オコジョ 3
朝まだきに那通の父親は起きるとぶるりと震えた。囲炉裏の灰を火かき棒で掻き、残しておいた火種の炭を見つけると彫り物の時に出た木クズと枯葉を入れて火を熾し、竈門にも移すと顔を洗った。
都と違い山の朝は一年中寒く、水の冷たさにすっかり目が覚める。
米を炊き、昨夜から鍋に水と一緒につけおいた昆布を取り出し、野菜を適当に切り放り込み囲炉裏にかける。
燻製にしておいた川魚を炙り、ご飯が炊ける頃に部屋は僅か暖まり始め、沢庵を切っていると那通も目を覚ます。
那通は起きて顔を洗うと、父親が彫った小さな母親の木像にご飯を供えて二人で手を合わせ、挨拶を済ますと鍋に味噌をとき朝餉が出来上がる。
今日も元気だな___
仕事で構ってやれない父親は毎日朝と夜、ご飯の時だけはよく那通の話しを聞き、食べる元気な様子に一人安堵していた。
「ふあ〜、俺も飯にするか。‥‥今日は久しぶりに鼠を‥‥いや、鼠は夜のお楽しみだ」
天井の梁で目を覚ました黒檀は、腕を伸ばして伸びをするとすみにこっそり溜め込んでいる木の実に手を伸ばし食べ始めた。
下では那通と父親が朝餉を食べており、黒檀は食事の支度をする俎板の小気味良いトントンという音や、夜に火が入った明るく暖かい囲炉裏を二人が囲み食事をしているのを眺めるのが好きだった。
二人の団欒を眺めていると、とても優しい気持ちと何故かほんの少し寂しい気持ちになる時があるが、寂しい気持ちは那通の笑顔を見ると忘れられた。
「じゃあ俺は仕事場に居るからな。日が短く大禍時が早くなっているから早目に帰るんだぞ」
わかってるよ、那通が頷くのを見て父親は小屋を出、那通は食べ終えたお椀を盥に入れると水瓶からくんだ水を張り洗い始める。
その隙にこっそり外へ出た黒檀はいつも那通と待ち合わせている胡桃の木のある草原を目ざして走った。
草原に着くと近くの岩陰でむむー、と念じ妖力を身体に巡らせる訓練を始め、半刻程すると大急ぎで片付けや畑の水やりを済ませた那通がやって来るのが見える。
さっと隠れ、さも今来たばかりのような顔で岩陰から黒檀が出ると見つけた那通が笑顔で駆け寄った。
「黒檀おはよう!今朝は冷えるね」
「おはよう那通。そんなに寒いか?」
「ねえ黒檀、冬になっても外で寝ていると寒くて凍えてしまうよ、僕心配なんだ。冬の間だけでも家においでよ、お父もきっと喜ぶよ!」
那通と黒檀は仲良くなり、あれから一日も欠かさず一緒に過ごしている。
薪を拾い、山の果物や木の実を拾い、少し遊ぶ。
那通は素直で黒檀は意外に面倒見が良く、二人は喧嘩をする事もなく毎日一緒だったがいくら那通が誘っても決して家に来てくれなかった。
「駄目だ。俺は普通のオコジョじゃない、妖者だ。親父さんはすぐに気付いて俺が那通と居るのを嫌がる」
「そんな事ないよ!」
「あるんだ!‥‥俺は同じオコジョに‥家族にすら捨てられた。誰にも話さない約束を破るならもう会わない」
「嫌だ!わかった、もう言わない。‥‥でも冬になったらあまり外に出れなくなるから‥‥黒檀に会えないのは寂しくて嫌だよ‥‥それに黒檀が凍えて病気になったら‥‥!」
「俺はこの毛皮があるから寒さなんて平気だ。‥‥仕方ないな、どうせ親父さんは仕事だろ?冬になったら内緒で遊びに行ってやるから待ってろ」
「本当?!絶対、絶対来てね、僕毎日待ってる!」
「行くから俺の分の木の実や干し肉も隠しておいてくれ」
「うん!‥‥うふふ、良かった、嬉しいなぁ。
あ、黒檀僕の家はね、ここから山道を降りて___」
