黒檀 1
「親父様、那通、行って来ます」
「あゝ気をつけてな。遅くとも夕餉には帰って来るんだよ、黒檀が帰る迄待っているからな」
「‥‥早く帰って来てね、黒檀」
「うん。行ってきます」
攫われた那通を助ける為鼠達と闘った傷もすっかり癒えた黒檀は、昼餉を食べ終わると父親と少し寂しそうにする那通に言い家を出た。
夜一から手形を貰い初めて一人で狢道へ向かい緊張していた。
山道を登り狸の石像の前へ来ると目を見開く。
「見える‥!入り口が見えるぞ!やったーっ!!」
今迄見えなかった狢道の入口、ぽっかりと開いた黒い穴が見え黒檀は顔を紅潮させたまま飛び跳ね、くるんと空中回転すると勢い良く中へと飛び込んだ。
「えっ?!」
帰りに出口を間違えないよう覚えておかなきゃ、と振り向き出口の上に掲げられいる目印の提灯を見て驚き声を上げた。
提灯には誰もが読めるよう妖の文字の上に人間の文字で黒檀と書かれ、黒檀の顔が描かれている。
「‥お、俺だ‥‥!凄い、俺の名だ、これなら絶対忘れないし間違えないぞ!」
「どいたどいたーっ!急ぎだ、罷り通るっ!」
黒檀が驚き提灯を見上げままでいると、大八車を押した大きな狸が声をかけながら走ってきたので慌てて道の端へと退き、車が通り過ぎるのを見送ると歩き出した。
夕刻から賑う狢道の中は閑散としているが時々行商狸とすれ違ったり掃除をしている兎や穴熊達が居る。
見た事のない草花も咲いており、淡く光る鈴なりの花に近寄り匂いを嗅ぐと、優しい良い匂いがした。
帰りにお土産に摘んで那通に見せてやろう。
辻に出た黒檀は広い道を選んで歩いた。
「______」
「こんにちわ〜、道に迷っていますか〜?美味しいお茶は如何ですか〜?」
珍し気にキョロキョロしながら歩いていると、不意に声を掛けられ振り向いた。
「あ‥‥えと‥」
「お金がなくても大丈夫です!休憩処ぶんちゃんは皆の休憩処です〜!」
黒檀は茶店に居る茶釜を背負った子狸、分福茶釜を見て少し驚く。茶店の看板には豪胆だが随分達筆な字で『休憩処分福茶釜』と書かれている。
綺麗な緋毛氈の敷かれた長椅子三脚に番傘まである立派な店構えに、まだ小さいのに連夜君といい狸は凄いなと驚く。
「一人でお店をやっているの?」
「はい〜、わたしは茶釜の付喪神なので、お茶を淹れるのは得意なのです、えへん!」
「つくも‥かみ‥‥?あ、ありがと、お金持ってる。いくらですか?」
那通の父親、親父様に狢道の説明をし、見学に行くと告げるとお金について教えてくれた上幾らか持たせてくれた。人間のお店で買い物をしたい時は物々交換ではなく、必ずお金が必要らしい。どうやら狢道のお店も同じようだ。
色々情報を集めたい黒檀は長椅子に腰掛けお酒を飲む大きな狸を見ながら聞いた。
「美味しいお茶、お水は鉄銭一枚、美味しいお団子は三枚、お酒は五枚です〜。お酒は夜一様のお酒ではありません〜。でもどんぐりの味噌炒めが三粒つきます〜」
鉄銭は一番下のお金だ。一枚だけなら使わせて貰っても大丈夫かな?黒檀は財布の巾着を覗き、どきどきしながら鉄銭を一枚取り出す。中には鉄銭、小銀銭が数枚に銀銭一枚が入っていた。
「お、お茶を‥ください」
「は〜い!熱いのと冷たいの、どちらにしますか〜?」
「えと‥、ぬるいのは‥」
「はい〜、お待ち下さい〜!」
分福茶釜は笑顔でお金を受け取り、黒檀は教えられたお金を間違えず支払えた事にほっとしながら椅子に腰掛けた。
「おい、お前イタチか?オコジョか?テンか?」
「お、俺はオコジョだ‥!」
酒を飲む大きな狸に声をかけられ、黒檀は嫌われないかと緊張しながら答える。
「オコジョ?黒毛とは随分粋だ、格好良いな」
「か、格好良い?!」
