縁石 1
「急ぎだが転んで割るなよ。腹が減ったら食べろ、頼んだ」
「あ‥ありがとうございます‥っ」
背中に大きな荷物を背負い、乙女は竹の皮に包まれたおにぎりを手渡され無愛想な職人の男に頭を下げた。
ぎゅ、と背負い紐を握り歩き出す。
乙女が住む里は焼物を生業に山中にあり、職人が焼いた皿や湯呑みの焼物を町のお店にまで届けるのが乙女の仕事だ。
町へ行くには一旦山を降りて街道を行くと随分大廻りになる為、山を越える方が早い。もう何度も歩いている通い慣れた道とはいえ、まだ少女の乙女には重く辛い仕事だった。
「おめでとう!婚約が決まったのですって?」
「羨ましいわ、私、嫁き遅れないか不安だわ。お父様はちゃんとお相手を探してくれてるかしら」
「私達まだ十二歳、大丈夫よ___この里でお嫁にいけない人なんて一人しか居ないわ、くすくす」
里の道端で同じ年頃の少女達が楽しそうに縁談話に花を咲かせていたが、くすくすと嘲笑されているのが聞こえ、乙女は俯き足早に立ち去った。
痩せた身体にギョロリとした落ち窪んだ暗い瞳、火傷跡がある肌は日に焼けて浅黒く、女性らしくなっていく里の娘達に比べたら歳下の少年のようだ。
乙女の幸せは実父が亡くなった八つの時に終わった。
焼物職人だった父親は山へ材料の土をとりに行った際土砂崩れに遭い亡くなり、そして家と兄嫁である母親を父の弟の叔父がそのまま引き継ぐ事になり、三月と経たずに叔父と母親が再婚した。
だが怠け癖のある叔父は真面目な父が亡くなり、目の上のたん瘤がなくなった途端に働かずお酒と博打に明け暮れる。
家はあっという間に貧しくなり、家と家財は勿論、父の仕事道具も何もかもなくなり二年ともたず小さな小屋のような家に移り住む。
そんな叔父に乙女が懐く筈もなく、お父さんと呼ぶ事もない。
生活の為母親と乙女は懸命に働くがその僅かなお金も取り上げ、酒代が無いと母親を殴る叔父を止めようとして狭い家で突き飛ばされ、火の入った囲炉裏に突っ込み鍋がひっくり返り大怪我をしたのは二年前、十の時だった。
左側の耳や頬、首から肘までにかけて大火傷を負い、可愛らしい乙女の容姿は変貌した。
大きな後遺症は無かったとはいえ火傷跡は顔の左側を引き攣り、唇はきちんと閉じる事が出来ず、左腕は真っ直ぐ伸ばす事が出来なくなった。
「‥‥ちっ、これじゃあ玉の輿どころか花街にも売れねぇじゃねぇか」
叔父は詫びるどころか自分が傷モノにした乙女の顔を見て悪態をつき、母は泣きながら乙女の顔に薬草を擦った薬を塗り続けた。
大人のように沢山担げない乙女は毎日、重い荷を背負い山を歩く。遊び歩き借金を頼みこんでは踏み倒す叔父のせいで、乙女達は里の厄介者として嫌われている。キツくとも仕事が貰えるだけ有難く選択の余地はない。
昔は仲が良かった友達も親にあの家には関わるな、といい含められている上に火傷跡の容姿もあり、気味悪がられ今では誰も乙女に話しかけて来ない。
希望なんてない。
一生友達も居ず結婚する事もなく、きっと死ぬ迄こうして荷を背負い、この道を何千何万回と馬車馬のようにただ往復するのか。
里を出る時聞こえた話に、ふと結婚等出来る筈もない自分のこの先の人生を考え、乙女は酷く寂しく疲れた気持ちになり足が止まった。
本当に、人ではなく馬のようだ。
少しだけ、休みたい。少しだけで良いから___
乙女は人に会わないよう山道を外れ、藪の中で荷を下ろし座り込んだ。どうしようない寂しさと不安、そして虚しさで酷く疲れていた。