「知ってるぞ‥‥毎日お前が帰って行くの見てるからな」
本当はとっくにこっそり那通の家に出入りしているどころか、既に住んでいるのは秘密だ。
「そうだ、冬にならなくても雨の日とかいつでも泊まれるように寝床を作って隠しておこうよ!籠を編んで中に藁を敷いたらきっと暖かいよ。黒檀の寝床を作ろう!僕が編むよ。あけびの蔓を採りに行かなくちゃ、行こう黒檀!」
那通はとても楽しそうに言い、黒檀は自分の為に作られた藁の寝床を想像すると嬉しくて、顔が赤くなった。
「ほら行こう、黒檀!」
「‥‥う、うん‥わかったよ‥!」
二人はあけびの木を見つけると蔓を引っ張り切り出す。
「木の方じゃなくて、こっちの土に這ってるまっすぐな蔓を採るんだよ」
「ふーん、これをどうするんだ?」
「こうやって‥‥編んで籠にするの。僕編むから黒檀は蔓を集めてくれる?」
「わかったぞ」
黒檀は地面に這う蔓を引っ張っては歯で噛み、蔓を集めた。
那通は水で洗うと丁寧に籠を編み出し、黒檀は夜父親に習い二人が籠を編んでいたのを思い出した。
「出来た!見て、黒檀、黒檀の寝床だよ。こんな風にここに藁を敷くんだ」
那通は時間をかけてとても丁寧に籠を編み、出来上がった籠に手拭いを敷き、見せられた黒檀は全身がむずむずした。
「ねぇ、黒檀ちょっと入ってみて、狭くないかな?」
「‥‥う、うん‥」
黒檀は嬉しい気持ちを抑え籠の中へ入った。
敷かれた手拭いが柔らかく、那通が懸命に編んでくれたのを見ていたので嬉しくて、感極まり涙が溢れそうになるのをぐ、と堪えた。
「どうかな、狭くない?」
「せ、狭くなんかないぞ」
「本当?良かった‥!」
那通はとても喜び、黒檀は少し俯いた。
「‥‥‥こんなに居心地の良い寝床は初めてだ‥‥俺なんかの為に‥‥ありがとう‥‥」
「良かった!じゃあ藁を入れたら上に何か布を敷こう。何処に隠そうかな‥‥お父に見つからない場所‥‥ねぇ、今お父は仕事場に居るからこっそり行って置き場所を決めようよ、ね?!」
「‥‥お、置いたら帰るからな‥!」
「やったー!」
那通は飛び上がって喜び二人は家へと向かった。
◆◆◆◆
「ここが僕の家だよ。ね?外よりずっと暖かいでしょ?夜は囲炉裏に火を入れるからもっと暖かいよ」
家に招き入れられ、黒檀は初めて入り口の引き戸から入り部屋を眺めた。
那通は籠に綺麗な藁を詰め、その上に手拭いを一枚乗せた。
「僕はいつもここに布団を敷いて寝るんだよ、お父はその隣だから‥‥ここにしよう?」
近くにある行李の上に籠を置き、黒檀は呆れた目で那通を見る。
「そんな所じゃすぐ見つかるじゃないか。那通、寝床をくれ」
黒檀は箪笥に登ると言い、那通が籠を渡すと自分より大きな籠を頭に載せ、天井の梁へぴょんと飛ぶと角に置き下へ降りた。
「____うん、これなら見えない、気付かれないな」
下から見上げ籠が見えないのを確認し、満足気に頷く黒檀の隣で那通はしょんぼりした。
「何だよ那通、なにが不満なんだ」
「‥‥だって‥‥あそこじゃ黒檀が見えないし、一緒に寝たいのに‥‥」
「だからそれじゃあ親父さんにバレるだろ!」
「うん‥‥」
「親父さんが居ない時は降りてくるよから、そんなにガッカリするな。それより俺を気にして上ばっかり見るなよ、バレたら来ないからな」
「‥わかった、お父が居ない時は下に来てね」
「ああ。けどここへ来るのは冬になってからだからな」
「ええっ?!じゃあ今日帰っちゃうの?!」
「帰るぞ、また明日な」
