狗神 3
夕刻の大禍時となり真っ赤に染まる町並みを夜一は窓から見つめていた。
大禍時になると夜も営業している店であっても一時的に戸口を閉める。
大禍時に来る客は妖だ、と言われている為だ。
阿波座屋の周辺の店もぱたぱたと格子窓や戸口を閉め、通りを歩く人はいなくなった。
「さて、狗神を出してやるか」
「はいでち!」
夜一の呟きに連夜は笑顔で返事し、夜一は、ん?連夜を見た。
「来るのか?すぐ終わるぞ」
「だ、駄目でち?」
「いいぞ、但し狗神は総じて嫉妬深く執念深いのが多い、怨まれると面倒だ。だが散々な目に遭った狗神を出来るだけ殺したくはねぇ。わしが良いと言うまで狗神に手を出すなよ」
「はいでち!」
「‥‥狗神が生意気でも駄目だからな」
「う‥、はいでち‥」
念を押され渋々連夜が返事をすると夜一はよし、と抱き上げ二階の部屋の窓からひらりと通りへと飛び降りた。
夜一が地面に掌を向けると黒い妖力が渦巻き土を掘り始め、かめが見えると中から黒い雲が湧き出、上からしゅるしゅると下へと集まると黒い雲に乗った人の身体に直衣、犬の頭をした狗神が現れた。灰色に黒と白の毛並みに鋭い眼光は黄色に黒い瞳をしていた。
「感謝するっ!感謝するぞっ!よくぞ俺様を解放してくれたっ!この恩は忘れんぞっ!」
狗神はかっと眼を開くと叫ぶような大声で言い、夜一の前で着物の裾に手を隠したまま組み、高く掲げると頭を深く下げた。
「どうやら話しは通じそうだな。狗神、わしは夜一だ」
「夜一殿、いや、夜一様お初にお目にかかる、此度は俺様を解放してくれて感謝のしようがない!
お陰で俺様をこんな目に遭わせた彼奴に復讐出来るというものだ。礼がしたいが‥‥夜一様は誰か呪いたい相手はおありか?」
「いや、そういうのが居れば自分で殺る。呪いや呪詛は性に合わん。それより貴様に一つ頼みがある。術者を祟るのはわしの用が済むまで待ってくれ」
夜一が言うと狗神はそれまでと表情を変え、ぎり、と夜一を睨み牙を剥いた。
「いくら恩人といえ奴は譲らんぞっ!彼奴は俺様が直々に、俺様にした万倍の苦しみを与えて殺すのだっ!彼奴の小指一本とて俺様のモノだ、これだけは譲れんぞっ!!」
「じじ様に生意気でちっ!!!」
連夜は怒り息を大きく吸い、夜一は慌てて連夜の口を手で塞ぎ抑えた。
「待て、連夜!狗神、お前の獲物を攫う気はねぇ。お前が呪っていたこの店はわしの贔屓でな、術者と理由が知りたい。心配なら立ち合ってくれ。それさえ聞けりゃあ用は無い」
夜一の言葉に狗神は剥いていた牙を納め、頭を下げた。
「早合点で失礼した、許して頂けるか」
「構わねぇよ、術者への報復は貴様の権利だ。で、待ってくれるか?」
「承知した」
「術者以外の者に貴様を掘り返されて野良にされたら大事だからな、恐らく今晩か明晩には貴様を迎えに来ると睨んでる。そう長くは待たさねぇさ。
_____どうした、わしの孫が気になるか?」
顔を上げた狗神は腕に抱いてる連夜をじっと見つめ、夜一は警戒するように眼を細めた。
「御子息ではなく御令孫か!よく似ていて可愛いいなぁ‥‥‥夜一様よ、奴が来るのは夜だろうか」
「人目につかねぇよう深夜だろう」
「ではそれまでには戻るとする。
‥‥俺様は飼われていた人間に売られ、突然縄で引き摺って行かれ散々苦しめ殺された。こんな目に遭うのが俺様の息子達でなくて良かったが‥‥夜一様達を見てたらあいつらは無事か心配になってきた。少し顔を見てくる」
「‥‥ああ、ゆっくりして来い、また後でな。
あ!狗神、わしが捕まえるまでは隠れていてくれよ、どんな相手かわからんからな」
「承知した!」
狗神は頷き頭を下げると黒い雲に包まれ浮かぶと空へと飛んで行った。
「じじ様凄いでち、雲乗ってたでち!」
連夜は目をキラキラとさせ狗神の雲が飛んで行った空を指指した。