「___おい、そこのお前、耳が聞こえないのか?お前だよ、醜女」
「___え?」
「お前だよ醜女、お前以外居ないだろ」
ぼうとしていた乙女は醜女と呼ばれ顔を上げると目の前に酷い格好の、ガリガリに痩せ汚れたまるで貧乏神のような老婆が座っていた。
「腹が減ってるんだ、お前の握り飯寄越せ」
「‥‥これのこと?」
職人から貰ったおにぎりの包みを懐から出すと、老婆は素早く奪い取り包みを開けた。
二つ入っていたおにぎりを両手で一つづつ掴み、乙女に取られないように意地汚く交互に頬張る。
____こんなにお行儀悪く食べる人初めて。
ボロのような汚れた着物でガツガツと食べる姿に乙女は呆気に取られながらも、余程お腹が空いていたのだろうと少し可哀想に思った。
「何だ、文句あるのか?!」
「‥取ったりしない、お水飲む?」
「ふんっ!」
老婆は右手のおにぎりを口に入れると竹の水筒を奪いごくごくと飲む。
「___醜女、飯を取られて悔しくないのか?」
「お腹減ってないからいいよ。醜女だけど私は‥ううん、なんでもない」
自分の名前は乙女だと言いかけやめた。人を醜女なんて平気で呼ぶのだ、乙女と言ったら指差して大笑いするだけだろう。
「‥‥水筒は返して、それしかないの」
「陰気な顔だ、ひひひ、男にでも振られたか」
老婆はおにぎりを食べ終えると水を飲み、空になった水筒を投げ返しながら言うと乙女は水筒を拾い立ち上がった。
「私なんて誰も相手にしない。さよなら」
「ちょっと待ちな。暗くて本当に辛気臭いガキだ、気に入った。飯の礼にこれをやる」
老婆は袂から磨いた小さな玉のような、真っ白な石を取り出し乙女の手に握らせた。
「‥お婆さん持っていなよ、綺麗だから売れるかも」
返そうとする乙女の手を老婆は跳ね除け睨む。
「いいから聞け、その石はただの石じゃない、願いが叶う縁石だ」
「‥‥えにし‥のいし‥?」
「この石の玉を手に願い事をすりゃ、その願いを叶える縁を結んでくれる。金が欲しいと願い金が湧いて出る奇跡は起きない無いが、金を拾ったり良い仕事にありつけたりと金が入る縁が出来る。但し、身の丈以上の欲をかくと悪縁になるがな、ひひひ」
「‥‥‥‥悪縁?」
「強欲に一生遊べるような金が欲しいと強く願い過ぎると、大金を拾うがネコババしたのがバレて盗人として捕まるかもな」
「‥‥叶っているの、それ‥」
「叶っているじゃないか、一度は金を手にするんだ!ひひ‥そんな荷運びじゃなく、稼ぎの良い仕事を願うと良いかもな。お前は醜女だから花街に売られる事はない、真面目に働いてきたなら良い縁があるかもしれないぞ」
「‥‥お給金が良くなっても叔父さんの酒代になるだけだから‥‥要らない」
乙女が手の玉を見つめ言い、顔を上げると老婆の姿は消えていた。
「‥‥お婆さん?_____何処行ったの?どうしよう、これ‥‥」
老婆は消え、見回すも座っていた後ろに朽ち果てたようなボロボロの小さな祠があるだけだった。
「‥‥あのお婆さん、もしかして‥貧乏神?」
ボロボロの祠と老婆の容姿にふと思い、白い玉を祠に置いて行こうと思ったが扉も外れ壊れている為、中は枯葉や小石、砂が吹込み溜まっており汚くて躊躇した。
「‥‥急がなきゃいけないから、帰りに少し掃除してから返すね」
乙女は仕方無く小石を駄賃を入れる小さな小銭入れの袋に入れるとそのまま荷を担ぎ元の道へと戻る為歩き出した。
へんなお婆さんだった、本当に貧乏神だったりして。‥‥だからへんな願いの叶い方しかしないのかしら‥?