「う、うん‥、また明日ね!」
黒檀は帰ってしまい那通はがっかりしたが、天井を見上げるとくすくすと笑った。
「冬になれば黒檀はあそこで寝るんだ‥嬉しいなぁっ!くすくす」
嬉しくて那通はでんぐり返しをし、そのまま仰向けでいつまでも天井を見上げていた。
那通の家を出た黒檀はそのまま隣の物置小屋へと入り、見つけた小さな鼠をあっさり仕留めると血の臭いが残って警戒されないよう、咥えて外へ出て少し離れてから食べた。
鼠を食べ終わった黒檀は落ち着かず、むずむずする気持ちと身体に走り出すと、そっと母屋の小屋へ入り天井へと駆け上がる。
作って貰った寝床が嬉しくて本当は自分も下で一緒に寝たいのだが、黒檀は絶対言わないと決めている。
那通の父親に妖とバレて追い出されるのが、昔の家族のように蔑まされ罵倒されるのが何より怖い。懸命に強がっているが那通の事が大好きで、会えなくなると想像しただけで寂しくて涙が溢れてくる。
「‥‥那通は凄いな、こんなふわふわの寝床初めてだ‥‥ありがとう‥那通‥とっても暖かいぞ‥‥」
黒檀はとても嬉しくて幸せで、生まれて初めて身体も心もぽかぽかのまま眠りについた。
「きいいぃっ!もう嫌っ!!また黒オコジョに子供が捕まったわ!!あんたアイツをどうにかしてよ!!」
「黒オコジョ‥、また来たのかっ!?」
鼠の母親は泣きながら叫び、外から帰ってきたばかりの父親鼠に訴えた。
「アタシはオコジョの餌の為に子供を産んでるんじゃないわっ!」
「‥‥だけどここは外より餌もあるし寒さも凌げる、ここより良い棲家はないぞ」
那通の家の倉庫に住み着いている鼠の一家は今迄呑気に暮らしていたが、突然現れるようになった黒檀に悩まされていた。
「なんで先に住んでいたアタシ達が出て行かなきゃいけないのよっ!アイツをどうにかしてよっ!!」
「馬鹿言え、俺が黒オコジョに勝てるワケないだろっ!‥‥ん?‥そうだ斑尾様に頼んでみるか‥!?」
「えっ‥?斑尾ってまさか‥」
「ああ、竹林に棲む旧鼠の斑尾様だ」
「駄目よ‥!あの化け鼠は同族だってお構い無しに食べるって噂よ、黒オコジョを退治して貰ってもその見返りにアタシ達を食べるわよ!!」
「‥‥確かにな‥‥そうだ、それなら俺達より満足できる他の餌を差し出せば良い!」
「‥‥他の餌?」
「ここの人間の子供だよ。あの子供が黒オコジョを連れて来ているしな、外で一緒に居るのを見たから間違いない」
「‥‥あのガキが黒オコジョを連れて来たですって?!寝ている隙に手も足も全部の指を噛みちぎってやりたいわっ!」
「だからよ、あの子供を斑尾様に差し出すんだ。子供が居なくなれば黒オコジョも来なくなるし、俺達の子供が喰われた溜飲も下がるってもんだ」
「けど本当に大丈夫なの?同族も食べるような相手、信用出来出来るの?」
「けど他に方法はないぞ。なに、俺達を喰うより人間の子供の方が遥かに大きくて腹も膨れる、俺達に見向きもしないさ」
「‥‥そうね、きっとあんたの言う通りだわ。流石ね、頭が良くてとっても頼もしいわ!」
褒められた父親鼠はすっかり上機嫌になり、俺に任せておけ、と出て行き母親鼠は必ず帰って来てね、と涙ながらに見送った。
勇んで家を出た父親鼠は勢い良く真っ暗な山道を駆け上ったが、竹林に着くと我に返り足が竦んだ。
昼間でも近づかない夜の竹林は不気味で入るにはとてもとても勇気が要る。
母親鼠には、ああ言ったが本当に大丈夫だろうか?話す前に有無を言わさず食べられないよな?
