは間違いなく玄人だ。ここで仕掛けたところで、かわされるか反撃で潰されるかがオチだ。
直哉を一瞥したアリューゼが、確認のように言った。
「待ったは無しだ、寸止めは出来る限りするが、当たったらすまん。後悔すんなよ?」
「こっちの台詞だ」
「そう来なくちゃあな!」
アリューゼは直哉と共に、にやりと笑う。そして深呼吸をし、直哉を睨む。
「行くぜ」
呟くと同時に地面を強く蹴り、直哉に向けて突進する。
「!!」
アリューゼの突進速度は物凄く速く、それは正しく"猪突猛進"と言えるだろう。
直哉も棒を構え直し、突っ込んでくるアリューゼに備える。
騎士団長vs直哉と言う無謀な模擬戦闘は、空を切り裂く棒の音と共に開始されるのであった。
シエルがベッドから起き上がり、足を地面に着けようとして直哉を踏みつけた時。あの時に鳴り響いた身の毛もよだつような効果音の発生源を知るべく、シエルは直哉に聞いてみた。
今は二人きりで、周りには誰もいない。
「ねぇ、ナオヤ」
「どした?」
「あのね、今日起きた時…ナオヤを踏んじゃったの…ごめんね」
「あー、そんな事か…待てよ、だから背中の調子が良いのか…」
「背中?」
「あぁ」
直哉が背中を捻る。ボキボキッと言う、朝の効果音が響き渡った。
「そう!これだー」
「やっぱり?いやー、朝から調子が良いと思ったら、シエルのお陰だったのかー」
「調子良かったんだー」
「おう!また頼んじゃおうかな?」
「うん!」
シエルは嬉しそうに頷いた。
それから、シエルの朝の日課が「直哉を起こす」から「直哉を起こして背中を踏む」に変わったとか。