狢道 2
山に棲みついた男は元々呪い師だった。
呪い師にも色々だが、病や天候の祈祷や占い、薬師のような者も多いが呪詛を祓ったり出来る者もおり、呪いで呪詛を祓う事はしても呪詛を使う事はしない。
だが男は禁忌とされる呪法を好み、獣や妖を殺しその怨嗟により強い呪いの札を作る事を見出した。
余りの所業にお前のしている事は呪い師ではなく邪悪な呪術師だ、と破門されたが己の方法が強く正しいと信じ妖力を持つ狐や狸、山猫の獲りやすいこの山に居を構え一人研鑽を続けていた。
強い呪法を見出し、自分を破門し蔑んだ者達を見返してやる。自分の呪いになすすべ無く、血の涙を流し苦しみながら許してくれ、と死んでゆく様を想像するだけで寝食を忘れ没頭できた。
男は自尊心がとても強く、自分を理解せず破門にした師や兄弟子達を心底怨んでいた。
男の着物ははだけ、無精髭が伸び顔はやつれているが落ち窪んだ眼だけはギラギラとし唇は歪に弧を描いている。
「ふ、ふふ、イキが良いな、暴れるな。お前等も良い墨にしてやるぞ」
男は捕まえた角兎や狸を縄で縛り、引き摺るように山中の自分の家へと連れ帰った。
男の荒小屋のような粗末な家は異様な雰囲気と異臭に包まれており、縛られている獣達は縄の中で必死にもがいている。
土間にある真っ黒に変色した桶を用意すると、慣れた手つきで獣達の首を容赦無く次々と鉈で切り落とした。
「おおっと、勿体ねぇ、勿体ねぇ」
男は切り落とした際に飛んだ狸の首を急いで桶に放り込むと、切り口からたらたらと血が流れた。
身体は縛られた後ろ足の縄のまま桶の上へと吊るされており、首のあった所からパタパタと血が桶に落ちて行くのを男は満足そうに眺めた。
血抜きが終わると解体し、骨と皮を剥ぎ骨を適当に砕き鍋で煮込む。男の家はたちまち異臭に包まれるが気にもせずぶつぶつと何やら呪文を唱えながら、更に怪しげな文字の書かれた札も入れ鍋を掻き混ぜ続ける。
丸一日煮続け、煮詰めた液を漉して膠液を取り出すと、残った骨は肉や他の残骸と一緒に直接火に放り込み真っ黒になるまで焼いた。
男は真っ黒になった炭や煤、煮出した膠、血を混ぜ呪札用の墨汁を作っていた。
そうして出来上がった墨汁は以前の古いものに足すと、大きなかめの中で怪しげにぽこぽこと泡立ち、蓋をしたらその上から札を貼り封印をする。
まるで秘伝のタレを継ぎ足し混ぜ合わせる事で味に深みが増してゆくかのように、この墨で書いた男の作る呪詛の札は少しづつ強くなり、この悍ましい穢れた呪いの墨を『墨呪』と名付けた。
やがて呪術師の元には人伝に聞き時々市女傘を被り、黒い虫の垂衣を下げ人目を酷く気にした者がコソコソと訪れるようになった。
◆◆◆◆
「‥‥狩り過ぎたか?近頃罠のかかりも悪い。小さかったとはいえ、やはりあの子狸を逃したのは惜しかった」
数日前子狸に逃げられた呪術師は、毎日山の中を歩き回るがまるで獣が見つからず苛立っていた。
近頃は呪札ではなく墨呪そのものを欲しいと買いにくる客がいてもう少し材料を集めたかったが、今日一日山を歩いても罠には獣が近寄った形跡さえ無い。
「ちっ、今日はもう無理だな」
すっかり暗くなったあたりを見回し舌を打ち忌々しげに言うと諦め山を降り帰る事にした。
「じじ様、あいつ臭いでち!嫌な匂いがするでち!」
「だから待ってろっつっただろ」
「‥‥へ?!」
山を降ろうと振り向いた呪術師はまるで人気がなかったのに突然の声に驚いたが、自分が見ているものが信じられず間抜けな声がでた。
夜の山中に不似合いな都でも人目をひくであろう端正な顔に洒脱な出立ち。そして男の肩には子狸がおりしかも喋っている。
「よ、妖狸っ、喋る上にしかも金眼じゃねぇかっ!?」
金眼や紅眼の妖は妖力がとても高いと聞いているが、男は両方見た事がなく連夜に目が釘付けになった。
なんという僥倖!ナリは小さいがあれなら立派な妖核も取れるに違いない!