予想もしない言葉に黒檀は目を丸くして驚く。
「おう、艶々とした良い毛じゃねぇか、夜一様みたいで少し羨ましいぜ」
「‥!」
「俺は駕籠屋の赤緑、こっちは相棒の凸丸だ」
赤緑は顎をしゃくり、隣の狸は軽く頷き黒檀はぺこりと頭を下げた。
「オコジョの黒檀です」
「中でも外でも俺達より安くて速い駕籠屋はいねぇ。必要な時はいつでも声を掛けてくれ」
「う、うん」
「分の字、黒檀またな。行くぞ相棒」
「うーっす」
赤緑は酒を飲み干し言うと相棒の凸丸は煙管の火を落とし立ち上がり、二人で籠を担ぐとのしのし歩いて行った。
「また来て下さいです〜。お待たせしました〜」
「ありがとう_____美味しい」
初めて一人で狢道へ来て緊張している黒檀はお茶を一口飲むとつい呟き、分福茶釜は喜び笑顔になる。
「嬉しいです〜!美味しいと言ってくれたお客様はお茶とお水のおかわりはただです〜!」
「え?!おかわりして良いの?」
「はい〜沢山飲んでください〜。飲み過ぎてお腹をくだしたら、とっても良く効く連ちゃんのお薬がありますです〜。お薬は一服鉄銭一枚です〜」
赤緑達が立ち去り他にお客様が居ない分福茶釜は、にこにことしながら黒檀の隣りに腰掛け二人は自然と話しだした。
「___そうか、分ちゃんも夜一様に助けて貰ったんだ」
「はいです〜。毎日お客様が来てくれてとっても楽しいです!」
「話しを聞かせてくれてありがと。お茶も美味しかった」
「ありがとうです、また来てください〜」
「うん、またね」
「こーちゃん、またねです〜!」
分福茶釜はぶんぶんと手を振り、立ち上がった黒檀は初めて愛称で呼ばれ、赤面しながら手を振ると再び歩き出した。
暫く歩いているとリス達が出口目印の提灯の蝋燭を取り替えており、中の蝋燭立てを側に居る狸に渡していた。
「‥あの‥‥何してるの?」
「ん?この蝋涙を集めているんだよ」
狸は黒檀に見えるよう蝋燭立てにこびりついている溶けた蝋を細い木のヘラで削ぎ落とし、蝋の欠片は下の桶の中へと落ちた。
「綺麗にしてるの?」
「それもあるがコイツでまた蝋燭を作るんだ」
「え?!これで蝋燭が作れるの?」
「あゝ沢山沢山集めなきゃならんがな」
「‥‥これを沢山集めるのは大変そうだな」
黒檀は呟き細かい蝋が入った桶から顔を上げると狸は笑って首を振った。
「灯番の皆が手伝ってくれるから楽なもんだ」
「灯番?」
「アタシ達は夜一様から拝命した灯番!」
「狢道が暗くて皆が困らないように蝋燭を替えたり行燈油を足すのが灯番の仕事よ」
「そんで蝋涙を集めて蝋燭を作るのが俺の仕事だ」
「灯番なんて初めて知った。そうか、皆のお陰で狢道はいつも明るいんだ」
「えへん!」
「仕事中なのに教えてくれてありがとう」
「いいのよ、狢道の仲間だもの」
「道中気をつけてな」
「行ってらっしゃい」
黒檀はお礼を言いぺこり頭を下げると一度狢道から出てみることにした。
「‥‥ふう、此処は何処だろう?」
何処かの雑木林で目の前には河原があり、黒檀は木の根元に座り込むと川を見つめながらふう、と溜息を吐いた。
「‥‥お店はもう沢山あるのに今更木の実を売ってもな‥‥‥俺なんかに何が出来るんだろう‥」
黒檀は怪我が治り、早く夜一にお礼を言いに行きたかったが、仕事を決められず悩んでいた。
親父様に相談し他の皆は何をしているのか、どんな仕事があるか参考にしようと狢道に来てみたが自分に何が出来るんだろうと益々悩んだ。
木彫り師の親父様や分ちゃんみたいな特技も駕籠屋になれる程の妖力もない。大禍時になると少し変化が出来るだけだ。
お店をやっても黒オコジョだと気味が悪いと思われるかもしれないし何を売れば良いかもわからない。
