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連夜と夜一  作者: anemone
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狢道 1

日が傾き、夕刻になると空にうっすらと二つの月が見え始める。

最初に白い月が見え、少し離れた隣りに紅い月が昇る。

紅い郝月(かくげつ)が昇ると白く見えた月は薄く黄色くなり、日の夕焼けと重なり瞬く間に周囲は紅く染まり人は大禍時(おおまがとき)だ、と青い蒼月(そうげつ)が昇るまでの時間妖に逢わないよう家路へと急ぐ。


まだまだそんな刻限でもないのに薬、満月堂と書かれた木箱を背負った壮年の男は手拭いで包んだ荷物を手に抱え、恰幅の良い身体を揺らさないよう慎重に山中を額の汗を拭いもせず走っていた。


慌てた様子で山道から外れ獣道に入り少しすると雨風にさらされ、苔むした地蔵のような石像があり男はそこで立ち止まり、荒い息を少しゆっくり吸い僅か整えた。

地蔵にしてはやけに恰幅の良いそれは、よくよく見ると狸の石像だった。


「よ、夜一様っ、満月堂でございます、火急故不作法お許しください!」

満月堂が石像の前で叫ぶと次の瞬間足元の木の葉がざざーっと勢い良く舞い上がり、くるくると踊るように舞った後、石像の横には不思議な真っ暗な横穴が口を開けていた。


「あ、ありがとうございます!」

満月堂は頭を像に下げ、臆する事なく足早に穴の中へ入ると不思議な穴、狢道(むじなみち)は煙と共に静かに消えた。


地下道(トンネル)のような穴道は蔦や不思議な草木や花が淡く光り、時々掲げられている提灯が中を照らしている。


別れ道には狸の尻尾や手形の絵、花や魚の絵が書かれた提灯が道標の代わりのように点いており、土の道から都のような石畳の道が現れたりした。


次々と景色が変わる不思議な狢道を抜けると突然視界が開け、目の前には惚けた(とぼけた)顔の大きな狸の石像が現れる。

石像は全身苔が覆い、頭には小さな花弁の可愛いらしい花が風に揺れている。


石像の横をすり抜けると山中に不釣り合いな大きな屋敷が見えてくる。

「はっ、はぁっ、もうすぐつきますから頑張って下さいよ‥‥っ」


周りには蔵や畑があり屋敷の戸口は都の商店のように開け放たれ、黒地に銀で丸に満月と煙の家紋に狢庵と書かれた大きな日除けの暖簾が一枚斜めに掛けられている。

戸口の横には随分と古びた狢庵と書かれた袖看板が吊り下がっており、満月堂は狢庵へと駆け込んだ。


「夜一様!」

「息災か、満月堂。随分慌ててると思ったらでかい土産だな」


屋敷の中に居た夜一様と呼ばれた見た目は20代後半、黒髪に赤毛が少しだけ混じった珍しい髪をした男が声を掛けた。


珍しいのは髪だけでなく、黒の着物の上に色とりどりの沢山の花の刺繍が見事な赤い女物の着物を羽織っている。


そして赤暗い瞳、左耳には犬歯のような牙が耳飾りのように刺さり垂れ下がっていた。

