狗神 2
「一体なにが起こっているのでしょう」
閑古鳥が鳴いている阿波座屋の話しを聞き、満月堂は首を傾げた。
満月堂と阿波座屋は代々大和貝紫で店を構えている老舗で、歳も近く幼い頃から仲が良い。
あれ程お客様で賑わっていたというのにお客様がまるで寄り付かなくなり、満月堂に菓子の配達に来た使用人は随分暗い顔をしていたと息子から聞き心配になった。
かと言って何か悪い噂が立っている訳でもない。
満月堂は落ち着かず直接聞くのが早い、と阿波座屋へと向かった。
阿波座屋の暖簾が見え、いつもと変わった様子は無いように見えるが___思い店の前まで来た途端満月堂は何とも言えない嫌な気持ちになり、兎に角その場を離れたくて阿波座屋への用を忘れそのまま通り過ぎた。
そして茶屋を見つけると座りお茶を頼み、出てきた茶を飲み一服煙管を吸ったところではっ、と我に返った。
「わ、私は何を___何故茶屋に‥、阿波座屋さんへ行かなくては」
満月堂は慌ててお茶を飲み干し煙管の火を落とすと来た道を早足で戻る。
だが気がつけば家に戻っており、満月堂は頭を抱えた。
「明らかにおかしい‥‥何が起こっているのです?‥‥こうしている間に阿波座屋さんは何か大変な事に巻き込まれており私では門外漢な気がします____しかし何処に相談をすれば‥‥、そうだっ!夜一様であれば何かおわかりになるかもしれん‥っ!」
満月堂は嫌な予感がし、夜一への土産にと買っておいた風呂敷包を掴むと家から飛び出し狢庵へと急ぎ向かった。
◆◆◆◆
「御免ください」
「満月じじ、いらっしゃいでち!」
狢庵の横の畑に居た連夜に声をかけると駆け寄って来た連夜は満月堂を見て首を傾げた。
「箱忘れたでち?」
「今日は夜一様にご相談があって参りましたので薬箱は置いてきました。夜一様はいらっしゃられますか?」
「居るでち!じじ様、満月じじでち!」
満月堂は走る連夜の後について狢庵へ入って行く。
夜一は客間で横になり煙管を手に書物をめくっていたが、満月堂を見ると珍し気に片眉を上げ身体を起こし座った。
「どうした、満月堂。仕入れ以外で来るのは珍しいじゃねぇか」
「お寛ぎの所を申し訳御座いません。本日は夜一様に御相談があり参りました」
「そう固く改めてねぇで上がれよ。連夜、酒を頼む」
「夜一様、宜しければこちらを___
夜一様のお酒にはとても敵いませんが、近頃評判の灘の下り酒です」
「そいつは嬉しいな!一度飲んでみたいと思っていたんだ、ありがとうよ。早速頂くとするか!」
満月堂は部屋へと上がり手土産のお酒を渡すと夜一は予想以上に喜んでくれたので安堵し、心の中の覚書に夜一様には兎に角お酒、と書き込んだ。
「で、どうした?改まって」
夜一は貰ったお酒を湯呑につぎ、一つを満月堂に渡しながら聞いた。
「実は妙な事が起こっておりまして____」
満月堂は阿波座屋の一件を夜一に話した。
「阿波座屋さんへ行こうとするのですがどうしても気持ち悪く入れず通り過ぎ、気がつけば茶屋に入っていたり家に戻っている始末でして‥。
自分の行いの理由も分からず気持ちが悪く、嫌な感じがするのです。
今では都の人々は阿波座屋さんに見向きもしません。私もこのままでは阿波座屋さんを忘れてしまいそうで怖いのです‥‥!」
夜一は表情を変えず聞き、まずは舌を滑らかに、と言わんばかりに酒を呑んだ。
「うん、キリッとした辛口で美味いな、実にわし好みだ___満月堂、難しい事じゃねぇ、簡単な話しだ。呪詛を仕掛けられたな」
「っ!阿波座屋さんが‥そんな怨みを買うような人ではありませんのに、一体誰が‥?」
「何が怨みを買うかなんてわからねぇぞ。わかりやすいのは色に金、跡目争いに商売敵ってとこか。人間は金には特に執着する」
商売敵、の言葉に満月堂は顔を曇らせた。