初めて見る立派な妖に、呪術師は恐れるよりも出会えた自分の幸運に歓喜し興奮した。
「貴様っ!その妖狸譲ってくれ!金なら幾らでも払うっ!」
「ワシの孫を売れだ?」
男の言葉に一気に機嫌の悪くなった夜一に睨まれ男は身体が硬直した。
孫だと?妖狸が?いや、あの男人間じゃない、あの暗闇で光る赤黒い瞳、どう見ても妖、鬼人ではないか?!
「その眼、貴様鬼人かっ?!間違いない、鬼人だなっ!」
夜一は呪術師に答えず面倒そうに呪術師を見ていた。
不機嫌な夜一に見つめられるだけで首筋に刃物を当てられたかのように、嫌な汗が背中に流れたが負けじと呪術師はぐ、と腹に力を入れ叫んだ。
「お、俺と、俺と契約しろっ!貴様の力を俺に貸せっ、俺に寄越せっ!!」
「じじ様に生意気な人間でち!やっつけるでち!」
「あ、待て、連夜!」
連夜は言うと夜一の肩から飛び、そのまま呪術師の胸を蹴った。
「ぐっ?!」
小さな身体の子狸に蹴られた力とは思えぬ強さで呪術師の身体はあっさりと後ろへと倒れた。
呪術師を蹴り倒した連夜はそのまま空中でくるん、と回転するとぼん、と煙と共に5倍程の大きさに変化し呪術師の腹へと落下し、呪術師は悶絶した。
「どーーん」
「が、がはぁっ?!!」
「じじ様に謝るでち!」
連夜は呪術師の腹の上で元の大きさに戻り、苦しむ呪術師を見下ろしながら言った。
「じじ様やっつけたでち!」
「待てっつっただろ」
連夜の得意気なドヤ顔に夜一はため息を吐いた。
く、くそ、捕まえてやる‥‥!
自分の腹の上で背中を見せ、夜一と話す連夜に呪術師は苦しみながらも手を伸ばした。
コイツを捕まえれば‥‥!鬼人は無理でも、この妖狸でも十分良い材料に出来る!術も使える、これなら妖核もあるに違いないっ!
連夜に手を伸ばし掴むと呪術師は連夜を抱えたまま転がり、夜一から距離を取り立ち上がった。
「く、はははははっ!捕まえた、捕まえたぞっ!!どうする鬼人よ!?お前が力を貸さぬならこの妖狸は今すぐ殺してやる!」
「わしをあまり怒らすなよ、人間」
得意気に殺すと言う呪術師に夜一は思わず苛つき殺気が漏れたが、そんな夜一を連夜が宥めた。
「じじ様駄目でち」
「駄目でちじゃねぇよ、お前が飛び出すからだろ」
「へ?」
捕まえて居たはずの連夜は目の前におり、呪術師が自分の手を見ると抱えていたのは大きな石だった。
「っ?!!」
認識した途端重くなり、呪術師は足を踏ん張り石を手放した。
「駄目だ、もう面倒くさくて殺しちまいそうだ。行くぞ、連夜」
「じじ様待つでち!」
「お、おいっ!待てっ!!」
逃してなるものか、と追おうとしたが突然足元から沢山の木の葉が舞い上がり呪術師の視界を遮った。
「‥‥何処だ、何処行った?!」
木の葉が舞い散り地面に落ちるまでの一瞬で夜一達の姿は消えており呪術師は逃げられた、と大いに焦った。
「じじ様〜どこ行ったでちーー」
「?!こっちか?!」
連夜の声が聞こえ呪術師は声の方へと走り出した。
急げ、早く、早く、少しでもあの鬼人と妖狸が離れているうちに捕まえねぇと‥‥絶対捕まえてやる!俺の墨呪の力は今までと比べられない程強くなるはずだ!そうすればまず俺を破門したあいつらに呪いをかけてやる!奴等に解呪出来ない呪いに苦しみながら俺に土下座させてやる!
そうしたら‥‥その後は奴等を材料にして更に強い墨呪にしてやる‥‥!