だが顔が随分と端正なせいか不思議な雰囲気といい、男に似合っていた。


のそり、と立ち上がり夜一は言いながら満月堂の手の手拭いを取ると僅か眉間に皺寄せた。

「他の獣に襲われでもしたか?」

「酷い怪我でして、連夜様の薬を塗ったのですが何故かきかないようでして‥‥」


満月堂が抱えていたのは酷い怪我をした子狸だった。随分弱っており意識が無い。


「効かねぇ筈だ、呪詛だ」

夜一には傷口から黒いもやが出て傷口をじくじくと広げているのが見える。


「連夜!」

「じじ様、はいでち〜〜〜!」

夜一に呼ばれ廊下からとてとてと走ってきたのは手に湯の入った桶を両手で持ち、黒い腹掛をして二本足で走る子狸だった。


「満月じじ、じじ様にお土産でちか?」

連夜は満月堂に抱かれている子狸を覗き込んだ。


「じじ様駄目でち、モヤモヤついてるから食べたら駄目でち。美味しくないでち!」

連夜はだめだめ、と首を振った。


「モヤモヤなくても同族食わねぇよ。お前より小せぇし助けてやれ。満月堂ご苦労だったな、連夜に任せて上がって一服しな」

「はい、ありがとうございます。連夜様、よろしくお願いします」

「任せるでち。満月じじ足洗うでち」

「ありがとうございます、ではお邪魔致します」


連夜は持って来た桶を足元に置き、満月堂は子狸を連夜に預けると草鞋を解き桶に足を入れた。


程よい温度の湯は香草や薬草が入っており、湯気と共に優しく良い香りを放ち、足を浸けると疲れがたちまち湯の中へと溶けていった。


足についた土を丁寧に手で落とし、手拭いで拭いて部屋へと上がると、何度も来ているがつい部屋を見上げた。


部屋は広く、壁3面天井まで届く立派な薬棚と棚に薬研や天秤といった調剤器具や薬瓶が並んでいる。都の大店でもこれほど見事な薬問屋はない。

その中を連夜は梯子を動かし登っては迷う事なく棚から薬材をかき集め、器用に頭に載せてるザルに入れてゆく。


満月堂は出された湯呑みに口をつけると、入っていたのは冷えたお茶で思わず一気に飲み干した。

人心地がつくと夜一は目の前に煙草盆を置き煙管をくわえ、満月堂も腰の帯に挿していた煙管を抜き火をつけた。


「あの子狸、拾ったのは石見山か?」

夜一は満月堂がお茶を飲み干した湯呑みに酒を注ぎながら言い、満月堂は頭を下げ会釈した。


「頂戴致します。はい、丁度こちらへ寄せて頂くつもりで石見山へ東側から入ったのですが‥‥歩いていると子狸が獣道から落ちてきまして、最初は他の獣と争いでもして滑り落ちた怪我かとも思ったのですがそれにしてはどうも傷が不自然ですし、気を失う前に夜一様の名を口にしていました」


「ワシの?」

「はい、それで慌ててお連れした次第です」

夜一は片眉をあげた後、ふーん、と首を傾げた。


「石見には昔妖狸(ようり)の結構でかい集落があってな。それを纏めていた大狸を多少知っていたが、馬鹿みてぇにわざわざ人間の戦に加勢して死んだ、100年ばかし昔の話しだ。‥‥ま、今あれこれ考えても仕方ねぇ、気にせず飲め」