今更ながら不安になり帰ろうかな、と考えた時母親鼠にどうするのよ!と怒鳴られる様が頭に浮かび、ええい!と竹林の中へ飛び込んだ。
「おい貴様ァ、ここは斑尾様の縄張りと知ってて餌になりに来たのか?あ?!」
暗い竹林を歩いていると突然声をかけられ、自分の何倍もある猫程の大きさの鼠に父親鼠は声が引き攣った。
「ひっ、は、初めましてです斑尾様、あの、ま、斑尾様が人間の子供が好物とお聞きし美味そうな子供を見つけたので是非差し上げたいのですが‥この通り私は非力なものでご相談に上がりましたです‥!」
父親鼠は必死で揉み手をしながら何度も頭を下げ何とか言うと、大きな鼠は訝しげに覗き込んだ。
「俺は斑尾様じゃねぇ、配下の灰鼠ってんだ。確かに斑尾様は人間のガキがお好きだ、長い事喰ってないから喜ぶだろうが‥まぁ良い、ついて来い」
「は、はいっ」
灰鼠について歩き、案内されるまま洞窟へ入った父親鼠は後悔と逃げ出したい気持ちでガタガタと震えた。
洞窟の中は血とすえたような臭気で溢れ、奥では野犬程の大きな旧鼠が何かの骨をしゃぶり、太い鞭のような水柿色の尻尾は海老茶と黒の斑模様で不気味にくねくねと揺れていた。
骨をしゃぶる口は大きく、鋭い牙は今にも自分を襲ってきそうである。
「灰鼠、随分小せぇな。そんなんじゃ腹の足しにならねぇ!」
旧鼠の斑尾は灰鼠の横に居る父親鼠を一瞥すると怒鳴った。
「こいつは餌じゃなくて、斑尾様に人間のガキをお出ししたいと___」
「何?!人間のガキだと?!牡か牝か?!」
斑尾は眼をギラギラと輝かせ灰鼠はちら、と視線をよこし、見られた父親鼠は震えながら応えた。
「あ‥、あの‥、おすです」
「牡かぁ‥少し残念だが人間のガキは久しぶりだ、じゅるり、何してる、早く出せ」
斑尾は余程嬉しいのか、ボタボタと涎をたらし舌なめずりをしニタニタと笑った。
「は、はい、ですが私はこの通り非力な為‥‥連れて来れないのでご相談に上がりましたです」
「適当に騙して連れて来い」
「この竹林は斑尾様のものと恐れられているのでそれも難しく‥‥」
「ちっ、さっさと攫って来い」
「へぇい」
「灰鼠、儂は血を啜り生きたまま喰うのが好きだ、泣き声も堪らん。殺したら承知せんぞ、わかったな」
「へぇい、聞いたな、お前等行くぞ。おい、案内しろ」
「は、はい‥!」
灰鼠に背中を押され、洞窟を出た父親鼠は何処にこんなに居たのか、ぞろぞろと灰鼠の後からついて出てくる自分より一回り大きな数えきれない鼠達に驚いた。
「キキッご馳走だチュウ」
「ご馳走だチュウ」
「楽しみだチュウ」
「チュウーっと血をひと飲みしたいチュウ」
「肉をひと齧りしたいチュウ」
「斑尾様の好物だ、俺等に回ってくるかよ。つまみ喰いした奴は自分も餌になる覚悟をしろよ」
「‥‥残念だチュウ」
「攫う時血が出てしまうのは仕方無いチュウ!」
「そうだチュウ!」
「こっそり舐めるチュウ」
「そうだチュウ!」
「‥‥‥‥‥」
こそこそ話しているつもりだろうが丸聞こえで灰鼠は後ろからゾロゾロと続く鼠達を見て呆れ、隣の父親鼠を見た。
「お前遅ぇ。仕方ねぇな、俺の背中に乗れ」
「は、はい」
父親鼠が背中に乗ると灰鼠は速度を上げ走り出し、背中から見る鼠の大群はまるで地面が波打ち動いているような光景で恐ろしくぎゅ、と目を瞑った。