「じじ様待つでちー!!怒ってるでちか?!」
呪術師は逃してなるものか、と暗闇の中連夜の声だけを頼りに走った。
ど、何処だ?!あの鬼人が気付く前に見つけないとまた何か術を使われるかもしれん。墨呪を塗った矢は持っているがこの暗闇で弓矢は役に立たない。
「じじ様どこ行ったでちー!わちは此処に居るでち!!置いてくのは嫌でちー!!」
先程より声が近くしかも声が焦っている。鬼人とはぐれているようだ。呪術師は再び走り出す。
「‥‥はぁ、はぁ、お、おかしい‥‥っ」
あれからどれ程時間が経ったのか。連夜の声は近づいたと思ったら離れ、呪術師は暗闇を散々走り回った為木々の枝で引っ掻いたり転んだりで顔や身体は傷だらけになっている。
一日中山に居た為喉はカラカラ、身体もヘトヘトで体感的には半刻は経っている筈だ、とここにきて漸くおかしい、と気づいた。
「貴様本当に呪術師か?随分間抜けだな」
ヘトヘトになり座りこんだ呪術師の目の前に夜一が現れ呪術師は目を見開いた。夜一の肩には連夜が乗っている。
疲れ果てた呪術師は夜一を見つめたまま、自分は何か術に嵌っていたであろう事だけは理解した。
「お、俺は‥‥」
「貴様はずっと同じ場所を馬鹿みてぇにぐるぐる走り回っていただけだ。狸のぬりかべも知らねぇとはな、素人でも知ってるぞ」
狸のぬりかべ___狸の幻術に捕らわれ抜け出せなくなり、同じ場所をただグルグルと徘徊する事になる。だがこの術は悪戯程度のもので煙草の煙で燻せば簡単に抜けられる。
山中で道に迷った訳でもないのにいつまで経っても山から降りられず、おかしいと思ったら慌てずまずは休んで一服しろ、とは山越えする行商人や飛脚には有名な話しだ。
呪術師は捕まえる事に必死になり過ぎ気づかなかった自分にがっくりと身体の力が抜けた。
「き、鬼人よ、頼む‥!俺に力を貸してくれ‥‥っ!この通りだ、頼むっ!」
呪術師は夜一に土下座をし懇願した。
「貴様の頼みを聞く道理はねぇ。わしと話がしたきゃ、先に好き勝手してきた貴様の清算をしてこい」
「せ、清算?何の清算だ?!」
「貴様がしてきた事の清算だ、態々声を掛けておいてやった、皆貴様が来るのを待ち侘びてるぜ」
「皆‥?誰の事だ?何を、何をする気だ?!」
「散々好き勝手にバカスカ殺したのをもう忘れたのか?貴様の大好きな怨念だ、しっかり貰ってこいよ」
夜一の言葉と殺気に呪術師は青冷めた。
もしかしたらこの山はこの鬼神の縄張で、勝手に縄張を荒らしたと俺に怒っているのか‥‥?
だとしたら不味い、交渉どころではない‥!
呪術師は漸く自分の立場を理解し慌てた。
「待てっ!待ってくれ!!わかった、この山からは出てゆく、知らなかったんだ、だから___」
「今更遅ぇ。わし等妖の領域に踏み込んできたのは人間、貴様の方だ。遠慮はしねぇ」
夜一がふう、と煙管から吸った煙を吐くと同時にピシピシと嫌な音がした。
「?!」
ゆらり、と景色が揺れ幻術が解けると呪術師は崖の先におり、崩れた足下から真っ逆様に落ちていった。
「うわああっ?!頼むっ助けてくれーーっ!!俺は死ぬ訳にはっ‥!やる事が‥‥!」
「がぁ‥‥っ、!!」
一体どれ程の高さから落ちたのか。
真っ暗闇に落ちた呪術師は痛みに起き上がる事が出来なかった。
身体中の骨が折れたかのような激痛で声すら出ない。実際何箇所か折れているのだろう。
「っ?!ひ‥‥っ!」
動けず声も出せない呪術師を上から何十の光る瞳が見つめており、自分が何か大きな穴に落ちた事を悟った。
コロシテヤル、ナカマノカタキ、ニクイ____そんな怨嗟の声が頭に響き引き攣った喉から小さな悲鳴が漏れた。
呪術師を見つめていたのは狸や狐、山猫や角兎といった自分が狩っては殺してきた獣や妖達だった。
やめろ、来るな!思うが声すら出ない呪術師に獣達は一斉に石を投げ付けた。