「祟り神だからな。あの雲に乗るんじゃねぇぞ、あれは狗神の妖力だ、捕まって攫われるぞ」
「‥‥‥‥乗れないでちか‥」
連夜は相当雲に乗りたかったようで随分とがっかりした。
「‥‥‥帰ったら鞦韆作ってやるからそれで我慢しろ」
「ぶらんこって何でち?!楽しいでち?」
「ああ、面白いぞ。楽しみにしてろ」
「はいでち!」
「あの狗神は野良のせいか、元来の気性が強いようだがそれでも狗神だ。まだ油断するな」
「はいでち!」
夜一は笑顔で返事をする連夜を見て軽く睨むとほっぺをつねった。
「いつも返事は良いがお前、さっき狗神に火ぃ吐こうとしただろ」
「ご、ごめんなさいでち‥っ」
「言う事聞けねぇなら連れて来んぞ」
「ごめんでちっ!じじ様ごめんなさいでち!」
連夜はあたふたと謝り頭を下げしゅんとし、夜一はわかりゃぁ良い、とこつん、と当てるだけの拳骨をした。
「そろそろ大禍時も終わる。人に見られねぇうち戻るぞ」
夜一は狗神が出てきたかめの中から頭蓋骨を取り出し風呂敷に包むと代わりに木の葉を一枚入れ、木の葉はかめの中でぼん、と顔の肉の大半が腐り削げ落ちた犬の首になり再び土を被せると阿波座屋へ戻って行った。
◆◆◆◆
阿波座屋は夜一と連夜だけでなくぬらりひょんにも夕飯とお酒を出しもてなしてくれたので、都の大門が閉まり暫くするとぬらりひょんは徳利を抱え、上機嫌で窓から外に出て屋根に登り座った。
「ふひょひょひょひょひょ!酒を飲んで座っているだけでまた夜一様の酒が貰えるとは前回の苦労とは大違いじゃ!‥‥ん?匂いに釣られて来たのか?お前は酒は駄目じゃ、ほれ、肴をやるぞ」
上機嫌のぬらりひょんは、屋根を歩いてきた猫に言うと蒲鉾を一切れ置いた。
「なんじゃ、喰わんのか?ご馳走じゃぞ」
ぬらりひょんの隣に座った猫は蒲鉾を食べず通りを見つめており、何かおるのか?とぬらりひょんは視線をやった。
提灯も持たずひたひたと足音を忍ばせ、黒頭巾を被った男がニ人暗闇に紛れ歩いていた。
来おったか!
眺めていると黒頭巾の男のうち一人はそっと阿波座屋の店先で穴を掘り始め、ぬらりひょんも音を立てないよう開けておいた裏の窓から中に入ると夜一の居る部屋の襖をそっと開けた。
「夜一様来おったぞ!」
「何人だ?」
「二人じゃ。ありゃ、連坊は寝てしまったか」
「ああ、今日はずっと化けてたから疲れたんだろ」
夜一は羽織っている赤の着物を脱ぐと狸の姿に戻りくうくうと寝ている連夜を包み膝から下ろしそっと寝かせた。
「連夜はここに寝かせておく。ここの連中は大丈夫と思うが何かあればすぐわしを呼べ」
「承知したのじゃ!」
夜一は部屋を出るとぬらりひょんが入って来た窓から屋根へと上がり、穴を掘る男を見つめながら大きく息を吸い黒い闇に溶け込む妖力を吐き出した。
「夜一様の結界か?」
「そんな大層なもんじゃねぇ、邪魔が入らねぇようほんの目眩しだ」
夜一は振り返らず言い、隣に来た狗神はすんすん、と鼻を鳴らした。
「妙だぞ」
「どうした?」
「匂いが違う」
なんだと?夜一は男達を見張りながら言いかけたが激しい怒りからぶわり、と夜一の妖力が身体から溢れた。
「っ?!」
夜一の妖力にあてられ狗神は畏れ全身の毛が逆立ち、何が起こったのか判らず夜一が睨んでいる男達を見た。
「ありました、かめがありました‥っ!もう少しで出てきます」
地面を掘っていた男が鍬の感触に言うと、もう一人の男は穴の上に取り出した大きな紙を広げ、紙には陣が描かれていた。
「陰陽師‥‥狗神っ、匂いが違うたぁどういう意味だ、あいつらじゃねぇのか?」
「俺様を殺したのは彼奴等ではない‥‥っ」
夜一の妖力にあてられながらも狗神は何とか声を出した。
「じゃああれはわしが貰う」
夜一は言うが早いか狗神が返事をする前に飛び降り、ご随意に、狗神が言った時には男二人は夜一に蹴り飛ばされていた。