乙女は石を入れた小さな袋を見て思うがそのまま背負い紐を握り締め足を早めた。
寄り道してしまったから急がなきゃ____本当にへんなお婆さんだった、面と向かって醜女醜女って‥‥でもコソコソ言われるよりはマシだ。
‥‥もし願いが叶うなら、‥‥この火傷が治ると嬉しいけど、そうなったら花街に売られるに決まっている。お母さんと二人で家を出て叔父から逃げたいけど、何度言ってもお母さんは逃げてくれない‥‥‥どうして?
お母さんはあの里で生まれ育って他を知らないし伝てが無いから不安だとか無理だと言うけど、幾ら働いても叔父に取られ殴られる今より絶対マシだ。
なのにどうして逃げないの?‥‥‥もしかしてお母さんは叔父と一緒に居たい‥‥?
乙女は自分でした悍ましい考えに、ぞくりと寒気がした。
私達を毎日殴り、私の顔をこんなにしたあの男と一緒に居たい?まさかお父さんを忘れてしまったの?あんなに優しかったお父さんを忘れて、あの男と居たいの?そんな筈無いっ!!
考えないようにしていた母に対する疑念が膨らみ、自分よりあの男が、叔父が好きなのだろうか?と思うと酷く寂しくなると同時に怒りが沸いてくる。
‥‥嫌だ、私はあの男が死ぬ程嫌い、絶対許せない‥!‥‥‥お父さん、私どうしたら良いの?このまま我慢しなきゃいけないの?ずっと我慢してあの男の酒代の為に働かなきゃいけないの?お母さんはどうして一緒に逃げてくれないの?!
‥‥‥もう嫌だ、お父さん____会いたい‥!お父さんに会いたい‥!お父さんと暮らしていたあの頃に戻りたい‥!お母さんは泣いてばかりで助けてくれない。それなら私はお父さんと暮らしたい‥‥!
「助けて‥助けに来て‥お父さん会いたいの‥‥!」
乙女は優しかった父親を思い涙が溢れ、ぎゅ、と小銭入れを握り締めた手の甲で懸命に涙を拭った。
‥‥泣いたら、泣いていたら駄目だ、急がなきゃ。匠さんは無愛想だけど、里で唯一私に仕事をくれる。その匠さんに急ぎと頼まれたんだ、急がなきゃ。
何度も涙を拭い、乙女は顔を上げ歩こうとして足が止まった。
「乙女じゃねぇか、丁度良い所で会った、金を寄越せ。昨夜はツイててな、今の俺は凄いぞ、増やしてやるからタネ金を寄越せ‥!」
「‥‥っ」
何故こんな所に、叔父に会い乙女は硬直した。
まだ日が高いのに赤い顔で酒の匂いがする。町で遊んだ帰りなのだろう、手を出す叔父にゆるゆると首を振った。
「‥ない、お金‥持ってない‥」
「嘘をつくなっ!!匠の奴はいつも先払いだろっ!」
「ほ、本当に待ってない‥っ!きょ、今日は急ぎで‥、だから‥後でって‥」
幼い頃から殴られている乙女は恐怖が刷り込まれ、叔父の顔を見ただけで硬直し上手く話せなくなる。
叔父は微かに震える乙女に眉根を寄せ睨むと近づき、手を取った。
「それで隠してるつもりかっ?!金がねぇなら何故大事に握り締めてんだ!!さっさと寄越せ!」
ごつ、と顔を殴られた乙女は倒れ、ガシャン!と派手な音がした。
「寄越せっ!!」
小袋を奪われた乙女は真っ青な顔で背中の荷を下ろし、痛みも忘れ力が抜けた。
中からはかちゃかちゃと軽い音がし、見なくとも届け物の皿が割れているのがわかる。かなりの枚数が、下手すれば一枚も無事ではないかもしれない。