灯番なら出来るかも、と思ったが夜一様から任される特別な仕事みたいだから俺なんか無理に決まっている。
楽しそうに働く皆んなを見てますます自信がなくなってしまった。
「夜一様は薬を作っているから薬草を集めて待って行ったら少しは役にたてるかな‥?それなら俺にも出来るかな?」
何をすれば夜一の役に立てるのか、少しでも恩を返したいのに黒檀はわからなくて頭をガリガリとかいた。
「___おねいちゃん待って!」
「待ってるから走っちゃ駄目、転んだら怪我するわよ」
「!!」
穏やかに流れる川を眺めながら考えていた黒檀は、子供の声に我に返ると慌てて座っていた木に登り身を隠した。
「おねいちゃん見て!僕平たくてつるつるの石が良い」
「あまり大きなのは駄目よ」
「わかってる!」
‥‥‥何をしているんだ?黒檀は気になりそっと姉弟の様子を伺う。弟であろう小さな男の子は河原にしゃがみ込み石を拾っていた。
二人は持っていた大きな笹の葉で簡素な舟を作ると、そこに拾った小石を乗せた。
「お兄ちゃんが元気でいますように。病気や怪我をしていませんように‥!」
「おねいちゃん見て、僕一人で作れたよ!___お兄ちゃん早く帰ってきますように!」
二人は手を合わせ祈ると舟をそっと川の水面に置き、手を離すとゆっくり流れ出した。
「やった!流れた‥‥‥ああ、僕の舟もう沈んじゃった‥‥」
「大丈夫、私のはまだ沈んでいないわ」
二人は祈るように流した笹舟を見つめていたが、姉の舟も少し傾いた途端呆気なく沈んでしまった。
「もうちょっとだったのに‥‥」
「‥‥石が小さ過ぎても軽くてすぐ沈んでしまうのね。また明日頑張ろう?」
「うん!見えなくなるまで舟が沈まなかったらお兄ちゃんは元気なんだよね!」
「そうよ。でも今日のは舟を上手く作れなくて失敗しただけだから大丈夫、お兄ちゃんは元気よ」
「お兄ちゃん手紙くれないかなぁ。そうだ!おねいちゃん、お兄ちゃんに手紙書いてよ!僕笹舟作れるようになったし、草鞋の編み方も覚えたよ、って手紙書いて!」
弟は名案だと言わんばかりに明るい声で強請るが姉は眉根を寄せ困った顔で笑った。
「‥‥ごめんね、お兄ちゃんが奉公に行った都迄手紙を出すのはとてもお金がかかるから無理なの。だからお兄ちゃんも出したくても手紙が出せないのよ。手紙は出せないけど、笹舟が見ている間沈まなければその人は元気なんだって。源爺は願い事が叶うって言ってたわ」
「だったら沈まない舟を作れるようになったら手紙を載せて流そうよ、お兄ちゃんに届くよ!」
「‥‥手紙を載せても沈まない笹舟、作れると良いね」
「うん!」
少し寂しい姉の笑顔に気付かず弟は手を引かれ帰って行く。
黒檀は姉の寂しそうな笑顔がやけに心に残り見えなくなるまで二人の後ろ姿を見送っていた。
姉は笹舟が沈まなくても手紙が届かない事を知っているのだろう。だけど幼い弟に言えなかった。
奉公に出て離ればなれになった兄が心配で恋しいが手紙も出せず、ただ無事を祈り笹舟を流す二人の気持ちを思うと切なくて胸がちくちくと傷んだ。
「俺はもう那通や親父様と離ればなれになるなんて絶対に嫌だ、寂しくて我慢出来ない。‥‥せめて元気でいるとか様子だけでもわかれば良いのに」
夜一のお陰で那通と一緒に住めるようになったが一度はもう一生会えないと覚悟した。
その時の事を思い出すと怖くなり、黒檀はぶんぶんと頭を振ると早く二人に会いたくて踵を返し狢道へと走り出した。
◆◆◆◆
「た、ただいま‥!」
「お帰り黒檀、心配したよ!」
帰って来た黒檀を見て那通は喜びきゅ、と抱きしめ二人は互いにほっと安堵した。
「ただいま那通。見た事がない花が咲いていたぞ」