石は決して大き過ぎず小さ過ぎず。握り拳程の石は一撃で死ぬでもなく、声が出ない呪術師は許してくれと嘆願する事も悲鳴を上げる事も出来なかった。
ゴツ、と鈍い音をたてながら獣達は呪術師の身体に石を投げ続け、呪術師の身体も染み出した血も完全に埋まり見えなくなると穴に向かい歯を剥き出しに一斉に鳴き数歩下がり穴から離れた。
皆の鳴き声を合図にひらりと空中に舞った一枚の木の葉はぼん、と煙とともに大岩となり、そのまま大岩は落ち穴を完全に塞いだ。
「____終わったな」
「ありがとうございました、夜一様。今後私達石見山の狸一族は夜一様に従います」
「我等もです」
夜一の前には長を始めとした狸達だけでなく、角兎や今回助けられた者達が集まり夜一へと跪き頭を垂れていた。
「いらん、わしは眷属は持たん。贄だなんだと迷惑だ」
「しかし____」
「折角妖に生まれたんだ、自由に生きようぜ。わしも眷属を持って縛られるのはごめんだ」
狸の長は礼を言い恭順を誓うがあっさり断られ困惑した。
「それでは私達は夜一様にどうお礼をすれば良いのですか?何でもします、約束は守ります!」
困惑している長の後ろから春時は顔を上げ声をあげた。
「おう、お前等約束だ、秋になったらザルいっぱいのどんぐりと栗をわしに持ってこい」
「え?」
「石見の栗は特に美味いからな。大左衛門太郎も大好物で、奴と勝負をしてはいつもわしが勝って巻き上げてやった。
またわしに取られたと知ればさぞ面白くないだろ。いいか、必ず待って来いよ」
「大きくてつやつやの栗でち、虫がかじってるのは駄目でち。あったら許さないでち!」
狸達は一瞬驚いたが得意気に言う夜一に皆はやがて頷きあった。
「それと、後始末はしてゆくがあの呪術師の家には暫く近づくな。もしアレの仲間がいると厄介だ」
「はい、わかりました。夜一様、本当にありがとうございました、必ず美味しい栗とどんぐりを皆んなで集めて沢山お届けします!」
春時の言葉に狸達は美味しい栗を沢山食べて貰おうと目を輝かせ、夜一を見つめ頷いた。
「ああ、楽しみに待ってるぞ。じゃあな」
「あの、夜一様、連夜様!ご指導ありがとうございました!」
最初夜一と共に呪術師の前に現れたのは連夜だが、呪術師に狸のぬりかべをかけ、声を追わせていたのは春時だった。
この為に春時は夜一から狸のぬりかべの術を習い、連夜の声真似の練習をしたのだが、連夜から何度も似てないでち!違うでち、ワチの声はもっと凛々しいでち!とダメ出しをされ夜一よりも厳しい熱血指導を受けた。
「大きくてつやつやの栗でち!」
「はいでち!」
「まだまだ似てないでち!それに春時はもっと強くならないと駄目でち!」
「はい、連夜様のように強く賢くなれるよう、少しでも近づけるように頑張ります!」
「むふーっ /////」
連夜は春時の言葉にむふー、と鼻息荒く照れて顔を赤くし、嬉しいのか夜一の頬に自分の顔をすりすりと擦りつけた。
夜一はそんな連夜の様子に僅か口の端を上げ微笑むと、行くぞ、と言い軽くとんと飛んだ。
月夜に赤い着物をはためかせ舞うように飛ぶ夜一が見事で狸達から一斉に感嘆の声が上がる。
「ばいばいでちー」
肩に乗る連夜はふりふりと手を振り、春時や狸達は両手を上げ2人が見えなくなるまでお礼を言いながら手を振った。
今回は夜一様が力を貸して下さったが、次に会うまでに自分1人で狸のぬりかべが出来るようになって2人に見て貰おう。
一見自分より幼く見える連夜は春時の父親や傷ついた仲間達も治療し助けてくれた。
連夜様に少しでも追いつけるよう精進しよう。
見えなくなった2人に春時は手を合わせ心から感謝した。
◆◆◆◆
「夜一様ーーーっ!やっと来てくれたーーっ!」
山の中腹にある呪術師の家、小屋のようなあばら屋の前で伊織は両手を大きく振り、夜一は目の前に降りた。
「く、臭いでち‥‥っ!来るなでち!」
