分福茶釜 1
西に大和貝紫と呼ばれる一番栄えている大きな都がある。
元々は違う名だったが帝の御所が建てられるとたちまち栄え、『帝の座す一番高貴な都』としていつからかそう呼ばれるようになった。
中心部にある大通りは大店は勿論、小店でも店を構えられるのは一流のお店と厳選されており、大勢の商人は此処で店を構えるのを目標としていた。
とはいえ、大通りに店を構えるにはお偉方の口利きが必要な上地代や家賃はとんでもなく高く、大通りの店はどこも例外なく商品の値段も飛び抜けて高い。
その為善良な商人や満月堂のように代々店を構えていた人は敢えて大通りを避けて店を構えた。
「大和貝紫の『阿波座屋』、ここだな」
夜一は大通りから一本中に入った通りにある店の看板を確認しふらりと入った。
「い、いらっしゃいませ‥‥っ」
店に居た店主は夜一を見て一瞬惚けそうになり、慌てて声を出した。
洒落者の多い都でも背が高く、夜一の端正な顔や風貌はとても目立つ。
すれ違う人々は男も女も明から様に見つめるが夜一は慣れたものでまるで気にしていなかった。
「此処に子供が喜ぶ菓子があると聞いて来た」
夜一が言うと店主は顔を綻ばせ頷いた。
「それでしたらこちらでございましょう。
手間がかかり少し値が張りますので、日に五つずつしか出しておりませんが____」
店主は見本の重箱の蓋を開け、夜一は思わずほう、と声を上げた。
「ほう、こりゃ随分凝っているな。連夜が喜びそうだ」
重箱には犬や猫、兎といった動物を可愛らしく模した練り切り餡で拵えた和菓子が並んでいた。
「勿論、見た目だけでなく味も保証致します。
中には別の餡子が入っておりまして、此方が当店でしか扱っていない自慢の抹茶餡、此方はこし餡となります」
表情を緩め出された重箱を見つめていた夜一だったがふと眉間に皺寄せた。
「‥‥店主、狸はどこだ?」
「え?狸、で御座いますか?狸は生憎____」
「狸がいねぇ。犬猫ひよこ、兎に猿、狐までいるじゃねぇか。なのに何故狸がいない、全部売れちまったか?」
「ええっとそのう、」
重箱から顔を上げた夜一の不満そうな顔に、店主はこのけもの饅頭を出したばかりの頃、買いに来た猫派と犬派の客が散々言い争っていたのを何故か思い出し言葉に詰まった。
「‥‥旦那様は狸がお好きで‥?」
「ああ、特に子狸は可愛いぞ。
犬猫は勿論狐なんかメじゃねぇ、比べもんにならねぇ程可愛いじゃねぇか。____そうは思わねぇか?」
「え、ええ、ええ、勿論ですとも!私もそう思いますとも!‥ただ、手前どもでは狸の愛らしさを上手く表現出来ずまだ修行中でございまして、未熟故あいすみません」
店主は笑っていない夜一の目に商売人のカンが逆らうな、と訴え全力で肯定し頷き言い訳をした。
「そうか、なら仕方ない。抹茶とこしを半々で1匹づつ詰めたのを1つと‥あと今居る分全員詰めてくれ。半々詰めのヤツだけ別に頼む」
「は、はい、少々お待ちを」
全部買うという夜一に店主は驚きながらも安堵し、笑顔で頷いた。
このお店は満月堂に聞いてやってきたのだが、満月堂はよく連夜に金平糖やお菓子のお土産をくれて連夜はとても喜び大切に食べている。
夜一は追加で団子や有平糖も買い付けた。
「お待たせしてあいすみません、お代は銀銭___」
夜一は風呂敷に包まれた和菓子を受け取ると店主が言う前に小判を1枚渡した。
「釣りはいい」
「えっ?!いえ、これではあまりにも頂き過ぎで___」
「狸が出来たらまた来る」
「承知致しました。精進致します故、また是非お越し下さりませ、お待ち致しております。
どうか御贔屓に」
店主は丁寧に深々と頭を下げ、夜一は風呂敷を下げ店を出て行った。
「旦那様、良い御贔屓様が出来ましたね」
小判を手に夜一を見送り頭を上げた店主に、途中から様子を伺っていた番頭が声をかけた。
「番頭さんあの旦那様は何処の御方かご存知かい?」
「いえ。初めて拝見しました、最近こちらに移られていらしたのでは?」
「ああ、そうかもしれないね。一見遊び人風にも見えますが、総刺繍の羽織といい‥‥何やら貫禄があり久しぶりに気圧されました」
「すぐにどちらの方かわかるでしょう。あのご様子では噂に上るのは早いでしょう」
「‥‥はっ!番頭さん、急ぎけもの饅頭の手本図を描いて下さった絵師さんに使いを出して下さい。狸です!愛らしい子狸の手本図を描いて貰って下さい!」
「は、はい、只今!」
阿波座屋の主人は夜一に修行中と言った手前、下手なものを出す訳にゆかず狸饅頭の意匠にとても苦労する事になる。
それがきっかけで狸の愛らしさに目覚め、満月堂に続いて店先に狸の焼物を飾るようになるのはまた別の話である。
◆◆ ◆◆
この都に来るのは随分と久しぶりだ。何年ぶりだ?