黒檀が狢道から摘んできた淡く光る花を見せると那通は目を輝かせた。
「わぁ、光ってる!?綺麗だね、それに‥‥良い匂いがする!ありがとう、黒檀」
「夕飯の支度か?手伝うぞ」
「うん、お花お母さんにお供えするね」
那智の笑顔を見ただけで、黒檀は先程迄の不安や寂しい気持ちが吹き飛んで消えた。
◆◆◆◆
「黒檀、今日はどうだった?」
夕餉の席で親父様に聞かれた黒檀は懸命に話し出した。
茶店の分福茶釜や駕籠屋の赤緑。それに家から一番近い狢道の出入り口は『黒檀』と名付けられて提灯の目印が自分の顔で驚いた事。
「僕も見てみたいなぁ‥!」
那通は話しを聞き目を輝かせる。
「‥‥でも‥‥‥‥‥怖くなって帰って来た」
「誰かに襲われたのか?!」
「違うんだ、親父様。‥実は___」
黒檀は川で見かけた姉弟の話しをすると俯いた。
「那通に会えなくなると思った時の事を思い出して怖くなった。無事かどうかもわからないなんて怖くて寂しくなった」
「そうだな____。都や大きな町の定期便は安いが田舎では飛脚じたい居ない事が殆どだ。特別に頼むと足代は段違いに高く跳ね上がるからな」
「‥‥親父様、飛脚ってなんだ?」
「飛脚とは手紙やちょっとした荷物なんかを運んでくれる人の事だよ。お金を貰って頼まれた相手に届けるのが仕事だ」
「へぇ___そんな仕事があるのか。‥‥手紙が届くと嬉しいだろうな」
「あゝ、便りを貰うととても嬉しいもんだ。貰った手紙は大切にしまって宝物のように持っている人がほとんどだ」
「親父様、飛脚になるには何が必要なんだ?」
「‥‥そうだな、先ずは丈夫な身体だ。なんせ毎日沢山走らなくてはならないからな」
「うん、うん」
「足が速いと良い飛脚になれる。速いと喜ばれるし、速さを売りに足代を高くしたり酒手をはずんで貰える」
「そうか‥‥俺にも出来るかな‥‥」
「何故飛脚なんだい?」
「‥‥親父様みたいな技術はないけど‥‥喜んで貰える仕事がしたい。俺なんかでも、誰かの役に立って喜んで貰いたい」
黒檀は真剣に言い、那通は黒檀が手紙を届ける姿を想像したらあまりにも可愛くて声を上げた。
「黒檀が手紙を届けにきたら皆驚くし凄く喜ぶよ!」
「あゝ‥‥可愛くて帰してくれなくなりそうで心配だな」
親父様も同じ想像をし心配になり眉間に皺寄せた。
「え?!か、可愛い‥?!」
黒檀はまさか!と思うが親父様はうーん、と腕を組み真剣に考えている。
「駄目だよ!黒檀が危ない目にあうのなら飛脚は駄目、絶対駄目!」
那通が強く反対し、黒檀は少ししょんぼりとした。
飛脚になって手紙を届ける想像をして内心わくわくしていたが、那通がこんなにも嫌がるならしたくない。自分も那通が危ない目に遭う事は絶対反対する。
家に来てからの黒檀は自分が妖のせいか、親父様にとても気を遣って家の仕事を手伝い遠慮がちだ。
そんな黒檀がやりたい事を見つけたのなら応援してあげたいのだが、危ない目に遭うとわかっていてやらせる事は出来ない。
親父様はどうしたものかと考えふと夜一を思い出した。
「黒檀、まずは夜一様によく相談してごらん。彼の方ならきっと良い助言をくださるだろう」
「___うん、明日夜一様に会いに行ってみる!」
夜一様が駄目とか無理と言うのなら俺には無理なんだ、諦められる。
親父様の的確な助言に黒檀は頷いた。
「えーっ?!明日も黒檀出かけちゃうの?!一緒に魚を釣りに行こうと思っていたのに‥!」
「ごめん那通。でも早く夜一様に那通が元気になった、ってお礼を言いに行きたいんだ」
「黒檀の元気な姿もお見せしないとな」
「‥‥‥‥わかったよぉ‥‥」
助けてくれた夜一の名前を出され反対出来ない那通は少し拗ねながら渋々頷いた。