「‥‥阿波座屋さんは新商品が当たり随分お客様で賑わっておりました。まさかそれが‥‥」
「さぁな。しかしそこまで明から様に客が寄りつかねぇのは気になるな____狸饅頭が出来たか一度見に行こうと思ってたところだ、行ってみるか」
「宜しいのですか?!」
「ああ、確かに妙な感じがする。放っておくと不味いかもしれん。わしも狸を楽しみにしてるからな」
「あ、ありがとうございます!」
満月堂が頭を下げるとその後ろでおつまみの漬物を手に部屋に入って来た連夜が俯き立っていた。
「じじ様出掛けるでち‥‥」
そんな連夜の様子を見て夜一は連夜に声をかけた。
「連夜、人型は出来るようになったか?」
「で、出来るでち‥‥っ!」
連夜はとてとてと夜一の前まで行き鼻息荒く言う。
「見せてみな」
「はいでち!」
連夜は漬物を置くとかくしから木の葉を一枚取り出し頭に乗せてむむむー、と指を組み念じると妖力が連夜を包む。
「変化でちっ!」
ぼんっと煙に包まれ、煙が消えると満月堂は思わず声を上げた。
「おおっ!!連夜様何と凛々しく可愛らしい‥、夜一様にそっくりでいらっしゃいます!」
連夜はまるで夜一をそのまま子供にしたような、三、四歳程の幼児の姿になった。
夜一より少し大きな瞳は金色‥‥だが、
「耳と尻尾が隠せてねぇぞ、まだまだだな」
夜一は言うと連夜の頭についている狸耳をくい、と触り、連夜は慌てて大きな尻尾を手で隠しショボンと項垂れた。
「わしと一緒に都でも何処でも行けるよう精進しろ、連夜」
「はいでち‥‥」
夜一は項垂れる連夜にふう、と煙を吐きかけると連夜の耳と尻尾は消え、水色と銀色の水干に黒のたっつけ袴姿になった。
「けど随分上達した。ちゃんと頑張ってるから今日は連れてってやる、わしから離れるな」
「は、はいでち!じじ様‥っ!」
置いて行かれると思っていた連夜は嬉しくて夜一に抱きつき、夜一はそのまま片手で連夜を抱き上げ立ち上がった。
「行くか、満月堂」
「はい!」
満月堂は返事をすると慌てて草履を履いた。
◆◆◆◆
阿波座屋から少し離れた大和貝紫の細い裏通りの物陰に三人は現れ、満月堂は驚き何度も目を瞬き首をキョロキョロと動かし辺りを見た。
夜一様が一緒だと狢庵から都まで一瞬ですか‥‥。
満月堂が改めて夜一の力に驚いていると、夜一はどうした?行くぞ、と歩きだし慌てて後を追った。
夜一の右手に煙管、左手に連夜を抱いて歩く姿は祖父と孫ではなく随分美形なそっくり親子にしか見えず、すれ違う女は老若問わず皆声を上げ見惚れる。
子狸の姿もとても可愛い連夜だったが、幼児姿の破壊力は凄まじく、確かに夜一様が心配されるのは無理もない。一人で歩いていたらすぐに攫われてしまうだろう。
「相変わらず賑やかだな、此処は」
すれ違う都の人々の明るい賑やかな様子を楽しげに言う夜一に、狢庵で連夜と二人で暮らしているので騒がしいのは煩わしいのかと思っていたが本当は賑やかなのがお好きなのかもしれない、と思った。
阿波座屋のある通りに入ると満月堂は緊張した。
スタスタと歩いていた夜一だったが、少し速度を落とし眉根を寄せた。
「じじ様、臭いでち」
「ああ、酷ぇな」
阿波座屋の前に来ると連夜が呟き、夜一は眉間の皺を深くし地中から湧き出て店の入り口を塞ぐように漂うドス黒い怨念を見つめた。
「貴様も来い」
隣の満月堂は後退り、夜一は不機嫌な声で言うと満月堂の背中をとんと押し、阿波座屋の店内へと押し込みながら埋められている犬の首を踏まぬよう、大股で跨ぐように店へと入った。
「い、いらっしゃいませ‥っ!」
「‥‥はっ?!は、入れましたっ、夜一様、入れました‥‥っ!」
阿波座屋の主人は戸惑いながらも久しぶりの来客に驚き目を潤ませた。
「夜一様、一体‥‥」
「店先ではなんだ、部屋はあるか?」