満月堂は昔夜一に助けて貰ったのが縁となり、時々訪ねて仕入れた薬を木箱に背負い、行商をして売り歩く。

元々満月堂は都で薬問屋を営んでいたが今は隠居の身でそちらは息子に任せている。

夜一から夜一は妖狸だ、と聞いているがいつも人の姿で狸の姿を見た事はない。


それにしても何年生きていらっしゃるのだろう、そんな疑問を飲み込むように満月堂は貰った酒を呑んだ。


傷ついた子狸を寝かせた横で、連夜はゴリゴリと薬研を動かしている。

満月堂が見た事もないキラキラと光る水晶のような実や草花といった貴重な材料を器用に計ってはすり潰して混ぜ合わせ、出来上がった薬液を連夜は子狸にかけた。


「もやもや消える水でち」

連夜が薬液をかけると黒いモヤはシュウシュウと音をたて消え、塞がらなかった傷は広がるのを止めた。

その上から別の薬で傷口を綺麗に拭き、満月堂が子狸に使ったのと同じ二枚貝に入った傷薬を塗っていくと血はピタリと止まり、満月堂はほっと安堵した。


「‥‥こいつ弱いでち」

眼を覚さない子狸に連夜は小さな壺をとってくると、匙で黄金色の蜂蜜のようなとろりとした液を掬った。


「あーん、でち。飲むでち。甘いでち、飲むでち」

意識のない子狸は口を開けないが、連夜は構わず口元に匙を押し付ける。


「意識がねぇから無理だ」

夜一は見かねて立ち上がり子狸を抱き上げた。


「‥っ?!」

その様子に連夜は匙を落としそうな程酷くショックを受けているが、夜一は構わず抱いた子狸の口を指でぐい、と開ける。


「そら、口に突っ込め、そっとだぞ」

連夜は俯きプルプルと震えていたが顔を上げ、キッと子狸を睨むと顰め面のまま匙を口に入れ薬を飲ませた。


「じき眼を覚ますだろ」

夜一は子狸をおろし寝かせると、俯きまだプルプル震えている連夜の頭を撫でた。

「偉ぇぞ、連夜」

「じじ様ーーーっ!」

連夜は夜一の胸に飛び込み抱きついた。

そして子狸を抱いていた胸の辺りをくんくん嗅ぐと顰め面をし、自分の顔をグリグリと押しつけた。



「‥‥よ、よるい‥‥さまに‥」

「お、気づいたか」

「おお、流石連夜様!」

眼をぱちぱちと何度か瞬き、3人が見守る中子狸はまん丸な瞳を開いた。


「目が覚めたか?ワシに用があるようだが何用だ」

声をかけられても子狸はぼーっと夜一を見つめた。

「じじ様に挨拶するでち!挨拶出来ない悪い子は狸汁にして食べるでち!」

「ひっ!?」

夜一の胸に抱きついたままの連夜は言うと口を大きくあーん、と顔の半分程も開け、その大きさに子狸は我に返り小さな悲鳴を上げ怯えた。


「まあまあ連夜様、まだ状況は飲み込めていないのでしょう、許してやって下さい。子狸さん、石見の山道で貴方は転がり落ちてきたのですよ。

酷い怪我の上、夜一様の名を呼んでいましたので私が狢庵にお連れしました」


「手当てはしたから傷はじきに良くなる。ワシに会いに来ようとしてたのか?その怪我はどうした」

「よ、夜一さま‥‥?」

「ああ、ワシが夜一だ」


子狸はキョロキョロと自分の手足を見て怪我が殆ど治っている事に驚くが、思い出したように突然起き上がると土下座をし、頭を床に擦りつけた。


「お、お初にお目に掛かります、夜一様。

ぼ、私は石見山に住む春時と申します。お願い致します、どうか助けてください、お願い致します、どうかみんなを‥‥っ!」

「落ち着け、まずは何があったか話してみな」

「は、はい」

子狸は顔を上げ話しだした。


いつからかはわからないが、石見山の山中に1人の人間の男が住み着き山の狸や狐、角兎といった獣や妖を狩るようになった。


罠や弓で狩っているのだが、半年程前から傷を受けながらも男の狩りから逃げ延びてきた者達の様子がおかしくなる。


矢がかすった程度の傷でも塞がらずジクジクと熱を持ち痛み、やがて傷口から肉が腐って手や足が落ち死んでゆく。その痛みと苦しみは尋常ではなく何とかしてやりたいが薬草も効かない。


男は山の獣を狩り尽くすような勢いで狩りを止めない。子狸の父親も警戒していたが餌を取りに行った際男に見つかり矢が当たってしまい、治らず広がるだけの傷に寝込んでしまっている。


山の狸達はこのままでは絶滅する、と相談して長の狸が夜一様に贄を出して助けを請うてみようと言い出した。そして狢道を探しているうちに男に見つかり捕まりかけたのを必死で逃げ、運良く満月堂に拾われたようであった。


「‥‥‥‥‥贄?」

聞き間違いか?

他にも聞きたい事はあるが、夜一は思わず言葉が漏れた。


「は、はい、長の娘の蓬姉様は集落一美しくて優しい狸です、きっと夜一様もお気に召すかと思います。出来ましたら食べずに夜一様の伴侶の末席に__」

「いらん」

聞き間違いではなく、夜一は春時が言い終わる前に遮った。


「で、では、私はこれでも集落で1番妖力があります。その為私なら狢道を見つけられるだろうと夜一様にお会いする役目を頂きました、蓬姉様の代わりに私を食べ__」

「いらん、ワシは同族食う趣味はねぇ」

「で、ではどうすれば助けて頂けますか?どうかお願いしますっ!蓬姉様は本当に美しいのです、皆元気だった時は自分の嫁にしたくて争っていた程です、お会い頂けたら必ず気にいると思います!」