連夜は両手で鼻を押さえ顔を顰めた。
「連夜様酷いっ!俺1人であの臭くて気味の悪い小屋の中で頑張ったのに!」
呪術師の家は血や死臭、膠やらで酷い匂いを放っている。
一歩近づいた伊織に連夜はたまらず夜一の後頭部に回り髪の中に顔を埋めた。
「どうだ?」
「見張ってた数日奴以外の出入りは無く、奴の作った札と妙な墨、残ってたのはこれで全部です。
あと大福帳と札や墨の覚書、金子がこれなんすが、大福帳は途中からまともにつけてないっすね、帳面と金子も全然合わないんす」
「‥‥札よりやはりその墨だな」
夜一は赤黒い乾いた血のような色で書かれた呪札から視線を外し、禍々しい気配のする縄で縛り蓋をされたかめを見た。呪術師の作っていた墨呪だ。
「その事に気づいた奴等が墨を買ってたようすね‥‥追いますか?」
「いや、実際どれだけ売り捌いたかわからねぇし面倒だ、いらん藪を突きたくねぇしな。
伊織、ご苦労だったな。もしコイツが絡んでそうな妙な噂を聞いたらそん時は教えてくれ。間違っても追うなよ」
「了解っす!」
夜一は大福帳と覚書だけ手にし、伊織は墨呪の入ったかめと呪札をあばら屋の中へと戻した。
伊織が再び夜一の元に戻ると夜一は懐から木の葉を1枚取り出し、挟んだ指でくるりと回転させると木の葉は10数枚に増え、そのまま手裏剣のように投げると荒屋の戸口にかかか、と刺さった。
「焼き尽くせ」
夜一が呟くと木の葉は一斉に炎をまといあばら屋は瞬く間に炎に包まれた。
「綺麗な焔すね、夜一様」
勢い良く、だが静かにごうと音をたて燃える焔はいつも見る赤い焔とは違い蒼白く、悍ましいあばら家を浄化するかのように見え伊織は思わず呟いた。
「伊織、その匂いじゃ帰れねぇだろ、ウチ寄って風呂入って行け。飯もまだだろ」
「えっ?いいんすか?!あざますっ!!」
夜一の誘いに伊織は目を輝かせ喜んだ。
「伊織はじじ様の背中を流すでち」
「勿論っすよ!やったー!狢庵の温泉入れて飯まで貰えるなんて超ラッキー!!」
「‥‥らっき?」
聞き慣れない言葉に連夜はこてんと首を傾げた。
「幸運だ、って意味っす。異人言葉すよ」
「連夜、伊織の言葉使いだけは真似すんな。滅茶苦茶だからな」
「あ、夜一様この金子どうしますか?」
呪術師はお金に執着して居なかったのか、家にあった壺には札や墨の売上げであろう金が無造作に放り込まれていた。
「お前が使え」
「え?!いいんすか?!‥‥でも夜一様、小判や切り餅まで入ってて結構な額ありますよ、これ。花街でお大尽できますよ?!」
「碌な金じゃねぇんだ、殺された奴等の弔いにぱーっと景気良くやってこいよ、お大尽」
「やったーー!あざまーすっ!!俺頑張って良かった!!マジ嬉しいっす!」
「早く風呂入って酒呑みてぇ。帰るぞ」
夜一はくるり、とまだ燃えるあばら屋に背を向けると狢道の入り口が現れ、伊織は慌てて壺を抱えて後を追った。
おまけ
「それじゃあ春時、わしがお前を連夜に化かしてやるからわしと一緒に呪術師を釣ってぬりかべに嵌めろ」
「は、はいっ」
連夜は夜一の言葉に酷い衝撃を受け石化し固まった。
「だ、駄目でちーーーっ!!わちがじじ様と行くでちっ!じじ様の孫はわちでちっ!春時は駄目でちっ!」
我に返った連夜はてしてしと地面を叩き激しく抗議した。
「いや、連夜作戦だ、わしの予想だと春時よりお前に化けた方が呪術師は絶対食いつくからだな、」
「わちがじじ様と行くでちっ!」
連夜はここはわちの場所、と言わんばかりに夜一の背中から肩車に飛び乗り後頭部に抱きついた。
「はぁ‥‥連夜、」
「嫌でちっ!!絶対駄目でちっ!!」
「‥‥仕方ねぇ‥‥、春時少しばかり変更だ」
「は、はいっ、あの、お手を煩わせてしまいごめんなさい‥‥」
「お前が謝る事じゃねぇよ」
「むふーーっ!じじ様の肩に乗って良いのはわちだけでちっ!」