先程まで機嫌の良かった夜一が一転、明らかに不機嫌な様子に満月堂は余計な事は言わず頷くと阿波座屋を見た。
「阿波座屋さん、此方は夜一様です。阿波座屋さんにおかしな事が起こっているのではと相談し、夜一様には何かわかったようです。此処でお話しするのは憚られますので___」
「どうぞ、奥へ上がって下さい。人払いも致します」
突然お客が全く来なくなり、異変を感じ原因を一番知りたい阿波座屋は慌てて言い、三人は奥の部屋へと案内された。
「この度は態々足を運んで下さり誠に有難うございます。まずはどうぞ召し上がって下さい」
「やめて下さい、阿波座屋さん」
阿波座屋は三人を部屋に案内すると手を付き頭を下げ、満月堂は慌てて制したが出された茶菓子に連夜は目を輝かせ無邪気な声を上げた。
「じじ様狸でち!可愛いでち!」
「ああ、良い出来だ。尻尾も立派だ」
「可愛いでち!狸が一番でち!」
「後で買って帰ろうぜ。分の奴にも見せてやらねぇとな」
「はいでち!」
連夜は出された狸饅頭をとても喜び、阿波座屋は久しぶりのお客様の喜ぶ声に思わず涙ぐむ。
阿波座屋はお客様が来なくなった原因がわからず悩み、髪の毛や異物が入る粗相はなかったか、売れ残った商品全てを使用人達と丹念に調べていた。
夜一は煙管に火をつけ一服し、満月堂は心配そうに夜一を見た。
「夜一様、やはり呪詛でしょうか?」
「じゅ、呪詛?!」
思ってもいなかった言葉に阿波座屋は驚き、ぎょっとする。
「ああ、しかもかなりタチが悪い。阿波座屋、わしが考えていたより相当な怨みだ。術者に、誰か怨みを買った心当たりはねぇか?」
夜一が聞くと阿波座屋は顔を青くしたが、真剣に考えてからゆるゆると首を振った。
「正直に申し上げます、私には全く身に覚えがございません」
「夜一様、相当な怨みとは‥」
「客が来なくなった原因は狗神だ。誰か知らねぇが狗神をつくりやがった」
「い、狗神?!」
「ああ、狗神は有名だから聞いた事あるか?
ここの店先に犬の首が埋めてあって、客が来ねぇよう入る客を睨んでやがる」
「そんなっ!!?」
「間違いねぇ。人が良く通る辻でなく、店先に埋めるのはそういう事だ。満月堂、お前さんも身を持って経験しただろ、わしが居ねぇ時は此処に入れなかっただろ」
「ええ____」
「そんな‥‥、一体誰が‥」
「何か心当たりねぇのか?色やら金、商売、親兄弟で不仲はねぇか?」
「‥‥ありません。私は妾もおりませんし、父は亡くなり母親がずっと一緒に暮らしております。嫁姑の仲も良く諍いはございません。妹が居ますが嫁いでおり別の都に住んでおります。お金の貸し借りはどちらも無く、使用人の皆さんも良く働いて下さる良い人ばかりです」
「私もそう思います」
「狗神にするには犬を虐げ餓死寸前で首を落とし、その首を往来に埋めて踏ませる事で怨みを増幅させる。そして掘り返し、焼いた頭蓋骨を御神体として祀り、狗神を迎え入れ家の人間に取り憑かせなきゃなんねぇ。
祟り神の狗神を祀らねぇで放置すると野良になる。野良になると必ず真っ先に狗神を作った術者の一家全員を祟り殺す、だから放置はあり得ねぇ。
だが祀れば狗神の力で術者の家は栄える。但し憑かれた人間は精神も見た目もまともじゃなくなり、一目で狗神持ちだとわかる有様だ。こんな都だと座敷牢にでも閉じ込めねぇとすぐ捕まるだろ」
「ええ___。呪詛は重罪です。ましてや此処は奥に帝の御所があります。呪う相手が誰であれ、発覚すれば縁座死罪でお家断絶、お貴族様なら取り潰しは免れないでしょう」
「狗神をつくってまで呪いてぇんだ、相当な怨みじゃねぇと出来ねぇと思ったが___」
「確かに___しかし‥‥」
真剣に考え悩んでいる二人の様子に、本当に心当たりがないのだなと夜一は思い連夜の方を向いた。
「貴様、何か見てねぇか?ぬらりひょん」