下ろした荷物の風呂敷を握り締め、もう確認する勇気も気力も無かった。
___急ぎと言われたのに‥‥ごめんなさい‥‥もう仕事は貰えないだろう、弁償なんて出来ない‥。
毎回毎回、いつもそうだ。この叔父の顔を見ると碌な事が起きない。子守仕事をしていた時も、しょっちゅう子守先の里長の家に押しかけては給金の前借りをせびり、迷惑がられてクビになった。
この厄病神のような叔父に一生付き纏われるのか。
お母さんは一緒に逃げてくれない。どう頑張っても無駄だ。
乙女は全てがどうでも良くなり、座りこんだまま力無く笑った。
「はは‥‥あんたは‥‥厄病神だ‥」
「あ?‥‥金が入ってねぇじゃねぇか!!」
「___だから無いって言ったじゃない」
「この玉はなんだ?___随分綺麗だな」
小袋を逆さにし、掌に落ちた白い玉を摘み上げ眺めた。
「何だ、これ‥‥まさか象牙か?!」
「‥‥ただの石‥‥願いが叶う石」
「何言ってやがる、それよりこれは象牙か?やけにツルツルして光ってるじゃねぇかっ!」
金になるのではと喜色の声を上げる姿が浅ましく、乙女は何故こんな男に怯えていたのか、叔父にも自分にも腹が立ち気付けば立ち上がり、睨み大きな声で叫んでいた。
「象牙なんて見た事無い癖にっ!ただの石を喜んで馬鹿みたいっ!ねえ、見た事あるの?!」
「なんだ手前ぇ、その口の利き方は?!誰のお陰で暮らしていると思ってる!」
「あんたこそ誰のお陰で暮らしてると思っているのっ!?毎日私達を殴ってお酒飲んでるだけじゃないっ!あんたなんて貧乏神よっ!居なくなってよ!私達の前から消えてよっ!!」
胸倉を掴むもいつもと違い睨み、最後は泣きながら言い返す乙女に血が昇り、玉を握った手を強く握り締めると乙女を殴りつけた。
「誰にっ口をきいてる、」
ごすっ!
「生意気な餓鬼がっ!!」
ごつっ!
「兄貴そっくりな目で俺を見下しやがってっ!!」
がつっ!!
「ガキもお古の女も押し付けやがって‥‥!」
ごつっ!
「お前等が俺に出来るのは金を持ってくるだけだろが、金を寄越せっ!お前等なんかを引き取ってやった俺に感謝して金を寄こせっ!!」
どすっ!!
酒に酔ったのぼせた頭のまま、怒りと力に任せ顔を殴り腹に膝を入れると乙女は口からごぽりと血を吐き、ぐったり動かなくなった。途端に胸ぐらを掴んでいる手がずしりと重くなり、思わず手を離すとそのまま道端にどさりと落ちた。
「‥?!おい、乙女、おい‥‥っ、し、死んだのかっ?!嘘だろ、冗談はよせ」
散々殴っておきながらぐったりと動かない乙女に一気に酔いは醒め、辺りをキョロキョロと見回す。幸い山の中、人は居ない。
「くそ‥っ!勝手に死にやがって‥!」
そのまま乙女を引き摺り藪の中へと入り、適当な場所に乙女を投げ捨てた時、手に握りこんだままの白い玉に気付いた。
「っ、何が願いが叶うだ、縁起でもねぇ‥!」
叔父は動かない乙女に縁石を投げ捨てた。
____里に戻らず町へ行こう。乙女の死体が見つかったら間違いなく俺は疑われる。町に居た方が疑われずにすむ。俺はずっと町に居た、乙女の事など知らん、会ってない。
振り返る事なく走り出すと一目散に町を目指した。