夜一が思いながら歩いていると、夜一様!と聞き慣れた声が呼び止めた。
茶店の緋毛氈の敷かれた椅子から満月堂は立ち上がりとても驚いた顔で見つめていた。
「いやはや、驚きました、此処で夜一様にお会いするとは____」
「満月堂に聞いた菓子を買いに来た。連夜が喜ぶ、ありがとうよ」
「お役に立ててようございました」
夜一は満足そうに笑い、夜一の笑顔に満月堂も嬉しくなり微笑んだ。
「お待たせしました、お酒です」
茶店の娘がちろりと盃ののった盆を置き、夜一は鉄銭を払うと先ずは一杯、そして煙管をふかした。
「久しぶりにここへ来たがちょっと来ないうちに随分賑わっている、町もデカくなった」
「夏には祭りが催され、夕涼みの花火が上がり大変な賑わいです。一度連夜様とおいでになられては?」
満月堂の提案に夜一は何故か渋い顔をした。
「‥‥他の祭りだが昔花火を見に連れて行ったらえれぇ興奮して大騒ぎしてな。
自分もやると言ってきかねぇで口からぽんぽん火の玉吐き出して、挙句その後熱出すしで大変だったわ」
「あゝ、子供は気を昂らせると熱を出す事がありますね。余程楽しかったのでしょうな」
眉間に皺寄せ溜め息混じりに言う夜一の顔に、興奮した連夜の様子が思い浮かび満月堂は苦笑いした。
「いきなりデカいのを見せちまったからな。それから手持花火で慣らさせてんだ。
漸くはしゃいで振り回さねぇようになったからそろそろまた一度連れてってみるか」
「拙宅の屋根から綺麗に見えまして、花火と一緒に街並みも一望できます。宜しければ一度おいで下さい。二階の部屋にお酒を用意致しお待ちしております」
「ありがとよ、その時は声をかけさせてもらうよ」
「はい、是非」
二人がそんな話をしていると何やら道から笛の音が聞こえてきた。
何事かと夜一が目をやると、花で飾りたてた笠を被り揃いの半纏に股引きの男達が一列に並び、笛や太鼓を奏ながら練り歩いている。
「あゝ、あれは広目屋です」
「広目屋?」
「ええ。ああやって耳目を集め、店の宣伝をするのです。安売り等もありますが主に芝居や見世物興行の宣伝が多いですね」
愉し気な音色に機嫌良く満月堂の説明を聞いていた夜一だったが、背中に背負っている幟の『妖見世物興行』『化狸分福茶釜』の文字に目を細めた。
「世にも珍しい茶釜に化けた化け狸が芸をします!
その愛らしい姿を見た者は福を授けられるという何とも縁起の良い分福茶釜の特別興行は本日より柳通りで開催中!」
広目屋が口上を告げると興味を持った人達で辺りはざわざわと騒がしくなるが夜一は黙って僅か細めた目で広目屋を見つめていた。
仲間の妖狸が人間に見世物にされている等さぞ面白くないだろう。
満月堂は気不味い思いで夜一に声をかけるのは憚られた。
「‥‥分福茶釜だ?そんな奴聞いた事ねぇなぁ」
呟いた夜一の声は意外な事に不機嫌さはなく、満月堂は内心安堵した。
「夜一様でもご存知無いとなると‥‥本物の妖狸ではなく騙りの類かもしれませんね」
「いや、わしの知らん妖等山程居るぞ。折角久しぶりに来たんだ、人間に捕まる間抜けの顔を拝んでから帰るとするか」
こん、と煙管の火を煙草盤に落とすと言い立ち上がる夜一の顔を見た満月堂は
あ、怒ってる、と察した。
「いかん、忘れる所だった。
満月堂、阿波座屋の菓子だ、皆で食べてくれ」
「お心遣い有難うございます。孫がとても喜びます」
「ああ、わしらジジイは孫に弱いからな。
満月堂、またな」
風呂敷包みを渡すと妖狸でなく騙りだったら木戸銭は返して貰う、と凶悪な笑みを浮かべる夜一に、満月堂は今日は早目に店仕舞いをし今晩は誰も外出しないよう息子に言わねば、と急ぎ店に帰る事にした。
◆◆◆◆
柳通りに入ると大変な人出で賑わっており見世物小屋はすぐにわかった。
歌舞伎等が行われる芝居小屋とは違い、大きいとはいえ高く組まれた木枠に中が見えないよう筵が掛けられているだけの簡素な作りだ。
小屋の前には沢山の幟が上がっており、夜一はその中で大きく飾られている分福茶釜の姿絵を見つめた。
茶釜に狸の顔と手足に尻尾が生えたような姿の狸が逆立ちしている姿等数枚小屋の正面に飾られている。
夜一は興行が始まる間際に木戸銭を払い中へと入った。
分福茶釜の興行は初日のせいか満員御礼の札が上がるほど賑わっている。
皆が歓声を上げる中夜一は仏頂面で舞台を睨んだ。
舞台では茶釜の身体の狸が囃子にあわせてくるくると空中回転をしたりしながら踊っている。
分福茶釜は騙りでなく本物の妖で、連夜程の大きさの妖狸に夜一の眉間の皺は自然と深くなった。
「お次は分福茶釜の綱渡り!」
舞台に用意された細い縄に分福茶釜は器用に乗り逆立ちをする。
小さな身体の分福茶釜は見た目だけでなく愛らしい動きで観客を魅了している。
歓声を上げ喜ぶ観客とは裏腹に、夜一はどんどん何とも言えない気分になった。
妖狸が化けてあの姿になっているのか?
楽し気に芸を披露している分福茶釜に、自分が好きでやっているなら好きにすれば良い。
夜一は踵を返すとまだ演目途中の小屋を出た。
賑やかな柳通りから細い脇道へと入った夜一は奥へと進み、次の通りに出る事なく狢道へと消えた。