「見ておらん。此処はわしのお気に入りの飯屋だったが急に臭くなったと思ったらあの怨念じゃ。この店はもう長くないと避けておったんじゃ。珍しく夜一様が都に居るんで付いてきたが、よりにもよって此処に来るもんじゃから帰ろうとしたら『来い』と言われるし‥‥」
ぬらりひょんは狸饅頭を手にブツブツと言い、満月堂と阿波座屋は連夜の隣りに突然現れたように認識したぬらりひょんにぎょっと驚き、思わず仰け反った。
妙に頭が大きく、小さな身体に灰色の粗末な着物を着た、貧相な老人にしか見えないぬらりひょんを二人は驚いたまま見つめた。
「此処が臭くなったのはいつからだ?」
ぬらりひょんは首を傾げ指をおりひー、ふー、みーと数える。
満月堂はその様子を警戒しつつ見つめていたが、ぬらりひょんが持っている夜一の酒である証、家紋の入った通い徳利に気付き、あゝ夜一様のお仲間か、と安堵すると漸く姿勢を正した。
「わしが臭いに気付いてから一月程じゃ」
「‥‥!半月程前から明らかにお客様の足が減り、原因もわからぬまま一人も訪れなくなってしまいました‥」
「もう狗神として仕上がってる。野良になると事だ、そろそろ掘り返しに来るな。阿波座屋、このまま一晩この部屋を借りて構わねぇか?」
「勿論で御座います。お食事もご用意させて頂きます」
「ぬらりひょん、貴様なら外で張れるだろ」
ぬらりひょんはあからさまに嫌な顔をし夜一は意外な顔をした。
「嫌か?なら構わんぞ。しかしもうそこに酒は入ってねぇだろ、いいんだな?」
夜一が煙管で徳利を指して言うとぬらりひょんは慌てた。
「酒をくれるのか?!」
「特級はやらん」
「ええ〜‥‥‥‥(ケチじゃのう)」
ぬらりひょんはとても小さく最後呟いたが隣の連夜がギンッと幼児とは思えぬ鋭い眼光で睨み、ぬらりひょんは慌てて口を抑え言ってないとばかりにぶんぶんと首を振った。
「別に嫌なら伊織でも呼ぶから構わん」
「わ、わかった、他ならぬ夜一様の頼みじゃ、このわしが引き受けてやるぞ!わしなら決して、絶対に気付かれん。わし程の適役はおらんのじゃ!」
「店先で穴を掘る奴が来たらすぐわしに知らせろ」
「承知したのじゃ!」
ぬらりひょんはどん、と胸を叩き承諾した。
渋って見せたが阿波座屋の店先に座っているだけで夜一の酒が貰える美味しい仕事にぬらりひょんは内心喜んだ。
「連夜」
「はいでち」
狸饅頭が可愛くていたく気に入った連夜は一つ食べた後、もう一つ小皿に取るとずっと角度を変えては眺めてにこにことしている。
「今晩は帰らねえからそのまま維持するんだ。出来るか?」
「はいでち!」
「あと阿波座屋、どうせ客は来ねぇからもう店閉めちまえ。大禍時んなって通りの人が引けたら首を取り出す」
「ええっ?!そんな事をして大丈夫なのですか?!夜一様が祟られてしまうのでは___」
阿波座屋が夜一を心配して慌てて言うと、夜一は片眉を上げ得意気にニヤリと笑った。
「わしが生まれたばかりの狗神ごときに負けると言うのか?わしは大妖夜一様だぞ」
「え?!あ、妖?!」
夜一の事を身分を隠したお貴族様だろう、と勝手に思っていた阿波座屋は予想もしなかった正体に驚き、思わず満月堂を見ると満月堂は穏やかな笑顔でうん、と頷き、え?!と連夜を見ると隣のぬらりひょんもうん、と頷いた。
「じじ様強いでち!」
連夜は得意気に言い、阿波座屋はするとこのそっくりな可愛らしい幼な子も妖‥?!と驚きあんぐりと口を開けたまま連夜を見つめた。
「わしが先に首を取り出し、狗神は野良として解放する。人を呪わば穴二つ、そいつが掘った穴は己の墓穴だと思い知らせてやる」
夜一の赤い瞳を光らせた冷酷な笑顔を阿波座屋は青い顔で見つめた。
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