夜一は段々とゲンナリした顔になるが春時は必死で土下座をし懇願している。満月堂はそんな様子を笑いを堪えながら聞いていた。


「夜一様、余計な口ばさみかと存じますが、このままでは夜一様に押しかけ女房が来て連夜様がお拗ねにならないと宜しいですな。連夜様は夜一様が大好きですから」


先程薬を飲ませる為に春時を少し抱いただけで泣くのを堪えてぷるぷるしていた連夜を思い出し、夜一はガリガリと頭をかいた。

追い返しても本当に白無垢を着た狸を連れて来そうで面倒そうな予感しかせずゾッとする。


「あ゛ーーっ面倒臭えっ。大体何処から贄だとかそんな話がでやがる、わしを何だと思ってんだ?」

「あ、あの、夜一様は僕達の偉大な祖先、大左衛門太郎大狸様も敵わなかった大妖様だと」

「わかってるじゃねぇか」

夜一は少し機嫌が治りふふん、と1人頷き煙管をふかした。


「狢族の狢道を取り纏めている、大変力のある大妖様です」

「じじ様は凄いでち!」

うむ、うむ、と夜一は満足そうに頷く。

「ですので機嫌を損ねてしまうと夜一様の妖力(ちから)として取り込む為食べられてしまうから、近づいてはいけないと‥‥」

春時の最後のほうの声は消え入りそうな小さな声で震えていた。


「‥‥あのクソ狸め、わしに負けた腹いせにそんな事を吹き込んでやがったのか、タマ袋の小せぇ野郎だ」

「じじ様のタマ袋はでっかいでち!」

夜一は震えながらも土下座したまま顔を上げない春時を見て小さなため息を吐いた。


「春時といったか。その人間はお前達が追い出せ、わしが力を貸してやる。但し贄は絶対いらん、迷惑だ。その代わりにわしの言う事を1つ聞け。嫌ならこの話は無しだ、どうするかは今お前が決めろ」

「わ、私は何をすれば良いのですか?」

「その人間を追い出したら教えてやる」


夜一は春時の覚悟を見極めるかのように静かに言い、春時は不安でいっぱいになった。

一族全員眷族になれ、とかなら良いが皆食べてしまうと言われたらどうしよう、それでは助けて貰う意味がない。でも同族は食べないと仰っていた。


でも本当に同族なのか?妖力(ちから)がとても凄いのはわかる。わかるが凄過ぎてわからない。

でも言伝え通り狢道の先に狢庵はあり、夜一様も本当に居たし、怪我も治して助けてくださった。

信じるしかない、春時は心を決め顔を上げた。


「わ、わかりました、必ず約束は果たします、夜一様お願い致します、どうか助けて下さい」

「約束、忘れるなよ」

夜一は睨み子狸はやっと上げた顔を蒼白にした。



「話しを聞いた限り、その人間はただ食ったり売る為に狩りをしてるんじゃねぇな。‥‥呪術師か陰陽師か___まぁそのあたりだろ」

夜一は不機嫌そうに言い咥えていた煙管を煙草盆にコンコン、と打ち鳴らし急ぎだ、と呟いた。

するとぼん、という煙と共に前掛けをした飛脚の格好をしたハクビシンが現れた。


「お呼びで、夜一様」

「伊織を呼んできてくれ。大方花街辺りだろう」

「承知!」

返事をしたハクシビンは2、3歩駆け出すと現れた時同様煙と共に消えた。



◆◆◆◆


「夜一様ーーーっ!!!伊織参上っ!!超急ぎで来たっす!」

狢庵の入り口に若い男が大慌てで駆け込み叫ぶ。


「随分早ぇな、伊織。ちょいと手ぇかせ、調べて欲しいのがあってな」

「勿論っす!何でもするっす夜一様、だから__」

「ああ、お前の頼みを聞いてやるから働け」

「ちぃーーっす!!あ・ざ・まーーっす!夜一様ぁっ!!」 

「ただし、その人間が陰陽師だったら深追いするな、すぐに戻って来い」

「りょ!」

伊織は片目をつむりぐ、と握った右手の親指を立てて頷いた。


ハクシビンが消えて半刻(一時間)もせず駆け込んできたのは榛色の髪と瞳、その見た目も口調も軽い遊び人のような若い男、伊織だった。



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